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■■■欧州・日本・米大陸、および世界通史に関する忘備録■■■
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↓■■■■■「まずは、欧州・日本・米大陸の通史」メニュー■■■■■↓
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赤メニュー(追加したメニュー・特に「←◆クリック」の項目)だけでも読んでいただけたらとても嬉しいです。メニューの下の方にも赤メニューがあります。
また、従来の青文字メニューも新情報があったため修正・追記しています。

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■気づいたことメモ(2023年)
これは本題の通史ではなく、最近の動向をみて気づいたことをランダムに記載してます。
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■「欧州とは」
はじめに、と欧州の超概要。(ここはあまり面白くないです)
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■「真剣に楽しんでいる奴には敵わない」←◆クリック
「真剣に楽しんでいる奴には敵わない、ではどうしたらいい?」(目的達成のための対策手段と通史メモを書いて分かった事)是非、ココは読んでいただけたら嬉しいです。FBFの事も少し書かせていただきました。
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■「欧州・日本の通史概要」←◆クリック
「欧州の通史と日本通史の概要を羅列しました」(欧州と日本の通史超概要はここで分かるように書いたつもりですがいかがでしょうか)
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■「欧州人の特徴と個性」←◆クリック
無骨で力任せのゲルマン人、欧州の文明・文化を作ったラテン人、一番多いスラブ人、少数民族のサミー人など他にも多くの人種・民族が狭いところに住んでいます。(偏見はないつもりですが、欧州の方はあまり面白くないかも)
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■「欧州に国が(争いが)多い理由」←◆クリック
気候変動や狭い土地(小麦中心)の奪い合い。大繁栄したローマ時代から貧困地帯へと。そして大航海時代で世界を我が物のようにして行った悪事の数々。全世界を変えた第一次世界大戦。(欧州発の争いが全世界へと)
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ここから日本↓
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■「日本」←◆クリック
人を殺傷する武器がなかった倭人の特殊性+その後、倭人に別人種が加わり日本人へと。日本の四大変革期。(日本が大好きな僕としては思い入れがあります)
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■「日本が起こした無謀な戦争の何故」←◆クリック
明治維新で急に変わり始めた日本。欧州を真似た大陸進出で好戦的に。太平洋戦、半年で負けが決まっても負けを認めず、何も決めず先送りばかり。それが原因で、軍事人よりも多い民間人の被害者を出しやっと終戦。(日本が仕掛けた戦争で各国の合計2000万人が死亡。日本が大好きな僕も書かなければならないと思い、裏の取れた事実のみを)
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■「東京裁判」←◆クリック
人は戦争を裁けるのか?(平和に対する罪・戦争犯罪・人道に対する罪)(個人的な意見は入れておらず、事実のみを)
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■「米大陸」 
元々、欧州以外に白人は住んでいた? 白人国家の5アイズって?
白人は全世界に何をした?(数年前に書いた内容です) 
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↓■■■「次に、世界通史に関する忘備録(詳細)」のメニュー■■■↓
(一般的に事実と言われていることだけを、日本と世界を混ぜて書きました)
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出アフリカ、グレートジャーニー時代。
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■2〜3万年前
人種の時代。
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ここは身体的特徴に触れています。
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言語と民族の時代。
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地球が温暖化、人類が農耕を知った時代、農耕から始まった争いが武器の開発、今の戦争(含:貨幣、侵略)に繋がることに。
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■7000年〜3000年前
ユーラシア文明と都市国家の時代。一神教の始まりが今の世界を大きく変える。
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ユーラシアの各帝国が「人類思想」を生み出した時代。古代オリンピック。アレクサンドロス大王がヘレニズム文化(文明)を。
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日本最初の四大変革期の最初(倭人のDNAが変わる)。欧州は共和制ローマ帝国カエサルの時代。
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キリスト誕生とキリスト教の時代。
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日本が大変革を迎える少し前。遊牧民(フン族)がきっかけでゲルマン人の大移動、そしてヨーロッパの原型が。
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日本の四大変革期の二度目(倭国から日本へ)。豪華なビザンツ、イスラーム、カール大帝登場の時代。
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平の将門の乱で武士が影響を。物々交換の貧しいヨーロッパ、世界の富の7割が世界の中心ビザンツ近隣に。
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■1200年の少し前〜1300年過ぎ
日本は武家(源氏)政権。史上最大「モンゴル帝国」と「十字軍」の時代。
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■1300年過ぎ〜1550年頃
戦国時代の切っ掛け。ペスト、百年戦争、ルネサンス、宗教改革も。欧州はユーラシアの後進地区だった。しかしレコンキスタの終焉が大航海時代を招き世界を席巻。海に境界線が。
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日本は戦国時代。大航海時代、スペインがインカの銀で、ポルトガルが奴隷で富を。立憲王政・絶対王政の時代。
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■1600年〜1840年過ぎ
安定した徳川政権。アメリカの始まり独立とフランス革命(王政から市民へ、近代民主主義)、三角貿易(黒人が米大陸へ)、産業革命(農から工へ)。欧州発の革命で世界中が大きく変わる。
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■1840年〜1900年
日本の四大変革期の三度目(日本の近代化)。ビスマルクが変えた日本。帝国主義の列強が世界を四分割(極東、アジア、アフリカ、北アメリカ)、アメリカの発展。
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■1900年〜1945年
日露戦争は欧米が入りじまった第ゼロ次世界大戦とも。日本四大改革期の最後(A)日本は十五年戦争で大陸に大きな影響を。世界は第一次世界大戦、安易に始めた戦争が世界大戦へ、戦争の世紀始まりの時代。
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■1945年〜1952年
統帥権、日本四大改革期の最後(B)日本はゼロからの復興。イスラエル建国。大戦後の世界。冷戦と代理戦争始まりの時代。
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1952年〜1989年
日本は特需、オリンピック、公害、バブル。文化大革命、天安門事件。オイルショック。冷戦、キューバ危機で世界が怯える時代、そしてゴルバチョフの登場。
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■1989年〜
日本はバルブ崩壊、2つの大地震。各国でテロ、9.11、リーマンショック。EU誕生、そして難民の時代。
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■「ロシア・ウクライナ侵攻(P氏、オルガルヒ、マイダン革命他)」
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■「核兵器について」←◆クリック
(思い入れが強い項目です)
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■「全世界を変えてしまったヒトラーについて」←◆クリック
第一次世界大戦に従軍してから変わったヒトラーの生涯
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■最後に(文化、笑い、脳の仕組み、そして本当の強さとは)←◆クリック
(個人的な考えだけを書きました)
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■「欧州の戦争(紛争)一覧」

■「参考資料および引用元」

◆画像について⇒赤文字メニューの、言語
地図(Copyright記載)と天皇関連の日記、東京裁判、世界通史に関する忘備録の各写真・地図以外のものは全て僕の自作(仕上げに一部アプリの力を借りた)で、あくまでもイメージです。青メニューのものは許可を得たものとフリー素材を利用しております。

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◆気づいたことメモ(2023年)

この項は本題の通史ではなく、ちょっと気になっている情報をランダムに記載しています。


・時にはドイツ人のようにはっきりとモノを言う必要が増えて来たかも

・死を具体的に意識した時に変る精神的変化
1,時間を大切にしたいと「強く」おもうようになる。
2,人生の優先順位を決めるようになる。
3,人の痛みが分かるようになる。
4,自然への感性が鋭敏になる。
5,起きてしまったことを後悔しなくなる。
6,平和は当たり前ではないと思うようになる。
7,生きているのが当たり前ではないと思うようになる。

・テレビ局の売り上げ、経常、純利、総資、社員数(2023年)
日テレ 2900億、411億、298億、7139億、1354人
T B S 2240億、168億、107億、4500億、1173人
フジTV 2300億、79億、57億、2200億、1166人
テレ朝 2200億、65億、13億、2400億、1254人
テレ東 1130億、106億、87億、515億、763人


・世界の6大+2リスク
1,米国の分断(大統領選でそれがさらに+インフレ+対ロシア、対北朝鮮、対イラン)
2,中国経済(不動産きっかけでバブル崩壊+対台湾)
3,中東問題(3000年2000年前と100年前のきっかけだが今後さらに)
4,ロシウク問題(ウクライナが負けて、ロシア国境にNATOが軍備増強?)
5,重要貴重鉱物の争奪(レアアース、ニッケル、コバルト)コバルトはEVに必須で今コンゴ内戦で採掘権の奪い合い。(コンゴのコバルトは世界の7割)
6,AIの動向(今後どのような動きになるか、人類への影響)
7,米中のグローバルサウスの取り合い。
8,世界の再ブロック化

・仮にAIを政治でも使うようになった場合、またそのAIが常に部下AIだとしたら。AIには欲がない、洗脳もされない、嫉妬もしない、ルールを守る、自分達の都合の良い法律は作らない。
・国民の代表アバターが政治を行ってもいいかも。それが「国民主権」

・岸田政権になり自民党は20年前に戻ってしまった。
・公金横取り企業と政府のやりたい放題
・日本医師会の代表を厚労大臣にした(武見敬三で医師会のドン太郎の息子)
・三権分立と言っても、日本の司法は(政府に嫌われると出世できないので)政府を否定できない。
・政治家の非課税特典は止めるべき。そして国民と同じく国税庁の管轄になるべき。

・派閥はリーダーを総裁にするための集団
・議員にとっての派閥の利点=選挙の応援を得られる、政治資金をもらえる、ポストを派閥から推薦される人事的メリット等。
・小選挙区になっても続いている以上、政治家も責任を負う「連座制」が必要かも。

・ある政党が嫌いな人は、その党が良くなる対策ではなく、その政党を潰すことだけを考えているように見えてしまう。自分が推している政党は何が起きても最高の党だと思っている。そのため、裏が完全に取れていなくても勧善懲悪的な情報には飛びつき拡散させたいのかも?

・日本が変化を嫌う理由=日本は東の端でその先がない国(他国のように侵略されたり通過点ではなく)だったから。そのため日本人の口癖は「昔は良かった」、侵略された国は「昔は辛かった」
しかし弥生時代以降侵略されなかった文化の熟成は世界に冠たるものがある。

・日本が経済的に落ち込んだ理由=人口が減っているにもかかわらず国内産業(特にB to C)で安売りをしまくった結果、デフレスパイラルが始まった。停滞は崩壊につながる。
個人的には100円ショップの衝撃かと。何か買おうとしても100円ショップにあるならそれでいいという風潮に起因。安いくてモノが良ければ最高だし僕も100円ショップは大好き。ただ、日本経済にとってはどうなのだろうか?非常に難しい問題。

・デジタルテクノロジー(DT)に対する変化=今までは下が上にDTをすすめても上が理解できず没。今は、上がDTを進めても下が雇用を怖がり没に。

・新しい封建性=DT企業の繁栄が中流以下のチャンスを奪い、社会の可能性をなくしている。

・日本のDTの現状=完全に米・中・韓に抜かれている。

・少し前の「安い国ニッポン」に「スローな国ニッポン」が追加された。

・英語になった日本語(根回し、残業、永久就職、過労死)

・日本のデジタル(D)赤字=日本のD技術の貿易赤字は2023年現在で1.8兆円だが、2030年には8兆円に跳ね上がるかも。

・日本の予算=112兆(税収69兆、国債35兆、他)国債の発行総計は1105兆に膨れ上がってる。

・日本の脱炭素=G7で唯一、石炭火力発電所の廃止時期を明言していない。世界から批判の種で「化石賞」をもらってしまった。

・風力発電は日本に合っている=しかし、日本政府は風力のサポートはせず、火力のサポートを今後20年間行うことにしている。理由は国内企業に風力を開発できるところがないため、政府は企業に気を使って。今後国内企業が出てくれば変わるか?
今後は風力発電やEVは増え続ける。

・地球は人がいない方が存続できるが、人は地球がないと存続できない。

・EVにはコバルトが必須(コンゴの内戦の原因でもある)
だが、これからはレアアースではなく「マンガン」や「ナトリウム(海水に豊富)」でも高性能な電池が作れるようになった。中国がすでにリードしている。

・日本の武器生産と輸出関連=朝鮮戦争時に在米軍用の武器生産・輸出、佐藤総理時代「武器輸出三原則」、三木総理時代「武器輸出全面禁止」、安倍総理時代「防衛装備移転三原則、岸田総理「国家安全保障戦略・輸出推進のためのルールを見直し」

・日本への武器ライセンス提供国=アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ。

・2023年、現在、日本・イギリス・イタリアの共同開発で戦闘機を作ろうとしている。(与党では現在公明が反対しいる)
・次期戦闘機
日本は、対中国を意識=迎え撃つので多くのミサイルを装着出来る事や高出力レーダーが必要。
イギリス、イタリアは対ロシアを意識=対地上攻撃なので多くの爆弾が積める事や機体の下に多くの高性能センサーが必要。

・5類見直し(5類=直接戦闘ではなくその関連業のみが5類)だが、それを見直そうとしている)しかし「5類見直し」と検索してもコロナしか出てこない。これは超深刻。

・安保3文書=「1,国家安全保障戦略(日本の安全保障) 2,国家防衛戦略(防衛の目標と手段) 3,防衛力整備計画(自衛隊の体制)
・反撃能力の導入=敵地を攻撃する能力、今までは相手が撃ってから追撃。そのため日本のミサイルの射程距離を現在の120Kmから1000Kmに伸ばす計画、今後はそれは2〜3000Kmも検討中。

・パワー・ポリテックス=軍事経済で国の利益を追求

・軍事と経済=最も富を生むものが常に未来を作ってきた、つまりそれは戦争。

・日本が空母を持っていることを知らない人が多い。

・台湾有事=TSMC(先端半導体の世界シェア9割)が中国の物になってしまう。そのため今、日本やアメリカにTSMCの大工場を作っている。

・日本のエネルギー自給率=13%、カナダ、アメリカは100%を越えている。
・日本の貧困率は先進国で一番高い。
・ミツバチが絶滅すると人は4年後に滅びる。(受粉ができないと植物が育たない。いずれ工場で野菜を作ることがメインに。肉さえも工場でつくることになるかも)

・国民保護=有事の際、出来るだけ早く国民を安全な場所へ移動。
台湾有事で大きく変わってきた。特に南西諸島のラインが中国の生命線になるので、沖縄はじめ南西諸島が心配になってきた。
いざというとき、島民をちゃんと移動させてくれるのだろうか?避難場所は今のところ鹿児島と山口。非難には飛行機・船を使うわけだが、自衛隊機船を使うと万が一の時、撃墜されてしまう懸念も。では何を使うか?人手は大丈夫か?

・AIに「人間はダメだね」と言われたくない。政治家はAIから「何やってんだよ」と思われているかも。もちろん政治家の表側だけを見て人格を否定することはしたくない。でもお金の匂いのある方に動いてしまう政治。

・AIは暗黙知が苦手。サリー・アン問題は分かるが、当然だがレモンを見ても唾液が出る感覚は分からない。AIとロボットでも人の家で食事は作れない。
・AGI=シリコンと脳細胞を有効させる知能の研究をベース、チップの上で脳細胞を培養。今のAIの弱点を補填する。

・AIは常に「部下AI」であるべき。

・AIは仕事を奪うというが、新しい仕事も生まれる。理系なら「AIエンジニア」、文系なら「AIプロデューサ」
・対話の重要性=意見の違いを認めることで対話が生まれる。対話で不満100%を80、60、50、30と減らして行き70%で合意するべき。それ以上を望むと対立が始まる。
・体験から出た言葉が重要=体験から出た言葉は本人が削りだしたもの、しかしコンサルは膨大な名言集の参照。

・AIは大規言語(LLM)の時代から、AIエージェントの時代へと。
・OpenAI 対 Googleの構図に。
Sora,Genie


・トランプが再選された時の日本世界への影響=彼には政治的理念はなく、経済的なメリットだけで判断する。(トランプはEV嫌い、共和党の自動車産業の雇用確保方針。また石油や石炭はどんどん掘れと言っている)
その為、仮に日本の米軍を撤退させたら、中国や北朝鮮は大喜び。

・トランプが再選されることを各国は不安に思っている。まずは一律の関税。
ウクライナが負けることでロシア国境にNATOが軍備を増強したとしてもそれはトランプが撤退させるだろう。するとロシアがまた過去の連邦に戻りたがるかも。さらに権威国家である北朝鮮やイラン(中国も)も喜ぶだろう。
北朝鮮の核保有論争もなくなってしまうかも。いつのまにか核保有国になってしまう不安。
・トランプには正論は効かない。米に利益があるかどうかが前提。
・岸さんではトランプに太刀打ちできないだろう(TVアンケートで90%以上が無理だろうと)
・トランプになればウクライナ支援は止めるかも
・ロシアがさらに強くなり、今まで以上にアメリカ至上主義に
・特にEV廃止やエンジン自動車を守るので、その関連ビジネスを米国内に引き戻したい。石油、石炭はどんどん掘れ。
・国内の税金を減らして、関税で儲けようとしている。
・日本製鉄とUSスチール(ディア・ハンターの舞台)の買収はどうなるのか。トランプは絶対反対だろう。

・トランプは今回の後は選挙がないので、思いっきり動くはず。
・トランプを抑えられるTOPが世界にはいない

・米シンクタンク(共和党の)もすでにトランプ寄りになっている
・中国には60%の関税などと言いだした。
・トランプは現在4つの事件、91の罪で訴追されている
特にホワイトハウスに対して暴動をおこさせた「第14条3項の暴動・反乱の罪」が一番重い。だがこの罪は南北戦争時に出来たもの。

・バイデンの記憶能力がだいぶ落ちている可能性がある


・トランプは以前イランを攻撃した
・イランは元々、親米国家だったがイラン革命でホメイニ氏がでてから変わった。

・中国は台湾を攻撃するだろうか?下手に攻撃して世界90%を占める台湾の半導体工場に影響を与えてしまうのだろうか? もしくは、台湾を中国が手に入れることでその半導体工場の中国のものにしようとしているのか?この点がよくわからない。

・世界の壁=ポーランド(対ロシア)、フィンランド(対ロシア)、アメリカ(対メキシコ)、インド(対パキスタン)、ペルー(リマの富裕層と貧困層)、イスラエル(ガザとヨルダン川西岸)
・国連の拒否権=ウクライナもガザもロシアとアメリカンの拒否権で決定出来ない。
・東欧革命で民主主義が世界を平和にするかと思った、、、しかし、2大国の核の均衡が破れ世界中が荒れだした。民主主義と権威主義の国々。日本は権威主義の国になりそう。
・アメリカがイスラムを憎む理由=当然9.11の憎しみ、後はユダヤからの献金で動いている選挙や米政府。
・イスラム教=入信するには二人の信者の前で誓えばOK、止めるときは死をもって償う。
・サウジアラビアはコーランが憲法のようなもの。
・イスラム原理主義の中に過激派がいる。
・ハマスはスンニ派の過激派(元は社会福祉や慈善事業で支持を広げた)
しかし、シーア派のイランはハマスを応援、理由はイスラエルが侵略者だから。
・シーア派(血統重視でイランなど)・スンニ派(信者重視でサウジなど)
・ハマスの幹部は超リッチ(ガザにはいない)

・アメリカ福音派の考え=キリストが蘇った時にエルサレムにイスラムがいたのでは大変なことになると心から思っている。

・ユダヤ人虐殺やシオニズムのきっかけは「ポグロム※」
※13世紀のカリシュの法令によって権利および安全をポーランド王に保障され、ユダヤ人はポーランドに集まり生活していた。が、マルティン・ルターの「ユダヤ人と彼らの嘘について」がきっかけでユダヤ人たちは嫌われ出した。↓
その本でユダヤ人を「下劣な偶像崇拝者、つまり神の子ではなく己が家系や割礼を誇りにし、法を汚らわしい物と見なしている連中」
具体的には↓
シナゴーグやイェシーバーを、跡形残らず徹底的に焼き払うべし
更にユダヤ人の所有する家をも打ち壊し、所有者を田舎に住まわせるべし
宗教書を取り上げるべし
ラビの伝道を禁じ、従わないようであれば処刑すべし
ユダヤ人を撲滅するための方途を穏便に実行すべし
高利貸しを禁じ、金銀を悉く没収し、保管すべし
ユダヤ人を農奴として働かせるべし

・ウクライナが負けるとNATOはロシア境界線に軍をおくことになりその費用は膨大。トランプが決まったら撤退させるかも。

・ウクライナのEU加盟交渉が始まるまでたった2年。
でもウクライナは欧州最貧国(ウクライナのGDPは4800ドル、ちなみにロシアは1兆8000ドル)なので、ウクライナにEUの補助金が多く使われてしまうため反対している国も多い。
ハンガリーのバン首相の反対で遅れているが、今後どうなるか?

トルコはEU加盟交渉までに40年かかっている。1963年に始まり2005年交渉が始まったが、現在も凍結状態。

・危機は常に無関心と隣り合わせ。
・今後は遺贈寄付も増えるかも
・平和ビジネスが重要。
・地球の成分=炭素、水素、酸素(これで地球にあるもののすべてが出来ている)
・世界は隠れ飢餓=炭水化物ばかり食べて栄養(ビタミン、ミネラル、タンパク質)不足。

・電車で席を譲られたら座りましょう。断るとだんだん譲る人がいなくなってしまう。
・親ガチャ=生まれてくる子は親を選べない。
・論破を目的すると合意は不可能。
・意見の違う人の人格までも否定したくない。
・やはり「補助線」は大切。
・忘却は可能性。

・日本は「間接民主主義(選挙で選ばれた代表者が国民の代わりに政治をする)」でも地方では直接請求権もある。
「直接民主主義はスイス(国民投票で決まった人が政治をする)」

・労働生産性(1時間あたり)
日本 52ドル
米国 90ドル
ドイツ 87ドル
フランス83ドル
イギリス 73ドル
イタリア 71ドル
(アイルランド120ドル、ルクセンブルク112ドル)

・デジタル円
中央銀行発行のデジタル通貨
(円建てで日本銀行が発行する)
しかし実務としては日銀は発行せず、民間企業が間接的に発行(責任は日銀)
・利点=現金は今のまま使える、信用リスクがなく即時決済、いつでもどこでも使える。
・欠点=現在の民間決済サービスをデジタル円が駆逐?
セキュリティの心配は?システム障害時の対応は?プライバシー保護は?
・導入しなかった場合、日本が世界から遅れてしまう?

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■■■欧州と日本の通史、個人的な備忘録「はじめに」■■■
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※この項はあくまでも概要の羅列です。
詳しくは下記の「世界通史に関する忘備録」の本文およびリンク先をご覧ください。

◆世界は広いですね。日本以外にも約200ヶ国弱ほどの国々が違う文化で生活をしています。さらに民族の数は相当数あり、言語に関しては最大7000種類もあるようです。そう考えると「日本はこうだけど、海外は、、(その逆も)」のように海外を一括りで分けてしまう視点に疑問を持つ事が増えてきました。
自身を振り返ってみると、実はそのような表現(「日本では」や「海外では」)を使っていることに気付いたわけです。文化の違いを認める事が重要と分かっているフリはしていたのですが。

ちなみに、現在、日本人のパスポート取得率は17%にまで落ち込んでいます。先進国最低水準で、特に若者の取得率が非常に落ちているようです。実際に目で見て空気・文化・人を感じることは大切なのかと思いますが、、、そういう僕自身、最近、飛行機恐怖症になってしまい、その上、英語を話すと蕁麻疹がでるようになってしまい非常に困っています。病院には行ってますが、原因不明が続いています。



■通史に興味を持ったきっかけ■
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◆今までの僕の特徴は、勉強が出来ず、いい加減でフラフラしている男。
その後、FBをやるようになると多くの方の投稿と素晴らしい文章表現に興味を抱きだし、友人達の投稿に刺激されるようになってきました。
そんな時、僕の中に突然ある2つの疑問が浮かびました。それは「自然界には何故、肥満がいないのだろう?」という素朴な疑問。そして、「自分が妄信的に善悪を決めてしまっている事や言動はないか?」という疑問。それをきっかけに通史に興味を持ち始めました。その経緯や詳細は次項で。

とはいっても元々勉強が出来なかったので難しい本は無理、そこで笑われるかもしれませんが「まんが世界史・日本史」を読んでみました。すると、、それが想像以上に面白くて。いつのまにか各出版社のまんが歴史関連全巻を読み終えていました。

少し分かってくるともっと知りたくなり、他の本を読み漁り、時には著者先生方に直接連絡を入れ先生方の講座も積極的に受けるようになりました。そのうち厚手のノートが何十冊に。本当に不思議な現象です。以前のメモを書いた時にも読んでましたが、また少し増えました。
■リンク→この時に読んだん本や資料&映像ドキュメンタリーにリンクを張りました。

調べてゆくうちに、欧州の戦争がとても多い事が世界史へ大きな影響を与えていること。さらに近代史を大きく狂わせたのも、日本の十五年戦争も原爆投下さえも、欧州の国の多さが無関係ではなかったことにも気づきました。そして、2つの疑問の自分なりの回答も。


■リンク→欧州の戦争(紛争)一覧 
他大陸に比べて比較しようのない程の戦争の多さに驚かれると思います。時間軸で見ると、人種、民族、大王の登場、資源、産物、大帝の登場、帝国、一神教、領地、征服、政略結婚、革命、英雄の登場、海外の植民地、大戦、独裁者、それぞれの要因で乱立する国家、次々に変わる国境、偏見、、これでは隣国同士ほど敵対してしまう事を否定できないと思います。つまり必然的に隣国が多ければ争いも多くなるということでしょう。



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◆まずは欧州の概要を駆け足で!!
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四大河文明(メソポタミアなど)から少し遅れて始まった欧州の文明は地中海側中心の
古代ギリシャ↑です。哲学(無知の知のソクラテス・イデア論のプラトン・万学の祖のアリストテレス)や民主政治の概念がここから生まれています。そしてマケドニアのアレクサンドロス大王が東西融合のヘレニズム文化を作ります。地中海をはさんでカルタゴのハンニバル、共和制ローマ後期にカエサルが登場しローマは帝国へ、それまでの古代ギリシャ、古代ローマ(含:共和制)の歴史を大きく塗り変えます。


ローマ帝国後期、五賢帝をピークに帝国の力は弱まり、さらに一神教(キリスト教)の国教化が後の欧州と全世界を大きく変えることになります。その頃、フン族の(気候変動)移動に端を発したゲルマン人の大移動↑により、当時文化的とされたラテン語を話せない北のゲルマン人が西欧州に増えはじめます。それが、ローマ帝国の東西分裂+西ローマ帝国滅亡の要因の一つにもなります。もちろん、キリスト教の急激な広がりも大きな原因でした。


その後、カール大帝が欧州の大元を作りますが、争いは絶えません↑。さらに、北のゲルマン人、南のラテン人、東のスラヴ人が入り混じり、宗教もからんで、その頃は最大で1000の国が乱立しグシャグシャ状態。とにかく争い続き↑、国境は次々と変わり、遺恨を残したまま現在の欧州のベースが成り立ったのではないかと思っています。フランク王国、神聖ローマ帝国他、国王、諸侯、貴族、奴隷による封建社会が存続します。

英仏の百年戦争の後、古代復興(ルネサンス)や宗教改革(プロテスタントの誕生)、三十年戦争(カト対プロ)後、西欧州は大変な貧困時代(東のビザンツは逆に超繁栄)を経験します。その後大航海時代↑で西欧州は全世界を植民地化し世界の富・労働力(奴隷)を独占、絶対王政へ。そして、アメリカの独立に影響されたフランス革命、イギリスの産業革命、ドレフュス事件(三枚舌に影響)のシオニズムが世界を大きく変えてゆきます。



その後、安易に始めてしまった第一次世界大戦↑が全世界を狂わせて行きます。
その影響とは、社会主義や独裁国家の台頭、帝国主義から国民国家へ、米国の大国化、ドレフュス事件と三枚舌外交による根深い憎しみの連鎖、ヒトラーの出現による第二次世界大戦開始などかと思います。そのww2の戦後処理の失敗(ドイツを分割したこと他)により冷戦のきっかけを作り長く続くことになりますが、東欧革命により冷戦は終結。しかし、NATO対ソ連の構図が出来上がります。その後EU(国境、関税、通貨の統一)で1つの地域としてまとまりますが、中世とは逆に西は豊か東は貧しい状態。平行して無責任な三枚舌外交の後処理が出来ないまま対テロ戦争や難民が世界中に蔓延し、さらに独裁・権威主義国家が他国に大きな影響を及ぼし続け、世界は不安定な時代に入ってゆきます。

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「真剣に楽しんでいる奴には敵わない」そのために考えたこと。人を殺さないと平和にはなれない? 戦争は儲かるから終わらない?
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◆上記の項や投稿でアップした人物(欧州人の特徴と個性)の各イラストは僕のデッサン+アプリ仕上げです。しかし、通史メモ内の地図はcopyrightを確認して使用させていただいています。 尚、写真(天皇関連の日記、東京裁判、7000年以降の写真)はcopyrightが見つかりませんでした。ご指摘くださいましたら指示に従います。フリー素材もあるかもしれませんが、未確認です。
このページは、FBのように閉じた空間ではなく、完全な公開情報、なのでちょっと気にしています。

◆各通史の歴史的背景はそれなりに調べてはいるつもりですが、僕は歴史の素人。その点をご了承いただき、何かおかしいとお感じになることがありましたら、是非ご教示ください。今、裏の取れた真実が知りたくて仕方ありません。ちなみに僕は歴史のディティールより、流れ(●●が原因で●●に繋がり、今●●になった)つまり通史が好きです。そのため広く浅く、でも要点が漏れないようにしたつもりです。

◆通史を書くにあたっての参考資料は、メニュー内の「参考資料および引用元」でリンクを張っています。もし、問題があるようでしたらこちらも是非ご教示ください。

◆最後に、僕は文章表現及び構成が苦手で作業が遅く、これを書くのに裏取りも含めて3年ほどかかってしまいました。その上、言いたいことが先走り、どこが悪いのかもよくわかりません。その点もご指導いただけましたら恩に着ます。
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さて、いきなりですが、僕の座右の銘は「真剣に楽しんでいる奴には敵わない」です。
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この座右の銘は常に僕の行動基準で、このことに対してはいたって真剣です。その染み込んだ銘を意識しながらいつものように生きていたある時、ふと頭を過った素朴な疑問があります。
それは「自然界に肥満がいないのは何故か?」「自分には妄信的な善悪判断や、言動はないか?」この2点です。

説明しにくいのですが、この2つの疑問と僕の座右の銘が直結したのです。ひょっとしてこれらは「共に戦争に関係していないだろうか?」という考えが後に浮かんだ時、座右の銘と繋がったからです。

もう少し詳しく書きます。僕は争いごとがとにかく嫌いです。楽しく(楽ではなく)真剣に生きたいわけです。でも、世界中の大量殺人を見るにつけ辛くてストレスフル、たまらない気持ちになり楽しく生きたいなんてぶっ飛んでしまいます。つまり戦争は僕の座右の銘の正反対側にあることが後に分かったからです。具体的には、以下の「今回この通史メモを書いてわかったこと」に記載しました。
でも、1万年も続いている戦争をなくすことは人類の力では不可能。なら他に何か方法はないだろうか?日々そう考えるようになってゆきました。

そのうち、「戦争反対を叫ぶ以外に、減らす方法(対策・手段)」に興味が湧いてきました。そうすれば少しは楽しく出来ると。目的が目的だけに「アホらしい」との批判は覚悟で書いています。


■■僕が考えた対策と手段は以下の2つです。いい年して幼稚で世間知らですが、結構、真剣に考えています。是非ご笑覧ください。
(2つ目が長くてすみません)
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1つ目は、「戦争を少しでも減らす対策=戦争に加担している国は民度が低いという常識」が出来ないか?
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●手段としては、「武器の開発・製造・輸出・輸入を行っている国のそれぞれの数値+戦争・侵略で殺害した人数、それらの数値を合計しその国の民度に。高い方が民度が低いという解釈で、毎年グラフ化して発表する方法」。
●国際社会や国連憲章でも戦争を禁止していないなら、少しでも減らせる対策としての基準を作るしかないかと思い素人ながら考えてみました。(国連憲章では「戦争は慎むこと」になっており禁止はしていません)

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2つ目は、上記にも関連した「政府の目に余る対応への対策」
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手段としては「政治家にAIを ”ある特定分野だけで” 使ってもらう」ことができないか? 
僕は以前AIを心から嫌っていました。理由は、AIにはある意味「根っこのない木」の怖さがあるからです。そのため、その点を忘れずに、強力な検証システムを常に並走させます。

●日本国民は、先進国の中で一番マスコミに妄信的な国らしいです。僕も御多分にもれずマスコミが流す政府の報道を鵜呑みにしていました。逆にそれに反対する野党を「とにかくなんでも反対、いつも邪魔ばかりする進歩のない人達」+「視点が近視的過ぎ、善悪二元論のみに徹してしまう人達」+「自分達の党以外を悪く言う狭量な人達」と心から嫌い憎んでもいました。

●しかし、その僕が信じていた政府の裏の会話の感想を、信頼できる報道関係者から聞きました。感想の内容は「国民のことなど選挙以外では眼中になく、我欲と保身の会話は相当酷かった※」というもの。聞いた僕は真っ蒼になりました。が、それでもにわかに信じられず、その後、調べに調べました。記者の知り合いにもたくさん質問をしました。結果、今まで全く疑わず信じてきた自分が本当に嫌になりました。

※つまり「ショック・ドクトリン」でした。(国家非常時を狙い資産家・大企業に利益を集中させる恐ろしい資本主義です。つまり金持ちを超金持ちにする資本主義)
●日本全体が大ニュースで話題になっている時(大災害や感染症、もちろん戦争はその最たるもの)、確実にその裏をかいて国民が知らぬ間に政府に都合の良い法案がどんどん決まってゆきます。

●サザンの歌【Relay〜杜の詩】の中に「いつもいつも思ってた。知らないうちに決まってる」という歌詞があります。これはまさに「銀杏並木の伐採だけではなく、国民が知らないうちに決まる増税・値上げ・天下り、国内よりも各国への数々の援助優先、戦争への間接的な加担、他」を歌っているようにも思えてなりません。これは僕の曲解かもしれませんが。

政府が進めたい(財務省、企業、そして米が推している)過激な政策や法案はいつのまにかすんなりと議会を通る。企業からは多額の政治献金が入る。さらに企業の上層部は、その利益により莫大な報酬(キックバック)を得ることになるウィンウィンの関係です。防衛費を増やして高額兵器をたくさん買ってもらった米も大喜びの構図です。

しかし、メジャーなマスコミは分かっていても突っ込んだ取材はせずニュースにもしません。この責任は大きいと思います。
このマスコミは以下の理由により変わってゆきました。

●メジャーマスコミが変わり始めたのは、2012年頃から。そして決定的になったのは、ある女性大臣の「(放送局の)電波の停止がない、とは断言できない」と放送局への行政指導の可能性を示唆した「2016年2月8日の衆議院予算委員会」からだと思っています。
事実、その後、官邸記者が、政権に都合の悪いニュースを止めさせたり、番組にクレームをつけるのは業務の一環になっていった可能性があります。
報道関係者はそれが悪いとは分かっていても、上層部の指示に従わざる得ない完全な板挟み状態。こうなると「放送法4条(政治的に公平、事実を曲げない、他)」とは何だったのかとも思ってしまいます。もちろん、テレビ報道は本当のこともたくさん伝えています。

●また一部の起業家・資産家たちは、政府寄りにしていた方が自身の資産を増やせるため、SNSなどでも政府寄りの意見を堂々と述べています。実は、彼らは裏事情をよ〜く分かっています、誰よりもよ〜く。でも、平和よりも自身の資産を増やす事がなによりも重要。事実コロナやロシ・ウク他大惨事で関連株価が爆上がりして目の色が変わっている訳です。

彼らの特徴として、自分と意見の合わない人達をバカ呼ばわりする器の狭さがあり、これはほぼ共通しています。ここに見えてくるものがあります。

●これでは以下に記載した「◆満州事変から急に変わりだした報道機関の責任」の92年前と近いものを感じてしまいます。というのも「ショック・ドクトリン」という言葉がなかった太平洋戦争が起きた頃から、この力関係が存在していたことが分かったからです。
あと最近は三権分立が成り立っていないと思うことが割と増えて来ました。と軽く書いてますが、これって民主主義国家としてはとんでもないことです。
このところまた政治と金の問題が表立っていますが、この対策として「1,現金ではなく口座を作る。 2,政治の世界も国民のように国税庁が監視する。 3,会計責任者だけでなく政治家本人に責任を負わせる。4,米国のように献金は国民がネットで確認しリアルタイムのグラフで確認できるようにする。」などはいかがでしょうか。


●そこで、そんな悪事とは独立したAIに政府の「ある一部だけ」を任せてみるのはどうかと。

例えば↓
なんといってもベースは国民主権(議員は国民の代理で仕事をしている)なので、国民が知らない間にか決まってしまうのはどうみてもおかしい。
そこで国民がルールを決めたAIが、そのルールに則って、今どんな法案が議論されているかを人の意志を介さず逐次自動的に特定の場所にアップする。国民はいつでも閲覧できる。意見も言える。それをAIがまとめ、詳細なDB化をして、ボタン一つでグラフ化して、、。また、議論なして決めてしまう事がないように厳しく監視。もちろんルールは自在に変更できる。
こんな使い方でもまずはいいのかと、素人の僕は思うのですが。

当然、現政権は大反対するでしょう。でも政治のレベルが格段に上がったステージで政治が出来ると思います。日本のレベルが上がります。
ただ地盤から担ぎ上げられた世襲政治家や、簡単な質問にすら答えられない知名度だけの政治家は不要になるでしょう。つまり、まともな政治家はさらに必要になります。そのことを賢い国民は分かっていると思います。

●当初、僕はAIが(怖いため)とても嫌っていました。ことあるごとにAIの悪口ばかり言っていました。しかし、兄(姉の旦那、と言っても50年以上の付き合いで僕の一番の理解者)から、そこまで嫌う前に真剣に使ってみたの?と質問され我に返りました。するとAIを使えば使うほど自分の考えが間違っていることに気付きました。今AIは嫌うものではなく道具として利用してしまう、つまり自分の部下にしてしまう時代に入っていると。過去に、携帯・スマホを強く否定していた人達も結局は使っています。
今、各企業は見えない所ですでにAIをどんどん活用しています。この激流パワーは誰にも止めようがありません。すでに始まってしまった以上、否定せず活用せざる得ないのかと。その理由は以下の通りです。
●例えば250年前の産業革命の時、自動織機(今ならAI)を敵と決めつけ大きなハンマーで壊し続けた布職人たち(少し前の僕)。しかし、その破壊を当初応援していた国民も、彼らのやっている行動が人類の未来も壊しているのではないかと気付いた分岐点がありました。すると国民は彼らの破壊行動を強く非難し始めたのです。
その時から、時代は大きく変わり始めたわけです。実は、彼らのように布を知り尽くした職人こそが機械(今ならAI)を有効活用できることを知ったからでもあります。
尚、この産業革命の部分は、産業革命を絶賛している訳でなく、世界を悪い方法に変えてしまった側面があることも意識はしています。しかし、上記で書いたように背に腹は変えられない状態になってしまっているための苦肉の策です。

ちなみに現在(2023年9月)のAIは、ネット上の情報を何でも知っています、が、残念ながら7歳児。しかし、どんな質問にも何の忖度もなく即座に答える7歳児。このAIを部下にして一部だけで有効に使い続けられるかどうかは、人間の英知にかかっているでしょうし、そうしなければなりません。

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上記の追加で、小学生と総理の意見交換・質問会。
小学生が総理に「何故〇〇をしているんですか? 〇〇をしないんですか?」という素朴で究極な質問を総理の目の前で行い、その場で総理が答える。小学生は「総理、私たちには絶対に嘘を言わないでください。私たちの顔を見て話してください」と総理の目を見て真剣に言う。これを公開で行い定期的に続ける。こんな夢のようなことが出来る世の中にならないでしょうか。
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●もちろん上記の各幼稚な内容では「いい年をして仕組みも知らずに、無理に決まってるだろう」と大笑いされる方がほとんどだと思います。さらに目的も不純です。しかし、駄目出しや反対もとても大切な事ですが、それ以外に「対策と手段」を考え都度修正してゆけば何かのきっかけにならないだろうかと思ったわけです。とは言っても僕の能力ではこの程度しか思いつきませんでした。今後も勉強して考え続けてゆきます僕なりに。

しかし、SNSをメインにしてしまうと同類の意見しか入ってこないため、自身の考えが偏ってしまう恐怖があります。たぶんそれには本人が一番気づいていないような気がしています。そのため情報源は幅広くしたいと考えています。


■■今回この通史メモを書いてわかったこと↓
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次に、この通史メモを書いてみて自分なりに分かったこと。それは最初に書いた2つの疑問とも「際限のない欲」「気づかない洗脳」に起因しているのではないか、ということでした。

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■まず「際限のない欲」■
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自然界の動物に肥満が皆無なのは、際限のない欲がないからということに気づきました。もちろん「欲」は動物にもあります。しかし「際限のない欲」は人間だけかと。
同時に、際限のない欲がなければ戦争は起こらないのではと。全ての戦争の始まりは「必要以上」の我欲で、「際限のない」欲がさらに人々を深みに落としていることがわかりました。ここにも一つの答えがあるのかもしれません。

個人的に気づいたことは、過去、経営をメインにしてた時の「我欲」です。
「自社の利益さえあれば多少のことは、、」という我欲を強く持ってしまっていた時期が長くありました。恥ずかしながら他社の利益などあまり考えていませんでした。これは軽蔑されても仕方ありません。

さらに印象深かったのは、FBでの数々の出会いです。たくさんの出会いがあるので、お一人だけの例を。
その方は東日本大震災時、即現地に移動され、我欲などそっちのけ現地で何年間も私財を投じてボランティアを続けた稀有な方です。その時の勲章が今その方の脚に。ボランティアのため、当時経営していた会社まで清算され取り組みました。しかし、行政の裏の汚い部分もさんざん見て経験してきたようです。時々振り切ってしまうように見えることもありますが、それもその方の経験からでしょう。僕には到底真似のできない偉大な方との出会いでした。

話は我欲から離れますが、他にも多くの尊敬できる大好きな友人がFBにはたくさんいます。友人自身の身の回りの事、家族の事、趣味の事、仕事の事、考えている事、悩んでいる事、作った・食べた食事、観た映画、描いた絵、撮った写真、、、お互い会ったことがなくても、それぞれ名前を明かしてのコミュニケーションはFBの魅力です。中にはプロも凌駕するような写真をサラッと撮ってしまう方もいて、僕の創作意欲も掻き立てられる、とても大切な場所です。そして一応に文章表現が見事。
●ただ僕の欠点は「この人は僕と気が合う」と思うと、嬉しくていきなり馴れ馴れしくなってしまう点です。一度ある方からご指摘を受けて気にするようにしましたが、気づくといつのまにかまたやってしまう悪い癖です。

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■次に「洗脳」■
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洗脳は宗教だけに限らず本人が一番気づかない、偏った妄信的な価値観と認識しています。これにより他人(他国)と相容れない価値観が、いつのまにか人の器を小さくし、強い欲は憎しみに変わり戦争に発展してしまうのかと。そして、洗脳に気付かない脳が戦争終結を遠ざけている。と僕は素人ながら考えるようになりました。

個人的には、僕が小1の時に洗脳で母を亡くしたことです。小さかった当時の僕はいつも「あの時、僕が止められてたら。そして今ここに少しでも現れて来てくれたなら、、、」と毎日考え続けていた情けない子供でした。恥ずかしながら今でもその想いが時々よぎり消えてくれません。強烈なトラウマなので一生消えないでしょう。
しかし、当時、母が自分自身を責めるようになった洗脳の恐ろしさを後に気付くことになります。大切な人を亡くしてからでは遅すぎる、と心から思うようになりました。
ただ最近は「悲劇+時間=喜劇」と思えるようになってきました。人生ってそんなもんでしょう。実はこれもFBFのお蔭なのです。

今、僕にとってFBの友人はとても重要です。いろいろな楽しい話や時には議論も出来ます。そのFBで出来た大切な友人達に嫌な思いをさせてしまったり、感情優先で生産性のない口論は絶対にしたくありません。もちろん大切な友人までも洗脳でなくしたくありません。

母の件とは別に、いきなりナチスの件です。TOPの思惑による群集や集団の「差別対象探し」の根深さもベースは「洗脳」です。集団は、いずれ民族や国家のアイデンティティになって正当化されてゆき、違う集団・民族を憎みだしますし、そうなるとTOPはおもいのまま集団を操れます。走り出した集団はバッファローの群れのように誰も止められません。また、集団ヒステリー(ある一人を発端として集団に連鎖する現象)も気づかない洗脳の一つだと思っています。
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◆今回の疑問・対策・収穫の話は上記↑までにし、次は通史に移ります◆


■■■■■メニューへ■■■■■


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「欧州・日本の各通史それぞれの概要」(帝国には悲劇がある)
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■上記の項をもっと掘り下げるためには過去を知ることが何よりも重要と思い、以下に、この通史メモを書いてみました。通史素人が自分なりに調べた内容ですので粗ばかりかと。
まとめてみた感想は、いつの時代も、戦争が新しい技術を、そして人類の未来を決定付けていたという事実を改めて感じたことでした。

■ということで、ここからは、まず「欧州」に移ります。その後「日本」へと続きます。
もちろん文化・文明、そして上記に関連し戦争のことも付け加えてゆきます。調べてみると欧州が過去に起こした戦争の多さには本当に驚きます(メニュー下部のリンクの通り)。またそれが日本の戦争にも影響し、結局、原爆投下とも無関係ではなかったことに驚きました。そこで、以下の通史メモにそれらの点も含めて書いてみました。

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◆ここから「通史メモ」に入ります◆
◆まず、人類が人類を大きく(良・悪)変えた事象から↓(1万年前が最大の転機でしょう)ここは箇条書きで。
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■7万年前、認知革命。
複雑な言語で想像したことを他者へ、虚構を共有できるようになる。つまり、実体がなくても虚構を信じることで成り立つ世界が出来上がる。後の宗教、階級、お金、革命、、ひいてはAIなど、虚構の世界が始まり今に繋がる。

■ホモ・サピエンスだけが生き残って(数万年前?)から1万年位前までの間共有の時代。
人類は、みんなの食物をみんなの土地で分け合った。柵はなく神は自然だった。今は完全に廃れた。

■1万年前、農業(新石器)革命後。集団の争いが始まる。
保存できるようになった穀物と定住により人が住むようになった土地(含:資源)。人が増えてくると、悪人や、かつてなかった階級により生まれたリーダーがそれらを盗むようになった。リーダーはみんなが生きる上で必要な欲を越え「際限ない欲」を次々に貪り始める。すると敵を入れないための柵や人を殺す武器が必要に。これが正義と指導された部下たちには「気づかない洗脳」が確実に浸透。
これが戦争の出発点となり、後の「第一次世界大戦(100年の悲劇)」からの「核兵器(人類最大の失敗)」に繋がっているのではないかと。(もちろんいいことも数え切れず)

■3000年前、一神教の出現。
アメンホテプ(アメンヘテプ or アクエンアテン)4世により一神教が作られ、モーセにも影響を与える。
その1400年後、ローマ帝国のテオドシウス帝が一神教を国教として強制、異宗教同士の争いが絶えなくなった。ある宗教戦争(第五回、十字軍)で「そもそも同じ神を信じているのだから」と戦わずして和平を結んだ王に対し教皇が「悪魔に魂を売った奴」として破門、その狭量さには根深いものを感ぜずにはいられない。これは今も別の形で。
(ただし現在の信者の方々の隣人愛、博愛や赦しの精神、宗教によっては相互扶助、、、他は真実なのかと。そしていいこともそれはそれは多くあります。しかし僕は無宗教なので不案内、これ以上無責任には書けません。どなたかご教示を)

■500年前、科学革命。
観察・実験による知識の体系化。この世は神が作った訳ではない、もちろん祈っても病気は治らない。この考えから生まれたのが「啓蒙思想」でアメリカの独立、フランス革命、産業革命(次項)にも影響。

■250年前、産業革命。
イギリスではインドから入る綿織物で仕事がなくなったと反発があり国内生産に、しかしコストが高く一時停滞。そこで紡績機が開発された。動力は長年続いた人や動物ではなく蒸気に。つまりエネルギーが食物(筋肉)から燃料(動力)に変わった時。それは人や物の移動ひいては武器製造にも広がり、農から工へ、これが産業革命。イギリスには上質な無煙炭が他国よりはるかに多く埋蔵されていたことも大きい。地下水を汲み上げるために熱・蒸気の動力利用を発明し、その後、蒸気を動力にタービンを回す仕組みは現在の原子力発電でも使われている。公害も地球温暖化もこの時から始まる。
その後、食糧生産が増えると平行して人口も急増。都市が出来、働く場所が家ではなくなり、時間の概念が太陽から時計に変わる。労働の価値を時間で計る概念もこの時に生まれる。日本へは100年遅れで伝わる。
意外な視点ではこの産業革命と戦争を利用して暴利を得たあるグループ(R家)がその後の世界を変えたとも。そして一部の資本家だけにお金が集まるように、今はそれがさらに。少し時間が空いてドレフュス事件(後の三枚舌に影響)からのシオニズム。

■110年前、第一次世界大戦。
安易に始めたこの戦争が後の100年の悲劇を生み、以下、今に続く4つの大変革が。
・ヒトラーの出現=「第二次世界大戦を勃発させ、全世界をさらにひっくり返す。核兵器の」
・米国の大国化=「国土は戦場にならず被害なし、多額の経済援助を各国に対して行い発言力急増、超大国へと。そして禁断の核兵器の開発」 
・ロシア革命=「レーニンにより社会主義がこの世に初めて生まれる。その後、複数の独裁国家・権威主義国家へと変貌、今もあらたな侵略が」
・三枚舌外交=「数多くの紛争、テロ、難民。それは湾岸戦争、日本国政の方向転換、9.11※、イラク戦争、ガザ侵攻・紛争、クルド紛争、シリア内戦、アフガン紛争などの遠因にも。ショック・ドクトリン(大惨事便乗型資本主義)に世界経済は操られることに。メディアの情報操作や過度な演出(演技)が原因で戦争が始まっていたことや、宗教問題が戦争を長引かせていることを人は後に知ることになる」。ちなみにシオニズムの発端はドレフュス事件。
※三枚舌でオスマン帝国の一部をクウェートとして独立させたことが、その後の湾岸戦争のきっかけを作り、ビン・ラディンは、湾岸戦争以降も中東に米軍が駐留しているのを非常に憤慨していたことからの9.11。

■80年前、ついに核兵器(第一次世界大戦がらみ)。
農業革命がきっかけで、人が人を殺す道具が生まれたが、現時点ではその最終形が核兵器かと。つまり攻撃者に被害が及ばず、一気に大量殺人が出来る目的で作られた。しかし、現在はその存在が人類にとって大きな問題になっている。200年間、中立のスウェーデンでさえNATOや核兵器に頼るように、少し前の核軍縮だった世界が急速に変わり出した。その背景にウクライナが核を放棄しなければ侵略されなかったという論調もある。

●世界で唯一核兵器の被害にあった日本人がこのことについて議論しなくなってしまうと、必要悪としていつまでも存在し、最悪、人類にとって必要なものになってしまう可能性も否定できなくなってきた。とにかく全世界においてナガサキが最後であってほしいと願うばかり。
ではどうするか、核兵器の被害や恐ろしさを知らない国が多すぎることを考えると、まずは実態を知ってもらうしかない。残留放射線量の隠された真実と黒い雨の実態を米は今も認めていないことも深刻。

核兵器については、◆リンク→「核兵器について」で少し触れています。

農業革命も一神教も産業革命も大切、、、だから難しい問題。しかし安易に始めた第一次世界大戦とそれに伴う核兵器開発はなんとか避けられなかったのでしょうか。
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◆人類には上記のような共通ともいえる大きな流れがありました。
しかし、最初に書いたように日本以外にも約200ヶ国弱ほどの国々が違う文化で生活をしているわけです。なのに「日本はこうだけど、海外では、、(その逆も)」のように「海外を一括り」で分けてしまう僕の視点に疑問を持つ事が増えてきました。
そこで、特に近代史にとって世界中に影響を与えた欧州と、僕らの暮らす日本についても調べてみたいとも思いました。この点がこの通史メモのテーマ、欲・洗脳にもつながるからでもあります。


◆次に、欧州、日本の通史的概要について。
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※本文である程度詳細を書いたつもりですが「欧州」と「日本」を端折りに端折ると以下のような流れになります。
◆欧州◆(古典・古代の伝統、キリスト教、ゲルマン民族、数多くの国同士の争い、貧困、大航海時代、二つの革命、世界の中心、二つの大戦、東欧革命)
【出アフリカ後、コーカサスを経て人が流入、地中海人種、ラテン人、ゲルマン人、スラヴ人や少数民族等】 

【古典・古代】
4万年前、現存する世界最古の創造アートであるライオンマン(模写ではなく世の中にないものを創り出した)が今のドイツで作られる ➡ 四大文明から少し遅れての古代ギリシャ ➡ 中心は古代ローマへ移り大繁栄 ➡ アレクサンドロスのヘレニズム ➡ 多神教だったカエサルのローマ帝国終盤にいきなり一神教(キリスト教「キ教」)を国教化、この一神教が宣教や独特の形態で広まり、その後の世界の争いに大きな影響を。

【ここから中世】ゲルマン人の大移動で西欧州は大混乱 ➡ 分裂した西ローマ帝国は滅亡 ➡ 教会は豊かに、庶民は清貧と博愛で貧しく ➡ 欧州は狭く複雑な地形、当時は場所によっては一部を除き植物の育成には適さず ➡ 環境的に収穫効率の悪い小麦中心で狭い土地の争奪戦 ➡ 争奪戦が増えると異文化が増え、同時に民族が増え必然的に国が増える ➡ 地域や宗教が「近くて違う国」ほど争いの種が多くなる ➡ 争いが始まってしまうと憎しみは募るばかり ➡ 取った取れれたで欧州内では限界(大飢饉も) ➡ 欧州はユーラシアで一番貧しくなり物々交換の庶民 ➡ またも同神異教(自作)の争いである十字軍で裕福なビザンツ(東ローマ)・イスラムを知ってしまう(欧州の文化には良い影響も) ➡ 平行してレコンキスタで領土は広げられることを知りはじめる ➡ 十字軍とルネサンスでキ教の信頼はがた落ち ➡ 東ローマ帝国滅亡と百年戦争(英仏、ジャンヌ・ダルクの名が)の終結。 

【ここから近世】横長ユーラシアは同一気候もあり数々の文明が各地から流入発展し出す(逆に縦長のアフリカ大陸・アメリカ大陸は発展しなかった) ➡ 大航海時代(キ教の抵抗勢力に対抗することもあり海外に宣教し活路を見出すことがきっかけ) ➡ 米大陸での歴史的悪行で大量の虐殺や感染症※、および資源を米大陸から奪取(※すでに欧州人には家畜からの感染症抗体があり、意図せずそれが米大陸に対しての生物兵器に) ➡ 多くの国々を植民地に(その後、宣教と侵略がセットになるが日本は免れた) ➡ 三十年(宗教)戦争(カトリック対プロテスタント)で当時、最大の死者数を。

【ここから近代】啓蒙思想からのアメリカ独立の影響でフランス革命 ➡ ナポレオンが欧州全体を揺るがし神聖ローマ帝国が滅亡 ➡ 海洋覇権を握った英に資金が集まり産業革命を成功させ筋肉(食料)から動力(燃料)へ移行、同時に欧州は世界の中心へと ➡ ドレフュス事件からのシオニズム ➡バルカン半島が火種になり変わったばかりのヴィルヘルム二世の悪政他で安易に始めた第一次世界大戦(W1) ➡ 和平目的だった元のビスマルク体制が逆行し欧州や世界は狂いだす ➡ 長年敵対していた英仏が手を組む ➡ W1がもたらした5大事象(社会主義や独裁権威国家の台頭。帝国主義から国民国家へ。米国の大国化。三枚舌外交による根深い憎しみの連鎖。ヒトラーの出現による第二次世界大戦開始で世界は再びどん底へ) ➡ 終戦、ドイツを分割したことで冷戦。

【ここから現代】管理通貨制度で通貨の発行が金から離れ実質無制限に、理由は戦費獲得 ➡ ビートルズの影響やゴルバチョフの出現も起因した東欧革命で冷戦終結、NATO対ロシアの構図 ➡ EU(国境、関税、通貨の統一)で1つの地域としてまとまる ➡ 中世とは逆に西欧州は豊か東欧州は貧しい時代 ➡ 無責任な三枚舌外交の後処理が出来ず対テロ、戦争や難民が世界中に蔓延 ➡ 独裁権威国家が他国に侵略、第三極国家も生まれる ➡ 中東問題も根深くなり、世界は再度、不安定・不透明な時代へ ➡ 【現在】

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◆日本◆(ユーラシア東の果てに存在、旧石器人、縄文人として数万年独自の文化が熟成、2千年ほど前に移住してきた渡来人により人種が変わると共に新しい文化・文明・殺戮も、150年前の明治維新後から急激に変貌)

【出アフリカ後、ヒマラヤの南と北を経て人が流入、長く旧石器人・縄文人が続くが、後に渡来人が加わり激変】 
旧石器(日本呼)、縄文と世界でも珍しい人殺しのない数万年、信じる文化の為、文字がなかったとも、縄文後半は稲作も少し。

【最初の大変革、遺伝子が変わる】2千年少し前、渡来系の流入により倭国の遺伝子が急変、稲作が本格化、土木・建築、金属加工、絹織物、文字等の文明とともに、馬具、甲冑、武器等も入り殺戮・争いが増え出す弥生時代 ➡ 2種の人種が生活。

【2番目の大変革、倭国から日本へ】古墳、飛鳥を経て仏教、天皇中心、律令制で倭国から日本へ、特殊な文化。

奈良、平安、武家政権。(源平、鎌倉、室町、戦国、一神教は入り込まず徳川政権で250年戦争がなく庶民文化が発展。奈良から江戸時代までの間は現在への影響の少なさを鑑み大変革には入れず)。

【3番目の大変革、明治維新】日本はプロイセン(ビスマルク等)の影響で富国強兵と禁断の統帥権の独立、好戦的な国家へ急変(人気はないが大久保利通には生きていて欲しかった) ➡ 急速な近代化 ➡ 朝鮮半島を巡って始まった日清に勝利し大利を得、関東州を獲得してしまう(後に影響大・世界を狂わす) ➡ 栄光ある孤立のイギリスが最初に選んだ同盟国は日本 ➡ 日露の辛勝 ➡ 第一次世界大戦では被害なく勝利し大利(ドイツ領の山東半島および南洋諸島)を得る ➡ 関東大震災の動乱の鎮静で軍があらたに復活(後に軍の過信に繋がる) ➡ 弥生時代以降負け知らずの日本は神の国と信じ込んでしまう ➡ 欧州の植民地政策を真似て大陸進出、満州国を建国、国連脱退(マスコミの影響で国民は強く支持) ➡ 決められないトップが招いたノモンハン(対ソ連・北進の陸軍)その結果により決まった南進が本格化(対ソ連より資源を求めたのが海軍で陸軍は補佐、結果、両軍が責任の押し付け合い) ➡ 無茶な三国同盟が世界大戦のきっかけに ➡ 南進の反動がABCD包囲網+ハルノート ➡ 禁じ手のマレー半島と真珠湾攻撃 ➡ 開戦半年以降は連続して負け続けるが、一撃講和を唱えるばかり ➡ 誰も責任を取りたくないため負けを認ず数々の停戦和平提案を黙殺 ➡ その結果、無差別大空襲、沖縄戦と多くの民間人の命が犠牲に ➡ ついに2回目の原爆投下とソ連進軍で無条件降伏へ ➡ 9月2日の降伏文書調印の間にも多くの戦死者が。

【4番目の大変革、戦後の復興】「日本国になって初めての敗戦」「非軍事化」「天皇の人間宣言(国家神道の解体)」「民主化」「日本国憲法」「朝鮮戦争」「日米安保」「国際社会への復帰」 ➡ 軍事力を米に任せ驚異的な経済発展、いきなりGNP世界2位へ ➡ 三枚舌の影響でオイルショック、ここで日本の成長が終わる ➡ 一時的なバブルが原因で世界競争力ランキング1989年に世界第1位 ➡ 同じく三枚舌が遠因にある湾岸戦争時「小切手外交」と揶揄され、翌年PKO協力法成立、日本の外交姿勢がこの時から激変➡ 2012年頃からマスコミは政府に迎合 ➡ 諸外国への支援金が増えるも全て国会審議が不要の特別会計から ➡ 国連認定の貧困国の一部に(まだ初期の段階だがモンゴル、南米他と同じレベル) ➡ 実は成長鈍化はオイルショック以降も続いており、且つ少子高齢化、2022年には一気に世界競争力ランキングが34位に急落 ➡ 先進国で日本だけが給与上がらず ➡ さらに諸外国への支援は増え続け(今も米国と財務省の思惑通り)国内は増税 ➡ 税収を増やし企業献金を増やす目的、マスコミは電波停止発言以降、一切報道せず ➡ 様々な影響で物価急上昇・度重なる増税 ➡ GDPはドイツに抜かれ4位、いずれインドにも抜かれ5位へ ➡
とにかく国民が政治に興味を持って投票率を上げないと日本の未来は厳しいかと。 【現在】


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欧州人の特徴と個性
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◆まずは全世界を変えてしまった欧州人について。彼らの個性・特徴などをおおまかに。

欧州人に対して一部、失礼なことも書いていますが、これは「価値ある個性」です。また、正しい情報がありましたら是非ご教示ください。
尚、この項では「欧州人」について記載していますが、この後に「日本人」についても触れています。
その日本人(モンゴロイド)は「人類の成長形」という研究があるようです。その背景として世界でもっとも知的な国々ランキング※は、1位「台湾」、2位「日本」、3位「ハンガリー(マジャル人で旧モンゴロイド)」、4位「韓国」、5位「イラン」、6位「香港(国?)」、、、となっています。
※Worldwide IQ Testを運営するWiqtcom Inc.による(2022年5月16日)

個人的には「人類(骨)→人種(血)→民族(文化)」という構図と勝手に思っていますが、今回は欧州の人種について、僕なりに調べたこと、思ったことを書いてゆきます。お読みいただけましたら本当に嬉しいです。



■まずゲルマン人から↓



■ゲルマン人(コーカソイド)
●色白・金髪・青い目(アフリカに比較して欧州は紫外線量が少なくビタミンD合成のためには肌が薄い色の方が有利、髪と目はそれと連動?、7000年程前からの変化でそれ以前は褐色の肌、濃い色の目・髪だったらしいが、いろいろな混合があった様子)。
●長頭(狩猟時の反撃を避けるため顔の幅を狭く、その分おでこと後頭部は出て、脳の容積は他人類とほぼ同じ)。
●目が大きい(薄暗い時間帯に狩りを行う習性のため+視野を広く)。
●彫がとても深い(日差しをよけるため、日差しの強い地域の人種が北上したためその名残り)。眉と目が近いためメガネをかけても眉がメガネから上に出ないのもこのため。
●鼻が高い(体内に空気が入る距離を長くし乾燥から守る、これは乾燥した中東人も)。
●口元が凹んでいる(堅いものを引きちぎらず、切って食べる文化になって久しいため遺伝に組み入れられ凹んだ、と口腔外科の先生が。歯や歯茎は割と簡単に変形し易いとも)。
●アゴが前に出ている(理由わからず乞うご教示)。
●背が高い(男性の平均183cm、サピエンスの一種であるクロマニョン人の影響で寒い地域の恒温動物は体が大きいというベルクマンの法則)。
●筋肉質(同じくクロマニョン人の影響)。逆にモンゴロイドはアレンの法則(体や突出部の手足も小さく可愛らしくなった。これは欧州で誉め言葉としてよく聞きます)。
●体毛が濃く毛根は楕円形(乾燥から体を守るため、毛根が楕円形だと癖毛になりさらに効果大)。、、、等々。

一般的に言われている「白人」とは屈強なゲルマン人が大元だと思っています。また、皮膚が白い(黒くない)ニグロイド以外の人種はネアンデルタール人の遺伝で、我々モンゴロイドの肌が黒くないのもその影響らしいです。

●現代人としては、飲食時は空気を一緒に飲み込まない(以下にその背景を記載)、皿や器を持ち上げて食べない(立食時は別)、外見を具体的に褒めない(褒めるなら内面)、目を見て話す、自己主張が強い、マメにあいづちをうたない、意味なく謝罪しない、結論から話す、間違いを上手く指摘する、人種が一緒でも言語が違う、等、、欧州共通の文化を踏襲。

●つまり食べる時に口の音を立てない。この理由を彼らに聞いたところ「空気を肺以外に入れるのは体に悪いから。そして空気を飲み込んでしまうとゲップやオナラの原因になるから」と言ってました。

●さて、ゲルマン人は、クロマニョン人の影響を一番受けている人種(ハプログループI)で、大食漢お酒に強く肉などの油の多い食物を消化する胃腸の持ち主、ベースは狩猟民族系。元々、ドイツ、デンマーク、北欧の一部などの寒い森に棲んでいた人種のため寒さに相当強いのは確か。今でも冬にコートの下はTシャツ1枚だったりします。また、新奇探索性(Novelty Seeking)つまり新しいものに興味をいだく遺伝子が強く、ドーパミンの量が関係しているようです。

●ドイツをジャーマンというのはゲルマンが語源。ゲルマンとはラテン人が付けたらしくグルゲルと訳の分からない言葉を話す人という蔑称らしいのです。
「ゲルマン」の語源として、ケルト語 gairm (叫び)に由来するという説があり「騒々しい民」という蔑称。または「貪欲な民」を意味する Geramanniz (cf. OHG ger "greedy" + MAN) になったとする説もあるようです。大雑把な性格は今にも受け継がれているような気がしています。

●フン族の移動が要因となったゲルマン人の大移動でイギリスやラテン地方、他の西欧州各地にもちらばり西ローマ帝国滅亡要因の1つにも、他にもキリスト教の国教化と急激な普及も1つの要因としてはあったでしょう。
彼らは当時、文化的・知的とされていたラテン語を話せませんでしたが、持ち前の体力を活かし西欧州内に広がっていったようで、一時期はローマ人の傭兵になっていた時代もあったようです。とはいっても、後の欧州の元を作ったカール大帝(ピピンの子)もゲルマン人でした。

●上記、宗教に関連して、本来、聖書(十戒も)では偶像崇拝禁止。でも宗教画、彫刻が増えた理由があるようです。それは、西側に増えて来たゲルマン人にも宣教したかった訳ですが、彼らはラテン語が分からないし聖書も読めない。そのため、絵や彫刻で理解し易くせざる得なかったようです。
ご存じのように、上記が原因で東側のビザンツ帝国は「聖像禁止令(726)」まで出しローマ教会と揉めに揉め、結果的にローマ教会がビザンツ帝国の庇護から離れ、カトリック(とにかく広めたい。後にプロテスタントがここから派生)とギリシャ正教会(とにかく聖書の教えが重要。後に聖像はイコンとして平面像だけが復活)に分裂して行った訳です。ゲルマン系国家にはプロテスタントが多いようです。

●ゲルマン系の有名な民族としては「フランク族(後のフランス、イタリア、ドイツに分裂、ゲルマン系は特にドイツに色濃く)」「ブルグンド族(後のブルゴーニュ)」「ロンゴバルド族(後のイタリア北部)」「東ゴート族(後のイタリア中部)」「西ゴート族(後のスペイン)」「ヴァンダル族(後のアンダルシアを経て北アフリカのカルタゴへ)」「アングロ・サクソン族(後のイギリス)」アングロ・サクソンは海を渡り先住のビーカー人、ケルト系のブリテン人や後のバイキングと混じり今のイギリス人になったようです。イングリッシュはアングロ人の言葉という意味らしいです。イギリスはドイツやデンマークのほどではないですが、ゲルマン系が強い。また、イギリスの一部ブリトン人がフランスに渡り、そこがブルターニュ地方になったようです。言語は「ゲルマン語族系」でドイツ語、オランダ語、英語等、、。

■■現在のイギリス人に対する超個人的な印象を(産業革命と広大な植民地で全世界に良悪の影響を与えた国)
他人と同じことをするのを嫌い「流行っている・売れている」という判断基準を嫌がる(この点は少しフランスと違う?でもよく分からないです)。「個性的」が判断基準で小学生程度でも個性的だから価値があると判断する子が多い。同じく小学生程度でも政治の話をし且つ内容が論理的で驚くことがある。TOK=セオリー・オブ・ナレッジという(学問の哲学のような)授業が大分前から。またディベートを最重要視するのはお国柄でしょう。僕も以前、英国の10歳程度の子から「日本の憲法九条の存在意義」について質問されて驚いた経験が。
算数は、答えから式を作る問題に重きを置いている。例:通常のイメージだと「25+25=〇」(イギリスでもこのパターンはあります)。しかし、「50にする計算式を複数考えろ」という問題がメインで、どんどん複雑になってゆく。式を解くのではなく、式を作る学習。

■■あと変わったところでは、プレゼントする場合ほとんど自分で包み直している(そもそもデパートのラッピングは有料だしあまり使わない)。ワイングラスのステムを持たずボウルを持つ人が多い(国賓を迎える時の女王もボウルを持っている。でもワイナリーなどは背景が特殊なので違うのかも)、ロングパスタはスプーンを使わない(このワインやパスタはフランスや他の欧州でも同じで、日本のマナーとは違うみたい)。プロポーズの時に男性は片膝をつく(たぶんほとんど)。子供の時からレディーファースト。年齢や結婚の有無について聞かない。自分の血液型を知らない。食事中に鼻をすするのは非常に失礼、食事中のおならより失礼(その場で鼻をかむのはOK)。レストランで一人で食事する人は皆無じゃないけど稀有。お葬式の時の香典のような文化はなく、変わりにチャリティーに寄付するなど。もちろんチャリティーは非常に普及している。旅行でお土産の習慣がない。配偶者や子供を人前で褒める。最近スリッパに履き替える家が少しだけど増えて来た感じ。まだ少し残っている階級による発音の違い(これはイギリスらしい)等、、。また、英語と米語の違いは非常に多い。

■日本と共通した部分は「島国」。文化では「礼儀作法(P's and Q's)」がある点でしょうか。特にイギリス南部では他の欧州とは違い日本に少し近い「すみません」的な言葉を使う人や直接的言葉を避けて遠回しな言い方をする人が結構います。あと、お茶や庭文化にも少し近いものを感じています。北部ではだいぶ違うようで、あのサッカーのフーリガンも北部出身者がほとんどのようです。
一般的に言われるイギリスとは、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの連合王国(UK)で、中世のマグナカルタをきっかけに出来た立憲君主制国家です。宗教も少し変わっていて、王(ヘンリ8世)が離婚したい理由で独自のイングランド国教会を作ってしまいます。

■その後、上記の国教会の革命が起き弾圧を受けた清教徒(ピューリタン)102人がアメリカに移住し、その時に作ったメイフラワー誓約が後のアメリカの根幹を作ります。イギリスの植民地だったアメリカは、その150年後、英国本国からの課税に嫌気がさし戦争を起こし(フランスの支援もあり)独立を勝ち取ります。この独立に影響されたフランス市民が、その十数年後フランス革命を起こします。超簡単に要約するとこんな流れでしょうか。
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■次にラテン人↓



■ラテン人(コーカソイド)
色白ではなく中には少し濃い色も、黒や茶髪、茶目(青や黒も)、長頭で目が大きく彫が深い、鼻が高い、あごが前に出ている、口は凹んでいる、背丈(男性の平均は176cm)や筋肉および体毛は普通、、等。ベースは農耕民族系。

●飲食時は空気を一緒に飲み込まない、皿や器を持ち上げて食べない(立食時は別)、外見を具体的に褒めない(褒めるなら内面)、目を見て話す、自己主張強い、マメにあいづちをうたない、結論から話す、間違いを指摘する、意味なく謝罪しない、人種が一緒でも言語が違う、等、、欧州共通の文化を踏襲。ラテン系国家にはカトリックが多いようです。

●ローマ帝国の頃のラテン人の容姿は、今よりももっと中東系が強かったようですが、前述の大移動でゲルマン系が入り混じったのかと考えています。
彼らは、イタリア以外にも、スペイン、ポルトガル、フランスにも。また少し離れてルーマニア(ローマの土地という意味)もラテン系。南米にラテン系が多いのは、ラテン人が南米を侵略したことがそもそもの原因で、その後の移住も。

●ラテン語はローマ帝国以前の古代ローマからの公用語。その背景からか文化的、知的と言われていたようです。ちなみにラテンの語源はイタリア中部の「ラティウム」から。そしてルネサンスもイタリアから。
ラテン文字は、ざっくりいうとローマ字(ラテン・アルファベット)のことで大航海時代を境に世界中に広まります。
言語は「イタリック語族系」でその系統はイタリア語とフランス語等、現在もラテン語を使っているのはバチカン市国だけ。「ヘレニック語派」はギリシャ語のようです。

●暖かい地域だからなのか性格は「きわめて明るく、きわめて情熱的で、きわめて激しい」というイメージを持っています。僕の経験ですが、以前イタリアの外店で、お釣りを間違えたと苦情を言った男性客に対して、お金を投げつけた女性店員を見たことがあります。男性はお金を拾っていました。これは特殊な例なのかもしれませんが、それに近いような経験は何度かしました。

●フランスは元々ガリアですが、カエサルのガリア戦記の通りローマ帝国領となりラテン人が多くなったようです。ゲルマン人の大移動で一時は超えたライン川とドナウ川ですが、結局はその2つの川の影響でゲルマンとラテンが北東・南西に分かれたことは事実のようです。

●情熱的な部分。ルネサンスは、教会の権威で抑圧された人間の愛を復興させ、愛欲も隠さず古代ギリシア・ローマへの回帰をめざす精神によりイタリアで生まれています。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、この三大巨匠もイタリア人です。
パリは芸術の都といわれていますが、その要因はルーヴル美術館が出来たための影響かもしれません。しかし、ルーヴルにある作品は、あのナポレオンがイタリアから戦利品として持ち帰ってきたものも多くあります。その後、返還されたものもたくさんありますが。
ナポレオン関連ではないですが、ルーヴル美術館にとって最初のメイン絵画になった「モナ・リザ」、また「聖アンナと聖母子」「洗礼者聖ヨハネ」もダ・ヴィンチですし、他の有名絵画も。「奴隷」の2体もミケランジェロ、ラファエロの作品も「美しき女庭師」や他にも結構あります。またルーヴルの三大名作と言われる「モナ・リザ」以外の「ミロのヴィーナス」も「サモトラケのニケ」も古代ギリシャ、地中海付近から生まれたものです。
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■そしてスラヴ人↓



■スラヴ人(コーカソイド+モンゴロイドも僅か)
色白、金髪(茶・黒も)、青い目(茶・黒も)、長頭と中頭の間位で彫は少し深い、鼻は少し高い、あごは少し前に出ている、口は少し凹んでいる、背丈は割と高く、筋肉、体毛は普通、等。カルパチア山脈北方で農耕生活を行っていたとされます。遺伝子的にはコーカソイドのY染色体ハプログループ以外にも北アジアのハプログループNも見られるようです。
●モンゴロイドがわずかに入っているせいか、口は少し小さいような、大きく口を開けて笑う人もゲルマン人よりは少ないような気がしています。
飲食時は空気を一緒に飲み込まない、皿や器を持ち上げて食べない(立食時は別)、外見を褒めない(褒めるなら内面)、目を見て話す、マメにあいづちをうたない、意味なく謝罪しない、人種が一緒でも言語が違う、等、、欧州共通の文化を踏襲。東方正教会が多いようですが、西スラブはカトリック、南スラブにはイスラムも混じっているようです。

●言語は、バルト・スラヴ語派系で、話される地域は、東ヨーロッパ、バルカン半島、バルト海東岸等。

●ロシア、ウクライナ、ベラルーシ(東スラヴ人)、東欧(西スラヴ人)、バルカン半島(南スラヴ人)などに住み、欧州では一番多い人種です。まれに蒙古斑のある赤ちゃんが生まれるのは、たぶんフン族、モンゴル族の侵入によりモンゴロイドとゲルマン人と入り混じった影響かと。
「スラヴ」という言葉はロシア語で「弱い」という意味がることから、差別的な言葉「奴隷」の語源という研究もあるようですが、確証はないようです。
●西欧人と東洋人のハーフ(ダブル・ミックス)を色白・青目にしたような容姿をしている人も多いです。割と無口で大人しく、会話などでも西側とは違い大げさな表現を使わないイメージがあります。尚、鬱病が多いという研究もあるようです。

●東欧のハンガリーに関しては遊牧民のマジャル人が多く、この国が間にあるためラヴ人が西と南に分割されています。またバルカン半島にかつてあったユーゴスラビアは南のスラヴという意味から出来た国名らしいです。いきなり飛んでアメリカのイリノイ州にもスラヴ人が多いようです。
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■最後にサミー人↓




■サミー人(コーカソイド+モンゴロイド)
色白、金or茶髪、青い目(茶・黒も)、中頭で彫は浅い(奥二重も)、鼻は低い、あごは少しだけ前に出ている、口は凹んでいるが少し出ている人も、背丈は少し高い、筋肉、体毛は少ない、、等。
飲食時は空気を一緒に飲み込まない、皿や器を持ち上げて食べない(立食時は別)、目を見て話す、マメにあいづちをうたない、意味なく謝罪しない、人種が一緒でも言語が違う、等、、欧州共通の文化を踏襲。アミニズムが多いようです。

●スラヴ人以上にモンゴロイドの系統が強い人種(たぶんフン族・モンゴルの影響かも)で、時々蒙古斑のある赤ちゃんが生まれるようです。遺伝子的には、やはりハプログループNが強く見られるようで、結果としては北方系少数民族に分類されています。ノルウェー、スウェーデン北部、フィンランド北部、ロシア北西部に。今でもトナカイを追う遊牧生活をしている人たちもいます。

●僕の想像ですが、フン族に追われたゲルマン人が西に逃げたため、フン族は空いたスカンジナビア半島全域に住み始めゲルマンとの混合も進んだのかと。しかし、その後、純コーカソイドが力を持ち始めた為サミー人達はノルウェー海、バレンツ海側に上り(ラップランドに)残ったのではないか?と考えています。もしくは、イヌイットからの影響も大きかったのではとも考え始めています。もちろんこれは完全な想像なので、もっと学術的な背景があると思います。

●おとなしく無口、真面目な性質で「鬱病遺伝子」「強迫性障害」の研究の対象になっているほどです。モンゴロイド並みに学業が得意であっても、コーカソイドからは差別を受けています。(この件はサミー人系の監督が作った「サミーの血」という映画で知りました。出演もほぼサミー人。サミー人独特のヨイクという無伴奏の唄も非常に魅力的です)
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◆今回入れなかった欧州の人種(民族?)
■「ケルト人」は欧州に幅広く住んでいましたが、現在ではほぼ同化されイギリスの北部に少し残っているかもしれない程度とのこと。赤毛が多かった程度しかわからず、人種的に詳しいことは研究されていないのかもしれません。ちなみにモンゴメリの「赤毛のアン」の舞台はカナダのプリンス・エドワード島ですが、アンはスコットランドから移住したケルト人の子孫だと言われています。

■「ヴァイキング(ノルマン人)」は、角(つの)付兜のイメージが強い北方ゲルマン人とも言われおり、一部では英国王室の先祖ともいわれています。しかし、442人のゲノムの塩基配列を解読した最近の研究では、人種的な特定が難しかったらしいのです。

■「アーリア人」はヒトラーで有名になりましたが、人種名ではなく、インド・ヨーロッパ語族を指した非常に幅広い民族名。ちなみに「高貴な人」という意味らしいです。ナチスが強烈に差別したユダヤ人(アシュケナージ系つまり白人系のユダヤ人で全体の80%を占める)も実はアーリア人。

■「マジャル人(ハンガリー人)」コーカソイド化した元モンゴロイドと言われていますが、非常に多様な人種および民族の混血らしく特定が難しいようです。

■「ロマ人(ジプシー、ボヘミアン、ジタンとも)」は、タロット占いで有名なインド北部に祖を持ちながらも後から入ってきたコーカソイドに虐げられ欧州各地に流れて来た国を持たない流浪の民です。彼らが奏でる音符のない独特の音楽や民族舞踊には深い哀愁があり欧州の音楽に非常に多くの影響を与え、ファド、フラメンコ、スウィングもロマが元という研究者もいます。しかし、一部で彼らの祖はドラヴィダ人ではとも言われていますが人種的にはよくわからないことが多いため、ケルト人、ノルマン人、アーリア人、マジャル人、同様ここには入れませんでした。

尚、■ユダヤ人もすでに人種ではなく民族ですので含めていません。ご存じの通り、とても酷い迫害の歴史があります。中東の各種問題も2000年以上も前からの歴史が背景に。さらにドレフュス事件と第一次世界大戦の三枚舌外交により、取り返しのつかない民族衝突を余儀なくされ今に至っています。
詳しくは◆リンク→ユダヤ人とは」と「100年の悲劇を作った三枚舌外交」をご覧ください。

●欧州それぞれの言語については、ご存じのように欧州言語のベースが「インド・ヨーロッパ言語」からの派生。なぜここにインドが付くかというと、「母」をインドのサンスクリット語では「Matar」、ギリシャ語でも「Matar」、英語では「Mother」と似ていて、共通の文法も多いという研究からのようです。この言語の大元はやはりコーカサス地方の近くで、正確には東ヨーロッパ狩猟採集民とコーカサス狩猟採集民の混合らしいのです。ゲルマン語派、ケルト語派、イタリック語派、バルト・スラブ語派、ヘレニック語派などがメインで、ここから枝分かれして現在数多く存在しているヨーロッパ各国の言語になりました。さらに南東に下りた民族が、イラン狩猟採集民、ヒンディー語群、トラヴィダ語族になりつながったわけです。上記でも記載しましたがアーリア人のアーリアとは古代イラン語、古代インド語の両方での「アーリア=高貴な人」という意味らしいのです。そして一番古いインド・ヨーロッパ言語として分類されているのが「ヒッタイト語」。インド・ヨーロッパ言語系列の言語は世界人口の46%(32億人)が第一言語にしています。

■コーカソイドの人種的な特徴で分からないことがあります。どなたか教えてください。
一番わからないのが、アフリカから北上して、中東でいきなり人種の顔が大きく変わっている点です。つまりニグロイドとコーカソイドはだいぶ顔が違いますよね。例えば同じコーカソイドの中でも中東人から欧州人への変化は理解できます。上記の通り気候の変化により変わっていった点とクロマニョン人の影響を受けていたのかと。

●そこで思うのが、コーカサス地方(コーカソイドの語源)で新しい人種が生まれたのではないか?と個人的には考えています(地域的にノアの方舟ではないですが、もちろんアフリカ単一起源説はそのままに)。そこには[旧人]ネアンデルタール人の影響もあったのかと。確かに「ニグロイド以外の人種」にはネアンデルタール人の遺伝がわずかに残っていることは分かっています。色の白い人種はその影響らしく、もちろん日本人にもその遺伝が残っているようです。
でも、この影響であれだけ顔が変わる(ニグロイドからコーカソイドへの変化)のでしょうか。今のところ具体的な根拠が分かりません。どなたかご教示いただけないでしょうか。
●あるいは、アフリカから一気に欧州へ移動したグループが気候的な影響で容姿がアフリカンとは大きく変わり、その後、再度、ラテン経由で中東に戻ったのではないないか?その後、東に移動したグループが気候的な影響でモンゴロイドに変っていったのではないか?とも考えています。


●最近の研究ではニグロイドにもネアンデルタール人由来のDNAが0.5%ほど混じっている人種がいることが分かったようです。その理由はアフリカから北上した後に再度南下した人類がいた為とのことでした。(コーカソイドには1.7%、モンゴロイドには1.8%)
また、オーストラロイドにはデニソワ人の遺伝も強く(4%)、モンゴロイドにも少し(0.3%)、コーカソイドには0%ともいわれています。

また、何故それぞれそのような容姿(一部文化)になったかについて僕が調べた範囲では、本文の ■リンク→人類の顔・体の特徴(閲覧注意)」で少し記載しました。

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■「微笑み」についてどうしても分からないことがあります。こちらについても是非。
我々、日本人は、外で他人と目が合うと目をそらすと思います。知らない人と目が合って微笑むと気持ち悪るがられますよね。なので僕も今はしません。

●しかし、欧州人(含:米国および英連邦各国)は、外で見ず知らずの他人と目があうと、ほぼ(必ず)微笑みを見せます。彼らは意味もなく笑顔を見せる人種(民族含め)ではないのに、何故このような対応になるのだろうか? 知りたいのは、何故この違いが生まれたかです。さらに、日本に長く住んでいる欧米人は、日本人と目が合っても微笑まなくなってしまうことも事実のようです。理由を聞いてみると「気持ち悪がられるのが嫌で恥ずかしいから止めた」と聞きました。

●僕が少しだけ感じているのは、彼らは日本人とは違い大昔から完全支配されることを繰り返しています。上記の「欧州の戦争(紛争)一覧」はそれを顕著に表した例かと。そのため「自分は敵ではない」ということを証明するためのコミュニケーションの手段として、自然に出てきた文化なのかも、とうっすらとは考えてはいますが、、。確証が持てません。

●この疑問(他人に微笑む)について記載した本や資料が今だに見つからない状態です。これは真剣に探しています、どなたかご教示いただけないでしょうか。なぜ、この違いが生まれたのか気になって仕方ないですし、コミュニケーションにとってはとても大きな違いかと。

●ちなみに、日本人と欧米人ではオキシトシン(幸せホルモン)の量がだいぶ違う、という自治医科大学 尾仲達史教授の本は読んでみたのですが、オキシトシンには極端な両面があるので、その点もまだしっくりとはしていません。


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Copyright chitonitose

●世界を変えた大発明はどこから?と調べてみると「農耕」「文字」「貨幣」「車輪」「鋳鉄」「中央集権」はメソポタミアで。「方位磁石」「火薬」「製紙」「印刷」は中国でそれぞれ生まれ、その後、欧州に渡り広まっています。尚、欧州では、だいぶ後になり「火薬を使った武器」「蒸気機関」「内燃機関」「電気」が生まれています。
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欧州に国や争いが多い理由(年代順)
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◆気候や地形の特徴(キリスト教の国教化+効率の悪い小麦と狭い土地が争奪戦に)

●ローマ帝国の終盤キリスト教が国教化される頃、ゲルマン人の大移動で欧州は大混乱、分裂した西ローマ帝国は滅亡します。その後、教会は豊かに、庶民は清貧と博愛で貧しくなってゆきます。
さらに、当時の欧州は、その気候から植物の育成には適さず
生産効率が悪く加工(粉にする等)しないと食べられない「小麦」がメインでした。そのまま食べられる米は欧州が乾燥地帯だったため育成しなかったようです。その上、小麦の収穫率は撒いた種に対して約4倍程度、片や米は20倍程度。さらに小麦は手間のかかる穀物(小麦の奴隷とはここから出た言葉)。つまり生産性も収穫率も悪く、手間がかかり、且つ狭い土地で生産するため、必然的に土地の争奪戦が各地で起こるという構図かと。
●さらに、地形的にも多くの山脈、川、海峡などがあり、他の民族と人種的に近くてもその統合が進まず、それぞれが別の言語、文化を持つことに。(欧州の農業生産が増え出すのは11世紀以降だが13世紀後半には大飢饉が)
地理的にも近い地域はいざこざも起こりやすい、歴史的に見ても問題がややこしくなるのは隣国同士。
とにかく欧州の戦争は他地域と比較するとあまりにも多いのです。
◆リンク→「欧州の戦争一覧」

●また、よく起きた気候変動(13世紀後半の小氷河期とその後の大飢饉も影響大)も民族移動の要因で、自分たちの狭い領土を力の強い他民族に侵略されたことも幾度となく繰り返されたようです。

●気候が安定してくると、それぞれの領主の支配により独自の法が制定されて、隣国との違いが顕著になってゆきます。15世紀ころには小さな国も含めると約1000の国々が乱立していました。それが後に淘汰され国家になって行ったのではないかと考えています。

●欧州に国が多い理由はその辺りにあり、取った取られたの憎しみや際限のない「欲」がうごめきます。一度戦争が始まってしまうと民族は確実に「洗脳」され終戦が遠のいてしまうことは歴史が証明しています。
つまり、隣同士の「近い人種で違う民族」が多いため揉め事も多い、これが欧州に争いが多い理由の一つでもあるのかと考えています。

●この頃に、その後の世界を大きく変えてしまう「火薬を使った銃の原型(ハンド・キヤノン)」が欧州で開発されます。これが発展し広く使われようになった最初の史実が「巨大大砲」。この大砲で西ローマ帝国崩壊のあとも長く残っていた「東ローマ帝国」が滅亡しました。これをきっかけに後の「ニトロ化」、ノーベルの「爆弾」、「ピクリン酸」、「TNT」と発展してゆきます。
ちなみに火薬材料の中でも硝石は必須で貴重、日本の戦国時代も、この硝石の争奪戦があったようです。


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◆歴史的な背景(欧州は本当に貧しかった)

●そんな形で欧州のベースが出来上がりますが、国々は貧しく庶民は物々交換の日々。また、西にはイベリアのイスラム帝国が、北にはバイキングが、さらに南はオスマン帝国が、東はモンゴル帝国からそれぞれ攻撃をうけます。追い打ちをかけるようにその後、黒死病(ペスト)で全人口の3分の1が亡くなってしまいます。
このため、遠い昔アレクサンドロス大王、ローマ帝国で世界を席巻した欧州は他の地域に比べ発展が大きく遅れてしまいます。ついには「ユーラシア大陸の後進地区」とまで呼ばれるまで落ち込みます。(ユーラシアとはヨーロッパとアジア「Europe+Asia」を混合した造語です)


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■十字軍の影響(裕福で知的なビザンツ・イスラムを知ってしまう)
当時、国教化した西側のキリスト教教会には課税がなく、逆に人民から税金を取り物販(ワイン・チーズ他)まで行っていたため大変潤っていました。それを見て自分達も聖職者になって教会をやりたいという人々が増えてきますが、その人事権は教皇が持っていました。そこで「聖職叙任権」が生まれますが、皇帝には与えませんでした。

●それに反抗した皇帝が「ハインリッヒ四世」、彼に対した教皇が「グレゴリウス7世」で、皇帝を破門してしまいます。すると皇帝は教皇に雪の中謝罪に行きますが中々会ってもらえず、結局、裸足で雪の中3日間待ち続け、何とか破門を解いてもらいます。これが「カノッサの屈辱」です。
それほど教皇の力は強かったわけです。ちなみに現在の欧州でも謝罪の時に「カノッサに行く」というくらいの慣用句にもなっているほどです。
これはそれまでのキリスト教の歴史(弾圧→公認→国教化)を考えると雲泥の差です。

●その後、同神異教(自作)である一神三教の聖地イスラエルをイスラム教のセルジューク朝が制圧するという事件が起きます。早速、取られたビザンツ帝国がローマ教皇に助けを求めます。教皇はカノッサの屈辱をちらつかせどんどん兵を集めることに。そこで出来た「エルサレム奪還軍」が「十字軍」です。十字軍は荘園の跡を継げない次男・三男が多かったようです。第一回はなんとか奪還しますが、直ぐに奪い返されてしまいます。

●その頃、世界の富と知識・知恵の多くが集中した東側のビザンツでは裕福な生活、高度な文明、知的な文化を築いていました。彼ら欧州人はビザンツで別世界を知ってしまい大変驚き、十字軍どころではなくなってしまいます。そこから十字軍は当初の目的を忘れ、意味のない虐殺・略奪を繰り返し完全に腐敗してゆきます。第五回の十字軍ではフリードリヒ二世が根気よく戦わずして和平を結びますが、それに怒ったローマ教皇に「悪魔に魂を売った奴」と破門されてしまいます。この狭量さが宗教戦争の根深い問題です。また多くの戦費を使っため領主も財産をなくし、ついにキリスト教や教皇に対する批判は高まります。これは後の宗教改革運動の原動力となってしまいます。
結果、教皇に変わり各国の王侯貴族が結束し、国家の結束が強くなってゆきます。これがキリスト教が広まる前に戻そうとする後のルネサンス(古代復興)にもつながってゆきます。ジャンヌ・ダルクの名が残った英仏の百年戦争もこのころで、封建領主は没落し王権が強化されます。

●しかし、十字軍も悪いことばかりではなく、ビザンツを真似、欧州各地に道路が整備され、商業も盛んになり貨幣も本格的に流通し出します。今の欧州の都市の原型はこの後に出来上がります。また、言語が「表音文字」ということもあり文字数が少なく活版印刷に適しており聖書をきっかけに彼らの文化文明が広がったのも理由の一つでしょう。逆にこの活版印刷がマスメディアの始まりになり、情報操作や戦争をあおってしまった経緯も否めないようです。



欧州が大きく変わる
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◆大航海時代で別大陸を我が物に(人類史上最大の悪行とも)
イベリア半島は北アフリカのウマイヤ朝により征服されてたった7年でイスラム教一色の国になりました。キリスト教は、北に逃げてわずかに残った小国「アストゥリアス王国」だけ。しかし、アストゥリアス王国は少しずつ南へ領土を取り戻し始めます。これが、イベリア半島のイスラム帝国からの奪回(再征服)を目的に始まった700年に及ぶ「レコンキスタ(国土回復運動)」のことです。(7年で征服されたものを700年かけて取り返すことになります)
●その間、数多くの国が出来では消えますが、ポルトガルだけが今も残っています。このレコンキスタにより、土地はどんどん広げられることをキリスト教国(スペイン)は知るわけです。また、北東側で広がってきたプロテスタントに危機感を覚え、では海外に広めようとしたこともあるようです。
そんな時、当時の宝、
香辛料の道でオスマン帝国により高い関税をかけられてしまいます。それならやはり西へと、つまり海を越えて香辛料が豊かなインドを目指そうと、まずはポルトガル(ガマ)の東回りから。それに影響されて次はスペイン(イタリア人-コロンブス)の西回りが。(スペインはインドへは行けませんでしたが)

●スペインは、レコンキスタ終焉の年、次項で触れることになるインドと勘違いした米大陸への侵略、資源の略奪、洗脳された信者の強制的な布教と虐殺を犯してしまいます。(しかし現在のキリスト教信者に敬虔な方が非常に多いことは紛れもない事実で、僕の知り合いにも大変、多くいます)。
また、欧州人は家畜から数々の感染症を受けた為、その抗体が出来ていました。それが意図せず家畜が少なかった原住民にとっては生物兵器のようにもなった事実もありました。さらに欧州は横長ユーラシア大陸の西端にあり、近い気候の他国から多くの文明が流入し発展しやすかったことも特徴で、縦長(文明が伝播しにくい)の米大陸との差は歴然でした。


●スペイン人にはこんな標語がありました。「アメリカ大陸はキリストの名の元にスペイン王国に与えられた土地であり、アメリカ大陸に住んでいる人たちはスペイン人に従わなければならない」「もしも彼らがこれに反抗しようとするなら、あらゆる手段を使ってでも従わせてよい」と。そして大陸のとんでもない量の資源(金・銀他)をスペインにもたらします。

●その背景として、こんな資料が見つかりました。(ラテンアメリカ史学者、大阪大学名誉教授、染田秀藤氏の「大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む」から)
1511年12月21日、ドミニコ会 A・モンテシーノ神父は、エスパニョーラ島はサント・ドミンゴ教会の説教台から次のように侵略者を糾弾しました。
 「さあ、皆さん、答えなさい。あなた方は一体いかなる権利、いかなる正当性をもって、これらの民を、かくもみじめな、かくもおぞましい奴隷の状態で所有しているのかを。さらに、それらの土地であなた方は、前代未聞の殺戮と破壊をおこない、無数の民族を消滅してしまったではないか」

●この北南米侵略を皮切りに、アフリカ大陸、ユーラシア大陸、オセアニア大陸と、、、どんどん侵略を繰り返し豊富な資源や奴隷を欧州は早い者勝ちで独占し、邪魔する先住民を虐殺します。当時それらの大陸では「土地や資源はみんなのもの」という概念が当たり前でしたが、そこに「所有欲」という全く違う考え持った欧州人が殺傷能力の高い武器をもって入って行ったわけです。オセアニアなどでは先住民を害獣のように考えハンティングや他の方法で約90%を虐殺してしまいます。

●そもそも最初の侵略者はポルトガルで後にスペインがメインとなります。しかし、一時期は「太陽の沈まない国」とまで言われ繁栄したスペインも、米大陸から勝手に入ってくる資源に頼りすぎたため国内の産業が生まれずスペインはだんだんと衰退してゆきます。
それを見ていたオランダが参入、次にはイギリスが三角貿易で、フランスをはじめとする他欧州もそれに続き、後発の西欧州組も急激に経済力・軍事力が発展してゆきます。
(ちなみに、あのモンゴル大帝国も支配はしていましたが、抵抗しなかった民族の虐殺を行わず、さらに陸続きだけの緩い支配でした)

●その後、宗教戦争である三十年戦争が、カトリック(神聖ローマ帝国他)とプロテスタント(スウェーデン、デンマーク、フランス他)の間で始まり、結果、カトリック側の神聖ローマ帝国の国力は低下し、逆にプロテスタント側は領土を増やし豊になってゆきますが、後に遺恨を残すことになります。


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◆2つの大革命(フランス革命、産業革命)
しかし豊かになったのは王侯貴族や一部のブルジョアだけで、庶民は高い税金に悩まされていました。


●そんな時、米国の英国からの独立を知ったフランスの庶民は、「フランス革命(ロベスピエール、、→、、ナポレオン)」を起こしますが、結局は。この革命で私的所有権を有し王から市民へと、そして資本家が誕生します。資本家は民を洗脳しさらに資本を肥やします。

●イギリスでは三角貿易で資力をため込んでいたこともあり「産業革命」(繊維産業、製鉄業、蒸気機関の発明による人や馬の筋肉(エネルギーは食料)を使っていら時代から、動力や交通(エネルギーは燃料)の発展からの都市化)を成功させ農から工へと転換、都市化が進む
産業革命以降の武器は高性能化し、その後の全世界を大きく変えてゆきます。
●この時、イギリスは世界に港湾拠点を40か所も持ち世界の工業生産の半分がイギリス産という状態に。そして欧州はイギリスを中心に世界の要になってゆきます。さらに産業革命をきっかけに「資本主義」が生まれ、組織に属する労働者階級もここから。人々も仕事を求めて都市に集まり、今まで日の出日の入りだった時間の感覚が時計中心に変わります。グリニッジ天文台を世界の中心(経度0度、子午線)として世界の覇権を握ってゆきます。言い方は悪いですが資本家が労働者から搾取するという今の形が出来たのも産業革命からです。
ちなみに日本の資本主義はイギリスの100年遅れで始まっています。あわせて英語が世界に広がり始めたのもこの頃です。
当時、欧州の植民地(準ずるを含む)にならなかった国は日本他数カ国だけです。
話はそれますが、19世紀のアイルランドのジャガイモ飢饉(ジャガイモの疫病)が要因で大量の人民が米新大陸へ移住したこともありました。このため米国にはアイルランド系の人民が多いようです。


争いは絶えず
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●欧州は世界の中心になってゆきますが、やはり元々別の国が狭い地区にひしめき合い、いがみ合っているのはそのまま、争いが絶えません。例えばスペインは1500年からの300年間の約8割をなんらかの争いに費やしています。イギリスもフランスも約5割以上を、つまり半分以上が争いの中(対外侵略、王位継承問題、農民反乱、他、、)でした。争いのベースは積み重なった憎しみと欲・洗脳なのかもしれません。


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◆ヨーロッパの火薬庫(ヴィルヘルム二世の悪政とバルカン半島民族のいざこざから第一次世界大戦へ)
特にバルカン半島やコーカサス地方は民族の数も多く他の欧州に比較しても多くの問題を抱えていました。例えばパン=ゲルマン主義、パン=スラブ主義、バルカン同盟、従来バルカンを抑えていたオスマントルコと、まさにヨーロッパの火薬庫状態でした。

●その頃ドイツのビスマルクと新しいヴィルヘルム二世が揉めだし、ビスマルクは首になってしまいヴィルヘルム二世の悪政がはびこり出します。またロシアの南下政策はバルカン半島だけでなく中国の遼東半島もありましたが、ロシアが日本に負けた為、バルカン半島1本になったこともあります。イギリスにとって最初の同盟だった日英同盟を皮切りにイギリスは各国と同盟を結んでゆきます。

●そんな時、オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合したことにより、またいろいろな偶然が重なり
「サラエボ事件」が起こります。それまでのビスマルクの和平同盟が逆に各国の戦争同盟となってしまったわけです。このサラエボ事件も皇位継承者のフェルディナントの入国が一日遅れていたら、この事件も起こらなかったのではないか、という研究もあるようです。それぐらいいつくもの偶然が重なったようです。

●サラエボ事件をきっかけに、その一ヶ月後ドイツを中心として戦争が始まりますが、この戦争は、誰もが安易に考え一週間程度で終わると思っていました。しかし、その後クリスマス休戦(映画にもなった)も意味をなさず、どんどん参戦国が増え、最後は旅客船攻撃やメキシコへの電報事件もあり米国も参戦、とんでもなく長引くことに。機関銃、戦車、飛行機もこの戦争から始まり、各植民地からも参戦、これが
第一次世界大戦。負けたドイツには膨大な賠償金1320億金マルク(日本円で約200兆円)が課せられますが、実際に支払ったのは191臆金マルクともいわれています。

●この安易に始めた戦争がその後の世界を大きく変え、
世界は戦争の世紀へ、そして「100年の悲劇」の時代に入ってゆきます。
日本も日英同盟により少し参加しますが、各国から言われているように日本にとっては被害が少なく得るものが大きかった戦争でもありました。特にドイツが実質支配していた青島制圧は大きかったのかもしれません。これは後の日本の米国への宣戦布告(太平洋W)にも関係してきます。

●参戦国は、「協商国」として、イギリス帝国、フランス共和国、ロシア帝国、セルビア王国、モンテネグロ、ベルギー、イタリア王国、ルーマニア王国、ポルトガル、ギリシャ王国、大日本帝国、中華民国、タイ王国、ヒジャーズ王国、アメリカ合衆国。
「同盟国」として、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国。となっています。

●とにかくどんな理由でも一度、戦争をはじめてしまうと、そこには欲、洗脳が憎しみとなって表れ、人々の心に浸透し、それが思想となってしまうこともあるでしょう。そうなると簡単には元には戻れません。
さらに、この戦争が今にも影響を及ぼしている5つの事象を生んでしまいます。





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◆安易に始めた第一次世界大戦により、その後の世界を変えた5大事象

■1,社会(共産)主義、独裁国家の誕生。
この大戦はロシア革命のきっかけを作ります。大戦で困窮した民衆蜂起によってロマノフ朝が倒れ、その隙間にマルクス主義をベースにし「金持ちがいない国を作る」とレーニン現れ(ドイツが仲立ち)社会主義を、革命後に共産党と名乗り、その後ソ連を作ります。レーニンの後継者としてはヒトラーより残虐(ヒトラーは自国の市民は虐殺しなかった)と言われたスターリンが独裁国家を作ってゆきます。それは他国へも影響を与え、今でもロシア・中国・北朝鮮が独裁国家として残っています。社会(共産)主義の本来の姿は、資本主義の矛盾を解消するために出来たもので、元々は独裁ではないようです。
資本主義はイギリスの産業革命で始まったことで、個人が土地などを所有することが出来、マーケットは自由競争になります。欠点としては資本家と労働者の貧富の格差が激しくなることです。
そこで、元々、マルクスが提唱する、苦しみ(貧困)から逃れるための宗教(宗教はアヘンとも)に代わる思想として「平等」(土地も物も国が管理し国民に分配)は、科学的社会主義も含めて国民から支持されます。事実、世界恐慌の影響も少なかったわけです。しかし国から守られるために個人の労働意欲が下がります。併せて国の成長率も下がりますが、全て国が決めるため個人の意見は受け入れられません。この点が独裁に近づく原因かもしれません。
ちなみに現在社会主義の国は「中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバ」の5国だけです。
元々の社会主義は「空想的社会主義」で、それを非現実的と批判したマルクスが「科学的社会主義」を唱え、さらにそれとは違う※思想としてレーニンが「共産党(共産主義という名称はマルクスの時からあった)」を作り、革命を起こします。
※僕はこの辺、詳しくないですが、レーニンは「社会主義は国が人を支配しているので平等でなく、共産主義に至るまでの途中段階」だと言っていたようです。そのためソ連のことを「共産主義国」とは言わずに「社会主義国」と呼んでいたようです。 

 
■2,帝国主義から国民国家へ
世界は帝国主義から国民国家へと変わってゆきます。合わせて数多くの新興国民国家も誕生しました。この大戦前の欧州の争いは貴族同士の争いで、この戦争のように国民が直接戦争にかかわることはあまりありませんでした。そのため短期戦がメインでした。また、普通選挙が広まったのもこの戦争が影響し、社会保障制度にも影響してゆきます。


■3,米国が超大国に。
欧州は完全に荒れ果てましたが、米国はこの戦争の戦場にはにならなかったため国土は一切荒らされず、さらに人的被害もロシアの20分の1程度。しかし、欧州への武器他物資の売り込みで儲けに儲けます。それをきっかけに、世界の覇権は欧州から米国に移り一気に超大国へ、同時に世界のバランスも崩れ出します。そして後に米国はその反動の世界恐慌※で世界を狂わせます。しかし、米国はモンロー主義により、その後も戦争はしない方針が決定していました。
※大変儲かった米国は、どんどん商品を作り続けましたが、欧州でも少しずつ復興が始まったり、ソ連が社会主義になり商品を買わなくなったりの理由で、米国は生産過多に陥ってしまいます。さらに米欧ともにお互いの関税を引き上げ、両者の貿易額は各段に低くなってしまいました。それがその後の米国に端を発した世界恐慌に繋がりました。フランスのドレフュス事件もシオニズムや後の三枚舌に影響を与えます。

■4,ドレフュス事件と三枚舌外交による100年の悲劇の上書きは影響大。
この戦争で英国は無責任な三枚舌外交を展開。結果100年の悲劇の上書きとなる戦争、内戦、世界中のテロ(9.11の遠因※にも)を生み出します。そもそもの原因を作った三枚舌の詳細については、■リンク→「100年の悲劇を作った三枚舌外交」をご覧ください。
※三枚舌でオスマン帝国の一部をクウェートとして独立させたことが、その後の湾岸戦争のきっかけを作り、ビン・ラディンは、湾岸戦争以降も中東に米軍が駐留しているのを非常に憤慨していたことからの9.11。

そもそも、ユダヤにとっては2000年前に住んでいたという歴史もあるでしょうし、近年ナチの迫害から逃れ約束の地を目ざすこともあってしょう。
片や2000年も住み続けてきたパレスチナ人にとっては、突然「出ていけ」そして「明日から難民」は想像を絶する辛さでもあるでしょう。案の定、翌日から争いが始まってしまいました。

さて、イスラエルという国を作ることになった直接的な要因は、フランスで起きた「ドレフュス事件(反ユダヤ主義による冤罪)」でしょう。これがシオニズムに繋がってゆきます。三枚舌はその後、さらにその後の国連による分割案により、イスラエルが建国されます。もちろんイスラエルと関係の深い米国は即承認。
しかしそれに反発したアラブ諸国が第一次中戦争(イスラエル勝利)。次にイギリス支配のスエズ運河をエジプトが国有化これをきっかけに第二次中東戦争(イスラエル勝利)。次にソ連の詭弁をきっかけにエジプトによるアカパ湾の封鎖に怒ったイスラエルの第三次中東戦争でもイスラエル勝利で領土をさらに広げ、パレスチナをイスラエルの配下へと。するとそれに反発したエジプトはシリアと協力してイスラエルを挟み撃ちにし第四次中東戦争(これが第一次オイルショックで日本の成長がこの時止まる)に、これにはアメリカが仲介しますが、小さいいざこざが続き結局インティファーダ(パレスチナの丸腰の反撃)に。この頃から悲劇のユダヤ人から、やりすぎのイスラエル人のイメージが付いてきます。そしてPLOもこの時から組織されます。その後あのオスロ合意(パレスチナ人の暫定自治)に繋がります。
このオスロ合意で共存の可能性もありましたが、無責任なシャロン氏の行動(ムスリムの聖地、岩のドームに入りエルサレムはイスラエルの物だと発言)で、パレスチナは怒りだし、オスロ合意も有名無実となってしまいます。その後、穏健派ヨルダン川西岸のフェンス(5%が壁でここにバンクシーが反戦絵画を)、強硬派ガザ地区(特にハマス党は攻撃的だがガザ住民には非常に良心的)の700Kmにもおよぶ分離壁が出来てしまいます。その後も幾度となく両者の攻撃が続けられています。

米国も大統領選にはユダヤの資金が必要で今だに頭が上がらない。特にトランプ時代にはイスラエルとアラブ諸国の国交が盛んになり、ハマスは仲間が減ってゆく不安を感じ出してきたかも。さらにバイデンになりあのサウジともイスラエルが国交を結びそうになると、ハマスはついに2023年10月の攻撃に出てしまったのかもしれません。それに対するイスラエルの反撃は度を越して激しくなってしまいました。
これに関してメイさんが言っていた「長年イスラエルにイジメられてきたパレスチナが反撃に出たところ、そこだけが西側から大きく取り上げられ、逆に今まで以上にイスラエルのいじめがひどくなった」こんなイメージでしょうか。いじめの例は正しくないのかもしれませんが。
ややこしいのはクリスチャン・シオニズムの動きも大きくなってきた感もあります。

「イスラエル」、「PLO(含:ファタハ)」(イスラエルから追い出されヨルダンに拠点の反イスラエル、一時はイスラエルと握手で和平路線の穏健派)、「ハマス」(PLOの対応では甘いという貧困層から始った反イスラエルのテロ組織で過激派、イランが援助しているのはイスラエルはイスラムの共通の敵だから)、それぞれが三つ巴(レバノンのヒズボラもハマスに協力している)でいがみ合っている状態です。このところ本来反イスラエルだったアラブ諸国の国々がイスラエルに近づきつつある。これが続くと上記の通りパレスチナの孤立も十分ありえそう。

そしてなんといっても一番大きな問題は、三枚舌が遠因にもなっている9.11以降の米国および関係国における軍事およびセキュリティ産業に関すること。ベースはフリードマン理論。テロから守るためとの理由で民間に実業務を委託(民営化)し、お金を使わない平和産業よりも経済が潤う軍需産業へ。GAFAにも合法的に国民の情報を抵提供し、さらにそれに対して国民が反発しない「仕組み」を作ってしまったっこと。こうなると国民はいつのまにか反戦行動すらできなくなっている可能性が高い訳です。さらに、今後、攻撃を受けるかもしれない他国に対しても復興を含めた数々の契約(爆撃、占領、復興)をさせられるということが、すでに起きています。これが利益率の高いモデル経済として成り立ったってしまっています。これを「新植民地主義」と呼ぶらしいのです。


■5,ヒトラーの台頭と第二次世界大戦。
オーストリア人のヒトラーは、若いときに父を亡くし、美大受験に失敗した頃に母も亡くし意気消沈、数々の背景からオーストリアを憎みだします。オーストリアに愛想をつかしたヒトラーは愛国心のない国への徴兵を逃れるためドイツへ移住。そこではバイエルン軍として第一次大戦に参戦し、地獄の西部戦線に参戦、砲弾や毒ガスを浴びることになります。前線ではユダヤ人の兵士が少なかったにもかかわらず、療養中に街で見たユダヤ人には肉体労働者が少なく事務職員や金貸しそして裕福層の多さに衝撃を受けます。その頃、彼の弁舌に惚れ込んだカール・マイヤーと出会い政治に興味を抱き出し、小さな労働党(後のナチス)を立ち上げ政治活動に専念してゆきます。その後ヒトラーはミュンヘン一揆(ナチス政権の樹立を目ざしたクーデター)で逮捕されますが、ヒトラーの裁判時の弁明(名演説になった)に絆され、さらにバイエルン州に守られ死刑を免れ、禁固5年(実際は翌年仮釈放)で済みます。その間に「我が闘争」を執筆します。
娑婆に戻ったヒトラーは、小ドイツ主義者(オーストリアを除外しドイツ統一をはかる思想)で、大戦で疲弊したドイツ国の問題解決(ヴェルサイユ体制の否定、ユダヤ人の絶滅、共産主義の排除他、、)をかかげて救世主のようなふりをしてドイツ民衆の前に現れます。作戦は上手くゆきナチ党は第一党へと。その後、民衆の心を見事な弁舌でつかみ大人気となり総統に上り詰めます。世界恐慌を逆手に、数々の対策で国を復活させ、さらに人気を博します。恐ろしいことに街では人々の挨拶が「ハイル・ヒトラー」にまでなってゆきました。
最初は日・独と同じく持たざる国・伊のムソリーニの独裁を真似たヒトラーも、どんどん独自色が強くなります。それはソ連の独裁のように国民を苦しめたり粛清・虐殺する方法ではなく、国民の共通の敵(例えばユダヤ)をつくるという独特の方法です。これを「合意独裁(国民も知らず知らずに手助けしてしまう)」といいます。ヒトラーの愛読書の1つは、ギュスターヴ・ル・ボンの「群衆心理」で、有能な一人を騙すより、無能な一万人を騙す方が簡単とも言っています。
そんな時、領土を広げたいヒトラーは各国との約束を無視、自作自演でポーランドに難癖をつけ16箇条の要求し無回答を理由にポーランドに侵攻。ついにあの第二次世界大戦に発展していってしまいます。
その後の三国同盟では「我々(ドイツ)は、3000年間、負けなしの国(日本)と仲間になった」とうそぶき。日本も強気になり真珠湾攻撃を、ドイツも同盟国として米に宣戦布告し世界大戦に発展。

これにより欧州が再び、そして全世界としては初めての大戦でドン底に突き落とされることになります。

また、これらの詳細については、■リンク→「第一次世界大戦の影響」をご覧ください。
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◆生き残れる(と思われる)国々
ちなみに欧州で戦争があっても生き残れる可能性が高いと「思われる」国は「スイス(永世中立だが国民を守る軍備がスゴイ)」「アイルランド(NATO不参加、徹底した独立・中立)」「デンマーク(NATO参加国だが、避難先のグリーンランド[GL]を持つ強さ。ただGLが独立したらGLが安全な国)」「アイスランド(世界平和指数1位、軍隊を持たず、地理的にも有利)」「マルタ(圧倒的な防衛力と要塞)」の六か国とのこと。

それぞれ数年前の木村靖二氏の話ですが、現在はこの状況が変わっているかもしれないと思います。

◆ビートルズの出現
最後に、欧州発で近代から現代における世界中の文化に影響を与えた事象として「ビートルズの出現」があると思っています。世界を大きく変えた東欧革命(ベルリンの壁崩壊他)のあのパワーの裏にもビートルズが。東側の人々は禁止されているビートルズ等の自由な音楽を聴きたいという人達の想いがそれはそれは強くあったようです。何とレントゲンフィルムに彼らの音楽を刻んで「肋骨レコード」として数百万枚が流通したとのこと。そこまでしても彼らの音楽を聴きたいという願いがとんでもないパワーになったことは想像に難くないでしょう。その後、数々の革命のきっかけも作りました。音楽が歴史に与えた影響の大きさをあらためて実感するエピソードでした。
僕はビートルズのいなかった世界を描いた「イエスタデイ」という映画が好きです。海辺のあのシーンはいつまでも心に残っており、どうしても忘れることが出来ません。思い出す度に鳥肌が立ちます。
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◆そして日本!!
(東アジア人はエレクトスの影響を受けたサピエンスとも・諸説あり)
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●旧石器時代は、日本各地に大型動物もいて数万年以上※と相当長く続きました。※一説では島根県の砂原遺跡で約12万年前の前期旧石器の遺物も見つかり議論になっています。
その後、気候の変化と共に大型動物は減り、小型動物・魚の狩漁猟・採集がメインの縄文時代(土器もこの頃から)に入ってゆきます。当時は
農耕がなく土地を所有せず、貧富の差や格差がなく、「見えない人」を信じる宗教もなく、結果、人殺しが非常に少ない平穏な時代。それがさらに1万年以上続いたようで、その間は塀も柵もない生活です。これは全世界を見ても唯一とのことです。他のホモ属を絶滅に追いやったサピエンスとしては非常に珍しい※とのことでした。

●※食物は残さず皆で分ける、獲物の存続を考慮し大人の雄をメインに狩りをする、人ではなく万物に神が宿る、男尊女卑がない、他。縄文後期には少しだけ稲作が入ったようですが、農耕とは程遠かったようです。縄文土器のあの独特の形状は他国にはみられず、実用的ではない数々の飾りが文化の深さを感じます。

そして日本が磨製石器を作り出すのは欧州の15,000年も前、そして世界最初の土器を作り出したのも日本とのことです。(ジャレド・ダイヤモンド著「銃・病原菌・鉄」から)しかし、その後もいろいろな説が出てきているようです。

●日本の宗教観はアミニズム、八百万の神、先祖崇拝も含め先進国の中では特異な存在、一神教の不寛容さや宣教もなく非常に寛容な宗教観を持っています。戻って縄文人は自然の恵みの存在に感謝および継続に祈りを捧げていたのに対して、弥生人以降は、収穫(生産)量に願い祈りをささげ、それが今に続いているのかもしれません。

●また、秀吉のバテレン追放令と家康の禁教令が日本には一神教が広がらなかった一つの要因という研究もあるようです。別視点では、キリスト教布教者が日本の先祖崇拝を理解できなかった点※も広がらなかった大きな理由という点もあるらしいのです。※他にも日本人独特の考えを理解できなかった背景もあるようですが、日本人の通訳がキリスト教をよく理解できていなかった可能性もあるようです。他にもいろいろな要因で日本での布教がそれほど広がらなかった世界的にも珍しい例なのかもしれません。

●日本語も非常に特異な言語らしく「孤立した言語」と呼ばれています。他国の言語の場合、近隣の国々では多くの類似性がみられるらしいのですが、日本の近くの国々との類似性も認められないとのことでした。

もちろん漢字などの文字は中国から朝鮮半島経由で入っていますが、日本人はその漢字に元々日本にあった日本語の読みを無理やり充てたようです。例えば「いぬ」という動物を表す日本語の音声「inu」は元々日本にあったようですが、当時日本には文字はなかったわけです。そこで中国から漢字が入った時に同じ動物を指す「犬(Quǎn=チュエンと聞こえます)」という文字を「いぬ」と読むようにした(訓読み)とのことでした。音読みでは「Quǎn=チュエン」を「ケン」と読んだのでしょう。

●また、音も特殊でこれも世界的に稀らしいのです。まず音節(シラブル=音の最小単位で日本語は1文字が1音)の違い。例えば「マクドナルド」は日本語だと「6音」ですが、英語だと「3音」で地域によっては「2音」に聞こえる人もいます。あとは逆に母音の数、日本語は「あいうえお」の5個。米語は13個(英語はもっと多い)それに追加して半母音(Rの発音等)も、他の言語(中国語等)はさらに多いです。そのため日本語には少ない音で表現するので結果、同音異義語が多いのかもしれません。最後はリズムの違い。これは裏拍が関係してるかもしれないです。日本の音楽には元々裏拍がない等。とにかく全世界を見渡してもとても稀です。聞いた話ではハワイ語に関しては音節的に少し似ているようです。

●日本語や各国語を勉強したことがある欧州人(特に西欧側)に聞くと、総じて日本語は間違いなく世界一番難しいと、そして中には日本人は天才だと言う人もいます。その種類たるや「漢字、ひらがな、カタカナ、音読み、訓読み、時々ローマ字、特に助詞(てにをは)や曖昧な表現(空気を読め、とりあえず、一応、それなりに、いずれ、他にも大多数あり)さらに、同じ音で別の意味がたくさん、同じ字で別の読み方がたくさん(「生」はすべて入れると150の読み方がある)、それぞれの表現に尊敬語、謙譲語がある。そして言霊」。「その上、日本人は本心を言わない、作り笑顔をする、感情を出さない、集団で行動する、みんなと同じを基準にする、、」他にも日本独特のコミュニケーションの方法が数々ある。特に主語がなくても話が通じてしまうのは驚きだと。
なので話しながら相手の心を読まなくてはならない等、、、。「やはり天才」だと。

●しかし彼らも日本に長く接して日本語がよくわかってくると、それらは相手を傷つけたくないという思いから生まれた、日本独自の多層に渡った文化ということが理解できてくるようです。つまり日本人は常に脳を徹底的に使ってコミュニケーションをしている。だからの頭脳明晰な人が多いのではないか、と聞いたことがあります。
あとよく彼らが言う日本人の特徴としては「日本人は心配性の人がとても多い」ということです。時間が経てば何とかなるのに、その間の時間がもったいないと。これは本当によく聞きます。例えばオリンピックなどでも日本人は練習をしないと心配でとにかく練習をする、その結果、どうみても体力的に勝っている人種の人たちに勝つことが出来る。時間に正確なのも、失敗を嫌うのもそこから。でもこれが日本を長続きさせている要因なのかもと個人的には思っています。

●それに関連しているのかもしれないですが、現在、世界で一番長く続いている国は日本で2680年程度。2番目はデンマークで1000年程度。三番目がイギリスで950年程度。(ギネスではそのようになっています)
(短かった国はソ連69年、チベット38年、南ベトナム31年、ローデシア14年、ユーゴスラビア11年、アラブ連合3年、アイレク3日)
ちなみに日本のゴミ焼却率は世界一(断トツで)で約80%に近いですが、先進国でもオーストラリアは数%です。逆にリサイクル(コンポスト含め)率はドイツがダントツで65%、日本は非常に低く18%程度で先進国では最低です。


●日本独特の「文化」や「らしさ」の始まりは何なんでしょうか。
僕が最近よく考えるのは、日本は島国+山が多い。つまり地形的に山向こうは未知の国、なので「村八分」が一番怖いことだったのではないか?そして村の一大行事は「神(村)祭り」。後に入ってきて「特定の人を信じる」仏教にはこのような「祭り」はありません。
村祭りで村八分にされないような「無難な生き方」「同調圧力に委ねる」が最高の選択肢に、そんな背景で今の日本人の根幹が出来上がってきたような気がしてなりません。これは生産的でないと否定される方もおられるでしょうが、文化的人間の自然の姿のような気がしてます。
そしてその無難な生き方が「会話の時も含め人の目を見なくなり、無駄な争いのきっかけを作らない」現在の文化になったのでは?と。(もちろん今は大きく違いそのような日本人は少ないのかもしれません)僕は昔の日本人のように人の目を見て話すのが苦手です。
これは争いを嫌った縄文時代の名残では?とも少しだけ思っています。
しかし、明治維新以降、突然の欧州の影響から急激なスピードでその日本人が変わり出します。(あの戦国時代も争っていた武士はほんの一握りで、ほとんどが無難な生き方をしてたようです)

●以前、日本にも住んでいて日本文化にとても詳しいウリケ・シェーデ氏によると、日本の特徴は「いつも礼儀正しく(電話で話中も頭を下げる)」「常に適切(置かれた環境に合わせる)」「他人に迷惑をかけない(親の格言に多い)」ことだそうです。
彼女は「日本人は遠慮がベース。エレベータピッチ(乗っている僅かな時間で自分をアピール)などは考えられず、これではビジネスイノベーションは起こりにくい」と。しかし、これさえ守っていれば日本のビジネス革命は素晴らしいはず、逆にこれが日本の(他国にない)強さだとも断言しています。

上記とは少し視点を変えて貨幣の話ですが、遅れた日本でも約1300年前にお金が出来ています。その後、管理通貨制度※が本格的になってまだ50年程度、これも戦争が原因。
※制度自体は1942年ですが、1971年、ニクソンは金とドルの兌換停止を宣言し大きく変わります。理由は戦争です。
戦争になると莫大な「戦費」が必要になり、貨幣を発行する必要が出てきます。しかし、金は勝手に増えないわけです、そこでこの制度なら金の量に関係なく貨幣を刷れる。しかし、通貨が安易に増発されると、お金の価値が下がりインフレーションの原因になりやすいので非常に怖い面もある。

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◆日本の四大変革期について。(倭国・日本を含め現在までに4つの大変革があったと考えています


◆最初の大変革「倭人の遺伝子が突然変わる」(ユーラシア大陸の影響)

先住(D系遺伝子)縄文系→←大陸(O系遺伝子)渡来系

●数万年続いたといわれる旧石器・縄文時代(非常に古いD系遺伝子で欧州に近い黒海から東南アジアにかけての人種らしい)の終焉が今から2300年程度前。理由は、大陸から高度な文明・文化・農耕・武器を持った人々O系遺伝子を持った方々が移り住み急に倭国は変わっていったからです。
これが「弥生時代」に繋がり倭国(日本)
最初の大改革で倭人の遺伝子が変わります。
その「武器」の影響なのか、この時代以降、先住の縄文人が激減しているとも言われています。ジャレド・ダイヤモンド氏によると日本は大陸から武器を持ってやってきた人種に侵略されたとの研究結果を残しているようですが、この背景がよく理解できないでいます。さらに当時、縄文人は人を殺すための武器は持っていなかった※ということは史実から証明されているようです。もし、これがJ・D氏の通り「侵略」だとすれば、日本にとって最初で最後の侵略被害でしょうし、もちろん両者の混血があったことは間違いないでしょう。そのため、現代日本人は、縄文系が3割弱、渡来系が7割強の比率で今に繋がっています。
※縄文時代以前の遺骨に武器による殺傷痕は見つかっていませんが、弥生時代以降の遺骨からは数多く見つかっているようです。

●ちなみに、いろいろな説があるため侵略されたかどうかは分からないですが、渡来系(後の渡来人とは別の意味)の人たちが権力を握り、縄文系を北・南に追いやった(残った)という説もあります。また、渡来系トップの人達が朝廷(天皇※)系になったとも。結局、縄文系は蝦夷(東北・北海道)、隼人(薩摩)、琉球に残った。また、当時、稲作に適した地域に渡来系が住み着いたという説もあるようです。
※弥生時代の中期「欠史八代」と言われるように実在の天皇は存在していなかったようです。それぞれの天皇の寿命が100歳超えなどあり得ないでしょう。

●また、お遊び的な情報の「縄文人の特徴」として、以下のように言われています。
1.唇を動かさず両目ともウインクができる人
2.くせ毛っぽい人
3.耳垢が湿っている人
4.両目とも二重まぶたの人
5.血液型がO型の人(弥生はA型)
お遊びのため確証は全くありません。

●先にも書きましたが「農耕」は禁断の革命かもしれないと思うことがあります。例えば遠くメソポタミアで始まった「農耕」が定住、疫病、格差、独占、権力者、貨幣、国境、侵略、戦争を生んだことは確かのようです。片や、農耕が人口増、長期計画、全生産革命、各種学問、人類の急激な発展に寄与したことは事実なわけです。しかし、その背景は複雑で二言論で語れるほど単純ではないでしょう。

ちなみに最新の研究↓
■リンク→「縄文人と渡来人の混血史から日本列島人の地域的多様性の起源を探る」

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◆二番目の変革「倭国から日本へ」
(中国の影響)
文字、仏教、天皇中心、律令性、倭国から日本へ変わった時代。この時期まで日本には文字がありませんでしたので、これ以前のことが正確には分かっていません。

●本当にそれまで文字がなかったかどうかについてはいろいろな説があるようですが、以前からあった歴史書を蘇我蝦夷が全て燃やしてしまったという説まであります。卑弥呼も邪馬台国ですら古事記にも日本書紀にも出てこず、中国の文献「魏志倭人伝」には出ているとのことで、そこからの引用です。(古事記は稗田阿礼などの口伝で神話から始まります)当然、朝鮮経由の影響は大きかったでしょう。
●また、その魏志倭人伝(3世紀、邪馬台国の時代で日本には馬や鉄器がなかった)から宋書倭国伝(5世紀、大和朝廷の時代で既に馬や鉄器が現れている)の間がすっぽり日本史から抜けています。つまり4世紀の歴史がどこにも残っていません。理由として考えられるのは、その当時の古墳の調査を宮内庁が許可していないこともあるようですが、最近よく言われているのは、この間に多くの渡来人が朝鮮半島(特に百済、伽耶)から難民として移ってきたのではないか、ということ。人種的にも朝鮮半島からの人々がこの時期、非常に増えています。と共に日本の文化・文明が大きく広がって行ったことは事実でしょう。

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その後、奈良、平安、最初の武家政権鎌倉、室町、戦国、戦争のない江戸が過ぎてゆきますが、この間は現在への決定的な影響の少なさを鑑みると大変革には入らないのかと思っています。

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◆三番目の変革「明治維新」
(欧州の影響)。
この時代が日本の「文明」「文化」を大きく変えたことは事実でしょう。まずは「学制」「徴兵令」「地租改正」、また「士農工商」から「四民平等」へ。そして一番の影響は、欧州に倣った「日本の近代化」と「富国強兵」「統帥権の独立(軍が戦争出来る権利)」かと考えています。

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◆四番目の変革「日本になって最初の敗戦・太平洋戦後の復興」(米国の影響)。
これは言うまでもないでしょう。
●日本になって初めて敗れる。「非軍事化」「天皇の人間宣言(国家神道の解体)」「民主化」「財閥解体」「農地改革」「日本国憲法※」「議員内閣制」「朝鮮戦争」「日米安保」「国際社会への復帰」「軍事は米に任せ急成長」「高度成長」「GDP(当時はGNP)世界二位」「高度成長の終焉」「バブル崩壊」「少子高齢化」などですが、他にも多くの変革・事象がありました。
※九条の「戦争の放棄条項」は時の総理「幣原喜重郎」の意見が大きく影響していると僕はゼミで教わりました。
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●これらが日本の(今に繋がる)四大変革期だと思っています。こう見ると弥生時代の前の
石器・縄文時代がいかに長かったかがわかります。

●ただ、今でも日本人のベースには仏教以前の「多神教」が八百万の神として根付いているように思えます。
(多神教は一神教と違い直接争いや戦争に繋がらないことが証明されているようです。多すぎてどれを敵にしていいのか分からないのかもしれないですが、事実として多神教同士の戦争はないようです)
しかし、日本もある時期「一神教」的になった時代があったように感じています。それが天皇を「現人神」として戦った十五年戦争の時代。

●そこで、現在の日本に目を向けると、不幸なことに日本の米軍基地の重要性がますます高くなっています。例えば横須賀は大型空母の修理も出来るため修理のために米国に戻らなくてもよい。沖縄はそれ以外にも大陸間弾道ミサイルの射程距離が朝・中・露以外のユーラシア各国に届くなど重要基地になってしまっています。そんな背景で集団的自衛権以降、米国の配下感はさらに強くなっているわけです。

そして日本国内は二大政党ではないため、情報は自在に操作可能、免許制があるためマスコミ特にTVは政府に迎合し、さらに日本から新しいものが生まれていない(AI含め)不安を強く感じています。

世界競争力ランキングで見ると、1989年に世界第1位だった日本が2022年には一気に34位に急落しており、海外からの投資割合もOECD加盟国では落ちに落ちて最下位。日本の人材への投資はアメリカの20分の1。さらに日本人勤労者の小遣いの平均額は30年前が47,000円、今(2022年)は39,000円と物価を考えると極端に減っています。さらに国連認定の貧困国の一部(まだ初期の段階だがモンゴルや南米他と同じレベル)に。
しかし、これは逆に可能性があるということ、安い日本だからこそ持っているポテンシャルは大きいと思いたいです。

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◆日本が世界に影響を与えた事象

明治維新の後、資源のない日本は、欧州を真似て大陸進出をしてしまいます。朝鮮半島をめぐっての争い日清戦争、日露戦争(第ゼロ次世界大戦とも)を起こし、ビスマルク※に感化された「富国強兵」「統帥権独立」の影響もありどんどん好戦的ともとれるような行動になっていったようです。司馬遼太郎は「この国のかたち」で「別国」(この時期の日本は別の国になってしまったという意味合いらしい)ことを書いています。※「鉄(軍隊)と血(兵隊)のビスマルク」と呼ばれてます。

●昭和に入ると、関東軍の政府を無視した独自路線が目立ちだし、日本の南進をきっかけに欧米各国からはさらに疎まれます。ついにABCD包囲網、ハルノートで窮鼠猫を噛む状態の日本は、マレー作戦(対英国)・真珠湾攻撃(対米国)を起こしてしまいます。

●これにはモンロー主義で静観していた米国も怒りをあらわにしついに参戦、太平洋戦争が勃発してしまいます。
真珠湾攻撃には、ヒトラーが絶賛しており、独も米に宣戦布告をしてしまいます。これがヒトラーの最大のミス、敗戦の原因だったという研究が一般的になっています。理由としては、このためにドイツは英国上陸をあきらめ、当時、独の一番の敵であったソ連への米からの大援助のきっかけにもなったからです。
にもかかわらず日本だけは負けが分かっていても最後の最後まで降参せず、米国からは「日本はスーパー・クレイジー」とまで言われて、、、

この辺の詳細については、
■リンク→「米国を参戦させてしまった日本」をご覧ください。
■リンク→「日本の反省、秘密裏に行われた反省会、統帥権マチガイ」をご覧ください。





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◆日本が起こした戦争の「何故?」
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日本は完全な被害者と僕は心から思い込んでいました。無差別大空襲、沖縄、原爆、、どう見ても被害者です。
さらに僕は、日本に対し愛国心を持つことが恥ずかしいとはまったく思っていませんし、少なからず日本人としてのプライドもあります。そして日本をいたずらに卑下したくないのです。そこで、日本の戦争に関連し裏がとれた事象だけを記載てみますが、もし他の(裏とりのある)事実がありましたら、是非、ご教示いただけませんでしょうか。

■とはいっても、僕の頭の中は混乱しています。この後、誤解を招きやすい表現を使いますが、ご了承ください。
当時、仮に開戦してしまったとしても、あと数か月だけでもいいから早く負けを認めて欲しかった。長期間に渡る意味もない責任の押し付け合いに時間を使って欲しくなかった。そうすれば、軍人よりもはるかに死者数が多かった民間人の被害(上記の無差別大空襲、沖縄上陸、原爆投下)は起こらなかった、起こり得なかったわけです。
かといってこの失敗を憂いていただけでは今後に生かせないかもしれません。やはり対策が必要かと。そこで、これに関して僕が思っている解決策は
「権威には、常に見えない選挙と、権威に見合った重い責任を付きまとわせる」この「仕組み作り」が必要かと。

■そこで開戦に関して記載してみます。
一般的に言われている日本が戦争を起こしてしまった理由としては、

1,外交がその場しのぎで戦略がなかった。
2,軍(統帥部)に絶対権限を与えてしまっていたのに、彼らに目的意識がなく組織が内向きで自分たちの存続が最優先だった。
3,メディアが軍の宣伝部になり国民をあおった。戦争に正義はない。でも軍部への迎合とはいえ正義という名の熱狂を作ってしまったメディアの責任は大きい。
4,リーダーが先送りばかりだった。
何も決めない数多くの会議の締め文句はいつも「何かあったらその時に決めよう」そして最後は責任の押し付け合い。
↑と言われています。
また戦争が長引いてしまったのは、過去に戦争に負けた経験がなかったため、負けたら一億総玉砕と真剣に考えていた上層部がいたことかもしれません。

■上記に関して具体的な「開戦に関する3つの選択肢」が議事録に残されていました。

1,戦争せずに外圧・包囲網に耐え忍ぶ
(これを選択すると中国からの撤退は必須だが、それでは陸軍・統帥部が納得しない。東条は絶対的な力を持った統帥部を抑えられない)
2,直ちに開戦
(統帥部は迷わずこの案。理由は石油の備蓄があと2年しか持たない、そのため石油があるうちに米を先制攻撃で叩いてしまう。東条も総理以外に陸軍大臣他を兼任していたため本来はこれを選びたい、さらにメディアが煽っているお蔭で動きやすい。しかし東条は反対派を抑えられない)
3,開戦は遅らせて、外交を同時に
(天皇や外務省は日米交渉を続けて欲しい※との要望。東条は早くしないと東南アジアの気象条件が変わってしまい南進が出来ない。それ以上にやはり石油の備蓄が2年分しかない。天皇の戦争を避けたい※という意見もあったが、遅くとも12月までに決まらなれば開戦やむなし)
※天皇も当初は開戦に反対だったようですが、最初の先制攻撃で勝ってしまっため、考えがだんだん変わって行ってしまったのでしょうか。

東条は結局「3」を選んだ。本来は「2」を選びたかったが、日米交渉を推す天皇や外務省の意見は重く受け止めたため。開戦を遅らせるだけでも絶対権限を持つ統帥部を抑えるのには大変な労力があったようです。
結局、何も決めらず「開戦(12月7日)」を迎えてしまいました。

東条は元々対米開戦強硬論派で近衛内閣を退陣させました。しかし、実際に総理になって見ると各立場の意見(特に統帥部)を抑えることが出来ず「首相の責任の重さを初めて知った。退陣させた近衛に心で謝った」と日記に書いてありました。

東条は大変な勉強家でデータも多く持っていたようです。しかし、それぞれの立場を抑えて決定する器を持っていなかったという研究もあるようです。
あとは、独裁の様相を呈している日本ながらも、すべてを抑えて決めるトップがいなかった日本の曖昧な仕組みもあったのかもしれません。

そもそも、資源もなく小国の日本が、とてもつもなく広い中国と戦争をしながら、世界一の大国になった米国、かつて世界を席巻した英国のそれぞれ3国と同時に戦争を仕掛けること自体、無謀としかいいようがないのかもしれません。

■東条が東京裁判で死刑が決定した時に「統帥権マチガイ」というメモを持っていたようですが、上記の経過を見ると深く納得できるメモでした。
そう考えると明治初期に統帥権の独立を作ってしまった責任は大きいと思わざる得ません。


それにしても、たくさんの「何故※」が、日本人ではなく「日本軍(特に関東軍)」に対して頭に浮かんでしまいます。(関東軍とは、日本が中国から租借していた遼東半島先端に位置する関東州守備のための軍)
※歴史において「何故」や「もし〜がなければ」が邪道ということは承知していますが、個人的なメモとして思ったことを書かせていただきました。


■以下に羅列した数々の「何故」は時間軸です。また、1つの何故(事象)がなくなれば次の何故(事象)もなくなった可能性が高いのでは?と考えています。

●そもそも何故、明治初期の岩倉使節団渡欧で、ビスマルクの影響による「富国強兵」「統帥権独立」を日本に持ち込んでしまったのだろうか?(明治初期の対応は成功例も多くあり、全否定は出来ませんが)
東京裁判で死刑になるときに東条が持っていた「統帥権マチガイ※」というメモは、その重要性を語っているかと。

●何故、日清(大勝で大金を得てしまう)、日露(辛勝だが世界を巻き込み第0次世界大戦とも)を起こしてしまったのだろうか?
特に日清で勝ってしまい大金を得てしまったことが日本を好戦的にしたしまったのではとも言われています。しかし、遠い昔、日本は、縄文後期に侵略されて以降、海外から侵略された経験がなかったことが強気のベースにあるような気がしています。

●何故、欧州を真似て大陸進出をしてしまったのだろうか?
あわせて1905年租借地として関東州を獲得してしまったのだろうか?

●何故、最初に起こした張作霖事件の責任を関東軍に取らせず曖昧にしてしまったのだろうか?天皇の反省※もこのことに終始していますが、後の祭り。(実は張作霖事件が非常に重要という歴史家の研究が最近は多いようです)。もちろん3年後の「柳条湖事件」の鉄道爆破も影響大。

●何故、(上記がきっかけだったとしても)関東軍の独走による満州事変を起こしてしまったのだろうか?

●何故、陸軍憲法違反をしてまでも独断で70万人もの軍を満州に派遣してしまったのだろうか?

●何故、リットン調査団が来日した翌日に「満州国(傀儡国家)建国」という暴挙に出てしてしまったのだろうか?(その時の内田外務大臣の国会答弁が、「仮に、この建国で世界から攻撃され、仮に日本が焦土と化しても満州国は建国する」と信じられない内容でした)

●何故、国際連盟を脱退してしまったのだろうか?また何故、脱退を国民を挙げて褒めたたえたのか。

●何故、重要試算、満州放棄論を無視してしまったのだろうか?
満州を得ても当時で九億円の利益のみ、しかし英米と貿易をしていれば二十数億円の利益を得られる試算があった。

●何故、軍事独裁の道(きっかけは二・二六で天皇の大権に背き兵を動かしたから)に進んでしまったのだろうか?

●何故、盧溝橋事件というちょっとした勘違い?で宣戦布告もない状態で日中戦争を、さらに南京事件を起こし、ドイツの仲介も無視し続けてしまったのだろうか?
特に南京事件は悪意を持って英米の新聞に載り、これがきっかけで日本のイメージはがた落ち。しかし国内では南京陥落の祝賀行事が行われていた。

●何故、和平交渉を日本は一方的に打ち切ってしまったのだろうか?

何故、(7月2日の御前会議で世界を知る大使の意見を無視して)南部仏印進駐を決定してしまったのだろうか?
これで米による「在米日本資産の凍結」と「対日石油輸出の禁止(9割が米からだった)」他国も含め「ABCD包囲網」が決まってしまう。戦争をしたくない米はこの処置でも日本が米国に戦争をしかける無茶はしないと思っていた。理由は国力があまりにも違うから。それらが「ハルノート(中国、仏印、満州からの撤退+三国同盟の廃棄という提案)」に繋がってしまう。

●何故、日独伊三国同盟に調印してしまったのだろうか?これで日本軍が強気になってしまったことは確か。さらに三国同盟により、それまで「ドイツ対ヨーロッパ」と「日本対アジア」の別の戦争が1つになり世界大戦へ。そこには日本の独大使の影響が強く、ゲッペルスは彼(大使)の記念碑を独に作る必要があるとまでも日記に記載。

●何故、世界を知らない陸軍(統帥部)に大権を握らせてしまったのだろうか?

●何故、(11月5日、12月1日の御前会議で)対米開戦を決めてしまったのだろうか?
戦争において重要な物質(石油)を仮想敵国米国に依存した状態で。この時、軍は「桶狭間」を例に出し「奇襲作戦」を上奏し決定した。そして国力があまりにも違う米国に戦争をしかけてしまった。国際派や知識人達の大反対が多くあったにもかかわらず。

●何故、もっと早く負けを認めなかったのだろうか?開戦半年後のミッドウェイ、ガダルカナルでボロ負けしてその後も負け続け、勝てる見込みは皆無に等しかったのに。その後、制空権も制海権も失い、多くの病死・餓死者を出しているのに。一撃講和論(圧倒的に不利は分かっていても、最後に一撃を加えて和平交渉したい)が、その後の犠牲者(日本や他国)を増大させてしまったことは事実。この考えのベースは真珠湾の時から持ち続けていた。

●何故、あれだけの無差別大空襲を受けても、沖縄に上陸されても負けも認めなかったのだろうか?多くの民間人が犠牲になっているのに。

●何故、ドイツが降伏しているのに日本は降伏しなかったのだろうか?

●何故、日本はソ連参戦を知っていた※のに、且つ何度も警告されていたのに降伏の先送りを続けていたのか。首相、外務省、参謀本部(陸軍・大本営)、軍令部(海軍・大本営)がそれぞれ情報の共有を行っていなかったことは大きな問題。大本営(特に陸軍)が上げていなかったとも。 この頃から民間人の被害者が急増し、さらにソ連の参戦でシベリア抑留、北方領土問題、中国残留孤児問題が。
※ヤルタ会談の内容を日本は傍受しソ連の参戦をある程度知っていた。それはロンドンに保管の20年5月24日付けスイス・ベルン海軍武官伝他より発覚した。

●何故、米国が終戦の可能性を示唆してきたときに無視してしまったのだろうか。
この件は、アレン・ダレス(後にケネディ政権時の第5代CIA長官)が「当時(ソ連を警戒し)日本とは早期に終戦してはどうか、そうすれば天皇制は維持させる」という内容で、且つ米大統領と直接交渉の場を設けると考えていたことを認めています。この伝文の概要が日本に伝わっていたことも。

●何故、マーティン・キグリー(米)のバチカン(日本大使館もあった)を介した2回に及ぶ和平交渉を無視してしまったのだろうか。
親日派のジョセフ・グルーからの日本人の苦しみをこれ以上、長引かせてはならないという対日和平声明もしかり。

●何故、ポツダム宣言を「黙殺」し「断固戦争完遂に邁進する」としてしまったのだろうか?(最近の研究では「誤訳」ではないとのこと)

●何故、原爆が広島に落とされた時点で即時ポツダム宣言を受諾しなかったのだろうか?

●何故、(原爆が広島に落とされてもなお)「ポツダム受諾よりも日本の国体(天皇制)維持の方が重要」という会議を行っていたのだろうか?

●何故、ソ連が攻め込み、長崎へ原爆が投下されるまで受諾を決定しなかったのだろうか?

●何故、最後は40ヶ国もの多くの国々が日本に対して宣戦布告したのか、その理由は明白だったはず。

●何故、国家予算の「75.6%」を軍事費に充ててしまったのだろうか?

●何故、(大陸進出から正式終戦[9月8日]までに)リーダー(首相)が5人も変わってしまったのだろうか?

●何故、日本は世界が見えていなかったのだろうか?

■それらの「何故」の答えは誰もわかりませんが、想像するに誰も責任を取りたくなかったことも大きな要因だったかもしれません。
ただ、この何故の事象が1つでもなければ、結果は大きく変わっていたことだけは事実でしょう。


■昭和天皇は非戦論者だったのだろうか?
この侍従長の日記を見ると天皇の開戦への決意を見て「天皇は少しやり過ぎのように見える」と記されています。昭和天皇の侍従長だった百武三郎氏が残した日記(2022年9月公開)より。
開戦が決まるまでは日米交渉を最優先した時期もあったようで、開戦には消極的だったことは事実なようです。しかし、すこしずつ気が変わってしまったのだろうか?↓



しかし、仮に天皇に責任があるとして責任を取らせたとした場合(最悪極刑)、日本国中で大反乱がおき統治など到底できない、というマッカーサーの判断は正しかったのかと、個人的には思っています。


◆満州事変から急に変わりだした報道機関の責任
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■大正デモクラシーの頃は反体制だった各報道機関も、満州事変※の頃からは手のひらを返したように関東軍を称え出しました。理由は世界恐慌で極端に減っていた新聞の部数が満州事件勃発で極端に伸びだしたため、と言われています。目先しか見ていなかったのでしょうか。

●※満州事変の原因は中村震太郎(大尉)がスパイ容疑で虐殺されたことを関東軍が利用したともいわれています。
また、満鉄の関東軍による爆破も軍の一人がマスコミにその実情(日本軍がやった)を話したにも関わらず報道各紙は戦後まで一切、報じなかったどころか「満州は国益」と報じていた。それを読んだ日本国民は「満州国承認」に大きく振れだしたようです。

●さらに、「リットン調査団の報告書は受け入れられない」と、なんと全国132社の新聞が共同宣言を出し、それは日本以外の各国にまで及んだようです。
ついには「国際連盟を脱退すべき」との論調になり、事実、脱退した時に新聞は大喝采し「世界に物申した希代の英雄」と松岡洋右を祭り上げました。

●つまり「軍」「民衆」「メディア」が一体になってしまっていました。これでは言論の自由などはどこかに吹き飛んでしまい、誰も監視することが出来なくなってしまいます。まれに批判的に書いた新聞は軍からの圧力や不買運動にさらされ、どんどん筆は弱くなってゆきます。これらが日中戦争のきっかけの一つにもなってゆきます。


■そのころラジオが増え出し「日本放送協会」の総裁は近衛文麿に。彼はメディア(新聞・通信・放送)の代表を一同に集め「政府方針に協力されたし」と依頼(指示)し、ヒトラーを思わせる「ラジオは国家の意志を運ぶ」と訴えました。日本放送協会も政府の管轄統制下になり、この頃から挙国一致報道が始まります。

●南京の陥落が伝わるとメディアの熱を利用したデパートでは「南京陥落セール」が行われたり、祝賀パレードには40万人が集まりました。ラジオの聴取率もどんどん上がってゆきます。

●しかし、南京の虐殺事件は英米の新聞に載り、これがきっかけで日本のイメージはがた落ち、にも関わらずそれらのことを日本のメディアは一切報ぜず日本国民は事実を知らなかったわけです。

●さらに、欧州中心の戦争を世界大戦にしたともいわれる日独伊三国同盟もメディアは強く推します。国民は意志をもたずそれに同調してゆき、ここでも大パレードが、ついに政府の反対派も世論に従うことに。それらは「紀元二千六百年式典」でピークを迎え、首相官邸に届いた国民からの投書3000通のほとんどが日米開戦を望むものでした。ついに日本は太平洋戦争へと突入してゆきます。


■そして開戦し日本が負け始まる転機になった開戦半年後のミッドウェイ開戦でも空母4隻、航空機300機を失う大打撃を受けましたが、その事を報じることはありませんでした。その後の大本営が管理する各種発表も箝口令が敷かれ事実とはかけ離れた報道ばかりとなってゆきますが、戦況はどんどん悪化の一途をたどってゆきます。大本営発表は、「日本を被害を5分の1に、米国の被害を6倍に」と、とんでもない数値を報道していました。

●しかし、国民は日本が勝ち続けているとばかり信じており、それはポツダム宣言受諾の時まで続きました。報道記者の日記には事実改ざん記事を書かされた悔しさが強い言葉でしたためられていました。

●これれらの言論統制で、新聞が日中戦争を、ラジオが太平洋戦争の片棒を担いだ、という恰好になりました。さらに負け続けても負けを認めず戦争は長引き、結局、民間人の大被害(無差別大空襲、沖縄上陸、原爆投下)を招いてしまったわけです。

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◆理由はどうあれ、欧州を真似た大陸進出で日本が始めた十五年戦争。この戦争で日本、アメリカ、アジア、太平洋地域の被害者総数は2000万人を超えています。やはり「日本は完全な被害者」とばかりは言っていられないと僕は思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。

※ノーベルが残した言葉「敵と味方が、たった1秒で完全破壊出来るような時代が到来すれば、全ての文明国は脅威のあまり戦争を放棄し、軍隊を解散させるだろう」。しかし、上記の通りの核兵器が一般化された現在でも戦争を放棄しようとする国は見当たりません。

※東条英機の遺書に「我が国、従来の統帥権独立は確かに間違っている」とあります。この言葉は本当に重いです。しかし知っていたなら何故??と考えてしまいます。

※原爆を開発した人達の中には「原爆=悪魔、絶対に使ってはいけない」と考えた人が多くいたことは事実。
しかし、上層部には、せっかく巨費を投じて開発したのだから、どうしても落としたい(効果をみたい)という人達がいたことも事実のようです。さらに、戦後の世界における力関係を考慮すれば、米国としては米国が戦争を終わらせたと歴史に残したい、そのためソ連が攻め込む前に落としたいという意図もあったともいわれています。

(現代に目を向けると、湾岸戦争時、日本が大金を拠出しながらも感謝されず小切手外交と揶揄され、結局、翌年からPKO協力法を成立させました。これを転機に日本が外交姿勢が大きく変わっていったことは事実でしょう。
また、この時の米によるフェイクニュースの数々、広告会社の提案、そこからの報道が民衆の間違った正義感をあおり正義の戦争とい大失敗を起こします。にもかかわらずそれが今も続いています。)


この辺の詳細については
■リンク→「日本の反省(統帥権マチガイ)」(既出)
また、この辺の全体像については、
■リンク→「戦争記憶の風化と映画」にまとめてみましたのでご覧ください。
情報の間違いがあるかもしれませんので、その時には是非ご教示をお願いいたします。

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◆平和は維持する仕組みと文化(日本の世界に冠たる実績)
その日本には、世界的にもまれで大変大きな実績があります。
それは江戸時代です。江戸時代は当初の大阪の両陣以降、明治維新前のほぼ250年間、戦争は行われていませんでした。(小さな「乱」は除きます)
これは欲まみれの人間でも、強いTOPが平和を望み、その仕組みを作れば実現可能ということの証明です。
この時代には革新的は文明は生まれませんでしたが、多くの文化が生まれ、庶民の芸術も広がり、庶民は心から楽しみました。この実績は各国の識者研究者も注目しているようです。

この項について欧州と関連付けるのは極端とおっしゃる方もおられると思います。どうか、別の視点、考察を教えていただけましたら幸いです。今、公正で公平な考察を探しています。どうかご教示のほどよろしくお願いします。


【上記はあくまでも概要の羅列ですので、詳しくは本文の年代別の詳細およびリンク先をご覧ください】


◆洗脳されない器の大きさが平和を生むのでは??
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少し説教めいた内容を書いてしまうかもしれませんが、どうかご了承いただけましたら幸いです。
最初にも書きましたが、僕は小1の時に母親を洗脳で亡くしました。そして毎日のように「もし生きていてくれたなら、、」ばかりを考え続けていた情けない子供でした(^o^)。とはいっても父親がとても深い愛情で時には厳しく育ててくれ、何かある度に強く抱きしめてくれたことは非常に鮮明な記憶で蘇ってきます。小学校の時に僕が描いた絵が担任の先生の指示と違っていた、とみんなの前で酷く怒られた時にも、父は「いい絵だ」と心から褒めてくれました。実は、美術の先生は「これは飯田にしか描けない個性的な絵だ、スゴクいいよ」と認めてくれていました。(足の裏に絵の具を塗って描いた絵でした)
さておき、そういう背景があるないにかかわらず洗脳に侵されることだけはしたくありません。
「AグループのAさんだから良い。BグループのBさんだから駄目」というのは洗脳が顕著に表れた例だと個人的には思っています。意見の合わないグループ、あるいは合わない人の話を真剣に聞こうともせず非難・攻撃ばかりになってしまうのはどうなのかと。この要因には「SNSによる情報の分断」もあるのかもしれません。気づくと自分と考えが近い人の情報にしか接しなくなっています。
攻撃は憎しみを生み禍根を残し生産性がないように、でも議論は明るい未来を生むことにも繋がらるような気も。また、議論の結果、時には意見の違う人達の中に回答が見つかることも。
例えば、「あの人は、あのグループなのに、とてもいい意見を言っているね。その真意を聞いて、参考にしたい、逆にその上の思考を作りたい、」等。この器の大きさは人類史にとって大切な要素だと思っています。難しい言葉を使うと弁証法とでも言うのでしょうか。
SNSでの不毛な言い争いや攻撃も同じかもしれません。さらにこの背景には嫉妬の感情(成功者を妬むルサンチマンのような感情)もあるようですから根深いです。僕にもそういう感情になってしまい自分が情けなくて苦しむことがあります。でもその感情は自分を辛くさせるだけで何も生まないことが最近になってやっと分かってきました。でもまだ完全ではありません。
いずれにしても、攻撃は憎しみを倍増させます、でも嫉妬をともなわない議論は新しい何かを生むような気がしています。僕のように大切な人を失ってからでは遅いように思っています。
このことはひょっとして一神教も無関係ではないのかも、以前「一神教が戦争を起こす理由(岡野通夫・著)」を読んだ時にも思いましたが、日本も十五年戦争時、現人神で一神教的な国になったことがありましたから。

ちなみに戦争のビジネスはたくさんあるけど、和平のビジネスはあまり聞かない。そんなことを考えていた時に、瀬谷ルミ子氏の「両者、共通の問題解決に当たる。殺すよりも協力」という提案には膝を打ちました。


個人的な考えをだらだらと書いてしまい申し訳ございませんが、どうか反論をお聞かせいただけないでしょうか。自分以外の意見を知りたくて仕方ないのです。
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◆東京裁判(極東国際軍事裁判)

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人は戦争を裁けるのか?
東京裁判は、日本の戦争犯罪を裁くための裁判。判事はアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、フランス、オランダ、ソ連、中国、インド、フィリピンの11ヵ国↓で構成されました。

上段左から
インド:パール判事、 オランダ:レーリンク判事、 カナダ:マクドゥガル判事、 フランス:ベルナール判事、 ニュージーランド:ノースクロフト判事、 フィリピン:ハラニーリャ判事
下段左から
イギリス:パトリック判事、 アメリカ:クレーマー判事、 オーストラリア:ウェッブ裁判長、 中国:梅判事、 ソ連:ザリヤノフ判事

日本ではA級戦犯28人が起訴、裁判中に亡くなった方、病気になった方を除き全員が有罪。その中で、土肥原賢二、東条英機、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章、松井石根、広田弘毅の7人が死刑判決を受け12月23日に絞首刑となりました。首相経験者の広田以外は全員陸軍の軍人でした。本来は阿部、真崎も含まれていましたが法廷の椅子が28脚しかなかったため罪を免れました。ちなみに日独伊三国同盟(世界大戦のきっかけ)を強くすすめ日本の開戦に影響を与えた大島浩氏は1票差で絞首刑にはならず服役に。




左から
武藤 章(むとう あきら) 1892年(明治25年)12月15日 〜 1948年(昭和23年)12月23日
陸軍中将 参謀本部課長、陸軍省事務局長、第14方面軍参謀長として山下を支援
罪状 一部捕虜虐待の罪  判決 死刑

東條 英機(とうじょう ひでき) 1884年(明治17年)12月30日〜1948年(昭和23年)12月23日
陸軍大将 関東軍憲兵隊司令官、関東軍参謀長、近衛内閣陸相、東條内閣首相
罪状 真珠湾の不法攻撃、米軍隊と一般人を殺害した罪  判決 死刑

松井 岩根(まつい いわね)1878年(明治11年)7月27日 〜 1948年(昭和23年)12月23日
陸軍大将 第アジア主義者、中支方面軍司令官、大東亜機関会総裁
罪状 捕虜及び一般人に対する国際法違反(南京事件)  判決 死刑

土肥原 賢二(どいはら けんじ) 1883年(明治16年)8月8日〜1948年(昭和23年)12月23日
陸軍大将 奉天特務機関長、満州事変の際、奉天臨時市長。
罪状 中国侵略の罪  判決 死刑


左から
板垣 征四郎(いたがき せいしろう)1885年(明治18年)1月21日 〜 1948年(昭和23年)12月23日
陸軍大将 関東軍参謀長、陸相、支那派遣軍参謀長、朝鮮軍司令官
罪状 中国侵略、米国の平和に対する罪  判決 死刑

広田 弘毅(ひろた こうき)1878年(明治11年)2月14日 〜 1948年(昭和23年)12月23日
外交官、ソ連大使、近衛内閣外相、第32代内閣総理大臣、外相時、天羽声明や広田三原則を発表
罪状 近衛内閣外相として、南京事件での残虐行為を止めなかった不作為  判決 死刑

木村 兵太郎(きむら へいたろう) 1888年 明治21年 9月28日 〜 昭和23年(1948年)12月23日
陸軍大将 関東軍参謀長、近衛内閣・東條内閣陸軍次官、ビルマ派遣軍司令官
罪状 英国の平和に対する罪  判決 死刑

ここまでが概要ですが、ご存じのように、この裁判には「事後法」という根深い問題が潜んでいました。

まずは、「人は戦争を裁けるのか?」という永遠のテーマのような問題。また、具体的な問題として、この裁判自体が「事後法」なので裁判として成り立たないのではないか?という事。この点に関しては冒頭で日本の弁護人「清瀬弁護人」からの指摘がありました。


次にブレイクニー弁護人(日本側の弁護人)は「真珠湾攻撃におけるキッド提督の死が殺人罪になるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる」として証拠を出そうとしたところ、ウェッブ裁判長の判断で同時通訳が即座に停止され、日本語の速記録には「以下、通訳なし」と記載されたようです。


その背景です。まず第一次世界大戦は違法ではありませんでした(戦争は国家の権利)。その後、1928年に出来た「パリ不戦条約」(日本も調印)では、各国の解釈にばらつきがあったようです。日本は、当該条約調印後も「満州事変」「日中戦争」「太平洋戦争」を起こしています。
1945年ロンドン会議でニュンベルク裁判用として「平和に対する罪(侵略に対する罪)」が提唱され個人の責任も確定しますが、日本の当該各戦争中は、その前の為この罪がなかったことになります。しかし、東京裁判では(同じく終戦を迎えた後に行われたナチスドイツをこの罪で裁いた)「ニュンベルク裁判」を参考にせざる得いないジレンマもあったのかもしれません。特に英連邦や米では。

しかし、日本(他国もあるはず)では、「事後法」という概念があります。これは、当該事象時(戦争中)に成文として存在しない法律を基に罰することが出来ないことのようです。一方、英・米や国際法では、上記の場合でも、「コモン・ロー」(国際慣習法)を前提に刑罰を科することが出来るようです。この違いが根本的に相いれない齟齬を生んだのかも?
結果、各国の判事の考えにも反映され、それが一部の国の判事が出した意見書として表れているのかもしれません。
特にインドのパール(パル)判事は徹底して事後法の矛盾を訴え全員無罪を主張しました。オランダのレーリンク判事も、パール判事の公平性に理解を示し途中から意見を変え、フランスのベルナール判事は一部反対としれこれらの各意見書を提出したようです。↓



◆東京裁判で対象になる罪(A,B,C)
1,平和に対する罪(A級犯罪)
侵略的戦争などの国際法に違反する戦争を計画,準備,開始,実行した行為に対する罪のこと。個人の刑事責任の追及もあります。第二次大戦後に規定され,3の人道に対する罪と合わせて新しい戦争犯罪に追加されました。

2,戦争犯罪(B級犯罪)
通例の戦争犯罪で、国際条約の定める戦闘法規に違反する行為の罪。具体的には降伏者の殺傷、禁止兵器の使用、私人や私船に対する攻撃、捕虜の殺害や虐待、スパイ行為、等です。

3,人道に対する罪(C級犯罪)
一般市民に対して殺害、迫害、拷問などの危害を加えた者に対する犯罪を指します。東京裁判でこの罪を受けたのは士官以下の者に対してがほとんどでした。この罪はホロコースト(ナチスドイツ)に適応されましたが、日本には適応しませんでした。理由は(日本には)特定の民族を絶滅させる意図がなかったためのようです。


◆東京裁判の大まかな流れ

日本の終戦の日に、英・仏・米・ソの4カ国で、国際軍事裁判所条例に調印しました。そこで、平和に対する罪(A)、戦争犯罪(B)、人道に対する罪(C)の罪をそれぞれ規定しました。(1945年8月15日)

マッカーサーが東京裁判の裁判長や判事を決定しました。(1945年2月15日)

A級戦犯28名が起訴されました。(1945年4月29日)

東京裁判が始まりました。(1945年5月3日)

1年後、日本国憲法が施行されました。(1946年5月3日)

昭和天皇を不起訴にするとマッカーサーが決めました(と言われています)。(1948年1月8日)

A級戦犯25人に有罪判決が下されました。(1948年11月11日)

極東国際軍事裁判所が閉鎖しました。(1948年12月9日)

7人の絞首刑が実行されました。(1948年12月23日)
(A級戦犯の遺骨の処理について今まで不明でしたが、2021年に公開された米の公文書から、当時、米軍が太平洋に散骨していたことがわかったようです。散骨の理由は場所を特定すると神格化される恐れがあったから、のようです)

起訴されなかったA級戦犯19名(岸信介元首相も含む)が釈放されました。(1948年12月24日)

画像はありませんが、ある違法実験・研究を行っていた部隊員の多くは、終戦時その詳細な研究資料を隠し持っていたらしいのです。そこで、彼らは戦犯を免れたく、米国が欲しがっていた※その実験・研究の資料を米国に引き渡したともいわれています。結果的に当該部隊の関係者は誰一人として東京裁判の罪には問われなかったようです。
※マッカーサーが厚木に降り立った時に言ったとされるのが「ゼネラル〇〇(部隊長の名前)はどこにいる?」だったそうです。(娘さんの話とのことでした)

ちなみに「溥儀」も東京裁判にかけられ、中国の収容所で囚人番号981を付けた長年の再教育をうけ、最終的には北京の庭師となり生涯を終えました。



日本に関する内容は以上です。


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「際限のない欲」と「気づかない洗脳」(欧州と米大陸)
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禁断の革命「農耕」が定住、疫病、格差、独占、権力者、貨幣、国境、侵略、戦争を。
そして今、世界最大の交易品は武器に※。
しかし、農耕が人口増、長期計画、全生産革命、各種学問、人類の急激な発展に寄与したことは事実。

※ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)調べ

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◆まず、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド人の容姿を想像してみていただけませんでしょうか。
この4国の共通点は、いずれも白人国家であり、さらにいろいろ問題をかかえた5アイズの中の4国でもあります。
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上記の4国に関連して、以下のイラストを引用してみました。このイラストは、「出アフリカ」以降、最終的に落ち着いた人種の分布を表したものです。黄色のモンゴロイド(ケルプ・ハイウェイによる移動)がとても多く、ブルーのオーストラリアロイド、茶色のネグロイドも少なくありません。
ピンクが後に世界の枠組みを覆したコーカソイドで、近年、北・南米両大陸、豪州近隣の先住民を虐殺しコーカソイドメインの国に変えました。結果として今で言うファイブアイズの5国のうち4国(アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの白人国家)はすべて、人種が入れ替わったわってそうなったわけです。
他の大陸でも侵略や虐殺はありましたが、人種が完全に入れ替わってしまったのは、この3大陸(北南米大陸と豪州)だけです。



実は以前、歴史に詳しい僕の友人(モンゴロイド系先住民で、コーカソイドの血も一部に持つブラジル人)に上記に関する質問をしたところ以下のメッセージが届きました。その内容の一部です。
あくまでも彼の意見ですが、落合一泰氏(一橋大学名誉教授)の著書にもほぼ同じようなことが書かれていました。

ちなみに落合氏の話では、この件に関する文献のほとんどが欧州中心で書かれており、被害者である米大陸目線での文献が非常に少ないことが、世界の常識になってしまっている。そのため「レコンキスタ(スペインの国土回復)とコンキスタドール(米大陸の侵略)は無関係」という見解が多く見られる。これは深刻とのことでした。

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「ある時、生まれて初めて見た鼻の高い顔の男達が、宗教を変えろと詰め寄って来た。人が作った神なんて知らない先住民は意味が分からず当然 嫌がった。とたんスゴイ形相で怒り出した そして殺されたものも多くいた。今度は生き残った先住民に対して金銀を掘り出してこいと命令してきた。採掘量が少ないと また怒り出し腕を切り落とされた者もいた。怖くてみんな必死に掘り出し男達に渡した。すると男達は大喜びし 酒を飲み、さらには母親や娘たちを犯し続けた。
昨日まであんなに楽しい生活をしていたのに、いつも震え怯える日ばかりになった。殺されないためにはどうしたらよいか考える日ばかりになった。こんなことが大陸全体で次々に起こり、殺された人達は合計5600万人にもなった。

しばらくすると男達はその土地や豊富な資源は元々自分達のものだったと言い出した。奪った国でそれぞれ家族を作り、我が祖国として強い愛国心を持って代々生活するようになっていった。数万年続いた人種が、ここ数百年ですっかり入れ替わってしまった。

時は過ぎた。今度は太古からあったジャングルを次々に伐採し出した。きっかけは世界最大の鉄鋼山が見付かったから。世界中から目の色を変えて人々が集まってきた。当然、広範囲の伐採により自然の循環は狂い出した。そして大災害が起きた。ついには地球温暖化という大問題が地球全体に降りかかってきた。これは虐殺され続けた先住民の怨念以外のなにものでもない」
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彼としては自分にもコーカソイドの血が一部入っているので複雑だとは言ってました。
僕はこの悲劇を聞いて過去の歴史上の事実として考えていました。しかし勉強不足でした。
実は今だに欧米資本の違法業者による森林伐採、牧場建設、金の採掘(水銀汚染も含め)、放火、レイプ、殺害が続いていることを知りました。毎年長野県分の森林がなくなっており、放火は同時に1500件以上、年間で10万件が行われているようです。それを裁かない国の責任は大きいと彼は訴えていました。

このメッセージを見て僕は映画のことを考えました。映画は、通常、人の心情・事象・歴史等、様々な題材から描くことが多い訳です。そのため、大きな歴史の動きがあった場合には、ほぼそれに関する映画を作ろうとする人々がるわけです。しかし、何故、南米や豪州の先住民族征服の映画が少ないのだろうか。大陸全体の人種がほぼ入れ替わってしまい、今世界中で困っている地球温暖化にも関係があるかもしれないのに。
さらに調べてゆくうちに、この数々の侵略のきっかけは、あの「レコンキスタ」に始まっていると。そして、日本はこのコーカソイドの蛮行を真似て、大陸への侵略を始めてしまい、米欧から睨まれ太平洋戦争へと、、、それが結果的に人類初の原爆投下に繋がっているではないかと、、、それぞれ考えるようになりました。

そこで、出アフリカから現在までの歴史をおおざっぱにまとめてみようと思った次第です。

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アフリカを出た人類は数万年かけて移動し誰も人が住んでいなかった土地に棲みつきました。つまりそこに住む権利「自然権」を持っており、その地で自然に出来上がったルールに従い「自然法」「自然崇拝」を前提に生きていました。彼らには「自由」や「自然」という言葉がなかったのです。理由はどちらも当たり前の環境だったからです。

しかし、近年その土地(南北米大陸)に無関係の訪問者が、ある「欲」を持ってやってきました。それは「際限のない欲」です。訪問者を喜ぶ住民達は自分たちの宝や普段食べられないような食べ物を提供しもてなしました。
ところが訪問者達は侵略者に豹変し、彼らから無理やり土地や資産(とてつもない量の銀等※)を奪い、住民達が知らなかった「人間が作った宗教」へ改宗させようともしました。完全に洗脳された彼らは、改宗しようとしない住民達に対して「国王、教会に背く反逆者」と決めつけ虐殺しました。これは完全な【洗脳】です。
本来の宗教の意義はもっと深い心の中にあり、力づくで改宗させることでないのは明らかです。住民達は自然から湧き出た自分たちの存在を守ろとしただけなのです。国によっては感染症の影響もありほぼ根絶やし状態にまで。なのに後から入ってきた訪問者たちは、生き残った住民を強烈に差別し続けます。

※この銀の欧州への流入量はとんでもない量で、欧州の物価高、領主の経済力低下、国王の富の増大となり、結果的に欧州の絶対王政を迎えることになります。

この大陸にはたいへん高度な文明が各地にありました。例えば、当時世界最大級といわれた都市、この頃すでにあった各所の図書館や知的収蔵庫、土器もすでに容器だけではなく鑑賞用も、他、、。
征服された時、鉄砲や馬を持っていなかった彼らの抵抗はわずかなものだったようです。

実は、当時、侵略者達(スペイン・ポルトガル)は、「トルデシリャス条約」という地球を二国で分かち合おう(新大陸はスペイン、アジアはポルトガル)という条約までも交わしていました。

本来なら我々日本人にも近い顔をしたモンゴロイドが、この広い広い大陸の恩恵を受け暮らしていたはずです。

豪州では突然の訪問者が入植してくると、先住民族であるアボリジニを訪問者の娯楽としての狩猟(スポーツハンティング)の対象として虐殺しました。にもかかわらず、その後、白豪主義(豪州は優秀な白人の国)などと国を挙げた政策さえも打ち出します。

アフリカの人たちは、奴隷という名の商品として当時だけで1500万人以上が売買されました。途中で亡くなった方が多かったので実際の数はその5倍程度という学者の研究もあるようです。
また、コーカソイドが米大陸先住民の腕を切り落としたり殺害したため労働力が足りなくなってしまい、アフリカから奴隷として連れてこられた事実もあります。結果ネグロイドが米国をはじめ世界中に広がったわけです。しかし今でも強烈な差別をネグロイドに対して行う人々がいるのも現実です。

人類数万年の歴史を、ここ数百年でいとも簡単に破壊したコーカソイド、その後、世界の民族意識を大変複雑にしたわけです。少なくとも僕自身はそれら虐殺者を学校で英雄として習ったことは深刻です。英雄をたたえる休日もあり、銅像も実際に見ています。
そして突然の訪問者の子孫の方々は今もその国に住み、祖国として愛国心とプライドを持ち生きているのでしょう。もちろんそのような過去とは露知らず夢を求め移り住んだ方々も多くあることでしょうし、その方々には罪はないわけです。しかし、自身が移民にもかかわらず新しい移民を頑なに受け入れず排除し続けた元大統領がいたことも事実です。

レコンキスタ終焉の影響※ともいわれる大航海時代や大西洋三角貿易における正の遺産、歴史的意義も多少はあるのでしょうか。
※一度イスラムに征服された国土を取り返してゆくうちに、国はどんどん広げられる、さらにこのまま海を越えた先の大陸でさえも自分たちのものに出来ることを知っってしまった。

この動画(2分50秒程度)は、現在のネイティブアメリカンによるコロンブスに対するイメージです(すでに純血は絶滅させられてほぼいないわけですが)。
↑◆お手数ですが、ご覧になりましたら、ブラウザの戻るでこのページへお戻りいただけましたら幸いです。
(同じようなことをした)ヒトラーの休日はないのに、何故コロンブスを祝う休日があるのか?これには驚きました。

コロンブスですらこのイメージですから、コルテス(アステカを滅亡)、アルバラード(マヤ、アステカを滅亡)、ピサロ(インカを滅亡)などのイメージは最悪なのかもしれません。
また、オーストラリアを発見したクックも、逃げまどい射殺・虐殺されてしまったアボリジニにとっては悪魔なのかもしれません。

尚、南米では北の侵略から南に逃げた純血種(Yaghan)が最南端に少数残っていましたが、2022年に最後の一人が亡くなり、ついに純血種はいなくなったとのことでした。(国立科学博物館館長の篠田謙一氏の説明から)

これらの事実を知ったドミニコ会「A・モンテシーノ神父」は1511年12月21 日以下のように糾弾しました。
 「さあ、皆さん、答えなさい、あなた方は一体いかなる権利、いかなる正当性をもって、これらのインディオを、かくもみじめな、かくもおぞましい奴隷の状態で所有しているのかを。さらに、それらの土地であなた方は、前代未聞の殺戮と破壊をおこない、無数の人々を消滅してしまったではないか。一体これらの人々とは人間ではないというのか。」(ラテンアメリカ史学者、大阪大学名誉教授、染田秀藤 1990)

これらの事実に対して正義感ぶり正論を言ったところで今更どうしようもない訳です。ただ、以下に記載しましたが、南米のモンゴロイドや豪州のアボリジニを題材にした映画がとても少ない点が気になっています。そして、5アイズ※の国々の中で元々白人国家だったのはイギリスだけということも。
※イギリス、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアの諜報機関が世界中に張り巡らせたシギント (世界のインターネット、電話他各情報を傍受した諜報・諜報活動) の設備や盗聴情報を、相互利用・共同利用する為に結んだ協定。
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↓■■■■■この時代背景を題材にした映画■■■■■↓
南米や豪州の映画が極端に少ないのは何故でしょうか?
お手数ですが、以下のタイトル以外で「大陸征服に関する映画」がありましたら、ご教示いただけませんでしょうか。
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■北米大陸

●「1492 コロンブス」(原題は「楽園の征服」大陸発見後のコロンブスがメインだが、レコンキスタなどの時代背景も出てくる)

●「コロンブス」(コロンブスが新大陸を発見するまでがメイン)

●「折れた矢」(従来はインディアンを悪、白人を善として扱ってきたが、それをしなかった最初の映画で、実話に基づいている。)

●「ソルジャー・ブルー」(米軍が無抵抗のインディアン村に対して行った無差別虐殺サンドクリークの虐殺の映画化)

●「ブロークン・チェーン」(イギリスとフランスが新大陸を巡り争いと原住民の部族との関係)

●「ジェロニモ」(北米先住民が米騎兵隊に追いつめられ抵抗する実話を、生き残った騎兵隊員の回想で。自分達の土地を追われながらも先住民が見せる真摯な態度。しかし騎兵隊の上層部は平気で約束を破ってしまう)

●「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(米軍人のインディアンとの交流を描いた。白人正統主義の映画と違い白人を批判する内容が含まれた内容のため製作に時間がかかった。しかし自身がインディアンの血を引くケビン・コスナーが実現)

●「小さな巨人」(米軍がインディアン村を突然襲い無抵抗の彼らを無差別および大量に虐殺した。その生き残りジャック・クラブの数奇な半生)

他多数。


■南米大陸

●「ミッション」(先住民グアラニー族へ布教関連を宣教師目線で)

●「アギーレ/神の怒り」(ピサロの指示により伝説の都市エル・ドラドを発見しようとする物語で、一般的に名作らしい。ただ、昔の西部劇のように先住民族を「悪」として表現していることに映画自体の不自然さを感じた)

●「真珠のボタン」(とても美しいドキュメント映像だった。しかし、後半チリの先住民は病原菌により多くが亡くなり、残った人々は先住民狩りという名称で次々に猟銃でハンティングされたことを淡々と語っていた。こういう事実はwikipediaにも載っていない。現在は保護対象になった先住民だが、その後の革命でも殺害され、すでにチリ国内で20人しか残っていないらしい。そして、原住民には「神」という言葉がないらしい。自然崇拝では神を擬人化していないのは知っていたが)


■オーストラリア

●「裸足の1500マイル」(先住民族が大量虐殺されただいぶ後なので、今回のテーマとはズレてます。アボリジニの白人への同化政策「盗まれた世代」にかかわる悲劇)


■黒人奴隷

●「國民の創生」(奴隷制度を白人視点で描いた作品。一部、上映禁止運動も起こったが、結果的には大ヒット)

●「風と共に去りぬ」(奴隷が白人に所有されることに喜びを感じているように描き、奴隷制度の南部を美化したとされ、一時上映中止に)

●「ヤコペッティの残酷大陸」(アフリカから船ですし詰め状態で大量に荷物のように運び込まれる黒人達のリアルさと、その後の状況を克明に)

●「マンディンゴ」(奴隷制度の南部で奴隷売買をビジネスにする一族の栄光と没落の歴史を描く。 マンディゴ族は、ハンサムで頑強な肉体を持ち、黒人奴隷の中で最も高価だったらしい)

●「ドラム」上記の「マンディンゴ」と同じ原作者で姉妹映画。白人と黒人の間に生まれたドラムが主人公で、やはり奴隷商人に売られていく。

●「アミスタッド」(奴隷反乱の史実を忠実に再現。いきなり奴隷にされた人々がアミスタッド号で連れ去られるが、その途中で奴隷たちは反乱を起こす。奴隷たちを助けた米国弁護士や大統領と奴隷との心の交流も)

●「ハリエット」(数百人の奴隷の逃亡を手助けしたハリエット・タブマンの伝記を映画化。彼女の功績は大きかったため、20ドル紙幣の顔として採用されることになっていたところトランプ大統領が就任し反対。しかし、現在バイデン大統領は採用を前提に動いているようです)

●「それでも夜は明ける」(奴隷として12年間の壮絶な奴隷生活をつづった伝記の映画化)

●「アメイジング・グレイス」(牧師の ジョン・ニュートン は元々、奴隷貿易船の船長であり自分の犯した罪の懺悔から”アメイジング・グレイス”を作詞。この歌に刺激受けた政治家 ウィリアム・ウィルバーフォース が奴隷で財を成した数多くの利害関係者を改心させ、最終的に奴隷貿易をなくし奴隷を解放した実話に基づいている)

他多数。

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大きく話は変わりますが、まったく視点をずらすと何が正しいのかよくわからないことがあります。人類が成長するには、多少の問題があっても「もっと、という欲と変化」が重要という人がいます。片や長年培って自然に出来上がった「バランスの取れた状態」がなによりも重要という人もいます。
僕は時々「泥水」を思い浮かべます。泥水はウヨウヨとしたエネルギーを持て余しいつも怒っています。しかし水槽に泥水を入れておくと、エネルギーは収まり出し、いずれ澄んだ水と泥とに分かれ共存するようになります。魚もドジョウも住めるようになります。
そこで、またいつもの堂々巡りが始まります。それは単に水と泥という本来の姿に戻っただけで、そこから何が生まれるのだろうか?でも、そもそもより洗練されたもの、新しいものが生まれることは必須なのだろうか?
例えば洗練されたアイディアや最新の技術を使った映画が次々に生まれています。これは文化の発展のためには必須です。でもなぜ粗削りのドキュメンタリーや創成期の映画を観て、あんなにも心が揺り動かされるのだろうか???難しく答えが出せない状態です。
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■■■世界通史に関する忘備録■■■
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◆600万年前〜6万年前。出アフリカ、グレートジャーニー時代。そして7万年前の認知革命。
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↑こうして自分の意志で世界中に広がったのは人類だけです。また、住む環境により、独特の容姿・言葉・文明・文化になっていたのでしょう。

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約600万年前に人やチンパンジーの共通の先祖が生まれたとされています。

そして、最初の人類祖先は、50万年以上前に現れアジア、ヨーロッパへ、その一部が北京原人やジャワ原人ですが、全て滅びたようです。すでに火は使っていたとも言われています。
20万年(一度、滅びかけたがアフリカの南端でわずかに生き延びた)から4万年前にかけて現生人類に近いネアンデルタール人がヨーロッパやアジアの一部へ。氷河の影響もあり肌の色も白く体も大きく筋肉質で脳も現代人と変わらないほどの大きさ。しかし脳の構造が並列思考だった?らしく、そのため「喉」の形状も発達せず微妙な言語発声能力に乏しかったらしいです。「FOXP2遺伝子(言語に関する遺伝子)」は持っていたようですが、結果的に集団のコミュニケションが苦手で狩りも小集団だけ。集団が小さかったため近親婚が増えそれが原因で病弱となり、小集団の争いが少なかったにもかかわらず3万年ほど前に絶滅したのでは?最近は犬を狩猟に使っていなかったことも要因の一つとも。そして終焉の地はジブラルタル周辺だったとも言われています。しかし、現代のヨーロッパを中心にアジアにもそのDNAはわずかに(デニソワ人の遺伝子も)引き継がれているようで、肌の白さもその一つらしいのです。ネグロイドにはその遺伝がゼロ(戻った種もありゼロではない)とのことで、出アフリカ後に生まれた人種らしいとも言われています。

ここで7万年前の
「認知革命」=「脳で想像したこと、虚構を含め」を他者伝えることができたとき、人類だけの認知が幕を開け、壁画、住居、埋葬、道具などの「創造性」が生まれたといわれています。この革命は後の「農業革命」「科学・産業革命」を合わせて人類の3大革命と言われています。

その影響なのか、約6万年前のアフリカから再度、出発※ → 1万年以上前に最終地点、南アメリカの先端へ到着。

その後のクロマニョン人(ホモ・サピエンスでコーカソイドの祖先)は約4万〜1万年前に棲息。ハインリッヒ・イベント(大規模で急激な温・寒の変化が欧州を中心に起こった)の影響もあり、知恵を働かせ生き抜く必要が脳を発達させた可能性もあります。そのためか、投槍機や弓矢も発明し、埋葬、呪術や宗教的要素、精巧な石器や骨器、洞窟壁画や彫刻等、食以外の文明を残し、犬も大切なパートナーだったとも。
脳自体の大きさはネアンデルタール人と同じか少し小さいくらい、でも、変化に対応した結果なのか小脳が大きくなり、言語の理解と産生、作業記憶、認知の柔軟性が発達した双方向型だったのでは?と言われているようです。その脳の延長が現在の最先端技術なども作り出しているわけです。
とはいっても宗教的要素がすでにあったためか、その宗教により集団を作っていた可能性が高く、宗教の考え方の違いにより集団同士の争いや殺し合いがすでに始まったともいわれています。もちろん本格的な戦争は後述する「農耕」が原因になっていることは明白です。
いずれにしても1万3千年程度前にホモ・サピエンスが唯一の人類になったことは確かなようです。

面白いことにDNAではなく、体内の菌で人類の歴史を調べている学者がおられることを知りました。その研究を前提にした現在の人類の流れは、まず「南アフリカ」「ヨーロッパ」「西と東アフリカ」「北ヨーロッパ」「沖縄」「インド」「北アジア」「北米」「南米」「東アジア」ということになっていました。もちろん日本は東アジアに入ります。つまり沖縄が日本としては非常に古く(約4万年前)菌自体も特殊ということでした。すでに滅亡していて現日本人とは無関係と言われる「港川人」の影響がやはりあるのかもしれません。さらに沖縄の方は胃癌が非常に少なく、他の都道府県と比較すると三分の一と驚くほどの違いがあります。

※6万年前に出アフリカ?とすると日本最古の遺跡、島根県出雲市の「砂原遺跡の11万年前」は、この遺跡の人類は一度滅んしまっているということだろうか?
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◆2〜3万年前。人種の時代。
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↑最初のイラストと同じです。
大きく分けて4つの人種(モンゴロイド、コーカソイド、ネグロイド、オーストラロイド)が数万年前からそれぞれの土地に棲みつきました。しかし、コーカソイドに虐殺・征服されてしまった北・南米大陸、豪州、アフリカの一部を現在の地図にすると、そのすべてはピンク一色になるわけです。

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さて、日本は、既出の島根県出雲市「砂原遺跡」からわかるように11万年前から人(旧石器人)が住んでいたといわれていますが、日本が火山灰の混じる酸性土壌で骨があまり残っていないため根拠がなく想像せざる得ない状態らしいです。しかし、沖縄は土壌が違うため残っています。石垣島の「白保竿根田原洞穴遺跡(旧石器時代の人骨発掘では世界的にも最大級)」からは2.7万年前の全身骨格が発見されています。また、日本国内最古の人骨は(人骨ではなく周辺の炭化物などから測定ですが)沖縄県那覇市山下町第一洞穴で発見された「山下洞人」の3.2万年前のものになります。この人種はハプログループM7aというスンダランド(東南アジアのオーストラリア寄り)からの移住してきたらしいのです。日本列島はユーラシア大陸と陸続きでしたが、この頃から少しずつ離れだします。
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人類は、出アフリカ後、地域の環境によりそれぞれの体系や顔の形状が大きく変わっていったわけですが、勉強してもよくわからないことがたくさんあります。
アフリカで産まれた人類は他の動物と比べ、長距離の移動(発達した脳が獲物を疲れさせて獲る方法を知ったから)が可能になっています。それが出来た理由は、毛皮をなくし汗腺から汗を出すことで体温の上昇を防げられるようになったため。これは他の哺乳類と比較しても格段の移動距離らしく、マラソンができる哺乳類は人間だけらしいです。しかし、毛皮がないと紫外線から守れないため、メラニン色素を沈着させ皮膚の色を濃くしたらしいのです。
ちなみに、運動量と脳の発達には強い関係があるようです。人間と関係の強い猿は、基本的に木の上で生活するため、餌の確保や敵から守るために地上ほどの体力・知能を使いません。つまり体や脳への刺激が少ないようです。しかし、地上に降りた人間は、目の前に餌がなく、自分達で狩りや残り物を漁る行動をせざる得ません。人間は生きるために体力と脳を使わざる得なかったわけです。必然的に脳はどんどん大きくなってゆきます。これを証明するのが、筑波大学や立命館大学の実験で、毎日30分走らせ続けたラットの脳(特に海馬)が大きくなっていったことを証明しています。さらに人間でも実験したところ、特に脳の認知機能の部分が発達したことを証明しています。マイオカイン(特にIGF-I)など30種のホルモンが活発になるようです。あの山中教授は、何をおいても走るようにしているとのことでした。
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人類の顔・体の特徴。


↑弱い日光からビタミンDを合成するために肌の色が薄くなっていった?

↓◆ここからは身体的特徴に触れています。閲覧にはご注意ください◆↓
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次に顔や体の特徴ですが、特にコーカソイドは他の人種とは大きく違う様に思えてなりません。主に非アフリカ系について記載しています。
なぜ白人の皮膚・頭髪の色が極端に薄いのか?
コーカソイドの祖先(もちろんメラニン色素は濃かった)は、後氷河期(15000年前頃)に中東辺りからどんどん北へ移動したらしいのですが、当時の気候は曇天が多く紫外線は弱かったようです。そうなると紫外線から体を保護するメラニン色素の厚い層は不要になります。すると中にはメラニン色素遺伝子の
突然変異によって皮膚色がさらに薄くなった個体が現れ、それは氷河期が長かったスカンジナビア半島(氷河の厚みは数千メートルにも達したほど)では目立たず生き残りに有利となったのでは?という説があります。今でも北欧には肌や髪の色が透き通るほど薄い人が多いようで、僕が思うにはこれが「ゲルマン人」ではないかと。その後、ゲルマン人の大移動でこの容姿の人たちが欧州に広がったんでは?
調べた中には、シロクマのこともあり、シロクマは元々、黒かったらしいのですが、たまたま生まれた白色のクマが氷河の中では目立たず生き残り易く、長い間に黒いクマは死滅していったらしいのです。また、イギリス人の先祖の肌の色は浅黒く体も小さかったようです。元々、イギリスはメキシコ湾海流の影響で、北緯の割には寒さは厳しくなかったのは今も同じ。そこで、想像するに(欧州各地からの移住もありますが)一番はゲルマン人の大移動(イギリスにはアングロ人とサクソン人という北欧系の人達が多く移住)の影響があると思っています。

コーカソイドの中でも特に北欧人の体格が良く筋肉質なのは、クロマニョン人の遺伝でしょうか?では何故クロマニョン人は体格がよかったのか、、、氷河期が非常に長かったため体をわずかに震わせ熱を出し続けた結果たくさんの筋肉が付いたという説。ベルクマンの法則(同じ種でも寒いところほど大きくなる)からという説は関係ある?
目の色が薄いのは、光が乏しい地域だったのでだんだん色がなくなって(コペンハーゲン大学の研究?)いった?彫が深いのは光に弱く光を避けるため?鼻が高くなったのは乾燥した空気を少しでも湿気を持たせ体内に取り込むため?この点はアフリカの乾燥地帯を抜けて中東に移った時点で、すでに彫が深く、鼻が高く変わっていったようです。その為、中東の方々も肌の色、目の色、髪の色こそ違いますが、顔の形状はあまり変わらないように思えます。ラテン系の方々(スペイン、ポルトガル、イタリア、フランスの一部)も中東の方々に多少近いような感じもします。

コーカソイドに巻き毛が多く体毛が濃いのは、白い肌を紫外線や乾燥から頭皮及び皮膚を守るため?モンゴロイドの毛穴は丸いが、コーカソイドの毛穴は楕円形らしく、延びる時に力が均等にならずおのずから巻き毛になるとのことでした?コーカソイドの口が(退化して)凹んで見えるのは、だんだん固いものを「食いちぎる」ことが少なくなったから?歯やそれに伴う口の形状は、割と変化しやすいとのことでした。その為、歯に関しては矯正も可能。

コーカソイドの顔幅が狭いのは、狩猟メインだったため獲物の反撃を受け大切な顔や頭を野獣に攻撃される可能性を回避するため、少しずつ顔や頭の正面の面積を減らす形になっていったとのこと。しかし、容量は変わらないので前後(おでこや特に後頭部)が出て才槌型になっていったらしいのです。そのため、ネグロイドやコーカソイドは後頭部にある視覚機能が発達している。眼鏡が少ないのもそのためだろうか?よく絶壁に影響するという赤ちゃんの時の寝かせ方にも影響があるらしいですがメインの要因ではないと聞きました。

フン族(アジアの遊牧民で北匈奴とも)が大移動した影響かと思いますが、東欧には今でもアジア系の名残が少しあるようです。例えば当該地域の子供には時々「蒙古斑」が見られるようです。特にハンガリー(非スラヴ)を除く東欧には多くのスラヴ人が住んでいますが、彼らの容姿はなんとなく東洋と欧州のハーフのような顔立ちに見えます。堀の深さ鼻の高さ顎の長さ、、それら北欧系の特徴が薄く感じます。ただ、色白、金髪、青い目はそのまま引き継いでいる人種が多いようです。

ある説では、モンゴル系人種の顔に凹凸が少ないのは、湿度のある寒さに対抗するため目に脂肪を蓄え、鼻の凍傷を防ぐため低くなった(欧米人はそこに魅力を感じる人もいると聞きました)と読みました。
また、ネグロイドの鼻幅が広いのは、体温を下げるため?口が出ているのは、固いものを引きちぎったりかじったりするから?だとすると、ととても合理的な形状変化だとも思いました。
また、最近強く思っているのは、コーカソイドはクロマニョン人から強い影響を受け、モンゴロイドはデニソワ人からの影響が強いではないか?ということと。ただ、デニソワ人については現在研究中とのことで、結果を知りたくてたまりません。

どうしてもわからないのが、アボリジニの肌の色はとても濃いですが女性や子供には金髪がみられ(これは白豪主義の影響より以前かららしい)且つ、アボリジニは元々、飲酒文化がなくアルコール耐性が遺伝的に少ないらしいのです。不思議なことが多すぎます。そしてニグロイド以外にはネアンデルタール人の遺伝がわずかながらあるようなのですが、オーストラロイド(アボリジニ)にはデニソワ人の遺伝が強いともいわれています。
この頃、ラスコーなどの壁画も見られ、壁画の近くには文字らしい記号も記載されていました。また、インドネシアでも世界最古(45,500年前)といわれる壁画が見つかっています。
アボリジニにはデニソワ人由来のDNAが4%程残っているようです。モンゴロイドには0.3%程で、コーカソイドにはほぼ0%らしいです。

ちなみに、マヤ文明等が高地なのは、高地は標高が高く暑さをしのげ、火山灰土壌の肥沃な土があるためでもあるが、重要資材の黒曜石はこの高地にしかなかったことが大きいらしい。しかし、高地は酸素が薄いため、腎臓がヘモグロビン(赤血球)を腎臓で増やすことで全身に酸素を届けやすくしているらしい。そのため、彼らの体色は人種的に近い我らモンゴロイドよりも赤くなっているとのことだった。同じくヒマラヤに住む人たちも同じ傾向があるとのことでした。
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身体的特徴はここまで↑
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◆1〜2万年前。言語の確立と民族の時代。
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↑これは、大航海時代「後」の地図です。そのため、以下の本文とは直接関係がありません。しかし、最初のイラストと比較すると見えてくるものがあります。イギリスの赤、スペインの青、ポルトガルの緑という欧州の小さな国が世界の言語にも大きな影響を与え、英語はこの地図に限らず、すでに国際語になりつつあります。

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人類は各地に定住し、それぞれ別の言語を話し出します。結果、集団は民族へ。生きる術は狩りでした。声の高低などの音によるコミュニケーション(音楽の始まり?)だけでなく、心の中の想いを相手に伝えることが出来る(言葉の始まり?)ようになります。(いろいろ読んでも明確な回答が分かりませんでした)コミュニケーションを深めるために文法が出来たのでは? 
世界には大きく分けて5つの(8種)の語族がいるようです。まず、日本語も含まれる「ウラル語族」と「シナ・チベット語族」、コーカソイドの「インド・ヨーロッパ語族」、南北アメリカ大陸の「エスキモー・アレウト語族」と「アメリカ・インディアン語族」、東南アジアやオーストラリアの「南アジア語族・オーストロネシア語族」、アフリカや一部中東の「アフロ・アジア語族」等です。この言語の違いがコミュニケーションの違いになり、結果文化の違いにも影響したのでは?これにより喜怒哀楽を伝えることが出来、それが現在の映画にも繋がっているのかも?
また、言語には地域の特性により言語も変わってくるようです。例えば山の多い地域では多くの言語が生まれ、平地や砂漠地帯では種類が少なく同じような言語が使われているようです。
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・日本は旧石器時代〜縄文時代。
ジャレド・ダイヤモンド博士がいうには、日本語は非常に特異な言語らしいのです。他国の言語の場合、近隣の国々では多くの類似性がみられるらしいのですが、日本の近くの国々(朝鮮・中国)との類似性も認められないとのことでした。
もちろん漢字などの文字は中国から入っていますが、日本人はその漢字に元々日本にあった日本語の読みを無理やり充てたようです。上記でも触れていますが、例えば「いぬ」という動物を表す日本語の音声は元々日本にあったようですが、当時日本には文字はなかったわけです。そこで中国から漢字が入った時に同じ動物を指す「犬(Quǎn=チュエンと聞こえます)」という文字を「いぬ」と読むようにした(訓読み)とのことでした。音読みでは「Quǎn=チュエン」を「ケン」と読んだのでしょう。

ちなみに、アイヌ民族や琉球民族は旧石器人や縄文人の血が強いらしいです。ただ、アイヌにはオホーツク人の系統も混じってるようです。その後、弥生時代(2400年前〜1800年前)に代表されるように大陸から人々が多く訪れ、その混血が我々日本人らしいのです。大陸から来た人々は、特に九州北部や西日本(東日本の一部)の日本海側に多かったとの事。元々、日本には人を殺す武器をあまり持たない旧石器・縄文人が住んでおり、そこに大陸の人々(いわゆる弥生人)が武器を含めた文明や文化を持って移住して来きた。そのため原住民は争いに敗れ、縄文人たちは北(北海道、東北の一部)と南(九州南部から沖縄)に残った、もしくは加わった、という説もあります。と考えると、確かにアイヌの人形、東北のなまはげ、沖縄のシーサー等の造形は共通した縄文の濃い顔の名残があるように思えます。つまり日本の歴史から考えると、旧石器人や縄文人の時代がほとんどを占めていたようにも思えます。尚、一部には米(稲作)が沖縄、北海道では出来なかったこともその(弥生人がそこまで広がらなかった)要因という説もあります。この時代の最後頃に「港川人」(南から上ってきた人種)が現れます。また、日本の局部磨製石器や土器なども世界最古といわれるらしく、その点も特異なところ。たぶん、弥生時代までは他国との交流が少なく独自の文明が育ったのかもしれません。
そして、縄文人は自然の恵みの存在に感謝および継続に祈りを捧げていたのに対して、弥生人以降は、収穫(生産)量に願い祈りをささげ、それが今に続いているという研究結果もあるようです。
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◆1万年前。地球が温暖化、人類が農耕を知った時代、農耕から始まった争いが武器の開発、今の戦争(含:貨幣、侵略)に繋がることに。
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↑誰が一番最初に農耕を始めたのだろう?

現在↓


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・日本は縄文時代。
日本にはまだ狩猟生活もあり獲った獲物を分け合う生活も。今でも未開の地では、そのように獲物を分け合って生活しています。理由は獲物は生もので保存できず貯蔵する財産になり得ないため、盗難など争いの元も少なかったのかもしれません。ひょっとするとこれが殺し合いをなくす究極の方法なのかも、、とも思いました。超非現実的です。
その後、広葉樹も増えてゆき、森での生活はドングリや栗などを採集し(あくが強いため)土器(縄文)を作りあく抜きをしたようです。食料が安定してくると人口も増えていったと思われます。
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・食糧の「採集」が開始された地域は、現在の中東辺りで、この地域にはすでに野生の大麦や小麦が生育していたようで麦類を採集ました。また、野生でも比較的おとなしい動物を家畜として飼いならした生活が始まり、その後の感染症に繋がっています。麦類の「栽培」も、その後から始まっているようです。
この時期から人類は農耕を知り定住型の村が出現。そうなると穀物生産の効率を上げるための言語的能力貯めた穀物などの財産を管理するための数学的能力が発達するきっかけになったと思われます。しかし、負の遺産として、定住地に敵が襲ってきても逃げられず開拓した土地、保存している穀物(財産)を守るためには戦うしかないという点があります。それら集落同士の争いが、現在の戦争に繋がっていることは明白です。
視点を変えると、農耕を始めた多くの民族は発展したが大量虐殺を、しかし、農耕を始めなかったわずかな民族は発展こそしなかったがそこまでの大量虐殺もしなかった。
尚、ユーラシア大陸が大きく発展した理由は、収穫しやすい1年草の植物が自生していたことと、おとなしく大型の家畜になりやすい哺乳類が多く生息していたからともいわれています。
さらに、ユーラシア大陸は横に長いため似たような気候が陸続きになっており、情報や物流の伝播が他の大陸に比べて早かった、そのため文明文化がお互いに影響しあい、他の大陸よりも早く発展していったのかと思っています。
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◆7000年〜3000年前。文字の発明。ユーラシア文明と都市国家の時代。一神教の始まりが今の世界を大きく変える。
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エジプト アメンホテプ(アメンヘテプ or アクエンアテン)4世が、最初に一神教を始めたと言われています。モーセにも影響を。詳しくは文中を。

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・日本は、まだ縄文時代、ちなみに日本の三内丸山遺跡は約5000年前のもの。日本には文字がなかったため後世にその文明が残されていないのが残念です。しかし、文字がなかった原因は、他人を信じる(あうんの呼吸の)人種という説があります。
他の国で文字が早く出来た背景は、財産(穀物や家畜)の目録や契約書が始まりだったらしいです。たぶん他民族の流入が多かったため、信じないことを前提に何か形を残す必要に迫られ文字が必要になったのかもしれません。
ちなみにこの頃、「鬼界カルデラの大噴火(約7300年程前)」により、九州の縄文人がほぼ壊滅したとも言われています。
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4つの大文明が生まれています。(黄河文明、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明)。
世界最初の文字はメソポタミアの「原くさび形文字」と言われており、「ヒエログリフ※」から広がったようです。そのきっかけは経済活動らしく、人が増えてくるとどうしても情報の管理が必要になるための手段として。
※この「ヒエログリフ」が「フェニキア文字」に変わり、後の「ギリシャ文字」「ラテン文字(ローマ字・アルファベット)」「アラビア文字」へと変化していったようです。中国由来の漢字以外の文字は全て「フェニキア文字」がベースになっているようです。

最初は「表意文字(文字自体に意味がある、例:漢字)」でしたが、表意文字だとどんどん文字数が増えて行ってしまい作成が大変。そこで生まれたのが「表音文字(文字には意味がなくても組み合わせでどんな意味にもなれる、例:アルファベット)」。その利便性からどんどん増えて、現在の世界人口の8割近くが表音文字になっています。逆に表意文字は漢字(元は甲骨文字から)だけが残り、中国、台湾、日本だけでほぼ使われています。しかし日本は表音文字のひらがなも一緒に使っている特異な民族らしいです。
いずれにしても、この文字が出来てから、それまで脳の記憶だけに頼ってきた情報が、整理記録され後世に残せるようになったことは、非常に大きな価値があるでしょう。半面、使えるのが一部の権力者だけの特権でもあったようです。
ちなみに文字の概念は「縦・横など線状に繋がり、モノの数だけ記号を書かない」らしいです。

また、宗教も「ヒンドゥー教」に関しては、キリスト教やイスラム教のような、特定の開祖によって開かれたものではなく、インダス文明の時代からインド及びその周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ時代に従って変化したものと考えられています。詳細は分かっておらずヒンドゥー教がいつ始まったかについてはいろいろな見解があるようです。
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・中国文明は、黄河や長江などの流域を中心に発展した人類最古の文明とされています。実在が確認されている中国最古の王朝は、夏王朝で、この王朝は伝説上の存在であるとされていましたが、最近、実在していたとのことでした。その後の、殷王朝では、甲骨文字(漢字の大元)が使用されていたようです。
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・中東周辺1、「メソポタミア文明」は、この文明を発展させたティグリス川とユーフラテス川は、大洪水を引き起こしやすい川、そのため旧約聖書に登場する伝説「ノアの方舟」(痕跡といわれるものが発見されたのが現在のアルメニアあたりなので少し北側)の話にも影響を与えたとされています。人類最初の「文字(楔形で最古)」もここで生まれ他の文字にも影響を与え「天文学・数学」の概念も生まれました。古代バビロニアの「ハンムラビ法典」は、国を平和に治めるための法律だったようです。1時間が60分、円が360度などもこの頃。約5000年ほど前「シュメール人」が都市国家を築きますが、そこにアッカド人が入り込みバビロニア帝国を建設します。するとその後の世界を大きく変える「鉄の製法※」を生み出した民族ヒッタイト人が現れ今に続いています。メソポタミアはヒッタイト人に征服され、ヒッタイトとエジプトは世界最古の条約(和平条約)を締結します。「ゾロアスター教」が確立し、「アブ・シンベル神殿」の完成、サウルによる「イスラエル王国を建国」もこの頃です。車輪が発明されたのもこの頃です。

最古の法典は「ウル=ナンム法典」で、ハンムラビ法典の「目には目を、、」は単なる復讐ではないようで、イスラム法の「同害報復」にもつながっているかもしれません。

※鉄の製法はその後の世界を大きく変え、現在も続いています。しかし元々ヒッタイト門外不出の製法だったらしいのです。それが前1200年頃の「カタストロフ(地中海東部を席巻した大規模な社会変動)」により他国に伝わると一気に世界中に広まったよです。

・中東周辺2、「エジプト文明」は、文字や美術、建築、衣食住などの高度な文明です。「1日を24時間、1年を365日」とする太陽暦の概念も確定し、エジプトの文字も絵や図から作られた「象形文字」、日本と同じ多神教であらゆるものを神としていました。古代エジプト王国が誕生し、「ギザの大ピラミッド(クフ王)」が建設されます。

エジプトの「アメンホテプ(アメンテへプ)4世」が、一神教を最初に始めたと言われています。(唯一神教ではなく拝一神教、もしくは単一神教ともいわれています)。それは、「アマルナ革命」につながりますが、古い多神教の神々を否定することになり、さらに宮廷の一部だけにとどまり広がることなく立ち消えてしまったようです。しかし、これがモーセの十戒にも影響を与え、その後出てくる一神教(ユダヤ教→キリスト教→イスラム教)が全世界を変えました。例としては「古代から現在までの数々の宗教戦争や紛争」「権力争い」「イスラム教のイベリア半島支配→レコンキスタ→大航海時代→コーカソイドによる米大陸征服→日本の十五年戦争のきっかけにも関連」「独裁者による大量虐殺にも悪用され」「結果的に地球規模の覇権争い」、、、等。このベースには「謝ったら負け」という考えが(「一神教が戦争を起こす理由(関野通夫著)」 にはありました。
「モーセの出エジプト」ユダヤ最初の迫害から逃れる、海が割れ※この後シナイ山にて「十戒」を授かり、ユダヤ教へ。??が多い内容ですが、後のキリスト教、イスラム教に影響を与えていることは確かです。
この辺の背景は、心理学者フロイトの「モーセと一神教」にも書かれていました。
※この事象がサントリーニ島の大噴火による津波ではないかとする研究者もいます。
ラムセス2世が、ヒッタイトのハットゥシリ3世と世界初の平和条約であるエジプト・ヒッタイト平和条約を締結したり、古代エジプトの岩窟神殿であるアブ・シンベル神殿を建設したのはこの頃の後半。

・中東周辺3、インダス文明は、インダス川の中・下流域で発展し、「モヘンジョダロの遺跡」からは排水溝・倉庫・道路・大浴場などの跡が発見されています。「インダス文字」は、いまだ解読されておらず謎に包まれた古代文明といえるでしょう。やはり水害で滅んでしまったようです。
フルリ人を統一、アッシリアを支配下に、さらにメソポタミア北部も支配したミタンニ王国もこの頃の最後に。
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・米大陸は、パレオ・インディアンから始まり、狩猟採集民が半農社会に。この時期の後期に「オルメカ文明」(メキシコのアメリカ大陸初の文明で絵文字を使った)が生まれた頃です。
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・欧州は、この終盤から(中東に大分遅れて)「エーゲ海文明」が始まった頃です。
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◆3000年〜2300年前。ユーラシアの各帝国が「人類思想」を生み出した時代。古代オリンピック。アレクサンドロス大王がヘレニズム文化(文明)を。
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ダビデ王(キング・スペードのモデル)
アレクサンドロス大王(キング・クラブのモデル)

 
↑パルテノン神殿が出来たのもこの頃。        ↑世界最古のコイン「リディア(エレクトラム硬貨)」

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・日本は、まだ縄文時代。
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・中国は、「春秋時代」に多くの学者・宗教家が現れました。これが日本・東アジアにも大きな影響を与えました。インドでは「釈迦の仏教」がアショーカ王の影響もありアジア各地に広まります。最初の万里の長城はこの頃です。
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・米大陸は、「テオティワカン文明」(メキシコに栄えた文明でピラミッドを作った)が始まった頃。
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・中東は、エジプト、ヒッタイト後期から「アケメネス朝ペルシア」の頃。
西アジアのイランではゾロアスター教を国教として帝国を建設します。世界初の大帝国アッシリアが生まれますが、重税などの反乱で滅亡。パレスチナではヘブライ人により「ユダヤ教」が生まれます。このユダヤ教は後の「キリスト教」「イスラム教」などへも。「十戒」の最初の一文「主が唯一の神であること」により「一神教」として後の世界を変えるほ影響を与えることになります。この部分については「ユダヤおよびユダヤ教」についてをご覧ください。
2代目のイスラエル王「ダビデ」の頃(トランプ・キングのスペード)。ダビデ王は、エルサレムをヤハウェ信仰の中心地とし、イスラエルとユダを領域国家として統治、「古代イスラエル史上最大の帝国」といわれるほどに繁栄させました。後に同じベツレヘムでキリストが生まれています。資料が少なく架空の?と言われていましたが、1993年に実在が裏付けられました。アッシリアがオリエントを統一する(初の世界帝国)のもこの頃です。「ユダヤ人」は新バビロニアのバビロンへ強制移住されてユダ王国が滅亡します。ペルシアがエジプトを征服しオリエントを統一するのもこの頃です。
この頃、世界最古のコイン「リディア(エレクトラム硬貨)」がアナトリア(小アジア)で生まれています。
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・欧州は、ギリシャ・ローマ文明の頃。
「古代オリンピック」が始まったのもこの頃で、「古代ローマ」が建国され、250年程後に、「共和制ローマ」になります。「パルテノン神殿」が出来たのもこの頃です。
マケドニア国王だった「アレクサンドロス大王」(トランプ・キングのクラブ)、小アジアからインドに近い中東、さらにはエジプトまでの広範囲に征服し多数の都市(歴史に残っているだけでも70以上のアレキサンドリアがある)を建設しました。領土を拡大しても逆らわなかった人民を虐げず伝統文化を否定しなかたため、東西交通・経済、文化融合に寄与、東西の境を解体し「ヘレニズム文化」(東西交流の文化で日本の天平文化にも影響)を創造した功績は大きかったと思います。アレクサンドロス大王が死去し、マケドニア王国はアンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアの3つに分裂します。
その頃ギリシア神話や、特に人類の揺るがない法則「哲学(ソクラテス、プラトン)・科学(アリストテレス)」が生まれ、やはりアレクサンドロス大王により各方面に広められます。ちなみにユーラシアとはヨーロッパとアジアつまり「EuroとAsia」を合わせた英語です。シルクロードもこの後期から始まり18世紀まで続きます。
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◆2300年〜1900年前。日本最初の四大変革期の最初(倭人のDNAが変わる)。欧州は共和制ローマ帝国カエサルの時代
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日本人のDNA 

↑多くの文化・文明の他に「武器」も持ってきた弥生人。


兵馬俑(秦始皇帝陵)

 
カエサル(シーザーとも。キング・ダイヤのモデル)

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・日本は、大陸から多くの他民族が各種文明を(武器も含め)携え流入し、弥生時代に入ると文字が入ってきます。米や穀物生産が本格的になり「貯蔵」「分業」がはじまり「財産」や「階級」という概念が出来上がったのかと。その頃から金属製品(農具や武器)や財産を守るための境界線(土塁や塀)が出現してきました。すると数百年のうちにいきなり日本では殺戮が始まっていますが、他国よりははるかに遅いです。それは縄文時代にはなかった人を殺傷する為の武器の出土や殺傷された人骨の出土が弥生時代以降、急激に増えていることが裏付けになっています。数万年間、日本にあまりなかった「殺戮」が弥生時代に入った数百年で突然、増え出しています。縄文人たちは弥生人を怖がり山に逃げ込み、平地人は弥生系、山人は縄文系という時代が続いたのかも?もちろんそれらが混ざることもあったでしょう。この時代を指して「日本の原住民(縄文人)は、大陸からの人類に侵略された」という欧米の研究者もいるようです。また、日本書紀にある「国譲り」についても大陸から侵略してきた新人類に対して国を譲ること、とも記載していました。
この時期が「日本最初の大変革期(倭人のDNAが大きく変わる)」です。この平地人をメインにした争いがその後、武家社会(平氏、源氏)、戦国時代、明治維新、日清、日露、太平洋戦争へとつながってゆくのでは?
では、そもそも縄文人はどこから来たのか?DNA的にはチベット人の血が強いようです。また、南琉球では沖縄と違い東南アジア系が強いようです。もちろんそれそれが混じっています。また、日本は日本と言われるようになってからずーっと日本であることは特筆です。他多くの国々では他民族の流入、王朝の征服等いろいろな理由で次々に国名が変わっています。
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・中国は、秦の始皇帝が大帝国を作り文字と度量衡を統一、中国全土を統治しましたが、長く続かずその後、「漢(400年も続く)の時代」へ。紙が中国で発明されたのもこの頃です。匈奴(のちのフン族とも)と呼ばれた遊牧民族がモンゴル高原を中心とした中央ユーラシア東部に一大勢力を築いたのもこの頃。
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・米大陸は、テオティワカン文明。
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・中東は、セレウスコス朝シリア、アルサケス朝パルティア、プトレマイオス朝エジプト、ユダ王国、アクムス王国、一部共和制ローマ帝国の頃。「エジプト」が共和制ローマの属州になるのもこの頃です。中東東部からインド北部にかけては「クシャーナ朝」。「ガンダーラ王国」は紀元前6世紀から11世紀に存続したが、この(仏教を信奉した)クシャーナ朝のもとで最盛期を迎えます。
「マヌ法典」前2世紀から後2世紀までに成立したヒンドゥー教の法典です。ちなみに「マヌ」とはインド人が考える人間の始祖のこと。
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・欧州は、共和制ローマの将軍カエサル(シーザーとも、トランプ・キングのダイヤ)の頃。最初の三頭政治を成立させた後、ガリア(現在のフランスを含む周辺地域)征服を成し遂げます。ローマの元老院が裏切りを図ったためルビコン川を渡り「賽は投げられた」とローマに進軍勝利。その後エジプトに渡りクレオパトラと結婚。ローマに戻り終身独裁官に。しかし「フルータスお前もか」を残して暗殺されました。ちなみにお金に肖像を最初に入れたのはカエサルのようです。また、「ガリア戦記」はカエサルがカエサルを主人公にして書いた小説のようなドキュメンタリーのような不思議な表現方法をとっているようです。また、世界史の学者の中ではカエサルが世界史上、一番のキングだとう方が多いようで、特に本村凌二氏などは強く推していました。
ローマ帝国が西ユーラシアを席巻、地中海貿易で大儲けし、共和制・元老院制から帝政へと。しかし貧富の差が激しく内紛は絶えなかったようです。
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■以下の紀元後については、西暦表記とし、ここも勉強した項目と、おおまかな概要のみ記載いたします。


◆0年。キリスト誕生とキリスト教の時代。
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詳しくは、本編の「ユダヤ関連」で触れています。

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ローマ帝国配下の属州時代の「エルサレム」に、あの「マリア」がおり、大天使ガブリエルから受胎を告知?されます。その子が「イエス」(キリスト=救世主)。ユダヤ教徒であったイエスが後に新しい考え方(ユダヤ教徒でなくても神を信じる者は救われる、大切なのは愛。つまりユダヤ批判とも思われる)をしたため犯罪者とされ、死刑の権限がないユダヤ教指導者からローマ帝国に渡されエルサレムで磔処刑されてしまいます。
しかし、その考え方は弟子たちにより各地に広められ「キリスト教(現在世界の信者数33%とも)」になってゆきました。その後、ローマ皇帝(暴君)ネロによりキリスト教が激しく弾圧されましたが、信じる人達の強い想いを止められず、4世紀にはキリスト教がローマ帝国の国教に、それをきっかけにヨーロッパ全土にキリスト教が広がっていったようです。しかし「ユダヤ教徒」はイエス殺しの罪深き民と決めつけられてしまい、また迫害。これが3回目?のユダヤ人迫害でした。
「ミラノ勅令」でキリスト教がローマ帝国で公認の30年前、世界最初に公認したのが「アルメニア」でした。
ご存じの通り、イエスはユダヤ教徒としてユダヤ教に異を唱えただけで、新たな宗教を作ろうとは考えていなかったようです。イエスの死後、イエスの教えを弟子(使徒)たちが布教してゆきキリスト教として広まったようです。しかし、この辺の話は僕にはよくわかりません。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



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◆0年〜500年。日本が大変革を迎える少し前。遊牧民(フン族)がきっかけでゲルマン人の大移動、そしてヨーロッパの原型が。
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・日本は、「倭国」で「卑弥呼」「古墳時代」の頃。この頃やっと日本にも文字が入ってきます。集落は、周囲を堀と柵で囲った環濠集落(吉野ヶ里遺跡)へと進化し、次は、狼煙(のろし)台が軍事目的として高地に出現します。この頃、倭(後の日本)には100以上の小国が存在していたとのことで、倭国大乱(倭の小国どうしの内戦)の結果、卑弥呼が女王になり邪馬台国(場所不明)に都を置くことになります。親魏倭王(しんぎわおう)の称号と金印を授かるのもこの頃です。その後、ヤマト王権(大和朝廷)が国内を統一すると、古墳が多く作られるようになります。
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・中国は、「前漢」「後漢」「赤壁の戦い」「三国時代」「晋」「五湖十六国時代」「隋」の時代。光武帝が後漢王朝を建てます。「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」などは光武帝の言葉です。
中国ではこの頃すでに「宇宙」という概念を持っていたようです。当時の文献「淮南子斉俗訓」には、「往古来今謂之【宙】、天地四方上下謂之【宇】」。(和訳「往古来今、これ【宙】という。天地四方上下、これ【宇】という)と書かれています。つまり「往古来今=時間」「天地四方上下=空間」ということです。当時すでに「時間と空間」の概念があったことに驚いています。
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・米大陸は、「マヤ文明」。「ナスカ文明のナスカの地上絵」もこの頃で、今でも新しいものが見つかっています。
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・中東は、ローマ帝国一色で、ローマ帝国の首都が「コンスタンティノープル」になるのもこの頃です。その後、ローマ帝国は東西に分裂(東ローマ帝国/西ローマ帝国)することになります。東ローマ帝国は、「ササン朝ペルシア」と争い続けます。また「バルディア王国」も。少し離れますが、インドでは「グプタ朝」。また、この頃「ゼロ」を発見し、その後の数学が大きく発展します。
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・欧州も、ローマ帝国一色。「イエスの処刑」「ヴェスヴィオ火山噴火でポンペイ埋没」「フン族の侵入によりゲルマン時の大移動」「ローマ帝国が東西に分裂」「西ローマ帝国の滅亡」と「ヨーロッパの原型」が出来ます。ボスポロス王国(今のクリミアの辺り)もこの頃。
フン族の侵入によりモンゴロイドとコーカソイドの混血が増えた結果、東ヨーロッパを中心にスラヴ人のような人種が増えた可能性も否定できないのでは?その理由として、スラヴ人や東ヨーロッパで生まれる赤ちゃんには現在でも蒙古斑が見られることがあるらしい。スカンジナビアの原住民サミー人等にもみられるらしいです。「ペテロ」が初代ローマ教皇と言われているようです。
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◆500年〜800年 日本の四大変革期の二度目(倭国から日本へ)。豪華なビザンツ、イスラーム、カール大帝登場の時代。
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カール大帝(キング・ハートのモデル) 

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・日本は、「仏教伝来」「蘇我馬子が物部守屋を滅ぼし」「飛鳥、奈良時代」「遣唐使」「大化の改新」「大宝律令」「倭国から日本へ」と大きく変わってゆき、この時期が「日本の四大変革の二度目」かと思われます。その後、「古事記」「日本書紀」「平安京へ遷都」へと。
■上記以外を年代順に記載します。
「冠位十二階を制定」「憲法十七条を制定(和の精神、天皇へ服従、官吏の心得)」「奈良に法隆寺」「小野妹子を隋(中国)に遣隋使」、藤原不比等の娘が文武天皇の后になり、「藤原時代の先駆け」に、「和同開珎(日本最初の通貨)」、各地に「国分寺」、「奈良の大仏」が出来るなども要点かもしれません。
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・中国は、「隋」「唐」「律令の完成」「シルクロードのはじまり」「海上交易の発展」「チベット仏教(後のモンゴルに影響)」
唐に対して軍事的優位を持って、河西、隴右地区を含めシルクロードの大部分を支配した「吐蕃」がチベットに広がったのもこの頃。
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・米大陸は、「マヤ文明」(今のグァテマラ・ベリーズ辺り)が始まったころ。マヤ文字や階段ピラミッドを造営。後にスペイン人に征服されてしまいます。
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・中東は、「ビザンツ帝国(ローマ帝国の後継者、豪華なビザンツ文化)」「ローマ法大全」「イスラム教の誕生(後に世界人口の3割を)」「イスラム教=スンニ派(9割を占める・コーラン中心・イラン以外)とシーア派(血族・イマーム・イランと一部のイラク)」「イスラーム帝国(インダスからイベリアまでの広範囲、カリフの並立で分裂)」 短期間で終わったウマイヤ朝(イスラム史上最初の世襲イスラム王朝)が大きく国土を広げる頃でもあります。ヴァンダル王国、アクスム王国(どちらもアフリカ北)もこの頃。
ちなみに、イスラム教には厳しい戒律があるようですが、その理由は、食物や水が少ない砂漠地帯で生まれた宗教という研究があるようです。
・豚を食べない=豚は人間とおなじ穀物を主食として、ミルクも出さず、労働力にもならない。牛は人間が食べない草をたべ、ミルクを出し、労働力にもなる。 ・女性が肌を出さない=男性を刺激して家族以外の子供を増やさない。 ・一夫多妻=ジハード(聖戦)により男性が死亡、残された女性の生活を守るため。 ・それらを行動で示す=戒律違反は厳しい罰則がある。教えを信じる人ではなく守って実行する人が救われる。(あくまでもそのような研究があるというスタンスですので、実際に僕にはよくわかりません)
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・欧州は、「西ゴート王国」「ゲルマン系のフランク王国(後のフランス、ドイツ、イタリアの一部)」 「ピピンの寄進(この時からローマ教皇領の起源が)」から「カール大帝(ピピン3世の長男)(トランプ・キングのハート)」へ、カール大帝はゲルマン人のため読み書きは苦手だったが、フランク王国の領土拡大に始まり、西ヨーロッパほぼ全域を征服。そして、ローマ帝国皇帝の戴冠し(ローマ帝国の後継者となり)ヨーロッパの基礎の基礎を作りました。当時ヨーロッパ最強とも。その後はオットー 一世。マジャール人はこの頃ウラル山脈近くで遊牧民として暮らしていましたが、後にハンガリー平野に移動し、現在のハンガリー人の祖となります。
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◆800年〜1200年の少し前 平の将門の乱、物々交換の貧しいヨーロッパ、世界の富の7割が世界の中心ビザンツ近隣に。
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ソリドゥス金貨(裕福なビザンツ、商業のはじまり)、その後のドル、ポンド、ルーブル、リラ等になってゆきます。

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・日本は、平安時代。仏教が広がり、「藤原氏」全盛。
「平将門の乱(この一族から
「平氏」が出て後の源平時代へ※)」で国内が揺れる。清盛は将門の叔父の仍孫。
この鎮圧には「平将門の乱」に平貞盛が率いる「平氏」、「藤原純友の乱」に源経基が率いる「源氏」の力を借りたことで日本の世に「源平二氏」が進出するきっかけになります。

宇多天皇が勢力拡大の為、桓武天皇の曾孫の高望王に「平姓」を与え、その孫が平将門(桓武平氏)。そして「平治の乱」(源義朝は平清盛に討たれ、その子、源頼朝は伊豆に流刑)この頃に「平清盛(日本最初の武家政権も)」を礎とする平氏一族が台頭しますが、しばらくして「源平合戦」が始まり、壇ノ浦の戦いで源氏が勝利し平氏は滅亡します。

■上記以外を年代順に記載します。
「万葉仮名」が増え「文学」が盛んに。「最澄が天台宗、空海が真言宗」、「竹取物語(日本最古の物語)」、「古今和歌集」、「土佐日記」、「蜻蛉日記」、「枕草子(日本最古の随筆)」、「源氏物語(世界最古の恋愛小説)」、「藤原道真(娘を天皇の后にし権力の頂点に)」、「平清盛が武士で初の太政大臣へ」「頼朝が鎌倉を本拠地へ」、「頼朝が義経と対面」、など。
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・中国は、このころから大きな内乱が続き「唐」が滅亡し「宋」が中国を統一。「陶磁器・青磁器」がさかんに輸出され、日本でも「宋銭」が多く発掘されます。ウィグル(モンゴル)、少し南下しドヴァーラヴァティー王国(現在のタイ付近)もこの頃。カラハン朝(イスラム系)もこの頃。アンコール朝も。
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・米大陸は、「アステカ文明」(メキシコの中央部)がこの時代の終わり頃に始まり、ピラミッドや象形文字、「太陽暦」などを使用します。
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・中東は、ビザンツ(東ローマ帝国)が世界の中心と呼ばれ、世界中から人や富が集まり大繁栄。ここで生まれた各種制度が世界の基準を作ってゆきます。ビザンツの貨幣単位には「ソリドゥス」「リブラ」があり、ソリドゥスの「Sに縦棒」を引いてドルマークに、リブラがルーブルやリラに。「Lに横棒」を引いてポンドになってゆきます。この頃中東近辺で世界中の富の7割を占めるまでに発展。「千夜一夜物語」「知恵の館」もこの頃。ノルマン人とも交流してゆきます。
ちょうど「アッバース朝」の頃ともかぶります。アッバース朝では、すべてのムスリムに平等な権利を認め、東西交易、農業灌漑の発展によって大繁栄、首都バグダードは当時の世界最大の都市としてイスラム黄金時代を築きました。その後、「セルジューク朝」となり、その拡大と小アジア(現在のトルコ)への進出とはビザンチン帝国を脅かし,十字軍遠征の起因となったようです。
そして、セルジューク朝から独立し急速に台頭したのが「ホラズム・シャー国」中央アジアから西アジアに及ぶ強国を建設し、当時、東方イスラーム世界の最強国になりましたが、チンギス=ハンに征服されます。
ムラービト朝(北アフリカからスペインでレコンキスタとも戦う)もこの頃。また、ファティーマ朝(アフリカ北やエジプト辺り)、カズナ朝(アフガニスタン辺り)もこの頃。
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・欧州は、封建社会です。フランク王国の分裂(後の仏・独・伊へ)。オットー 一世が「神聖ローマ帝国」でヨーロッパの基礎を作ります。「聖像崇拝禁止令」をきっかけに、キリスト教がローマカトリック(だいぶ後にここからプロテスタントが)とギリシャ正教会に分かれます。「レコンキスタ」(イベリア半島の国土回復運動でイスラム排除、15世紀後半まで続きます)が始まります。「カノッサの屈辱」(叙任権闘争が原因で、結果教皇の力強まる)、この頃の終盤の「第一回十字軍」にも繋がり、エルサレム王国の建国へ向かいます。意外ですが庶民には物々交換が多くあったようです。この頃ノルマン朝のイングランド王国が建国します。ノルマン人(ヴァイキング)が海上から移動・流入してくるのもこの頃です。スペインの後ウマイヤ朝もこの頃。また、キエフ公国(キエフ大公国、キエフルーシとも、ロシア南部の国でこの時期の終盤モンゴル族に滅ぼされました)もこの頃。アラゴン王国(スペイン南部、イタリア)もこの頃から(1700年頃まで)。カスティリャ王国(レコンキスタの中心)もこの頃。
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◆1200年の少し前〜1300年過ぎ 日本は武家(源氏)政権。史上最大「モンゴル帝国」と「十字軍」の時代。
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十字軍

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・日本は、平氏が滅亡し、源頼朝が「鎌倉幕府」を成立させ天皇と武士の力関係が逆転(その後、北条2代目の「承久の乱」で完全逆転)します。ただ、源氏は長く続かず、北条時政が鎌倉幕府の「執権」(鎌倉殿を助け政務を統轄)となり、執権職を北条氏が世襲独占、将軍職は公家や皇族を京から迎え名目だけの地位に、北条氏の実権は17代(正式には16代)まで、後醍醐天皇の命により新田義貞が滅亡させるまで続きます。(先に足利尊氏が六波羅探題を先に潰していますのできっかけは足利氏) いずれにしても、頼朝から始まった武家政権は、徳川慶喜の大政奉還まで続くことになります。
ちなみに、「源氏(清和源氏)」は、武家棟梁の家柄のため、「姓である源」を名乗っています。しかし、室町幕府の足利氏を筆頭に、新田氏、武田氏、佐竹氏、山名氏、細川氏、畠山氏、木曽氏、今川氏、土岐氏、小田氏(実は清和源氏)、、、なども、清和源氏の子孫とされていますが、姓である「源」は公文書だけで名乗り、通常は「名字の足利や新田」を名乗っていました。
■上記以外の事象を年代順に記載します。
「奥州合戦で奥州藤原氏、源義経が滅亡」、「頼朝が征夷大将軍に」、「北条政子の二人の子供が鎌倉2代3代の将軍に」、「北条時政(政子の父)が鎌倉幕府の執権となり執権政治がはじまる」、「北条政子が尼将軍に」、「承久の乱(政子の激もあり、義時や鎌倉勢が上皇に朝敵となり反逆、後鳥羽上皇島流し)」、「京都に六波羅探題(京都の動きを監視)を設置」、「御成敗式目(初めての武家法、江戸時代まで続く)」、「元の襲来(嵐の影響もあり撤退)」等。
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・中国は、北方遊牧民「女真」が「宋」の北部を奪い「金王朝」を、残りは「南宋」に。その後が「モンゴル帝国」。「チンギス・ハン(ハンは大族長)」がモンゴルを統一しモンゴル帝国の礎が始まります。宋の時代に生まれた三大発明「火薬」「羅針盤」「印刷術」などが西へと伝わり、東西交流の結びつきを強め、ヨーロッパが抱いた東アジアへの憧れが後の「大航海時代」の原動力になってゆく時代です。モンゴル帝国は最終的にユーラシア大陸のほぼ全域を支配し、「人類史上最大の帝国」を築きます。モンゴル帝国が、ヨーロッパとアジアとの関係を緊密にし、「世界史はモンゴル帝国から始まった」という学者もいるようです。しかし、彼らの支配は投降した国を虐殺することはせず、支配自体も割と緩やかで、ある意味、遊牧民らしい広がりだったようです。また、最大のハンはクビライであるという学者が多いようです。
「タタール※のくびき」
としてロシアがモンゴル帝国に支配され始めるのもこの頃です。キプチャク=ハン国(モンゴル)もこの頃。※タタールとは日本では韃靼(ダッタン)とも。
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・米大陸は、「クスコ王国」から「インカ帝国」(アンデス山脈にあり、アンデス文明の最後の文明)最盛期にはエクアドルからチリまでの大帝国。太陽神を信仰し君主制。巨石文化や黄金細工、織物などの高い文化があったが文字はなかったようです。
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・中東は、サラディン(クルド系)がアイユーブ朝(エジプト/シリア/イエメン)を建国。モンゴル帝国(イルハン朝)の影響を受けながら、オスマン帝国(トルコ系)がぎりぎり成立する頃です。エジプトではマムルーク朝というイスラム政権ができ、1500年過ぎまで続きます。イル(二)ハン朝もこの頃。
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・欧州は、人口の9割以上の農民が、まだ物々交換も行っていましたが、生産力が上がり余った農産物を販売しようと商業が生まれると少しずつ土地を多く要望することになります。
その頃のエルサレムは聖地となっていました。ユダヤ教の「嘆きの壁」、キリスト教の「聖墳墓教会」、イスラム教の「岩のドーム」があったためです。それぞれ平和に共存していましたが、エルサレムがイスラム勢力に占領されビザンツへも攻められ、その助けをローマ教皇に依頼します。そこでローマ教皇は「聖地奪還」を呼びかけ「十字軍」が結成されます。十字軍はだんだん「聖地奪回」という目的を忘れ土地や財を求めだす人がいながらも「エルサレム王国」を建国します。その過程ではコンスタンティノープルを占領したり、多くの悪事を働き、財宝を奪取し、イスラムやユダヤ教徒のたくさんの命を奪い、200年にわたり合計7回の十字軍遠征が行われることになります。貧しい欧州の軍にとっては、豊かな中東の生活を垣間見、目からうろこの状態で浮足立っていたかもしれないと個人的には思っています。
結局、十字軍でローマ教皇は信頼をなくし権威を失い、各地の領主たちは戦費がかさみ没落します。しかし、十字軍の物資輸送を担当したイタリアの海港は、莫大な富を築き、内陸部に交易路が広がり、各地に「遠隔地貿易」を行う商業都市が誕生しました。イギリスでは法制度「マグナ・カルタ」が。この時期の終わりごろに「モスクワ大公国」が始まり、1600年頃のロマノフ朝まで続きます。
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◆1300年過ぎ〜1550年頃 戦国時代の切っ掛け。ペスト、百年戦争、ルネサンス、宗教改革も。欧州はユーラシアの後進地区だった。しかし、レコンキスタの終焉が大航海時代を招き世界を席巻。海に境界線が。
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・日本は、この時から「南北朝時代」に入ります。そもそも南北朝動乱の原因は、鎌倉時代に正統の「87代四条天皇」が若くして亡くなったため、近い系統から「88代後嵯峨天皇」が即位することになります。(ちなみに四条天皇と後嵯峨天皇の祖父同士は兄弟で、その兄が壇ノ浦で入水した本筋の安徳天皇です)そのため、88代後嵯峨天皇の子供の代から、兄が89代深草天皇(北朝の祖)、弟が90代亀山天皇(南朝の祖)にと交互に天皇になるという曖昧な形になってしまいました。(両者の勢力争いがあり面倒になった鎌倉幕府が、なら交互にやれ、ということで始まったようです)。
その後、96代の後醍醐天皇(南朝)が即位すると、後醍醐天皇は新田義貞らを使い鎌倉幕府を滅亡させてしまいました(足利尊氏がその前に六波羅探題を潰していますが)。ここから南北朝が始まります。後醍醐天皇は「建武の新政」で政治の実権を握りましたが、尊氏と揉め結局3年で崩壊してしまいます。その後、南朝(新田など)北朝(足利など)の争いで足利尊氏が勝ち、尊氏は征夷大将軍になり「室町幕府」は始まります。金閣寺を作った3代目の足利義満の時に50年程続いた南北朝は統一されます。ちょうど100代目の後小松天皇の時です。
時は過ぎて、「応仁の乱※」(京都全土が破壊的被害)が、山名宗全(新田の子孫)と細川勝元(足利の子孫)の対立から将軍後継者争いなども絡み約10年の間、争い続けることになります。(足利氏と新田氏の先祖は兄弟同士)た。その結果、幕府の権力は12代の頃には完全に失墜してしまいます。
※応仁の乱の原因は、足利8代義政の時に、斯波氏と畠山氏の対立から始まり、その後、将軍派と大名派の派閥争いに発展、後に日野富子も関連した「文正の政変」で将軍の力が弱体化します。すると力をつけた大名派内で、もともと仲間だった山名宗全と細川勝元の勢力争いに発展し、上御霊神社で戦いは始まってしまいます。山名(西軍)と細川(東軍)に分かれた戦いは各地からの援軍もあり約10年間も続き、歴史ある京都は焼け野原になってしまいました。
しばらくして「北条早雲(後北条の祖)」が伊豆の後、小田原城を奪取し、続いて「斎藤道三」が美濃を支配し時代は戦国の世へと向かいます。織田信長が生まれた頃でもあります。
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・中国は、「元」から「明」の時代。相変わらず「モンゴル帝国」の影響は大きい時代です。チャガタイ・ハン国もこの頃。オイラト(モンゴル民族の有力部族)もこの頃。
タイ方面では「アユタヤ朝」が出来1750年頃まで続きます。
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・米大陸は、引き続き「インカ帝国」「マチュピチュ」もこの頃ですが、欧州発、大航海時代の被害にあい始める頃です。
その後、北アメリカ大陸、メキシコ、カリブ海付近は「ヌエバ・エスパーニャ副王領」となり、(1519年から1821年まで)スペイン帝国の副王領として支配されます。
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・中東は、「ビザンツ帝国」から「オスマン帝国」へ変わる時代です。オスマン帝国 vs ヨーロッパ連合の戦いでオスマン帝国が勝利し、コンスタンティノープルが陥落、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、オスマン帝国が滅亡させます。コンスタンティノープルはイスタンブルに改名します。
インドはスルタン王朝(5つの王朝)で、奴隷王朝、ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝(デリー=スルタン朝)。これらの王朝はロディー朝がアフガン系であるが他はトルコ系でした。インドのイスラーム化が進み、次のムガル帝国の出現を迎えることとなります。ティムール王朝もこの頃。
インド南部では、ヴィジャヤナガル王国(ヒンドゥー王朝)が始まり(1336年 - 1649年)ます。
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・欧州は、ペスト(黒死病)、ペスト菌を媒介するクマネズミ(欧州にはいなかった)は、十字軍が西アジアから持ってきてヨーロッパ全土に広がったという説があるようです。治療があまりにも原始的(体から血を抜くなど)だったことも死者数を増やした原因だともいわれています。この時、他民族よりペストの被害が少なかったユダヤ人は「ペストの原因はユダヤ人だ、ユダヤ人が井戸に毒を入れた」と非難され酷い迫害を受けることに。この時にもユダヤ人の大虐殺があったようです(これが5回目?のユダヤ人迫害)ユダヤ人の被害が少なかったのは彼らが清潔だったからともいわれています。つまり後のポグロムもこの頃から始まっていたようです。このペストや寒冷期および、その前の数々の帝国からの攻撃の影響で欧州はユーラシア大陸の後進地区になってしまいます。

ついに「レコンキスタ」により土地は広げられると知った欧州人(特にスペイン、ポルトガル人)は、レコンキスタ終焉後も新しい土地を外部に求める動きが活発になります。ポルトガルはアフリカ大陸南端の喜望峰をまわってインドに到る航路を開拓、香辛料貿易を独占します。また、コロンブスのアメリカ大陸に到着(最後までインディアスだと信じていました)、一行は、発見した土地を勝手にスペイン領であると宣言し先住民(モンゴロイド系)を弾圧・虐殺してしまいました。その後、多くのスペイン人もアメリカ大陸に進出してゆき、アステカ、マヤ、インカなどアメリカ大陸独自の高度な文明は歴史から抹殺されてゆきました。(アステカは天然痘も)この頃から海に境界線が出来てきます。

イギリスとフランスの間では「百年戦争」が、フランス王国の王位継承とイングランド王家がフランスに持つ領土をめぐった争い。終盤には「ジャンヌ・ダルク」が救世主として現れ快進撃をつづけるもパリの解放に失敗し火刑されてしまいます。

「ルネサンス」もこの頃です。ルネサンス以前の絵画はキリスト教を題材にした宗教画が中心でしたが、14世紀なるとルネサンスで一転、神話などの古典を題材にしたり写実的な「人間とは」という描写へと変化していきます。原因はペストにより人の命の儚さを身近に感じたこともあるようです。
ルネサンスの後期「宗教改革」が始まります。それまで、ローマ教会の思想が支配していましたが、十字軍の遠征に失敗ローマ教皇の権威を失墜。また、サン・ピエトロ大聖堂を建築するための莫大な資金をまかなうため、「免罪符」を大々的に販売していた背景もあるようです。「マルティン・ルター」は、そんな教皇に異議をとなえ、信仰を教皇ではなく聖書に求めました。するとルターへの支持が普及し、「グーテンベルクの活版印刷」も功を奏し聖書は爆発的に広がります。こうしてカトリック教会に反抗して生まれたのが「プロテスタント」です。
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◆1550年〜1600年  戦国時代。大航海時代スペインがインカの銀で、ポルトガルが奴隷で富を。立憲王政・絶対王政の時代。
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・日本は、北条早雲が小田原城を、斎藤道三が美濃を奪い戦国時代の幕開け。「信長・秀吉の時代」となります。ザビエルが布教で来日するのもこの頃。
■この時代の事象を年代順に記載します。
「川中島の戦い」、「織田信長が尾張を統一」、「信長時代のはじまり」、「桶狭間の戦い」、「足利義昭の上洛で信長が畿内を平定」、「姉川の戦い」、「石山合戦」、「比叡山延暦寺の焼き討ち」、「三方ヶ原の戦い」、「武田信玄が病死」、「足利義昭が追放され室町幕府が崩壊」、「一乗谷城の戦い」、「小谷城の戦い」、「長篠の戦い」、「安土城を築城」、「楽市楽座」、「上杉謙信が病死」、「この頃から信長は天下統一を目指し、中国地方は羽柴秀吉、山陰地方は明智光秀、北陸は柴田勝家、関東は滝川一益、さらに四国討伐計画(これが信長殺害の要因という人も)と勢力拡大へ」、そして「本能寺の変」。 
ここからが「秀吉の時代」、「山崎の戦い」、「清洲会議」、「太閤検地」、「賤ヶ岳の戦い」、「石山本願寺の跡に大阪城を築城」、「小牧・長久手の戦い(和睦)」、「四国平定」、「羽柴秀吉が関白・太政大臣になり豊臣性へ」、「聚楽第完成」、「バテレン追放令」、「刀狩令」、「全国を統一」、「朝鮮出兵」、「秀吉が病死」「関ヶ原の戦い」で、戦国時代が終焉を迎えます。
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・中国は、明の終盤、後金、清の始まりの頃。
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・米大陸、「アステカ文明」は、スペイン人により突然、征服され滅亡しました。「マヤ文明」は、スペイン人に対して頑強に抵抗しましたが征服され、スペインに併合されました。「インカ帝国」は、スペイン人が、わずかな部下を率いて進撃し、インカ帝国の後継者を殺害され滅亡しました。その間、とてつもない量の銀を奪いスペインを豊かにさせ、免疫のない病気を持ち込み多くの被害者も出しました。スペインは南米侵略以降、暴虐の限りを尽くし、先住民を虐殺すか、病死させるか、奴隷にした結果、純血はすでに絶滅してしまったとのことです。現在は混血の子孫が残っているようです。それぞれの高度な文明は一瞬のうちに滅亡してしまいました。ちなみにアメリカ大陸のアメリカとは「アメリゴ・ヴェスプッチ」というイタリアの冒険家からとったものらしいです。
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・中東は、オスマン帝国一色ですが、インド寄りでは「ムガル帝国」(ムガルとはモンゴル人という意味)が勢力を伸ばします。モンゴルが語源になっていてもムスリム寄りの帝国ですが、非ムスリムも役人に取り立て人頭税も廃止するなど緩やかな支配でした。また、第5代皇帝によって建てられた「タージ・マハル」は「インドの至宝」とも呼ばれインド・イスラーム文化の代表的建築です。サファヴィー朝もこの頃で、ペルシアを支配したイスラーム王朝で1700年過ぎまで続きます。
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・欧州は、スペインがインカの銀で、ポルトガルは奴隷でぞれぞれ富を築きます。南米にはスペイン、ポルトガル人が増えてゆきます。スペインはフェリペ二世が、イギリスではエリザベス一世が立憲王政、フランスではルイ14世が絶対王政で統治します。スペインの無敵艦隊を駆逐したイギリスが海賊ドレークを利用し体当たりで追い上げ、その後オランダも締め出し、その後の三角貿易で弱小国だったイギリスは海洋大国に生まれ変わります。またフランスも続きます。フランスは欧州で勢力を拡大し欧州の中心国に。イギリスは海外貿易、海外市場に進出をして、アジアやアメリカなどでフランスと植民地の争奪戦を繰り広げることになります。イギリス国教会もこのころ。
元はスイスの一地方領主だったハプスブルク家が、カエサルの末裔ということで、「神聖ローマ帝国の皇帝」を世襲し、政略結婚によりヨーロッパ各国の王家にもなり栄華を極めます。最後の宗教戦争と言われた「三十年戦争」(カトリックとプロテスタントの争い)」でドイツは荒廃します。
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◆1600年〜1840年過ぎ 安定した徳川政権。アメリカの始まり独立とフランス革命(王政から市民へ、近代民主主義)、三角貿易(黒人が米大陸へ)、産業革命(農から工へ)。欧州発の革命で世界中が大きく変わる。
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・日本は、関ヶ原の戦いで戦国時代に終わりが見え、「徳川」一色の時代となり1603年〜1868年まで続き、その後、日本が大きく変わってゆく前の安定段階です。
■この時代の事象を年代順に記載します。
「徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開く」、「キリスト禁教令」、「大坂冬の陣」、「大坂夏の陣(豊臣滅亡)」、「家康が死去」、「第一次鎖国令〜第五次鎖国令」(その間に「参勤交代」「島原の乱」)、「鎖国体制の完成」、「明暦の大火」、「宝永大噴火(富士山が噴火)」、「全国的に寺子屋が広まる」、「享保の改革」、「参勤交代の廃止」、「享保の大飢饉」、「加賀騒動」、「全国的に藩校が広まる」、「田沼時代」、「杉田玄白(解体新書)」、「平賀源内(エレキテル)」、「天明の大飢饉」、「寛政の改革」、「ロシアのラクスマン、レザノフが通商を要求(幕府拒否)」、「間宮林蔵(間宮海峡を発見)」、「伊能忠敬(大日本沿海輿地全図)」、「異国船打払令(中国とオランダ船以外)」、「天保の大飢饉」、「大塩平八郎の乱」、 「緒方洪庵(適塾)」、「天保の改革」、「人返しの法」、「イギリス・フランス・オランダ・アメリカ船が来航して通商などを要求(幕府拒否)」、「阿部正弘が老中筆頭に」。
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・中国は、「後金」から「清」一色の時代。
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・中東は、「オスマン帝国」一色。インド寄りでは「ムガル帝国」でしたが、インドをイギリス政府が直接統治しだすと、ムガル帝国最後の皇帝バハードゥル=シャー2世は捕らえビルマに流刑、これでムガル帝国は滅亡します。
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・米国(ここから米国に変更)、まず「アメリカの始まり」は、コロンブスがアメリカ大陸を発見し、その後、イギリス、フランス、スペイン、オランダ、スウェーデンが次々にアメリカ各地を植民地化してゆき、イギリスのピューリタン(清教徒)が「メイフラワー」でアメリカに移住して本格的になってゆきます。しかし、現地人のインディアンと白人入植者との戦い、北米でのヨーロッパ諸国による覇権争いが始まります。それらは、インディアン戦争、第二次〜第四次インディアン戦争、第三次植民地間戦争、他多数、フレンチ・インディアン戦争と続きます。
ついには、イギリス対フランス・スペイン連合による北米での覇権争いで、イギリスが勝利しパリ条約でイギリスが覇権を握ることに。ところが、「ボストン茶会事件」(他にも砂糖法、印紙法、タウンゼンド諸法等)をきっかけにアメリカ独立戦争に発展し、フランスの支援を受け(パリ条約でイギリスは独立を認め)コモン・センスの影響もあり「アメリカは独立宣言」(人民主権、連邦制、三権分立を柱)をしました。その後もイギリスからの割譲、フランス・スペインから買収、メキシコからの割譲および買収でどんどん国土は広がってゆきます。ちなみに「カリフォルニア州、アリゾナ州、コロラド州、ニューメキシコ州、ワイオミング州」などは元メキシコ。
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・欧州は、全世界を大きく変える大革命が続きます。
まず「フランス革命」、王政やブルジョア社会に不満を持った民衆(三権分立や人民主権の啓蒙思想、小麦の不作、アメリカへの支援負担増やアメリカの独立などが影響)が「バスティーユ監獄」になだれ込み(武器を取るため)始まります。「自由、平等、民主主義の革命」は長期にわたりフランスを大きくゆすがし、ロベスピエール(下層階級ジャコバン派)の「恐怖政治」でルイ16世と妻のマリー・アントワネット、数多くの貴族・聖職者が殺害されました。
ちなみに今よく使われる「右翼」「左翼」という言葉はフランス革命から生まれたともいわれています。議会の席で、今の国王体制を守ろうという保守派の議員が議長から向かって右側に、逆に今の国王体制を打破しようとする議員は左側にそれぞれ座っていたから。その後、それらの考え方を「右翼」「左翼」と呼ぶようになったとのことでした。

その後ナポレオンが登場しヴァンデミエールの反乱で大胆な砲術で鎮圧、そこから展開が大きく変わってきます。この革命が、各国の市民革命、イギリスの産業革命にも影響を与えることになります。その後も、フランスは19世紀中盤の7月革命、2月革命を経て混沌を極め近代国家を作ってゆきます。これらの革命は世界の近代国家を作るきっかけになった大変重要な歴史だと思っています。
世界最初の「株式会社」もこの頃オランダの東インド会社で出来ています。生身の「人」ではなく「法人」という有限責任の概念を作り出しました。また、世界最初の近代銀行は、スウェーデンのストックホルムにこの頃できています。つまり今までのように価値のある金属ではなく、単なる紙に信用を印刷し「紙幣」として信用の証(お金の情報)を流通。

「ナポレオン」は、フランス革命に参画しますが、「ロベスピエール」の残虐さに距離を置き始めると民衆の支持も得てナポレオンが急浮上。イタリア征服(エジプトも一部)の時には、多くの領土、多額の税や戦利品を得、帰国時にはフランスでは大歓迎、一気に英雄へと。この中には大変貴重な美術品も多く、それらが現在のルーブル美術館の元になっています。その後、第一統領選で断トツのトップ当選(300万票 対 1500票の大差)、最終的には皇帝にまでなってしまいます。しかし、彼は王政を否定してフランス革命に加わったにも関わらず、王を超えた皇帝(男性中心、奴隷復活のナポレオン法典も)になり、自分の一族を周辺国の国王にしヨーロッパを支配、これでは矛盾しているという人もいます。事実ベートーベンはナポレオンをたたえる曲「ボナパルト」を作曲しましたが、完成後ナポレオンが皇帝になったため怒り、タイトルをナポレオンとの関係をなくし単なる「英雄」に変えたという逸話もあるようです。
その後も快進撃が続きますが、ロシアの冬将軍に惨敗し皇帝を退位、エルバ島へ。(ロシアの冬将軍に負けたのは後のヒトラーも同じでした)ナポレオンがいなくなったフランスでは再度ルイ18世の王政が復古してしまいますが、早速、財政難に、そこでまたナポレオンが呼び戻されます。ところが今度は他国に勝てず100日天下となりセントヘレナ島へ流されそこで生涯を終えました。

その後、「ウィーン体制(各国の主権と領土をフランス革命以前の状態に戻すべき)」で、革命により権力を失っていた国王や貴族が、再び権力を握ることになったのですが、ウィーン体制にも不満が湧き出し1830年の7月革命(民衆を導く自由の女神の絵が有名)が崩壊の切っ掛けになります。
前項の「三角貿易」大西洋を挟み3地域(欧州、アフリカ、米大陸)で行われた貿易。アフリカから黒人奴隷をアメリカ新大陸・西インド諸島に運び、そこから欧州にタバコや綿花、砂糖などを運びました。イギリスはこの三角貿易で得た富を資本として産業革命を推進する財源としました。アメリカ大陸での労働力の不足が、西アフリカを中心とした「奴隷貿易」につながっています。欧州諸国は西アフリカの国々で捕虜になった人々を奴隷として買い求めました。3世紀にわたったこの貿易で、1000万人を超えるアフリカの方々が連れ去られたといいます。17世紀、ヨーロッパからアフリカへは、布製品や、武器が輸出されていました。その積み荷を降ろすと船には、荷物以外にも奴隷たちがたくさん乗せられていました。奴隷たちは大農園で、砂糖、タバコ、綿花などを安く生産するため、働かされることになるのです。そして生産された商品は、欧州各国に運ばれます。欧州諸国はこの貿易で、大きな利益を得ました。ちなみに、これが世界中に黒人の方々が広がる最初のきっかけでもあります。

そして、「産業革命」イギリスはインドから綿花を輸入し国内で綿織物を生産しようとします。安価に仕上げるには効率を上げる必要があります。その要望を満たすように手動の紡績機械が発明されますが、さらに効率を上げるため発明されたのが「蒸気機関」、これが産業革命の核になってゆきます。その後、スティーブンソンにより「蒸気機関車」が開発され600人を乗せて移動できました。人だけではなく「石炭」「鉄鉱石」も1回で多く運ぶことが出来るようになります。イギリスには海外との貿易で蓄えた資金があり、その資金でリバプール港で仕入れ、近くのマンチェスターで製品にしてどんどん販売し、さらに資金が潤沢になってゆきました。人口も一気に増えてゆきましたが、同時に公害や労働条件の悪さ(女性や子供を長時間安価に雇う)ことも問題になりました。しかし、ロンドンには大銀行も出来、人の流入が大都市に集中してゆき、国の形態が大きく変わってゆき「時間で働く」という概念が生まれ今に続いています。ビック・ベンの時計はその象徴で、時が「農」中心の太陽から、「工」中心の時間に変わったわけです。この頃イギリスは「世界の工場」と呼ばれ、世界中どの国でもこのような変革は起っていませんでした。

また、ロシアが大きく国土を広げる時代で、イワン雷帝がカザン(ボルガ川付近)からシベリア西部まで、ピョートル大帝は太平洋のカムチャッカ半島と千島列島も獲得し、サンクトペテルブルグに首都を置きました。その後、ロシアはシベリア、ウクライナ西部、リトアニア、ポーランド、タタール、クリミアを自国に組み込み、グルジア、アゼルバイジャン、中央アジアの広大な地域もロシア帝国の一部となりました。さらに、ナポレオンの進軍も冬将軍で寄せ付けずロシアの強さを見せつけました。しかし、クリミア戦争ではイギリス、フランス、トルコの連合軍に負け、ロシアの南下政策の肝であった黒海周辺での力の低下となりました。このクリミア戦争で逃げ出したウクライナ人達が後のコサックになってゆきます。ロマノフ朝もこの頃。
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◆1840年〜1900年 日本の四大変革期の三度目(日本の近代化)。ビスマルクが変えた日本。帝国主義の列強が世界を四分割(極東、アジア、アフリカ、北アメリカ)、アメリカの発展。
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・日本は、江戸時代後期から明治維新、新しい日本が出来上がってゆく時代。
「アメリカ使節のペリーが浦賀に来航」「日米和親条約・日米修好通商条約調印」「安政の大獄」そして「桜田門外の変」を境に幕府の力が弱まり「大政奉還」「王政復古」と続きます。この時代が「日本の四大変革の三度目」です。
その後、日本人は日本の未来を変える人物に出会います。それが鉄血宰相と呼ばれた「ビスマルク」(当時はプロイセン首相)です。出来たばかりの明治新政府は、欧米諸国へ岩倉使節団を派遣します。一行はビスマルクと会見し、「国際関係の基本は、ルールよりも弱肉強食の論理(力で勝ち取れ)」だと説かれ、大久保利通はじめ一行は、ビスマルクを「大先生」と呼んで影響を受け早速、模倣します。その後、日本は初めての本格的な対海外戦争(日清・日露)をはじめ、十五年戦争、太平洋戦争に大きな影響を与えた「統帥権の独立」もドイツ発のものです。この年代の最後に「日清戦争」が勃発します。この日清戦争で勝ち、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲や賠償金2億テール(当時の日本の国家予算が8000万円の時代に約3億1000万円)などを得ました。このことが次の戦争(日露)へ安易に進んでしまった要因という方もおられます。

■この時代の事象を年代順に記載します。だいぶ割愛しましたが多くの日本を変えた事象が続きます。
ペリー黒船で浦賀に来航開国を要求(幕府の返答は翌年とする)」、「日米和親条約(鎖国廃止)」、「日英和親条約」、「日露和親条約」、「安政江戸地震(藤田東湖圧死)」、「日蘭和親条約」、「ハリスが下田着任」、「吉田松陰が松下村塾」、「井伊直弼が大老に」、「日米修好通商条約(井伊直弼は勅許を得ずに調印)」、「引き続きオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも修交通商条約を調印」、「戊午の密勅(孝明天皇が水戸藩に勅諚し、安政の大獄のきっかけ)」、「安政の大獄」、「勝海舟・福沢諭吉が咸臨丸で渡米」、「桜田門外の変(井伊直弼が暗殺)」と「公武合体」により「尊王攘夷運動が全国に広まる」、「薩英戦争」、「八月十八日の政変」、「天狗党の乱」、「禁門の変」、「第一次長州征討」、「薩長同盟」、「第二次長州征伐」、「全国的に一揆・打ちこわしが多発」、「徳川慶喜が15代目将軍に」、「明治天皇が即位」、「大政奉還」、「王政復古の大号令」、「天皇主体の明治政府が誕生」、「戊辰戦争始まる」、「鳥羽・伏見の戦い」、「五箇条の御誓文」、「江戸城無血開城」、「会津戦争」、「上野戦争」、「江戸を東京と改称」、「五稜郭の戦い」、「戊辰戦争(明治政府が勝利して終結)」、「東京〜横浜間で電信が開通」、「首都を東京とする」、「版籍奉還」、「四民平等」、「蝦夷を北海道と改称」、「郵便制度が開始」、「貨幣単位を円・銭・厘の十進法にする」「廃藩置県」、「日清修好条規」、「散髪脱刀令」、「田畑の自由作付」、「岩倉使節団・欧米使節団(ビスマルクの影響大、統帥権が日本に)」「学制-義務教育」、「新橋〜横浜間で鉄道が開業」、「沖縄を琉球藩とする」、「富岡製糸場が開業」、「横浜でガス燈が点灯」、「太陽暦を導入」、「国立銀行条例」、「徴兵令」、「キリスト教が解禁」、「地租改正」、「明治六年政変」、「板垣退助らが自由民権運動が開始」、「警視庁が設立」、「台湾出兵」、「屯田兵」、「平民苗字必称義務令」、「(日露)樺太・千島交換条約」、「廃刀令」、「西南戦争」、「東京大学が設立」、「第一回内国勧業博覧会が開催」、「東京で電灯が点灯」、「大久保利通が暗殺」、「東京株式取引所が開業」、「郡制・府県会規則」、「琉球藩が沖縄県」、「明治十四年の政変」、「板垣退助が自由党を結成」、「板垣退助が襲撃される」、「日本銀行が開業」、「加波山事件」、「初代総理大臣に伊藤博文(閣僚は薩長土肥)」、「北海道庁を設置」、「枢密院の設置」、「大日本帝国憲法」、「国号が大日本帝国に」、「衆議院議員選挙法」、「皇室典範」、「初めての万歳三唱」、「東海道線が全線開通」、「府県制・郡制」、「第一回衆議院議員総選挙」、「教育勅語」、「第一回帝国議会」、「小学校の祝祭日の唱歌(君が代)を選定」、「日英通商航海条約(日本の国際的地位が飛躍的に向上)」、「李氏朝鮮で親日政権が誕生する」、「日清戦争」、「下関条約」、「三国干渉」、「貨幣法」、「労働組合期成会」、「政党内閣の誕生(第1次大隈内閣)」、「東京〜大阪間の長距離電話が開通」など。
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・中国は、アヘン戦争、日本の台湾への出兵、日清戦争(清が日本に敗れ東アジアの国際秩序が大きく揺れます)、義和団の乱(盧溝橋事件にもつながります)の頃です。
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・中東は、クリミア戦争 (ナイチンゲールによる看護で有名。ロシア vs フランス・イギリス・オスマン帝国の争いでロシアが敗北します。オスマン帝国、タンジマート諸改革で近代化。しかし、うまくはゆかずオスマン債務管理局を作るまでになります。産業革命などで豊かになり形勢が逆転した欧州からは「瀕死の病人」と揶揄されるまでに。その後のオスマン帝国滅亡に向かい進む時代でした。この頃、イギリスが次々と中東各国を保護国にしてゆきます。カージャール朝が勢力を広げる頃でもあります。
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・米国は、西部開拓も盛んになってゆきます。また、「アメリカン・ドリーム※」アメリカは勤勉と努力によって均等に成功の機会を与えるという独立宣言書に記された「幸福追求の権利」にて邁進し始めるころです。アメリカの北部は商工業中心、南部は奴隷を使用した農業が盛んとなります。
※アメリカンドリーム=リンカーン(大統領)、ロックフェラー(石油王)、モルガン(銀行王)、カーネギー(鉄鋼王)、フォード(自動車王)、ハリマン(鉄道王)、ピューリツァー(新聞王)など多数。
さらにいくつかのキーワードがあります。モンロー主義 (欧州の紛争には一切、干渉しない)、ゴールドラッシュ(米西部に金採掘者が殺到)、南北戦争(黒人奴隷を利用した自由貿易主張の南部と、保護貿易を主張の北部との対立で北部が勝利)、奴隷解放宣言(奴隷解放令、しかしこれによる直接の解放はゼロ)」、エジソンが数々の発明、第二次産業革命(自動車、電話、電車、蓄音機、白熱電球、映画、飛行機、飛行船、ラジオ、発電機、他多数)、米大陸横断鉄道の完成、自由の女神像が完成(合衆国の独立100周年を記念し、独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈)。スペインからフロリダ半島を購入、アラスカをロシアから買収、対スペイン戦でハワイ・フィリピンを併合します。ちなみに、南北戦争で使われなくなった多くの銃が日本に輸入され戊辰戦争で使われることになります。
この頃、南米では「シモン・ボリバル」が、スペイン系でありながら、南米大陸のアンデス5ヵ国を大航海時代にスペインに征服されてから初めて独立に導いた。その後、自身の財産を投げうって生涯をラテンアメリカの人々の解放と統一に捧げたため、ラテンアメリカでは「解放者」と呼ばれている。
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・欧州は、神聖ローマ帝国の滅亡から始まります。欧米列強が権益を分け合いアジア・アフリカが分割されてゆくのもこの頃です。イギリスのインド直接統治も始まり、さらに世界の航路で得た利益もありイギリスはどんどん豊かになってゆきます。
その頃、ドイツ連邦の中心国プロイセンの首相に「ビスマルク」が就任し「現在の大問題は、言論や多数決によってではなく、鉄と血によってのみ解決される」と強烈なリーダシップを発揮します。ビスマルクはドイツ統一を成功させ、ついにはにイギリスの工業生産を追い抜くまでになります。これに後の日本は大きな影響を受け、日清、日露、十五年戦争と進んでゆきます。大久保利通はビスマルクを「大先生」と呼び崇め真似していったことは事実のようです。
その頃ロシアでは不凍港を求めて南下政策を。イギリスのスチブンソンが蒸気機関車を発明。マルクス・エンゲルスの共産党宣言。イギリス・フランス・トルコがロシアと戦うクリミア戦争。イギリスのダーウィンが「種の起源」を著し、それまでの宗教ベース(アダムとイブ起源説)が覆され、人類・生物も環境で変化していったことが証明されますが、今でもこれは論争になているほどの根深さがあります。スエズ運河が開通し航路が大きく短縮されます。ドイツ帝国もこの頃成立し、ベルギーも独立します。そして、ノーベルが「ダイナマイト」を発明しその後の戦争にそれは大きな影響を与えることになってゆきます。ロンドンに地下鉄ができるのもこの頃です。
イギリスがオーストラリアを、まずは流人の大陸として、その後、統治するのもこの頃です。
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◆1900年〜1945年 日露戦争は欧米が入り混じった第ゼロ次世界大戦とも。日本四大改革期の最後(A)日本は十五年戦争で大陸に大きな影響を。世界は第一次世界大戦、安易に始めた戦争が世界大戦へ、戦争の世紀始まりの時代。
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・日本は、「日本四大改革期の最後(A)」に入ります。「日英同盟」(イギリスがロシアのアジア南下を防ぎたい)で始まります。その後が、「日露戦争」です。日露戦争は、朝鮮・満州の支配権をめぐり日本とロシアの間でおこなわれた戦争です。ポーツマスで講和条約が結ばれ、日本の勝利(勝ってないという方も多くおられます)となっています。日本は韓国の保護権が承認され、ロシアからは南樺太、南満州鉄道の利権、旅順・大連の租借権を得ることになりました。早速、「韓国を併合」してしまい、さらに満州でも鉄道経営を本格化させ、鉄道沿線の炭鉱の開発に乗りだします。これが、その後、日本の大陸進出を大きく前進させることになってしまいます。

※日露戦争では、フランスとドイツが中国の利権を守るためロシア側につきます。また、イギリスとアメリはロシアの南下政策を食い止めるために日本側につきます。その構図から近年の研究では日露戦争を「第0次世界大戦」とする見解も出てきています。
ロシアは日本に向かうためにスエズ運河を使いたかったが、イギリスが利用させなかったためアフリカ一周の大変遠回りで日本に向かった。日本に着いたロシアは相当疲弊していたことも1つの敗因という説もあります。
この戦争に負けたロシアはバルカン半島へ、勝った日本はアジアへとそれぞれ進出し、次の世界大戦原因の1つにもなってゆきます。
また、この日露戦争は学者達(東京帝大)7人が桂太郎首相に対して「ロシアが南下してくる前に、ロシアと戦うべき」と煽った珍しい背景があります。その戦費はユダヤ人たちが多額の日本の国債を購入したお蔭でまかなえたようです。彼らを差別しているロシア憎しもあったのかもしれません。
結局、米ルーズベルトが仲介役になりポーツマス条約で終戦を迎えます。ルーズベルトはこの功績でノーベル平和賞を受賞します。
日本は樺太を日本の領土に、遼東半島の租借権を得ることになります。
勝ったこと知った国民は、日清戦争で多額の賠償金を国が得たため、今回もと考えていたようですが、実際にはやっと勝ったというのが実情です。そのため賠償金はありません。それに不満を募らせた国民が日比谷焼き討ち暴動を起こします。
ロシアはこの戦いに敗れ、東側の南下をあきらめ、西側の南下(バルカン半島等)を模索しだします。これが次の第一次世界大戦の原因の1つにもなっています。

同じころ、「野口英世」が梅毒スピロヘータ純粋培養に成功、日米・日英・日独修交通商航海条約の「関税自主権の確立」、東京・大阪に「特別高等警察」を設置と続きます。その翌年、明治天皇が亡くなり文明開化の「明治時代」が終わります。


「大正時代」に入ると、世界を戦争の世紀にした「第一次世界大戦※」がはじまります。
その後、「関東大震災」、「治安維持法」、「普通選挙法」、「日本放送協会」が成立します。同じ年、大正天皇が亡くなり、対象デモクラシーと言われた民主化の大正時代が終わります。

※第一次世界大戦で日本は大きな被害がないにもかかわらず、いきなり世界6大列強の仲間入りをしてしまいます。(米国、英国、ドイツ、フランス、イタリア、日本の6列強)。その後、日本も参加したパリ不戦条約(今後、戦争はしない)にも関わらず、日本は大陸進出をしていまいます。ところが、パリ不戦の表向きがあるため「満州事変」などと呼び「戦争」ではないことを強調します。しかし、そのことを「侵略」と追求されると日本は国連を脱退してしまいます。
欧州が行った富を求めて大陸を侵略したことと同じですが、これを真似なければ、その後の太平洋戦争も原爆投下もなかったでしょう。
満州国をためらった犬養毅は、5.15事件で殺害されてしまいます。

日本の失敗は、明治初期の日清、日露(辛勝)、第一次世界大戦と連勝してしまったおごりがあったと思っています。
ちなみにこれらを行った「関東軍」という名称は日本の関東からではなく、遼東半島の関東州を守るための軍隊ということで、日本の関東とは無関係です。この軍は本国を無視し大陸進出をしてしまい、政府から罰則を受けてもそれは形だけ、その後、実行幹部はことごとく出世してゆきます。


「昭和」に入った途端、世の中は急にきな臭くなり矢継ぎ早に「張作霖爆死事件」、「満州事変」、「五・一五事件」、「満州国建国」、「国際連盟脱退」、「満州国で帝制を実施」、「二・二六事件(これを機に日本が軍独裁の道へ)」、「日独防共協定」、「日中戦争」、「盧溝橋事件」、「国家総動員法成立」、「綿糸配給切符制」、「第二次世界大戦勃発」「日独伊三国軍事同盟」(これまで別々だった日本とドイツの領土拡大の争いがつながり世界へ影響、英国が上陸されなかった原因、ドイツが敗れた原因でもあります)、「小麦粉・米穀・砂糖配給統制」、「大政翼賛会創立」、「東条内閣成立」、そして、ついに「真珠湾攻撃による米国の参戦により太平洋戦争」がはじまってしまいます。この先は、「東京裁判」「敗戦後」「反省」をご覧ください。

■この時代の事象を年代順に記載します。(だいぶ割愛しましたが、日本を変えた重要事象が非常に多くあります
「日英同盟」、「日露戦争」、「第二次日英同盟」、「ポーツマス条約」、「日比谷焼打事件」、「南満州鉄道株式会社を設立」「日本が三国協商の一員に」、「伊藤博文がハルピンで暗殺」「朝鮮(韓国)併合」、「小村寿太郎により関税自主権が完全回復」「国産初の飛行機が飛行に成功」、「清で辛亥革命(孫文)」、「乃木希典が殉死」、「第一次世界大戦」、「日本はドイツ帝国に対して宣戦布告」、「大戦景気」、「対華21か条要求」、「米騒動」、「第一次世界大戦の終結」、「以降も、日本は単独で戦争を続け、連合国側から領土拡張と疑われる」、「原内閣が誕生」、「平塚らいてう、らが新婦人協会を結成」、「国際連盟が発足する(日本は常任理事国)」、「戦後恐慌」、「原敬暗殺」、「ソ連が誕生」、「関東大震災と震災恐慌」、「日ソ基本条約」、「ラジオ放送開始」、「治安維持法」、「昭和天皇が即位」、「昭和金融恐慌」、「東京地下鉄が開業」、「張作霖爆殺事件」、「世界恐慌」、「昭和恐慌」、「満州事変(関東軍の独断)」、「東京飛行場(後の羽田)が開港」、「五・一五事件」 、「リットン調査団の調査報告と日本の国際連盟脱退」「二・二六事件」、「日独防共協定」、「日中戦争(盧溝橋事件がきっかけ)」、「日独伊防共協定」 、「南京攻略戦(南京大虐殺論争)」、「日本が南京に中華民国維新政府を樹立」、「国家総動員法」、「陸軍のノモンハン事件(これで負けたことで)海軍は南進を決定、東南アジアで天皇は神だと教育)」、「第二次世界大戦」「日独伊三国同盟」「ABCD包囲網」、「日ソ中立条約」、「南部仏印(ベトナム周辺)進駐」、「アメリカが日本に対して石油の輸出を禁止」、「金属類回収令」、「東條英機が首相となる」、「ハル・ノート」「真珠湾攻撃(太平洋戦争始まる)」などです。

ここに関しては「戦争記憶の風化と映画」をご覧ください。

まだ続きます「国際連合が発足」、「アメリカのマンハッタン計画が成功(原子爆弾の実験成功)」「広島へ原子爆弾を投下」「ソビエト連邦が日本へ宣戦布告をする(日ソ中立条約を一方的破棄)」、「長崎へ原子爆弾を投下」、「ソ連対日参戦」、「ポツダム宣言を受諾」、「宮城事件」、「玉音放送」、「ソビエト連邦が南樺太へ侵攻」、「ソビエト連邦が択捉島を占領」、「マッカーサーが厚木飛行場に到着」、「シベリア抑留(日本人捕虜約60万人)」、「ソビエト連邦が国後島・歯舞群島を占領」、「日本が降伏文書に調印」「太平洋戦争の終結・連合軍が日本を占領」「マッカーサーが日本の分割を拒否する」「ソビエト連邦が色丹島を占領する(北方領土四島の占領)」などです。
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・中国は、「西太后による政治改革」から始まり、孫文による「辛亥革命」により清朝が滅亡し中国の東北部(遼東から満州一帯)に中央の目が届かなくなったことで、後に日本は満州を狙いだしたのかと。
これに続き、共和制の中華民国が成立します。モンゴルが清から独立するのもこの頃です。また、五・四運動(反日・反帝国主義運動)の後、孫文が死去すると、蒋介石率いる「国民党」が力をつけ、南京国民政府を樹立します。

この頃から日本との争いが始まりますので、概要だけを記載しておきます。「張作霖爆殺事件」、 「国民党が北京政府を倒し中国を統一」、「満州事変」、「共産党の毛沢東が中華ソビエト共和国を建国」、「日本が満州国を建国※」、「共産党は国民党から逃れる為に大移動」、「日中戦争」、「第二次国共内戦・国民党(兵力430万人) vs 共産党(兵力120万人)」、「アメリカは国民党、ソ連は共産党を支援」、「共産党が中華人民共和国を建国(国家主席:毛沢東 首相:周恩来)」、「国民党の中華民国は台湾へ(総統:蒋介石)」、「国際連合が発足(常任理事国はアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中華民国)などです。
※満州国では「五族協和(満州族、漢族、朝鮮族、モンゴル族、日本民族)」+実際にはロシア人、ユダヤ人が多くいました。一時期は多くのユダヤ人を受け入れることも計画されましたが、日本がドイツと同盟を結んだためその計画は消えました。
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・中東は、ドレフュス事件によるシオニズムと、第一次世界大戦のイギリスによる「三枚舌外交」で大きな被害を受けることになります。この点については「100年の悲劇を作った、三枚舌外交」をご覧ください。概要としては、イギリスが中東のオスマン帝国を攻略する為に「フサイン=マクマホン協定」でアラブ人国家独立支援。「サイクス・ピコ協定」でイギリス、フランス、ロシアで中東分割協定。「バルフォア宣言」でパレスチナにユダヤ人によるユダヤ国家を認める。という同時に実現できない約束をしたことにより、後の中東は紛争地域となってしまいます。
つまり、それぞれ同時に対応できない無責任な三枚舌外交を展開(マクマホン、バルフォア、サイクス、ピコ全員がロスチャイルド一族のユダヤ人)。戦後、どうにも収拾がつかなくなった英国は、国連に依頼することになり、依頼された国連はユダヤ人に多くの土地を与え、イスラエルという国家まで樹立させました(国連を仕切ってた米国ではユダヤ人富裕層が中枢を握っていたからとも)。この無責任な対応が不毛な4回にも及ぶ中東戦争、湾岸戦争以外にも80を超える戦争・内乱の原因・遠因を作り、膨大な数の難民や深刻な貧困を生むことに、近年は欧州にも大きな影響を与えることになりました。クルド人の問題も三枚舌に起因しています。
また、日本の戦後1955年から1973年まで続いた日本の高度成長路線(成長率年平均10%を越えという、諸外国にも例を見ない急速な経済成長)が途絶えたのも、この第四次中東戦争※によっておきたオイルショックがきっかけになっています。
※アラブの産油国がイスラエルを支援する国家への原油の輸出禁止あるいは大幅値上げを実施。これもそもそもの原因はドレフュス事件と三枚舌外交です。詳しくは100年の悲劇を作った三枚舌外交をご覧ください。
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・米国は、第一次世界大戦後からアメリカが世界の中心となりますが、ロシアでは世界初の社会主義国家が誕生し、その後の米国および全世界に大きな影響を及ぼします。
アメリカは、世界恐慌をニューディール政策で乗り切り※ 第二次世界大戦はアメリカの参戦により連合国を勝利に導きます。※実際には戦争による利益が莫大だったようです。

■この時期の代表的な(世界を変えた)事象を時系列で記載します。
「第一次世界大戦」、「十四か条の平和原則」(アメリカ大統領ウィルソンによる平和原則)」、「ヴェルサイユ条約」(ヴェルサイユ体制でドイツの再興を防止と社会主義を広げない)、「国際連盟(League of Nations)が発足」(常任理事国はイギリス、フランス、日本、イタリアの4カ国。アメリカは議会の承認が降りず不参加)、「ワシントン会議」(ワシントン体制が始まり日本の中国などへの進出を抑える)、「世界恐慌」(ニューディール政策)、「第二次世界大戦」「真珠湾攻撃」(日本がアメリカを攻撃+宣戦布告)、「ドイツがアメリカに宣戦布告」、「アメリカが連合国側に参戦」、「ノルマンディー上陸作戦」(連合国によるフランス上陸)、「ヤルタ会談」(連合国による戦後体制、国際連合の首脳会談)、「ドイツが無条件降伏」、「ポツダム宣言」、「ドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連で4分割」、「マンハッタン計画で原子爆弾開発成功」「広島・長崎に原爆投下」、「日本は連合国へポツダム宣言受諾を伝え無条件降伏」、「国際連合(United Nations)が発足」(常任理事国はアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国)などです。
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・欧州は、フランスのドレフュス事件(シオニズムに影響)と、英国の「三枚舌外交」が今に続く中東の混乱・内戦・テロ・難民のきっかけの1つにもなっています。
「レーニンの登場」(ソビエト社会主義共和国連邦の成立)。長期化した大戦に国民の不満が爆発したロシアでは1917年に「パンよこせ」から「戦争反対」「打倒専制」と広がり、「二月(三月)革命」で帝政が終わり、「十月(十一月)革命」でレーニンのもとソヴィエト政権が誕生します(二つの革命の総称がロシア革命)。レーニンはコミンテルン(国際共産主義運動の指導組織で、後にあの金日成も加入)を結成し、ロシアに亡命中の革命家たちを中心に世界中に社会主義・共産主義を広めてゆくことになり、それはスターリンに引き継がれます。その後の冷戦構造から起こった数々の波及も、現在の北朝鮮の影響もこれが大元でした。
世界初の無差別攻撃がドイツによりスペイン内戦中のゲルニカで起こりました。ピカソはこれに触発されゲルニカを制作。
そして全世界を変えたのは「ヒトラーの登場」世界恐慌が全世界に影響を及ぼすのもこの頃です。

「ホロドモール」もこの頃。ソ連のウクライナ人が住んでいた各地域でおきた穀物の収奪による大飢饉で、スターリン飢饉とも。結果的に1450万人が死亡、つまりウクライナは人口の20%以上もソ連に殺されたことになります。
この飢饉は壮絶で、ものすごい数の人が餓死し、多くの文化人芸術家が殺害された様子。さらに子供を対象にした人食(記録が残っているだけでも1年で2505人)まで起きたとのことですが、実際の数は相当数とのこと。この時代の子供の平均寿命は7歳という数字がホロドモールのすさまじさを物語っているとドキュメンタリーで見てあらためてその恐ろしさを知りました。

「ウクライナ蜂起軍」独ソ戦最中の1942年10月に結成され、戦後もソ連と戦った反体制組織。特に西ウクライナで、赤軍とドイツ軍の双方にパルチザン・レジスタンス活動を行いました。
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◆世界を変えた「第一次世界大戦」と「第二次世界大戦のきっかけ」について簡単に。
(youtubeでも似たような切り口がありました。僕は岡部伸さんの著書の影響なんですが、みなさんも読んでおられるのかなぁと思い少し嬉しくなりました)
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それまでの農業中心から産業革命をきっかけに工業中心に変わる「資本主義」へ、つまり今と同じ構造が出来上がります。すると簡単に資金を集めたくなる人や国が増えてきます。欧州(特にイギリス、フランス)では(自国以外で資金を集めるために)資源の豊富なアジア・アフリカを植民地にしてゆき、その獲得競争にも早いもの勝ちでさらなる拍車がかかります。

そんな時に、欲望渦巻く欧州内で戦争をせずに保っていた以下2人の存在が次々に亡くなったことは大きいようです。
・プロイセン(以下ドイツ)、ビスマルクの存在(ビスマルク体制=戦争しない守りの仕組みを作っていたが、1898年没)
・イギリス、ヴィクトリア女王の存在(ヨーロッパの祖母=イギリス、ドイツ、ロシア、フィンランド、ノルウェー、スペイン各王家に血縁がありバランスがとられていたが1901年没)。

ドイツではビスマルク生存中に29歳のヴェルヘルム2世(ヴィクトリア女王の孫)が国王になり、ビスマルクの政策を止めさせビスマルクを失脚させてしまいます。さらにドイツを世界帝国にすると宣言し、オーストリア、イタリアと三国同盟を組み海外進出へ。
それを見たイギリス、フランス、ロシアは三国協商を組み対抗しますが、イギリスは南アフリカ政策で、ロシアは日露戦争でそれぞれ疲弊していました。とはいっても重工業が強くなっていたドイツの3B政策※(ベルリン、ビザンチン、バクダードを繋ぐ路線作りでバルカン半島を通る)をそのままにしておくわけにはゆかず、両者がにらみ合うようになります。※イギリスも3C政策(カイロ、ケープタウン、カルカッタにまたがる政策)を行っていました。

上記の視点ではドイツとイギリスの対抗がメインに見えますがロシアも不凍港確保および南下政策でバルカン半島を狙っていました。さらに、ドイツのゲルマン民族とロシアのスラヴ民族(バルカン半島にも多くいた)の対立でもありました。そこにイギリスもバルカン半島を狙い出し、バルカン半島はヨーロッパの火薬庫と言われるようになりました。さらにバルカン半島は地域的に対イスラムの影響もあります。このような非常に複雑な構造が当時のヨーロッパには出来上がっていました。
そんな時にバルカン半島の民族自立の揉めごとをきっかけにサラエボ事件が発生してしまいます。そこに同盟各国が相乗りした形で戦争がはじまってしまうわけです。(現在のNATO対ロシアにも似ています)

最初、各国ともこの戦争はすぐに終わると思っていたようですが、産業革命以降の武器は高性能化(機関銃、戦車、飛行機、潜水艦、他)され、戦争は4年半と長期になってしまいます。特にドイツは、イギリスやアメリカ向けの小麦粉を乗せた船を徹底的に攻撃したため、狙い撃ちに合う形になってしまいました。さらにアメリカの参戦でスペイン風邪(名前はスペインだが発生元はアメリカ)による死者が全世界人口の25%に罹患し五千万〜一億人の死者が出た、人類史上最大のパンデミックと言われています。

また、この戦争がきっかけで「専制君主だった国王中心の帝国がなくなり立憲君主国家へ」「レーニンの登場による社会主義(共産)国家が各地に(今の中国も北朝鮮も)増える」「米国が大国化しその後、全世界に影響を」「三枚舌外交で中東戦争や数々のテロが増える」「第一次に参加したヒトラーの登場が第二次大戦を引き起こす」など、その後の世界を大きく変える事態を作ってしまいました。詳しくは上記の各地区をご覧ください。

さて、第一次世界大戦で欧州は荒れ果て、そして米国から借りた借金返済に苦しみますが、逆に米国は繁栄して大国になってゆきます。大変儲かった米国は、どんどん商品を作り続けましたが、欧州でも少しずつ復興が始まったり、ソ連が社会主義になり商品を買わなくなったりの理由で、米国は生産過多に陥ってしまいます。さらに米欧ともにお互いの関税を引き上げ、両者の貿易額は各段に低くなってしまいました。それがその後の米国に端を発した「世界恐慌」を招いてしまいます。
ちなみに第一次世界大戦の被害が少なかった日本ですが、59人の犠牲者があり、マルタ島にそのお墓があるようです。

第二次世界大戦の切っ掛けは、まず「ヴェルサイユ条約」が戦勝国の主導権で(ドイツなどの敗戦国と革命のあったロシアも参加できない状態)始まり、全ての責任はドイツと決まりその賠償額は現在の日本円で200兆円に上りました。その不満と上記の米国発世界恐慌をうまく利用したのが独裁者ヒトラー(最初はムソリーニの影響)です。彼は国際連盟を脱退、賠償金の支払いを一時停止、軍備の再拡張をはじめます。しかし、イギリス、フランスは大戦後で疲弊していたためそのことについて強く刺激することはありませんでした。その弱腰を見たヒトラーは、どんどん軍備を拡張してゆき同じ独裁のイタリアとも同盟を結び、ついに日本とも。その間ヒトラーはさらに領土を広げてゆきます。ついには宣戦布告なしでポーランドを攻撃します。ここでやっとイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し「第二次世界大戦」が始まってしまいます。

※ちなみに英国は、日本の真珠湾攻撃に助けられたという説もあるようです。日本の米国への宣戦布告により(日独伊三国同盟の)独が米国に宣戦布告したため、独は英国に手が回らなくなり、英国への独の上陸がなくなった。つまり「日本に助けられた」と、これは信頼できる英国のドキュメンタリーで見ました。

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◆上記に関連したページを作りました「戦争記憶の風化」を是非ご覧いただけましら幸いです。
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■1945年〜1952年 統帥権、日本四大改革期の最後(B)、日本はゼロからの復興。大戦後の世界。イスラエル建国。冷戦と代理戦争始まりの時代。
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・日本は、戦争に負け焼け野原になりました。日本歴史上で初めてすべてを失ったという表現が正しいでしょう。早速、日本はGHQにより約7年間に渡り占領され、大きく変わってゆきます。この時期が「日本四大改革期の最後(B)」かと思います。
吉田茂首相の「戦争に負けて外交で勝つ」「防衛はアメリカに任せ、とにかく経済復興」の舵取りがうまくゆき?、池田勇人首相の所得倍増計画も含め日本は戦後、目を見張るような変化と成長を遂げてゆきます。つまり、過去の「富国強兵」から「富国」だけになったような感じでしょうか。そして日本は目覚ましい復興、高度経済成長、バブル経済と、経済的栄華を極めていく。また、朝鮮戦争特需により景気が回復する頃です。尚、「大戦後の世界」も併せてご覧ください。

■この時代に起きた(日本を変えたと思われる)事象を年代順に記載してゆきます。
「昭和天皇がマッカーサーを訪問(この訪問でマ氏は天皇や日本の対応を決めたとも)」、「GHQが設置される」、「特別高等警察の廃止」、「幣原首相が戦争の放棄をマ氏に提案」「GHQの五大改革」、「治安維持法の廃止」、「財閥解体」、「陸軍・海軍省を廃止」、「天皇人間宣言」、「天皇の国内巡幸」、「IMF設立」、「メーデー復活」、「東京裁判」「農地改革」「日本国憲法公布・施行」、「教育基本法」、「独占禁止法」、「労働基準法」、「児童福祉法」、「第一次ベビーブーム」、「韓国・朝鮮の樹立」、「吉田茂内閣の誕生」、「1ドル=360円の固定為替相場制」、「電波三法設置」、 「湯川秀樹がノーベル賞を受賞」、「ソと中国が同盟締結(日本を仮想敵国とする)」、「朝鮮戦争始まる」、「日本経済は朝鮮特需により景気が回復」、「国民所得が戦前まで回復」、「日米安全保障条約」、「サンフランシスコ平和条約が発効」など。


■個人的に気になっている事。(以下の解釈が正しいのかどうか??ご教示いただけませんでしょうか)

1,「統帥権」について。
統帥権=「戦争を指揮する権限で天皇の大権」簡単に言うと、内閣等を介入させず、天皇に直属する軍令部のみが(勝手に)戦争を始められる権利。立法、司法、行政の三権の上に立つ超越的な権力で、これが「統帥権の独立」。山県有朋が制度設計したと言われていますが、そもそものきっかけは、やはりビスマルクやドイツ憲法(バイエルンは軍の統帥権を認められていた)の影響らしいです。いろいろ勉強してゆくうちに、日本が十五年戦争を起こしてしまった要因は「統帥権の独立」だと思うようになってきました。最後に統帥権を持ったのは東条英機。東條は刑の執行直前に「統帥権マチガイ」というメモを残していたようです。

2,「東京裁判」で、米 フェラーズ軍事秘書官が、「マッカーサーの決定(天皇は必要)に従うべく天皇に罪がないことにするためには(さらに裁判を滞りなくするためと占領後の混乱を避けるためには)東條に全責任を負担せしめるようにすることだ」と言ったとされること。
また、「マッカーサーと天皇の会見」でのやりとりは、マッカーサー回顧録よりも、藤田侍従長の回顧録のほうが正しいのでは、と歴史の先生から伺ったので、忘備録としてここに載せておきます。

会見時の天皇の言葉とされるもの↓
「敗戦に至った責任が追及されているが、責任はすべて私(天皇)にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなた(マッカーサー)にお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」
その時のマッカーサーの反応を見た侍従長は
「一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の流露はマ元帥を強く感動させたようだ」と。
さらに次のようなマッカーサーの発言を記しているようです。
「かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う」とのことでした。

しかし、半藤一利の「昭和史」によると、重臣らに和平を提案された昭和天皇は、「もう一度戦果を挙げてから」と答えたため負けを認めず、無差別空襲、沖縄戦、原爆投下につながった経緯がある、と書いています。

◆この辺り(それぞれ)の事実を知りたい。どなたか教えていただけないでしょうか。


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・中国は、「第二次国共内戦」で、国民党(兵力430万人アメリカが支援) vs 共産党(兵力120万人ソ連が支援)となり、共産党が勝利します。勝った共産党は中華人民共和国を(国家主席:毛沢東 首相:周恩来)、負けた国民党は台湾で中華民国を(総統:蒋介石)それぞれ建国します。
その後、中国はチベットを侵攻し合併します。 その頃、「朝鮮戦争」(北朝鮮 vs 韓国)が始まり中国は北朝鮮を支援します。また、中ソ友好同盟相互援助条約で、中国とソ連の軍事同盟/経済協力が決まりますが、その後の中ソの対立で形骸化してしまいます。
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・中東は、アラブ連盟(アラブ人によるアラブ諸国家連盟)やシリア共和国が成立で始まります。また、「パレスチナ分割決議」(パレスチナの56%をユダヤ人、44%をアラブ人の土地とする国連決議案。しかし、パレスチナに居住するユダヤ人はアラブ人の約1/3でユダヤ人に有利な案でした。聖地エルサレムは国際連合による信託統治となります。そして「イスラエルが建国(ユダヤ人の国)」されると早速「第一次中東戦争」が始まってしまいます。ここからがこの戦争が連綿と続くことになります。
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・米国は、第二次大戦、太平洋戦争が終了して始まる時代ですが、早速、朝鮮戦争が米VSソ・中の代理戦争として始まり、東西冷戦時代の幕開けの時代でもあります。

■この時代の事象を年代順に記載します。
「連合国(GHQ)が日本を占領」、「東西冷戦(アメリカ陣営:西側 vs ソビエト陣営:東側)」「代理戦争の始まり朝鮮戦争」、「フィリピンがアメリカから独立」、「国際連合によりイスラエルが建国」など
この頃(1949)から中南米のコスタリカでは軍を放棄し今に至っています。
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・欧州は、「大戦後の世界」をご覧ください。
それ以外の主な出来事は、「イギリス、フランス、ソ連などで核実験」がさかんに行われるようになります。また、インドがイギリスから独立し、アパルトヘイト(南アフリカでの人種隔離政策)もこの頃です。さらに、国際連合によりイスラエルが建国。ドイツ民主共和国(東ドイツ) / ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立するのもこの頃です。

マーシャルプラン(米国による欧州支援や共産各国への対抗)で欧州が分断され、その後NATO(現在は北米2か国と欧州28か国の元東側も含めた軍事同盟で、その後、日本、韓国、台湾も加わる)が出来たのもこの頃です。
NATOに対抗しソ連はモトロフ・プランやワルシャワ条約機構(ソ連を中心に東側各国が加盟し、その後中国、北朝鮮、ベトナムが加わった)が作られました。この両者の境を「鉄のカーテン」と呼んでいましたが、その後の東欧革命で冷戦終結と同時に解散します。
ちなみに米国、ソ連の直接の戦争はなかったが、代理戦争(朝鮮戦争、ベトナム戦争、、他)は起きていました。
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■1952年〜1989年 日本は特需、オリンピック、公害、バブル。文化大革命、天安門事件。オイルショック。冷戦、キューバ危機で世界が怯える時代、そしてゴルバチョフの登場。
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・日本は、「朝鮮戦争特需」により景気が回復する時代で、1954年から1973年(中東戦争で止まるまで続く)にかけて超高度経済成長を遂げました。
その間、「東京オリンピックの開催」「国民総生産(当時はGNP)が世界2位」となり、第1回先進国首脳会議(サミット)に参加するなど先進国の地位が不動のものとなります。しかし、経済成長の犠牲としては「四大公害病」などの公害病が発生します。水俣病が今に続くのも、安保闘争、過激派が増えだしたのもこの頃です。G5によるプラザ合意の影響で国内の輸出産業が大打撃となりますが、その対策として行った低金利政策を実施が裏目となり株・不動産が高騰する事になってしまいま、「バブル景気」が始まり出します。

■この時代の事象を年代順に記載してゆきます。
「テレビ放送開始」、「アメリカの水爆実験(ビキニ環礁)で第五福竜丸(漁船)が被爆」、「自衛隊法」、「高度経済成長(東洋の奇跡・経済成長率(年間)が平均10%を超える急速な経済成長)」、「三種の神器(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)」、「国民総生産(当時はGNP)が世界2位へ」、「代償として公害病が発生」、「財閥の復帰」、「原水爆禁止世界大会」、「自由民主党が結党」、「日ソ共同宣言」、「国際連合に加盟」、「第1次南極観測隊が昭和基地を設置」、「東京タワー完成」、「国民年金法」、「安保闘争」、「日米安全保障条約、日米地位協定が発効」、「ベトナム戦争始まる(沖縄などに影響)」、「首都高速道路が開業」、「東海道新幹線が開業」、「東京オリンピックが開催(アジア初)」「日韓基本条約」、「小笠原諸島がアメリカから返還」、「核拡散防止条約(NPT) 米露英仏中以外の国は核保有禁止」、「ポケベル始まる」、「全共闘運動」、「宇宙開発事業団を設立」、「大阪万博(アジア初の国際博覧会)」、「よど号ハイジャック事件」、「ニクソン・ショック」、「第二次ベビーブーム」、「あさま山荘事件」 、「アメリカから沖縄が返還」、「日中共同声明」、「第一次オイルショック(日本の経済成長が終わる)」、1970年代には2ドルだったオイルが、第二次オイルショックの1980年には36ドルに、「為替レートが変動相場制へ(ドルと金の引き換えを中止するドル・ショック)」、「第1回先進国首脳会議(サミット)」、 「ロッキード事件」 、「第二次世界大戦における戦後賠償が終了(北朝鮮を除く)」、「成田空港開港」、「日中平和友好条約」、「自動車電話サービスが開始(世界初・今の携帯電話つながる)」、「コンパクトディスク(CD)が発売(世界初)」、「筑波万博開催」、「プラザ合意」、「G5がドル安を推進(1ドル240円から1年後には120円)」、「日経平均最高値」、「バブル景気(実体のない好景気。総量規制や消費税などで崩壊)」、「携帯電話サービスが開始」、「国鉄分割民営化」、「リクルート事件」など。
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・中国は、平和五原則(中国の周恩来とインドのネルーによる原則)で始まりますが、すぐに「ベトナム戦争」です。ベトナム民主共和国(北でソ連と中国が支援) vs ベトナム共和国(南でアメリカが支援)、長期に渡りますが北の勝利で終わります。その後が「文化大革命」です。毛沢東による政権復権運動で弾圧、虐殺など数百万人の犠牲者が出てしまいます。アルバニア決議で「中国が国連常任理事国」となり、翌年が「日中共同声明」(田中角栄と周恩来による日中国交正常化)です。その4年後後に「毛沢東が死去」し文化大革命の指導者達は失脚します。2年後「搶ャ平が中国の最高指導者」となり「改革解放政策(市場経済優先政策)」が始まり経済が発展し始めます。これは日本の経済発展に影響されて。しかし、農村は取り残されることになります。その12年後には、ソ連や東欧諸国で社会主義政権の崩壊が始まってゆくと「第二次天安門事件(六四天安門)」が発生し民主化を求めるデモ隊を政府が鎮圧することになります。
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・中東は、第二次中東戦争(スエズ運河を巡る戦争でギリス/フランス/イスラエル vs エジプト)で始まります。エジプトは戦争で負けますが、国際的にスエズ運河の国営化が認められることになります。2年後、石油輸出国機構(OPEC)が設立します。4年後にはパレスチナ解放機構(PLO)が出来、パレスチナの国家独立を目指しますが、さらに3年後には「第三次中東戦争」(6日戦争ともいわれイスラエルが圧勝しますが、消耗戦として続くことになります)アラブ首長国連邦が成立します(アラブ系)。次が「第四次中東戦争」でこの戦争が「第一次オイルショックの原因」となります。その数年後、「アフガニスタン紛争」(紛争にソ連が軍事介入)が始まり11年という長期戦となります。その間、イラン革命などがあり「第2次オイルショック」の原因となります。平行して、「イラン・イラク戦争」(アメリカは反米のイラン政権を打倒する為にイラクを軍事援助)となります。
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・米国は、キューバ革命、その後の「キューバ危機」(第三次世界大戦および核戦争の危機=「ソ連全土に対してヒロシマ型原爆45万個分を投下する以外に方法はない」というルメイの言葉で始まる時代です。)また、「アポロ11号の有人月面着陸」も大ニュースでした。そして、ソ連のゴルバチョフのペレストロイカ、グラスノスチにより「世界が大きな転換」を迎える時代です。
■この時代の事象を年代順に記載します。
「キューバ革命」(アメリカ寄りから社会主義国家に変わる)、「中東条約機構(英米含む反共軍事同盟)、「キューバ危機」(アメリカとソビエト連邦による核戦争危機)、「アメリカのアポロ11号が月面着陸」、「核拡散防止条約(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国以外の核兵器保有を禁止)、「双子の赤字」(アメリカは貿易赤字と財政赤字となる)、「プラザ合意(アメリカ経済の為に円高ドル安を誘導)、「ゴルバチョフがソビエト連邦の最高指導者となる」「マルタ会談」(アメリカとソ連による首脳会談により東西冷戦の終結)
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・欧州は、人類史上、例をみない犠牲を出した大戦の経験から、争いを平和的に解決する方法も検討されました。しかし、世界は、アメリカを中心とする「西側・資本主義陣営」とソ連中心の「東側・社会主義陣営」に分かれて、勢力を競い合うようになってゆきます。東西ドイツ、南北朝鮮、南北ベトナム(米国・ソ連の代理戦争であるベトナム戦争に発展)、キューバ危機(ソ・米、核戦争の危機)もその例です。

この頃(1971年)にフランスで
「国境なき医師団」が13人で始まります。最初は意見の違いが多く殴り合いに発展したこともあるらしく、やっと動き出しても世の中から認められるまでは大変な思いをしたらしいです。例えば運営費がなくなってしまい、ついには医師たちが食べるものさえなくなり、時には難民から恵んでもらい食いつないだり、国外追放されたり、攻撃の標的になったり、結局97人が殺害されたらしいのです。それでも一時は心無いマスコミから「素人のロマンティスト」と揶揄されたこともあったようです。しかし、それらを乗り越え、だんだんと各国の紛争地帯で認められるようになり、世界中の紛争・災害地に広がってゆきました。
ちなみに、当時「人道支援」という概念が薄かった日本での広がりは大変遅かったようです。そんな時、阪神淡路大震災の時に筑波大の一人の医師が2000人の避難者を診ている映像がニュースに流れてからは、一気に増えて行ったようです。とはいっても当時の彼らの報酬は一人の医師に対して「10万円/月」という内容でした。本当に頭が下がります。
また、彼らの医療以外の使命は各地の被害現状を世界中に知らせること、実はこれが大変大きな仕事でもあり、ノーベル賞のきっかけでもあります。そこで彼らの理念は
「沈黙は人を殺す」と言う事でした。

■欧州で目立った事象を年代順に記載しておきます。
「欧州経済共同体(EEC)が設立」、「欧州原子力共同体(EAEC)が設立」、「ソ連、世界初の人工衛星(スプートニク1号)の打ち上げ成功」、「ドイツにベルリンの壁が建設される」「キューバ危機」、「欧州諸共同体(EC)が設立」、「プラハの春(チェコスロバキアでの民主化運動)」、「核拡散防止条約(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国以外の核兵器保有を禁止)」、「ゴルバチョフ※がソビエト連邦の最高指導者に」、「チェルノブイリ原子力発電所事故」、「ペレストロイカ、グラスノスチ(ゴルバチョフによる政治改革でこれが世界を変えるおおきなきっかけ)」、「オーストラリアがイギリスから独立」、「東欧革命(東ヨーロッパ諸国が民主化へ)」、「ベルリンの壁が崩壊(ギュンター・シャボフスキー氏の失言+ビザ必要の言い忘れ)」「マルタ会談(ソ連とアメリカによる首脳会談で、事実上の東西冷戦の終結)」などです。

※(箇条書きで)特にゴルバチョフ(G氏)の出現が世界を変えるきっかけに。まず、G氏の祖父はスターリンに粛清されている。この恨みは相当、大きく、彼の言動に影響を与えていたかと。そしてブレジネフの時代から始まったアフガン侵攻(アフガンへは米国からの援助もありソ連は国家予算の40%を投入)には、その後のチェルノブイリも含め国内の経済は瀕死の状態だった。また西側諸国からは強い反発を受けていた。
その後、書記長になったG氏はアフガン撤退を決断し、米レーガンと軍縮を決めた。それによりソ連国内には自由な様相が出てきた、と同時に、ソ連15か国内には共産一党支配に不満を持つものが増えて来た。G氏はそこでソ連初の選挙を行ったが、逆に共産幹部がぼろ負け、結局G氏は軟禁され国内は軍部のクーデターに。クーデターは失敗したが、クーデターの首謀者がG氏の側近だったため、G氏は責任を取って1991年12月25日辞任。翌日、ソ連は崩壊。
そのこともありG氏は東側から冷遇されたが、冷戦終結のきっかけを作ったとして西側からの人気が非常に高い。
この辺の政治的経緯については、下記の「核兵器について」の項で革命等も含めて流れを記載しています。
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■1989年〜 日本はバルブ崩壊、2つの大地震。各国でテロ、9.11、リーマンショック。EU誕生、難民の時代。そしてAIが全世界・人類を変える時へと。
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・日本は、 バブル景気の中、総量規制や消費税などで「バブル崩壊」、失われた10年(失われた20年)となります。世界では冷戦が終結しますが、「リーマンショックで世界金融危機」。情報通信機器の技術発展で、ポケベル→PHS→携帯電話→スマートフォンが普及します。あらゆる情報をインターネットで入手できる時代、高度情報化社会へと。(中国は検閲、韓国は親日サイト削除など言論の自由がない状態でした)。バブル崩壊の影響もあり、大手銀行・証券会社が破綻します。また、阪神・淡路大震災や東日本大震災などが発生してしまいます。この頃からSNSが出現し、今は世の中を変えるほどのパワーとなっています。今後の研究分野では「iPS細胞やバイオ燃料研究」が期待されています。

■この時代の(その後の日本を変えた)事象を年代順に記載します。
「消費税(3%)の開始」、「総量規制(バブル崩壊の原因の一つ)」、「バブル崩壊」「PKO協力法」、「インターネットサービスプロバイダ(ISP)が誕生」、「阪神・淡路大震災」、「地下鉄サリン事件」、 「北海道拓殖銀行、山一証券が破綻」、「京都議定書」、「長野オリンピック開催」、「ITバブル」、「沖縄サミット開催」、「中央省庁再編 - 1府22省庁が1府12省庁へと」、「パソコンの普及率が70%を越える」、「学校週5日制導入」、「自衛隊イラク派遣」、「日本人拉致被害者が帰国」、「インターネットの普及率が70%を越える」「郵政民営化」、「ソフトバンクモバイルがボーダフォンを買収」、「山中伸弥らがiPS細胞を」、「ライブドアショック」、「世界金融危機(世界同時不況)」、「日経平均株価が6994円まで下がる」、「日本でiPhoneが発売される(スマートフォンの普及開始)」、「北海道洞爺湖サミット開催」、「携帯電話の加入数が1.28億人を超える(総人口普及率100%)」、「東日本大震災(経済被害23兆円)福島第一原子力発電所事故(メルトダウン)発生」、「テレビ放送が地上デジタルテレビ放送へと」、「円相場1ドル75円となる(戦後最高値)」、「スカイツリー開業」、「尖閣諸島国有化(反日暴動)」 、「オリンピックの開催地が東京に決定」、「和食が無形文化遺産に登録」、「集団的自衛権の限定的容認を閣議決定(日本の転換期※)
「日中首脳会談(安倍首相と習近平主席による会談)」、
「国際平和支援法案が可決(日本の転換期)」、「慰安婦問題日韓合意」、 「日本銀行がマイナス金利導入」、「北朝鮮が長距離弾道ミサイルを発射」、「長期金利(10年物国債)が史上初のマイナスとなる」、「G7 伊勢志摩サミット開催」、「アメリカの大統領(バラク・オバマ)がはじめて広島を訪問」、「初めて国内の総人口が減少」、「安倍首相とアメリカ大統領トランプとの会談」、「日本・EU経済連携協定(日欧EPA)の大枠合意」、「西日本を中心に歴史的豪雨続く」、「環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の発効」、「日本・EU経済連携協定(日欧EPA)の発効」、「退位の礼 今上天皇(平成天皇, 明仁)の退位」など。
※日本の転換期になった集団的自衛権の閣議決定ですが、きっかけは1991年湾岸戦争時の(海部首相による)PKO参加です。ブッシュから日本も多国籍軍に参加するように依頼されますが憲法九条を盾にそれを断ります。その代わり日本は当時130億ドルという多額の支援金を周辺国へも含めて支払います。ところがイラクから解放されたクウェートが出した多国籍軍への感謝広告には日本は入っていませんでした。そこで、日本はやはり人を出さないと認めてもらえない、と考えるようになってゆき、それが集団的自衛権の2014(平成 26)年7月1日、閣議決定に繋がってゆきます。
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・中国は、香港がイギリスから中国に返還される事象で始まり、2年後マカオもポルトガルから中国に返還されます。数年後、それまで日本との関係がわりと良かったにもかかわず小泉首相の「靖国参拝で一気に関係が悪化」、反日活動・暴動が起きてしまいます。その3年後「北京オリンピックが開催」され中国は「世界の工場」と呼ばれるようになります。(この16年前に行った搶ャ平の市場経済成長政策で上昇を始めていましたが、北京オリンピック後に調整局面を向かえ、上海万博後に一段落したと言われています。)2年後、「GDPで日本を抜き世界第2位」になると国際的にも力を付け「尖閣諸島抗議デモ」が起こり、強烈な反日活動(尖閣諸島の日本の国有化に対する暴動)となります。さらに2年後「南シナ海問題」が大きくなり、その対策として中国は南沙諸島海域に人工島を建設します。その翌年頃、「中国の人民元が国際通貨」となります。
現在、国際社会での存在感を高めてきた中国の動向は、世界の重要な関心事となっています。しかし、国内では、経済格差、少子高齢化、人権問題、また周辺地域との対外的な摩擦など、さまざまな問題も抱えている状態です。最近は「共同富裕(大きな利益を上げた大企業がその利益を国民へ)」という政府の方針が世界中の注目を集めています。どうなるのでしょうか。
ちなみに習近平の中国共産党スローガンは「私たちの幸せは闘争だ!!」です。とにかく「思想教育」と「思想の浄化」を徹底して教育し「紅い遺伝子」の注入に全力を注いでいます。そのため香港の暴動の原因は「紅い遺伝子」の注入が出来なかったからとのことでした。
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・中東は、「アフガニスタン紛争」で始まります。イラクのクウェート侵攻(クウェートを併合)。そして「湾岸戦争」(国際連合 vs イラクで国際連合が勝利します)。すると、世界各地で「イスラム過激派らによるテロ事件」が発生しだし、アルカイダによるアメリカ同時多発テロ事件(9.11)に繋がります。この頃、ブッシュ大統領がイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と批判します。そして「イラク戦争」(アメリカ/イギリス連合軍 vs イラクで連合の勝利)、ガザ紛争(イスラエルとガザ地区のハマースとの紛争)、「ジャスミン革命」(チュニジアでの自由/民主化運動)、「アラブの春」(アラブ世界における自由/民主化運動)、「エジプト革命」(反政府デモから大統領が辞任)、「ISIL(ISIS)がイスラム国の樹立」と続きます。そして、アメリカなど有志国連合軍によりISIL拠点を攻撃、イラクの首相がISILの掃討作戦の完了を宣言します。最近はアフガニスタンの情勢がまた不安定になっています。
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・米国は、「湾岸戦争」で始まる時代です。「史上最大規模の航空機テロ事件「9.11」が発生し、アフガン紛争に発展します。サブプライムローン(低所得者用住宅ローン)の不良債権化が契機の「リーマンショック」が全世界に連鎖して世界金融危機となります。また、中東との争いも起こっています。

■この時代の事象を年代順に記載します。
「湾岸戦争」(国際連合 vs イラク 国際連合の勝利)、「イスラム過激派らによるテロ事件が世界各地で発生」、「北米自由貿易協定(NAFTA)」(アメリカ、カナダ、メキシコによる自由貿易協定)、「アメリカ同時多発テロ事件」(テロ組織アルカイダによるアメリカでの航空機テロ事件)、「アフガニスタン紛争」(ウサマ・ビン・ラディンを殺害)、「ブッシュ大統領がイラク、イラン、北朝鮮を悪の枢軸と批判」、「イラク戦争」(アメリカ/イギリス連合軍 vs イラク 連合の勝利)、「リーマンショック」(アメリカのリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻。世界に連鎖して世界金融危機となる)、「国際宇宙ステーションが完成する」、「ISIL(ISIS)がイスラム国の樹立を宣言」、「アメリカなど有志国連合軍によるISIL拠点を攻撃」、「イラクの首相がISILの掃討作戦の完了を宣言」、「米(オバマ)大統領が世界史上初めて広島平和記念公園を訪問」、「トランプ大統領誕生」、「TTP撤退」、「駐イスラエル米国大使館のエルサレムへの移転」、「同国首都としてのエルサレムの承認」、「シリアへの空爆」、「メキシコからの不法移民規制」、「パリ協定からの離脱宣言」、「イラン核合意からの離脱」、「国連人権理事会からの離脱」、「北朝鮮金正恩朝委員長と史上初の米朝首脳会談の開催」、「中国との貿易摩擦」、「人種差別問題」「トランプ氏、新型コロナウイルスの対策失敗で、ジョー・バイデン氏、大統領に」など。

コロナの後に、研究中のAIの実用化が突然のように現れます。すでに頭脳労働の革命が起き始めており、2045年と言われていたシンギュラリティは各段に早くなる様相を呈しています。たぶん人間の脳内記憶、処理、判断には非常優れ、学術論文などはお手のもの、最高難度のプログラムまでも高度なアルゴリズムであっという間に構築してしまいます。しかし、AIが弱いのは人の心を読み取ること、超クリエイティブな発想をすること。そして不可能なのは「責任を取ること」。ところがAIには欲もなく嫉妬・洗脳とも無関係です。もちろん当初は人間が作るものなので、欲があるようなふり、嫉妬・洗脳されたようなふりは可能でしょう。
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・欧州は、「欧州連合(EU)が誕生」。その後イギリスは脱退。BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)では著しく経済が発展しだします。また、ソ連・アメリカのが協力して国際宇宙ステーションの運用を開始します。

上記で記載した東欧革命やソ連解体により長く続いた冷戦は終結します。しかし、それにより始まったグローバル化の進展が、各国の格差をさらに生み、富むものはさらに富み、貧しいものはさらに貧しく。結局、地域紛争やテロリズム(元のきっかけは三枚舌外交とも)などの新たな問題が噴出しています。
そんな状況の中、国連難民高等弁務官に就任したのが緒方貞子氏で、あのボスニア紛争では、サラエボを見殺しにできないと周りの反対を押し切り防弾チョッキに身を包みサラエボに入ってゆきます。他にも10年間にわたり世界中の国境地帯や紛争地へ。その姿は世界中に報道され各国から「小さな巨人」と呼ばれていました。日本人としては誇りです。

■欧州で目立った事象について時系列で記載してゆきます。
「ソ連崩壊」、「東西ドイツ統一」、「ユーゴスラビア紛争」、 「ドイツ最終規定条約(ドイツと連合国による講和条約)」、「ロシア連邦が成立」「イスラム過激派らによるテロ事件が欧州も含め世界各地で発生」「欧州連合(EU)が設立」、「欧州連合で現金通貨としてのユーロが発足」、「イラク戦争、アメリカ/イギリス連合軍 vs イラク(連合の勝利)」、「欧州連合の拡大(東欧諸国など10か国が新たに加盟)」、「欧州連合がノーベル平和賞を受賞」、「ウクライナのクリミアがロシアへ併合」、「スコットランド独立住民投票(反対55.3%で否決)」、「2015年欧州難民危機(中東などから100万人を超す難民)」、「ドイツが世界最大の経常黒字国となる」「イギリスEU離脱国民投票(賛成51.89%で可決)」などです。

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■ロシアのウクライナ侵攻について
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■ウクライナについて
1世紀の匈奴から始まって、フン族、ハザール人、バイキング、ビザンツ帝国、モンゴル軍(含タタール)、リトアニア大公国、ポーランド王国、オスマン帝国、ユダヤ人の大移動、ソ連、人食まで起きたホロドモール、714の都市・28000の村が廃墟にされた独ソ戦、そして最後がロシア。とにかくいろいろな民族や国からの侵略や影響を受けてきました。
結果としてウクライナの西側と東・南側(特にドンバス、クリミア地区)は「資源」「風土」「言語」「宗教」「文化」「文明」「経済」どれも違う民族が1つの国を作っています。一部は「ロシア寄りの未承認国家」とすら言われています。
とはいってもここ近年だけに視点をおけば、1つの国として成り立っており、特に国外にいるウクライナ人は愛国心を強く感じるのは当然なことかもしれません。この点をウクライナ人の友人に聞いたところ、考えは人それぞれで、実は根深いものをかかえてるとのことでした。
また、モルドバに住む友人の話では、日本(西側)のウクライナびいきは危険な一面も秘めているとのことでしたが、まだ納得できる背景を聞けていません、今後いろいろ教えてもらう予定です。

国境もなく弥生時代を経て人種が固まった「日本人」という僕にはなかなか理解できないのかもしれません。方やウクライナ人は今でも自分達でナショナリズムを作ってゆくしかないという問題も秘めているように思いました。

■ロシア(P氏)について
(就任後、米大統領が5人も変わるという長期政権が続いてるP氏について)
ソ連は第二次世界大戦の独ソ戦(大粛清で弱ったソ連を取ろうと独が条約を無視し裏切る)で2700万という大戦最大の死者を出し、その中にはレニングラード包囲戦で戦死したP氏の兄もいました。母親は餓死寸前で一時、死体安置所に並べられていた程だったようです。
大戦ではソ連が辛勝し、その後スターリンが死去、P氏はその半年前にレニングラードに生まれました。
彼を変えたのは「スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜」という日仏合作の映画だったともいわれています。(ゾルゲとは日本に送り込んだソ連の諜報員)P氏はこの映画でスパイが国の未来を決めてしまうほどの影響力を持つことを知り、KGBへ入局しスパイへの道を進みます。当時のKGB議長はアンドロポフ氏。P氏は85年に東ドイツに送り込まれ数年後、東欧革命(ベルリンの壁崩壊)を経験、シュタージ(秘密警察)内部も市民に公開されます。その時に秘密書類を必死に焼却していたのがP氏でした。この2年後ソ連は崩壊しロシアへと。国営企業は二束三文で売られ、それを買ったものが後のオリガルヒになってゆきます。
その頃P氏はタクシードライバーをしながら生計を立てていましたが、レニングラードの市長選挙の時、恩師の手伝いがきっかけで始まった仕事がP氏を政治家へと向かわせます。元KGBは重宝がられ、たった1年でサンクトペテルブルクの副市長へと。元KGBの経験を活かして市長をスキャンダルから助けます。
その後、大統領府に抜擢されエリツィン政権の第一副首相へ、エリツィン大統領とオルガルヒとのスキャンダルからあの手この手(盗撮なども使い)で救います。それらを活用し首相の座に就き、最初の仕事が大規模テロ対応やチェチェン紛争、その時にも元KGBの手法を上手く活用(事前に攻撃されたとみせかけて本攻撃をしかける)し「テロとの戦い」という大義名分で一気に国民の英雄に上り詰めます。さらにP氏の裏を暴こうとする人々は次々に命を落としてゆきました。そして大人気のまま2000年5月(ソ連崩壊後9年)に大統領へ。民主主義と資本主義を表明したP氏は西側からも歓迎され、事実その後のロシア経済は成長を続け、2度目の大統領選では7割の支持までに。

■変わり始めたP氏
当初、西側に少し近づいたかとも思われたP氏が変わり出したのは、以下の5つが要因かと思っています。
1,なんといっても2004年に東欧7か国(エストニア、ラトビア、リトアニア、スロバキア、スロベニア、ルーマニア、ブルガリア)がNATOにまとめて加盟し、さらに3年後、米国がNATOミサイル防衛計画を発表したこと。この頃からP氏はスターリンの実績を礼讃し始めます。というのも米側は元々「NATOは1インチも東側に近づけない」と言っていた背景があるからでしょう。
2,2010年12月チュニジアのジャスミン革命に始まったアラブの春、この革命の裏には米国があると悟ったこと。
3,2011年12月のP政権反対デモ。この時、P氏は民主主義思想を極端に嫌い出したこと。
4,2014年2月の「マイダン革命(オリガルヒと米の資産家が資金援助したらしい、当然ロシアは面白くない)」これがとどめでしょう。
5,クリミア危機・ウクライナ東部紛争。ウクライナがEUに加盟されてはロシアへの影響があまりにも強く大変困るP氏は武力を使い、クリミア危機・ウクライナ東部紛争へと発展。(ウクライナの東側、南側のクリミアにはロシアびいきの人たちが多く住んでいる事実もありクリミアも当たり前のようにロシアに併合されてしまいます) 究極は、ブタペスト覚書で、世界第3位の核兵器備蓄国であったウクライナが核を放棄したことも影響していると思います。この点は核保有国の核不拡散へ暗い影を落とす(核を持っていれば攻められなかったという論調)ことになるでしょう。しかし、基本的にはこの戦争が、経済戦争であるという側面が非常に重要かと。

■P氏の大きなミス【これは西側寄りの見解】
1,逆イールドを受けてしまったこと。2019年に石油を増産したため。
2,ウクライナのガス料金未納とNATO加盟示唆で感情的になってしまったこと。
3,ロシア軍がもっと有能だと思っていたこと。
4,ウクライナはロシアを歓迎すると思っていたこと。
5,アメリカはウクライナを支援しないと思っていたこと。
6,欧州はロシアに同調すると思っていたこと。(エネルギー依存があるので)
7,ゴルバチョフ以降ロシアが世界の先進国と作ってきた関係をあの日に壊してしまったこと。
8,今後、中国に頼らざる得なくなったこと。エネルギーは世界の大問題。世界は自然エネルギーに頼らざる得ない。自然エネルギーを発生させるための機器には多くの素材(銅他)が必要。しかし、それらはすでに中国が握っている。つまりロシア以外の国々でも今後は中国頼りになるでしょう。とはいってもこのところ中国の一対一路構想が難しくなってきそうな気配が出てきています。さておき本題に戻ると、今のP氏は人を信じられないストレスと戦ってるようにも見え非常に怖いです。
ただ最近はウクライナのゼレンスキー大統領の方向性に陰りが見え始め劣勢がとりだたされているようです。


■両国のオルガルヒ
ご存じのように、ソ連が解体される時、それまでの国営企業を民間に移行することになります。そこに群がり巨万の富を得たオーナーのことを「オリガルヒ」と言います。とにかく財力があるので、やはり「政治」「メディア」に興味を持ちだします。国民に対しての情報は自在に操れ、政治も自分たちに都合の良い方向に持って行きます。しかし、それが少しづつ国民に知られるようになると、やはり国民の不満がたまってゆきます。このオガリルヒはエリツィンの子飼いでしたが、P氏はオリガルヒ反対の立場を表向きは取ります。当然、国民の人気がどんどん上がってゆきます。

ところがこのオリガルヒは欧米派とロシア派に分かれウクライナにも存在しています。このウクライナオリガルヒの総資産はウクライナ全資産の8割強となっていたようです。これもウクライナの経済が傾いた原因でもあるでしょう。親ロシア派のヤヌコヴィッチは当時EUと経済協定を結ぼうとしていましたが、やはりロシアへの配慮で断念したようです。

■マイダン革命
しかし、親欧米派はそれに強く反対し、親ロシア派との激しい争いに発展します。当然、西側は民主的とこの革命を支持。逆に東側はこの革命はオリガルヒとアメリカがグルになっていると報道しています。これが「マイダン革命(2014年2月)」で、この間にクリミア半島がロシアに制圧されますが、ヤヌコヴィッチはヘリでロシアに亡命します。
この件(アメリカがグル)についてはその後、専門家による研究がされましたが、結論は「オリガルヒが操って起こした革命」と結論づけているようです。その背景として、米政府とウクライナ側の会話がロシア側に盗聴、公開され、さらに米側の要人もその事実を認めていたことがあります。

■マイダン革命とウクライナ侵攻
マイダン革命後、ウクライナ側に親欧米派政権が出来上がります。大統領にはポロシェンコ(彼もオリガルヒ)が就き、彼はNATO参加を表明します。それに対して新ロシア派は不満が爆発しますが、それを親欧米派が武力で弾圧します。これが原因でロシアに近い東側はウクライナから独立したい想いが強くなり、必然的にそれは内戦に発展します。この時、東側メディアは「ロシア派の住民が虐殺されている」と報道、しかし西側メディアはそれを否定します。
その後、選挙があり「国民の僕」で人気のあった元コメディアンのゼレンスキー(同じく西側)が2019年5月に大統領に就任します。それらの経緯を経て結局はミンスク合意(双方の即時停戦他)を無視した形で2022年2月、ロシアがウクライナを攻撃することになります。
実は、この攻撃の数年前にゴルバチョフ氏は、P氏とオバマ大統領に「このままにしておくとソ連とウクライナの関係がさらに深刻なる、一度攻撃をしてしまうと後戻りできない」とう直々の手紙を送っていたようですが、こんなことになってしまいました。
いずれにしても、各種報道は西東で極端に分かれており、西側は「反プーチン」、東側は「反ウクライナ」となっています。これは相容れません。僕たちは精査されたニュースとしては西側寄りしか入ってきません。真実どちらなのでしょう。当然、僕にはわかりません。
ただ、上記に書いたように最近はウクライナの劣勢がとりだたされているようです。

■ロシアの強み
ただ、ロシアの強みは戦勝国(米、英、仏、中、露)の5か国に入っているため、国際連合で採択された内容に拒否権を持っている点。なので現在の国連は骨抜き状態。
とはいってもNATOの場合は加盟の一か国でも攻撃を受ければ集団的自衛権をもって反撃出来、これは条約第5条で自動参戦義務になっています。この点をロシアから見れば最大の脅威でしょうし、逆に言えばウクライナがNATOに加盟した時点で、第三次世界大戦の可能性は高まるでしょう。2023年が明けた時点でのP氏の支持率は82%と驚異の数字で、女性までもいざとなったら戦うと公言してる人がいます。
ロシアは特殊で、46の州、9の地方、3つの市、1つの自自州、4つの自治管理区、22の共和国からなっています。つまり85の自治体で構成されています。それをまとめるためには「超大統領制(三権分立の上にある)」の権力が必要。その背景により結果的に「国家」が「洗脳」で「国民」を巻き込んでしまっていることは確かかと。
しかし、P氏としては東側がクリミアまで陸路で繋がったこともあり、実際のところウクライナからは手を引きたがっている可能性が高いと思われます。あとは長年続くクリミアをどうするかという大問題が残り、その鍵もロシアのオルガルヒでありポストP氏のプルゴジン氏(P氏後の大統領のうわさも)が握っているのでしょう。

■日本の視点
これをNATOに入っていない日本視点で見ると、日本が攻撃されてもNATOは動いてくれない。そこで本来は「日米安全保障条約」により米国が助けてくれるはずなのですが、これが本当に機能するかどうか実のところはっきりしていない。
とにかく日本の位置は、中国、北朝鮮、ロシアと非常に近いにもかかわらず(米軍基地が多くあるにもかかわらず)助けてもらえないとしたら相当危ない国になってしまっていることは事実でしょう。
実は、イギリスから「日本、、ヤバイと思うけど、、大丈夫なの?」と質問されて答えに困りました。マジでヤバイです。

最近よく考えるのは、今のロシアは過去の日本ではないかといこと。ハリネズミは温め合えない。
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■核兵器について
(攻撃者に被害が出ず一気に多くを殺傷できる方法。時系列、箇条書きで)

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◆ユダヤ人のオッペンハイマーは
、マンハッタン計画で原子爆弾開発が成功した後、ヒンドゥー教の一節「我は死神なり、世界の破壊者なり」が頭に浮かび、核兵器開発を主導した事を後悔したと。また、その場にいた科学者の誰もが、ただ押し黙って下を向いていたと。僕はそれらをドキュメンタリーで生のオッペンハイマーの声と映像で。
その3週間後、リトルボーイはB29のエノラゲイに積まれ広島に落とされました。

◆同じくユダヤ人のアインシュタインは、日本に原爆が落とされたと聞いた時、「ああ、なんということを!!」と叫んだとされています。
戦後アインシュタインは、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹の米国の研究室を訪れ、湯川の手を握り涙ながらに肩を震わせ「罪もない広島・長崎の人たちを、、、」と、核兵器開発に与えた自分の影響を謝罪したことを、これもドキュメンタリーで。
また、その後、トルーマン大統領の原爆はあまりにも非道過ぎるという強い反対意見があったことも事実なようです。

◆まずは、兵器になる前の「核」について時系列で記載してみます。

・1896年 フランスのベクレルが、ウラン鉱石が自発光していることを発見、放射線を見つける。
・1898年、ポーランドのマリー・キュリーは、ウランよりも強い放射線を放つラジウム、ポロニウムを発見。
・1903年、イギリスのアーネスト・ラザフォードが、放射線は原子の中の原子核が崩壊した時に放たれることを発見。
・1924年、原子の構造が分かる。(陽子と中性子からなる原子核の周りを電子が飛び回っている)

◆ここから「核兵器」に近づいてゆきます。

・1938年、ドイツの科学者ハーンとシュトラスマンが核分裂を発見。ウランの原子に中性子をぶつけると原子が割れ、そこにエネルギーが放出される。さらに、それは連続的に且つ無限に繰り返されるため、とんでもないエネルギーが発生する。(連続的、無限大の発想はシラードだが核物質が見つかる前の話)
・1939年、ナチスドイツはこの核分裂エネルギーが爆弾に使えることに気づき、ウランの研究を始める。
ちなみにナチの親衛隊だった「フォン・ブラウン」がV2ロケット※を開発し、その技術を戦後アメリカに売り、それが今の核弾頭を乗せたICBMになっている。※ロケットを高さ28Km地点まで飛ばしエンジンを止めると、成層圏を越え高度80Kmまで到達、あとは地球の重力に従い目的にに落とす。
・1939年、ユダヤ人で迫害さていたアインシュタイン達は、米ルーズベルト大統領への手紙にサインをする。それはドイツの爆弾研究の件や、米国にも多くの(迫害された)科学者がいるので同じような核爆弾が出来るではないかという内容。
・1940年、米国グレン・シーボーグが、プルトニウムの生産に成功。
・1942年、米国のエンリコ・フェルミが原子炉を開発し、核分裂連鎖反応の制御に成功。
・1943年、米国は多額の投資を行い、核の研究開発を推し進めた。
・1943年、米国は米国中の優秀な科学者を集め、マンハッタン計画を推進。そこにはカナダ、イギリスも協力した。

◆核兵器の背景

原爆製造にかかわった「マンハッタン計画」の目的は、ウラン型爆弾(結果的に広島へ)とプルトニウム型爆弾(同じく長崎へ)を作ること。当該計画により核爆弾が出来上がり実験も終わったが、当初の目的だったドイツはすでに降伏していた。
そこで、降伏しようとしない日本に落とされることになってしまい、ヒロシマ・ナガサキが被害に。東京が対象から外れたのは都心部が既に廃墟のようになっていたから、横浜も大空襲を受け原爆の実験にはならない。米は無傷の都市を探していた。戦後のソ連との力関係を考慮し少しでも早く落としたかったことは事実(米が戦争を終わらせたという歴史を作りたい)のようです。

しかし、そもそも、ミッドウェイ以降、負け続け、その後の米からの終戦・和平交渉も無視し、何も決められず責任の押し付け合いをし負けを認めなかった日本。日本がもう少しだけでも早く降伏していれば、無差別大空襲も、沖縄も、そしてこの原爆も落とされる理由がなくなったわけです。本当に残念でなりません。

その後、ソ連も核開発を急ぎ成功、米ソはどんどん核兵器を貯めこんでいったようです。イギリスが核兵器を持つ頃、米国は水素爆弾(原爆を起爆剤に使う)も開発、ソ連も追随し、それが冷戦時代の均衡を保つという皮肉な結果になってしまいました。

その頃から核の平和利用として「原子力の発電利用(原子炉の中にウラン棒を入れ核分裂させ、その加圧水を利用した水蒸気でタービンを回しそれを繰り返す)」も進んでゆき、オイルショックによりさらに注目されてゆきます。
現在は水素を利用し連鎖反応がなく爆発の危険がない「核融合発電」も研究されていますが、大きかった課題もすこしずつ解消しそうな感じがしてきました。いずれ核融合発電の車なども走るのかもしれません。

フランスが核開発を始めた頃、米国はソ連に向けてイタリアとトルコに核ミサイルを配備、するとソ連も米国向けにキューバに核ミサイルを配備。これがキューバ危機となり、一時は第三次世界大戦すらも想定されましたが、何とか両国がミサイルを撤去し落ち着きました。しかしここに至るまでには、文字通り一触即発ドラマが数々ありました。

中国までも核兵器を持ち出すと、米ソは落ちつかなくなります。そこで国連を通じ「核拡散防止条約(保有国は減らし、他は持たない)」を制定します。そんな時、米のベトナム戦争の反省やソ連の経済力低下からデタント(緊張緩和)などもありましたが、イラン革命やソ連のアフガニスタン侵攻で、また元の冷戦状態に。さらにソ連はそのアフガン侵攻の影響もあり軍事費が国費の40%という異常さ、そのため国内経済は悪化、他の技術革新も他国に追い付かない状態になってしまいます。
そこで現れたのがゴルバチョフです。彼はグラスノスチ(情報公開)ペレストロイカ(立て直し)進めます。

そんな折チェルノブイリ原子力発電所の悲劇が起こり、原発の危険性が世界中で議論されはじめます。
その翌年、ソ連ゴルバチョフは米国レーガンと「中距離核戦力(INF)廃棄条約に調印し、結果的に7割の核兵器が削減されることになり実施、今も続いていますが、、、。

さて、数年後、上記の情報公開により自由を求めたヨーロッパ・ピクニック計画やハンガリーとポーランドの非共産党国家成立に始まった東欧革命。ゴルバチョフはこの時あまり西側に伝わっていないのですが反ソ連勢力への圧力も行っていました。しかし、流れは止められずベルリンの壁が壊され、マルタ会談により冷戦終結宣言とドイツ統一。それに影響されバルト三国の独立が始まると他の共和国も次々と独立。ついにワルシャワ条約機構は消滅。ソ連、最初で最後の大統領ゴルバチョフは責任※を取り「私は不安を持って去る」と言って辞任、その翌日にソ連は崩壊します。※クーデターの首謀者がG氏の側近だったため。

その後「START」「新START」があります。そして、2009年にオバマ大統領がプラハで「アメリカは核兵器を使用した唯一の国として、行動を起こす道義的責任を有する」と「核なき世界を宣言」。2016年には、現職のアメリカ合衆国大統領として初めて広島平和記念公園を訪問します。しかし、INF全廃条約はトランプ大統領になって離脱してしまいました。すると米露とも中距離ミサイルを再開発し元に戻ってしまう危険性を持ち始めます。そんな折、2022年ゴルバチョフ氏が亡くなります。

◆残留放射線量の隠された真実と黒い雨

米国は原爆投下後のヒロシマ・ナガサキで詳細な被害調査を行っていたようです。その結果、投下後の残留放射線量が尋常ではないことを知ります。また、ナガサキの場合、金毘羅山で隔てられたため山向こうの被害がなかったと言われていますが、実は山向こうの残留放射線量が非常に多かったのです。さらに当地区では投下後の体調不良・癌・突然死が長年、続いていました。しかし、いまだに原爆患者には指定されていません。

その理由は、レズリー・グローヴス(マンハッタン計画の責任者)の命により、米国内で当該調査結果を公開しなかった※ ばかりでなく、調査員に調査したこと自体をなかった事にするよう指示したとのことでした。そこで現在もなされている米国の公式見解では、「原爆投下後の残留放射線量は皆無」というものだからです。さらに連合国軍の海外特派員もヒロシマ・ナガサキには入れない徹底ぶりでした。

※オッペンハイマーの事前研究結果では「投下後の残留放射線は発生しない」というものがあったこと(黒い雨や土壌放出は想定していなかった)と、その後の核開発が止まってしまうことを阻止したかったこと。そして一番の理由は、このことが公表されてしまうと戦争犯罪、国際法違反になってしまう懸念があったからかもしれません。
これらは最近情報が公開され分かったことです。

実は、日本でもこれを踏襲しています。また、戦後6年間、原爆の被害(もちろん写真も放射線の影響も)は徹底した情報統制がされ一切、公開されませんでした。米国から一字一句のプレス・コードがあったためと日本側の米国への忖度による自主検閲もあったようです。自主規制はメディアがGHQから発行停止にされる事を恐れたからのようです。
それが変ったのが京都大学の「原爆展」で、これをきっかけに各地で同様の展示が行われるようになり、その後、雑誌でも取り上げられるようになってようです。

◆核兵器の現在

現在「核兵器禁止条約交渉(NPT)」には、保有国の「米、露、中、英、仏」、実質的保有国の「インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮」は不参加。さらに米国の傘の下にいる「韓国、ポーランド、イタリア、カナダ」も不参加、「ドイツ」も不参加ですがオブザーバとしては参加しています。しかし「日本」はオブザーバとしてもでも参加していません。それ以外の国々が参加国になっています。

最近まで核廃絶と訴えていた国も核兵器に頼るようになってきました。例えば200年間、中立をかかげて来たスウェーデンでさえNATO加盟と核兵器の力に頼ろうとしています。そしてあのドイツでさえ日本人の核軍縮の話の途中で「何を呑気な事を言ってるのか」と割って入る人がいるくらいです。とにかく、また、欧州から大きく変わり始めているのは確かです。

最新の核兵器の威力はヒロシマ・ナガサキに投下された原爆の何万倍、さらに放射線の放出量では何百万倍の恐兵器になっています。
ヒロシマが人類滅亡の第一歩になってしまったことは事実です。どうかナガサキが最後でありますように。
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◆世界を変えたヒトラーについて

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1889年にオーストリアで生まれ元々は画家を目指していたようでしたが、美術学校の受験に2回失敗し(ここで合格していれば、、、)しばらくは日雇い労働をしていたようです。


ヒトラーの身分証明書(オーストリア人であることがわかります)


その後、オーストリア軍への徴兵を逃れるためドイツへ移住、しかし結局はバイエルン軍として第一次大戦に参戦します。そこでヒトラーは伝令兵として戦場を駆け回っていました。ヒトラーは酒もたばこもやらず劣悪な環境にも不平一つ言わず、兵士としては熱心すぎると周りから言われたほどでした。


この時、伝令兵として味方の窮地を救った功績で認められた「第一級鉄十字勲章」を、ヒトラーは生涯身に着けていました。


ヒトラーは、第一次大戦中、毒ガスで目を負傷し入院。「ドイツ兵はユダヤ人によって殺された」「偉大なドイツを取り戻せ」この二つのことが入院中、常に頭をよぎり、この時、政治家になり
ドイツを偉大な国家にしたいと決意したようです。


戦後、政界に進出しましたがミュンヘン一揆で投獄され、その中で「我が闘争(人種による能力分け、東方生存権でドイツ領土拡大、ナチを示唆)」を執筆したようです。政界に復帰してからは一気に出世し「ドイツ史上かつてない三権を掌握した絶大な権力(全権委任法)」を持ち※、ナチズム=国家として「ナチス・ドイツ」を作り上げることに。
※次の項の通り敵対勢力(共産・社会)を収容所送りにしたため全権委任法も通りやすかったようです。ヒンデンブルク大統領をただ見ていることしかできない立場にし、「長いナイフの夜」の一か月後、大統領が87歳で死去すると即日、大統領と首相の権限を持つ「総統」となり、国家元首の地位に。


ヒトラーは「第一次大戦で不屈の精神を学び飢えをしのぎ、この地位を勝ち取った」と国民に向かって発信しました。
ここで事実上ドイツの独裁者に。ヒトラーの長年の夢、彼が愛したワーグナーの作品に登場する「リエンツィ」になる夢を叶えたわけです。


◆また、裕福なユダヤ人に対して持つアーリア人の嫉妬心を利用し国民を動かす原動力に。しかし、実は、ユダヤ人の有能さを恐れていたのかもしれません。そのためヒトラーは「この社会不安は、自国を持たないユダヤ人が他国と繋がり情報を操作・提供しているためで、ユダヤ人は国を破壊する劣等民族だ」と。
その上「優生学」の名のもとにアーリア人だけを優勢民族とし、ユダヤ人(ロマ人、障害者、一部のスラヴ人、共産・社会主義者、労働組合のリーダーまでも)を徹底的に迫害し収容所に(ニュルンベルク法)どんどん国民を巻き込んでゆくことに。


障害者生徒には4800マルクが、通常生徒には320マルク、優秀な生徒には125マルクしか国の負担が発生しないという理由で障害生徒を迫害。
「長いナイフの夜」4年後の「水晶の夜」をきっかけにユダヤ人に対する略奪・焼却・暴行・逮捕、ユダヤ人の財産はすべて国庫へという法律まで。


◆ドイツは、第一次大戦で負った多額の賠償金※で国民すべてが疲弊し失業者が国内にあふれ、さらに、1929年の米国の株価大暴落に端を発した世界恐慌が重なりドイツ国内は大変な状況になっていました。
※ヴェルサイユ条約でドイツの賠償金総額が1320億金マルクに決定。この金額は、当時のドイツの国家予算の何十年分にもあたる金額で純金47,256トン相当。現在の日本円にして約 200兆円。ただ、不思議なのが、このような大恐慌で、且つ大迫害をしておきながらも国民の支持が絶大だったということです。

◆それは何か?ヒトラーの失業者対策が功を奏しました。(当時、列車の時代にこれからは車の時代になると)世界初の高速道路網アウトバーン構想を立て、機械を使わない人手による道路作りの労働を多くの国民に提供。その上を走る国民車として安価な車のちのワーゲン※を作り世界最大の自動車工場※までも建設。移動させるために安価な旅行を提供します。さらに大規模な軍事工場も。国民は増えた収入で次々に家を建てます。その上、労働時間を8時間に、長期休暇、財形貯蓄の制度を整えるようにしたところ、たった3年で600万人いた失業者を完全雇用状態(12万人まで減らした)にしたらしいです。(データの見せ方に一工夫あったようですが)

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※国民車の最初のラフデザインはヒトラー自身が作成し、そのデザインを、ほぼ踏襲し生産されたようです。その工場が現在のフォルクスワーゲン社。

◆疲弊していた国民は「ヒトラーは凄い!!言葉が明瞭で分かりやすく、なんといっても言葉と実行がみごとに伴っている。こんなリーダーを待っていた」と大喜び、道で友人にあうと「ハイル・ヒトラー」と例のポーズを取り合っている一般国民の映像をドキュメンタリーで観て唖然としました。その頃ヒトラーの支持率はなんと90%に。
片や、ユダヤ人達を攻撃するナチの姿を見た一般国民が、自分たちも悪のユダヤを倒そうと手助けをしていた映像にはさらに驚きました。この背景には「集団ヒステリー(ネット市民、マスコミ、ワイドショーが、突然、聖人君子になり徹底的に失敗者を弾圧、、等)」もあると思いました。

◆しかし、その頃ヒトラーは「ユダヤ人大虐殺」をひそかに行い、後々、深い憎しみの連鎖を生むきっかけを作っていました。(迫害は第二次大戦前から。これが6回目?の迫害)


◆ヒトラーと「群衆心理」について
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ヒトラーが、ギュスターヴ・ル・ボンの「群衆心理※」を愛読していたことが分かり、とても興味を持ちました。ヒトラーはこの心理をうまく利用したのかもしれません。
※「断言(分かり易い言葉を作る)」「反復反復(いつでもどこでも何度でも)」「感染感染(本やメディアが指導者の代わりに)」この3つがキーワード。そして群衆化してしまうと、たとえ最初は疑問に思っていても、だんだん集団と同じ方向に向かうことに心地よささえ感じるようになるらしいのです。例えば、元々は理性のある常識人でも、ある方向性に向かった集団の一人になると、平気で放火・殺人まで。その向かわせ方は、人々が普段無意識に思っている不満や願いを、簡潔な言葉(〇〇という悪を我々の手で倒そう、等)で訴えると、今まで言葉に出来なかった民衆には「そうだ、そうだっ!!」という想いが湧きだし妙な正義感で団結し、いつのまにか電灯の虫のように勝手に集まってくるらしいのです。「一人を騙すより、一万人を騙す方が簡単とも」


上記「感染」の為にヒトラーは映画を活用しました。ヒトラーが魅了された女性の映画監督「レニ・リーフェンシュタール」。ヒトラーを神と崇め、側近たちを美化した映画を数多く制作。ナチ傾倒の過去は都度話題となりながらも、オリンピック映画「オリンピア」を撮影の時、ナチから有色人種の活躍をカットするように指示があっても映像美を理由に彼女はそれに従わなかったようです。その後100歳になっても映画を作る情熱をもち、101歳まで生きました。

ちなみに、民衆から神と崇められていた人でも、信用がなくなったとたん民衆から罵詈雑言を浴びせられ最終的には殺害されてしまうという例も多くあります。フランス革命での
「ロベスピエール」がいい例でしょう。

◆この仕組みが他国に例を見ないヒトラー独自の独裁なのだと思いました。他の独裁のように国民を苦しめたり粛清・虐殺することも少なく、ナチや国民の共通の敵(それがユダヤ)をつくるという独特の方法で、これを
「合意独裁」というらしいです。その上、卓越した演説で国民を一気にファンにしてしまいます。


それが高じて、被害者だけでなく、一般市民の犯罪者までも増やしてしまった訳です。これは悪魔の仕業ともいえるでしょう。(この画像はドキュメンタリーからではないですが、裏が取れたため「顔のないヒトラーたち」から。)


ヒトラーは莫大な資金を賄うため、演説会を有料にしたところ、逆に人が人を呼び聴衆が増えたらしいです。これはナチの大きな収入源だったようです。

◆日本とも関係を深めてゆきます。

三国同盟前ですが、1937年には
「■新しき土」(ドイツのタイトルは「愛国者たち」)という原節子初主演の日独合作映画を作り、ドイツで行った試写会ではヒトラーやゲッペルスが拍手を送ったそうで、これもドキュメンタリーで観ました。

◆その後ヒトラーは第一次大戦で失った国の資産(領土等)を言葉巧みにどんどん取り戻し、自信と誇りを回復した国民はさらに熱狂。他国からの不満が増えた時には、ドイツ民族が住むズデーテンを最後にもうこれ以上の領土は求めないと宣言しました。それに対して「輝ける平和主義者」と持ち上げた人がおり(後に撤回)一時期ノーベル平和賞の候補にもなったことは事実のようです。
これは、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し第二次大戦が勃発する約8か月前のことです。第二次大戦が始まってからは、イギリス、スペインを除いたほとんどの東西欧州圏を圧倒的な軍事力により手中に収めるわけです。


◆ヒトラーの部下や側近たち

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◆ヒトラーは有能な部下を探し出すことにも長けていたようです。道路はトートに、車はポルシェ※に、宣伝相はゲッペルスに、国防軍はゲーリングに、親衛隊はヒムラー(ホロコーストは彼)に、党幹部はボルマンに、フランス・アフリカはロンメル(砂漠の狐)等に任せていたようです。※その後ポルシェは戦車をつくらされ戦後、収監されました。
ちなみに、宣伝省トップに就いたゲッペルスがドイツの映画人を集めた時に、政治的には敵対するソ連の映画だが「戦艦ポチョムキン」だけはドイツ映画の指針になると演説したらしいです。
ゲッペルスは飛行機での遊説をさせたり、数々の暴動を起こし注目させたり、ヒトラーですら驚くほどの宣伝を考案し、ヒトラーから「ゲッペルス博士」と(対外的には)呼ばれていたほどでした。数々の部下の中でも、最後までヒトラーへの忠誠を貫いたのはゲッペルスだけでした。

◆とは言っても、ヒトラーの命を狙う部下・側近たちがいたことも事実だったようで、小さいものを含めると実に42回の暗殺計画があったようです。行進中の路上、講演会場、会議室、演壇の下、列車、飛行機、鉄橋、、、いたるところに爆薬が仕掛けられ、時には部下が体に爆弾を括り付け自爆テロのような暗殺も計画されました。しかし、すべて直前にヒトラーの予定が変わったり、爆発してもヒトラーはかすり傷だったり、不発だったり、42回とも失敗しています。とにかく悪運が強かったようです。


◆三国同盟と開戦、そしてドイツ・日本
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「あれは私が言い出したんですからね 三国同盟」


これはドイツ、特にヒトラーに心酔していた、ある駐ドイツ特命全権大使O氏の言葉です。元々、「日本の大陸進出」と「ドイツの領土拡大」とは直接関係のない争いでした。しかし三国同盟でこの2つが結び付き、1年後にはさらに各国に広がり世界大戦になりました。O氏は、東京裁判時、1票差で絞首刑を免れ服役、晩年はひっそりと暮らし「私は、日本を誤った日に導いた人間です」といって亡くなっていったそうです。

三国同盟を知った米国は、厳しい経済制裁を日本に科し、それを境に、日本中から鉄製品がどんどんなくなってゆきました(供出)。その後、独ソ戦が始まりソ連の脅威が和らぐと思った日本は、資源確保の目的で南進し南部仏印(ベトナム等)に軍事基地を作ろうとします。米国はそれに即反応し、在米日本資産の凍結、ついには命綱の石油までも制裁の対象(当時8~9割が米国から輸入、後は備蓄で賄うのみ)になってしまいました。国内は当然反米感情が高まり出します。この南進政策が日本の大失敗だったと言われています。

ノモンハン事件後に設立された「秋丸機関」は、米の総合的な力を日本の20倍以上と会議で伝えたが、出席者は居眠りしていた人も多かったとの事。しかし、近衛は東條からゾルゲ事件などの追求にもあい結局は内閣総辞職。その後、総理になった東條(陸軍大臣、内務大臣も兼務)でさえ開戦回避を願い開戦慎重論者で組閣し、国内の開戦熱を抑えようとしたようです。そもそもの海軍があいまいな態度を取っていた事も要因でした。その後、数度にわたる日米外交交渉が難航しているうちに、「ハル・ノート(大陸からの全面撤兵、三国同盟離脱、他)」が届いてしまいます。数日後、御前会議で日米交渉の打ち切りを決め、今、短期決戦に出ざる得いないと日米開戦の12月8日を迎えます。

日本が真珠湾攻撃で太平洋戦争を起こすと、三国同盟の独・伊も米国に対して宣戦布告し、大変多くの国が参戦することになりました。
上記にも書きましたが、この米国への宣戦布告がヒトラーの最大のミス(独、敗戦の原因)ともいわれているようです。
同じく、英国は、日本の真珠湾に助けられたとも。日本の米国への宣戦布告により独が米国に宣戦布告したため、独は英国に手が回らなくなり、英国への独の上陸はあきらめた。つまり「日本に助けられた」と、英国のドキュメンタリーで伝えていました。



そんな時ディズニーでは反ナチ映画を作っていました。タイトルは「■総統の顔」(ドナルドダックがヒトラー、ムッソリーニ、昭和天皇の肖像に敬礼する映像もありました)。また、日本を嘲笑した
「■東京 Tokyo Jokyo」も。


アメリカでは、ナチから迫害されたアインシュタイン(ユダヤ人)の署名もあり、迫害を逃れた多くのユダヤ人科学者が加わりマンハッタン計画(トップのオッペンハイマーもユダヤ人)で核兵器開発が遂行されました。

◆ブロック経済外の国同士で結んだ同盟(簡単にイタリアから)
まず最初のファシストは、かつてのローマ帝国の威光を取り戻すと「強いイタリア」を掲げて現れたムッソリーニでした。

ヒトラーは最初ムッソリーニへの憧れがあったそうで、何でも真似をしてゆきました。あの「ハイル・ヒトラー」のポーズさえもローマ式敬礼の影響。逆にムッソリーニはヒトラーを「道化師」と馬鹿にしていた時期があったようです。
その後、ムッソリーニはファシスト党内のクーデターで一時失脚しましたが、以前、道化師と馬鹿にしていたヒトラーの命令で救出されました。しかし、枢軸軍の完全な敗戦に伴い再び失脚し銃殺。ミラノ市の広場に吊るされた後、無記名の墓に埋葬されることになりました。


◆ドイツは、、、
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◆あのダンケルクを含め快進撃だったドイツでさえも、東部戦線でソ連を追い詰めていましたが、やはり冬将軍には勝てず、バグラチオン作戦をきっかけにだんだんと押される展開に。ソ連は女性兵士を(狙撃兵もふくめ)100万人も動員していました。

対ソ連、大戦初のドイツ軍の降伏


◆反対の西部戦線は、アメリカ・イギリスを中心とした連合軍(アイゼンハワーが指揮官)とドイツ(ロンメルが指揮官)とによる2年に渡る騙しあいの末、1944年6月6日、連合軍がノルマンディー上陸作戦成功で一気に形成が転換。さらにこの時
ヒトラーは愛人エヴァの妹の結婚式でドイツから大分離れた別荘に、ロンメルもそこにいた。この時の一番のドイツの失態は、アイスランドやグリーンランドにあったドイツ軍の気象観測所が連合軍によって破壊されており、上陸の暗号をドイツ軍が解読していたにも関わらず、天候悪化が続くと考え、対策を打たなかったこと。実は、上陸の1日だけは天候が回復する予報があったが上記の理由でドイツ軍は気象を読めていなかった。また、アイゼンハワーはノルマンディーに人口港を作るまでの執拗だったことも。ついに、パリはついに4年間のヒトラー支配から解放されました。



ドイツの戦力低下を支えたのが、10歳以上で加入が義務付けられヒトラーが作り育てた「ヒトラーユーゲント」↑達でした。しかし、非常に忠誠心の強い彼らもベルリンの戦いでは多くの犠牲者を出すことになりました。

◆ヒトラーは、すでに勝ち目がないとわかっており壁の厚さが5mもある地下壕に籠り指揮を執っていました。しかし、ベルリンの戦いの頃には、外の瓦礫を見ないようにし、形勢不利や負け戦の話を一切、避けるようになっていたことをドキュメンタリーで観ました。誰もが服従・崇拝していたあのヒトラーも最後を意識してからは、迷走しはじめ、暗殺未遂、裏切りによる猜疑心も強くなり、ナチ内部は崩れ始めたようです。
そんな頃、ヒトラーは愛人エヴァを地下壕に呼び、ささやかな結婚式を挙げ、その後、二人で命を絶ちました。


ヒトラーが肌身離さず持っていた母の肖像。地下壕で最期を迎える時も持っていたとのことでした。



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■最後に(文化、笑い、脳の仕組み、本当の強さ。そして対策)
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今回、欧州発、世界と日本を変えた「欲」「洗脳」を世界通史をベースに簡単にまとめてみました。そしてこれらには根深い問題が永遠に付きまとう、と思いました。ところが本当にそうだろうか?と思う気持ちも同時に湧いてきました。

というのは、ジャレド・ダイアモンド博士の「高度な文明が発達し出すとそれを止めることは不可能、最終的に文明が文明を抹殺・消滅するまで続く」「Us versus Them (我々 対 彼ら)という自然発生的に湧き出る対立の感情をなくすことは現人類の能力では不可能」という言葉に対する妙な居心地の悪さです。

■文化について
その居心地の悪さとは、ここに「文化」は入れられないのだろうかということです。
例えば、最初の項で書いた欧州の争いの原因に関する僕の見解が正しいとすれば、「文化」の違いが「争いのきっかけ」を作っています。しかし悲しいことに争いは必ず新しい「文明」を生み出し、不思議なことにその「文明」が次の「文化」を熟成させることもあります。
そこで、この争いのきっかけになった文化で争いを終わらせることが出来ないだろうかという疑問。ひょっとするとこれが可能な人類こそが「器の広さがなによりも重要視される次世代の人類」なのかも、と思うことが多くなりました。
実は、「小説や映画をたくさん読んだり観たりしている人は、人の心が読めるようになる」とのことで、ちょっとしたことで「攻撃的になりにくい」らしいのです(スタンフォード大、ジャミール・ザキ教授)。
争いを始めてしまうのは簡単ですが、終わらせるのには始めるときとは比較にならないほどの大変な労力が伴います。

■我慢と笑い
そこで、個人の場合の例を1つ。例えばどんなに相手が憎くても、相手を攻撃してしまう前に、なんとか我慢して踏みとどまってみる。感情に任せて攻撃するのは簡単でも思いとどまることは辛い。
実話を映画化した「素晴らしき世界」の元暴力団員(演:役所広司)が素人にバカにされても暴力を振るわず我慢に我慢を重ねるあのシーンのように、とにかく耐える。そして敵同士で素晴らしい文化表現(スポーツでも芸術でも)のプレー、作業、鑑賞をし、一緒に拍手を送ってみる。その時、大声を出して大笑いしてみる。「大笑い」をしてみると、こんな大切な時間を攻撃に使うのはよそう。自分たちの砂時計の残りの砂を少しでも思いを込めて落とそう、と心から思えるような気がしています。この「器の広さ」に可能性はないだろうか?
尚、「笑い」がNK細胞を活性化して 体の免疫力がアップすることは医学的にも証明されています。
ただ、こういう考えは「綺麗ごと」「甘い」と一蹴されるかもしれないですね。以前の僕がそうでしたから。

■脳の仕組みを利用
ご賛同は得られなくても、僕が考えている手段についても書かせてください。
我々は、与えられた命を生きてゆかなければなりません。過去には、いろいろな人達が、様々な精神状態で判断し歴史を作ってきた訳です。
時には、精神的に追い詰められ道半ばであきらめてしまった人も。何が襲ってきても常に最善の抜け道を探し生き抜いた怪物のような人も。中には何でも都合よく捉えフワフワと漂いながら見事に生きた強者もいたことでしょう。
今でも深刻で複雑な問題が世界的にも目の前でも起き続けています。そんな時でも、うれしいニュースや価値ある体験に接すると瞬時にワクワク物質が体中を循環します。でも、その逆は、、、嫌です、辛いです。

ただ、僕は、この2つを海馬の錯覚ではないかと思うようにしています。そしてこの錯覚を自身で操ってみるのもいい手なのかもしれないと。
僕の座右の銘は「真剣に楽しんでいる奴にはかなわない」という言葉です。この考えで僕はどれだけ助けられたかわかりません。ご存じかもしれませんが「デコーデッド・ニューロフィードバック」という精神疾患治療の一部を活用したものです。楽しいことをより楽しく、逆に嫌な体験を無意識のうちに消してしまう、という方法です。

具体的には、不毛なネガティブ要素が頭をよぎったら、瞬時に別のことを考える癖をつけるやり方です。経験上「瞬時の切り替え」が大切なようです。切り替える方法は「大笑いすること」です。確実に嫌なことが頭に現れなくなります。この効果は絶大で驚くほどです。特に僕の脳は海馬が小さいのか、大笑いして別の楽しいことを考えるとそれだけで一杯になってしまうようです。
たぶん僕の脳内的には、まず瞬時に不毛な情報が海馬に入り、その後、大脳皮質に届き定着する前に笑いの力で消してしまう方法だと勝手に考えています。瞬間で動く脳科学的にはありえないでしょうが、そう考えて腑に落とすことが大切かと、するとさらに効果抜群だからです。
出典を忘れてしまいましたが、人は一日に「13分以上嫌なことを考えると不幸な人生だと思う」らしいのです。つまりその時間を減らしてあげればよいのかと。また、世の中の事象で「これはありがたいこと、自分だけでは無理だった(例:お米だって自分では作れない、ありがたい)」を探してみるのも楽しいものです。
あとは「ネガティビィ・バイアス」という感情、これは自身のネガティブな情報を探し記憶に植え付けてしまうことらしく、特にこの性格はアジア人に多いらしいのです。こういうことが分かっているなら、あとはその逆(リフレーミング)を追求するだけで楽しくなるわけです。

さらに脳は出来るだけエネルギーを使わなような仕組みがあるので、何度もこの方法を行っていると意識しなくても嫌なことが脳に入ってこなくなるような気がしています。これは利用しない手はないです。まずは脳をネガティブにしないように鍛えることが重要かと。短い人生の中でネガティブ脳に自分がしてしまうのはあまりにももったいないです。
とは言っても、生きてゆく上でどうしても立ち向かわなければならないネガティブ要素には対峙せざる得ない、これは仕方ない(^o^)。

あと、ダマシオ教授の実験で脳のある部分を刺激すると不安になったり、別の部分を刺激すると嬉しくなったりすること。
また、脳内の視床下部が攻撃性を司っているようで当該部位(悪魔の部位)を刺激したとたん周りの物(人)に攻撃を加え、刺激を止めると突然おとなしくなるとのことです。(カリフォルニア大 苅郷友美教授)。逆に「天使の部位」もあるとのことです。
これは統計ですが、年収が増えても幸福度は増えないという統計すらあるようです。では争いに勝ったら幸せになれるでしょうか。
つまり、よく分からない感情が支配しているわけではない、仕組みが分かれば自分で管理できる可能性を表しているとも言えます。

追加で玉川大学の坂上雅道教授の話を聞くことが出来ました。すると人間の脳で沸き起こる感情(喜びも悲しみも)一瞬だけバーッと出るらしく、あとはそれを脳の各部位が引き継ぐか引き継がないかでその事象が学習に繋がるか繋がらないかが決まるらしいのです。それを知り、僕は自力で(嫌なことは大笑いして)引き継がなければよい訳か、と勝手に納得することにしました。

遅ればせながら最近知った「エピジェネティクス」 これは、DNAの配列が同じでも、後天的に細胞や個人の形質を変化させる機構が人間には備わっているということ。例えば、あることを続けていると元の性格自体も変わってくるということらしいのです。実は以前から不思議に思っていたんですが、「あの部署の人たちはこういう人が多い」などということ。それを聞くたびにそんなことはあり得ない、と思っていました。本人の意思で配属されたわけでなくてもその部署の色にいつのまにか染まっているだけではないかと。なら、自分を楽しい色に染めることも出来るのではないかと。

■人間の強さとは
「人間の強さと、前頭前皮質の関係」について、先日ペンシルベニア大のエイドリアン・レイン教授の話を(ネット経由ですが)聞く幸運に恵まれました。結論から言うと「強さとは体力ではなく自制心のこと」とのこと。例えば誰かに意味もなく侮辱されても、そこで我慢できるかどうか、あるいは反撃しないでいられるかどうか、でその人の強さ決まるとのこと。(これは上記の映画「素晴らしき世界」とも、「未来を生きる君たちへ」とも共通しています)
そしてそれを司っているのが「前頭前皮質」とのことです。これはデータですが、凶悪犯の前頭前皮質には、何らかの問題が多少なりともあるらしく、すべからく自制心が弱いことが分かっているとのことです。対策としては、自制する心を持ち続けていると前頭前皮質がだんだん強化できるとのことでした。

あと、女性の凄さに驚くことが最近、増えました。たぶん必要悪を認めない強さと、人生・命の大切さを心から知っているからかもしれません。世界史を見直してみても女性が始めた戦争がない※ことがその背景にあるのかもしれません。
※女性がリーダーでも周りの男性が女性に戦争を決定させたことが史実でも明らかになっています。


以上、大変長くなってしまいましたが、個人的な忘備録をお読みいただき本当にありがとうございました。


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◆参考資料および引用元(敬称略)
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まんが 世界の歴史 全巻(小学館)
まんが 日本の歴史 全巻(小学館)
日本の歴史(漫画版)全巻(学研)
世界の歴史(漫画版)全巻(学研)

現代の日本史 山川出版
現代の世界史 山川出版
世界史図録 山川出版
影響と連鎖の全世界史 太田出版
新選日本史B 東京書籍
世界史B 東京書籍
詳説日本史 山川出版
詳説世界史 山川出版

牧野 邦昭 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く
高川 邦子  ハンガリー公使大久保利隆が見た三国同盟: ある外交官の戦時秘話
本村 凌二 独裁の世界史
本村 凌二 はじめて読む人のローマ史1200年
本村 凌二 教養としての「ローマ史」の読み方
本村 凌二 20の古典で読み解く世界史
本村 凌二 興亡の世界史 地中海世界とローマ帝国
半藤 一利 昭和史
山崎 圭一 日本史の教科書
山崎 圭一 世界史の教科書
池上 彰 世界の宗教のことが3時間で学べる
池上 彰 世界の宗教が面白いほどわかる本
木村 靖二 第一次世界大戦
木村 靖二 二つの世界大戦
岡部 伸 第二次世界大戦、諜報戦秘史
村山 秀太郎 世界各国史
村山 秀太郎 東大の世界史
細谷 雄一  軍事と政治 日本の選択
細谷 雄一  自主独立とは何か
秦 郁彦 統帥権と帝国陸海軍の時代
司馬 遼太郎 この国のかたち
上田 信 歴史を歴史家から取り戻せ!史的な思考法
上田 信 貨幣の条件
上田 信 アジアの海を渡る人々
上田 信 人口の中国史
上田 信 海と帝国
篠田 謙一 新版、日本人になった先祖たち、DNAから解明する多面的構造論
スヴァンテ・ペーボ ネアンデルタール人は私たちと交配した
瀬谷 ルミ子 職業は武装解除
山極 寿一 暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る
河江 肖剰 宇宙考古学の冒険

馬屋原 吉博 世界史の基本
ジェフリ パーカー、 大久保 桂子 ヨーロッパ軍事革命の衝撃
大月 康弘 ヨーロッパ 時空の交差点
落合 一泰 ラテンアメリカン・エスノグラフィティ
大貫 良夫 落合 一泰他 新版 ラテンアメリカを知る事典
染田 秀藤 大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む
佐川 英治 中国と東部ユーラシアの歴史
浅岡 善治 中嶋毅 人間と文化の革新 (ロシア革命とソ連の世紀 第4巻)
中嶋 毅 スターリン: 超大国ソ連の独裁者 (世界史リブレット人)
斎藤 孝 図解 資本論 未来へのヒント
アグネス カラード, 小川 仁志他 怒りの哲学 正しい「怒り」は存在するか
中野 耕太郎 20世紀アメリカの夢: 世紀転換期から1970年代 3 巻 (全 4 冊): シリーズ アメリカ合衆国史
中野 耕太郎 戦争のるつぼ: 第一次世界大戦とアメリカニズム (レクチャー第一次世界大戦を考える)
中野 耕太郎 アメリカ合衆国の形成と政治文化―建国から第一次世界大戦まで (アメリカ史のフロンティア) 
羽田 正 新しい世界史へ――地球市民のための構想
羽田 正 〈イスラーム世界〉とは何か 「新しい世界史」を描く
羽田 正 グローバル化と世界史 (シリーズ・グローバルヒストリー)
李 泰鎮 六反田豊 朝鮮王朝社会と儒教 (韓国の学術と文化)
須川 英徳 三ツ井崇 韓国朝鮮の歴史と文化: 古代から現代まで
須川 英徳 韓国朝鮮の歴史と文化: 古代から現代まで
水島 司 グローバル・ヒストリー入門 (世界史リブレット)
水島 司 環境に挑む歴史学
山下 範久 教養としての世界史の学び方
エリック・ミラン 、 山下 範久 資本主義の起源と「西洋の勃興」
モーリス・ヴァイス 戦後国際関係史
ジェームズ・L・ノーラン 原爆投下、米国人医師は何を見たか:マンハッタン計画から広島・長崎まで、隠蔽された真実

ウィル・アイズナー 陰謀―史上最悪の偽書『シオンのプロトコル』の謎
エイドリアン・レイン 暴力の解剖学: 神経犯罪学への招待
リン・ハント 人権を創造する
リン・ハント なぜ歴史を学ぶのか
リン・ハント グローバル時代の歴史学
尾仲達史 ストレスの科学
リン・ハント フランス革命の政治文化 
ジャミール・ザキ スタンフォード大学の共感の授業 人生を変える「思いやる力」の研究
イアン・モリス 人類5万年 文明の興亡(上、下): なせ西洋が世界を支配しているのか
エリカ・チェノウェス 市民的抵抗:非暴力が社会を変える
日経サイエンス 人間らしさの起源(社会性、知性、技術の進化史)
羽田 正 グローバル化と世界史、新しい世界史へ、地域史と世界史
ジーン・シャープ 独裁体制から民主主義へ
ジーン・シャープ 非暴力を実践するために
エリカ・チェノウェス 市民抵抗:非暴力が社会を変える
アンガス・マディソン 世界経済史概観(紀元1〜2030年)

岡田 尊司 マインド・コントロール
架神 恭介 辰巳 一世 完全教祖マニュアル
苫米地 英人 日本人の99%が知らない戦後洗脳史
苫米地 英人 洗脳原論
ジョエル・ディムズディール 洗脳大全: パブロフからソーシャルメディアまで
ミシェル・ゲルファンド ルーズな文化とタイトな文化
山内 昌之 嫉妬の世界史

山口 創 皮膚という「脳」 心をあやつる神秘の機能
金子 大栄  「人間」について―苦・脳・欲・死 そして生きるとは
中野 明 マズロー心理学入門―人間性心理学の源流を求めて
宮下 国一郎 人間の欲望と「生」
竹村 健一 「欲望」が人間の器を決める
相良 守次 人間の欲望・感情
時実 利彦 人間であること
佐伯 啓思 さらば、欲望 資本主義の隘路をどう脱出するか
丸山 俊一 マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する
アントニオ・ダマシオ 教養としての「意識」 機械が到達できない最後の人間性
須藤 健一 それ日本と逆!?文化の違い習慣のちがい(全6巻)
ウリケ・シェーデ 再興 THE KAISHA 日本のビジネス・リインベンション

谷本 真由美 世界のニュースを日本人は何も知らない
一田 和樹 フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器
井口 耕二 フィルター・バブル インターネットが隠していること

谷 喬夫 ナチ・イデオロギーの系譜: ヒトラー東方帝国の起原
テリー イーグルトン イデオロギーとは何か
遠藤 晶久 イデオロギーと日本政治―世代で異なる「保守」と「革新」

ユヴァル・ノア・ハラリ ホモ・デウス、サピエンス全史
人類史研究会(岡村道雄) ホモ・サピエンスの歴史
ジャレド・ダイヤモンド 銃・病原菌・鉄
関野 通夫 一神教が戦争を起こす理由
ジークムント・フロイト モーセと一神教

NHK高校講座 日本史(全40講座)
NHK高校講座 世界史(全40講座)
NHK 映像の世紀(全回)
NHK 新・映像の世紀(全回)
NHK 映像の世紀プレミアム(全回)
NHK 日本海軍400時間の証言
NHK 日本人はなぜ戦争へと向かったのか
NHK ヒトラー権力掌握への道(前・後)
NHK ヒトラーに傾倒した男
NHK 世紀を越えて
NHK 世界のドキュメンタリー
NHK 東京裁判(人は戦争を裁けるか)1〜4
ヒストリーチャンネル ナチスの証言
ヒストリーチャンネル 宇宙から見た第二次世界大戦
英国放送協会
CC&C 2France2
FTV
RBB
ARD
戦艦ミズーリ記念館(特攻の写真)
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以上
 


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◆欧州の戦争(紛争)一覧
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紀元前500年以前
5000 BC タールハイムの大規模墳墓
1286 BC ガデシュの戦い
1200 BC トロイヤ戦争
1104–900 BC ドリアン侵略
753–351 BC ローマ・エトルリア戦争
753–494 BC ローマ・サビヌ戦争
743–724 BC 第一次メッセニア戦争
710–650 BC レラントス戦争
700–601 BC アルバとローマの戦争
685–668 BC 第二次メッセニア戦争
669–668 BC ヒュシアイの戦い
600–265 BC シケリア戦争
595–585 BC 第一次神聖戦争
560 BC 第二次アルカディア戦争
540 BC アラリアの戦い
538–522 BC ポリュクラテス戦争

紀元前500〜200年
499 BC ペルシャ戦争
509–396 BC 初期のイタリア戦役
500–499 BC ペルシャのナクソス侵攻
492–490 BC ペルシャ帝国第一次ギリシャ遠征
482–479 BC ペルシャ帝国第二次ギリシャ遠征
480–307 BC シケリア戦争
460–445 BC 第一次ペロポネソス戦争
449–448 BC 第二次神聖戦争
440–439 BC サミアン戦争
431–404 BC 第二次ペロポネソス戦争
395–387 BC コリントス戦争
390–387 BC ケルトのイタリア侵攻
335 BC アレクサンドロス大王の東征
323–322 BC ラミア戦争
280–275 BC ピュロス戦争
267–261 BC クレモニデス戦争
264–241 BC 第一次ポエニ戦争
229–228 BC 第一次イリュリア戦争
220–219 BC 第二次イリュリア戦争
218–201 BC 第二次ポエニ戦争
214–205 BC 第一次マケドニア戦争

紀元前200年以降
200–197 BC 第二次マケドニア戦争
191–189 BC アイトーリア戦争
171–168 BC 第三次マケドニア戦争
135–132 BC 第一次奴隷戦争
113–101 BC キンブリ・テウトニ戦争
113 BC 439 ゲルマン戦争
104–100 BC 第二次奴隷戦争
91–88 BC 同盟市戦争
88–87 BC スッラの第一次内戦
85 BC ポントス王国に対するコルキスの反乱
83–72 BC セルトリウス戦争
82–81 BC スッラの第2次内戦
78 BC  マルクス・アエミリウス・レピドゥス
73–71 BC 第三次奴隷戦争
73–63 BC ローマのシリア地方とユダヤ戦争
65–63 BC ポンペイウスのイベリアとアルバニア戦役
63–62 BC 第二次カティリナの陰謀
55–54 BC ローマによるブリタンニア侵攻
58–51 BC ガリア戦争
49–45 BC ローマ内戦
44–36 BC シチリア反乱
43 BC ムティナの戦い
43–42 BC 解放者戦争
41–40 BC ペルシアの戦い
32–30 BC 共和制ローマの最終戦争

1〜10世紀
9 ファルスの戦い
35–41 イベリア・ペルシア戦争
49–96 ローマの英国征服
51 アルメニア・イベリア戦争
69 ローマ内戦
69–70 バタヴィ族の反乱
193 ローマ内戦
208–210 ローマのカレドニア侵攻
238 ローマ内戦
271–278 コルキス・ローマ戦争
284–285 ローマ内戦
306–324 テトラルキア内戦
350–351 ローマ内戦
360–361 ローマ内戦
367–368 偉大なる共謀
376–382 ゴート戦争1
387–388 ローマ内戦
394 フリギドゥスの戦い
482–484 イベリア・ペルシア戦争
526–532 イベリア戦争
535–554 ゴート戦争2
541–562 ラジカ戦争
582–602 マウリキウスのバルカン戦役
600–793 フリース人・フランク人戦争
650–799 アラブ・ハザール戦争
680–1355 ブルガリア・東ローマ戦争
711–718 ウマイヤ朝のヒスパニア征服
715–718 フランクの内戦
722–1492 レコンキスタ
732 トゥール、ポワティエ間
735–737 ジョージア・ウマイヤ朝戦争
772–804 ザクセン戦争
800/862–973 ハンガリーのヨーロッパ侵攻
830s ルーシのパプラゴニア遠征
839–1330 ブルガリア・セルビア戦争
854–1000 クロアチア・ブルガリア戦争
860 ルーシ・ビザンツ戦争
865–878 大異教徒軍の侵攻
907 ルーシ・ビザンツ戦争
914 アラブ・ジョージア戦争
939 アンダーナッハの戦い
941 ルーシ・ビザンツ戦争
955 レクニッツの戦い
970–971 スヴャトスラフ1世のブルガリア侵攻
982 スティーロの戦い
983 スラヴ人の大蜂起

11世紀
1002–1018 ドイツ・ポーランド戦争
1014–1208 ビザンツ・グルジア戦争
1015–1016 ピサ=ジェノヴァ連合軍のサルデーニャ防衛
1015–1016 クヌート1世のイングランド侵攻
1018 フラールディンゲンの戦い
1024 リストヴェンの戦い
1024 ルーシ・ビザンツ戦争
1043 ルーシ・ビザンツ戦争
1048- 1308 セルジューク・東ローマ戦争
1044 Ménfőの戦い
1048–1064 デンマークの侵略
1050–1185 ノルマン・東ローマ戦争
1057 Petroeの戦い
1060 Theben峠の戦い
1066 スタンフォード・ブリッジの戦い
1066–1088 ノルマン・コンクエスト
1067–1194 ノルマン朝のウェールズ侵攻
1067 ネミガ川の戦い
1068 アリタ川の戦い
1073–1075 ザクセン戦争 (ハインリヒ4世)
1075 伯爵たちの反乱
1077–1088 ザクセンの大反乱
1078 Kalavryeの戦い
1088 1088年の反乱
1093 シュミラウの戦い
1093 ステューフナ川の戦い
1097 グヴォズドの戦い
1099–1204 グルジア・セルジューク朝戦争

12世紀
1109 グウォグフの戦い
1115 ヴェルフェスホルツの戦い
1121 ディドゴリの戦い
1126 Chlumecの戦い
1130–1240 ノルウェーの内戦時代
1135–54 無政府時代 (イングランド)
1142–1445 スウェーデン・ノヴゴロド戦争
1144–1162 ボーサンク戦争
1159–1345 教皇派と皇帝派の戦争
1164 Verchenの戦い
1169–1175 ノルマン人のアイルランド侵攻
1173–1174 1173-1174年の反乱
1185–1204 アセンとペタルの蜂起
1198 ジゾールの戦い
1198–1290 リヴォニア十字軍

13世紀
1201 シュテラの戦い
1202 ザダルの包囲
1202–1214 英仏戦争
1205 ザヴィホストの戦い
1208–1227 エストニア征服
1209–1229 アルビジョア十字軍
1211 1211年ウェールズ反乱
1215–1217 第一次バロン戦争
1216–1222 シャンパーニュ継承戦争
1220–1264 Sturlungsの時代
1223–1241 モンゴルのヨーロッパ侵攻
1223–1480 タタールのルーシ襲撃
1224 ラ・ロシェルの包囲
1227 ボルンヘーフェトの戦い
1231–1233 フリース・ドルテ戦争
1234–1238 モンゴルのグルジア侵攻
1239–1245 テルトー戦争
1242 サントンジュ戦争
1256–1258 エウボイア継承戦争
1256–1381 ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争
1256–1422 フリースラント・ホラント戦争
1260 クレッセンブルンの戦い
1262–1266 スコットランド・ノルウェー戦争
1264–1267 第2次バロン戦争
1265 Isaszegの戦い
1275–1276 ヴァルデマール1世に対する戦争
1276–1278 6000マーク戦争
1276 ナバラ戦争
1277–1280 イヴァイロの反乱
1278 マルヒフェルトの戦い
1282–1302 シチリア晩祷戦争
1283–1289 リンブルフ継承戦争
1288–1295 アウトロー戦争
1296–1357 スコットランド独立戦争
1297–1305 フランス・フランドル戦争
1298 ゲルハイムの戦い

14世紀
1302 金拍車の戦い
1304–1310 スウェーデン兄弟の確執
1307 ルッカの戦い
1311–1312 ヴイト・アルベルトの反乱
1312 Rozgonyの戦い
1321–1322 ディスペンサー戦争
1321–1328 1321-1328年ビザンチン内戦
1322 Bliskaの戦い
1323–1328 フランドル農民反乱 
1324 サン・サルドス戦争
1326–1332 ポーランド・ドイツ騎士団戦争
1333–1338 バーク内戦
1337–1453 百年戦争
1340–1392 ハールィチ・ヴォルィーニ戦争
1340–1396 ブルガリア・オスマン戦争
1341–1347 1341–1347年ビザンチン内戦
1342–1350 熱心党の反乱 
1343–1345 聖ゲオルギオスの夜の蜂起
1347–1352 ラヨシュ1世のナポリ遠征
1350–1498 VetkopersとSchieringersの戦争
1350–1490 HookとCod戦争
1356–1358 ジャックリーの乱
1356–1375 二人のペドロの戦争
1362 ヘルシンボリの戦い
1362–1457 War of the Bands
1366–1369 第一次カスティーリャ継承戦争
1366–1526 オスマン・ハンガリー戦争
1369–1370 第一次フェルナンドの戦争
1371–1913  セルビア・オスマン戦争
1371 ベスヴァイラーの戦い
1371–1379 ゲルデルン継承戦争
1371–1381 キオッジャ戦争
1372–1373 第二次フェルナンドの戦争
1373–1379 1373-1379年ビザンチン内戦
1375 Gugler戦争
1375–1378 八聖人戦争
1381 ワット・タイラーの乱
1381–1382 第三次フェルナンドの戦争
1381–1384 リトアニアの内戦 (1381年-1384年)
1382 HarelleとMaillotinsの反乱
1381–1404 第二次グルジア・モンゴル戦争
1389 コソボの戦い
1389–1392 リトアニアの内戦 (1389年-1392年)
1395 ニコポリスの戦い

15世紀
1400–1415 グリンドゥールの反乱
1401–1429 アッペンツェル戦争
1407–1468 トルクメン・ジョージア戦争
1409–1411 ポーランド・リトアニア・ドイツ騎士団戦争
1410–1435 シュレースヴィヒ戦争
1414 飢餓戦争
1419–1434 フス戦争
1422 ゴルブ戦争
1422 アルベドの戦い
1425–1454 ロンバルディア戦争
1431–1435 ポーランド・ドイツ騎士団戦争
1434–1436 エンゲルブレクトの反乱
1437 Budai Nagy Antalの反乱(トランシルヴァニアの大農民反乱)
1438–1556 ロシア・カザン戦争
1440–1446 古チューリッヒ戦争
1441 サモボルの戦い
1443–1444 ヴァルナ十字軍
1445 第一次オルメドの戦い
1447–1448 アルバニア・ヴェネツィア戦争
1449–1450 第一次辺境伯戦争
1449 カスティオーネの戦い
1449–1453 ヘントの反乱
1450 ジャック・ケイドの反乱
1451–1455 ナバーラ内戦
1453 コンスタンティノープルの戦い
1453–1454 モレアスでのアルバニア人反乱 (農民反乱)
1454–1466 十三年戦争
1455–1485 薔薇戦争
1462–1485 レメンサ農民の反乱
1462–1472 カタルーニャ内戦
1463–1479 オスマン・ヴェネツィア戦争
1465 モンテリーの戦い (公益同盟戦争)
1465–1468 リエージュ戦争
1466–1469 イルマンディーニョの反乱
1467 第二次オルメドの戦い
1467–1479 司祭戦争
1468 ヴァルツフート戦争
1468–1478 ボヘミア戦争
1470–1471 デンマーク・スウェーデン戦争
1470–1474 イングランド・ハンザ同盟戦争
1475–1479 第二次カスティーリャ継承戦争
1477–1488 オーストリア=ハンガリー戦争 (1477–88)
1478 ケルンテンの農民反乱
1478 ジョルニコの戦い
1479 ギネガテの戦い
1482–1484 フェラーラ戦争
1484 Lochmaben Fairの戦い
1485–1488 マッド戦争
1487 クレヴォラドッソラの戦い
1487 ロヴェレートの戦い
1488 ソーキバーンの戦い
1492–1583 モスクワ・リトアニア戦争
1493 クルバヴァの戦い
1493–1593 クロアチア・オスマン百年戦争
1494–1498 イタリア戦争 (1494〜1498年)
1495–1497 ロシア・スウェーデン戦争
1497 1497年のコーニッシュ反乱
1497 ロテブロの戦い
1499 スワビアン戦争
1499–1504 イタリア戦争 (1499年-1504年)

16世紀
1500–1854 レキアノバ
1502–1543 ゲルデルン戦争
1503–1505 ランツフート継承戦争
1508–1516 カンブレー同盟戦争
1509–1510 ポーランド・モルダヴィア戦争
1514 貧民コンラートの乱
1514 ドージャ・ジェルジの反乱
1514–1517 ザクセンとエッツアルト1世の戦争
1515 スロベニア農民反乱
1515–1523 フリースラントの農民反乱
1519–1521 ポーランド・ドイツ騎士団戦争
1520–1521 コムネロスの反乱
1521–1523 ヘルマニア反乱
1521–1523 スウェーデン解放戦争
1521–1718 オスマン帝国・ハプスブルク家戦争
1522–1523 騎士戦争
1522–1559 イタリア戦争
1524–1525 ドイツ農民戦争
1526 Espadánの反乱
1529 第一次カッペル戦争
1531 第二次カッペル戦争
1534 絹衣のトマスの乱
1534–1535 ミュンスターの反乱
1534–1536 伯爵戦争
1536–1537 恩寵の巡礼
1540 塩戦争
1542–1543 ダッケの反乱 (農民反乱)
1543–1550 ラフ・ウーイング
1546–1547 シュマルカルデン戦争
1549 ケットの乱
1549 祈祷書反乱
1550 Sauðafellの戦い
1552–1555 第二次辺境伯戦争
1554 ワイアットの乱
1554–1557 ロシア・スウェーデン戦争
1558–1583 リヴォニア戦争
1560 リース包囲戦
1562–1598 ユグノー戦争
1563–1570 北方七年戦争
1565 マルタ大包囲戦
1566 シゲトバールの包囲
1568–1570 モリスコ反乱
1568–1648 八十年戦争
1569–1570 北部諸侯の乱
1569–1573 第一次デスモンドの反乱
1572 サン・バルテルミの虐殺
1573 クロアチアとスロベニアの農民反乱
1578 グルジア・オスマン戦争
1579–1583 第二次デスモンドの反乱
1580–1583 ポルトガル継承戦争
1583–1588 ケルン戦争
1585–1604 英西戦争
1588–1654 オランダ・ポルトガル戦争
1587–1588 ポーランド継承戦争
1590–1595 ロシア・スウェーデン戦争
1593 シサクの戦い
1593–1606 長期戦争 (オスマン帝国)
1593–1617 モルダヴィア・マグナート戦争
1594–1603 アイルランド九年戦争
1595–1621 モルダヴィア・マグナート戦争
1596–1597 カジェル戦争
1598–1599 シギスムンドに対する戦争

17世紀
1600–1629 スウェーデン・ポーランド戦争
1602 ジュネーヴのサヴォイア・エスカラード
1605–1618 ロシア・ポーランド戦争
1606–1607 ボロトニコフの反乱
1606–1608 ゼブジドフスキの反乱
1610–1617 イングリア戦争
1611–1613 カルマル戦争
1615–1618 ウスコク戦争
1618–1648 三十年戦争
1618–1639 グラウビュンデン紛争
1620–1621 ポーランド・オスマン戦争
1625 ジュマイロの蜂起 (コサックの反乱)
1627–1629 英仏戦争
1628–1631 マントヴァ継承戦争
1630 フェドロヴィチの蜂起 (コサックの反乱)
1632–1634 スモレンスク戦争
1637 パウリュークの蜂起 (コサックの反乱)
1638 オストリャーヌィンの蜂起 (コサックの反乱)
1639–1653 清教徒革命
1640–1668 ポルトガル王政復古戦争
1648–1657 フメリニツキーの乱
1651 Kostka-Napierskiの蜂起 (農民反乱)
1651–1986 三百三十五年戦争
1652–1674 英蘭戦争
1653 1653年スイス農民戦争
1654 第一次ブレーメン戦争
1654–1667 ロシア・ポーランド戦争
1655–1660 北方戦争
1656–1712 フィルメルゲン(フィルメーガー)戦争
1663–1664 墺土戦争
1666 第二次ブレーメン戦争
1666–1671 ポーランド・コサック・タタール戦争
1667–1668 ネーデルラント継承戦争
1670–1671 ラージンの反乱
1672 第一次カラック蜂起
1672–1678 仏蘭戦争
1672–1673 第二次ジェノヴァ・サヴォイア戦争
1675–1679 スコーネ戦争
1676–1681 露土戦争
1679 カヴェナンター蜂起
1683–1684 再統合戦争
1683–1699 大トルコ戦争
1685 モンマスの反乱
1688–1697 大同盟戦争
1689–1692 第一次ジャコバイト反乱

18世紀
1700 リトアニア内戦
1700–1721 大北方戦争
1701–1713 スペイン継承戦争
1703–1711 ラーコーツィの独立戦争
1707–1708 ブラービン蜂起
1712 トッゲンブルク戦争
1714–1718 オスマン・ヴェネツィア戦争
1715–1716 1715年ジャコバイト反乱
1716–1718 墺土戦争
1718–1720 四国同盟戦争
1722–1723 ロシア・ペルシャ戦争
1727–1729 英西戦争
1733–1738 ポーランド継承戦争
1735–1739 ロシア・トルコ戦争
1737–1739 オーストリア・トルコ戦争
1740–1748 オーストリア継承戦争
1740–1763 シュレージエン戦争
1741–1743 ロシア・スウェーデン戦争
1745–1746 1745年ジャコバイト反乱
1756–1763 七年戦争
1757 ジョージア・オスマン戦闘
1763–1864 ロシア・チェルケス戦争
1768–1772 バール連盟の戦争
1768–1774 露土戦争
1770 ジョージア・オスマン戦闘
1770 オルロフの反抗
1774–1775 プガチョフの乱
1775–1783 アメリカ独立戦争
1778–1779 バイエルン継承戦争
1784 ケトル戦争
1784–1785 Horea、Cloșca、Crișanの蜂起
1785 スンジャの戦い
1787 オランダ愛国派の蜂起
1787–1791 墺土戦争
1787–1792 露土戦争
1788–1790 第一次ロシア・スウェーデン戦争
1790 サクソン農民蜂起
1792 1792年ポーランド・ロシア戦争
1792–1802 フランス革命戦争
1794 コシチュシュコ蜂起
1795 クシャニシの戦い
1798 1798年のアイルランド蜂起
1798 農民戦争

19世紀
1803 アイルランド蜂起 (1803年)
1803 スーリオーテ戦争
1803–1815 ナポレオン戦争
1804–1813 第一次セルビア蜂起
1804–1813 ロシア・ペルシャ戦争 (1804年-1813年)
1806–1812 露土戦争 (1806年-1812年)
1808–1809 第二次ロシア・スウェーデン戦争
1809 ポーランド・オーストリア戦争
1815–1817 第二次セルビア蜂起
1817–1864 コーカサス戦争
1821–1832 ギリシャ独立戦争
1821 ワラキア蜂起
1823 フランスのスペイン侵攻
1826–1828 ロシア・ペルシャ戦争 (1826年-1828年)
1827 Malcontentsの戦争
1828–1829 露土戦争 (1828年-1829年)
1828–1834 ポルトガル内戦
1830 十日戦争 (ベルギー独立革命に続く)
1830–1831 11月蜂起
1831 カヌート(絹織物工)反乱
1831–1832 ボスニア蜂起
1831–1836 十分の一税戦争
1832 ヴァンデとChouannerieでの戦争 (1832年)
1832 六月暴動
1833–1839 第一次カルリスタ戦争
1833–1839 アルバニア蜂起 (1833年〜1839年)
1843–1844 アルバニア蜂起 (1843年〜1844年)
1846 ガリシアの虐殺
1846–1849 第二次カルリスタ戦争
1847 アルバニア蜂起 (1847年)
1847 分離同盟戦争
1848–1849 ハンガリー革命と独立戦争
1848–1851 第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争
1848–1849 第一次イタリア独立戦争
1853–1856 クリミア戦争
1854 イピロス蜂起 (1854年)
1858 マフトラ戦争
1859 第二次イタリア独立戦争
1861–62 モンテネグロ・オスマン戦争
1863–1864 1月蜂起
1864 第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争
1866 普墺戦争
1866–1869 クレタ島の反乱
1866 第三次イタリア独立戦争
1867 フェニアン蜂起
1870–1871 普仏戦争
1872–1876 第三次カルリスタ戦争
1873–1874 カントナリスタ蜂起
1875–77 ヘルツェゴヴィナ蜂起
1876–78 セルビア・オスマン戦争
1876–78 モンテネグロ・オスマン戦争
1877–1878 露土戦争
1878 イピロス蜂起(1878年)
1885 セルビア・ブルガリア戦争
1897 希土戦争

20世紀
1903 イリンデン蜂起
1904–1908 マケドニアの闘争
1904–1905 日露戦争
1905 ウッチの暴動
1905 ロシア第一革命
1906–1908 テリソ反乱
1907 1907年ルーマニア農民反乱
1910 1910年アルバニア反乱
1910 1910年10月5日革命
1910 ポルトガル君主主義者の内戦
1911 1911年アルバニア反乱
1911–1912 伊土戦争
1912–1913 バルカン戦争
1912–1913 第一次バルカン戦争
1913 第二次バルカン戦争
1913 Tikveš反乱
1913 オフリド・デバル反乱
1914 アルバニアの農民反乱
1914–1918 第一次世界大戦
1916 Noemvriana (武力衝突につながった政治論争)
1917 トプリツァ反乱
1918 ユーデンブルク反乱
1918 カッタロ反乱 (装甲巡洋艦「ザンクト・ゲオルク」の水兵の反乱)
1918 アスター革命
1918 ラドミル反乱 (アレクサンダル・スタンボリイスキ)
1918 フィンランド内戦
1916 イースター蜂起
1917 ロシア革命
1917 2月革命
1917 七月蜂起
1917 ポルボートク衆の叛乱
1917 コルニーロフ事件(クーデター未遂)
1917 十月革命
1917 Junker反乱
1917 ケレンスキー・クラスノフの反乱
1917–1921 ロシア内戦
1917–1918 露土戦争
1917–1921 ウクライナ独立戦争
1917–1921 ウクライナ・ソビエト戦争
1918–1919 ウクライナ・ポーランド戦争
1918–1924 ボルシェヴィキに対する左翼の反乱
1918 社会革命党左派の蜂起
1921 クロンシュタットの反乱
1918–1922 ヘイモソダト (親族戦争)
1918–1920 エストニア独立戦争
1918 ヴィエナ・カレリア(ホワイト・カレリア)遠征
1918 オロネツ遠征
1918–1920 ペツァモ遠征
1918–1920 イングリアのフィン人の全国的反乱
1921–1922 東カレリア反乱
1918–1925 ロシア内戦への協商国の干渉
1918–1920 北方ロシア干渉
1918–1922 シベリア出兵
1918 グルジア・アルメニア戦争
1918–1920 ジョージア・オセチア紛争
1918–1919 ソチ紛争 (ジョージア・ロシア紛争)
1918–1920 アルメニア・アゼルバイジャン戦争
1918–1920 ラトビア独立戦争
1918–1920 リトアニア独立戦争
1918–1919 リトアニア・ソビエト戦争
1919 リトアニア独立戦争 (Bermontiansに対する戦争)
1920 ポーランド・リトアニア戦争
1919–1921 ポーランド・ソビエト戦争
1921 ジョージア・ロシア戦争 (赤軍のジョージア侵攻)
1924 ソ連に対するジョージアの反乱
1919–1920 ハンガリー革命 (1919年)
1918–1919 ハンガリー・ルーマニア戦争
1919 Sejny蜂起
1919 ホーチンの蜂起
1918 ジョージア・トルコ戦争
1918–1919 カリンシアでのオーストリア・スロベニア紛争
1918–1958 ポーランド・チェコスロバキア国境紛争
1919 ポーランド・チェコスロバキア戦争 (チェシン・シレジア)
1918–1919 ドイツ革命
1918–1919 大ポーランドの反乱
1919–1923 トルコ革命
1919–1922 希土戦争
1920 トルコ・アルメニア戦争
1919 クリスマス蜂起
1919–1920 イタリア・ユーゴスラビア戦争
1919–1920 チェコスロバキア・ハンガリー戦争
1919–1921 シレジア蜂起
1919 第一次シレジア蜂起
1920 第二次シレジア蜂起
1921 第三次シレジア蜂起
1919–1921 アイルランド独立戦争
1920 Husino反乱
1920 ヴロラ戦争
1920 カップ一揆
1920 ルール蜂起
1920 スウツク防衛行動
1919–1920 赤い二年間
1921 西ハンガリーでの反乱
1921 二月蜂起
1922–1923 アイルランド内戦
1923 コルフ島事件
1923 九月蜂起
1923 クライペダ反乱
1923 Leonardopoulos–Gargalidisクーデター未遂 (ギリシャ)
1924 1924年エストニアクーデター未遂
1924 八月蜂起
1925 ペトリック事件 (野良犬戦争)
1932 マンツァラ蜂起 (失敗)
1933 カサス・ビエハス事件
1933 スペインの無政府主義者の蜂起
1934 1934年オーストリアの鉱夫の大規模ストライキ
1934 オーストリア内戦 (2月内乱)
1935 1935年ギリシャのクーデター未遂
1936–1939 スペイン内戦
1938 1938年ギリシャのクーデター未遂
1939 ハンガリーのカルパト・ウクライナ侵攻
1939–1965 スペインのマキス(ゲリラ組織)
1939–1945 第二次世界大戦
1939 ナチス・ドイツのポーランド侵攻
1939 ソ連のポーランド侵攻
1939–1940 冬戦争 (ソ連のフィンランド侵攻)
1940 ソ連のバルト三国の侵攻
1940–1941 ギリシャ・イタリア戦争
1941–1945 独ソ戦
1941–1944 継続戦争
1942–1956 ウクライナ蜂起軍
1944 スロバキア民衆蜂起
1944 ワルシャワ蜂起
1944–1956 バルト三国のゲリラ戦争
1946–1949 ギリシャ内戦
1947–1962 ルーマニアの反共レジスタンス運動
1953 東ベルリン暴動
1956 ポズナン暴動
1956 ハンガリー動乱
1956–1962 収穫作戦
1958 コルシカ作戦 
1958 第一次タラ戦争
1959–2011 バスク紛争
1967 ギリシャクーデター 
1968 ワルシャワ条約機構軍のチェコスロバキア侵攻
1968–1998 北アイルランド問題
1970–1984 イタリアでの暴動 (鉛の時代)
1972 ブゴイノ・グループ
1972–1973 第二次タラ戦争
1974 トルコのキプロス侵攻
1974 カーネーション革命
1975–1976 第三次タラ戦争
1981 スペインクーデター
1988–1994 ナゴルノ・カラバフ戦争
1989 ルーマニア革命
1990–1991 ソ連のリトアニアの国境検問所への攻撃
1991 血の日曜日事件 (リトアニア)
1991 バリケード事件
1991 十日間戦争 (スロベニア)
1991–1992 南オセチア紛争 (1991-1992年)
1991–1993 ジョージア内戦
1991–1995 クロアチア紛争
1992 トランスニストリア戦争
1992 オセチア・イングーシ紛争
1992–1993 ロシア・アブハジアの同盟に対する第一次ジョージア戦争
1992–1995 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
1993 シェルブール事件
1993 10月政変
1994–1996 第一次チェチェン紛争
1995–1996 イミア/カルダック軍事危機
1997–1998 キプロスミサイル危機
1997 1997年アルバニア暴動
1998–1999 コソボ紛争
1998–現在 非主流派アイルランド運動
1998 ロシア・アブハジアの同盟に対する第二次ジョージア戦争
1999 ダゲスタン戦争
1999–2009 第二次チェチェン紛争
1999–2001 プレシェヴォ渓谷危機

21世紀
2001 マケドニア紛争
2002 ペレヒル島危機
2004–2013 コソボ暴動
コソボ暴動 (2004年)
コソボ暴動 (2008年)
2011–2013 北コソボ危機
2004 ジョージア、アジャリア危機
2006 ジョージア、コドリ渓谷危機
2007–2015 イングーシ内戦
2008 南オセチア紛争
2009–現在 北コーカサスでの反乱
2013–2014 ユーロマイダンとウクライナの親ロシア派の暴動
2014 クリミア危機
2014 ウクライナ内戦
2015 クマノヴォ衝突
2022 ロシア、ウクライナ侵攻
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