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■■【最新】 世界を変えた「統帥権の独立」とその影響で起こった事象■■
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■「日本が起こした無謀な戦争の何故」←◆クリック
明治維新で急に変わり始めた日本。欧州を真似た大陸進出で好戦的に。太平洋戦、半年で負けが決まっても負けを認めず、何も決めず先送りばかり。それが原因で、軍事人よりも多い民間人の被害者を出しやっと終戦。(日本が仕掛けた戦争で各国の合計2000万人が死亡。日本が大好きな僕も書かなければならないと思い、裏の取れた事実のみを)
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■「東京裁判」←◆クリック
人は戦争を裁けるのか?(平和に対する罪・戦争犯罪・人道に対する罪)(個人的な意見は入れておらず、事実のみを)
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■「米大陸」
元々、欧州以外に白人は住んでいた? 白人国家の5アイズって?
白人は全世界に何をした?(数年前に書いた内容です)━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1900年〜1945年
日露戦争は欧米が入りじまった第ゼロ次世界大戦とも。日本四大改革期の最後(A)日本は十五年戦争で大陸に大きな影響を。世界は第一次世界大戦、安易に始めた戦争が世界大戦へ、戦争の世紀始まりの時代。
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■1945年〜1952年
統帥権、日本四大改革期の最後(B)日本はゼロからの復興。イスラエル建国。大戦後の世界。冷戦と代理戦争始まりの時代。
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■1952年〜1989年
日本は特需、オリンピック、公害、バブル。文化大革命、天安門事件。オイルショック。冷戦、キューバ危機で世界が怯える時代、そしてゴルバチョフの登場。
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■1989年〜
日本はバルブ崩壊、2つの大地震。各国でテロ、9.11、リーマンショック。EU誕生、そして難民の時代。
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■「ロシア・ウクライナ侵攻(P氏、オルガルヒ、マイダン革命他)」
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■「核兵器について」←◆クリック
(思い入れが強い項目です)
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■「全世界を変えてしまったヒトラーについて」←◆クリック
第一次世界大戦に従軍してから変わったヒトラーの生涯
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■最後に(文化、笑い、脳の仕組み、そして本当の強さとは)←◆クリック
(個人的な考えだけを書きました)
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■「欧州の戦争(紛争)一覧」
■「参考資料および引用元」
◆画像について⇒赤文字メニューの、言語地図(Copyright記載)と天皇関連の日記、東京裁判、世界通史に関する忘備録の各写真・地図以外のものは全て僕の自作(仕上げに一部アプリの力を借りた)で、あくまでもイメージです。青メニューのものは許可を得たものとフリー素材を利用しております。
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◆気づいたことメモ(2023年)
この項は本題の通史ではなく、今年(2023年)ちょっと気になっている情報をランダムに記載しています。
・英国の移民。結局ルワンダには送っておらず、税金だけつかってしまったようだ)
・小林鷹行とはどんな人?気になる。
・批判覚悟で書くと、宗教は結果として〇〇になっているんだと思う。
理念の違う反対派が出て来ても、それもまた〇〇になってゆく。
なので宗教には争いが付きまとう。特に一神教が戦争に繋がってきたのは、歴史の裏付けがあり現在の状況がそれを証明している。
・死を具体的に意識した時に変る精神的変化
・世界の6大+2リスク
1,米国の分断(大統領選でそれがさらに+インフレ+対ロシア、対北朝鮮、対イラン)
2,中国経済(不動産きっかけでバブル崩壊+対台湾)
3,中東問題(3000年2000年前と100年前のきっかけだが今後さらに)
4,ロシウク問題(ウクライナが負けて、ロシア国境にNATOが軍備増強?)
5,重要貴重鉱物の争奪(レアアース、ニッケル、コバルト)コバルトはEVに必須で今コンゴ内戦で採掘権の奪い合い。(コンゴのコバルトは世界の7割)
6,AIの動向(今後どのような動きになるか、人類への影響)
7,米中のグローバルサウスの取り合い。
8,世界の再ブロック化
・仮にAIを政治でも使うようになった場合、またそのAIが常に部下AIだとしたら。AIには欲がない、洗脳もされない、嫉妬もしない、ルールを守る、自分達の都合の良い法律は作らない。
・国民の代表アバターが政治を行ってもいいかも。それが「国民主権」
・岸田政権になり自民党は20年前に戻ってしまった。
・公金横取り企業と政府のやりたい放題
・日本医師会の代表を厚労大臣にした(武見敬三で医師会のドン太郎の息子)
・三権分立と言っても、日本の司法は(政府に嫌われると出世できないので)政府を否定できない。
・政治家の非課税特典は止めるべき。そして国民と同じく国税庁の管轄になるべき。
・派閥はリーダーを総裁にするための集団
明治維新の「藩閥」の悪しき習慣
・議員にとっての派閥の利点=選挙の応援を得られる、政治資金をもらえる、ポストを派閥から推薦される人事的メリット等。
・小選挙区になっても続いている以上、政治家も責任を負う「連座制」が必要かも。
・ある政党が嫌いな人は、その党が良くなる対策ではなく、その政党を潰すことだけを考えているように見えてしまう。自分が推している政党は何が起きても最高の党だと思っている。そのため、裏が完全に取れていなくても勧善懲悪的な情報には飛びつき拡散させたいのかも?
・日本が変化を嫌う理由=日本は東の端でその先がない国(他国のように侵略されたり通過点ではなく)だったから。そのため日本人の口癖は「昔は良かった」、侵略された国は「昔は辛かった」
しかし弥生時代以降侵略されなかった文化の熟成は世界に冠たるものがある。
・地球温暖化はロシアにとっては好都合
北極側の新航路が出来そう
氷が解けて新資源が見つかるかも(カイリ問題を大陸棚で解消しようとしている)
12カイリ以内=領海
200カイリ以内=排他的経済水域(以内の国だけ漁が出来る)
201カイリ以上=公海(だが大陸棚が繋がっていればOKの場合も)
・日本が経済的に落ち込んだ理由=人口が減っているにもかかわらず国内産業(特にB to C)で安売りをしまくった結果、デフレスパイラルが始まった。停滞は崩壊につながる。
個人的には100円ショップの衝撃かと。何か買おうとしても100円ショップにあるならそれでいいという風潮に起因。安いくてモノが良ければ最高だし僕も100円ショップは大好き。ただ、日本経済にとってはどうなのだろうか?非常に難しい問題。
・中国の経済が低迷している原因
「統制」と「市場経済」の間で揺れてしまっている事。習近平ひとりに力が集中し過ぎてしまったこと。
例えば「規制のミスにより起こった「不動産不況」、それによる「地方財政の悪化(土地は国の物なので国の収入が減ってしまった)」、「国力の低下(一人っ子政策の影響)」、「反スパイ法(外国企業が怖がりこなくなってしまった)」等、、、。
1998年の住宅制度改革に起因して住宅の買い替え、都市部の人口増が顕著になってきた。にもかかわらず賃貸市場未整備が原因で価格が押し上げられだした。
その後、コロナにより大規模金融規制であふれ出した投資費用が住宅に大量に流入し、マンション価格もどんどん吊り上がった。
そこで習氏が不動産の価格規制を行ったことで、価格は下がってきたが、その対応が不動産会社の経営悪化を招いた。必然的に個人の資産低下と企業の賃金低下を招き消費はどんどん落ち込んでいった。今は不動産会社がいつ倒産するかわからないので国民は不安で住宅が買えない。
それに対する国の対策として、頭金や金利を下げさせたりしたが、国民の不安は消えず。これが金融機関に派生すると大変なことになりえるかも。
不動産市場が酷い状態なのでそこに公的資金を注入するかどうかを国は検討してるのかも。しかし、国民は大反対するだろう。
そんな時「搶ャ平」が謳っていた「思想解放」(あまりに保守的ではダメで、思想は解放されるべき)論が出てきている。
それを写してか、今中国は外国企業の誘致に力を入れるべきという論調が増えてきている様子。
ただ、外国企業からすると中国の「反スパイ法」(法の内容が不明確で危険を含んでおり当局しだいで可変の可能性あり)を恐れていることは事実。
結局は習近平に力が集中し過ぎたため、誰も苦言を言えず、習近平の失敗=中国の失敗になってしまったこと。
ちなみに中国の「三中全会」とは中国の中長期における経済運営の方向性を決める物。一中=党最高指導部人事、二中=政府の主要人事、中全会=中央委員会全体会議の略。を合わせたもの。
・デジタルテクノロジー(DT)に対する変化=今までは下が上にDTをすすめても上が理解できず没。今は、上がDTを進めても下が雇用を怖がり没に。
・新しい封建性=DT企業の繁栄が中流以下のチャンスを奪い、社会の可能性をなくしている。
・日本のDTの現状=完全に米・中・韓に抜かれている。
・少し前の「安い国ニッポン」に「スローな国ニッポン」が追加された。
・英語になった日本語(根回し、残業、永久就職、過労死)
・日本のデジタル(D)赤字=日本のD技術の貿易赤字は2023年現在で1.8兆円だが、2030年には8兆円に跳ね上がるかも。
・日本の予算=112兆(税収69兆、国債35兆、他)国債の発行総計は1105兆に膨れ上がってる。
・日本の脱炭素=G7で唯一、石炭火力発電所の廃止時期を明言していない。世界から批判の種で「化石賞」をもらってしまった。
・風力発電は日本に合っている=しかし、日本政府は風力のサポートはせず、火力のサポートを今後20年間行うことにしている。理由は国内企業に風力を開発できるところがないため、政府は企業に気を使って。今後国内企業が出てくれば変わるか?
今後は風力発電やEVは増え続ける。
・地球は人がいない方が存続できるが、人は地球がないと存続できない。
・EVにはコバルトが必須(コンゴの内戦の原因でもある)
だが、これからはレアアースではなく「マンガン」や「ナトリウム(海水に豊富)」でも高性能な電池が作れるようになった。中国がすでにリードしている。
・日本の武器生産と輸出関連=朝鮮戦争時に在米軍用の武器生産・輸出、佐藤総理時代「武器輸出三原則」、三木総理時代「武器輸出全面禁止」、安倍総理時代「防衛装備移転三原則、岸田総理「国家安全保障戦略・輸出推進のためのルールを見直し」
・日本への武器ライセンス提供国=アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ。
・2023年、現在、日本・イギリス・イタリアの共同開発で戦闘機を作ろうとしている。(与党では現在公明が反対しいる)
・次期戦闘機
日本は、対中国を意識=迎え撃つので多くのミサイルを装着出来る事や高出力レーダーが必要。
イギリス、イタリアは対ロシアを意識=対地上攻撃なので多くの爆弾が積める事や機体の下に多くの高性能センサーが必要。
・5類見直し(5類=直接戦闘ではなくその関連業のみが5類)だが、それを見直そうとしている)しかし「5類見直し」と検索してもコロナしか出てこない。これは超深刻。
・安保3文書=「1,国家安全保障戦略(日本の安全保障) 2,国家防衛戦略(防衛の目標と手段) 3,防衛力整備計画(自衛隊の体制)
・反撃能力の導入=敵地を攻撃する能力、今までは相手が撃ってから追撃。そのため日本のミサイルの射程距離を現在の120Kmから1000Kmに伸ばす計画、今後はそれは2〜3000Kmも検討中。
・パワー・ポリテックス=軍事経済で国の利益を追求
・軍事と経済=最も富を生むものが常に未来を作ってきた、つまりそれは戦争。
・日本が空母を持っていることを知らない人が多い。
・台湾有事=TSMC(先端半導体の世界シェア9割)が中国の物になってしまう。そのため今、日本やアメリカにTSMCの大工場を作っている。
・日本のエネルギー自給率=13%、カナダ、アメリカは100%を越えている。
・日本の貧困率は先進国で一番高い。
・ミツバチが絶滅すると人は4年後に滅びる。(受粉ができないと植物が育たない。いずれ工場で野菜を作ることがメインに。肉さえも工場でつくることになるかも)
・AIに「人間はダメだね」と言われたくない。政治家はAIから「何やってんだよ」と思われているかも。もちろん政治家の表側だけを見て人格を否定することはしたくない。でもお金の匂いのある方に動いてしまう政治。
・AIは暗黙知が苦手。サリー・アン問題は分かるが、当然だがレモンを見ても唾液が出る感覚は分からない。AIとロボットでも人の家で食事は作れない。
・AGI=シリコンと脳細胞を有効させる知能の研究をベース、チップの上で脳細胞を培養。今のAIの弱点を補填する。
・AIは常に「部下AI」であるべき。
・AIは仕事を奪うというが、新しい仕事も生まれる。理系なら「AIエンジニア」、文系なら「AIプロデューサ」
・対話の重要性=意見の違いを認めることで対話が生まれる。対話で不満100%を80、60、50、30と減らして行き70%で合意するべき。それ以上を望むと対立が始まる。
・体験から出た言葉が重要=体験から出た言葉は本人が削りだしたもの、しかしコンサルは膨大な名言集の参照。
・AIは大規言語(LLM)の時代から、AIエージェントの時代へと。
・OpenAI 対 Googleの構図に。
・トランプが再選された時の日本世界への影響=彼には政治的理念はなく、経済的なメリットだけで判断する。(トランプはEV嫌い、共和党の自動車産業の雇用確保方針。また石油や石炭はどんどん掘れと言っている)
その為、仮に日本の米軍を撤退させたら、中国や北朝鮮は大喜び。
・トランプが再選されることを各国は不安に思っている。まずは一律の関税。彼が大統領の時にも関税を途中から突然言い出した。
ウクライナが負けることでロシア国境にNATOが軍備を増強したとしてもそれは撤退させるだろうか。するとロシアがまた過去の連邦に戻りたがるかも。さらに権威国家である北朝鮮やイラン(中国も)も喜ぶだろう。
北朝鮮の核保有論争もなくなってしまうかも。いつのまにか核保有国になってしまう不安。
・中国は台湾を攻撃するだろうか?下手に攻撃して世界90%を占める台湾の半導体工場に影響を与えてしまうのだろうか? もしくは、台湾を中国が手に入れることでその半導体工場の中国のものにしようとしているのか?この点がよくわからない。
・世界の壁=ポーランド(対ロシア)、フィンランド(対ロシア)、アメリカ(対メキシコ)、インド(対パキスタン)、ペルー(リマの富裕層と貧困層)、イスラエル(ガザとヨルダン川西岸)
・国連の拒否権=ウクライナもガザもロシアとアメリカンの拒否権で決定出来ない。
・東欧革命で民主主義が世界を平和にするかと思った、、、しかし、2大国の核の均衡が破れ世界中が荒れだした。民主主義と権威主義の国々。日本は権威主義の国になりそう。
・アメリカがイスラムを憎む理由=当然9.11の憎しみ、後はユダヤからの献金で動いている選挙や米政府。
・イスラム教=入信するには二人の信者の前で誓えばOK、止めるときは死をもって償う。
・サウジアラビアはコーランが憲法のようなもの。
・イスラム原理主義の中に過激派がいる。
・ハマスはスンニ派の過激派(元は社会福祉や慈善事業で支持を広げた)
しかし、シーア派のイランはハマスを応援、理由はイスラエルが侵略者だから。
・シーア派(血統重視でイランなど)・スンニ派(信者重視でサウジなど)
・ハマスの幹部は超リッチ(ガザにはいない)
・アメリカ福音派の考え=キリストが蘇った時にエルサレムにイスラムがいたのでは大変なことになると心から思っている。
・ユダヤ人虐殺やシオニズムのきっかけは「ポグロム※」
※13世紀のカリシュの法令によって権利および安全をポーランド王に保障され、ユダヤ人はポーランドに集まり生活していた。が、マルティン・ルターの「ユダヤ人と彼らの嘘について」がきっかけでユダヤ人たちは嫌われ出した。↓
自身を振り返ってみると、実はそのような表現(「日本では」や「海外では」)を使っていることに気付いたわけです。文化の違いを認める事が重要と分かっているフリはしていたのですが。
ちなみに、現在、日本人のパスポート取得率は17%にまで落ち込んでいます。先進国最低水準で、特に若者の取得率が非常に落ちているようです。実際に目で見て空気・文化・人を感じることは大切なのかと思いますが、、、そういう僕自身、最近、飛行機恐怖症になってしまい、その上、今まで自在に話せていた英語を話すと蕁麻疹がでるようになってしまい非常に困っています。病院には行ってますが、原因不明が続いています。
◆今までの僕の特徴は、勉強が出来ず、いい加減でフラフラしている男。
その後、FBをやるようになると多くの方の投稿と素晴らしい文章表現に興味を抱きだし、友人達の投稿に刺激されるようになってきました。
そんな時、僕の中に突然ある2つの疑問が浮かびました。それは「自然界には何故、肥満がいないのだろう?」という素朴な疑問。そして、「自分が妄信的に善悪を決めてしまっている事や言動はないか?」という疑問。それをきっかけに通史に興味を持ち始めました。その経緯や詳細は次項で。
とはいっても元々勉強が出来なかったので難しい本は無理、そこで笑われるかもしれませんが「まんが世界史・日本史」を読んでみました。すると、、それが想像以上に面白くて。いつのまにか各出版社のまんが歴史関連全巻を読み終えていました。
少し分かってくるともっと知りたくなり、他の本を読み漁り、時には著者先生方に直接連絡を入れ先生方の講座も積極的に受けるようになりました。そのうち厚手のノートが何十冊に。本当に不思議な現象です。以前のメモを書いた時にも読んでましたが、また少し増えました。
■リンク→この時に読んだん本や資料&映像ドキュメンタリーにリンクを張りました。
調べてゆくうちに、欧州の戦争がとても多い事が世界史へ大きな影響を与えていること。さらに近代史を大きく狂わせたのも、日本の十五年戦争も原爆投下さえも、欧州の国の多さが無関係ではなかったことにも気づきました。そして、2つの疑問の自分なりの回答も。
■リンク→欧州の戦争(紛争)一覧
他大陸に比べて比較しようのない程の戦争の多さに驚かれると思います。時間軸で見ると、人種、民族、大王の登場、資源、産物、大帝の登場、帝国、一神教、領地、征服、政略結婚、革命、英雄の登場、海外の植民地、大戦、独裁者、それぞれの要因で乱立する国家、次々に変わる国境、偏見、、これでは隣国同士ほど敵対してしまう事を否定できないと思います。つまり必然的に隣国が多ければ争いも多くなるということでしょう。
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四大河文明(メソポタミアなど)から少し遅れて始まった欧州の文明は地中海側中心の古代ギリシャ↑です。哲学(無知の知のソクラテス・イデア論のプラトン・万学の祖のアリストテレス)や民主政治の概念がここから生まれています。そしてマケドニアのアレクサンドロス大王が東西融合のヘレニズム文化を作ります。地中海をはさんでカルタゴのハンニバル、共和制ローマ後期にカエサルが登場しローマは帝国へ、それまでの古代ギリシャ、古代ローマ(含:共和制)の歴史を大きく塗り変えます。
ローマ帝国後期、五賢帝をピークに帝国の力は弱まり、さらに一神教(キリスト教)の国教化が後の欧州と全世界を大きく変えることになります。その頃、フン族の(気候変動)移動に端を発したゲルマン人の大移動↑により、当時文化的とされたラテン語を話せない北のゲルマン人が西欧州に増えはじめます。それが、ローマ帝国の東西分裂+西ローマ帝国滅亡の要因の一つにもなります。もちろん、キリスト教の急激な広がりも大きな原因でした。
その後、カール大帝が欧州の大元を作りますが、争いは絶えません↑。さらに、北のゲルマン人、南のラテン人、東のスラヴ人が入り混じり、宗教もからんで、その頃は最大で1000の国が乱立しグシャグシャ状態。とにかく争い続き↑、国境は次々と変わり、遺恨を残したまま現在の欧州のベースが成り立ったのではないかと思っています。フランク王国、神聖ローマ帝国他、国王、諸侯、貴族、奴隷による封建社会が存続します。
英仏の百年戦争の後、古代復興(ルネサンス)や宗教改革(プロテスタントの誕生)、三十年戦争(カト対プロ)後、西欧州は大変な貧困時代(東のビザンツは逆に超繁栄)を経験します。その後大航海時代↑で西欧州は全世界を植民地化し世界の富・労働力(奴隷)を独占、絶対王政へ。そして、アメリカの独立に影響されたフランス革命、イギリスの産業革命、ドレフュス事件(三枚舌に影響)のシオニズムが世界を大きく変えてゆきます。

その後、安易に始めてしまった第一次世界大戦↑が全世界を狂わせて行きます。その影響とは、社会主義や独裁国家の台頭、帝国主義から国民国家へ、米国の大国化、ドレフュス事件と三枚舌外交による根深い憎しみの連鎖、ヒトラーの出現による第二次世界大戦開始などかと思います。そのww2の戦後処理の失敗(ドイツを分割したこと他)により冷戦のきっかけを作り長く続くことになりますが、東欧革命により冷戦は終結。しかし、NATO対ソ連の構図が出来上がります。その後EU(国境、関税、通貨の統一)で1つの地域としてまとまりますが、中世とは逆に西は豊か東は貧しい状態。平行して無責任な三枚舌外交の後処理が出来ないまま対テロ戦争や難民が世界中に蔓延し、さらに独裁・権威主義国家が他国に大きな影響を及ぼし続け、世界は不安定な時代に入ってゆきます。
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◆各通史の歴史的背景はそれなりに調べてはいるつもりですが、僕は歴史の素人。その点をご了承いただき、何かおかしいとお感じになることがありましたら、是非ご教示ください。今、裏の取れた真実が知りたくて仕方ありません。ちなみに僕は歴史のディティールより、流れ(●●が原因で●●に繋がり、今●●になった)つまり通史が好きです。
それを知ることで、現在の事象が歴史の転換点になるかもしれないとの視点で注視できるようになると思っています。
そのため広く浅く、でも要点が漏れないようにしたつもりです。
◆最後に、僕は文章表現及び構成が苦手で作業が遅く、これを書くのに裏取りも含めて3年ほどかかってしまいました。その上、言いたいことが先走り、どこが悪いのかもよくわかりません。その点もご指導いただけましたら恩に着ます。
■ということで、ここからは、まず「欧州」に移ります。その後「日本」へと続きます。
もちろん文化・文明、そして上記に関連し戦争のことも付け加えてゆきます。調べてみると欧州が過去に起こした戦争の多さには本当に驚きます(メニュー下部のリンクの通り)。またそれが日本の戦争にも影響し、結局、原爆投下とも無関係ではなかったことに驚きました。そこで、以下の通史メモにそれらの点も含めて書いてみました。
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◆ここから「通史メモ」に入ります◆
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◆人類には上記のような共通ともいえる大きな流れがありました。
しかし、最初に書いたように日本以外にも約200ヶ国弱ほどの国々が違う文化で生活をしているわけです。なのに「日本はこうだけど、海外では、、(その逆も)」のように「海外を一括り」で分けてしまう僕の視点に疑問を持つ事が増えてきました。
そこで、特に近代史にとって世界中に影響を与えた欧州と、僕らの暮らす日本についても調べてみたいとも思いました。この点がこの通史メモのテーマ、欲・洗脳にもつながるからでもあります。
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◆まずは全世界を変えてしまった欧州人について。彼らの個性・特徴などをおおまかに。
欧州人に対して一部、失礼なことも書いていますが、これは「価値ある個性」です。また、正しい情報がありましたら是非ご教示ください。
尚、この項では「欧州人」について記載していますが、この後に「日本人」についても触れています。
その日本人(モンゴロイド)は「人類の成長形」という研究があるようです。その背景として世界でもっとも知的な国々ランキング※は、1位「台湾」、2位「日本」、3位「ハンガリー(マジャル人で旧モンゴロイド)」、4位「韓国」、5位「イラン」、6位「香港(国?)」、、、となっています。
※Worldwide IQ Testを運営するWiqtcom Inc.による(2022年5月16日)
個人的には「人類(骨)→人種(血)→民族(文化)」という構図と勝手に思っていますが、今回は欧州の人種について、僕なりに調べたこと、思ったことを書いてゆきます。お読みいただけましたら本当に嬉しいです。


一般的に言われている「白人」とは屈強なゲルマン人が大元だと思っています。また、皮膚が白い(黒くない)ニグロイド以外の人種はネアンデルタール人の遺伝で、我々モンゴロイドの肌が黒くないのもその影響らしいです。
●フン族の移動が要因となったゲルマン人の大移動でイギリスやラテン地方、他の西欧州各地にもちらばり西ローマ帝国滅亡要因の1つにも、他にもキリスト教の国教化と急激な普及も1つの要因としてはあったでしょう。
彼らは当時、文化的・知的とされていたラテン語を話せませんでしたが、持ち前の体力を活かし西欧州内に広がっていったようで、一時期はローマ人の傭兵になっていた時代もあったようです。とはいっても、後の欧州の元を作ったカール大帝(ピピンの子)もゲルマン人でした。
●ゲルマン系の有名な民族としては「フランク族(後のフランス、イタリア、ドイツに分裂、ゲルマン系は特にドイツに色濃く)」「ブルグンド族(後のブルゴーニュ)」「ロンゴバルド族(後のイタリア北部)」「東ゴート族(後のイタリア中部)」「西ゴート族(後のスペイン)」「ヴァンダル族(後のアンダルシアを経て北アフリカのカルタゴへ)」「アングロ・サクソン族(後のイギリス)」アングロ・サクソンは海を渡り先住のビーカー人、ケルト系のブリテン人や後のバイキングと混じり今のイギリス人になったようです。イングリッシュはアングロ人の言葉という意味らしいです。イギリスはドイツやデンマークのほどではないですが、ゲルマン系が強い。また、イギリスの一部ブリトン人がフランスに渡り、そこがブルターニュ地方になったようです。言語は「ゲルマン語族系」でドイツ語、オランダ語、英語等、、。
■■現在のイギリス人に対する超個人的な印象を(産業革命と広大な植民地で全世界に良悪の影響を与えた国)
他人と同じことをするのを嫌い「流行っている・売れている」という判断基準を嫌がる(この点は少しフランスと違う?でもよく分からないです)。「個性的」が判断基準で小学生程度でも個性的だから価値があると判断する子が多い。同じく小学生程度でも政治の話をし且つ内容が論理的で驚くことがある。TOK=セオリー・オブ・ナレッジという(学問の哲学のような)授業が大分前から。またディベートを最重要視するのはお国柄でしょう。僕も以前、英国の10歳程度の子から「日本の憲法九条の存在意義」について質問されて驚いた経験が。
算数は、答えから式を作る問題に重きを置いている。例:通常のイメージだと「25+25=〇」(イギリスでもこのパターンはあります)。しかし、「50にする計算式を複数考えろ」という問題がメインで、どんどん複雑になってゆく。式を解くのではなく、式を作る学習。
■■あと変わったところでは、プレゼントする場合ほとんど自分で包み直している(そもそもデパートのラッピングは有料だしあまり使わない)。ワイングラスのステムを持たずボウルを持つ人が多い(国賓を迎える時の女王もボウルを持っている。でもワイナリーなどは背景が特殊なので違うのかも)、ロングパスタはスプーンを使わない(このワインやパスタはフランスや他の欧州でも同じで、日本のマナーとは違うみたい)。プロポーズの時に男性は片膝をつく(たぶんほとんど)。子供の時からレディーファースト。年齢や結婚の有無について聞かない。自分の血液型を知らない。食事中に鼻をすするのは非常に失礼、食事中のおならより失礼(その場で鼻をかむのはOK)。レストランで一人で食事する人は皆無じゃないけど稀有。お葬式の時の香典のような文化はなく、変わりにチャリティーに寄付するなど。もちろんチャリティーは非常に普及している。旅行でお土産の習慣がない。配偶者や子供を人前で褒める。最近スリッパに履き替える家が少しだけど増えて来た感じ。まだ少し残っている階級による発音の違い(これはイギリスらしい)等、、。また、英語と米語の違いは非常に多い。
■日本と共通した部分は「島国」。文化では「礼儀作法(P's and Q's)」がある点でしょうか。特にイギリス南部では他の欧州とは違い日本に少し近い「すみません」的な言葉を使う人や直接的言葉を避けて遠回しな言い方をする人が結構います。あと、お茶や庭文化にも少し近いものを感じています。北部ではだいぶ違うようで、あのサッカーのフーリガンも北部出身者がほとんどのようです。
一般的に言われるイギリスとは、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの連合王国(UK)で、中世のマグナ・カルタをきっかけに出来た立憲君主制国家※です。宗教も少し変わっていて、王(ヘンリ8世)が離婚したい理由で独自のイングランド国教会を作ってしまいます。
※マグナ・カルタ(大憲章)は1215年に「国王であっても法の下にある」という原則を初めて明文化しました。この「法の支配(Rule of Law)」の理念は、王権の制限や立憲主義、議会制の出発点となり、イギリスの法体系や社会の根幹に深く根付いています。
■イギリスが大きく変わったのはマグナ・カルタの存在かもしれません。
当時イギリスには際立った産業はなく裕福な国ではなかったわけです。
しかし、度重なる戦争で軍事費は必要でした。そこで王の上の存在(王も守らなければならない憲章)としてマグナ・カルタという憲章を作りました。
これによりそれまでの「税金」として国民から徴収していたお金以外に、国民から借金しようという考えが生まれました。例えば国債とか紙幣です。これらの保証(これらはただの紙ではなく、ちゃんと「金」に変換しますから安心して使って)の背景がマグナ・カルタです。これはその後、世界にも広まります。
その後に起こった産業革命で作って売る国に変貌しイギリスは世界トップの大国に躍り出るわけです。
産業革命でそれまでの帝国のやり方(領土を広げて税金を取る)から、安い材料を仕入れ自国で加工し、他国に高く売るという帝国の形が出来上がります。
しかし、18世紀の後半には、国債の返還で財政が苦しくなったため、北アメリカの13の植民地に課税するようになった。これがきっかけでアメリカの独立戦争が起こり、フランスがアメリカに加勢して、ついにアメリカは独立。
その影響でフランスはフランス革命に至ることになります。
■ついでにフランス革命を少しだけ(詳しくは本文を)
上記でアメリカの独立を知ったフランス。しかしその戦争でフランスの経済がひっ迫。当時のフランスは平民だけに課税していたが、貴族にも課税すべきと市民が立ち上がった。これがフランス革命。
革命後、ナポレオンが突然現れ、欧州を征服、国民の人気は大変なものに。いろいろな逆戻り(王政)も経験しながらもフランスは国民国家になって行きました。国民国家になったということは戦争に国民が参加するという意味もある。
■戻って17世紀前半、上記の国教会の革命が起き弾圧を受けた清教徒(ピューリタン)102人がアメリカに移住し、その時に作ったメイフラワー誓約が後のアメリカの根幹を作ります。
その後アメリカは世界の大国だったイギリスを脇においやり、王や独裁者のいない?自由の国、国民主権?として世界の超大国になり今に至っています。
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■スラヴ人(コーカソイド+モンゴロイドも僅か)
色白、金髪(茶・黒も)、青い目(茶・黒も)、長頭と中頭の間位で彫は少し深い、鼻は少し高い、あごは少し前に出ている、口は少し凹んでいる、背丈は割と高く、筋肉、体毛は普通、等。カルパチア山脈北方で農耕生活を行っていたとされます。遺伝子的にはコーカソイドのY染色体ハプログループ以外にも北アジアのハプログループNも見られるようです。
●モンゴロイドがわずかに入っているせいか、口は少し小さいような、大きく口を開けて笑う人もゲルマン人よりは少ないような気がしています。
飲食時は空気を一緒に飲み込まない、皿や器を持ち上げて食べない(立食時は別)、外見を褒めない(褒めるなら内面)、目を見て話す、マメにあいづちをうたない、意味なく謝罪しない、人種が一緒でも言語が違う、等、、欧州共通の文化を踏襲。東方正教会が多いようですが、西スラブはカトリック、南スラブにはイスラムも混じっているようです。
●言語は、バルト・スラヴ語派系で、話される地域は、東ヨーロッパ、バルカン半島、バルト海東岸等。
●ロシア、ウクライナ、ベラルーシ(東スラヴ人)、東欧(西スラヴ人)、バルカン半島(南スラヴ人)などに住み、欧州では一番多い人種です。まれに蒙古斑のある赤ちゃんが生まれるのは、たぶんフン族、モンゴル族の侵入によりモンゴロイドとゲルマン人と入り混じった影響かと。
「スラヴ」という言葉はロシア語で「弱い」という意味がることから、差別的な言葉「奴隷」の語源という研究もあるようですが、確証はないようです。
●西欧人と東洋人のハーフ(ダブル・ミックス)を色白・青目にしたような容姿をしている人も多いです。割と無口で大人しく、会話などでも西側とは違い大げさな表現を使わないイメージがあります。尚、鬱病が多いという研究もあるようです。
●東欧のハンガリーに関しては遊牧民のマジャル人が多く、この国が間にあるためラヴ人が西と南に分割されています。またバルカン半島にかつてあったユーゴスラビアは南のスラヴという意味から出来た国名らしいです。いきなり飛んでアメリカのイリノイ州にもスラヴ人が多いようです。
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■最後にサミー人↓


■サミー人(コーカソイド+モンゴロイド)
色白、金or茶髪、青い目(茶・黒も)、中頭で彫は浅い(奥二重も)、鼻は低い、あごは少しだけ前に出ている、口は凹んでいるが少し出ている人も、背丈は少し高い、筋肉、体毛は少ない、、等。
飲食時は空気を一緒に飲み込まない、皿や器を持ち上げて食べない(立食時は別)、目を見て話す、マメにあいづちをうたない、意味なく謝罪しない、人種が一緒でも言語が違う、等、、欧州共通の文化を踏襲。アミニズムが多いようです。
●スラヴ人以上にモンゴロイドの系統が強い人種(たぶんフン族・モンゴルの影響かも)で、時々蒙古斑のある赤ちゃんが生まれるようです。遺伝子的には、やはりハプログループNが強く見られるようで、結果としては北方系少数民族に分類されています。ノルウェー、スウェーデン北部、フィンランド北部、ロシア北西部に。今でもトナカイを追う遊牧生活をしている人たちもいます。
●僕の想像ですが、フン族に追われたゲルマン人が西に逃げたため、フン族は空いたスカンジナビア半島全域に住み始めゲルマンとの混合も進んだのかと。しかし、その後、純コーカソイドが力を持ち始めた為サミー人達はノルウェー海、バレンツ海側に上り(ラップランドに)残ったのではないか?と考えています。もしくは、イヌイットからの影響も大きかったのではとも考え始めています。もちろんこれは完全な想像なので、もっと学術的な背景があると思います。
●おとなしく無口、真面目な性質で「鬱病遺伝子」「強迫性障害」の研究の対象になっているほどです。モンゴロイド並みに学業が得意であっても、コーカソイドからは差別を受けています。(この件はサミー人系の監督が作った「サミーの血」という映画で知りました。出演もほぼサミー人。サミー人独特のヨイクという無伴奏の唄も非常に魅力的です)
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◆今回入れなかった欧州の人種(民族?)
■「ケルト人」は欧州に幅広く住んでいましたが、現在ではほぼ同化されイギリスの北部に少し残っているかもしれない程度とのこと。赤毛が多かった程度しかわからず、人種的に詳しいことは研究されていないのかもしれません。ちなみにモンゴメリの「赤毛のアン」の舞台はカナダのプリンス・エドワード島ですが、アンはスコットランドから移住したケルト人の子孫だと言われています。
■「ヴァイキング(ノルマン人)」は、角(つの)付兜のイメージが強い北方ゲルマン人とも言われおり、一部では英国王室の先祖ともいわれています。しかし、442人のゲノムの塩基配列を解読した最近の研究では、人種的な特定が難しかったらしいのです。
■「アーリア人」はヒトラーで有名になりましたが、人種名ではなく、インド・ヨーロッパ語族を指した非常に幅広い民族名。ちなみに「高貴な人」という意味らしいです。ナチスが強烈に差別したユダヤ人(アシュケナージ系つまり白人系のユダヤ人で全体の80%を占める)も実はアーリア人。
■「マジャル人(ハンガリー人)」コーカソイド化した元モンゴロイドと言われていますが、非常に多様な人種および民族の混血らしく特定が難しいようです。
■「ロマ人(ジプシー、ボヘミアン、ジタンとも)」は、タロット占いで有名なインド北部に祖を持ちながらも後から入ってきたコーカソイドに虐げられ欧州各地に流れて来た国を持たない流浪の民です。彼らが奏でる音符のない独特の音楽や民族舞踊には深い哀愁があり欧州の音楽に非常に多くの影響を与え、ファド、フラメンコ、スウィングもロマが元という研究者もいます。しかし、一部で彼らの祖はドラヴィダ人ではとも言われていますが人種的にはよくわからないことが多いため、ケルト人、ノルマン人、アーリア人、マジャル人、同様ここには入れませんでした。
尚、■ユダヤ人もすでに人種ではなく民族ですので含めていません。ご存じの通り、とても酷い迫害の歴史があります。中東の各種問題も2000年以上も前からの歴史が背景に。さらにドレフュス事件と第一次世界大戦の三枚舌外交により、取り返しのつかない民族衝突を余儀なくされ今に至っています。
詳しくは◆リンク→「ユダヤ人とは」と「100年の悲劇を作った三枚舌外交」をご覧ください。
●欧州それぞれの言語については、ご存じのように欧州言語のベースが「インド・ヨーロッパ言語」からの派生。なぜここにインドが付くかというと、「母」をインドのサンスクリット語では「Matar」、ギリシャ語でも「Matar」、英語では「Mother」と似ていて、共通の文法も多いという研究からのようです。この言語の大元はやはりコーカサス地方の近くで、正確には東ヨーロッパ狩猟採集民とコーカサス狩猟採集民の混合らしいのです。ゲルマン語派、ケルト語派、イタリック語派、バルト・スラブ語派、ヘレニック語派などがメインで、ここから枝分かれして現在数多く存在しているヨーロッパ各国の言語になりました。さらに南東に下りた民族が、イラン狩猟採集民、ヒンディー語群、トラヴィダ語族になりつながったわけです。上記でも記載しましたがアーリア人のアーリアとは古代イラン語、古代インド語の両方での「アーリア=高貴な人」という意味らしいのです。そして一番古いインド・ヨーロッパ言語として分類されているのが「ヒッタイト語」。インド・ヨーロッパ言語系列の言語は世界人口の46%(32億人)が第一言語にしています。
■コーカソイドの人種的な特徴で分からないことがあります。どなたか教えてください。
一番わからないのが、アフリカから北上して、中東でいきなり人種の顔が大きく変わっている点です。つまりニグロイドとコーカソイドはだいぶ顔が違いますよね。例えば同じコーカソイドの中でも中東人から欧州人への変化は理解できます。上記の通り気候の変化により変わっていった点とクロマニョン人の影響を受けていたのかと。
●そこで思うのが、コーカサス地方(コーカソイドの語源)で新しい人種が生まれたのではないか?と個人的には考えています(地域的にノアの方舟ではないですが、もちろんアフリカ単一起源説はそのままに)。そこには[旧人]ネアンデルタール人の影響もあったのかと。確かに「ニグロイド以外の人種」にはネアンデルタール人の遺伝がわずかに残っていることは分かっています。色の白い人種はその影響らしく、もちろん日本人にもその遺伝が残っているようです。
でも、この影響であれだけ顔が変わる(ニグロイドからコーカソイドへの変化)のでしょうか。今のところ具体的な根拠が分かりません。どなたかご教示いただけないでしょうか。
●あるいは、アフリカから一気に欧州へ移動したグループが気候的な影響で容姿がアフリカンとは大きく変わり、その後、再度、ラテン経由で中東に戻ったのではないないか?その後、東に移動したグループが気候的な影響でモンゴロイドに変っていったのではないか?とも考えています。
●最近の研究ではニグロイドにもネアンデルタール人由来のDNAが0.5%ほど混じっている人種がいることが分かったようです。その理由はアフリカから北上した後に再度南下した人類がいた為とのことでした。(コーカソイドには1.7%、モンゴロイドには1.8%)
また、オーストラロイドにはデニソワ人の遺伝も強く(4%)、モンゴロイドにも少し(0.3%)、コーカソイドには0%ともいわれています。
また、何故それぞれそのような容姿(一部文化)になったかについて僕が調べた範囲では、本文の ■リンク→「人類の顔・体の特徴(閲覧注意)」で少し記載しました。
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■「微笑み」についてどうしても分からないことがあります。こちらについても是非。
我々、日本人は、外で他人と目が合うと目をそらすと思います。知らない人と目が合って微笑むと気持ち悪るがられますよね。なので僕も今はしません。
●しかし、欧州人(含:米国および英連邦各国)は、外で見ず知らずの他人と目があうと、ほぼ(必ず)微笑みを見せます。彼らは意味もなく笑顔を見せる人種(民族含め)ではないのに、何故このような対応になるのだろうか? 知りたいのは、何故この違いが生まれたかです。さらに、日本に長く住んでいる欧米人は、日本人と目が合っても微笑まなくなってしまうことも事実のようです。理由を聞いてみると「気持ち悪がられるのが嫌で恥ずかしいから止めた」と聞きました。
●僕が少しだけ感じているのは、彼らは日本人とは違い大昔から完全支配されることを繰り返しています。上記の「欧州の戦争(紛争)一覧」はそれを顕著に表した例かと。そのため「自分は敵ではない」ということを証明するためのコミュニケーションの手段として、自然に出てきた文化なのかも、とうっすらとは考えてはいますが、、。確証が持てません。
●この疑問(他人に微笑む)について記載した本や資料が今だに見つからない状態です。これは真剣に探しています、どなたかご教示いただけないでしょうか。なぜ、この違いが生まれたのか気になって仕方ないですし、コミュニケーションにとってはとても大きな違いかと。
●ちなみに、日本人と欧米人ではオキシトシン(幸せホルモン)の量がだいぶ違う、という自治医科大学 尾仲達史教授の本は読んでみたのですが、オキシトシンには極端な両面があるので、その点もまだしっくりとはしていません。
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欧州に国や争いが多い理由(年代順)
◆気候や地形の特徴(キリスト教の国教化+効率の悪い小麦と狭い土地が争奪戦に)
●ローマ帝国の終盤キリスト教が国教化される頃、ゲルマン人の大移動で欧州は大混乱、分裂した西ローマ帝国は滅亡します。その後、教会は豊かに、庶民は清貧と博愛で貧しくなってゆきます。
さらに、当時の欧州は、その気候から植物の育成には適さず生産効率が悪く加工(粉にする等)しないと食べられない「小麦」がメインでした。そのまま食べられる米は欧州が乾燥地帯だったため育成しなかったようです。その上、小麦の収穫率は撒いた種に対して約4倍程度、片や米は20倍程度。さらに小麦は手間のかかる穀物(小麦の奴隷とはここから出た言葉)。つまり生産性も収穫率も悪く、手間がかかり、且つ狭い土地で生産するため、必然的に土地の争奪戦が各地で起こるという構図かと。
●さらに、地形的にも多くの山脈、川、海峡などがあり、他の民族と人種的に近くてもその統合が進まず、それぞれが別の言語、文化を持つことに。(欧州の農業生産が増え出すのは11世紀以降だが13世紀後半には大飢饉が)
地理的にも近い地域はいざこざも起こりやすい、歴史的に見ても問題がややこしくなるのは隣国同士。
とにかく欧州の戦争は他地域と比較するとあまりにも多いのです。◆リンク→「欧州の戦争一覧」
●また、よく起きた気候変動(13世紀後半の小氷河期とその後の大飢饉も影響大)も民族移動の要因で、自分たちの狭い領土を力の強い他民族に侵略されたことも幾度となく繰り返されたようです。
●気候が安定してくると、それぞれの領主の支配により独自の法が制定されて、隣国との違いが顕著になってゆきます。15世紀ころには小さな国も含めると約1000の国々が乱立していました。それが後に淘汰され国家になって行ったのではないかと考えています。
●欧州に国が多い理由はその辺りにあり、取った取られたの憎しみや際限のない「欲」がうごめきます。一度戦争が始まってしまうと民族は確実に「洗脳」され終戦が遠のいてしまうことは歴史が証明しています。
つまり、隣同士の「近い人種で違う民族」が多いため揉め事も多い、これが欧州に争いが多い理由の一つでもあるのかと考えています。

●この頃に、その後の世界を大きく変えてしまう「火薬を使った銃の原型(ハンド・キヤノン)」が欧州で開発されます。これが発展し広く使われようになった最初の史実が「巨大大砲」。この大砲で西ローマ帝国崩壊のあとも長く残っていた「東ローマ帝国」が滅亡しました。これをきっかけに後の「ニトロ化」、ノーベルの「爆弾」、「ピクリン酸」、「TNT」と発展してゆきます。
ちなみに火薬材料の中でも硝石は必須で貴重、日本の戦国時代も、この硝石の争奪戦があったようです。
◆歴史的な背景(欧州は本当に貧しかった)

●そんな形で欧州のベースが出来上がりますが、国々は貧しく庶民は物々交換の日々。また、西にはイベリアのイスラム帝国が、北にはバイキングが、さらに南はオスマン帝国が、東はモンゴル帝国からそれぞれ攻撃をうけます。追い打ちをかけるようにその後、黒死病(ペスト)で全人口の3分の1が亡くなってしまいます。
このため、遠い昔アレクサンドロス大王、ローマ帝国で世界を席巻した欧州は他の地域に比べ発展が大きく遅れてしまいます。ついには「ユーラシア大陸の後進地区」とまで呼ばれるまで落ち込みます。(ユーラシアとはヨーロッパとアジア「Europe+Asia」を混合した造語です)
■十字軍の影響(裕福で知的なビザンツ・イスラムを知ってしまう)
当時、国教化した西側のキリスト教教会には課税がなく、逆に人民から税金を取り物販(ワイン・チーズ他)まで行っていたため大変潤っていました。それを見て自分達も聖職者になって教会をやりたいという人々が増えてきますが、その人事権は教皇が持っていました。そこで「聖職叙任権」が生まれますが、皇帝には与えませんでした。
●それに反抗した皇帝が「ハインリッヒ四世」、彼に対した教皇が「グレゴリウス7世」で、皇帝を破門してしまいます。すると皇帝は教皇に雪の中謝罪に行きますが中々会ってもらえず、結局、裸足で雪の中3日間待ち続け、何とか破門を解いてもらいます。これが「カノッサの屈辱」です。
それほど教皇の力は強かったわけです。ちなみに現在の欧州でも謝罪の時に「カノッサに行く」というくらいの慣用句にもなっているほどです。
これはそれまでのキリスト教の歴史(弾圧→公認→国教化)を考えると雲泥の差です。
●その後、同神異教(自作)である一神三教の聖地イスラエルをイスラム教のセルジューク朝が制圧するという事件が起きます。早速、取られたビザンツ帝国がローマ教皇に助けを求めます。教皇はカノッサの屈辱をちらつかせどんどん兵を集めることに。そこで出来た「エルサレム奪還軍」が「十字軍」です。十字軍は荘園の跡を継げない次男・三男が多かったようです。第一回はなんとか奪還しますが、直ぐに奪い返されてしまいます。

●その頃、世界の富と知識・知恵の多くが集中した東側のビザンツでは裕福な生活、高度な文明、知的な文化を築いていました。彼ら欧州人はビザンツで別世界を知ってしまい大変驚き、十字軍どころではなくなってしまいます。そこから十字軍は当初の目的を忘れ、意味のない虐殺・略奪を繰り返し完全に腐敗してゆきます。第五回の十字軍ではフリードリヒ二世が根気よく戦わずして和平を結びますが、それに怒ったローマ教皇に「悪魔に魂を売った奴」と破門されてしまいます。この狭量さが宗教戦争の根深い問題です。また多くの戦費を使っため領主も財産をなくし、ついにキリスト教や教皇に対する批判は高まります。これは後の宗教改革運動の原動力となってしまいます。
結果、教皇に変わり各国の王侯貴族が結束し、国家の結束が強くなってゆきます。これがキリスト教が広まる前に戻そうとする後のルネサンス(古代復興)にもつながってゆきます。ジャンヌ・ダルクの名が残った英仏の百年戦争もこのころで、封建領主は没落し王権が強化されます。
●しかし、十字軍も悪いことばかりではなく、ビザンツを真似、欧州各地に道路が整備され、商業も盛んになり貨幣も本格的に流通し出します。今の欧州の都市の原型はこの後に出来上がります。また、言語が「表音文字」ということもあり文字数が少なく活版印刷に適しており聖書をきっかけに彼らの文化文明が広がったのも理由の一つでしょう。逆にこの活版印刷がマスメディアの始まりになり、情報操作や戦争をあおってしまった経緯も否めないようです。
そんな時、当時の宝、香辛料の道でオスマン帝国により高い関税をかけられてしまいます。それならやはり西へと、つまり海を越えて香辛料が豊かなインドを目指そうと、まずはポルトガル(ガマ)の東回りから。それに影響されて次はスペイン(イタリア人-コロンブス)の西回りが。(スペインはインドへは行けませんでしたが)

●スペインは、レコンキスタ終焉の年、次項で触れることになるインドと勘違いした米大陸への侵略、資源の略奪、洗脳された信者の強制的な布教と虐殺を犯してしまいます。(しかし現在のキリスト教信者に敬虔な方が非常に多いことは紛れもない事実で、僕の知り合いにも大変、多くいます)。
また、欧州人は家畜から数々の感染症を受けた為、その抗体が出来ていました。それが意図せず家畜が少なかった原住民にとっては生物兵器のようにもなった事実もありました。さらに欧州は横長ユーラシア大陸の西端にあり、近い気候の他国から多くの文明が流入し発展しやすかったことも特徴で、縦長(文明が伝播しにくい)の米大陸との差は歴然でした。
●スペイン人にはこんな標語がありました。「アメリカ大陸はキリストの名の元にスペイン王国に与えられた土地であり、アメリカ大陸に住んでいる人たちはスペイン人に従わなければならない」「もしも彼らがこれに反抗しようとするなら、あらゆる手段を使ってでも従わせてよい」と。そして大陸のとんでもない量の資源(金・銀他)をスペインにもたらします。
●その背景として、こんな資料が見つかりました。(ラテンアメリカ史学者、大阪大学名誉教授、染田秀藤氏の「大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む」から)
1511年12月21日、ドミニコ会 A・モンテシーノ神父は、エスパニョーラ島はサント・ドミンゴ教会の説教台から次のように侵略者を糾弾しました。
「さあ、皆さん、答えなさい。あなた方は一体いかなる権利、いかなる正当性をもって、これらの民を、かくもみじめな、かくもおぞましい奴隷の状態で所有しているのかを。さらに、それらの土地であなた方は、前代未聞の殺戮と破壊をおこない、無数の民族を消滅してしまったではないか」
●この北南米侵略を皮切りに、アフリカ大陸、ユーラシア大陸、オセアニア大陸と、、、どんどん侵略を繰り返し豊富な資源や奴隷を欧州は早い者勝ちで独占し、邪魔する先住民を虐殺します。当時それらの大陸では「土地や資源はみんなのもの」という概念が当たり前でしたが、そこに「所有欲」という全く違う考え持った欧州人が殺傷能力の高い武器をもって入って行ったわけです。オセアニアなどでは先住民を害獣のように考えハンティングや他の方法で約90%を虐殺してしまいます。
●そもそも最初の侵略者はポルトガルで後にスペインがメインとなります。しかし、一時期は「太陽の沈まない国」とまで言われ繁栄したスペインも、米大陸から勝手に入ってくる資源に頼りすぎたため国内の産業が生まれずスペインはだんだんと衰退してゆきます。
それを見ていたオランダが参入、次にはイギリスが三角貿易で、フランスをはじめとする他欧州もそれに続き、後発の西欧州組も急激に経済力・軍事力が発展してゆきます。
(ちなみに、あのモンゴル大帝国も支配はしていましたが、抵抗しなかった民族の虐殺を行わず、さらに陸続きだけの緩い支配でした)
●その後、宗教戦争である三十年戦争が、カトリック(神聖ローマ帝国他)とプロテスタント(スウェーデン、デンマーク、フランス他)の間で始まり、結果、カトリック側の神聖ローマ帝国の国力は低下し、逆にプロテスタント側は領土を増やし豊になってゆきますが、後に遺恨を残すことになります。
◆2つの大革命(フランス革命、産業革命)
しかし豊かになったのは王侯貴族や一部のブルジョアだけで、庶民は高い税金に悩まされていました。

●そんな時、米国の英国からの独立を知ったフランスの庶民は、「フランス革命(ロベスピエール、、→、、ナポレオン)」を起こしますが、結局は。この革命で私的所有権を有し王から市民へと、そして資本家が誕生します。資本家は民を洗脳しさらに資本を肥やします。
●イギリスでは三角貿易で資力をため込んでいたこともあり「産業革命」(繊維産業、製鉄業、蒸気機関の発明による人や馬の筋肉(エネルギーは食料)を使っていら時代から、動力や交通(エネルギーは燃料)の発展からの都市化)を成功させ農から工へと転換、都市化が進む。
産業革命以降の武器は高性能化し、その後の全世界を大きく変えてゆきます。

●この時、イギリスは世界に港湾拠点を40か所も持ち世界の工業生産の半分がイギリス産という状態に。そして欧州はイギリスを中心に世界の要になってゆきます。さらに産業革命をきっかけに「資本主義」が生まれ、組織に属する労働者階級もここから。人々も仕事を求めて都市に集まり、今まで日の出日の入りだった時間の感覚が時計中心に変わります。グリニッジ天文台を世界の中心(経度0度、子午線)として世界の覇権を握ってゆきます。言い方は悪いですが資本家が労働者から搾取するという今の形が出来たのも産業革命からです。
ちなみに日本の資本主義はイギリスの100年遅れで始まっています。あわせて英語が世界に広がり始めたのもこの頃です。当時、欧州の植民地(準ずるを含む)にならなかった国は日本他数カ国だけです。
話はそれますが、19世紀のアイルランドのジャガイモ飢饉(ジャガイモの疫病)が要因で大量の人民が米新大陸へ移住したこともありました。このため米国にはアイルランド系の人民が多いようです。
●欧州は世界の中心になってゆきますが、やはり元々別の国が狭い地区にひしめき合い、いがみ合っているのはそのまま、争いが絶えません。例えばスペインは1500年からの300年間の約8割をなんらかの争いに費やしています。イギリスもフランスも約5割以上を、つまり半分以上が争いの中(対外侵略、王位継承問題、農民反乱、他、、)でした。争いのベースは積み重なった憎しみと欲・洗脳なのかもしれません。

◆ヨーロッパの火薬庫(ヴィルヘルム二世の悪政とバルカン半島民族のいざこざから第一次世界大戦へ)
特にバルカン半島やコーカサス地方は民族の数も多く他の欧州に比較しても多くの問題を抱えていました。例えばパン=ゲルマン主義、パン=スラブ主義、バルカン同盟、従来バルカンを抑えていたオスマントルコと、まさにヨーロッパの火薬庫状態でした。
●その頃ドイツのビスマルクと新しいヴィルヘルム二世が揉めだし、ビスマルクは首になってしまいヴィルヘルム二世の悪政がはびこり出します。またロシアの南下政策はバルカン半島だけでなく中国の遼東半島もありましたが、ロシアが日本に負けた為、バルカン半島1本になったこともあります。イギリスにとって最初の同盟だった日英同盟を皮切りにイギリスは各国と同盟を結んでゆきます。
●そんな時、オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合したことにより、またいろいろな偶然が重なり「サラエボ事件」が起こります。それまでのビスマルクの和平同盟が逆に各国の戦争同盟となってしまったわけです。このサラエボ事件も皇位継承者のフェルディナントの入国が一日遅れていたら、この事件も起こらなかったのではないか、という研究もあるようです。それぐらいいつくもの偶然が重なったようです。
●サラエボ事件をきっかけに、その一ヶ月後ドイツを中心として戦争が始まりますが、この戦争は、誰もが安易に考え一週間程度で終わると思っていました。しかし、その後クリスマス休戦(映画にもなった)も意味をなさず、どんどん参戦国が増え、最後は旅客船攻撃やメキシコへの電報事件もあり米国も参戦、とんでもなく長引くことに。機関銃、戦車、飛行機もこの戦争から始まり、各植民地からも参戦、これが第一次世界大戦。負けたドイツには膨大な賠償金1320億金マルク(日本円で約200兆円)が課せられますが、実際に支払ったのは191臆金マルクともいわれています。
●この安易に始めた戦争がその後の世界を大きく変え、世界は戦争の世紀へ、そして「100年の悲劇」の時代に入ってゆきます。
日本も日英同盟により少し参加しますが、各国から言われているように日本にとっては被害が少なく得るものが大きかった戦争でもありました。特にドイツが実質支配していた青島制圧は大きかったのかもしれません。これは後の日本の米国への宣戦布告(太平洋W)にも関係してきます。
●参戦国は、「協商国」として、イギリス帝国、フランス共和国、ロシア帝国、セルビア王国、モンテネグロ、ベルギー、イタリア王国、ルーマニア王国、ポルトガル、ギリシャ王国、大日本帝国、中華民国、タイ王国、ヒジャーズ王国、アメリカ合衆国。
「同盟国」として、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国。となっています。
●とにかくどんな理由でも一度、戦争をはじめてしまうと、そこには欲、洗脳が憎しみとなって表れ、人々の心に浸透し、それが思想となってしまうこともあるでしょう。そうなると簡単には元には戻れません。
さらに、この戦争が今にも影響を及ぼしている5つの事象を生んでしまいます。

◆安易に始めた第一次世界大戦により、その後の世界を変えた5大事象
■1,社会(共産)主義、独裁国家の誕生。
この大戦はロシア革命のきっかけを作ります。大戦で困窮した民衆蜂起によってロマノフ朝が倒れ、その隙間にマルクス主義をベースにし「金持ちがいない国を作る」とレーニン現れ(ドイツが仲立ち)社会主義を、革命後に共産党と名乗り、その後ソ連を作ります。レーニンの後継者としてはヒトラーより残虐(ヒトラーは自国の市民は虐殺しなかった)と言われたスターリンが独裁国家を作ってゆきます。それは他国へも影響を与え、今でもロシア・中国・北朝鮮が独裁国家として残っています。社会(共産)主義の本来の姿は、資本主義の矛盾を解消するために出来たもので、元々は独裁ではないようです。
資本主義はイギリスの産業革命で始まったことで、個人が土地などを所有することが出来、マーケットは自由競争になります。欠点としては資本家と労働者の貧富の格差が激しくなることです。そこで、元々、マルクスが提唱する、苦しみ(貧困)から逃れるための宗教(宗教はアヘンとも)に代わる思想として「平等」(土地も物も国が管理し国民に分配)は、科学的社会主義も含めて国民から支持されます。事実、世界恐慌の影響も少なかったわけです。しかし国から守られるために個人の労働意欲が下がります。併せて国の成長率も下がりますが、全て国が決めるため個人の意見は受け入れられません。この点が独裁に近づく原因かもしれません。
ちなみに現在社会主義の国は「中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバ」の5国だけです。
元々の社会主義は「空想的社会主義」で、それを非現実的と批判したマルクスが「科学的社会主義」を唱え、さらにそれとは違う※思想としてレーニンが「共産党(共産主義という名称はマルクスの時からあった)」を作り、革命を起こします。
※僕はこの辺、詳しくないですが、レーニンは「社会主義は国が人を支配しているので平等でなく、共産主義に至るまでの途中段階」だと言っていたようです。そのためソ連のことを「共産主義国」とは言わずに「社会主義国」と呼んでいたようです。
■2,帝国主義から国民国家へ
世界は帝国主義から国民国家へと変わってゆきます。合わせて数多くの新興国民国家も誕生しました。この大戦前の欧州の争いは貴族同士の争いで、この戦争のように国民が直接戦争にかかわることはあまりありませんでした。そのため短期戦がメインでした。また、普通選挙が広まったのもこの戦争が影響し、社会保障制度にも影響してゆきます。
■3,米国が超大国に。
欧州は完全に荒れ果てましたが、米国はこの戦争の戦場にはにならなかったため国土は一切荒らされず、さらに人的被害もロシアの20分の1程度。しかし、欧州への武器他物資の売り込みで儲けに儲けます。それをきっかけに、世界の覇権は欧州から米国に移り一気に超大国へ、同時に世界のバランスも崩れ出します。そして後に米国はその反動の世界恐慌※で世界を狂わせます。しかし、米国はモンロー主義により、その後も戦争はしない方針が決定していました。
※大変儲かった米国は、どんどん商品を作り続けましたが、欧州でも少しずつ復興が始まったり、ソ連が社会主義になり商品を買わなくなったりの理由で、米国は生産過多に陥ってしまいます。さらに米欧ともにお互いの関税を引き上げ、両者の貿易額は各段に低くなってしまいました。それがその後の米国に端を発した世界恐慌に繋がりました。フランスのドレフュス事件もシオニズムや後の三枚舌に影響を与えます。
■4,ドレフュス事件と三枚舌外交による100年の悲劇の上書きは影響大。
この戦争で英国は無責任な三枚舌外交を展開。結果100年の悲劇の上書きとなる戦争、内戦、世界中のテロ(9.11の遠因※にも)を生み出します。そもそもの原因を作った三枚舌の詳細については、■リンク→「100年の悲劇を作った三枚舌外交」をご覧ください。※三枚舌でオスマン帝国の一部をクウェートとして独立させたことが、その後の湾岸戦争のきっかけを作り、ビン・ラディンは、湾岸戦争以降も中東に米軍が駐留しているのを非常に憤慨していたことからの9.11。
そもそも、ユダヤにとっては2000年前に住んでいたという歴史もあるでしょうし、近年ナチの迫害から逃れ約束の地を目ざすこともあってしょう。
片や2000年も住み続けてきたパレスチナ人にとっては、突然「出ていけ」そして「明日から難民」は想像を絶する辛さでもあるでしょう。案の定、翌日から争いが始まってしまいました。
さて、イスラエルという国を作ることになった直接的な要因は、フランスで起きた「ドレフュス事件(反ユダヤ主義による冤罪)」でしょう。これがシオニズムに繋がってゆきます。三枚舌はその後、さらにその後の国連による分割案により、イスラエルが建国されます。もちろんイスラエルと関係の深い米国は即承認。
しかしそれに反発したアラブ諸国が第一次中戦争(イスラエル勝利)。次にイギリス支配のスエズ運河をエジプトが国有化これをきっかけに第二次中東戦争(イスラエル勝利)。次にソ連の詭弁をきっかけにエジプトによるアカパ湾の封鎖に怒ったイスラエルの第三次中東戦争でもイスラエル勝利で領土をさらに広げ、パレスチナをイスラエルの配下へと。するとそれに反発したエジプトはシリアと協力してイスラエルを挟み撃ちにし第四次中東戦争(これが第一次オイルショックで日本の成長がこの時止まる)に、これにはアメリカが仲介しますが、小さいいざこざが続き結局インティファーダ(パレスチナの丸腰の反撃)に。この頃から悲劇のユダヤ人から、やりすぎのイスラエル人のイメージが付いてきます。そしてPLOもこの時から組織されます。その後あのオスロ合意(パレスチナ人の暫定自治)に繋がります。
このオスロ合意で共存の可能性もありましたが、無責任なシャロン氏の行動(ムスリムの聖地、岩のドームに入りエルサレムはイスラエルの物だと発言)で、パレスチナは怒りだし、オスロ合意も有名無実となってしまいます。その後、穏健派ヨルダン川西岸のフェンス(5%が壁でここにバンクシーが反戦絵画を)、強硬派ガザ地区(特にハマス党は攻撃的だがガザ住民には非常に良心的)の700Kmにもおよぶ分離壁が出来てしまいます。その後も幾度となく両者の攻撃が続けられています。
米国も大統領選にはユダヤの資金が必要で今だに頭が上がらない。特にトランプ時代にはイスラエルとアラブ諸国の国交が盛んになり、ハマスは仲間が減ってゆく不安を感じ出してきたかも。さらにバイデンになりあのサウジともイスラエルが国交を結びそうになると、ハマスはついに2023年10月の攻撃に出てしまったのかもしれません。それに対するイスラエルの反撃は度を越して激しくなってしまいました。
これに関してメイさんが言っていた「長年イスラエルにイジメられてきたパレスチナが反撃に出たところ、そこだけが西側から大きく取り上げられ、逆に今まで以上にイスラエルのいじめがひどくなった」こんなイメージでしょうか。いじめの例は正しくないのかもしれませんが。
ややこしいのはクリスチャン・シオニズムの動きも大きくなってきた感もあります。
「イスラエル」、「PLO(含:ファタハ)」(イスラエルから追い出されヨルダンに拠点の反イスラエル、一時はイスラエルと握手で和平路線の穏健派)、「ハマス」(PLOの対応では甘いという貧困層から始った反イスラエルのテロ組織で過激派、イランが援助しているのはイスラエルはイスラムの共通の敵だから)、それぞれが三つ巴(レバノンのヒズボラもハマスに協力している)でいがみ合っている状態です。このところ本来反イスラエルだったアラブ諸国の国々がイスラエルに近づきつつある。これが続くと上記の通りパレスチナの孤立も十分ありえそう。
そしてなんといっても一番大きな問題は、三枚舌が遠因にもなっている9.11以降の米国および関係国における軍事およびセキュリティ産業に関すること。ベースはフリードマン理論。テロから守るためとの理由で民間に実業務を委託(民営化)し、お金を使わない平和産業よりも経済が潤う軍需産業へ。GAFAにも合法的に国民の情報を抵提供し、さらにそれに対して国民が反発しない「仕組み」を作ってしまったっこと。こうなると国民はいつのまにか反戦行動すらできなくなっている可能性が高い訳です。さらに、今後、攻撃を受けるかもしれない他国に対しても復興を含めた数々の契約(爆撃、占領、復興)をさせられるということが、すでに起きています。これが利益率の高いモデル経済として成り立ったってしまっています。これを「新植民地主義」と呼ぶらしいのです。
■5,ヒトラーの台頭と第二次世界大戦。
オーストリア人のヒトラーは、若いときに父を亡くし、美大受験に失敗した頃に母も亡くし意気消沈、数々の背景からオーストリアを憎みだします。オーストリアに愛想をつかしたヒトラーは愛国心のない国への徴兵を逃れるためドイツへ移住。そこではバイエルン軍として第一次大戦に参戦し、地獄の西部戦線に参戦、砲弾や毒ガスを浴びることになります。前線ではユダヤ人の兵士が少なかったにもかかわらず、療養中に街で見たユダヤ人には肉体労働者が少なく事務職員や金貸しそして裕福層の多さに衝撃を受けます。その頃、彼の弁舌に惚れ込んだカール・マイヤーと出会い政治に興味を抱き出し、小さな労働党(後のナチス)を立ち上げ政治活動に専念してゆきます。その後ヒトラーはミュンヘン一揆(ナチス政権の樹立を目ざしたクーデター)で逮捕されますが、ヒトラーの裁判時の弁明(名演説になった)に絆され、さらにバイエルン州に守られ死刑を免れ、禁固5年(実際は翌年仮釈放)で済みます。その間に「我が闘争」を執筆します。
娑婆に戻ったヒトラーは、小ドイツ主義者(オーストリアを除外しドイツ統一をはかる思想)で、大戦で疲弊したドイツ国の問題解決(ヴェルサイユ体制の否定、ユダヤ人の絶滅、共産主義の排除他、、)をかかげて救世主のようなふりをしてドイツ民衆の前に現れます。作戦は上手くゆきナチ党は第一党へと。その後、民衆の心を見事な弁舌でつかみ大人気となり総統に上り詰めます。世界恐慌を逆手に、数々の対策で国を復活させ、さらに人気を博します。恐ろしいことに街では人々の挨拶が「ハイル・ヒトラー」にまでなってゆきました。
最初は日・独と同じく持たざる国・伊のムソリーニの独裁を真似たヒトラーも、どんどん独自色が強くなります。それはソ連の独裁のように国民を苦しめたり粛清・虐殺する方法ではなく、国民の共通の敵(例えばユダヤ)をつくるという独特の方法です。これを「合意独裁(国民も知らず知らずに手助けしてしまう)」といいます。ヒトラーの愛読書の1つは、ギュスターヴ・ル・ボンの「群衆心理」で、有能な一人を騙すより、無能な一万人を騙す方が簡単とも言っています。
そんな時、領土を広げたいヒトラーは各国との約束を無視、自作自演でポーランドに難癖をつけ16箇条の要求し無回答を理由にポーランドに侵攻。ついにあの第二次世界大戦に発展していってしまいます。
その後の三国同盟では「我々(ドイツ)は、3000年間、負けなしの国(日本)と仲間になった」とうそぶき。日本も強気になり真珠湾攻撃を、ドイツも同盟国として米に宣戦布告し世界大戦に発展。
これにより欧州が再び、そして全世界としては初めての大戦でドン底に突き落とされることになります。
また、これらの詳細については、■リンク→「第一次世界大戦の影響」をご覧ください。
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◆生き残れる(と思われる)国々
ちなみに欧州で戦争があっても生き残れる可能性が高いと「思われる」国は「スイス(永世中立だが国民を守る軍備がスゴイ)」「アイルランド(NATO不参加、徹底した独立・中立)」「デンマーク(NATO参加国だが、避難先のグリーンランド[GL]を持つ強さ。ただGLが独立したらGLが安全な国)」「アイスランド(世界平和指数1位、軍隊を持たず、地理的にも有利)」「マルタ(圧倒的な防衛力と要塞)」の六か国とのこと。
それぞれ数年前の木村靖二氏の話ですが、現在はこの状況が変わっているかもしれないと思います。
◆ビートルズの出現
最後に、欧州発で近代から現代における世界中の文化に影響を与えた事象として「ビートルズの出現」があると思っています。世界を大きく変えた東欧革命(ベルリンの壁崩壊他)のあのパワーの裏にもビートルズが。東側の人々は禁止されているビートルズ等の自由な音楽を聴きたいという人達の想いがそれはそれは強くあったようです。何とレントゲンフィルムに彼らの音楽を刻んで「肋骨レコード」として数百万枚が流通したとのこと。そこまでしても彼らの音楽を聴きたいという願いがとんでもないパワーになったことは想像に難くないでしょう。その後、数々の革命のきっかけも作りました。音楽が歴史に与えた影響の大きさをあらためて実感するエピソードでした。
僕はビートルズのいなかった世界を描いた「イエスタデイ」という映画が好きです。海辺のあのシーンはいつまでも心に残っており、どうしても忘れることが出来ません。思い出す度に鳥肌が立ちます。
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━━━━━━━━━━ 平和は最高の宝物 ━━━━━━━━━━━━━
■平和は最高の宝物 〜彼は何のために生きたかったのか〜■
でも、踏ん張らないと簡単に流されて消えてしまう宝物。
戦争は始めるのは簡単ですが、終わらせるのには大変なエネルギーが必要です。
SNS等で自分の考えに近い心地よいものばかりに集中していると、いつのまにか100対0の恐怖の視点※になる懸念もあります。たぶん意見の違う人を憎んでしまう感情が生まれるのだと思います。戦争のきっかけもこれ(感情のアンコントロール)が無関係ではなく、そして戦争が終わらない理由は、際限のない欲※でしょう。
※恐怖の視点=アイデンティティではなく、あくまでも視点です。
※際限のない欲=やはり際限のない欲や感情のアンコントロールが戦争を終わらせないのだと思います。
※イス・ハマが終わらないのは、ネタ首相の保身とガザ沖の天然ガスの争奪戦だともいわれています。
※ロシ・ウクが終わらないのは世界の武器産業に起因しています。日本も無関係ではなくなりました。
※日本も強力な攻撃能力を持つ地対空および対艦ミサイル、潜水艦、海上での戦闘を行うための艦艇、 戦車、装甲車、各種火器など、陸上戦で使用される装備品を製造しています。この武器はアメリカ経由で日本製武器として他国へも輸出できます。というかするでしょう。
また、イギリスやイタリアと共同で次世代戦闘機の製造・輸出を目指しています。
(この一部は国会審議もなく、議事録も非公開で決まってしまいました。その時のマスコミは、この重要な事象には一切触れず、漫才師M氏の話題で持ちきりでした)
理想論かもしれませんが、マスコミは公平で、全世界はもちろん、大好きな日本も平和であってほしいです。
日本は欧米の核担当者から「フロントステイト(核、最前線の国)」と呼ばれています。
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◆これを書いた背景(出来ればお読みください)
しばらく前、僕が、この平和や戦争に関する投稿をFBにした時の事です。あるFBFの方から「戦争などに関する投稿は、今の平和な世の中では楽しくもなく白けてしまうだけ」という旨のメッセージをいただきました。
そこで僕は「ご迷惑をおかけしてしまい大変失礼しました。恐縮ながら、ご覧いただかないようにしていただけたら、、、」とお伝えしたのですが、何の返信もなくなってしまいました。
しかし、僕は彼が嫌いではなかったので、これが最後の連絡とも考え僕の一方的な想い(以下に書いたような内容)を伝えました。
すると彼は広い心で読んでいただき、今はとても仲良くやり取りしています。
逆にそう言う経緯があっただけに、言いにくいこともお互い言えるようになり、ここに書くことも了承いただきました。
彼が言うには、平和、特に戦争・政治などの話を避けたい日本人は非常に多いとのことでした。ある意味、これは日本人の素晴らしい点でもあると僕は考えていますが。
さて、僕はだいたい月に4回ほどFBに自己満足の画をアップし、FBFの方々からの良い・悪いなどの有難い反応に大きな感謝と心からの喜びを感じています。こんなことが出来るのも、まさに平和があってのこと、本当に大切にしたいです。
◆彼は何のために生きかったのか、
僕が以前、読んだ「無言館(戦没画学生たちの青春)」という窪島誠一郎氏の本に「小生は生きて帰らなければなりません。絵を描くために」という走り書きの一言が紹介されていました。そのメモを書いた青年は結局、生きて帰ることはありませんでした。
この「絵を描くために」という一言は、「美味しいものを食べるために」や「映画を観るために」「お友達に会うために」、、、など数々の平和の事象に言い換えられると思います。
僕は制作している時、ただただ無心ですが、アップする時に何故か必ず頭を過るのものがあります。それは、80年ほど前にお国のためにと若い命を捧げた方々の本心です。「〇〇〇〇万歳」などと心から思ったはずがありません。ひょっとしたら画を作りたくて仕方なかった方もおられたかもしれません。それを思うと胸が痛いです。
アップする時のそんな想いに耐えられず、この【平和は最高の宝物】を記載しました。
具体的には、日本(正確には日本の軍部など、、)が二度と過ちを犯して欲しくない事と、昨今の世界情勢です。やはり今、嫌でもそれを強く意識せざる得ない状態にあると思っています。
以前、欧州の友人から「日本は大丈夫なのか?複数の核保有独裁国家や、中には狂った核保有独裁国家がすぐ近くにあって、そしてシーレーンは? そして米国にとっては一番都合の良い同盟国のままで、、、」と心配されてしまいました。そう簡単に攻めてくるとは思えませんが、歴史を見てみると、ちょっとした齟齬で争いが起こり、被害者が出てしまうと憎しみが憎しみを生み結果、大戦争に発展しています。
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◆僕の背景
僕はグローバリズム派でも反グローバリズム派でもなく、もちろん左派でも右派でもありません。さらに思想も信じている宗教もありません。少しでも「事実派」に近づきたいと思っています。
また「〇派」と「人間性」は全く別だとも思っています。意見が全く違う人達は世の中にたくさんいますが、意見が違っても理解しようと接すると魅力的な個性や味が見えて来て、人間的に惹かれる人がたくさんいます。
僕の子供時代は、実際に戦争を経験した父親(特攻で出撃まえに終戦)や隣に住んでいた叔父(父の兄で南方戦線からギリギリで生還)などの影響を受けました。彼らの話を毎日のように聞いて育った僕は、長く「日本の戦争には必然性があった、南方解放の聖戦でもあった」と心から信じて生きて来ました。
しかし、イギリスに住むようになり、国際標準ではその考えがひょっとしたら違うのかも?と思うようになりました。
一番の衝撃は、イギリスの歴史の先生から「日本が満州事変(含:日中戦争)を起こさなければ、第二次世界大戦はなかったかも」と言われたことです。当時の僕は、敵国だったイギリスから見た当然の視点だろう、、、と侮っていました。
日本に戻ってもそのことが気になっていましたが、目の前の仕事に翻弄されているうちに忘れてしまいました。
その後、突然イギリスで観たドキュメンタリーが頭をよぎりました。それは「イギリスは日本に助けられた」というちょっと皮肉めいた内容が含まれた番組でした。つまり日本とドイツが同盟を結んだために、真珠湾攻撃の後、即ドイツはアメリカに宣戦布告(今はヒトラー最大の失敗と言われています)をした。そのためヒトラーはイギリスへの上陸をあきらめざる得なかった、という内容です。
当時は家族たちと数々のドキュメンタリーの1つとして視ていましたが、そのドキュメンタリーを思い出したことで日本が起こした戦争の影響について気になり始めました。
それをきっかけに、いろいろな本を読み出しました。すると上記の見解が正しいのかも、と思うようになってゆくのを強く感じるようになってゆきました。特に近代史の場合、一次資料(事実を経験した人ではないと分からない資料)の影響は大きいです。
そこで、著者や先生方のゼミに通ったり、それぞれ対局の内容の本をあえて読むようにしました。
不勉強だった僕には大きな衝撃もありましたが、逆に日本人としてのプライドは何としても維持したいと強く思いながらも、それらを吸収たいと考えるようになっていました。
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◆ここでお願いです(出来ればお読みください)
以下の【日本が世界に与えた影響】の内容が間違っていて新事実や別の視点をご存じの方がおられましたら、是非ご教示いただけませんでしょうか。出来ましたらそのエビデンス(本やドキュメンタリー名、他等、、、)も教えていただけると有難いです。
また、こんな平和・戦争に関する投稿はやめて欲しいとお感じの方も、是非、お知らせください。
今回の内容は、以下リンクの僕が読んだ本や視たドキュメンタリーなどから得た情報に自分の意見は出来るだけ入れず、淡々とまとめたつもりです。
【参考資料および引用元】 ブラウザの「戻る」でこちらにお戻りください。
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この内容は、日本軍+αが世界に大きな影響を与えてしまった「日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争」及びそれに関する事象をメインに記載しています。穏やかだった日本人から想像できない狂ったほどの15年間の歴史(満州事変以降)になります。
今回まとめて思ったことは、民間人の被害が増え続けても、責任の押し付け合いを続け降伏決断を後回しにした軍部やTOPの責任は非常に大きく、それが原爆被害にもつながった事。
そして、そのような背景があったとしても、米国が悪魔の原爆を日本に落とそうと決めたのは何故なのか?人として知りたいとも思いました。
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◆日本が世界に与えた影響は、ここから
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◆そもそもは明治維新◆(1868年 – 1889年)
急激な西欧化の影響です。日本は植民地化されたくない+西欧に遅れたくないため、体制を一新する必要があったのでしょう。
やはりきっかけは、ペリーの来航でしょう。 1853年(嘉永6年)、アメリカのペリー提督が黒船率いて浦賀に来航し、開国を迫りました。幕府は苦境しますが、開国せざるを得ない状況に追い込まれていきました。
開国後は、日米和親条約(1854年)を皮切りに、イギリス、ロシア、フランスなどとの間でも不平等条約が結ばされ、日本は各国との開国を余儀なくされます。
そのため、国内の混乱、経済の混乱、思想の変容、そして幕府の権威の低下、つまり開国を迫られたことや、不平等条約を結ばれたことで、幕府の権威は大きく失墜しました。
しかし、武士から天皇の国に戻ることになり、鎖国で近代化が遅れていた日本は、明治維新で急速に欧州を真似ようとしました。
薩長中心の岩倉使節団は、結果的にドイツ(プロイセン)の影響を受けます。プロイセンは日本と同じ君主国家のため、日本も天皇主権の中央集権の国民国家として再出発することになります。
特に大きかったのがビスマルクの影響。彼の「和平よりも軍事力」という言葉を信じ日本は「富国強兵」の道を進んでゆき、白人至上の「帝国主義」が正しいという概念を持つに至りました。
また、それらの情報は、その後、生まれた新聞により国民に知らされることになります。
※天皇中心の主権国家=日本は源平時代に武家政権に移りだし、大政奉還まで約700年間、武家の時代が続きました。その間、天皇はお飾りだけの時代もありました。しかし、「大日本史」の出現をベースに「尊王」が生まれ、討幕派の間でバイブルになっていた「新論」などの影響から「尊王攘夷」の考えが生まれたとも言われています。
※中央集権国家や近代化、経済発展、国民意識の統一の課題として「地方活性化の遅れ」「官僚主義の弊害」「国民の自由や多様性の制御」などがあげられます。
西南戦争の経験でさらに中央集権化が加速した可能性もあります。軍隊の近代化もこのころから急速に進みました。
※鎖国=といっても当時から世界の情勢を相当、確認していたことが資料から分かります。
※薩長が攘夷から開国へと=天皇の許可を得なかった日米修好通商条約の締結や、安政の大獄などがあり、それらは水戸藩の思想をきっかけとして尊王攘夷運動に発展してゆきました。
その中心が水戸から薩長に移った頃、攘夷派は欧米列強と戦争を起こしました。長州藩による下関戦争や4国艦隊下関砲撃事件および薩摩藩による薩英戦争です。しかし、逆に外国勢の圧倒的な力を知ることにより攘夷は不可能と考え、結果として「尊王攘夷」は「尊王開国」に代わってゆきました。
※薩長中心=この藩閥政治が後の日本の方向性に影響を与え、特に山縣閥の軍部への影響は陸軍創設や軍国主義の象徴として大きかったとも言われています。
※薩長中心になった(薩長が手を結んだ)要因は、徳川慶喜にありそうです。慶喜が後に(切腹してまでもと)勅許を得たことで、彼が新時代の中心になる可能性があった。
慶喜が中心になってしまうと、それに反対する人は少ないだろう、、、、となると薩長はまた外様的な位置に戻ってしまう。
それを嫌った薩摩(すでに中央に入りこんでいた)や長州が手を結び大政奉還や王政復古(朝廷には政治は出来ないので薩長が中心に)へと進んだ可能性が高そうです。
※ビスマルクの件=具体的には「欧州列強の外交の本質は軍事力を背景としたもので、国家どうしの友好や外交儀礼などは表面上に過ぎない」という教え、これを岩倉使節団は信じ、彼らが帰国後すぐに「富国強兵」のスローガンが国中に広がります。
※明治憲法には封建的な部分もありました。例えば
天皇の地位: 天皇の権限が非常に大きかったこと
国民の権利: 国民の権利が制限されていたこと
社会階層: 旧藩閥勢力の影響力が大きかったこと
政治参加: 国民の政治参加が制限されていたこと
※新聞=後のマスコミ。この頃、日本初の日刊新聞が出来、その後の日清、日露、満州、日中、太平洋戦争(ここからはラジオが)では権力者にとっては必須のツールとなります。鵜呑みにせざるえない国民に大きな影響を与え、それは現在も形を変えて続いています。よく言われるバンドワゴン効果の最たるものかと思います。
現在のマスコミには「当時の失敗を活かして欲しい」と思ってしまいます。
最近、公開された「アナウンサーたちの戦争」という映画でラジオ局の責任者が「我々は夢の機械を、悪魔の拡声器にしてしまった」というセリフが特に印象的でした。
日中戦争のころには「同盟通信社」が作られ、情報のすべてを一括し情報統制する状態になっていました。ここの広告専任会社が電通でした。
※自由民権運動=明治7年位から始まり、その後の日本の姿に大きな影響を与えました。
自由民権運動の目的は、「国会開設」「憲法制定」「言論・集会の自由」などでした。その成果として、国会が開設や、憲法が制定されるなどの目的達成も出来ました。
しかし、政府の弾圧や、運動内部の対立などにより、自由民権運動は次第に衰退してゆくことになります。
キーワードとしては、「板垣退助」「後藤象二郎」「愛国社(現在の愛国関連とは違います)」「加波山事件」などがあげられます。
明治維新の結果
貧富の格差拡大、社会不安の増大、伝統文化の衰退、環境問題、
殖民地支配、政治の閉塞性など、、失敗と思われるものも多くありました。
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◆日清戦争(1894年7月25日 – 1895年4月17日)〜日本の軍国化の始まり〜
早速、起こしたのが「日清戦争」(朝鮮半島の権益を巡って+琉球の朝貢からの沖縄県化も主な原因ですが、宣戦布告は日本)です。
この戦争で日本は大儲けをしてしまい戦争は儲かるという考えが日本国民にも浸透してしまいます。また、「統帥権の独立」が日本軍国化のきっかけにもなったとも言われていますが、近年は見解が割れているようです。
ちなみに日清戦争は、産業革命以降の軍備を整え日本国軍が国外へ出兵した最初の国家間戦争です。
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◆日露戦争◆(1904年2月8日 – 1905年9月5日) 〜これが満州事変の遠因になり、世界大戦へ日本が与えた影響〜
その後の「日露戦争」(不凍港を作りたいロシア南下による朝鮮半島の権益を巡って、日本が奇襲攻撃)。
この日露戦争は、後に「第0次世界大戦」といわれるようになり、世界史の大きな転換点になります。つまり世界初の大戦です。ロシア・ドイツ・フランス 対 日本・イギリス・アメリカの世界戦。
この戦いで世界は日本が大国ロシアに勝つはずがないと思っていました。しかし日本がロシアに勝った(辛勝ですが)ため、イギリスは負けたロシアに近づき、それまでの関係が大きく崩れてしまいます。
そこで出来上がったのが三国協商(ロシア・イギリス・フランス)と三国同盟1(ドイツ・オーストリア/ハンガリー・イタリアは後に協商へ)です。
日本は南満州鉄道株式会社を設立し、満州における経済的な権益を拡大しました。
この戦争で日本が満州の権益をロシアから時限で得たことが、その後の満州事変の遠因になり、日本や世界を変えることになります。
※三国同盟1にしたのは、後の日独伊三国同盟2(三国防共協定の後)と分けるためです。
※それまでは「ドイツ・ロシア・フランス」と「イギリス・日本・アメリカ」の関係。
※韓国併合もこの戦争の影響です。
※日露では日清とは違い利益どころか国家予算の5年分を消費してしまい増税他で国民が暴動を起こすほど。
※満州の権益は、当初、期限付きでしたが日本はその期限を延期したかった。
※日露戦争では「国内の予算をどうするか」「満州の期限を延期したい(これが後に大問題に)」という「2つの問題」をはらんでいました。
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◆第一次世界大戦◆(1914年7月28日 – 1918年11月11日) 〜100年の悲劇の始まり〜
日本がロシアに勝ったことで各国の関係変化は大きく、平行してオスマン帝国の弱体化に伴い、協商のロシアと同盟のオーストリアの間でのオスマンやバルカン半島の覇権争いが起こります。ついにサラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発してしまいます。
この戦争は安易に始めてしまったと言われており、約1週間程度で終わると考えていた関係者が多かったようですが、結局は4年以上続いてしまいました。
つまり、第一次世界大戦は、日露戦争による国際関係の力学が変わった事が要因で起こったとも言えますし、そう断言している学者も多いようです。
協商国=イギリス、フランス、セルビア、ロシア帝国(後にイタリア、ギリシャ、ポルトガル、ルーマニア、アメリカ、日本が加盟) 対 連合国=ドイツ、オーストリア/ハンガリー(後にオスマントルコとブルガリアが加盟)とが戦いました。
日本は日英同盟の関係で協商国側に付き、アメリカも協商国側。ロシアはロシア革命で離脱します。
第一次世界大戦で、ベルサイユ体制が敷かれ、民族自決(民族が自分達の国を作り自分達で決めてゆく)のもとに帝国主義が崩れ欧州で国民国家が生まれてゆきます。
しかし、これはあくまでも欧州だけの事で、アジア・アフリカ他に彼らが元々、持っていた植民地はそのままにしてよいと都合の良い体制を作りました。これを「委任統治」と言います。
こうして世界の注目が欧州に注がれるようになると、日本は欧州から地理的に離れていることを活かし、日露で得た時限だった満洲を実際に欲しくなってしまいます。
また、日露で使い果たした国内予算も欧州に武器を売ることで利益を上げ(結果、日本は好景気)、日露時の2つの問題(予算と満洲)を解決しようと躍起になります。結果大きな利益が出て当時のお金で11億円の債務国だった日本が27億円の債権国に変ります。
教科書に出ていたお札を燃やして灯りを取る絵(船成金)もこの頃、大衆が自由を求めた大正デモクラシーもこの頃です。その後、対華21ケ条要求(満蒙における日本の権益の要求他)の多くを中国に認めさせることになります。
そして、爵位をもたない原敬による日本最初の政党内閣が始まります。これでやっと悪しき藩閥政治の影響が少なくなってゆきますが、官僚主義、政治と経済の癒着、地域格差などは現在にも残っています。
しかし、しばらくして戦後恐慌(欧州が復活して日本のものが売れなくなる)に陥ります。日本初の選挙もこの後に。
ちなみに、ドイツが東アジアや太平洋の地域を占領して勢力を拡大した一部はドイツが日本に負けた結果、日本が得ることになり、現在も日本の領土です。そのことで日本は(第一次大戦で)被害もなく得る物だけを得たと各国から言われています。
結局、第一次世界大戦では協商国側(連合国)がドイツ等の同盟国側を破ります。
その後、国際連盟(英・仏・伊・日が常任理事国)が出来ますが、米・独・ソも加盟せず、他にも強制力が弱くあまり機能しませんでした。またワシントン体制も出来ますが、日本の満州事変をきっかけに当該体制は崩壊してゆきます。詳しくは下記にて。
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◆三枚舌外交◆(第一次世界大戦中) 〜第一次世界大戦と同じく100年の悲劇のはじまり〜
第一次世界大戦に直接関係のある英国の「三枚舌外交※」が後の世界を大きく狂わせ、今の不穏な世界情勢(中東、米国、宗教、テロ、、)にも大変な影響を及ぼしています。
その後、この第一次世界大戦と三枚舌外交は「世界100年の悲劇」のきっかけになったと言われています。
※
「フサイン=マクマホン協定(中東アラブの独立・公開協定)」
「サイクス・ピコ協定(英仏露による中東分割・秘密協定)」
「バルフォア宣言(パレスチナにユダヤ民族住居地建設・公開協定)」
の3つですが、それぞれの文章をよく調べてみるとそれほど矛盾はないとも言われてます。とはいっても、それぞれの思惑が重なり結局は不信感が高まったことは事実のようです。
三枚舌は9.11にも、イスラエル対ハマスの遠因にも。
三枚舌で結果的にオスマン帝国の一部をクウェートとして独立させたことが、その後の湾岸戦争のきっかけを作りました。
ビン・ラディンは、湾岸戦争以降も中東に米軍が駐留しているのを非常に憤慨していたことから9.11が発生。米のイスラムに対する憎しみの連鎖が始まってしまいます。
シオニズムに関連した、現在のイスラエル対ハマスも三枚舌に起因していますが、他にもこの憎しみの連鎖はあまりにも多くの問題を引き起こしながら今に至っています。
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◆日本が「不戦条約」を破ったことが、第二次世界大戦に◆
そんな時代遅れの帝国主義を真似ようとしたのが(欧米以外では唯一の先進国の)日本でした。
というのも、1928年に制定された、史上初の「不戦条約※」は、最初、日本を含む15ヶ国、その後63国に広がります。この条約により「世界史上これほど平和になった時代はない」と言われるようになりました。
※不戦条約=問題解決に戦争という手段をとらない、戦争は違法という史上初の条約(ケロッグ・ブリアン条約)です。戦争の放棄、日本の第九条にも影響を与えているという研究もあるようですが、付帯条項として自衛の場合は除くことになっています。
※NHKの「3か月でマスターする世界史」の中の「第11回 近代化する日本と世界大戦」の中でも、慶応大学の細谷雄一教授が、「日本が起こした満州事変(次項)により国際秩序の平和基盤を根底から壊してしまった」しかし「そのことを日本の教育では扱っていない」と熱く語っていました。
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◆満州事変◆(1931年9月18日) 〜第二次世界大戦のきっかけにも〜
しかし、その数年後、日本は不戦条約を破り「満州事変※」を起こしてしまいます。日本はこの中国侵略を自衛としましたが、何の自衛かについてはあいまいになっているようです。
国内ではマスコミが柳条湖事件は中国の仕業と大々的に報じ、国民もその偽情報に踊らされることになります。
※日露戦争で日本が満州の権益をロシアから時限で得たことが、満州事変の遠因になっているようです。
※満洲事変=当時、資源が豊富と考えた満州を狙い、関東軍※独自による満洲への軍事行動、満鉄爆破を中国の仕業にした柳条湖事件で中国東北部を占領。
※満州事変の「事変」=当時の日本政府は、不戦条約が前提の世界だったため、国際社会からの非難を恐れ「侵略」や「戦争」にせず「事変」という名称をあえて用いたようです。
※関東軍については最後の方に一夕会と共に少し記載しました。
※表向きは日本ではない独立国(満州族最後の皇帝、溥儀を利用し)とした。と言っても憲法も住民票もない謎の国、そのため税金は取れず、アヘンなどの密売で利益を得ていたようです。
満州国建国に反対した犬養毅は五・一五で暗殺され、それまでの政党内閣は終了してしまいます。
これでやっと作られた世界初の平和の秩序が大きく壊れてゆきます。
つまり、満州事変(含:日中戦争)が国際的に重要と言われているのは、日本が中国を侵略したからだけではなく、国際平和の基盤を根底から壊してしまった世界史の転換点という背景からです。この重大なことを(前項の通り)日本の教育ではあまり教えていないようです。
中国はすぐに国際連盟に提訴しますが、列強は世界恐慌の影響が強く軍隊は出しませんでした。(国連のリットン調査団は送った)ある意味、日本の侵略を放置したとも言えるでしょう。
しかし、結果的に満州国は国際連盟に認められず、日本は国際連盟を脱退し日本は孤立してゆきます。その行動を日本のマスコミは「世界に物申した希代の英雄」と松岡洋右を祭り上げました。
美濃部氏の「天皇機関説(天皇は神ではなく機関)」も否定され天皇が「神格化」されてゆきます。
この頃は、「皇道派」(政治腐敗を排除し国家改造をねらった天皇中心主義、過激であり財閥や官僚からは危険視された)と「統制派」(軍の統制をメインに軍事政権樹立を画策、最初は穏健だったが二・二六をきっかけに日本の軍部を掌握)の両派の対立が顕著になります。
また、統制派の永田鉄山が暗殺されたことが、その後の陸軍の方向性を狂わせていったという研究もされているようです。
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◆二・二六事件◆(1936年2月26日 – 1936年2月29日) 〜日本の軍事独裁のきっかけ〜
(1900年以降、最初で最後の戒厳令+日本の本格的な軍国主義化)
その後、世界恐慌のあおりに怒りを覚えた皇道派青年将校らが、1500名の農村出身の兵隊を使い起こしたクーデター「二・二六事件」。
彼らの目的は「統制派を追放し皇道派よりの内閣に」でした。しかし、皇道派の彼らの想像に反し天皇は怒り、結局、緊急事態条項の戒厳令(立法、司法、行政を軍の支配下に)が敷かれ勅令により帰順し反乱は鎮圧されることになります。青年将校(最終的に)十七名は、非公開で弁護人なしの軍法会議で処刑されます。
この大日本帝国における最初で最後のクーデターがきっかけで皇道派の力は弱まり統制派(東条など)主流になり軍事独裁の国家になってゆきます。
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◆日中戦争◆(1937年7月7日 – 1945年9月2日) 〜満州事変と同じく第二次世界大戦へ大きな影響〜
軍中心になった国家は、意外に少ない満洲の資源を知り、さらに満州南の華北地区へ拡大しようと盧溝橋事件※を起こし泥沼の日中戦争に突入します。最初、即降参するだろうと思っていた争いも泥沼にはまってゆきます。
具体的には、華北地域の北京、天津。華中地域の上海、南京、武漢。華南地域の広州、香港。特に南京事件については、日本国内政府と大本営や上海派遣軍とが、もめながらも起こしてしまったとの考察があるようです。
その後も、どんどん中国内部に入り込んでゆきますが、中国は首都を奥地の重慶に移動しており、一向に終わる気配はない状態が延々と続き、日本は引くに引けない状態になっていました。重慶に対する無差別爆撃も行いますが、地理的な条件などもあり完全攻略はしませんでした。
このころ「東亜新秩序」という概念を作ることになります。
その目的は、アジアの解放という大義名分。日本の東アジアにける指導的地位の向上。共産主義勢力をアジアから排除。経済ブロックの形成として日本を中心とした経済圏を形成するなど。
前後して、日本国内では国家総動員法も決定(議会も名ばかりの状態で)され、国民への国債の発行も行います。さらに物資総動員計画により国内の軍需産業の財閥だけは非常に潤うことになります。大型戦艦やゼロ戦もこのころ作られました。しかし、労働力が軍需産業ばかりに集められたため、ほかの中小企業は倒産が相次ぎました。
※盧溝橋事件の発端は、日本(支那駐屯軍)の演習部隊なのか、中国軍(宛平県城に常駐)のなのか、どちらが先に発砲したかで今だにはっきりした事実がわかっていないようです。
日本軍の報告のあいまいさ(日本軍の一人が殺された)やミス(その後、殺されてないことが分かった)もありました。また、北のソ連を見据えていた石原莞爾と、中国本土を増援して打とうとした武藤章との意見の違いもあったようです。その後、停戦協議もありましたが蒋介石の強引さもあり日本もさらに引くに引けなくなってゆきます。結局、近衛文麿も決断したのでしょう。
※この時、中国国内は「中国国民党(蒋介石)」と「中国共産党(毛沢東)」が戦っていましてたが、日本に対抗するため一時的に手を組みました。しかし、戦後、また争いが始まり、それが今の中台問題につながっています。
満州事変・日中戦争の暗部として、リーベンクイズ、731部隊、三光作戦※、弐キ参スケなどについては、あえて記載していません。
※殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす(殺光、焼光、搶光)
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◆ついに「第二次世界大戦」へ◆(1939年9月1日 – 1945年9月2日) 〜人類史上最も規模が大きく、破壊的な戦争〜
日本の満州事変により、不戦条約があっても軍事力を使って侵攻してもよい、という概念が世界に生まれてしまいます。
それを早速、真似たのがベルサイユ条約で困っていたドイツのヒトラーでした。ヒトラーは早速オーストリアを併合、ポーランドに侵攻したことで、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告。第二次世界大戦(当初はドイツ対欧州)が始まってしまいます。
日本は日中戦争の最中でしたが、フランス・アメリカが支援する中国の抵抗に遭い、ドイツと同盟を結びます。日本が日独伊三国同盟を結ぶことで、これらの戦争はさらに大きく発展※します。
この時ヒトラーは「我々は数千年間、戦争で負けたことのない国と同盟を結んだ」と日本を持ち上げていたことが、三国同盟を裏で進めたドイツ全権の大島浩の日記から分かります。
しかし、同盟の1年前のノモンハン事件(モンゴルを推してるソ連 対 満洲の関東軍)で日本は初の敗北を喫しています。がそれを日本は箝口令を敷き封印します。その敗北が日本の未来を大きく変えます。この争いの後、日本は北進をあきらめ南進に切り換えたからです。
ノモンハン事件後に設立された「秋丸機関」は、米の総合的な力を日本の20倍以上と会議で伝えましたが、出席者は居眠りしていた人も多かったとの事です。その後も話は進まず時間ばかりが経過してゆきます。
1年後、エネルギー確保で(東南アジアに)南進した日本に対しアメリカを中心に行ったABCD包囲網(対日包囲網)に日本は苦しみアメリカを逆恨みします。ハル・ノート(日本が行ってきたことのほとんどを否定)もあり、結局、日本は真珠湾への奇襲攻撃(マレー半島への攻撃も同時に)を行い、太平洋戦争が始まります。
なお、大東亜共栄圏は世界を征服しそうな勢いのドイツから東南アジアを守るためとの研究もあるようです。
※当初は「ドイツ対欧州」と「日本対中国」の別の戦争だったものが、日独伊三国同盟や、日米戦により世界大戦になります。
真珠湾攻撃の数日後、ヒトラーは日本との同盟の手前アメリカに宣戦布告※しますが、それがヒトラーの最大の失敗と言われています。理由は、このためドイツはイギリスに上陸できなかった(イギリスでは定説)+アメリカの参戦+アメリカのソ連への大援助などがドイツの大打撃だったから。もちろんソ連における氷点下行軍がドイツに厳しかったことは事実です。
※ドイツのアメリカへの宣戦布告を聞いた英チャーチルは「これで我々は勝った」と言ったらしいです。
第二次世界大戦は、連合国(イギリス・フランス・ソ連・アメリカ他) 対 枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)の戦いです。最初は枢軸国が優勢でしたが、アメリカの参戦(ノルマンディ等)により、連合国が優勢になり、枢軸国は劣勢になってゆきます。太平洋戦争もミッドウェイを分岐点に戦局が逆転します。
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◆無条件降伏(イタリア:1943年9月8日、ドイツ:対フランス1945年5月7日 対ソ連5月9日、日本:1945年8月14日)
まずイタリアはノルマンディの前に降伏(国の被害を抑えたい新政権により)します。
ドイツは、アメリカの参戦やソ連の反撃でヒトラーが自殺、負けと認め降伏します。
日本も相当ひどい状態でした。しかしそれでも日本は降伏しようとしません。
暗号を解読されたミッドウェイ以降、制海権、制空権を失い、数々の作戦で負け続け、それでも降伏しない日本は狂っているとアメリカから言われます。この時点で勇気をもって降伏していれば、民間人の被害者も原爆もはなかったでしょう。
その後も、人類の歴史に類を見ない特攻を行い、皆殺しのルメイによる東京大空襲を含めた各地での無差別空襲、県民の4人に1人が殺された最大の地上戦沖縄、、、被害者はどんどん増え続けるばかり。それでも上層部は責任の押し付け合いを続け降伏の決断をしません。さらにポツダム宣言も黙殺してしまいます。
しかし、原爆※が広島に落とされ、ソ連の侵攻があり、さらに長崎への原爆投下でやっとポツダム宣言を受諾を決定しました。あの長かった世界大戦は日本の敗戦で終わりを迎えたわけです。
※日本が最後の最後まで降伏しなかったことへの責任は間違いなく大きいでしょう。しかし、アメリカが日本に原爆を落とすと決定した真意を人として知りたいです。
日本は弥生時代に侵略(ジャレド・ダイヤモンド説)されて以降、初めて戦争に負けた※ことになりますが、この自信が日本の終戦を遅くしたという研究もあるようです。
※実際にはノモンハンで日本は負けています。(しかし被害者はソ連の方が多かったという研究もあるようです)
満州事変(含:日中戦争)が、国際平和の基盤を根底から壊した世界史の転換点だったことは間違いないでしょう。
最後になりますが、大戦終盤、日本は世界50か国もの多くの国から宣戦布告されてしまった最悪の状態でした。
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■この項目の情報ソースは、慶応大教授 細谷 雄一 「戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで」―からと【参考資料および引用元】からです。ブラウザのバックでお戻りください。
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■追記分■
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◆原爆の違反や禁止について
日本では1963年に国際法違反になっています。
1977年のジュネーブ諸条約追加議定書でも無差別攻撃、民間人保護、環境保護の観点から禁止していますが、アメリカ・イスラエルは批准していません。
2017年の核兵器禁止条約でも、核保有国(みなしも含む)の「アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮」などは批准していません。さらに、核の傘の下にある国「日本、韓国、ドイツ、オーストラリア」も批准していません。
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◆「陸軍」という映画を観ました。(友人の紹介で)
この映画は、幕末の騎兵隊から、明治維新、日清、日露、太平洋戦争への出兵までを描いています。
冒頭に「大日本史」が出て来て、重要なシーンの前には必ずそれが出てきました。明治維新の「尊王」に大日本史が影響していると言われることがありますが、その点を深く考えてしまいました。そして「尊王攘夷」に影響を与えたのは「新論」の存在でしょう。
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◆近衛=日中戦争を起こし軍に物を言えず敵も味方もいなかった近衛(あくまでも第3次時代の近衛)の悲観論
対
◆東条=有能者を避け自分に都合の良い内閣を作り日米戦を始めた東条の楽観論
とのせめぎあいでもあったような。
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◆開戦前の「日米諒解案」「甲案」「乙案」の存在
・日米諒解案
特徴=包括的で抽象的、両国の協力による新秩序構築
目的=日米間の対立解消、平和的な共存
・甲案
特徴=日本側の立場を優先、強硬な要求
目的=中国における日本の地位確立、アメリカの干渉排除
・乙案
特徴=アメリカとの関係改善を優先、譲歩的な内容
目的=戦争回避、アメリカとの関係修復
日本は当初の「甲案」がアメリカに拒否されたため、「乙案」を提示しましたが、日本が国際的な約束を破った「満州事変」の件もあり、日本は信用されておらず、結局「乙案」も受け入れれず、開戦に至りました。
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◆ソ連の主張で出来た拒否権。
サンフランシスコ会議(1945)で議論された国連憲章に「拒否権」が加わりました。
連盟が数々の軍事行動を制止できなかった反省から、軍事力を用いた制裁規定が出来ました。
その制裁規定の中に、当時のソ連の主張で軍事制裁の責任を負う5大国(米・英・仏・ロ・中)が「拒否権」を持つことになります。その存在が、現在、戦争を終わらせられない「拒否権」として逆に「平和の破壊」を招いてもいます。
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◆敗戦、終戦、戦勝などの国による違いと国歌
1945年
5月8日 ドイツが降伏文書に署名した日
8月15日 日本の敗戦の日
韓国が日本から独立した日
イギリスの対日戦勝記念日
9月2日 日本が降伏文書に署名した日(終戦)
9月3日 中国の対日戦勝記念日※
ロシア 軍国主義日本に対する勝利と第2次世界大戦終結の日 (プーチンが2023年に変更しました)
※中国の現在の国歌は日中戦争時に日本を倒すために作られた義勇軍行進曲。
他にも主要国の国歌は戦争・革命・宗教を扱ったものが多くあります。
※米国国歌=戦争時に戦場に輝く星条旗(星条旗よ永遠なれ)
※フランス国歌=フランス革命時の自由と平等を。歌詞の中には「敵の喉をかき切って殺せ」とある。(ラ・マルセイーズ)
※イギリスの国歌=神よ王(or女王)を守り給え(ゴッド・セイブ・ザ・キングorクイーン)
など。
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◆もし三布告が実施されていたら
三布告とは、1945年9月2日にGHQから(日本政府を飛び越し)出された「日本國民二吿グ」で始まるGHQが日本国民に直接布告する予定の文書で(10万枚)を用意していました。
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おおまかな内容は、以下の3つ。
・「立法・行政・司法の三権は、マッカーサーの権力の管理下に置き、日本国の公用語を英語とする」
・「GHQの命に反した者は軍事裁判にかけられ、死刑またはその他の罪に処せられる」
・「日本円を廃し、B円と呼ばれる軍票を日本国の法定通貨とする」
という日本を直接統治する内容です。
しかし、GHQが実際に日本を見た時のイメージ(狂った15年間の想像とは全く違う本来の従順な日本人を見た驚き+知識レベルの高さ+他国にはない天皇崇拝さの異常なほどの背景=天皇は日本をまとめるのに利用できる)である程度心は決まったいたところに、日本の状況を強く説明した日本側からの強い撤回要求もあり、ギリギリで白紙撤回されました。
●とはいっても沖縄他は直接統治となってしまい、戦後も苦しみ、今に繋がっています。
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◆日米地位協定は、終戦の15年後にできた、在日米軍の日本における地域や地位について定めた条約です。しかし、締結されて以来、現在まで一度も改定されていません。 そのこともあり、数々の事件・事故・騒音問題・環境問題が発生しています。
また、それに関連した日米地位協定の25条が「日米合同委員会」、これは日本の官僚と在日米軍のトップが月2回行い、すでに1650回程度になっているとのことです。この内容の多くが非公式にもかかわらず、日本政府に大きな圧力がかかっているという学者もいます。本当のところはどうなのでしょう。日本のどこにでも米軍基地を置ける事や日本の憲法よりも上の存在と断言している政治家もいます。
あとは「国家安全保障会議(NSC)」は「日本の安全保障政策を決定する機関」ですが、 ・透明性の欠如 ・官僚主導の弊害 ・情報共有の不足 ・迅速な意思決定の難しさ ・国民への説明責任などの問題を解決してゆく必要がありそうです。
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◆世界史に影響を与えた「関東軍」と「一夕会」について。
関東軍は、もともとは日露でロシアから譲渡された中国の関東州にある鉄道を守るための軍です。
関東とは、日露戦争後ポーツマス条約で中国から租借していた遼東半島の一部を日本では関東州と呼んでいたため。そこに関東都督府を作り関東庁と関東軍を置いていました。
また、柳条湖事件の前には、張作霖爆殺事件があり、それに対する日本の対応が甘く軍法会議※にかけなかっため、関東軍をのさばらしてしまったという反省は最近よく聞かれるようになりました。
※天皇と時の総理、田中儀一との間で河本大作をめぐったやりとりのまずさがきっかけで、その後、関東軍がのさばってしまったとも言われています。
関東軍と関係の深い「一夕会(いっせきかい)」という双葉会と木曜会から出来たグループがあります。
一夕会は、1920年代後半に結成された陸軍内の秘密結社。永田鉄山、東条英機など、後の陸軍の中枢を担う人物たちが中心となり、満州事変や日中戦争を積極的に推進するなど、日本の対外政策に大きな影響を与えています。
彼らは「長州閥の打破」「軍による新政府」「国家総動員体制」「必要な工業力の資源は満洲近隣から」というシナリオを作っていました。一夕会はのちの「統制派」になって開戦へと向かってゆきます。
背景として、長州閥の流れをくむ宇垣閥(陸軍で政党寄り)と薩摩閥との関係もあった九州閥(海軍で軍寄り)の勢力争いでもありました。
一夕会は九州閥ですが、九州閥の荒木貞夫を陸軍大臣(陸軍大臣は本来なら長州閥)にすることに成功し、一夕会の力が強くなってゆきます。その後、政党寄り(長州閥)は弱くなり軍寄り(九州閥)に変ってゆき両軍とも一夕会の支配下になってゆきます。
※宇垣閥とは長州閥の人材がいなくなってしまったため、長州閥に可愛がられていた岡山出身の宇垣一成が引き継いだもの。最初、九州閥よりも力を持っていた。
※九州閥とは同じく薩摩閥の人材がいなくなってしまったため、佐賀出身の真崎甚三郎などが引き継いだもの。
満洲事変のきっかけになった柳条湖事件の自作自演も一夕会からの指示によるものらしく、その後の日本や世界の歴史に大きな影響を与えることになりました。
◆最後に
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戦争の原因は「感情のコントロールと際限のない欲」です。
僕が思う戦争の原因は、資源や領土の争奪、思想や宗教の対立、民族主義やナショナリズムによる差別、個人の野心や権力維持、コミュニケーションの不足、見えないものへの恐怖、、などがあると思っています。すべて「コントロールできない感情と際限のない欲※」に起因しているのかと。
※イス・ハマが終わらない理由はネタニヤフの保身とガザ沖の天然ガスの争奪とも言われています。
※ロシ・ウクが終わらない理由は武器産業です。もちろん最初に書いたとおり日本も無関係ではありません。
つまりどちらも「戦争は儲かるから終わらない」という以前書いた内容に一致します。
しかし、その感情や欲に負けて戦争を安易に始めてしまうと、相手への憎しみが増し続け、終わらせるためには相当な知恵とエネルギーが必要と歴史が教えています。
世界が第一次世界大戦で苦しみぬいた結果、作られた「不戦条約」、事実「世界史上これほど平和になった時代はない」という史上初の文化を作り上げた世界。
そんなとき、不戦条約を破り、こっそり戦争を始めてしまった日本。この戦争は過去最大の世界大戦にまで発展し全世界を変えてしまいました。絵を描くために生きたかった彼。彼と同じ運命をたどった人たちは5,000万人を超えています。
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■■■■■メニューへ■■■■■
■ここから先は日本を年代順に追ってゆきます。上記に関する部分も多少重複しています。日本の四大変革についてもまとめています。
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●旧石器時代は、日本各地に大型動物もいて数万年以上※と相当長く続きました。※一説では島根県の砂原遺跡で約12万年前の前期旧石器の遺物も見つかり議論になっています。
その後、気候の変化と共に大型動物は減り、小型動物・魚の狩漁猟・採集がメインの縄文時代(土器もこの頃から)に入ってゆきます。当時は農耕がなく土地を所有せず、貧富の差や格差がなく、「見えない人」を信じる宗教もなく、結果、人殺しが非常に少ない平穏な時代。それがさらに1万年以上続いたようで、その間は塀も柵もない生活です。これは全世界を見ても唯一とのことです。他のホモ属を絶滅に追いやったサピエンスとしては非常に珍しい※とのことでした。
●※食物は残さず皆で分ける、獲物の存続を考慮し大人の雄をメインに狩りをする、人ではなく万物に神が宿る、男尊女卑がない、他。縄文後期には少しだけ稲作が入ったようですが、農耕とは程遠かったようです。縄文土器のあの独特の形状は他国にはみられず、実用的ではない数々の飾りに文化の深さを感じます。
そして日本が磨製石器を作り出すのは欧州の15,000年も前、そして世界最初の土器を作り出したのも日本とのことです。(ジャレド・ダイヤモンド著「銃・病原菌・鉄」から)しかし、その後もいろいろな説が出てきているようです。
●日本の宗教観はアミニズム、八百万の神、先祖崇拝も含め先進国の中では特異な存在、一神教の不寛容さや宣教もなく非常に寛容な宗教観を持っています。戻って縄文人は自然の恵みの存在に感謝および継続に祈りを捧げていたのに対して、弥生人以降は、収穫(生産)量に願い祈りをささげ、それが今に続いているのかもしれません。
●また、秀吉のバテレン追放令と家康の禁教令が日本には一神教が広がらなかった一つの要因という研究もあるようです。別視点では、キリスト教布教者が日本の先祖崇拝を理解できなかった点※も広がらなかった大きな理由という点もあるらしいのです。※他にも日本人独特の考えを理解できなかった背景もあるようですが、日本人の通訳がキリスト教をよく理解できていなかった可能性もあるようです。他にもいろいろな要因で日本での布教がそれほど広がらなかった世界的にも珍しい例なのかもしれません。
●日本語も非常に特異な言語らしく「孤立した言語」と呼ばれています。他国の言語の場合、近隣の国々では多くの類似性がみられるらしいのですが、日本の近くの国々との類似性も認められないとのことでした。
もちろん漢字などの文字は中国から朝鮮半島経由で入っていますが、日本人はその漢字に元々日本にあった日本語の読みを無理やり充てたようです。例えば「いぬ」という動物を表す日本語の音声「inu」は元々日本にあったようですが、当時日本には文字はなかったわけです。そこで中国から漢字が入った時に同じ動物を指す「犬(Quǎn=チュエンと聞こえます)」という文字を「いぬ」と読むようにした(訓読み)とのことでした。音読みでは「Quǎn=チュエン」を「ケン」と読んだのでしょう。
●また、音も特殊でこれも世界的に稀らしいのです。まず音節(シラブル=音の最小単位で日本語は1文字が1音)の違い。例えば「マクドナルド」は日本語だと「6音」ですが、英語だと「3音」で地域によっては「2音」に聞こえる人もいます。あとは逆に母音の数、日本語は「あいうえお」の5個。米語は13個(英語はもっと多い)それに追加して半母音(Rの発音等)も、他の言語(中国語等)はさらに多いです。そのため日本語には少ない音で表現するので結果、同音異義語が多いのかもしれません。最後はリズムの違い。これは裏拍が関係してるかもしれないです。日本の音楽には元々裏拍がない等。とにかく全世界を見渡してもとても稀です。聞いた話ではハワイ語に関しては音節的に少し似ているようです。
●日本語や各国語を勉強したことがある欧州人(特に西欧側)に聞くと、総じて日本語は間違いなく世界一番難しいと、そして中には日本人は天才だと言う人もいます。その種類たるや「漢字、ひらがな、カタカナ、音読み、訓読み、時々ローマ字、特に助詞(てにをは)や曖昧な表現(空気を読め、とりあえず、一応、それなりに、いずれ、他にも大多数あり)さらに、同じ音で別の意味がたくさん、同じ字で別の読み方がたくさん(「生」はすべて入れると150の読み方がある)、それぞれの表現に尊敬語、謙譲語がある。そして言霊」。「その上、日本人は本心を言わない、作り笑顔をする、感情を出さない、集団で行動する、みんなと同じを基準にする、、」他にも日本独特のコミュニケーションの方法が数々ある。特に主語がなくても話が通じてしまうのは驚きだと。
なので話しながら相手の心を読まなくてはならない等、、、。「やはり天才」だと。
●しかし彼らも日本に長く接して日本語がよくわかってくると、それらは相手を傷つけたくないという思いから生まれた、日本独自の多層に渡った文化ということが理解できてくるようです。つまり日本人は常に脳を徹底的に使ってコミュニケーションをしている。だからの頭脳明晰な人が多いのではないか、と聞いたことがあります。
あとよく彼らが言う日本人の特徴としては「日本人は心配性の人がとても多い」ということです。時間が経てば何とかなるのに、その間の時間がもったいないと。これは本当によく聞きます。例えばオリンピックなどでも日本人は練習をしないと心配でとにかく練習をする、その結果、どうみても体力的に勝っている人種の人たちに勝つことが出来る。時間に正確なのも、失敗を嫌うのもそこから。でもこれが日本を長続きさせている要因なのかもと個人的には思っています。
●それに関連しているのかもしれないですが、現在、世界で一番長く続いている国は日本で2680年程度。2番目はデンマークで1000年程度。三番目がイギリスで950年程度。(ギネスではそのようになっています)
(短かった国はソ連69年、チベット38年、南ベトナム31年、ローデシア14年、ユーゴスラビア11年、アラブ連合3年、アイレク3日)
ちなみに日本のゴミ焼却率は世界一(断トツで)で約80%に近いですが、先進国でもオーストラリアは数%です。逆にリサイクル(コンポスト含め)率はドイツがダントツで65%、日本は非常に低く18%程度で先進国では最低です。
●日本独特の「文化」や「らしさ」の始まりは何なんでしょうか。
僕が最近よく考えるのは、日本は島国+山が多い。つまり地形的に山向こうは未知の国、なので「村八分」が一番怖いことだったのではないか?そして村の一大行事は「神(村)祭り」。後に入ってきて「特定の人を信じる」仏教にはこのような「祭り」はありません。
村祭りで村八分にされないような「無難な生き方」「同調圧力に委ねる」が最高の選択肢に、そんな背景で今の日本人の根幹が出来上がってきたような気がしてなりません。これは生産的でないと否定される方もおられるでしょうが、文化的人間の自然の姿のような気がしてます。
そしてその無難な生き方が「会話の時も含め人の目を見なくなり、無駄な争いのきっかけを作らない」現在の文化になったのでは?と。(もちろん今は大きく違いそのような日本人は少ないのかもしれません)僕は昔の日本人のように人の目を見て話すのが苦手です。
これは争いを嫌った縄文時代の名残では?とも少しだけ思っています。
しかし、明治維新以降、突然の欧州の影響から急激なスピードでその日本人が変わり出します。(あの戦国時代も争っていた武士はほんの一握りで、ほとんどが無難な生き方をしてたようです)
●以前、日本にも住んでいて日本文化にとても詳しいウリケ・シェーデ氏によると、日本の特徴は「いつも礼儀正しく(電話で話中も頭を下げる)」「常に適切(置かれた環境に合わせる)」「他人に迷惑をかけない(親の格言に多い)」ことだそうです。
彼女は「日本人は遠慮がベース。エレベータピッチ(乗っている僅かな時間で自分をアピール)などは考えられず、これではビジネスイノベーションは起こりにくい」と。しかし、これさえ守っていれば日本のビジネス革命は素晴らしいはず、逆にこれが日本の(他国にない)強さだとも断言しています。
上記とは少し視点を変えて貨幣の話ですが、遅れた日本でも約1300年前にお金が出来ています。その後、管理通貨制度※が本格的になってまだ50年程度、これも戦争が原因。
※制度自体は1942年ですが、1971年、ニクソンは金とドルの兌換停止を宣言し大きく変わります。理由は戦争です。
戦争になると莫大な「戦費」が必要になり、貨幣を発行する必要が出てきます。しかし、金は勝手に増えないわけです、そこでこの制度なら金の量に関係なく貨幣を刷れる。しかし、通貨が安易に増発されると、お金の価値が下がりインフレーションの原因になりやすいので非常に怖い面もある。
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◆日本の四大変革期について。(倭国・日本を含め現在までに4つの大変革があったと考えています)
↓
◆最初の大変革「倭人の遺伝子が突然変わる」(ユーラシア大陸の影響)
これが「弥生時代」に繋がり倭国(日本)最初の大改革で倭人の遺伝子が変わります。
その「武器」の影響なのか、この時代以降、先住の縄文人が激減しているとも言われています。ジャレド・ダイヤモンド氏によると日本は大陸から武器を持ってやってきた人種に侵略されたとの研究結果を残しているようですが、この背景がよく理解できないでいます。さらに当時、縄文人は人を殺すための武器は持っていなかった※ということは史実から証明されているようです。もし、これがJ・D氏の通り「侵略」だとすれば、日本にとって最初で最後の侵略被害でしょうし、もちろん両者の混血があったことは間違いないでしょう。
そのため、現代日本人は、縄文人系が1.5割、弥生人系が2割、古墳人系が6割強の比率で今に繋がっているようです。
※縄文時代以前の遺骨に武器による殺傷痕は見つかっていませんが、弥生時代以降の遺骨からは数多く見つかっているようです。
※弥生人や特に古墳人が武器を持って入ってきた可能性は高いと思っています。
※縄文人のDNAは、日本(東京の場合)10%、沖縄が30%、アイヌには70%も残っているようです。
●ちなみに、いろいろな説があるため侵略されたかどうかは分からないですが、弥生系や古墳系の人たちが権力を握り、縄文系を北・南に追いやった(残った)という説もあります。また、渡来系(古墳人を含む)トップの人達が朝廷(天皇※)系になったとも。結局、縄文系は蝦夷(東北・北海道)、隼人(薩摩)、琉球に少し残った。また、当時、稲作に適した地域に渡来系が住み着いたという説もあるようです。
※弥生時代の中期「欠史八代」と言われるように実在の天皇は存在していなかったようです。それぞれの天皇の寿命が100歳超えなどあり得ないでしょう。
●また、お遊び的な情報の「縄文人の特徴」として、以下のように言われています。
1.唇を動かさず両目ともウインクができる人
2.くせ毛っぽい人
3.耳垢が湿っている人
4.両目とも二重まぶたの人
5.血液型がO型の人(弥生はA型)
お遊びのため確証は全くありません。
●先にも書きましたが「農耕」は禁断の革命かもしれないと思うことがあります。例えば遠くメソポタミアで始まった「農耕」が定住、疫病、格差、独占、権力者、貨幣、国境、侵略、戦争を生んだことは確かのようです。片や、農耕が人口増、長期計画、全生産革命、各種学問、人類の急激な発展に寄与したことは事実なわけです。しかし、その背景は複雑で二言論で語れるほど単純ではないでしょう。
ちなみに最新の研究↓
■リンク→「縄文人と渡来人の混血史から日本列島人の地域的多様性の起源を探る」
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◆二番目の変革「倭国から日本へ」(中国の影響)文字、仏教、天皇中心、律令性、倭国から日本へ変わった時代。この時期まで日本には文字がありませんでしたので、これ以前のことが正確には分かっていません。
●本当にそれまで文字がなかったかどうかについてはいろいろな説があるようですが、以前からあった歴史書を蘇我蝦夷が全て燃やしてしまったという説まであります。卑弥呼も邪馬台国ですら古事記にも日本書紀にも出てこず、中国の文献「魏志倭人伝」には出ているとのことで、そこからの引用です。(古事記は稗田阿礼などの口伝で神話から始まります)当然、朝鮮経由の影響は大きかったでしょう。
●また、その魏志倭人伝(3世紀、邪馬台国の時代で日本には馬や鉄器がなかった)から宋書倭国伝(5世紀、大和朝廷の時代で既に馬や鉄器が現れている)の間がすっぽり日本史から抜けています。つまり4世紀の歴史がどこにも残っていません。理由として考えられるのは、その当時の古墳の調査を宮内庁が許可していないこともあるようですが、最近よく言われているのは、この間に多くの渡来人が朝鮮半島(特に百済、伽耶)から難民として移ってきたのではないか、ということ。人種的にも朝鮮半島からの人々がこの時期、非常に増えています。と共に日本の文化・文明が大きく広がって行ったことは事実でしょう。
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●ちなみに西暦267年から412年の間は日本の歴史の空白になっています。その解明のためには、古墳の調査が不可欠のはずですが、調査しない理由何なのでしょうか。このときから日本が大きく変わっていることを考えると、いろいろと勘ぐってしまいます。
その後、奈良、平安、最初の武家政権鎌倉、室町、戦国、戦争のない江戸が過ぎてゆきますが、この間は現在への決定的な影響の少なさを鑑みると大変革には入らないのかと思っています。
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◆三番目の変革「明治維新」(欧州の影響)。
この時代が日本の「文明」「文化」を大きく変えたことは事実でしょう。まずは「学制」「徴兵令」「地租改正」、また「士農工商」から「四民平等」へ。そして一番の影響は、欧州に倣った「日本の近代化」と「富国強兵」「統帥権の独立(軍が戦争出来る権利)」かと考えています。
明治4年の岩倉使節団(150人)がビスマルクから受けた影響は大きかったと思います。
最初はフランス式を予定していましたが、プロイセン式に改めた理由は、ビスマルクの剛腕と実績だったのかと。
(ビスマルクは、一君主国のプロイセンを統一帝国にのし上げた)
ビスマルクは彼らに「欧州列強の外交の本質は軍事力を背景としたもので、国家どうしの友好や外交儀礼などは表面上に過ぎない」と説いたことは事実らしい。
つまりビスマルクから「軍国主義化がなによりも大切」と教わった結果、日本は「富国強兵」になっていったと思っています。
事実、日本の「富国強兵」は、欧州からもどってすぐの6年に始まっています。
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◆四番目の変革「日本になって最初の敗戦・太平洋戦後の復興」(米国の影響)。
これは言うまでもないでしょう。
●日本になって初めて敗れる。「非軍事化」「天皇の人間宣言(国家神道の解体)」「民主化」「財閥解体」「農地改革」「日本国憲法※」「議員内閣制」「朝鮮戦争」「日米安保」「国際社会への復帰」「軍事は米に任せ急成長」「高度成長」「GDP(当時はGNP)世界二位」「高度成長の終焉」「バブル崩壊」「少子高齢化」などですが、他にも多くの変革・事象がありました。
※九条の「戦争の放棄条項」は時の総理「幣原喜重郎」の意見が大きく影響していると僕はゼミで教わりました。
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●これらが日本の(今に繋がる)四大変革期だと思っています。こう見ると弥生時代の前の石器・縄文時代がいかに長かったかがわかります。
●ただ、今でも日本人のベースには仏教以前の「多神教」が八百万の神として根付いているように思えます。(多神教は一神教と違い直接争いや戦争に繋がらないことが証明されているようです。多すぎてどれを敵にしていいのか分からないのかもしれないですが、事実として多神教同士の戦争はないようです)
しかし、日本もある時期「一神教」的になった時代があったように感じています。それが天皇を「現人神」として戦った十五年戦争の時代。
●そこで、現在の日本に目を向けると、不幸なことに日本の米軍基地の重要性がますます高くなっています。例えば横須賀は大型空母の修理も出来るため修理のために米国に戻らなくてもよい。沖縄はそれ以外にも大陸間弾道ミサイルの射程距離が朝・中・露以外のユーラシア各国に届くなど重要基地になってしまっています。そんな背景で集団的自衛権以降、米国の配下感はさらに強くなっているわけです。
そして日本国内は二大政党ではないため、情報は自在に操作可能、免許制があるためマスコミ特にTVは政府に迎合し、さらに日本から新しいものが生まれていない(AI含め)不安を強く感じています。
世界競争力ランキングで見ると、1989年に世界第1位だった日本が2022年には一気に34位に急落しており、諸外国からの投資割合もOECD加盟国では落ちに落ちて最下位。日本の人材への投資はアメリカの20分の1。さらに日本人勤労者の小遣いの平均額は30年前が47,000円、今(2022年)は39,000円と物価を考えると極端に減っています。さらに国連認定の貧困国の一部(まだ初期の段階だがモンゴルや南米他と同じレベル)に。しかし、これは逆に可能性があるということ、安い日本だからこそ持っているポテンシャルは大きいと思いたいです。
◆日本が世界に影響を与えた事象
↓
明治維新の後、資源のない日本は、欧州を真似て大陸進出をしてしまいます。朝鮮半島をめぐっての争い日清戦争、日露戦争(第ゼロ次世界大戦とも)を起こし、ビスマルク※に感化された「富国強兵」「統帥権独立」の影響もありどんどん好戦的ともとれるような行動になっていったようです。司馬遼太郎は「この国のかたち」で「別国」(この時期の日本は別の国になってしまったという意味合いらしい)ことを書いています。※「鉄(軍隊)と血(兵隊)のビスマルク」と呼ばれてます。
●昭和に入ると、関東軍の政府を無視した独自路線が目立ちだし、日本の南進をきっかけに欧米各国からはさらに疎まれます。ついにABCD包囲網、ハルノートで窮鼠猫を噛む状態の日本は、マレー作戦(対英国)・真珠湾攻撃(対米国)を起こしてしまいます。
●これにはモンロー主義で静観していた米国も怒りをあらわにしついに参戦、太平洋戦争が勃発してしまいます。
真珠湾攻撃には、ヒトラーが絶賛しており、独も米に宣戦布告をしてしまいます。これがヒトラーの最大のミス、敗戦の原因だったという研究が一般的になっています。理由としては、このためにドイツは英国上陸をあきらめ、当時、独の一番の敵であったソ連への米からの大援助のきっかけにもなったからです。
にもかかわらず日本だけは負けが分かっていても最後の最後まで降参せず、米国からは「日本はスーパー・クレイジー」とまで言われて、、、
この辺の詳細については、
■リンク→「米国を参戦させてしまった日本」をご覧ください。
■リンク→「日本の反省、秘密裏に行われた反省会、統帥権マチガイ」をご覧ください。
■■■■■メニューへ■■■■■
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■「岩倉使節団」の選択、「統帥権の独立」が日本と世界を変えたのか?■
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1,はじめに
2,岩倉使節団の派遣から敗戦までの74年間に起こった事象(世界と日本)
3,岩倉使節団の概要と、メインで選ばなかった国の理由と選んだものとは?
4,岩倉使節団は、なぜプロイセン方式を採用したのか?
5,その功罪は?
6,伊藤博文の大日本帝国憲法発布を目的とした再渡欧とは?
7,世界を変えた「統帥権独立の影響」とは?
◆こちらは是非、お読みください。
8,個人的なこと
(参考文献)
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◆1,はじめに
幕末や明治維新を描いた小説、ドラマ、映画は数多く制作され、今も変わらず大人気です。たぶん、史実と虚像が混在しているヒーローの存在もその理由の一つかもしれません。
もちろん、開国、尊王攘夷、桜田門外の変、薩長同盟、大政奉還、王政復古、戊辰戦争など、その後の日本を大きく変えた出来事が続いたことも影響しているのでしょう。
一方、明治維新以降にも、日本を変えた、さらに世界に大きな影響を与えた事象が数多く起こっています。岩倉使節団の派遣、プロイセン式軍制や制度の採用、大日本帝国憲法の制定、統帥権の独立、日露戦争、張作霖爆殺事件、満州事変、、などです。
これらの時代には、特定の個人がドラマ化された小説や突出したヒーロー像が前面に出ることは少なかったようです。しかし、日本の行方を大きく変えた74年間(岩倉使節団から敗戦まで※)だったと考えています。とりわけ統帥権の独立は、日本よび世界にも重大な影響を与えた出来事だと思っています。今回、それらに注目し調べてみることにしました。
※個人的にこだわっている74年周期。
大政奉還から真珠湾攻撃までが74年。
真珠湾攻撃から平和安全法制成立※までが74年。
そこに今回の74年を個人的に追加してみました。
※平和安全法制成立時の僕は、何でも反対の野党が「戦争法成立反対」と有名人や若者を担ぎ上げ騒いでいる、と心の中で冷めて考えていました。しかし、74年周期を意識してから、この成立により今後、何か大きなことが起きてしまうのではないかと強烈な不安が心の中に見え隠れするようになりました。
◆以下の本文中で【箇条書き】になっている部分(年表等)は、僕の意見が書かれてないところです。
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2,◆岩倉使節団の派遣から敗戦までの74年間に起こった事象(世界と日本)
まずは、「岩倉使節団の派遣」から「敗戦」までの74年間に起こった事象をジャンル分けし羅列してみました。特に後の日本や世界に影響が大きかったと思われる事象には◆印を付けててみました。箇条書きにしています。
最初の世界についてだけは、他で詳細を触れていないので、こちらで少しだけ詳しく記載してみました。
【世 界】
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◆ドイツ帝国成立とビスマルク体制 1871年
ヨーロッパの勢力バランスを大きく変化させ、日本にも影響。
◆帝国主義の拡大 19世紀末〜20世紀初頭
世界規模の対立を生み、第一次世界大戦の遠因に。
◆アメリカの台頭 19世紀末〜20世紀初頭
世界経済・政治の中心が欧州からアメリカへ移行し始める。
◆ロシアの社会矛盾 19世紀末〜1905年革命など
ロシア革命の伏線となり、世界史の大きな転換点となる。
◆二大軍事同盟の成立 〜1907年
欧州が、ドイツ中心の「三国同盟」と、英・仏・露の「三国協商」という敵対する二大軍事ブロックに分断された。
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◆第一次世界大戦 1914年7月28日〜1918年11月11日
第一次世界大戦とは、「列強の対立(三国協商vs三国同盟)と帝国主義・植民地争い」
概要
バルカン半島での緊張が背景となり、1914年のサラエボ事件をきっかけに勃発した。連合国(英・仏・露・米・日など)と同盟国(独・墺・オスマン帝国など)が戦い、塹壕戦や新兵器による総力戦となった。日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦し、ドイツ領の青島や南洋諸島を占領した。
日本・世界への影響
第一次世界大戦前のヨーロッパでは、各国が自国の安全保障のために軍備を拡大し、同盟関係を強化した。
しかし、これが他国には「攻撃の準備」と受け取られ、相互に軍拡競争が激化。結果的に、誰も戦争を本気で望んでいなかったにもかかわらず、大規模な戦争に発展した。これを一般的には「安全保障のジレンマ」と呼んでる。
また、この戦争は安易に始めてしまったと言われており、約1週間程度で終わると考えていた関係者が多かったが、結局は4年以上続いた。第一次世界大戦は、日露戦争による国際関係の力学が変わった事が要因で起こったとも言え、そう断言している学者も多い。
戦後はヴェルサイユ条約による国際秩序の変化、国際連盟の発足、ロシア革命やドイツ革命などの社会変動、経済混乱による戦後不況、オスマン帝国崩壊や三枚舌外交による中東問題の複雑化の原因を作り、日本は国際的地位が向上した。
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◆ベルサイユ体制の成立 1919年
ベルサイユ体制とは、「第一次世界大戦後、パリ講和会議とベルサイユ条約を中心に成立した、戦勝国主導による新しい国際秩序」
概要
第一次世界大戦の講和条約(ヴェルサイユ条約)により、ドイツや敗戦国に厳しい制裁と領土縮小、賠償金が課せられ、国際連盟が発足。
日本は山東半島の権益を巡り中国と対立し、赤道以北の旧ドイツ領太平洋諸島を委任統治領として獲得。
日本・世界への影響
ドイツなど敗戦国の不満が蓄積し、ナチス台頭の土壌に。
国際連盟による新秩序が模索されるも、列強の利害対立や制裁の厳しさが新たな対立の火種となった。
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◆ワシントン体制の成立 1921-22年
ワシントン体制とは、「1921〜22年のワシントン会議で成立した、アメリカ主導による東アジア・太平洋地域の国際秩序体制」
概要
第一次世界大戦中、日本は中国や太平洋地域で勢力を拡大し、戦後の混乱に乗じて旧ドイツの権益を獲得していた。これに対し、アメリカやイギリスは日本の膨張を警戒し、東アジア・太平洋地域での勢力バランスを現状維持し、軍拡競争を抑制するための枠組みが必要と考えた。
そこで、アメリカ主導のワシントン会議により、海軍軍縮や太平洋・中国問題を協議。アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五大海軍国それぞれの戦艦・航空母艦など主力艦の保有量(基準排水量)を制限した国際的な取り決め。
具体的には、アメリカとイギリスが「5」、日本が「3」、フランスとイタリアが「1.67」の割合で主力艦を保有できるという内容。
この比率は、特にアメリカ・イギリス・日本の三国間の海軍力競争を抑制することが主眼だったが、日本だけではなく、列強全体のバランスを取るためのもの。
日英同盟廃棄、四カ国条約・九カ国条約で中国の門戸開放・機会均等が国際的に承認され、日本は山東省の権益を返還。
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◆世界恐慌 1929年
世界恐慌とは、「1929年にアメリカの株価大暴落をきっかけに、世界中に広がった史上最大規模の経済危機」国際貿易が激減し、各国で失業・倒産が急増。
日本・世界への影響
日本は生糸輸出の激減で深刻な不況に。財閥が力を強め、満州進出(「満州は日本の生命線」)の動きが加速した要因。世界的には保護主義・経済ブロック化が進む。第二次世界大戦の遠因にも。
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◆ブロック経済の進展 1930年代
ブロック経済とは、「自国と植民地・関係国だけで閉鎖的な経済圏を作り、他国を排除する経済体制」
概要
世界恐慌を受け、イギリス・フランスなどが植民地・勢力圏で経済ブロックを形成し、貿易・資源を囲い込む政策を強化。
イギリスやフランス、アメリカなどの「持てる国」(広大な植民地や資源・経済圏を持つ国)に対し、十分な植民地や資源を持たない日本・ドイツ・イタリアなどはブロック経済から締め出された「持たざる国」と呼ばれる。
日本は台湾や朝鮮、満州などの植民地を持っていたが、イギリスやフランスに比べると規模が小さく、経済的に「持たざる国」と分類された。
世界恐慌後のブロック経済体制の中で、「持たざる国」は経済的孤立を強め、これが対外進出や枢軸国形成の要因となった。
日本・世界への影響
日本は資源確保のため対外進出を強化し、中国・東南アジアへの拡張政策を推進。
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◆第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線) 1939年
第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)とは「ドイツによるポーランド侵攻から始まり、電撃戦で西欧を制圧したが、連合国の反撃でドイツが降伏するまでの大規模な戦争」
概要(流れ)
1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、イギリスとフランスが宣戦布告して戦争開始。
ドイツは「電撃戦」でポーランド、デンマーク、ノルウェー、フランスなど西欧諸国の多くを短期間で制圧。
1941年6月、ドイツはソ連にも侵攻(独ソ戦)。スターリングラードの戦いなどで戦局が転換し、ソ連・連合国が反撃を開始。
1944年6月、連合国軍がノルマンディー上陸を成功させ、西からドイツ本土へ進撃。
ノルマンディー作戦(流れ)
連合軍はドイツ軍を混乱させるため、上陸地点や時期を隠す大規模な欺瞞作戦(ボディガード作戦)を展開。
上陸前に制空権確保や鉄道・通信網の空爆、補給路の遮断など徹底した事前攻撃を実施。
夜明け前、空挺部隊が敵背後に降下し、橋や道路を確保。
連合軍(アメリカ、イギリス、カナダなど)がノルマンディー海岸の5つのビーチ(ユタ、オマハ、ゴールド、ジュノー、ソード)に上陸。
上陸当日中に各ビーチで橋頭堡(上陸拠点)を確保。
その後、100万人以上の連合軍兵士が続々と上陸し、内陸部へ進撃。
ノルマンディーからパリへ進撃し、ついにパリが解放。西ヨーロッパ解放の決定的な足掛かりとなった。
この作戦は「オーヴァーロード作戦」とも呼ばれ、ヨーロッパ戦線の戦局を大きく転換させた歴史的な大規模上陸作戦。
その後、1945年5月、ソ連軍がベルリンを制圧する直前にヒトラーが自殺、ドイツが無条件降伏してヨーロッパ戦線は終結。
日本・世界への影響
日本は三国同盟などを通じて枢軸国側として関与し、太平洋戦争へと発展。世界では約5,500万人が死亡し、ヨーロッパは荒廃。
戦後、国際連合が創設され、冷戦・ヨーロッパ統合(EUなど)・戦争犯罪裁判など現代国際秩序の基礎が築かれた。
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【日 本】
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【政治・制度・社会】
1871-73年 ◆岩倉使節団派遣(使節団員は、帰国後、政府や各分野の指導者として近代国家建設を主導。アジアで初めて欧米列強と対等な近代国家を作り出した)
1871年 廃藩置県(中央集権体制へ)
1882年-83年 ◆伊藤博文の再渡欧(法案起草のための調査として再渡欧。この調査を基に、大日本帝国憲法の起草作業が本格化し、近代的な法治国家体制の整備が進んだ)
1889年 ◆大日本帝国憲法発布(近代的な法治国家であることを内外に示し、不平等条約改正に大きく寄与。しかし天皇主権や人権の制限、統帥権の独立など、後の軍部台頭や政治的問題の温床にもなった)
1890年 帝国議会開設(議会政治の開始)
1900年 治安警察法公布(労働運動の規制強化)
1911年 関税自主権の完全回復(不平等条約改正の総仕上げとして、国際的な対等関係確立)
1925年 普通選挙法成立(男子普通選挙実現)
1932年 五・一五事件(政党内閣の終焉、軍部台頭)
1936年 二・二六事件(陸軍青年将校によるクーデター未遂、軍部の影響力増大)
1940年 大政翼賛会発足(戦時体制の強化)
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【経済・産業】
1872年 新橋〜横浜間に鉄道開通(近代交通の象徴)
1882年 日本銀行設立(近代金融制度の確立)
1901年 八幡製鉄所操業開始(重工業化の推進)
1930年代 昭和恐慌(経済危機と社会不安)
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【社会・文化・教育】
1872年 学制発布(近代教育制度の導入)
1923年 関東大震災(首都圏壊滅的被害、復興事業)
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【軍事・外交・戦争】
1873年 徴兵令発布(近代的な国民国家・軍隊の成立に不可欠な出来事、「富国強兵」の要)
1877年 西南戦争(旧士族の反乱終結は、中央集権体制の確立へと、正式にはこれで維新が終わる)
1878年 ◆統帥権の独立(陸軍省が1878年12月、参謀本部を独立させ実質的な統帥権の独立が開始。その後、1889年に大日本帝国憲法で明文化される。結果的にこの制度が後の日本・世界を大きく変えることになる)
【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1894-95年 ◆日清戦争(朝鮮・台湾への影響力拡大)
1904-05年 ◆日露戦争(満州・朝鮮半島での権益拡大、第0次世界大戦とも言われ世界初の大戦になった。この日露戦争で国際関係の力学が変わった事が後の第一次世界大戦を起こす要因にも)
1910年 ◆韓国併合(帝国主義的な対外膨張の本格化、満州・中国大陸進出へのきっかけ)
1914-18年 第一次世界大戦参戦(被害なく勝利したことで国際社会から揶揄、しかし国際的地位向上)
1928年 ◆張作霖爆殺事件(関東軍による現地軍閥指導者暗殺、統帥権独立の悪用、この事件から関東軍の愚行が横行)
【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1931年 ◆満州事変(中国東北部への侵略開始、日本が不戦条約を破ったことがヒトラーに影響、他数々の事象を含めても、最近は第二次世界大戦は満州事変からはじまったという研究が主流になってきている)
【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1933年 ◆国際連盟脱退(国際的孤立化、対外強硬路線の加速、その後ドイツ、イタリアも同じく脱退し日独伊三国同盟のきっかけに)【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1937年 ◆日中戦争(中国と全面戦争、対米英関係の悪化と太平洋戦争への道)
【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1940-41年 ABCD包囲網
アメリカ(A)、イギリス(B)、中国(C)、オランダ(D)が日本への経済制裁・石油禁輸を実施。
日本は資源確保のため南方進出を決断。対米開戦への圧力が高まる。
1941年 ハル・ノート
アメリカ国務長官ハルが日本に対し中国・仏印からの全面撤兵などを要求。日本政府はこれを「最後通牒」と受け止める。
外交交渉決裂、対米開戦(真珠湾攻撃)・太平洋戦争勃発へ直結。
1941年 ◆第二次世界大戦(太平洋戦争開戦)(欧州だけだった戦争が、日本の参戦で世界大戦に急拡大、戦後の国際秩序の大転換)
【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1945年 ◆沖縄戦(国内最大、且つ日本本土で唯一、住民を巻き込んだ激しい地上戦の地上戦を経験。軍部独走と文民統制の欠如がもたらした典型例)
【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1945年 ◆広島・長崎への原爆投下、ポツダム宣言受諾(世界初、現時点で世界最後の原爆投下、敗戦を決断)
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今回は、その中から、特に日本や世界に大きな影響を与えたと思われる3事象(岩倉使節団、大日本帝国憲法、統帥権の独立※)に焦点を当ててまとめてみました。
※統帥権の独立が肝になりますので、是非お読みいただけたら嬉しいです。
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3,◆岩倉使節団の概要と、彼らがプロイセン以外をメインで選ばなかった理由と選んだものは?
岩倉使節団は明治4年(1871年)11月12日に横浜を出発し、明治6年(1873年)9月13日に横浜に帰着しました。
周った国々と順番はアメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、プロイセン(ドイツ)、ロシア、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア、スイスの12ヶ国です。
目的は、
・不平等条約改正につなげること
・欧米諸国の元首に外交上の礼を尽くすこと
・欧米諸国の先進的な制度や文化・技術を調査・研究し、明治政府の近代化に役立てること
しかし、12ヶ国も周ったなかで、滞在期間がとても短かったプロイセン(ビスマルク)の影響が大きかったようです。特に軍事力の増強や統帥権の独立で、その後の日本の在り方を大きく変え、世界への影響もはかり知れませんでした。
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◆まず最初に、岩倉使節団がプロイセンを選択する前に「プロイセン以外の国を選ばなかった理由」と「選ばなかった国から参考にしたもの」について記載します。選ばなかった(選択が少なかった)理由も大切だと思いましたので、今回、最初に調べてみました。訪問順に記載しています。尚、フランス式軍制(後にプロイセン式に変更)やイギリスの議会制度などは積極的に採用しました。
(研究者、敬称略)
◆アメリカ 滞在期間:明治5年1月〜明治5年8月頃 (1872年1月〜1872年8月頃)
アメリカに到着した際、非常に大切なものとして「天皇の委任状(全権委任状の国書)」がなく、条約改正交渉を正式に始めることができない事態となりました。そのため、急遽、大久保利通と伊藤博文が一時帰国し、再度合流する必要が生じてしまいました。さらに、この国書は最初から用意すらしておらず急ごしらえ、この辺をみても、如何に外国とのやり取りに慣れていなかったがわかります。その影響もあり当初の条約改正交渉が難航し、最も長く滞在しました。
そんなことがありましたが、結果的にアメリカは広大な国土・自由主義・新興国家・共和制で、日本とは国情が大きく異なり、模倣は難しいと判断したためメインでは選択しませんでした。
しかし、教育制度(学制)、郵便制度、女性教育、農業技術は一部導入しました。(研究者 有本建男・市川慎一・芳賀徹・久米邦武、他)
◆イギリス 滞在期間:明治5年8月〜明治5年12月頃 (1872年8月〜1872年12月頃)
産業・制度は先進的だが、産業革命後の余波で貧困、階級社会、公害など負の側面も多く手本にはできないと判断したためメインでは選択しませんでした。
しかし、議会制度・海軍・鉄道・通信・金融・経済・工場運営や地方自治の仕組みは一部導入しました。(研究者 有本建男・倉沢剛・芳賀徹・久米邦武、他)
◆フランス 滞在期間:明治5年12月〜明治6年2月頃 (1872年12月〜1873年2月頃)
普仏戦争直後で国力が低下し、政治的に不安定で、国家モデルとしては重視しなかったためメインでは選択しませんでした。
しかし、陸軍の編成・訓練・軍事教育制度(フランス式軍制)、法律・民法・警察制度は一部導入しましたが、軍制は後にプロイセン式に変更。(研究者 西川長夫・市川慎一・芳賀徹・久米邦武、他)
◆ベルギー 滞在時期:明治6年2月頃 (1873年2月頃)
近代化が遅れており、日本の近代化モデルとしては優先度が低かったためメインでは選択しませんでした。
しかし、銀行制度や証券取引、工業技術は一部導入しました。(研究者 泉三郎・芳賀徹・久米邦武、他)
◆オランダ 滞在期間:明治6年2月〜3月頃 (1873年2月〜3月頃)
鎖国時代から交易関係はあったものの、近代化が遅れており、日本の近代国家モ、デルとしては適さなかったためメインでは選択しませんでした。蘭方医で日本では有名だった医学も、よく調べてみるとドイツからの影響だったことが分かりました。
しかし、土木技術・衛生制度、法学(特に民法)は一部導入しました。(研究者 宮永孝・芳賀徹・久米邦武、他)
◆ドイツ(プロイセン) 滞在時期:明治6年3月頃 (1873年3月頃)
プロイセン方式を積極的に選択。
詳細は本題に記載いたしますが、滞在期間がとても短い(3週間弱)にも関わらず、その後の日本を変えたことや世界への影響に、とても興味を持ちました。
◆ロシア 滞在時期:明治6年3月頃 (1873年3月頃)
当時のロシアは専制的な帝政国家であり、近代化や立憲制度のモデルとして日本が求める方向性と異なっていたためメインでは選択しませんでした。
しかし、鉄道・鉱山技術などの産業技術は一部導入しました。(研究者 坂内知子・芳賀徹・久米邦武、他)
◆デンマーク 滞在時期:明治6年4月頃 (1873年4月頃)
近代化が遅れており国力や影響力が限定的だったためメインでは選択しませんでした。
しかし、農業・酪農技術、教育制度の一部を導入しました。(研究者 泉三郎・芳賀徹・久米邦武、他 およびデンマーク日本大使館)
◆スウェーデン 滞在時期:明治6年4月頃 (1873年4月頃)
同じく、近代化が遅れており国力や影響力が限定的だったためメインでは選択しませんでした。
しかし、鉱工業技術、福祉制度の一部を導入しました。(研究者 泉三郎・芳賀徹・久米邦武、他)
◆イタリア 滞在期間:明治6年5月〜6月頃 (1873年5月〜6月頃)
統一から間もなく国としての体制や制度がまだ安定していなかったためメインでは選択しませんでした。
しかし、美術・音楽・建築など文化分野の一部は導入しました。(研究者 加藤磨珠枝・芳賀徹・久米邦武、他)
◆オーストリア 滞在時期:明治6年6月頃 (1873年6月頃)(ウィーン万国博覧会を視察)
多民族国家であり社会構造や政治体制が複雑で、日本のような単一民族国家が中央集権的な近代国家を目指す上で直接的なモデルとしにくかったためメインでは選択しませんでした。
しかし、医学・病院制度、音楽教育の一部は導入、伊藤博文の再渡欧時には憲法制定でオーストリアの教授から影響を受けることになります。(研究者 芳賀徹・久米邦武・アジア歴史資料センター、他)
◆スイス 滞在期間:明治6年6月〜7月頃 (1873年6月〜7月頃)
日本とは大きく違う永世中立国、独自の連邦制や直接民主制を持ち、精密工業や観光など独特の産業構造を持っていたためメインでは選択しませんでした。
しかし、銀行制度、教育制度、郵便制度の一部は導入しました。(研究者 千野境子・芳賀徹・久米邦武、他)
帰りは、フランスのマルセイユから船路でエジプト(スエズ運河経由)、アジアの港(アデン、セイロン、シンガポール、サイゴン、香港、上海など)を経由して横浜に帰着しました。首脳陣や随行員、留学生を含めて総勢100名以上の大使節団でした。
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4.◆岩倉使節団は何故プロイセンを選んだのか?
岩倉使節団のドイツ(プロイセン)滞在は、19日間(明治6年/1873年3月9日ベルリン到着、3月28日ベルリン出発)と、他国に比べて非常に短期間でした。しかし、その後の日本の近代化、憲法制定や国家体制の構築、特に軍制の近代化に極めて大きな影響を与えた背景には、いくつかの重要な理由があることがわかりました。
◆日本の現状との親和性:
使節団は、アメリカの自由で民主的な制度にも感銘を受けましたが、当時の日本の社会状況や政治体制(天皇を中心とした中央集権国家を目指していた)にそのまま導入するには、急進的すぎると考えました。
一方、ドイツ(プロイセン)の立憲君主制や、強力な官僚制度、国家が産業育成を主導するモデルは、天皇制を維持しながら近代国家を建設しようとしていた日本の指導者層にとって、より受け入れやすく、応用可能だと判断された側面があります。(正式採用は伊藤の再渡欧後)
◆ドイツ(プロイセン)の成功体験の魅力:
使節団が訪問した当時のプロイセンは、普仏戦争(1870-1871)に勝利し、プロイセン主導でドイツ帝国を統一した直後でした。
後発の小国ながら急速に国力を高め、強大な軍事力と工業力を持つ統一国家を形成した成功モデルは、欧米列強に追いつくことを至上命題としていた日本にとって、非常に魅力的で現実的な目標に見えました。
他の欧米諸国(特に英米仏)の自由主義・民主主義的な発展とは異なり、強力な君主(皇帝)と官僚機構、軍隊が主導する形で近代化と国家統一を達成した点が、日本の指導者層にとって参考にしやすいと感じられました。
◆ビスマルクとの会見とその影響:
使節団の中心人物である大久保利通や伊藤博文らは、ドイツ帝国宰相オットー・フォン・ビスマルクと会見しました。ビスマルクは、理想論よりも国益を優先する現実主義(Realpolitik)に基づき、鉄(軍備)と血(戦争)によってドイツ統一を成し遂げた経験を語りました。
ビスマルクは、日本が不平等条約改正を急ぐよりも、まずは国内の整備(とにかく軍事増強、産業、法制)を進めて国力を充実させることが先決である、と説いたとされます。この現実的かつ国家主導的なアプローチは、特に大久保利通、伊藤博文らに強い感銘を与え、帰国後の政策(内治優先、殖産興業)に大きな影響を与えました。
◆伊藤博文の再渡欧:(別項で詳細について触れました)
岩倉使節団の経験を踏まえ、後に初代内閣総理大臣となる伊藤博文は、大日本帝国憲法制定の調査のため、1882年(明治15年)に再度ヨーロッパへ渡り、特にドイツ(ベルリン大学)とオーストリア(ウィーン大学)でグナイストやシュタインといった法学者から集中的に学びました。
この時の経験が、プロイセン憲法をモデルとした日本の憲法草案作成に決定的な影響を与えました。使節団での訪問時の感銘が、後の深い研究へと繋がったと言えます。
(ここまでは、下記に記載したの参考文献から要約したものです)
◆大久保が残した言葉
「文明の利器に接し、我が国の遅れを痛感した」
引用元:米欧回覧実記
「日本の遅れ」に絶望し、「今の日本のままでは独立を保てない」と痛感した
引用元:米欧回覧実記
「欧州諸国の文書を見て、日本はまず内政を強化し、富国強兵を進めたい。条約改正はそれからのことである。」
この言葉は、節団の経験を活かして大久保が日本の近代化の優先順位を明確に示しました。ビスマルクの影響を受け、征韓論を退け、内政重視の路線を進めた背景に繋がります。
引用元:佐々木克『大久保利通:明治維新と志の政治家』
ビスマルクは、日本のキリスト教禁止政策についてのやとりで、「宗教の自由を認めることが近代国家の条件である」と言ったとされています。これも大久保に影響を与えました。
引用元:田中彰『明治維新と西洋文明 岩倉使節団は何を見たか』
◆伊藤の言葉
最初のアメリカで
「日本の国の旗の赤い円は、古く閉ざされた帝国の象徴ではなく、進歩し続ける太陽の象徴として、世界の啓蒙された今の中で前進し進歩するものとなる。」引用元:「日の丸演説」
プロイセンで「ビスマルクの言葉は我々国家の骨組みを教えた。日本の憲法は、欧州の模倣に非ず、国民の精神に根ざすものでもない。」
引用元:伊藤博文『外遊日記』(1873年3月、プロイセン滞在中の記録)
「我々は文明の末席に列せんと欲す」と述べ、「日本も欧米列強に伍して近代国家となるべきだ」と強い決意を表明しました。
引用元:米欧回覧実記
■以下に別の視点(一部重複)でプロイセン主導のドイツ帝国を選択した理由をより具体的体的に記載します。
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◆国情の類似性:
当時の日本は、天皇を中心とする中央集権国家を目指していましたが、国内には旧幕府勢力や地方の藩閥勢力など、統一を阻む要因が多く存在していました。
プロイセンも、ドイツ連邦という多数の邦国が集まった国家でありながら、ビスマルクの指導のもとで強力な中央集権体制を確立し、軍事力を背景に周辺国を統合していったという歴史的背景がありました。
日本の指導者たちは、プロイセンの国家形成の過程に、自国の課題を解決するためのヒントを見出したと考えられます。(研究者名:田中彰 他)
◆強力な軍事力:
プロイセンは、鉄血宰相ビスマルクの下、強力な軍事力を保持し、普墺戦争や普仏戦争で勝利を収め、その国威を高めていました。
日本にとって、プロイセンの効率的な軍事組織と徴兵制度は非常に魅力的に映りました。陸軍の近代化において、プロイセン軍制が深く参考にしたことはよく知られています。日本陸軍の近代化は、当初フランス式軍制を導入していましたが、やがてプロイセン(ドイツ)式への移行が本格化しました。(研究者名:大山梓 他)
◆官僚制度の効率性:
プロイセンの官僚制度は、規律正しく効率的であると評価されていました。中央集権体制を確立し、近代国家を運営していく上で、有能な官僚機構の整備は不可欠であり、プロイセンの制度はそのモデルとなり得ました。(研究者名:坂野潤治 他)
◆ビスマルクの現実主義的な政治手腕:
ビスマルクは、理想論ではなく現実的な国益に基づいて政策を推進する「現実政治(Realpolitik)」を掲げ、ドイツの統一を成し遂げました。
日本の指導者たちは、ビスマルクの強力なリーダーシップと、目的達成のためには手段を選ばない政治手腕に強い印象を受け、参考にしようとしたと考えられます。(研究者名:伊藤之雄 他)
◆憲法制定への影響:
プロイセン憲法は、君主の権限が強く、議会の権限が弱いという特徴を持っていました。明治政府は、立憲君主制を採用するにあたり、天皇の権威を高く維持しつつ緩やかな議会政治を導入するという点で、プロイセン憲法が参考になったと言われています。(研究者名:木村草太 他)
◆大久保、伊藤がビスマルクから受けた影響の具体例:
大久保利通はビスマルクを「大先生」と呼び、ドイツの統一と発展を日本近代化の参考にすべきと考えました。その後、ビスマルクの国家主導の統治に感激し、後に内務省を設置し、中央集権化を推進します。(研究者名:飯田洋介 他)
伊藤博文は、ビスマルクの葉巻を真似するなどの逸話も伝わっており、個人的に強い憧れもあったようです。その後、再渡欧し、プロイセン憲法案を参考に、新憲法案を起草しました。(研究者名:飯田洋介 他)
◆ビスマルクが彼らにかけた言葉:
「諸君らは世界各国が礼儀を持って付き合っているのを見ただろうが、それは表面上のことで、現実は弱肉強食である。プロイセンは昔小国だったので、そのときの屈辱は今も忘れ難い」と。
また、「大国は自分に利益がある場合は国際法に従うが、ひとたび不利とみればたちまち軍事力にものを言わせてくる」とも述べており、国際法や条約に頼るだけでは独立を守れない現実を強調しました。
このビスマルクの発言は、条約改正交渉で苦戦していた日本の指導層に強い衝撃を与え、「まずは国力と軍事力を高めることが独立維持の鍵である」との認識を深めさせました。(研究者名:飯田洋介 他)
◆ビスマルクの演説:
使節団副使の大久保利通や伊藤博文らは、ビスマルクの「弱肉強食※」演説(1873年3月15日)に強い衝撃を受けました。
これは当時の日本が直面していた不平等条約改正交渉の現実(欧米諸国が日本の法制度を理由に改正を拒否)に直結する指摘でした。(研究者名:飯田洋介 他)
※ビスマルクの「弱肉強食」演説の内容とその影響
↓
ビスマルクは晩餐会で日本のリーダーたちに対し、欧米諸国とは異なる率直なスピーチを行いました。その要旨は以下の通りです。
・国際社会の本質は「弱肉強食的」
ビスマルクは「世界の各国は礼儀を持って付き合っているように見えるが、それは表面上のことであり、実際には強い国が弱い国を凌駕し、大小の国が互いに侮り合うのが現実である」と述べました。
・万国公法(国際法)の限界
万国公法(国際法)は、全ての国の権利を保障する建前だが、実際には大国が自国に有利なときだけ守り、不利となれば武力に訴えると指摘しました。
・小国の生き残り戦略
「小国が自主権を守るには、まず軍事力と経済力を高め、力を持たなければならない。国際法に則った国体を整備するよりも、富国強兵に努めて独立を全うすることが大事である」と強調したとされています。
・ビスマルク自身の経験
ビスマルクは「私の幼少期、プロイセンは貧弱な小国だった。その屈辱は忘れられない。だからこそ、数十年にわたり軍事と経済の実力を培い、ようやく強国と肩を並べることができた」と述べました。
・日本への影響
大きな衝撃と政策転換
使節団は当初、国際法(万国公法)を遵守することが日本の独立と繁栄の道だと信じていましたが、ビスマルクの現実的な忠告に大きなショックを受けました。
・富国強兵政策の再明確化
ビスマルクの助言を受けて、大久保利通や伊藤博文ら明治の指導者たちは、「富国強兵」政策をさらに明確に推進するように確信します。軍事力と経済力の増強こそが独立維持の鍵であるという認識が強まりました。
・ドイツ(プロイセン)式制度の導入
ビスマルクの「鉄血政策」に倣い、日本は陸軍をドイツ式に改編し、憲法もプロイセン憲法(ドイツ憲法からも一部)を範とするなど、制度面でもドイツ流を積極的に採用しました。
・外交姿勢の変化
国際社会の現実を直視し、単なる法や理想だけでなく、実力(軍事・経済力)を背景にした現実的外交が必要だという意識が日本の指導層に根付きました。
注目すべきは、ビスマルクが日本に対して、当時の列強であったイギリスとフランスを含む欧州の国々を特に警戒するように警告したことです。
・特徴は?
「助言は?」→「影響は?」
↓↓↓
・軍事力の重視
「国家安全保障と政治目標達成のために最も重要」→「国家開発の中心的な柱、急速な軍事近代化に舵を」
・産業化の役割
「軍事力と国家力を支えるために暗黙的に必要」→「強力な軍事力のための経済力を構築へ」
・実用主義(現実政治)
「理想主義的な考慮よりも国家の利益と権力を優先」→「近代化と国際関係への実用的なアプローチへ」
・列強への不信
「イギリスやフランスのような確立された強国には特に警戒すべき」→「西洋列強と対等な地位を達成し、過去の依存を避けるように」
・歴史からの学習
「”賢者は歴史から学ぶ”とし、成功したモデルを採用することを提唱」→「ドイツのモデルを含む、西洋のシステムを研究し採用する方向に」
(研究者名 泉 三郎、馬場正裕、飯田洋介、久米邦武、田中彰、瀧井一博、アジア歴史資料センター)
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5,◆その功罪
プロイセンを模範とした日本の近代化には、功罪両面が存在したと考えました。
◆「功」の側面(肯定的な影響・成果)◆
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◆迅速な近代化と「富国強兵」の実現:
強力な中央集権体制と官僚主導によるトップダウンの政策実行は、短期間での産業育成(殖産興業)、インフラ整備(鉄道、通信網など)、近代的な軍隊の創設を可能にしました。これにより、欧米列強に対抗しうる国力を急速に高めることができました。
◆国家統一と国内安定の達成:
天皇を頂点とする中央集権的な国家体制は、廃藩置県後の国内の混乱を収拾し、国家としてのまとまりを早期に確立する上で効果的でした。比較的安定した政治基盤の上で近代化を進めることができました。(功だけではない)
◆不平等条約改正と国際的地位の向上:
「富国強兵」の結果、特に日清・日露戦争での勝利などを経て、日本は欧米列強に国力を認めさせ、幕末以来の課題であった不平等条約の改正(領事裁判権の撤廃、関税自主権の回復)を達成することができました。これにより、名実ともに独立国としての地位を確立し、国際社会での発言力を高めました。(功だけではない)
◆効率的な行政機構の構築:
ドイツをモデルとした官僚制度は、統一的な法制度の整備や全国的な行政サービスの展開に貢献し、近代国家としての体裁を整える上で重要な役割を果たしました。
◆「罪」の側面(否定的な影響・問題点)◆
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◆軍国(独裁)主義への道:
「富国強兵」のスローガンの下、特に強兵(軍事力の強化)が最優先課題の一つとされました。
また、憲法上、軍隊の統帥権が政府から独立して天皇に直属する大権とされた【統帥権の独立(後に詳しく)】が、軍部の政治的影響力を増大させる要因となりました。これが後に、政府や議会のコントロールが効かないまま軍部が暴走し、関東軍(元は満鉄の守備隊的な仕事で、一夕会の影響が大)による侵略戦争へと突き進む大きな原因となりました。
◆議会制民主主義の未発達と権威主義:
プロイセン憲法の影響を強く受けた大日本帝国憲法は、天皇に強大な権限(統治権の掌握)を認め、議会(帝国議会)の権限は相対的に弱いものでした。国民の権利よりも国家の権力が優先され、民主主義的な制度や文化の成熟が阻害。結果として、政府や軍部の意向が強く反映される権威主義的な体制が定着しました。
◆官僚主義の弊害:
効率的にみえた官僚制度も、次第に権威化・硬直化し、国民の声よりも組織の論理が優先される、いわゆる「官僚主義」の弊害も生み出しました。また、昭和期にはいると省庁間の対立(セクショナリズムや縦割り)なども問題となりました。
◆国民の権利や自由の制限:
国家の統一や安定、国力増強が優先される中で、個人の自由や権利はしばしば制限されました。治安維持法などに見られるように、政府の方針に異を唱える思想や運動は厳しく弾圧されました。
(ここまでは最後に記載した参考文献をまとめたものです)
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◆ココからは重複しますが、より具体的に記載します◆
◆功績◆
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・中央集権体制の確立:
プロイセンの制度を参考にすることで、明治政府は迅速かつ強力な中央集権体制を確立し、国内の統一を推し進めることができました。これにより、近代国家としての基礎が築かれました。(研究者名:稲川照芳 他)
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■■【最新】 世界を変えた「統帥権の独立」とその影響で起こった事象■■
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■■■欧州・日本・米大陸、および世界通史に関する忘備録■■■
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↓■■■■■「まずは、欧州・日本・米大陸の通史」メニュー■■■■■↓
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赤メニュー(追加したメニュー・特に「←◆クリック」の項目)だけでも読んでいただけたらとても嬉しいです。メニューの下の方にも赤メニューがあります。
また、従来の青文字メニューも新情報があったため修正・追記しています。
これは本題の通史ではなく、最近の動向をみて気づいたことをランダムに記載してます。
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でも、維持しようと踏ん張らないと簡単に流されてしまう宝物。
日本軍が全世界に影響を与えてしまった15年間(特に満州事変から太平洋戦争終戦まで)の出来事
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目的達成のための対策手段と通史メモを書いて分かった事。ココは読んでいただけたら嬉しいです。FBFの事も少し書かせていただきました。
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■「欧州・日本の通史概要」←◆クリック
「欧州の通史と日本通史の概要を羅列しました」(欧州と日本の通史超概要はここで分かるように書いたつもりですがいかがでしょうか)
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■「欧州人の特徴と個性」←◆クリック
無骨で力任せのゲルマン人、欧州の文明・文化を作ったラテン人、一番多いスラブ人、少数民族のサミー人など他にも多くの人種・民族が狭いところに住んでいます。(偏見はないつもりですが、欧州の方はあまり面白くないかも)
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■「欧州に国が(争いが)多い理由」←◆クリック
気候変動や狭い土地(小麦中心)の奪い合い。大繁栄したローマ時代から貧困地帯へと。そして大航海時代で世界を我が物のようにして行った悪事の数々。全世界を変えた第一次世界大戦。(欧州発の争いが全世界へと)
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「欧州の通史と日本通史の概要を羅列しました」(欧州と日本の通史超概要はここで分かるように書いたつもりですがいかがでしょうか)
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無骨で力任せのゲルマン人、欧州の文明・文化を作ったラテン人、一番多いスラブ人、少数民族のサミー人など他にも多くの人種・民族が狭いところに住んでいます。(偏見はないつもりですが、欧州の方はあまり面白くないかも)
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気候変動や狭い土地(小麦中心)の奪い合い。大繁栄したローマ時代から貧困地帯へと。そして大航海時代で世界を我が物のようにして行った悪事の数々。全世界を変えた第一次世界大戦。(欧州発の争いが全世界へと)
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ここから日本↓
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人を殺傷する武器がなかった倭人の特殊性+その後、倭人に別人種が加わり日本人へと。日本の四大変革期。(日本が大好きな僕としては思い入れがあります)
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■「■「岩倉使節団」の選択、「統帥権の独立」が日本と世界を変えた?■」←◆クリック
幕末や明治維新は日本の未来を大きく変えました。またその時代を描いた小説、ドラマ、映画は数多く制作され、今も変わらず大人気です。
しかし、明治維新以降から太平洋戦争敗戦までは、日本はもとより世界に大きな影響を与えた事象が数多く起こった74年間でした。
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幕末や明治維新は日本の未来を大きく変えました。またその時代を描いた小説、ドラマ、映画は数多く制作され、今も変わらず大人気です。
しかし、明治維新以降から太平洋戦争敗戦までは、日本はもとより世界に大きな影響を与えた事象が数多く起こった74年間でした。
■「日本が起こした無謀な戦争の何故」←◆クリック
明治維新で急に変わり始めた日本。欧州を真似た大陸進出で好戦的に。太平洋戦、半年で負けが決まっても負けを認めず、何も決めず先送りばかり。それが原因で、軍事人よりも多い民間人の被害者を出しやっと終戦。(日本が仕掛けた戦争で各国の合計2000万人が死亡。日本が大好きな僕も書かなければならないと思い、裏の取れた事実のみを)
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■「東京裁判」←◆クリック
人は戦争を裁けるのか?(平和に対する罪・戦争犯罪・人道に対する罪)(個人的な意見は入れておらず、事実のみを)
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■「米大陸」
元々、欧州以外に白人は住んでいた? 白人国家の5アイズって?
白人は全世界に何をした?(数年前に書いた内容です)
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↓■■■「次に、世界通史に関する忘備録(詳細)」のメニュー■■■↓
(一般的に事実と言われていることだけを、日本と世界を混ぜて書きました)
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↓■■■「次に、世界通史に関する忘備録(詳細)」のメニュー■■■↓
(一般的に事実と言われていることだけを、日本と世界を混ぜて書きました)
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ここは身体的特徴に触れています。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━言語と民族の時代。
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地球が温暖化、人類が農耕を知った時代、農耕から始まった争いが武器の開発、今の戦争(含:貨幣、侵略)に繋がることに。
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■7000年〜3000年前
■7000年〜3000年前
ユーラシア文明と都市国家の時代。一神教の始まりが今の世界を大きく変える。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ユーラシアの各帝国が「人類思想」を生み出した時代。古代オリンピック。アレクサンドロス大王がヘレニズム文化(文明)を。
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日本最初の四大変革期の最初(倭人のDNAが変わる)。欧州は共和制ローマ帝国カエサルの時代。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━キリスト誕生とキリスト教の時代。
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日本が大変革を迎える少し前。遊牧民(フン族)がきっかけでゲルマン人の大移動、そしてヨーロッパの原型が。
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戦国時代の切っ掛け。ペスト、百年戦争、ルネサンス、宗教改革も。欧州はユーラシアの後進地区だった。しかしレコンキスタの終焉が大航海時代を招き世界を席巻。海に境界線が。
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安定した徳川政権。アメリカの始まり独立とフランス革命(王政から市民へ、近代民主主義)、三角貿易(黒人が米大陸へ)、産業革命(農から工へ)。欧州発の革命で世界中が大きく変わる。
日本は戦国時代。大航海時代、スペインがインカの銀で、ポルトガルが奴隷で富を。立憲王政・絶対王政の時代。
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■1600年〜1840年過ぎ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
安定した徳川政権。アメリカの始まり独立とフランス革命(王政から市民へ、近代民主主義)、三角貿易(黒人が米大陸へ)、産業革命(農から工へ)。欧州発の革命で世界中が大きく変わる。
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■1840年〜1900年
日本の四大変革期の三度目(日本の近代化)。ビスマルクが変えた日本。帝国主義の列強が世界を四分割(極東、アジア、アフリカ、北アメリカ)、アメリカの発展。
■1840年〜1900年
日本の四大変革期の三度目(日本の近代化)。ビスマルクが変えた日本。帝国主義の列強が世界を四分割(極東、アジア、アフリカ、北アメリカ)、アメリカの発展。
■1900年〜1945年
日露戦争は欧米が入りじまった第ゼロ次世界大戦とも。日本四大改革期の最後(A)日本は十五年戦争で大陸に大きな影響を。世界は第一次世界大戦、安易に始めた戦争が世界大戦へ、戦争の世紀始まりの時代。
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■1945年〜1952年
統帥権、日本四大改革期の最後(B)日本はゼロからの復興。イスラエル建国。大戦後の世界。冷戦と代理戦争始まりの時代。
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■1952年〜1989年
日本は特需、オリンピック、公害、バブル。文化大革命、天安門事件。オイルショック。冷戦、キューバ危機で世界が怯える時代、そしてゴルバチョフの登場。
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■1989年〜
日本はバルブ崩壊、2つの大地震。各国でテロ、9.11、リーマンショック。EU誕生、そして難民の時代。
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■「ロシア・ウクライナ侵攻(P氏、オルガルヒ、マイダン革命他)」
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■「核兵器について」←◆クリック
(思い入れが強い項目です)
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■「全世界を変えてしまったヒトラーについて」←◆クリック
第一次世界大戦に従軍してから変わったヒトラーの生涯
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■最後に(文化、笑い、脳の仕組み、そして本当の強さとは)←◆クリック
(個人的な考えだけを書きました)
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■「欧州の戦争(紛争)一覧」
■「参考資料および引用元」
◆画像について⇒赤文字メニューの、言語地図(Copyright記載)と天皇関連の日記、東京裁判、世界通史に関する忘備録の各写真・地図以外のものは全て僕の自作(仕上げに一部アプリの力を借りた)で、あくまでもイメージです。青メニューのものは許可を得たものとフリー素材を利用しております。
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◆気づいたことメモ(2023年)
この項は本題の通史ではなく、今年(2023年)ちょっと気になっている情報をランダムに記載しています。
・最近「AI」と「機械学習」について思っていることを一言にしてみた。
↓
「AIは人間のように考えるコンピュータであり、機械学習はそのAIを賢くするための手段である」
↑
これは我ながらよく出来た文章だと思ってる。
・AI時代の競争力は「人間力」
・仮にバイデンがやめてトランプが大統領に復帰した場合、損得感情だけで動くトランプを手玉にとって喜ぶのはプーチンだろう。
理由は、アメリカが世界の警察にかけている費用が無駄と判断し引き揚げた場合、例えば欧州などは自国だけでロシアに対抗しなければならなくなるから、そりゃプーチンは大喜びでしょう。
各国の軍拡が進んでしまうとすると、トランプの責任はとても思い。
トランプはアメリカは他国にお金を使い過ぎたと言うだろうが、各国のデジタル赤字を見ればわかるように、全世界はアメリカに毎日、とんでもない大金を使い続けてる。
・また、米国最低の大統領と言われているブーバーの二の舞(関税で大失敗)を踏む可能性もある、フーバーのミス政策が世界恐慌のきっかけになり、そのまま世界大戦になってしまった。トランプが第二のフーバーにならないことを願いたい。トランプが好きなだけに。
出来ればトランプには大統領に復帰してほしくないと思っています。
・どう考えても、ピューリタン革命が今の全世界を変えたとしか思えない。
バイブル・ベルト(米、南東部に多く住む福音派の人々)
WASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタントの人々)
クリスチャン・シオニズム(クリスチャンでありながらシオニズムを推している人々)などは、ピューリタンに大きな影響をうけて、結果、世界に影響を与えている。
・「税金のくさび」で各国と比較すると見えてくるものもある。
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「AIは人間のように考えるコンピュータであり、機械学習はそのAIを賢くするための手段である」
↑
これは我ながらよく出来た文章だと思ってる。
・AI時代の競争力は「人間力」
・仮にバイデンがやめてトランプが大統領に復帰した場合、損得感情だけで動くトランプを手玉にとって喜ぶのはプーチンだろう。
理由は、アメリカが世界の警察にかけている費用が無駄と判断し引き揚げた場合、例えば欧州などは自国だけでロシアに対抗しなければならなくなるから、そりゃプーチンは大喜びでしょう。
各国の軍拡が進んでしまうとすると、トランプの責任はとても思い。
トランプはアメリカは他国にお金を使い過ぎたと言うだろうが、各国のデジタル赤字を見ればわかるように、全世界はアメリカに毎日、とんでもない大金を使い続けてる。
・また、米国最低の大統領と言われているブーバーの二の舞(関税で大失敗)を踏む可能性もある、フーバーのミス政策が世界恐慌のきっかけになり、そのまま世界大戦になってしまった。トランプが第二のフーバーにならないことを願いたい。トランプが好きなだけに。
出来ればトランプには大統領に復帰してほしくないと思っています。
・どう考えても、ピューリタン革命が今の全世界を変えたとしか思えない。
バイブル・ベルト(米、南東部に多く住む福音派の人々)
WASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタントの人々)
クリスチャン・シオニズム(クリスチャンでありながらシオニズムを推している人々)などは、ピューリタンに大きな影響をうけて、結果、世界に影響を与えている。
・「税金のくさび」で各国と比較すると見えてくるものもある。
・今後のAI利用者はハルシネーション対策が出来る人かどうか、が結構重要かも。特に専門的になればなるほど、正確性が重要になるので。
・また、ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)が備わった人がAIの基本を操れるとよいと思う。
・AIが戦争を始めない、また終わらせることができないだろうか。
しかし、人間は感情に基づいて行動することが多く、AIは感情を完全に理解することはできない。。。
これが永遠のテーマだが、今後、論理的人の感情を読み取れるAIは出てくると思う。それはいつか??
・そこで飯田の案
↓
ロシウクは終わり、ウクライナですでにロシアに抑えられている地域はロシア領になるでしょう。
そうなると、日本が満州事変で不戦条約を破りそれが結果的に第二次世界大戦に発展したことと同じことが起こりそう。
つまり、国連の常任理事国で核を持っているところは、やはりやりたい放題。中国が台湾を自国の領土にしても誰も何も言わなく(言えなく)なるだろう。米国も(台湾は中国の一部と国連が言ってるので)内政干渉になってしまうので、何も言えないだろう。
さらに安倍総理の時に「台湾の有事は日本の有事」としてしまったこともあるので、日本の対応は非常に難しくなるだろう。
問題は中国は台湾の中に八重山諸島があると言ってフシがあること。もし中国が台湾を取った場合、尖閣や八重山すらも中国のものだといっても、米国は動かないだろう。八重山諸島には自衛隊基地もある。これも根深い。
・国の貸借対照表を見た時に、資産が負債を上回っていれば大丈夫。
・国債を銀行が安定して持っているようなら、まだ大丈夫。国債が不安になったら銀行は国債を減らし始める。
・ペロブスカイト太陽電池は今後、増えるだろうか?
・ 日本は核に関して欧米から「フロントステイト(核の最前線にいる国)」と呼ばれている。
・財務省は消費税を15%にしたいと思っている
・保守党は保身党かも。
・特別会計と特殊法人(国の団体のファミリー企業)との関係はあまりにも深刻。理由は会計検査院のチェックが及ばないような仕組みを作っているから。
ちなみに特別会計の歳出総額は、令和6年度予算で436.0兆円。
令和6年度の一般会計総額は、112兆5717億円。
・「社会」「権利」「科学」という概念は欧州発のものなのか?
・もしも、来年の選挙でバイデンが負けた場合「ジャパン・ハンドラーズ」はどう変わってゆくんだろう。変わらないだろうか。トランプは出るだろうし。
・台中関係。台湾や金門島への中国の出方は今度どうなるんだろう?
封鎖や占領などがなければよいのだけど。
一つの中国との関連が非常に重くのしかかってくるのかと懸念してる。
・戦後補償を民間人にしていない先進国は日本だけ。
・相互確証破壊(MAD)の概念が重要視されて核兵器を持つことで互いに攻撃を躊躇し、戦争を抑制するという考え方が勝ってしまっている。
・イスラエルの「ダヒヤ・ドクトリン」
「ダヒヤ・ドクトリン」は、敵の社会インフラを破壊し圧力をかける目的の戦術で、イスラエル独特のもの。しかし、今回は民間人を大量に殺害しているので、過去のダヒヤ・ドクトリンよりもはるかに非道。
ちなみにガザの人口は約230万人、そのウチ18歳以下の子供は120万人で全体の人口の半分以上が18歳未満。
・考えの違う相手を受け入れない狭量さでは戦争が長引く。
ほとんどの戦争がそうであるように「相手に平和を強いるために攻撃を続ける」という考えが根本にある以上、戦争が終わるはずはない。
・ロシアとウクライナの戦争(もう1年も戦争が続いてる)
100対0で語る人が多すぎるような気がしてる。
ロシアが100悪くてウクライナは全く悪くない。
いや、ウクライナが100悪くてロシアは全く悪くない。それどころかプーチンは素晴らしいと。
しかし、ウクライナもロシア帝国時代、ソ連時代に自国を勝手に侵略された恨みは忘れないだろう。
さらに「ホロドモール※」では700万人以上が虐殺された。
※ソ連によるウクライナでの最も有名な虐殺は、1932年から1933年にかけて発生した。
714の都市・28000の村が廃墟にされた独ソ戦。第二次世界大戦ではドイツ・ソ連戦では主戦場となり、1000万人の被害者が出た。その後もチェルノブイリの放射能汚染。
やっとここ30年でウクライナという国になったが、今度は現ロシアが攻めてきた。
・報道
キューバ危機はソ連がアメリカの庭に核ミサイルを配備したから、というのが西側の見解だし僕らもそう思ってた。
しかし、実際はその前にトルコにアメリカがソ連向けの核ミサイルを配備したため、ソ連がその報復でキューバに配備した。
アメリカはそのことをできるだけ知られたくないため、トルコのミサイル撤去は秘密裏に行われた。
・日本人が選挙に行く人が多くない理由は、芸能人などが〇〇の選挙では自分は誰々を推すなどと決して言わないこともあるかも。仮にまったく選挙に興味のない人でも、自分の推しの芸能人が〇〇推しとわかれば、少しは意識が変わると思う。
米国では、超有名人の政治家推しの発言が国の未来に大きく影響していることは事実だと思う。
その背景には「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」があるのだと思う。
また、僕が経験した話でいうと、英国では小学生(日本の)でも、政治の話を普通にしている。●●の政策は何が間違っていて、どうしたら英国は変わるか、等。僕も数十年前に英国の子供たちの話を聞いて驚いた。
・民主主義は、「法の支配」であって「人の支配」ではないはず。
〇〇党の主張は国民の権利(・国民主権・基本的人権・平和主義)をなくそうと見えて仕方ない。この怖さは想像を絶する。
・デジタル赤字が円安の1つの要因にもなっている。
・円安は日本の国力の現れ。
・アベノミクスのミス=お札の原価は25円、どんどん刷ればよいという方向性の見誤り。
・貿易赤字は増え続けている。
・2023年の日本の対外純資産※残高は471兆3,061億円と、33年連続で世界最大。さらに前年末比で51兆3,062億円(12.2%)の増加。
・イスラエルは90発の核弾頭をもっていてもNPTに参加していない。
・イスラエルは超正統派のユダヤ人が経済を圧縮※している。
※宗教にのめり込み過ぎて仕事をせず、生活保護を受けている。さらにユダヤの教え通り子供が多く1家庭6人以上と大変多く、彼らの割合が増え続けている。最近、徴兵の対象になり、それに反対しデモを起こしている。
・ユダヤ教の大元の教え「十戒」には「人を殺してはいけない」となっているが、イスラエルの攻撃は増えるばかり。
・拡大抑止
・核軍縮から核軍拡に向かっている。
・共和党はかつての金持ち党から労働者の党に変った。原因はトランプの出現から。
・ホワイトナショナリズム(トランプなど、白人でプロテスタント、、)
しかし、米国では↑がすでにマイノリティになろうとしてる。
・英国の移民排斥運動で暴動(原因はネットのデマ)
移民はルワンダに1人も送っていないが、莫大な税金は使っている。
・アフガニスタンのタリバン支配の復活は、2021年4月にバイデン政権が米軍の撤退を宣言したに起因。早速8月にタリバンがカブールを制圧たことから始まってしまった。彼らの実権掌握は20年ぶり。この武器と平和の関係が難しい点。
いずれ中国がタリバン政権との関係を強化し、たぶんロシアやイランも接近するだろう。
・オーストラリア、ニュージーランドの国家元首はチャールズ国王。
・EUの安定にはドイツ・フランスのリーダーシップが必要。
・欧州も「自国優先主義(右派)」になりつつある。そのためEUの統一はさらに難しくなるかも。
・日本の2年前(21年と比較した)変化
名目GDP 555兆→597兆
企業収益 84兆→104兆
賃上げ率 1.78%→5%弱
日経平均 28400円→35000円弱
最低賃金 930円→1050円
消費者物価指数 +0.1→+2.5
実質賃金 ??
・エネルギーの9割、食料品の7割は輸入
(日本の課題はエネルギーと食の国産化)
・また、ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)が備わった人がAIの基本を操れるとよいと思う。
・AIが戦争を始めない、また終わらせることができないだろうか。
しかし、人間は感情に基づいて行動することが多く、AIは感情を完全に理解することはできない。。。
これが永遠のテーマだが、今後、論理的人の感情を読み取れるAIは出てくると思う。それはいつか??
・そこで飯田の案
↓
・早期警報システムを開発: AIを用いて、紛争の兆候を早期に検出したら、即、世界中に強烈なアラートを飛ばす。
・偽情報対策: AIを用いて、ソーシャルメディア上の戦争につながるような偽情報を検出し、即、拡散を防ぐ。
・交渉支援: AIが交渉のシミュレーションを行い、最適な交渉戦略を提案する。
・人道支援の効率化: AIを用いて、人道支援物資の配分や避難民の支援を効率化する。
・メディアの主権は提供者の基盤(プラットフォーマー)ではなく、観ている読んでいるユーザーになるだろう。
・相互確証破壊(MAD)の概念が重要視されて核兵器を持つことで互いに攻撃を躊躇し、戦争を抑制するという考え方が勝ってしまっていることは深刻。
・トヨタ 売上 45兆円 役員数29名
・日産 売上 12兆円 役員数63名
こんなに必要?いずれ日産はさらにダメになってしまうかも。
・エコーチェンバー現象(自分に近い意見だけの世界に入っていると、そこが心地よく、結果、意見の違う人を否定したくなる)が、世界を変えてしまうと思う。
・仮に米大統領戦にトランプが出て、さらに勝った場合。・メディアの主権は提供者の基盤(プラットフォーマー)ではなく、観ている読んでいるユーザーになるだろう。
・相互確証破壊(MAD)の概念が重要視されて核兵器を持つことで互いに攻撃を躊躇し、戦争を抑制するという考え方が勝ってしまっていることは深刻。
・トヨタ 売上 45兆円 役員数29名
・日産 売上 12兆円 役員数63名
こんなに必要?いずれ日産はさらにダメになってしまうかも。
・エコーチェンバー現象(自分に近い意見だけの世界に入っていると、そこが心地よく、結果、意見の違う人を否定したくなる)が、世界を変えてしまうと思う。
ロシウクは終わり、ウクライナですでにロシアに抑えられている地域はロシア領になるでしょう。
そうなると、日本が満州事変で不戦条約を破りそれが結果的に第二次世界大戦に発展したことと同じことが起こりそう。
つまり、国連の常任理事国で核を持っているところは、やはりやりたい放題。中国が台湾を自国の領土にしても誰も何も言わなく(言えなく)なるだろう。米国も(台湾は中国の一部と国連が言ってるので)内政干渉になってしまうので、何も言えないだろう。
さらに安倍総理の時に「台湾の有事は日本の有事」としてしまったこともあるので、日本の対応は非常に難しくなるだろう。
問題は中国は台湾の中に八重山諸島があると言ってフシがあること。もし中国が台湾を取った場合、尖閣や八重山すらも中国のものだといっても、米国は動かないだろう。八重山諸島には自衛隊基地もある。これも根深い。
・国の貸借対照表を見た時に、資産が負債を上回っていれば大丈夫。
・国債を銀行が安定して持っているようなら、まだ大丈夫。国債が不安になったら銀行は国債を減らし始める。
・表向き「予算執行(省主計局)」と「徴税(国税庁)」とは分かれてる。
でも、内実、国税庁は省主計局の強い影響下にあるから、権力構造的には「国税庁は主計局の下部組織」だと思う。
・ペロブスカイト太陽電池は今後、増えるだろうか?
・ 日本は核に関して欧米から「フロントステイト(核の最前線にいる国)」と呼ばれている。
・財務省は消費税を15%にしたいと思っている
・保守党は保身党かも。
・特別会計と特殊法人(国の団体のファミリー企業)との関係はあまりにも深刻。理由は会計検査院のチェックが及ばないような仕組みを作っているから。
ちなみに特別会計の歳出総額は、令和6年度予算で436.0兆円。
令和6年度の一般会計総額は、112兆5717億円。
・「社会」「権利」「科学」という概念は欧州発のものなのか?
・もしも、来年の選挙でバイデンが負けた場合「ジャパン・ハンドラーズ」はどう変わってゆくんだろう。変わらないだろうか。トランプは出るだろうし。
・台中関係。台湾や金門島への中国の出方は今度どうなるんだろう?
封鎖や占領などがなければよいのだけど。
一つの中国との関連が非常に重くのしかかってくるのかと懸念してる。
・戦後補償を民間人にしていない先進国は日本だけ。
・相互確証破壊(MAD)の概念が重要視されて核兵器を持つことで互いに攻撃を躊躇し、戦争を抑制するという考え方が勝ってしまっている。
・あくまでも想像だけど、今後、若い人の間で「成果主義」が減ってゆくかも。なら「年功序列」が増えるんだろうか?
・EV車が売れなくなるかも。といってもガソリン車だけには戻らないだろう。
そうなるとハイブリットか?
あるいはディーゼルの素晴らしい仕組みは利用できないか。燃料だけ別のものに変えて。など。どうだろうか?
・安全保障や社会保障は政治の幹。
そうなるとハイブリットか?
あるいはディーゼルの素晴らしい仕組みは利用できないか。燃料だけ別のものに変えて。など。どうだろうか?
・岸氏は、実際にA級戦犯容疑で逮捕・拘留されても、最終的にはGHQが不起訴にしたことに恩義を感じてるのかも。これが日本の未来を変えた。
・岸氏の満州での責任は相当重いと考えてる。
「弐キ参スケ」や「満洲三角同盟」の件もあるし、今後アヘンの件は少しだけ遠まわしで書くかも。
GHQは、左翼勢力の台頭を極端に恐れてた。
なのでK氏のような右翼勢力を利用したかったんだと思う。なので助けた。
・日本は通貨発行権を日銀が独占的※に持っていることが1つの特徴。
※紙幣(お札)は、日本銀行法に基づき、日本銀行が独占的に発行。
貨幣(硬貨):は、通貨法に基づき、政府が発行。でも、実際の発行業務は日本銀行が行っている。
・安全保障や社会保障は政治の幹。
「ダヒヤ・ドクトリン」は、敵の社会インフラを破壊し圧力をかける目的の戦術で、イスラエル独特のもの。しかし、今回は民間人を大量に殺害しているので、過去のダヒヤ・ドクトリンよりもはるかに非道。
ちなみにガザの人口は約230万人、そのウチ18歳以下の子供は120万人で全体の人口の半分以上が18歳未満。
・考えの違う相手を受け入れない狭量さでは戦争が長引く。
ほとんどの戦争がそうであるように「相手に平和を強いるために攻撃を続ける」という考えが根本にある以上、戦争が終わるはずはない。
・ロシアとウクライナの戦争(もう1年も戦争が続いてる)
100対0で語る人が多すぎるような気がしてる。
ロシアが100悪くてウクライナは全く悪くない。
いや、ウクライナが100悪くてロシアは全く悪くない。それどころかプーチンは素晴らしいと。
しかし、ウクライナもロシア帝国時代、ソ連時代に自国を勝手に侵略された恨みは忘れないだろう。
さらに「ホロドモール※」では700万人以上が虐殺された。
※ソ連によるウクライナでの最も有名な虐殺は、1932年から1933年にかけて発生した。
714の都市・28000の村が廃墟にされた独ソ戦。第二次世界大戦ではドイツ・ソ連戦では主戦場となり、1000万人の被害者が出た。その後もチェルノブイリの放射能汚染。
やっとここ30年でウクライナという国になったが、今度は現ロシアが攻めてきた。
・報道
キューバ危機はソ連がアメリカの庭に核ミサイルを配備したから、というのが西側の見解だし僕らもそう思ってた。
しかし、実際はその前にトルコにアメリカがソ連向けの核ミサイルを配備したため、ソ連がその報復でキューバに配備した。
アメリカはそのことをできるだけ知られたくないため、トルコのミサイル撤去は秘密裏に行われた。
・日本人が選挙に行く人が多くない理由は、芸能人などが〇〇の選挙では自分は誰々を推すなどと決して言わないこともあるかも。仮にまったく選挙に興味のない人でも、自分の推しの芸能人が〇〇推しとわかれば、少しは意識が変わると思う。
米国では、超有名人の政治家推しの発言が国の未来に大きく影響していることは事実だと思う。
その背景には「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」があるのだと思う。
これは「地位、財産、権力を持つ者は、それにふさわしい社会的責任や義務を果たさなければならない」という格言。
また、僕が経験した話でいうと、英国では小学生(日本の)でも、政治の話を普通にしている。●●の政策は何が間違っていて、どうしたら英国は変わるか、等。僕も数十年前に英国の子供たちの話を聞いて驚いた。
・民主主義は、「法の支配」であって「人の支配」ではないはず。
〇〇党の主張は国民の権利(・国民主権・基本的人権・平和主義)をなくそうと見えて仕方ない。この怖さは想像を絶する。
・デジタル赤字が円安の1つの要因にもなっている。
・円安は日本の国力の現れ。
・アベノミクスのミス=お札の原価は25円、どんどん刷ればよいという方向性の見誤り。
・貿易赤字は増え続けている。
・2023年の日本の対外純資産※残高は471兆3,061億円と、33年連続で世界最大。さらに前年末比で51兆3,062億円(12.2%)の増加。
※対外純資産とは、企業、個人、政府が海外に持つ資産から負債を引いた残高のこと。
・イスラエルは90発の核弾頭をもっていてもNPTに参加していない。
・イスラエルは超正統派のユダヤ人が経済を圧縮※している。
※宗教にのめり込み過ぎて仕事をせず、生活保護を受けている。さらにユダヤの教え通り子供が多く1家庭6人以上と大変多く、彼らの割合が増え続けている。最近、徴兵の対象になり、それに反対しデモを起こしている。
・ユダヤ教の大元の教え「十戒」には「人を殺してはいけない」となっているが、イスラエルの攻撃は増えるばかり。
・拡大抑止
・核軍縮から核軍拡に向かっている。
・共和党はかつての金持ち党から労働者の党に変った。原因はトランプの出現から。
・ホワイトナショナリズム(トランプなど、白人でプロテスタント、、)
しかし、米国では↑がすでにマイノリティになろうとしてる。
・英国の移民排斥運動で暴動(原因はネットのデマ)
移民はルワンダに1人も送っていないが、莫大な税金は使っている。
・アフガニスタンのタリバン支配の復活は、2021年4月にバイデン政権が米軍の撤退を宣言したに起因。早速8月にタリバンがカブールを制圧たことから始まってしまった。彼らの実権掌握は20年ぶり。この武器と平和の関係が難しい点。
いずれ中国がタリバン政権との関係を強化し、たぶんロシアやイランも接近するだろう。
・オーストラリア、ニュージーランドの国家元首はチャールズ国王。
・EUの安定にはドイツ・フランスのリーダーシップが必要。
・欧州も「自国優先主義(右派)」になりつつある。そのためEUの統一はさらに難しくなるかも。
・日本の2年前(21年と比較した)変化
名目GDP 555兆→597兆
企業収益 84兆→104兆
賃上げ率 1.78%→5%弱
日経平均 28400円→35000円弱
最低賃金 930円→1050円
消費者物価指数 +0.1→+2.5
実質賃金 ??
・エネルギーの9割、食料品の7割は輸入
(日本の課題はエネルギーと食の国産化)
・英国の移民。結局ルワンダには送っておらず、税金だけつかってしまったようだ)
・小林鷹行とはどんな人?気になる。
・批判覚悟で書くと、宗教は結果として〇〇になっているんだと思う。
理念の違う反対派が出て来ても、それもまた〇〇になってゆく。
なので宗教には争いが付きまとう。特に一神教が戦争に繋がってきたのは、歴史の裏付けがあり現在の状況がそれを証明している。
・AIが苦手な事
当時の「携帯にカメラを付ける」というアイディアはAIからは出てこない。
相手の機嫌や表情を読んで会話の内容を微妙に変えることはできない。
面白がったり楽しんだりすることが出来ない。
雇われ社長にはなれるけど、起業オーナーにはなれない。あたりまえ。
・AIが得意な事
とにかく記憶することにおいて人間には到底不可能なレベル
記憶したデータをロジカルに判断する能力も同様
単純な仕事をいつまでも休まず続けることも同様
4年で1000倍の勢いで成長している
ひょっとすると、いずれ「AIを悪用することを出来なくするAI」が出てくるかも。
・100円ショップが増えたために、日本の経済はおしくなっていったと思う。今までそれなりにやってこれた商店もほとんどなくなった。やって行けたとしても値段を下げないと生き残れず、結果、日本の経済に影響してしまう。
・アベノミクスも最初はよかった。財政出動も金融緩和も、しかしその後おかしくなっていった。理由は増税?いや他にもありそう。ではそれは何?
・今後AIの仕事
とにかく面倒な雑事全般
・今後の人間の仕事
今までなかった事を発想する能力
ゼロからイチを生む能力
微妙なコミュニケーション能力
理屈では割り切れない感情を読み取る能力
人を楽しませる能力
欲の為に行動する能力(悪)
・ロシウク
このままでは最終的にロシアがルハンシク、ドネツク、クルミアを取り、サポリージャ、ヘルソンだけがウクライナに残ることになるのか?
そもそもは、ロシア帝国、ソ連時代に他国を自国にしてしまったことが原因。
・結果的に、東部2州(ルハンスク、ドネツク)とクリミアがロシア領となり、
サポリージャとヘルソンがウクライナ領になるような気がしてならない。
・ロシアの経済はその後も悪くない。理由は、欧米の店舗をそのまま名前だけ変えて維持している。
GDPも良い。米国2.5%アップ、ユーロ圏0.4%アップ、日本1.9%アップだが、ロシアは3.6%アップ(それぞれ2022年と2023年の比較)
当時の「携帯にカメラを付ける」というアイディアはAIからは出てこない。
相手の機嫌や表情を読んで会話の内容を微妙に変えることはできない。
面白がったり楽しんだりすることが出来ない。
雇われ社長にはなれるけど、起業オーナーにはなれない。あたりまえ。
・AIが得意な事
とにかく記憶することにおいて人間には到底不可能なレベル
記憶したデータをロジカルに判断する能力も同様
単純な仕事をいつまでも休まず続けることも同様
4年で1000倍の勢いで成長している
ひょっとすると、いずれ「AIを悪用することを出来なくするAI」が出てくるかも。
・100円ショップが増えたために、日本の経済はおしくなっていったと思う。今までそれなりにやってこれた商店もほとんどなくなった。やって行けたとしても値段を下げないと生き残れず、結果、日本の経済に影響してしまう。
・アベノミクスも最初はよかった。財政出動も金融緩和も、しかしその後おかしくなっていった。理由は増税?いや他にもありそう。ではそれは何?
・日本のプライマリーバランス※は長年赤字。
※プライマリーバランスとは、国や地方自治体の財政状況を示す重要な指標の一つ。簡単に言うと、国債費(借金による利払い)を除いた歳出(支出)と、歳入(収入)のバランスのこと。
・日銀がお金を「どんどん刷る」ことにはメリットとデメリットがある
↓
メリット
景気刺激になる。
=日銀がお金を刷ると、市場にマネーが供給され、企業の設備投資や消費が活発化し、景気が刺激される可能性がある。
デフレ脱却できる。
=デフレ状態では、企業は価格を下げてでも商品を売ろうとするため、賃金もなかなか上がらず、消費が冷え込む悪循環に陥る。でも日銀がお金を刷って物価を上昇させようとすると、このデフレのスパイラルから脱却できる可能性がある。
デメリット
インフレになる。
=お金を刷りすぎると、市場に流通するお金が増えすぎて、物価が急激に上昇するインフレを引き起こす可能性がある。インフレは、家計の購買力を低下させ、経済の安定を損なう恐れもある。
円安になる。
=日本円が大量に発行されると、円に対する需要が減少し、円安が進みやすくなる。円安は、輸入物価の上昇を招き、家計や企業の負担を増やす可能性がある。
財政規律の緩みにつながる。
= 日銀がお金を刷って政府の借金を簡単に返済できると思えば、政府は財政規律を緩め、無駄な支出を増やす可能性がある。これは、将来世代への負担を増やすことになる。
・今後AIの仕事
とにかく面倒な雑事全般
・今後の人間の仕事
今までなかった事を発想する能力
ゼロからイチを生む能力
微妙なコミュニケーション能力
理屈では割り切れない感情を読み取る能力
人を楽しませる能力
欲の為に行動する能力(悪)
・ロシウク
このままでは最終的にロシアがルハンシク、ドネツク、クルミアを取り、サポリージャ、ヘルソンだけがウクライナに残ることになるのか?
そもそもは、ロシア帝国、ソ連時代に他国を自国にしてしまったことが原因。
・結果的に、東部2州(ルハンスク、ドネツク)とクリミアがロシア領となり、
サポリージャとヘルソンがウクライナ領になるような気がしてならない。
・ロシアの経済はその後も悪くない。理由は、欧米の店舗をそのまま名前だけ変えて維持している。
GDPも良い。米国2.5%アップ、ユーロ圏0.4%アップ、日本1.9%アップだが、ロシアは3.6%アップ(それぞれ2022年と2023年の比較)
・日本の金利が上げられない理由
日銀が国債を非常に多く持っている為、金利を上げてしまうと債務超過になってしまう可能性を避けたい。
世界五大都市
ロンドン、ニューヨーク、東京、パリ、シンガポール。
G5(Group of Five), 先進国首脳会議(サミット)参加国
アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本。
主要5大通貨
米ドル、ユーロ、人民元、日本円、英ポンド。
五大金融センター
ニューヨーク、ロンドン、東京、シンガポール、香港。
五大美術館
メトロポリタン美術館、ルーブル美術館、エルミタージュ美術館、大英博物館、プラド美術館。
五大博物館
メトロポリタン美術館、ルーヴル美術館、大英博物館、エルミタージュ美術館、故宮博物院(北京)。
五大宗教
キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、ユダヤ教。
五大陸
ユーラシア大陸、アフリカ大陸、アメリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸。
五大州
アジア州、ヨーロッパ州、アフリカ州、アメリカ州、オセアニア州。
・時にはドイツ人のようにはっきりとモノを言う必要が増えて来たかも
・死を具体的に意識した時に変る精神的変化
1,時間を大切にしたいと「強く」おもうようになる。
2,人生の優先順位を決めるようになる。
3,人の痛みが分かるようになる。
4,自然への感性が鋭敏になる。
5,起きてしまったことを後悔しなくなる。
6,平和は当たり前ではないと思うようになる。
7,生きているのが当たり前ではないと思うようになる。
・テレビ局の売り上げ、経常、純利、総資、社員数(2023年)
日テレ 2900億、411億、298億、7139億、1354人
T B S 2240億、168億、107億、4500億、1173人
フジTV 2300億、79億、57億、2200億、1166人
テレ朝 2200億、65億、13億、2400億、1254人
テレ東 1130億、106億、87億、515億、763人
・世界の6大+2リスク
1,米国の分断(大統領選でそれがさらに+インフレ+対ロシア、対北朝鮮、対イラン)
2,中国経済(不動産きっかけでバブル崩壊+対台湾)
3,中東問題(3000年2000年前と100年前のきっかけだが今後さらに)
4,ロシウク問題(ウクライナが負けて、ロシア国境にNATOが軍備増強?)
5,重要貴重鉱物の争奪(レアアース、ニッケル、コバルト)コバルトはEVに必須で今コンゴ内戦で採掘権の奪い合い。(コンゴのコバルトは世界の7割)
6,AIの動向(今後どのような動きになるか、人類への影響)
7,米中のグローバルサウスの取り合い。
8,世界の再ブロック化
・仮にAIを政治でも使うようになった場合、またそのAIが常に部下AIだとしたら。AIには欲がない、洗脳もされない、嫉妬もしない、ルールを守る、自分達の都合の良い法律は作らない。
・国民の代表アバターが政治を行ってもいいかも。それが「国民主権」
・岸田政権になり自民党は20年前に戻ってしまった。
・公金横取り企業と政府のやりたい放題
・日本医師会の代表を厚労大臣にした(武見敬三で医師会のドン太郎の息子)
・三権分立と言っても、日本の司法は(政府に嫌われると出世できないので)政府を否定できない。
・政治家の非課税特典は止めるべき。そして国民と同じく国税庁の管轄になるべき。
・派閥はリーダーを総裁にするための集団
明治維新の「藩閥」の悪しき習慣
・議員にとっての派閥の利点=選挙の応援を得られる、政治資金をもらえる、ポストを派閥から推薦される人事的メリット等。
・小選挙区になっても続いている以上、政治家も責任を負う「連座制」が必要かも。
・ある政党が嫌いな人は、その党が良くなる対策ではなく、その政党を潰すことだけを考えているように見えてしまう。自分が推している政党は何が起きても最高の党だと思っている。そのため、裏が完全に取れていなくても勧善懲悪的な情報には飛びつき拡散させたいのかも?
・日本が変化を嫌う理由=日本は東の端でその先がない国(他国のように侵略されたり通過点ではなく)だったから。そのため日本人の口癖は「昔は良かった」、侵略された国は「昔は辛かった」
しかし弥生時代以降侵略されなかった文化の熟成は世界に冠たるものがある。
・地球温暖化はロシアにとっては好都合
北極側の新航路が出来そう
氷が解けて新資源が見つかるかも(カイリ問題を大陸棚で解消しようとしている)
12カイリ以内=領海
200カイリ以内=排他的経済水域(以内の国だけ漁が出来る)
201カイリ以上=公海(だが大陸棚が繋がっていればOKの場合も)
・日本が経済的に落ち込んだ理由=人口が減っているにもかかわらず国内産業(特にB to C)で安売りをしまくった結果、デフレスパイラルが始まった。停滞は崩壊につながる。
個人的には100円ショップの衝撃かと。何か買おうとしても100円ショップにあるならそれでいいという風潮に起因。安いくてモノが良ければ最高だし僕も100円ショップは大好き。ただ、日本経済にとってはどうなのだろうか?非常に難しい問題。
・中国の経済が低迷している原因
「統制」と「市場経済」の間で揺れてしまっている事。習近平ひとりに力が集中し過ぎてしまったこと。
例えば「規制のミスにより起こった「不動産不況」、それによる「地方財政の悪化(土地は国の物なので国の収入が減ってしまった)」、「国力の低下(一人っ子政策の影響)」、「反スパイ法(外国企業が怖がりこなくなってしまった)」等、、、。
1998年の住宅制度改革に起因して住宅の買い替え、都市部の人口増が顕著になってきた。にもかかわらず賃貸市場未整備が原因で価格が押し上げられだした。
その後、コロナにより大規模金融規制であふれ出した投資費用が住宅に大量に流入し、マンション価格もどんどん吊り上がった。
そこで習氏が不動産の価格規制を行ったことで、価格は下がってきたが、その対応が不動産会社の経営悪化を招いた。必然的に個人の資産低下と企業の賃金低下を招き消費はどんどん落ち込んでいった。今は不動産会社がいつ倒産するかわからないので国民は不安で住宅が買えない。
それに対する国の対策として、頭金や金利を下げさせたりしたが、国民の不安は消えず。これが金融機関に派生すると大変なことになりえるかも。
不動産市場が酷い状態なのでそこに公的資金を注入するかどうかを国は検討してるのかも。しかし、国民は大反対するだろう。
そんな時「搶ャ平」が謳っていた「思想解放」(あまりに保守的ではダメで、思想は解放されるべき)論が出てきている。
それを写してか、今中国は外国企業の誘致に力を入れるべきという論調が増えてきている様子。
ただ、外国企業からすると中国の「反スパイ法」(法の内容が不明確で危険を含んでおり当局しだいで可変の可能性あり)を恐れていることは事実。
結局は習近平に力が集中し過ぎたため、誰も苦言を言えず、習近平の失敗=中国の失敗になってしまったこと。
ちなみに中国の「三中全会」とは中国の中長期における経済運営の方向性を決める物。一中=党最高指導部人事、二中=政府の主要人事、中全会=中央委員会全体会議の略。を合わせたもの。
・デジタルテクノロジー(DT)に対する変化=今までは下が上にDTをすすめても上が理解できず没。今は、上がDTを進めても下が雇用を怖がり没に。
・新しい封建性=DT企業の繁栄が中流以下のチャンスを奪い、社会の可能性をなくしている。
・日本のDTの現状=完全に米・中・韓に抜かれている。
・少し前の「安い国ニッポン」に「スローな国ニッポン」が追加された。
・英語になった日本語(根回し、残業、永久就職、過労死)
・日本のデジタル(D)赤字=日本のD技術の貿易赤字は2023年現在で1.8兆円だが、2030年には8兆円に跳ね上がるかも。
・日本の予算=112兆(税収69兆、国債35兆、他)国債の発行総計は1105兆に膨れ上がってる。
・日本の脱炭素=G7で唯一、石炭火力発電所の廃止時期を明言していない。世界から批判の種で「化石賞」をもらってしまった。
・風力発電は日本に合っている=しかし、日本政府は風力のサポートはせず、火力のサポートを今後20年間行うことにしている。理由は国内企業に風力を開発できるところがないため、政府は企業に気を使って。今後国内企業が出てくれば変わるか?
今後は風力発電やEVは増え続ける。
・地球は人がいない方が存続できるが、人は地球がないと存続できない。
・EVにはコバルトが必須(コンゴの内戦の原因でもある)
だが、これからはレアアースではなく「マンガン」や「ナトリウム(海水に豊富)」でも高性能な電池が作れるようになった。中国がすでにリードしている。
・日本の武器生産と輸出関連=朝鮮戦争時に在米軍用の武器生産・輸出、佐藤総理時代「武器輸出三原則」、三木総理時代「武器輸出全面禁止」、安倍総理時代「防衛装備移転三原則、岸田総理「国家安全保障戦略・輸出推進のためのルールを見直し」
・日本への武器ライセンス提供国=アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ。
・2023年、現在、日本・イギリス・イタリアの共同開発で戦闘機を作ろうとしている。(与党では現在公明が反対しいる)
・次期戦闘機
日本は、対中国を意識=迎え撃つので多くのミサイルを装着出来る事や高出力レーダーが必要。
イギリス、イタリアは対ロシアを意識=対地上攻撃なので多くの爆弾が積める事や機体の下に多くの高性能センサーが必要。
・5類見直し(5類=直接戦闘ではなくその関連業のみが5類)だが、それを見直そうとしている)しかし「5類見直し」と検索してもコロナしか出てこない。これは超深刻。
・安保3文書=「1,国家安全保障戦略(日本の安全保障) 2,国家防衛戦略(防衛の目標と手段) 3,防衛力整備計画(自衛隊の体制)
・反撃能力の導入=敵地を攻撃する能力、今までは相手が撃ってから追撃。そのため日本のミサイルの射程距離を現在の120Kmから1000Kmに伸ばす計画、今後はそれは2〜3000Kmも検討中。
・パワー・ポリテックス=軍事経済で国の利益を追求
・軍事と経済=最も富を生むものが常に未来を作ってきた、つまりそれは戦争。
・日本が空母を持っていることを知らない人が多い。
・台湾有事=TSMC(先端半導体の世界シェア9割)が中国の物になってしまう。そのため今、日本やアメリカにTSMCの大工場を作っている。
・日本のエネルギー自給率=13%、カナダ、アメリカは100%を越えている。
・日本の貧困率は先進国で一番高い。
・ミツバチが絶滅すると人は4年後に滅びる。(受粉ができないと植物が育たない。いずれ工場で野菜を作ることがメインに。肉さえも工場でつくることになるかも)
・国民保護=有事の際、出来るだけ早く国民を安全な場所へ移動。
台湾有事で大きく変わってきた。特に南西諸島のラインが中国の生命線になるので、沖縄はじめ南西諸島が心配になってきた。
台湾有事で大きく変わってきた。特に南西諸島のラインが中国の生命線になるので、沖縄はじめ南西諸島が心配になってきた。
いざというとき、島民をちゃんと移動させてくれるのだろうか?避難場所は今のところ鹿児島と山口。非難には飛行機・船を使うわけだが、自衛隊機船を使うと万が一の時、撃墜されてしまう懸念も。では何を使うか?人手は大丈夫か?
・AIに「人間はダメだね」と言われたくない。政治家はAIから「何やってんだよ」と思われているかも。もちろん政治家の表側だけを見て人格を否定することはしたくない。でもお金の匂いのある方に動いてしまう政治。
・AIは暗黙知が苦手。サリー・アン問題は分かるが、当然だがレモンを見ても唾液が出る感覚は分からない。AIとロボットでも人の家で食事は作れない。
・AGI=シリコンと脳細胞を有効させる知能の研究をベース、チップの上で脳細胞を培養。今のAIの弱点を補填する。
・AIは常に「部下AI」であるべき。
・AIは仕事を奪うというが、新しい仕事も生まれる。理系なら「AIエンジニア」、文系なら「AIプロデューサ」
・対話の重要性=意見の違いを認めることで対話が生まれる。対話で不満100%を80、60、50、30と減らして行き70%で合意するべき。それ以上を望むと対立が始まる。
・体験から出た言葉が重要=体験から出た言葉は本人が削りだしたもの、しかしコンサルは膨大な名言集の参照。
・AIは大規言語(LLM)の時代から、AIエージェントの時代へと。
・OpenAI 対 Googleの構図に。
・トランプが再選された時の日本世界への影響=彼には政治的理念はなく、経済的なメリットだけで判断する。(トランプはEV嫌い、共和党の自動車産業の雇用確保方針。また石油や石炭はどんどん掘れと言っている)
その為、仮に日本の米軍を撤退させたら、中国や北朝鮮は大喜び。
・トランプが再選されることを各国は不安に思っている。まずは一律の関税。彼が大統領の時にも関税を途中から突然言い出した。
ウクライナが負けることでロシア国境にNATOが軍備を増強したとしてもそれは撤退させるだろうか。するとロシアがまた過去の連邦に戻りたがるかも。さらに権威国家である北朝鮮やイラン(中国も)も喜ぶだろう。
北朝鮮の核保有論争もなくなってしまうかも。いつのまにか核保有国になってしまう不安。
・トランプには正論は効かない。米に利益があるかどうかが前提。
・岸さんではトランプに太刀打ちできないだろう(TVアンケートで90%以上が無理だろうと)
・ロシアがさらに強くなり、今まで以上にアメリカ至上主義に
・特にEV廃止やエンジン自動車を守るので、その関連ビジネスを米国内に引き戻したい。石油、石炭はどんどん掘れ。
・国内の税金を減らして、関税で儲けようとしている。
・日本製鉄とUSスチール(ディア・ハンターの舞台)の買収はどうなるのか。
・トランプを抑えられるTOPが世界にはいない、なので大統領にはなってほしくない。彼は個人的に好きだけど。
・トランプは現在4つの事件、91の罪で訴追されている
特にホワイトハウスに対して暴動をおこさせた「第14条3項の暴動・反乱の罪」が一番重い。だがこの罪は南北戦争時に出来たもの。
・バイデンの記憶能力がだいぶ落ちている可能性がある
・トランプは以前イランを攻撃した
・イランは元々、親米国家だったがイラン革命でホメイニ氏がでてから変わった。
・中国は台湾を攻撃するだろうか?下手に攻撃して世界90%を占める台湾の半導体工場に影響を与えてしまうのだろうか? もしくは、台湾を中国が手に入れることでその半導体工場の中国のものにしようとしているのか?この点がよくわからない。
・世界の壁=ポーランド(対ロシア)、フィンランド(対ロシア)、アメリカ(対メキシコ)、インド(対パキスタン)、ペルー(リマの富裕層と貧困層)、イスラエル(ガザとヨルダン川西岸)
・国連の拒否権=ウクライナもガザもロシアとアメリカンの拒否権で決定出来ない。
・東欧革命で民主主義が世界を平和にするかと思った、、、しかし、2大国の核の均衡が破れ世界中が荒れだした。民主主義と権威主義の国々。日本は権威主義の国になりそう。
・アメリカがイスラムを憎む理由=当然9.11の憎しみ、後はユダヤからの献金で動いている選挙や米政府。
・イスラム教=入信するには二人の信者の前で誓えばOK、止めるときは死をもって償う。
・サウジアラビアはコーランが憲法のようなもの。
・イスラム原理主義の中に過激派がいる。
・ハマスはスンニ派の過激派(元は社会福祉や慈善事業で支持を広げた)
しかし、シーア派のイランはハマスを応援、理由はイスラエルが侵略者だから。
・シーア派(血統重視でイランなど)・スンニ派(信者重視でサウジなど)
・ハマスの幹部は超リッチ(ガザにはいない)
・アメリカ福音派の考え=キリストが蘇った時にエルサレムにイスラムがいたのでは大変なことになると心から思っている。
・ユダヤ人虐殺やシオニズムのきっかけは「ポグロム※」
※13世紀のカリシュの法令によって権利および安全をポーランド王に保障され、ユダヤ人はポーランドに集まり生活していた。が、マルティン・ルターの「ユダヤ人と彼らの嘘について」がきっかけでユダヤ人たちは嫌われ出した。↓
その本でユダヤ人を「下劣な偶像崇拝者、つまり神の子ではなく己が家系や割礼を誇りにし、法を汚らわしい物と見なしている連中」
具体的には↓
・ウクライナが負けるとNATOはロシア境界線に軍をおくことになりその費用は膨大。シナゴーグやイェシーバーを、跡形残らず徹底的に焼き払うべし
更にユダヤ人の所有する家をも打ち壊し、所有者を田舎に住まわせるべし
宗教書を取り上げるべし
ラビの伝道を禁じ、従わないようであれば処刑すべし
ユダヤ人を撲滅するための方途を穏便に実行すべし
高利貸しを禁じ、金銀を悉く没収し、保管すべし
ユダヤ人を農奴として働かせるべし
・ウクライナのEU加盟交渉が始まるまでたった2年。
でもウクライナは欧州最貧国(ウクライナのGDPは4800ドル、ちなみにロシアは1兆8000ドル)なので、ウクライナにEUの補助金が多く使われてしまうため反対している国も多い。
ハンガリーのバン首相の反対で遅れているが、今後どうなるか?
でもウクライナは欧州最貧国(ウクライナのGDPは4800ドル、ちなみにロシアは1兆8000ドル)なので、ウクライナにEUの補助金が多く使われてしまうため反対している国も多い。
ハンガリーのバン首相の反対で遅れているが、今後どうなるか?
トルコはEU加盟交渉までに40年かかっている。1963年に始まり2005年交渉が始まったが、現在も凍結状態。
・危機は常に無関心と隣り合わせ。
・今後は遺贈寄付も増えるかも
・危機は常に無関心と隣り合わせ。
・今後は遺贈寄付も増えるかも
・平和ビジネスが重要。
・地球の成分=炭素、水素、酸素(これで地球にあるもののすべてが出来ている)
・世界は隠れ飢餓=炭水化物ばかり食べて栄養(ビタミン、ミネラル、タンパク質)不足。
・電車で席を譲られたら座りましょう。断るとだんだん譲る人がいなくなってしまう。
・親ガチャ=生まれてくる子は親を選べない。
・論破を目的すると合意は不可能。
・意見の違う人の人格までも否定したくない。
・やはり「補助線」は大切。
・忘却は可能性。
・地球の成分=炭素、水素、酸素(これで地球にあるもののすべてが出来ている)
・世界は隠れ飢餓=炭水化物ばかり食べて栄養(ビタミン、ミネラル、タンパク質)不足。
・電車で席を譲られたら座りましょう。断るとだんだん譲る人がいなくなってしまう。
・親ガチャ=生まれてくる子は親を選べない。
・論破を目的すると合意は不可能。
・意見の違う人の人格までも否定したくない。
・やはり「補助線」は大切。
・忘却は可能性。
・日本は「間接民主主義(選挙で選ばれた代表者が国民の代わりに政治をする)」でも地方では直接請求権もある。
「直接民主主義はスイス(国民投票で決まった人が政治をする)」
・労働生産性(1時間あたり)
日本 52ドル
米国 90ドル
ドイツ 87ドル
フランス83ドル
イギリス 73ドル
イタリア 71ドル
(アイルランド120ドル、ルクセンブルク112ドル)
・デジタル円
中央銀行発行のデジタル通貨
(円建てで日本銀行が発行する)
しかし実務としては日銀は発行せず、民間企業が間接的に発行(責任は日銀)
・利点=現金は今のまま使える、信用リスクがなく即時決済、いつでもどこでも使える。
・欠点=現在の民間決済サービスをデジタル円が駆逐?
セキュリティの心配は?システム障害時の対応は?プライバシー保護は?
・導入しなかった場合、日本が世界から遅れてしまう?
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日本 52ドル
米国 90ドル
ドイツ 87ドル
フランス83ドル
イギリス 73ドル
イタリア 71ドル
(アイルランド120ドル、ルクセンブルク112ドル)
・デジタル円
中央銀行発行のデジタル通貨
(円建てで日本銀行が発行する)
しかし実務としては日銀は発行せず、民間企業が間接的に発行(責任は日銀)
・利点=現金は今のまま使える、信用リスクがなく即時決済、いつでもどこでも使える。
・欠点=現在の民間決済サービスをデジタル円が駆逐?
セキュリティの心配は?システム障害時の対応は?プライバシー保護は?
・導入しなかった場合、日本が世界から遅れてしまう?
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■■■欧州と日本の通史、個人的な備忘録「はじめに」■■■
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※この項はあくまでも概要の羅列です。
詳しくは下記の「世界通史に関する忘備録」の本文およびリンク先をご覧ください。
詳しくは下記の「世界通史に関する忘備録」の本文およびリンク先をご覧ください。
◆世界は広いですね。日本以外にも約200ヶ国弱ほどの国々が違う文化で生活をしています。さらに民族の数は相当数あり、言語に関しては最大7000種類もあるようです。そう考えると「日本はこうだけど、海外は、、(その逆も)」のように海外を一括りで分けてしまう視点に疑問を持つ事が増えてきました。
ちなみに、現在、日本人のパスポート取得率は17%にまで落ち込んでいます。先進国最低水準で、特に若者の取得率が非常に落ちているようです。実際に目で見て空気・文化・人を感じることは大切なのかと思いますが、、、そういう僕自身、最近、飛行機恐怖症になってしまい、その上、今まで自在に話せていた英語を話すと蕁麻疹がでるようになってしまい非常に困っています。病院には行ってますが、原因不明が続いています。
■通史に興味を持ったきっかけ■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆今までの僕の特徴は、勉強が出来ず、いい加減でフラフラしている男。
その後、FBをやるようになると多くの方の投稿と素晴らしい文章表現に興味を抱きだし、友人達の投稿に刺激されるようになってきました。
そんな時、僕の中に突然ある2つの疑問が浮かびました。それは「自然界には何故、肥満がいないのだろう?」という素朴な疑問。そして、「自分が妄信的に善悪を決めてしまっている事や言動はないか?」という疑問。それをきっかけに通史に興味を持ち始めました。その経緯や詳細は次項で。
とはいっても元々勉強が出来なかったので難しい本は無理、そこで笑われるかもしれませんが「まんが世界史・日本史」を読んでみました。すると、、それが想像以上に面白くて。いつのまにか各出版社のまんが歴史関連全巻を読み終えていました。
少し分かってくるともっと知りたくなり、他の本を読み漁り、時には著者先生方に直接連絡を入れ先生方の講座も積極的に受けるようになりました。そのうち厚手のノートが何十冊に。本当に不思議な現象です。以前のメモを書いた時にも読んでましたが、また少し増えました。
■リンク→この時に読んだん本や資料&映像ドキュメンタリーにリンクを張りました。
調べてゆくうちに、欧州の戦争がとても多い事が世界史へ大きな影響を与えていること。さらに近代史を大きく狂わせたのも、日本の十五年戦争も原爆投下さえも、欧州の国の多さが無関係ではなかったことにも気づきました。そして、2つの疑問の自分なりの回答も。
■リンク→欧州の戦争(紛争)一覧
他大陸に比べて比較しようのない程の戦争の多さに驚かれると思います。時間軸で見ると、人種、民族、大王の登場、資源、産物、大帝の登場、帝国、一神教、領地、征服、政略結婚、革命、英雄の登場、海外の植民地、大戦、独裁者、それぞれの要因で乱立する国家、次々に変わる国境、偏見、、これでは隣国同士ほど敵対してしまう事を否定できないと思います。つまり必然的に隣国が多ければ争いも多くなるということでしょう。
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◆まずは欧州の概要を駆け足で!!
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その後、安易に始めてしまった第一次世界大戦↑が全世界を狂わせて行きます。
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■■■■■メニューへ■■■■■
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「戦争は儲かるから終わらない?
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■まず最初に、僕はグローバリズム派でも反グローバリズム派でもなく、もちろん右派でも左派でもありません。さらに思想もなく、信じている宗教も一切ありません。そして両派の意見を出来るだけ聞く(読む)ようにしています。
また、「〇派」と「人間性」は全く別だと思っています。そのため意見が全く違っても心から大好きな人もいます。強いて言うなら「事実派」です。
今回の内容は、僕が読んだ本やドキュメンタリーなどから得た情報を淡々とまとめたつもりです。【参考資料および引用元】
◆投稿でアップした人物(欧州人の特徴と個性)の各イラストは僕のデッサン+アプリ仕上げです。しかし、通史メモ内の地図はcopyrightを確認して使用させていただいています。 尚、写真(天皇関連の日記、東京裁判、7000年以降の写真)はcopyrightが見つかりませんでした。ご指摘くださいましたら指示に従います。フリー素材もあるかもしれませんが、未確認です。
このページは、FBのように閉じた空間ではなく、完全な公開情報、なのでちょっと気にしています。
◆投稿でアップした人物(欧州人の特徴と個性)の各イラストは僕のデッサン+アプリ仕上げです。しかし、通史メモ内の地図はcopyrightを確認して使用させていただいています。 尚、写真(天皇関連の日記、東京裁判、7000年以降の写真)はcopyrightが見つかりませんでした。ご指摘くださいましたら指示に従います。フリー素材もあるかもしれませんが、未確認です。
このページは、FBのように閉じた空間ではなく、完全な公開情報、なのでちょっと気にしています。
◆各通史の歴史的背景はそれなりに調べてはいるつもりですが、僕は歴史の素人。その点をご了承いただき、何かおかしいとお感じになることがありましたら、是非ご教示ください。今、裏の取れた真実が知りたくて仕方ありません。ちなみに僕は歴史のディティールより、流れ(●●が原因で●●に繋がり、今●●になった)つまり通史が好きです。
それを知ることで、現在の事象が歴史の転換点になるかもしれないとの視点で注視できるようになると思っています。
そのため広く浅く、でも要点が漏れないようにしたつもりです。
◆最後に、僕は文章表現及び構成が苦手で作業が遅く、これを書くのに裏取りも含めて3年ほどかかってしまいました。その上、言いたいことが先走り、どこが悪いのかもよくわかりません。その点もご指導いただけましたら恩に着ます。
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さて、いきなりですが、僕の座右の銘は「真剣に楽しんでいる奴には敵わない」です。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
この座右の銘は常に僕の行動基準で、このことに対してはいたって真剣です。その染み込んだ銘を意識しながらいつものように生きていたある時、ふと頭を過った素朴な疑問があります。
それは「自然界に肥満がいないのは何故か?」と「自分には妄信的な善悪判断や、言動はないか?」この2点です。
説明しにくいのですが、この2つの疑問と僕の座右の銘が直結したのです。ひょっとしてこれらは「共に戦争に関係していないだろうか?」という考えが後に浮かんだ時、座右の銘と繋がったからです。
もう少し詳しく書きます。僕は争いごとがとにかく嫌いです。楽しく(楽ではなく)真剣に生きたいわけです。でも、世界中の大量殺人を見るにつけ辛くてストレスフル、たまらない気持ちになり楽しく生きたいなんてぶっ飛んでしまいます。つまり戦争は僕の座右の銘の正反対側にあることが後に分かったからです。具体的には、以下の「今回この通史メモを書いてわかったこと」に記載しました。
でも、1万年も続いている戦争をなくすことは人類の力では不可能。なら他に何か方法はないだろうか?日々そう考えるようになってゆきました。
そのうち、「戦争反対を叫ぶ以外に、減らす方法(対策・手段)」に興味が湧いてきました。そうすれば少しは楽しく出来ると。目的が目的だけに「アホらしい」との批判は覚悟で書いています。
■■僕が考えた対策と手段は以下の2つです。いい年して幼稚で世間知らですが、結構、真剣に考えています。是非ご笑覧ください。
(2つ目が長くてすみません)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1つ目は、「戦争を少しでも減らす対策=戦争に加担している国は民度が低いという常識」が出来ないか?
----------------------
↓
●手段としては、「武器の開発・製造・輸出・輸入を行っている国のそれぞれの数値+戦争・侵略で殺害した人数、それらの数値を合計しその国の民度に。高い方が民度が低いという解釈で、毎年グラフ化して発表する方法」。
●国際社会や国連憲章でも戦争を禁止していないなら、少しでも減らせる対策としての基準を作るしかないかと思い素人ながら考えてみました。(国連憲章では「戦争は慎むこと」になっており禁止はしていません※)
※1928年の「不戦条約」は本来は生きているはずですが、有名無実になっています。
----------------------
■2つ目は、上記にも関連した「政府の目に余る対応への対策」
----------------------
手段としては「政治家にAIを ”ある特定分野だけで” 使ってもらう」ことができないか?
僕は以前AIを心から嫌っていました。理由は、AIにはある意味「根っこのない木」の怖さがあるからです。そのため、その点を忘れずに、強力な検証システムを常に並走させます。
さて、いきなりですが、僕の座右の銘は「真剣に楽しんでいる奴には敵わない」です。
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この座右の銘は常に僕の行動基準で、このことに対してはいたって真剣です。その染み込んだ銘を意識しながらいつものように生きていたある時、ふと頭を過った素朴な疑問があります。
それは「自然界に肥満がいないのは何故か?」と「自分には妄信的な善悪判断や、言動はないか?」この2点です。
説明しにくいのですが、この2つの疑問と僕の座右の銘が直結したのです。ひょっとしてこれらは「共に戦争に関係していないだろうか?」という考えが後に浮かんだ時、座右の銘と繋がったからです。
もう少し詳しく書きます。僕は争いごとがとにかく嫌いです。楽しく(楽ではなく)真剣に生きたいわけです。でも、世界中の大量殺人を見るにつけ辛くてストレスフル、たまらない気持ちになり楽しく生きたいなんてぶっ飛んでしまいます。つまり戦争は僕の座右の銘の正反対側にあることが後に分かったからです。具体的には、以下の「今回この通史メモを書いてわかったこと」に記載しました。
でも、1万年も続いている戦争をなくすことは人類の力では不可能。なら他に何か方法はないだろうか?日々そう考えるようになってゆきました。
そのうち、「戦争反対を叫ぶ以外に、減らす方法(対策・手段)」に興味が湧いてきました。そうすれば少しは楽しく出来ると。目的が目的だけに「アホらしい」との批判は覚悟で書いています。
■■僕が考えた対策と手段は以下の2つです。いい年して幼稚で世間知らですが、結構、真剣に考えています。是非ご笑覧ください。
(2つ目が長くてすみません)
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■1つ目は、「戦争を少しでも減らす対策=戦争に加担している国は民度が低いという常識」が出来ないか?
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↓
●手段としては、「武器の開発・製造・輸出・輸入を行っている国のそれぞれの数値+戦争・侵略で殺害した人数、それらの数値を合計しその国の民度に。高い方が民度が低いという解釈で、毎年グラフ化して発表する方法」。
●国際社会や国連憲章でも戦争を禁止していないなら、少しでも減らせる対策としての基準を作るしかないかと思い素人ながら考えてみました。(国連憲章では「戦争は慎むこと」になっており禁止はしていません※)
※1928年の「不戦条約」は本来は生きているはずですが、有名無実になっています。
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■2つ目は、上記にも関連した「政府の目に余る対応への対策」
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手段としては「政治家にAIを ”ある特定分野だけで” 使ってもらう」ことができないか?
僕は以前AIを心から嫌っていました。理由は、AIにはある意味「根っこのない木」の怖さがあるからです。そのため、その点を忘れずに、強力な検証システムを常に並走させます。
↓
●日本国民は、先進国の中で一番マスコミに妄信的な国らしいです。僕も御多分にもれずマスコミが流す政府の報道を鵜呑みにしていました。逆にそれに反対する野党を「とにかくなんでも反対、いつも邪魔ばかりする進歩のない人達」+「視点が近視的過ぎ、善悪二元論のみに徹してしまう人達」+「自分達の党以外を悪く言う狭量な人達」と心から嫌い憎んでもいました。
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●しかし、その僕が信じていた政府の裏の会話の感想を、信頼できる報道関係者から聞きました。感想の内容は「国民のことなど選挙以外では眼中になく、我欲と保身の会話は相当酷かった※」というもの。聞いた僕は真っ蒼になりました。が、それでもにわかに信じられず、その後、調べに調べました。記者の知り合いにもたくさん質問をしました。結果、今まで全く疑わず信じてきた自分が本当に嫌になりました。
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※つまり「ショック・ドクトリン」でした。(国家非常時を狙い資産家・大企業に利益を集中させる恐ろしい資本主義です。つまり金持ちを超金持ちにする資本主義)
●日本全体が大ニュースで話題になっている時(大災害や感染症、もちろん戦争はその最たるもの)、確実にその裏をかいて国民が知らぬ間に政府に都合の良い法案がどんどん決まってゆきます。
↓
●サザンの歌【Relay〜杜の詩】の中に「いつもいつも思ってた。知らないうちに決まってる」という歌詞があります。これはまさに「銀杏並木の伐採だけではなく、国民が知らないうちに決まる増税・値上げ・天下り、国内よりも各国への数々の援助優先、戦争への間接的な加担、他」を歌っているようにも思えてなりません。これは僕の曲解かもしれませんが。
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政府が進めたい(財務省、企業、そして米が推している)過激な政策や法案はいつのまにかすんなりと議会を通る。企業からは多額の政治献金が入る。さらに企業の上層部は、その利益により莫大な報酬(キックバック)を得ることになるウィンウィンの関係です。防衛費を増やして高額兵器をたくさん買ってもらった米も大喜びの構図です。
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しかし、メジャーなマスコミは分かっていても突っ込んだ取材はせずニュースにもしません。この責任は大きいと思います。
このマスコミは以下の理由により変わってゆきました。
↓
●メジャーマスコミが変わり始めたのは、2012年頃から。そして決定的になったのは、ある女性大臣(高市早苗)の「(放送局の)電波の停止がない、とは断言できない」と放送局への行政指導の可能性を示唆した「2016年2月8日の衆議院予算委員会」からだと思っています。
事実、その後、官邸記者が、政権に都合の悪いニュースを止めさせたり、番組にクレームをつけるのは業務の一環になっていった可能性があります。
報道関係者はそれが悪いとは分かっていても、上層部の指示に従わざる得ない完全な板挟み状態。こうなると「放送法4条(政治的に公平、事実を曲げない、他)」とは何だったのかとも思ってしまいます。もちろん、テレビ報道は本当のこともたくさん伝えています。
↓
●また一部の起業家・資産家たちは、政府寄りにしていた方が自身の資産を増やせるため、SNSなどでも政府寄りの意見を堂々と述べています。実は、彼らは裏事情をよ〜く分かっています、誰よりもよ〜く。でも、平和よりも自身の資産を増やす事がなによりも重要。事実コロナやロシ・ウク他大惨事で関連株価が爆上がりして目の色が変わっている訳です。

彼らの特徴として、自分と意見の合わない人達をバカ呼ばわりする器の狭さがあり、これはほぼ共通しています。ここに見えてくるものがあります。
↓
●これでは以下に記載した「◆満州事変から急に変わりだした報道機関の責任」の92年前と近いものを感じてしまいます。というのも「ショック・ドクトリン」という言葉がなかった太平洋戦争が起きた頃から、この力関係が存在していたことが分かったからです。
あと最近は三権分立が成り立っていないと思うことが割と増えて来ました。と軽く書いてますが、これって民主主義国家としてはとんでもないことです。
このところまた政治と金の問題が表立っていますが、この対策として「1,現金ではなく口座を作る。 2,政治の世界も国民のように国税庁が監視する。 3,会計責任者だけでなく政治家本人に責任を負わせる。4,献金は国民がネットで確認しリアルタイムのグラフで確認できるようにする。」などはいかがでしょうか。
↓
↓
●そこで、そんな悪事とは独立したAIに政府の「ある一部だけ」を任せてみるのはどうかと。
当然、現政権は大反対するでしょう。でも政治のレベルが格段に上がったステージで政治が出来ると思います。日本のレベルが上がります。
ただ地盤から担ぎ上げられた世襲政治家や、簡単な質問にすら答えられない知名度だけの政治家は不要になるでしょう。つまり、まともな政治家はさらに必要になります。そのことを賢い国民は分かっていると思います。
↓
●当初、僕はAIが(怖いため)とても嫌っていました。ことあるごとにAIの悪口ばかり言っていました。しかし、兄(姉の旦那、と言っても50年以上の付き合いで僕の一番の理解者)から、そこまで嫌う前に真剣に使ってみたの?と質問され我に返りました。するとAIを使えば使うほど自分の考えが間違っていることに気付きました。今AIは嫌うものではなく道具として利用してしまう、つまり自分の部下にしてしまう時代に入っていると。過去に、携帯・スマホを強く否定していた人達も結局は使っています。
今、各企業は見えない所ですでにAIをどんどん活用しています。この激流パワーは誰にも止めようがありません。すでに始まってしまった以上、否定せず活用せざる得ないのかと。その理由は以下の通りです。
↓
●日本国民は、先進国の中で一番マスコミに妄信的な国らしいです。僕も御多分にもれずマスコミが流す政府の報道を鵜呑みにしていました。逆にそれに反対する野党を「とにかくなんでも反対、いつも邪魔ばかりする進歩のない人達」+「視点が近視的過ぎ、善悪二元論のみに徹してしまう人達」+「自分達の党以外を悪く言う狭量な人達」と心から嫌い憎んでもいました。
↓
●しかし、その僕が信じていた政府の裏の会話の感想を、信頼できる報道関係者から聞きました。感想の内容は「国民のことなど選挙以外では眼中になく、我欲と保身の会話は相当酷かった※」というもの。聞いた僕は真っ蒼になりました。が、それでもにわかに信じられず、その後、調べに調べました。記者の知り合いにもたくさん質問をしました。結果、今まで全く疑わず信じてきた自分が本当に嫌になりました。
↓
※つまり「ショック・ドクトリン」でした。(国家非常時を狙い資産家・大企業に利益を集中させる恐ろしい資本主義です。つまり金持ちを超金持ちにする資本主義)
●日本全体が大ニュースで話題になっている時(大災害や感染症、もちろん戦争はその最たるもの)、確実にその裏をかいて国民が知らぬ間に政府に都合の良い法案がどんどん決まってゆきます。
↓
●サザンの歌【Relay〜杜の詩】の中に「いつもいつも思ってた。知らないうちに決まってる」という歌詞があります。これはまさに「銀杏並木の伐採だけではなく、国民が知らないうちに決まる増税・値上げ・天下り、国内よりも各国への数々の援助優先、戦争への間接的な加担、他」を歌っているようにも思えてなりません。これは僕の曲解かもしれませんが。
↓
政府が進めたい(財務省、企業、そして米が推している)過激な政策や法案はいつのまにかすんなりと議会を通る。企業からは多額の政治献金が入る。さらに企業の上層部は、その利益により莫大な報酬(キックバック)を得ることになるウィンウィンの関係です。防衛費を増やして高額兵器をたくさん買ってもらった米も大喜びの構図です。
↓
しかし、メジャーなマスコミは分かっていても突っ込んだ取材はせずニュースにもしません。この責任は大きいと思います。
このマスコミは以下の理由により変わってゆきました。
↓
●メジャーマスコミが変わり始めたのは、2012年頃から。そして決定的になったのは、ある女性大臣(高市早苗)の「(放送局の)電波の停止がない、とは断言できない」と放送局への行政指導の可能性を示唆した「2016年2月8日の衆議院予算委員会」からだと思っています。
事実、その後、官邸記者が、政権に都合の悪いニュースを止めさせたり、番組にクレームをつけるのは業務の一環になっていった可能性があります。
報道関係者はそれが悪いとは分かっていても、上層部の指示に従わざる得ない完全な板挟み状態。こうなると「放送法4条(政治的に公平、事実を曲げない、他)」とは何だったのかとも思ってしまいます。もちろん、テレビ報道は本当のこともたくさん伝えています。
↓
●また一部の起業家・資産家たちは、政府寄りにしていた方が自身の資産を増やせるため、SNSなどでも政府寄りの意見を堂々と述べています。実は、彼らは裏事情をよ〜く分かっています、誰よりもよ〜く。でも、平和よりも自身の資産を増やす事がなによりも重要。事実コロナやロシ・ウク他大惨事で関連株価が爆上がりして目の色が変わっている訳です。

彼らの特徴として、自分と意見の合わない人達をバカ呼ばわりする器の狭さがあり、これはほぼ共通しています。ここに見えてくるものがあります。
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●これでは以下に記載した「◆満州事変から急に変わりだした報道機関の責任」の92年前と近いものを感じてしまいます。というのも「ショック・ドクトリン」という言葉がなかった太平洋戦争が起きた頃から、この力関係が存在していたことが分かったからです。
あと最近は三権分立が成り立っていないと思うことが割と増えて来ました。と軽く書いてますが、これって民主主義国家としてはとんでもないことです。
このところまた政治と金の問題が表立っていますが、この対策として「1,現金ではなく口座を作る。 2,政治の世界も国民のように国税庁が監視する。 3,会計責任者だけでなく政治家本人に責任を負わせる。4,献金は国民がネットで確認しリアルタイムのグラフで確認できるようにする。」などはいかがでしょうか。
↓
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●そこで、そんな悪事とは独立したAIに政府の「ある一部だけ」を任せてみるのはどうかと。
例えば↓
なんといってもベースは国民主権(議員は国民の代理で仕事をしている)なので、国民が知らない間にか決まってしまうのはどうみてもおかしい。
そこで国民がルールを決めたAIが、そのルールに則って、今どんな法案が議論されているかを人の意志を介さず逐次自動的に特定の場所にアップする。国民はいつでも閲覧できる。意見も言える。それをAIがまとめ、詳細なDB化をして、ボタン一つでグラフ化して、、。また、議論なして決めてしまう事がないように厳しく監視。もちろんルールは自在に変更できる。
こんな使い方でもまずはいいのかと、素人の僕は思うのですが。
↓当然、現政権は大反対するでしょう。でも政治のレベルが格段に上がったステージで政治が出来ると思います。日本のレベルが上がります。
ただ地盤から担ぎ上げられた世襲政治家や、簡単な質問にすら答えられない知名度だけの政治家は不要になるでしょう。つまり、まともな政治家はさらに必要になります。そのことを賢い国民は分かっていると思います。
↓
●当初、僕はAIが(怖いため)とても嫌っていました。ことあるごとにAIの悪口ばかり言っていました。しかし、兄(姉の旦那、と言っても50年以上の付き合いで僕の一番の理解者)から、そこまで嫌う前に真剣に使ってみたの?と質問され我に返りました。するとAIを使えば使うほど自分の考えが間違っていることに気付きました。今AIは嫌うものではなく道具として利用してしまう、つまり自分の部下にしてしまう時代に入っていると。過去に、携帯・スマホを強く否定していた人達も結局は使っています。
今、各企業は見えない所ですでにAIをどんどん活用しています。この激流パワーは誰にも止めようがありません。すでに始まってしまった以上、否定せず活用せざる得ないのかと。その理由は以下の通りです。
↓
●例えば250年前の産業革命の時、自動織機(今ならAI)を敵と決めつけ大きなハンマーで壊し続けた布職人たち(少し前の僕)。しかし、その破壊行動を見ると、当初応援していた国民も、彼らのやっている行動が人類の未来も壊しているのではないかと気付いた分岐点がありました。すると国民は彼らの破壊行動を強く非難し始めたのです。
その時から、時代は大きく変わり始めたわけです。実は、彼らのように布を知り尽くした職人こそが機械(今ならAI)を有効活用できることを知ったからでもあります。
尚、この産業革命の部分は、産業革命を絶賛している訳でなく、世界を悪い方法に変えてしまった側面があることも意識はしています。しかし、上記で書いたように背に腹は変えられない状態になってしまっているための苦肉の策です。
ちなみに現在(2023年9月)のAIは、ネット上の情報を何でも知っています、が、残念ながら7歳児。しかし、どんな質問にも何の忖度もなく即座に答える7歳児。このAIを部下にして一部だけで有効に使い続けられるかどうかは、人間の英知にかかっているでしょうし、そうしなければなりません。
----------------------
■上記の追加で、小学生と総理の意見交換・質問会。
小学生が総理に「何故〇〇をしているんですか? 〇〇をしないんですか?」という素朴で究極な質問を総理の目の前で行い、その場で総理が答える。小学生は「総理、私たちには絶対に嘘を言わないでください。私たちの顔を見て話してください」と総理の目を見て真剣に言う。これを公開で行い定期的に続ける。こんな夢のようなことが出来る世の中にならないでしょうか。
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●もちろん上記の各幼稚な内容では「いい年をして仕組みも知らずに、無理に決まってるだろう」と大笑いされる方がほとんどだと思います。さらに目的も不純です。しかし、駄目出しや反対もとても大切な事ですが、具体案の提示も大切かと。そして「対策と手段」を考え都度修正してゆけば何かのきっかけにならないだろうかと思ったわけです。とは言っても僕の能力ではこの程度しか思いつきませんでした。今後も勉強して考え続けてゆきます僕なりに。
しかし、SNSをメインにしてしまうと同類の意見しか入ってこないため、自身の考えが偏ってしまう恐怖があります。たぶんそれには本人が一番気づいていないような気がしています。そのため情報源は幅広くしたいと考えています。
このことを、エコーチェンバー現象(自分に近い意見だけの世界に入っていると、そこが心地よく、結果、意見の違う人を否定したくなる)と言うらしいです。
■■今回この通史メモを書いてわかったこと↓
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次に、この通史メモを書いてみて自分なりに分かったこと。それは最初に書いた2つの疑問とも「際限のない欲」と「気づかない洗脳」に起因しているのではないか、ということでした。
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■まず「際限のない欲」■
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自然界の動物に肥満が皆無なのは、際限のない欲がないからということに気づきました。もちろん「欲」は動物にもあります。しかし「際限のない欲」は人間だけかと。
同時に、際限のない欲がなければ戦争は起こらないのではと。全ての戦争の始まりは「必要以上」の我欲で、「際限のない」欲がさらに人々を深みに落としていることがわかりました。ここにも一つの答えがあるのかもしれません。
↓
■個人的に気づいたことは、過去、経営をメインにしてた時の「我欲」です。
「自社の利益さえあれば多少のことは、、」という我欲を強く持ってしまっていた時期が長くありました。恥ずかしながら他社の利益などほどんど考えていませんでした。これは軽蔑されても仕方ありません。
↓
■さらに印象深かったのは、FBでの数々の出会いです。たくさんの出会いがあるので、お一人だけの例を。
その方は東日本大震災時、即現地に移動され、我欲などそっちのけ現地で何年間も私財(たぶん数千万)を投じてボランティアを続けた稀有な方です。その時の勲章が今その方の脚に。ボランティアのため、当時経営していた会社まで清算され取り組みました。しかし、行政の裏の汚い部分もさんざん見て経験してきたようです。僕には到底真似のできない偉大な方との出会いでした。
その時から、時代は大きく変わり始めたわけです。実は、彼らのように布を知り尽くした職人こそが機械(今ならAI)を有効活用できることを知ったからでもあります。
尚、この産業革命の部分は、産業革命を絶賛している訳でなく、世界を悪い方法に変えてしまった側面があることも意識はしています。しかし、上記で書いたように背に腹は変えられない状態になってしまっているための苦肉の策です。
ちなみに現在(2023年9月)のAIは、ネット上の情報を何でも知っています、が、残念ながら7歳児。しかし、どんな質問にも何の忖度もなく即座に答える7歳児。このAIを部下にして一部だけで有効に使い続けられるかどうかは、人間の英知にかかっているでしょうし、そうしなければなりません。
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■上記の追加で、小学生と総理の意見交換・質問会。
小学生が総理に「何故〇〇をしているんですか? 〇〇をしないんですか?」という素朴で究極な質問を総理の目の前で行い、その場で総理が答える。小学生は「総理、私たちには絶対に嘘を言わないでください。私たちの顔を見て話してください」と総理の目を見て真剣に言う。これを公開で行い定期的に続ける。こんな夢のようなことが出来る世の中にならないでしょうか。
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●もちろん上記の各幼稚な内容では「いい年をして仕組みも知らずに、無理に決まってるだろう」と大笑いされる方がほとんどだと思います。さらに目的も不純です。しかし、駄目出しや反対もとても大切な事ですが、具体案の提示も大切かと。そして「対策と手段」を考え都度修正してゆけば何かのきっかけにならないだろうかと思ったわけです。とは言っても僕の能力ではこの程度しか思いつきませんでした。今後も勉強して考え続けてゆきます僕なりに。
しかし、SNSをメインにしてしまうと同類の意見しか入ってこないため、自身の考えが偏ってしまう恐怖があります。たぶんそれには本人が一番気づいていないような気がしています。そのため情報源は幅広くしたいと考えています。
このことを、エコーチェンバー現象(自分に近い意見だけの世界に入っていると、そこが心地よく、結果、意見の違う人を否定したくなる)と言うらしいです。
■■今回この通史メモを書いてわかったこと↓
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次に、この通史メモを書いてみて自分なりに分かったこと。それは最初に書いた2つの疑問とも「際限のない欲」と「気づかない洗脳」に起因しているのではないか、ということでした。
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■まず「際限のない欲」■
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自然界の動物に肥満が皆無なのは、際限のない欲がないからということに気づきました。もちろん「欲」は動物にもあります。しかし「際限のない欲」は人間だけかと。
同時に、際限のない欲がなければ戦争は起こらないのではと。全ての戦争の始まりは「必要以上」の我欲で、「際限のない」欲がさらに人々を深みに落としていることがわかりました。ここにも一つの答えがあるのかもしれません。
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■個人的に気づいたことは、過去、経営をメインにしてた時の「我欲」です。
「自社の利益さえあれば多少のことは、、」という我欲を強く持ってしまっていた時期が長くありました。恥ずかしながら他社の利益などほどんど考えていませんでした。これは軽蔑されても仕方ありません。
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■さらに印象深かったのは、FBでの数々の出会いです。たくさんの出会いがあるので、お一人だけの例を。
その方は東日本大震災時、即現地に移動され、我欲などそっちのけ現地で何年間も私財(たぶん数千万)を投じてボランティアを続けた稀有な方です。その時の勲章が今その方の脚に。ボランティアのため、当時経営していた会社まで清算され取り組みました。しかし、行政の裏の汚い部分もさんざん見て経験してきたようです。僕には到底真似のできない偉大な方との出会いでした。
↓
■話は我欲から離れますが、他にも多くの尊敬できる大好きな友人がFBにはたくさんいます。友人自身の身の回りの事、家族の事、趣味の事、仕事の事、考えている事、悩んでいる事、作った・食べた食事、観た映画、描いた絵、撮った写真、、、お互い会ったことがなくても、それぞれ名前を明かしてのコミュニケーションはFBの魅力です。中にはプロも凌駕するような写真をサラッと撮ってしまう方もいて、僕の創作意欲も掻き立てられる、とても大切な場所です。そして一応に文章表現が見事。
●ただ僕の欠点は「この人は僕と気が合う」と思うと、嬉しくていきなり馴れ馴れしくなってしまう点です。一度ある方からご指摘を受けて気にするようにしましたが、気づくといつのまにかまたやってしまう悪い癖です。
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■話は我欲から離れますが、他にも多くの尊敬できる大好きな友人がFBにはたくさんいます。友人自身の身の回りの事、家族の事、趣味の事、仕事の事、考えている事、悩んでいる事、作った・食べた食事、観た映画、描いた絵、撮った写真、、、お互い会ったことがなくても、それぞれ名前を明かしてのコミュニケーションはFBの魅力です。中にはプロも凌駕するような写真をサラッと撮ってしまう方もいて、僕の創作意欲も掻き立てられる、とても大切な場所です。そして一応に文章表現が見事。
●ただ僕の欠点は「この人は僕と気が合う」と思うと、嬉しくていきなり馴れ馴れしくなってしまう点です。一度ある方からご指摘を受けて気にするようにしましたが、気づくといつのまにかまたやってしまう悪い癖です。
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■次に「洗脳」■
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洗脳は宗教だけに限らず本人が一番気づかない、偏った妄信的な価値観と認識しています。これにより他人(他国)と相容れない価値観が、いつのまにか人の器を小さくし、強い欲は憎しみに変わり戦争に発展してしまうのかと。そして、洗脳に気付かない脳が戦争終結を遠ざけている。と僕は素人ながら考えるようになりました。
↓
■個人的には、僕が小1の時に洗脳で母を亡くしたことです。小さかった当時の僕はいつも「あの時、僕が止められてたら。そして今ここに少しでも現れて来てくれたなら、、、」と毎日考え続けていた情けない子供でした。恥ずかしながら今でもその想いが時々よぎり消えてくれません。強烈なトラウマなので一生消えないでしょう。
しかし、当時、母が自分自身を責めるようになった洗脳の恐ろしさを後に気付くことになります。大切な人を亡くしてからでは遅すぎる、と心から思うようになりました。
ただ最近は「悲劇+時間=喜劇」と思えるようになってきました。人生ってそんなもんでしょう。実はこれもFBFのお蔭なのです。
↓
今、僕にとってFBの友人はとても重要です。いろいろな楽しい話や時には議論も出来ます。そのFBで出来た大切な友人達に嫌な思いをさせてしまったり、感情優先で生産性のない口論は絶対にしたくありません。もちろん大切な友人までも洗脳でなくしたくありません。
■母の件とは別に、いきなりナチスの件です。TOPの思惑による群集や集団の「差別対象探し」の根深さもベースは「洗脳」です。集団は、いずれ民族や国家のアイデンティティになって正当化されてゆき、違う集団・民族を憎みだしますし、そうなるとTOPはおもいのまま集団を操れます。走り出した集団はバッファローの群れのように誰も止められません。また、集団ヒステリー(ある一人を発端として集団に連鎖する現象)も気づかない洗脳の一つだと思っています。
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洗脳は宗教だけに限らず本人が一番気づかない、偏った妄信的な価値観と認識しています。これにより他人(他国)と相容れない価値観が、いつのまにか人の器を小さくし、強い欲は憎しみに変わり戦争に発展してしまうのかと。そして、洗脳に気付かない脳が戦争終結を遠ざけている。と僕は素人ながら考えるようになりました。
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■個人的には、僕が小1の時に洗脳で母を亡くしたことです。小さかった当時の僕はいつも「あの時、僕が止められてたら。そして今ここに少しでも現れて来てくれたなら、、、」と毎日考え続けていた情けない子供でした。恥ずかしながら今でもその想いが時々よぎり消えてくれません。強烈なトラウマなので一生消えないでしょう。
しかし、当時、母が自分自身を責めるようになった洗脳の恐ろしさを後に気付くことになります。大切な人を亡くしてからでは遅すぎる、と心から思うようになりました。
ただ最近は「悲劇+時間=喜劇」と思えるようになってきました。人生ってそんなもんでしょう。実はこれもFBFのお蔭なのです。
↓
今、僕にとってFBの友人はとても重要です。いろいろな楽しい話や時には議論も出来ます。そのFBで出来た大切な友人達に嫌な思いをさせてしまったり、感情優先で生産性のない口論は絶対にしたくありません。もちろん大切な友人までも洗脳でなくしたくありません。
■母の件とは別に、いきなりナチスの件です。TOPの思惑による群集や集団の「差別対象探し」の根深さもベースは「洗脳」です。集団は、いずれ民族や国家のアイデンティティになって正当化されてゆき、違う集団・民族を憎みだしますし、そうなるとTOPはおもいのまま集団を操れます。走り出した集団はバッファローの群れのように誰も止められません。また、集団ヒステリー(ある一人を発端として集団に連鎖する現象)も気づかない洗脳の一つだと思っています。
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◆今回の疑問・対策・収穫の話は上記↑までにし、次は通史に移ります◆
◆今回の疑問・対策・収穫の話は上記↑までにし、次は通史に移ります◆
■■■■■メニューへ■■■■■
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「欧州・日本の各通史それぞれの概要」(帝国には悲劇がある)
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■上記の項をもっと掘り下げるためには過去を知ることが何よりも重要と思い、以下に、この通史メモを書いてみました。通史素人が自分なりに調べた内容ですので粗ばかりかと。
まとめてみた感想は、いつの時代も、戦争が新しい技術を、そして人類の未来を決定付けていたという事実を改めて感じたことでした。
■上記の項をもっと掘り下げるためには過去を知ることが何よりも重要と思い、以下に、この通史メモを書いてみました。通史素人が自分なりに調べた内容ですので粗ばかりかと。
まとめてみた感想は、いつの時代も、戦争が新しい技術を、そして人類の未来を決定付けていたという事実を改めて感じたことでした。
■ということで、ここからは、まず「欧州」に移ります。その後「日本」へと続きます。
もちろん文化・文明、そして上記に関連し戦争のことも付け加えてゆきます。調べてみると欧州が過去に起こした戦争の多さには本当に驚きます(メニュー下部のリンクの通り)。またそれが日本の戦争にも影響し、結局、原爆投下とも無関係ではなかったことに驚きました。そこで、以下の通史メモにそれらの点も含めて書いてみました。
↓
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◆ここから「通史メモ」に入ります◆
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◆まず、人類が人類を大きく(良・悪)変えた事象から↓(1万年前が最大の転機でしょう)ここは箇条書きで。
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■7万年前、認知革命。
複雑な言語で想像したことを他者へ、虚構を共有できるようになる。つまり、実体がなくても虚構を信じることで成り立つ世界が出来上がる。後の宗教、階級、お金、革命、、ひいてはAIなど、虚構の世界が始まり今に繋がる。
↓
■ホモ・サピエンスだけが生き残って(数万年前?)から1万年位前までの間共有の時代。
人類は、みんなの食物をみんなの土地で分け合った。柵はなく神は自然だった。今は完全に廃れた。
↓
■1万年前、農業(新石器)革命後。集団の争いが始まる。
保存できるようになった穀物と定住により人が住むようになった土地(含:資源)。人が増えてくると、悪人や、かつてなかった階級により生まれたリーダーがそれらを盗むようになった。リーダーはみんなが生きる上で必要な欲を越え「際限ない欲」を次々に貪り始める。すると敵を入れないための柵や人を殺す武器が必要に。これが正義と指導された部下たちには「気づかない洗脳」が確実に浸透。
これが戦争の出発点となり、後の「第一次世界大戦(日露戦争がきっかけになった100年の悲劇)」からの「核兵器(人類最大の失敗)」に繋がっているのではないかと。(もちろんいいことも数え切れず)
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■7万年前、認知革命。
複雑な言語で想像したことを他者へ、虚構を共有できるようになる。つまり、実体がなくても虚構を信じることで成り立つ世界が出来上がる。後の宗教、階級、お金、革命、、ひいてはAIなど、虚構の世界が始まり今に繋がる。
↓
■ホモ・サピエンスだけが生き残って(数万年前?)から1万年位前までの間共有の時代。
人類は、みんなの食物をみんなの土地で分け合った。柵はなく神は自然だった。今は完全に廃れた。
↓
■1万年前、農業(新石器)革命後。集団の争いが始まる。
保存できるようになった穀物と定住により人が住むようになった土地(含:資源)。人が増えてくると、悪人や、かつてなかった階級により生まれたリーダーがそれらを盗むようになった。リーダーはみんなが生きる上で必要な欲を越え「際限ない欲」を次々に貪り始める。すると敵を入れないための柵や人を殺す武器が必要に。これが正義と指導された部下たちには「気づかない洗脳」が確実に浸透。
これが戦争の出発点となり、後の「第一次世界大戦(日露戦争がきっかけになった100年の悲劇)」からの「核兵器(人類最大の失敗)」に繋がっているのではないかと。(もちろんいいことも数え切れず)
↓
■3000年前、一神教の出現。
アメンホテプ(アメンヘテプ or アクエンアテン)4世により一神教が作られ、モーセにも影響を与える。
その1400年後、ローマ帝国のテオドシウス帝が一神教を国教として強制、異宗教同士の争いが絶えなくなった。ある宗教戦争(第五回、十字軍)で「そもそも同じ神を信じているのだから」と戦わずして和平を結んだ王に対し教皇が「悪魔に魂を売った奴」として破門、その狭量さには根深いものを感ぜずにはいられない。これは今も別の形で。
■3000年前、一神教の出現。
アメンホテプ(アメンヘテプ or アクエンアテン)4世により一神教が作られ、モーセにも影響を与える。
その1400年後、ローマ帝国のテオドシウス帝が一神教を国教として強制、異宗教同士の争いが絶えなくなった。ある宗教戦争(第五回、十字軍)で「そもそも同じ神を信じているのだから」と戦わずして和平を結んだ王に対し教皇が「悪魔に魂を売った奴」として破門、その狭量さには根深いものを感ぜずにはいられない。これは今も別の形で。
(ただし現在の信者の方々の隣人愛、博愛や赦しの精神、宗教によっては相互扶助、、、他は真実なのかと。そしていいこともそれはそれは多くあります。しかし僕は無宗教なので不案内、これ以上無責任には書けません。どなたかご教示を)
↓
■500年前、科学革命。
観察・実験による知識の体系化。この世は神が作った訳ではない、もちろん祈っても病気は治らない。この考えから生まれたのが「啓蒙思想」でアメリカの独立、フランス革命、産業革命(次項)にも影響。
↓
■500年前、科学革命。
観察・実験による知識の体系化。この世は神が作った訳ではない、もちろん祈っても病気は治らない。この考えから生まれたのが「啓蒙思想」でアメリカの独立、フランス革命、産業革命(次項)にも影響。
↓
■250年前、産業革命。
イギリスではインドから入る綿織物で仕事がなくなったと反発があり国内生産に、しかしコストが高く一時停滞。そこで紡績機が開発された。動力は長年続いた人や動物ではなく蒸気に。つまりエネルギーが食物(筋肉)から燃料(動力)に変わった時。それは人や物の移動ひいては武器製造にも広がり、農から工へ、これが産業革命。イギリスには上質な無煙炭が他国よりはるかに多く埋蔵されていたことも大きい。地下水を汲み上げるために熱・蒸気の動力利用を発明し、その後、蒸気を動力にタービンを回す仕組みは現在の原子力発電でも使われている。公害も地球温暖化もこの時から始まる。
その後、食糧生産が増えると平行して人口も急増。都市が出来、働く場所が家ではなくなり、時間の概念が太陽から時計に変わる。労働の価値を時間で計る概念もこの時に生まれる。日本へは100年遅れで伝わる。
意外な視点ではこの産業革命と戦争を利用して暴利を得たあるグループ(R家)がその後の世界を変えたとも。そして一部の資本家だけにお金が集まるように、今はそれがさらに。少し時間が空いてドレフュス事件(後の三枚舌に影響)からのシオニズム。
↓
■110年前、第一次世界大戦。
安易に始めたこの戦争が後の100年の悲劇を生み、以下、今に続く4つの大変革が。この第一次のきっかけが日露戦争(第0次世界大戦)です。
・不戦条約で一時、人類史上最高の平和が訪れる。その後すぐに日本が不戦条約を破った。それを真似たヒトラーが他国に侵攻し「第二次世界大戦を勃発させ、また全世界をさらにひっくり返す。
・米国の大国化=「国土は戦場にならず被害なし、多額の経済援助を各国に対して行い発言力急増、超大国へと。そして禁断の核兵器の開発」
・ロシア革命=「レーニンにより社会主義がこの世に初めて生まれる。その後、複数の独裁国家・権威主義国家へと変貌、今もあらたな侵略が」
・三枚舌外交=「数多くの紛争、テロ、難民。それは湾岸戦争、日本国政の方向転換、9.11※、イラク戦争、ガザ侵攻・紛争、クルド紛争、シリア内戦、アフガン紛争などの遠因にも。ショック・ドクトリン(大惨事便乗型資本主義)に世界経済は操られることに。メディアの情報操作や過度な演出(演技)が原因で戦争が始まっていたことや、宗教問題が戦争を長引かせていることを人は後に知ることになる」。ちなみにシオニズムの発端はドレフュス事件。
※三枚舌でオスマン帝国の一部をクウェートとして独立させたことが、その後の湾岸戦争のきっかけを作り、ビン・ラディンは、湾岸戦争以降も中東に米軍が駐留しているのを非常に憤慨していたことからの9.11。
■250年前、産業革命。
イギリスではインドから入る綿織物で仕事がなくなったと反発があり国内生産に、しかしコストが高く一時停滞。そこで紡績機が開発された。動力は長年続いた人や動物ではなく蒸気に。つまりエネルギーが食物(筋肉)から燃料(動力)に変わった時。それは人や物の移動ひいては武器製造にも広がり、農から工へ、これが産業革命。イギリスには上質な無煙炭が他国よりはるかに多く埋蔵されていたことも大きい。地下水を汲み上げるために熱・蒸気の動力利用を発明し、その後、蒸気を動力にタービンを回す仕組みは現在の原子力発電でも使われている。公害も地球温暖化もこの時から始まる。
その後、食糧生産が増えると平行して人口も急増。都市が出来、働く場所が家ではなくなり、時間の概念が太陽から時計に変わる。労働の価値を時間で計る概念もこの時に生まれる。日本へは100年遅れで伝わる。
意外な視点ではこの産業革命と戦争を利用して暴利を得たあるグループ(R家)がその後の世界を変えたとも。そして一部の資本家だけにお金が集まるように、今はそれがさらに。少し時間が空いてドレフュス事件(後の三枚舌に影響)からのシオニズム。
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■110年前、第一次世界大戦。
安易に始めたこの戦争が後の100年の悲劇を生み、以下、今に続く4つの大変革が。この第一次のきっかけが日露戦争(第0次世界大戦)です。
・不戦条約で一時、人類史上最高の平和が訪れる。その後すぐに日本が不戦条約を破った。それを真似たヒトラーが他国に侵攻し「第二次世界大戦を勃発させ、また全世界をさらにひっくり返す。
・米国の大国化=「国土は戦場にならず被害なし、多額の経済援助を各国に対して行い発言力急増、超大国へと。そして禁断の核兵器の開発」
・ロシア革命=「レーニンにより社会主義がこの世に初めて生まれる。その後、複数の独裁国家・権威主義国家へと変貌、今もあらたな侵略が」
・三枚舌外交=「数多くの紛争、テロ、難民。それは湾岸戦争、日本国政の方向転換、9.11※、イラク戦争、ガザ侵攻・紛争、クルド紛争、シリア内戦、アフガン紛争などの遠因にも。ショック・ドクトリン(大惨事便乗型資本主義)に世界経済は操られることに。メディアの情報操作や過度な演出(演技)が原因で戦争が始まっていたことや、宗教問題が戦争を長引かせていることを人は後に知ることになる」。ちなみにシオニズムの発端はドレフュス事件。
※三枚舌でオスマン帝国の一部をクウェートとして独立させたことが、その後の湾岸戦争のきっかけを作り、ビン・ラディンは、湾岸戦争以降も中東に米軍が駐留しているのを非常に憤慨していたことからの9.11。
↓
■80年前、ついに核兵器(第一次世界大戦がらみ)。
農業革命がきっかけで、人が人を殺す道具が生まれたが、現時点ではその最終形が核兵器かと。つまり攻撃者に被害が及ばず、一気に大量殺人が出来る目的で作られた。しかし、現在はその存在が人類にとって大きな問題になっている。200年間、中立のスウェーデンでさえNATOや核兵器に頼るように、少し前の核軍縮だった世界が急速に変わり出した。その背景にウクライナが核を放棄(ブタペスト合意)しなければ侵略されなかったという論調もある。
●世界で唯一核兵器の被害にあった日本人がこのことについて議論しなくなってしまうと、必要悪としていつまでも存在し、最悪、人類にとって必要なものになってしまう可能性も否定できなくなってきた。とにかく全世界においてナガサキが最後であってほしいと願うばかり。
ではどうするか、核兵器の被害や恐ろしさを知らない国が多すぎることを考えると、まずは実態を知ってもらうしかない。残留放射線量の隠された真実と黒い雨の実態を米は今も認めていないことも深刻。
核兵器については、◆リンク→「核兵器について」で少し触れています。
■80年前、ついに核兵器(第一次世界大戦がらみ)。
農業革命がきっかけで、人が人を殺す道具が生まれたが、現時点ではその最終形が核兵器かと。つまり攻撃者に被害が及ばず、一気に大量殺人が出来る目的で作られた。しかし、現在はその存在が人類にとって大きな問題になっている。200年間、中立のスウェーデンでさえNATOや核兵器に頼るように、少し前の核軍縮だった世界が急速に変わり出した。その背景にウクライナが核を放棄(ブタペスト合意)しなければ侵略されなかったという論調もある。
●世界で唯一核兵器の被害にあった日本人がこのことについて議論しなくなってしまうと、必要悪としていつまでも存在し、最悪、人類にとって必要なものになってしまう可能性も否定できなくなってきた。とにかく全世界においてナガサキが最後であってほしいと願うばかり。
ではどうするか、核兵器の被害や恐ろしさを知らない国が多すぎることを考えると、まずは実態を知ってもらうしかない。残留放射線量の隠された真実と黒い雨の実態を米は今も認めていないことも深刻。
核兵器については、◆リンク→「核兵器について」で少し触れています。
農業革命も一神教も産業革命も大切、、、だから難しい問題。しかし日露戦争と、安易に始めた第一次世界大戦とそれに伴う核兵器開発はなんとか避けられなかったのでしょうか。
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◆人類には上記のような共通ともいえる大きな流れがありました。
しかし、最初に書いたように日本以外にも約200ヶ国弱ほどの国々が違う文化で生活をしているわけです。なのに「日本はこうだけど、海外では、、(その逆も)」のように「海外を一括り」で分けてしまう僕の視点に疑問を持つ事が増えてきました。
そこで、特に近代史にとって世界中に影響を与えた欧州と、僕らの暮らす日本についても調べてみたいとも思いました。この点がこの通史メモのテーマ、欲・洗脳にもつながるからでもあります。
◆次に、欧州、日本の通史的概要について。
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◆日本◆(ユーラシア東の果てに存在、旧石器人、縄文人として数万年独自の文化が熟成、2千年ほど前に移住してきた渡来人により人種が変わると共に新しい文化・文明・殺戮も、150年前の明治維新後から急激に変貌)
↓
【出アフリカ後、ヒマラヤの南と北を経て人が流入、長く旧石器人・縄文人が続くが、後に渡来人が加わり激変】
旧石器(日本呼)、縄文と世界でも珍しい人殺しのない数万年、信じる文化の為、文字がなかったとも、縄文後半は稲作も少し。
【最初の大変革、遺伝子が変わる】2千年少し前、渡来系の流入により倭国の遺伝子が急変、稲作が本格化、土木・建築、金属加工、絹織物、文字等の文明とともに、馬具、甲冑、武器等も入り殺戮・争いが増え出す弥生時代 ➡ 2種の人種が生活。
【2番目の大変革、倭国から日本へ】古墳、飛鳥を経て仏教、天皇中心、律令制で倭国から日本へ、特殊な文化。
↓
奈良、平安、武家政権。(源平、鎌倉、室町、戦国、一神教は入り込まず徳川政権で250年戦争がなく庶民文化が発展。奈良から江戸時代までの間は現在への影響の少なさを鑑み大変革には入れず)。
【3番目の大変革、明治維新】日本はプロイセン(ビスマルク等)の影響で富国強兵と禁断の統帥権の独立、好戦的な国家へ急変 ➡ 急速な近代化 ➡ 朝鮮半島を巡って始まった日清に勝利し大利を得、関東州を獲得してしまう(後に影響大・世界を狂わす) ➡ 栄光ある孤立のイギリスが最初に選んだ同盟国は日本 ➡ 日露の辛勝 ➡ 第一次世界大戦では被害なく勝利し大利(ドイツ領の山東半島および南洋諸島)を得る ➡ 関東大震災の動乱の鎮静で軍があらたに復活(後に軍の過信に繋がる) ➡ 弥生時代以降負け知らずの日本は神の国と信じ込んでしまう ➡ 欧州の植民地政策を真似て大陸進出、満州国を建国、国連脱退(マスコミの影響で国民は強く支持) ➡ 決められないトップが招いたノモンハン(対ソ連・北進の陸軍)その結果により決まった南進が本格化(対ソ連より資源を求めたのが海軍で陸軍は補佐、結果、両軍が責任の押し付け合い) ➡ 無茶な三国同盟が世界大戦のきっかけに ➡ 南進の反動がABCD包囲網+ハルノート ➡ 禁じ手のマレー半島と真珠湾攻撃 ➡ 開戦半年以降は連続して負け続けるが、一撃講和を唱えるばかり ➡ 誰も責任を取りたくないため負けを認ず数々の停戦和平提案を黙殺 ➡ その結果、無差別大空襲、沖縄戦と多くの民間人の命が犠牲に ➡ ついに2回目の原爆投下とソ連進軍で無条件降伏へ ➡ 9月2日の降伏文書調印の間にも多くの戦死者が。
【4番目の大変革、戦後の復興】「日本国になって初めての敗戦」「非軍事化」「天皇の人間宣言(国家神道の解体)」「民主化」「日本国憲法」「朝鮮戦争」「日米安保」「国際社会への復帰」 ➡ 軍事力を米に任せ驚異的な経済発展、いきなりGNP世界2位へ ➡ 三枚舌の影響でオイルショック、ここで日本の成長が終わる ➡ 一時的なバブルが原因で世界競争力ランキング1989年に世界第1位 ➡ 同じく三枚舌が遠因にある湾岸戦争時「小切手外交」と揶揄され、翌年PKO協力法成立、日本の外交姿勢がこの時から激変➡ 2012年頃からマスコミは政府に迎合 ➡ 諸外国への支援金が増えるも全て国会審議が不要の特別会計から ➡ 国連認定の貧困国の一部に(まだ初期の段階だがモンゴル、南米他と同じレベル) ➡ 実は成長鈍化はオイルショック以降も続いており、且つ少子高齢化、2022年には一気に世界競争力ランキングが34位に急落 ➡ 先進国で日本だけが給与上がらず ➡ さらに諸外国への支援は増え続け(今も米国と財務省の思惑通り)国内は増税 ➡ 税収を増やし企業献金を増やす目的、マスコミは電波停止発言以降、一切報道せず ➡ 様々な影響で物価急上昇・度重なる増税 ➡ GDPはドイツに抜かれ4位、いずれインドにも抜かれ5位へ ➡とにかく国民が政治に興味を持って投票率を上げないと日本の未来は厳しいかと。 【現在】
※本文である程度詳細を書いたつもりですが「欧州」と「日本」を端折りに端折ると以下のような流れになります。
↓
↓
◆欧州◆(古典・古代の伝統、キリスト教、ゲルマン民族、数多くの国同士の争い、貧困、大航海時代、二つの革命、世界の中心、二つの大戦、東欧革命)
↓
【出アフリカ後、コーカサスを経て人が流入、地中海人種、ラテン人、ゲルマン人、スラヴ人や少数民族等】
【古典・古代】4万年前、現存する世界最古の創造アートであるライオンマン(模写ではなく世の中にないものを創り出した)が今のドイツで作られる ➡ 四大文明から少し遅れての古代ギリシャ ➡ 中心は古代ローマへ移り大繁栄 ➡ アレクサンドロスのヘレニズム ➡ 多神教だったカエサルのローマ帝国終盤にいきなり一神教(キリスト教「キ教」)を国教化、この一神教が宣教や独特の形態で広まり、その後の世界の争いに大きな影響を。
【ここから中世】ゲルマン人の大移動で西欧州は大混乱 ➡ 分裂した西ローマ帝国は滅亡 ➡ 教会は豊かに、庶民は清貧と博愛で貧しく ➡ 欧州は狭く複雑な地形、当時は場所によっては一部を除き植物の育成には適さず ➡ 環境的に収穫効率の悪い小麦中心で狭い土地の争奪戦 ➡ 争奪戦が増えると異文化が増え、同時に民族が増え必然的に国が増える ➡ 地域や宗教が「近くて違う国」ほど争いの種が多くなる ➡ 争いが始まってしまうと憎しみは募るばかり ➡ 取った取れれたで欧州内では限界(大飢饉も) ➡ 欧州はユーラシアで一番貧しくなり物々交換の庶民 ➡ またも同神異教(自作)の争いである十字軍で裕福なビザンツ(東ローマ)・イスラムを知ってしまう(欧州の文化には良い影響も) ➡ 平行してレコンキスタで領土は広げられることを知りはじめる ➡ 十字軍とルネサンスでキ教の信頼はがた落ち ➡ 東ローマ帝国滅亡と百年戦争(英仏、ジャンヌ・ダルクの名が)の終結。
【ここから近世】横長ユーラシアは同一気候もあり数々の文明が各地から流入発展し出す(逆に縦長のアフリカ大陸・アメリカ大陸は発展しなかった) ➡ 大航海時代(キ教の抵抗勢力に対抗することもあり海外に宣教し活路を見出すことがきっかけ) ➡ 米大陸での歴史的悪行で大量の虐殺や感染症※、および資源を米大陸から奪取(※すでに欧州人には家畜からの感染症抗体があり、意図せずそれが米大陸に対しての生物兵器に) ➡ 多くの国々を植民地に(その後、宣教と侵略がセットになるが日本は免れた) ➡ 三十年(宗教)戦争(カトリック対プロテスタント)で当時、最大の死者数を。
【ここから近代】啓蒙思想からのアメリカ独立の影響でフランス革命 ➡ ナポレオンが欧州全体を揺るがし神聖ローマ帝国が滅亡 ➡ 海洋覇権を握った英に資金が集まり産業革命を成功させ筋肉(食料)から動力(燃料)へ移行、同時に欧州は世界の中心へと ➡ ドレフュス事件からのシオニズム ➡バルカン半島が火種になり変わったばかりのヴィルヘルム二世の悪政他で安易に始めた第一次世界大戦(W1) ➡ 和平目的だった元のビスマルク体制が逆行し欧州や世界は狂いだす ➡ 長年敵対していた英仏が手を組む ➡ W1がもたらした5大事象(社会主義や独裁権威国家の台頭。帝国主義から国民国家へ。米国の大国化。三枚舌外交による根深い憎しみの連鎖。ヒトラーの出現による第二次世界大戦開始で世界は再びどん底へ) ➡ 終戦、ドイツを分割したことで冷戦。
【ここから現代】管理通貨制度で通貨の発行が金から離れ実質無制限に、理由は戦費獲得 ➡ ビートルズの影響やゴルバチョフの出現も起因した東欧革命で冷戦終結、NATO対ロシアの構図 ➡ EU(国境、関税、通貨の統一)で1つの地域としてまとまる ➡ 中世とは逆に西欧州は豊か東欧州は貧しい時代 ➡ 無責任な三枚舌外交の後処理が出来ず対テロ、戦争や難民が世界中に蔓延 ➡ 独裁権威国家が他国に侵略、第三極国家も生まれる ➡ 中東問題も根深くなり、世界は再度、不安定・不透明な時代へ ➡ 【現在】。
【古典・古代】4万年前、現存する世界最古の創造アートであるライオンマン(模写ではなく世の中にないものを創り出した)が今のドイツで作られる ➡ 四大文明から少し遅れての古代ギリシャ ➡ 中心は古代ローマへ移り大繁栄 ➡ アレクサンドロスのヘレニズム ➡ 多神教だったカエサルのローマ帝国終盤にいきなり一神教(キリスト教「キ教」)を国教化、この一神教が宣教や独特の形態で広まり、その後の世界の争いに大きな影響を。
【ここから中世】ゲルマン人の大移動で西欧州は大混乱 ➡ 分裂した西ローマ帝国は滅亡 ➡ 教会は豊かに、庶民は清貧と博愛で貧しく ➡ 欧州は狭く複雑な地形、当時は場所によっては一部を除き植物の育成には適さず ➡ 環境的に収穫効率の悪い小麦中心で狭い土地の争奪戦 ➡ 争奪戦が増えると異文化が増え、同時に民族が増え必然的に国が増える ➡ 地域や宗教が「近くて違う国」ほど争いの種が多くなる ➡ 争いが始まってしまうと憎しみは募るばかり ➡ 取った取れれたで欧州内では限界(大飢饉も) ➡ 欧州はユーラシアで一番貧しくなり物々交換の庶民 ➡ またも同神異教(自作)の争いである十字軍で裕福なビザンツ(東ローマ)・イスラムを知ってしまう(欧州の文化には良い影響も) ➡ 平行してレコンキスタで領土は広げられることを知りはじめる ➡ 十字軍とルネサンスでキ教の信頼はがた落ち ➡ 東ローマ帝国滅亡と百年戦争(英仏、ジャンヌ・ダルクの名が)の終結。
【ここから近世】横長ユーラシアは同一気候もあり数々の文明が各地から流入発展し出す(逆に縦長のアフリカ大陸・アメリカ大陸は発展しなかった) ➡ 大航海時代(キ教の抵抗勢力に対抗することもあり海外に宣教し活路を見出すことがきっかけ) ➡ 米大陸での歴史的悪行で大量の虐殺や感染症※、および資源を米大陸から奪取(※すでに欧州人には家畜からの感染症抗体があり、意図せずそれが米大陸に対しての生物兵器に) ➡ 多くの国々を植民地に(その後、宣教と侵略がセットになるが日本は免れた) ➡ 三十年(宗教)戦争(カトリック対プロテスタント)で当時、最大の死者数を。
【ここから近代】啓蒙思想からのアメリカ独立の影響でフランス革命 ➡ ナポレオンが欧州全体を揺るがし神聖ローマ帝国が滅亡 ➡ 海洋覇権を握った英に資金が集まり産業革命を成功させ筋肉(食料)から動力(燃料)へ移行、同時に欧州は世界の中心へと ➡ ドレフュス事件からのシオニズム ➡バルカン半島が火種になり変わったばかりのヴィルヘルム二世の悪政他で安易に始めた第一次世界大戦(W1) ➡ 和平目的だった元のビスマルク体制が逆行し欧州や世界は狂いだす ➡ 長年敵対していた英仏が手を組む ➡ W1がもたらした5大事象(社会主義や独裁権威国家の台頭。帝国主義から国民国家へ。米国の大国化。三枚舌外交による根深い憎しみの連鎖。ヒトラーの出現による第二次世界大戦開始で世界は再びどん底へ) ➡ 終戦、ドイツを分割したことで冷戦。
【ここから現代】管理通貨制度で通貨の発行が金から離れ実質無制限に、理由は戦費獲得 ➡ ビートルズの影響やゴルバチョフの出現も起因した東欧革命で冷戦終結、NATO対ロシアの構図 ➡ EU(国境、関税、通貨の統一)で1つの地域としてまとまる ➡ 中世とは逆に西欧州は豊か東欧州は貧しい時代 ➡ 無責任な三枚舌外交の後処理が出来ず対テロ、戦争や難民が世界中に蔓延 ➡ 独裁権威国家が他国に侵略、第三極国家も生まれる ➡ 中東問題も根深くなり、世界は再度、不安定・不透明な時代へ ➡ 【現在】。
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◆日本◆(ユーラシア東の果てに存在、旧石器人、縄文人として数万年独自の文化が熟成、2千年ほど前に移住してきた渡来人により人種が変わると共に新しい文化・文明・殺戮も、150年前の明治維新後から急激に変貌)
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【出アフリカ後、ヒマラヤの南と北を経て人が流入、長く旧石器人・縄文人が続くが、後に渡来人が加わり激変】
旧石器(日本呼)、縄文と世界でも珍しい人殺しのない数万年、信じる文化の為、文字がなかったとも、縄文後半は稲作も少し。
【最初の大変革、遺伝子が変わる】2千年少し前、渡来系の流入により倭国の遺伝子が急変、稲作が本格化、土木・建築、金属加工、絹織物、文字等の文明とともに、馬具、甲冑、武器等も入り殺戮・争いが増え出す弥生時代 ➡ 2種の人種が生活。
【2番目の大変革、倭国から日本へ】古墳、飛鳥を経て仏教、天皇中心、律令制で倭国から日本へ、特殊な文化。
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奈良、平安、武家政権。(源平、鎌倉、室町、戦国、一神教は入り込まず徳川政権で250年戦争がなく庶民文化が発展。奈良から江戸時代までの間は現在への影響の少なさを鑑み大変革には入れず)。
【3番目の大変革、明治維新】日本はプロイセン(ビスマルク等)の影響で富国強兵と禁断の統帥権の独立、好戦的な国家へ急変 ➡ 急速な近代化 ➡ 朝鮮半島を巡って始まった日清に勝利し大利を得、関東州を獲得してしまう(後に影響大・世界を狂わす) ➡ 栄光ある孤立のイギリスが最初に選んだ同盟国は日本 ➡ 日露の辛勝 ➡ 第一次世界大戦では被害なく勝利し大利(ドイツ領の山東半島および南洋諸島)を得る ➡ 関東大震災の動乱の鎮静で軍があらたに復活(後に軍の過信に繋がる) ➡ 弥生時代以降負け知らずの日本は神の国と信じ込んでしまう ➡ 欧州の植民地政策を真似て大陸進出、満州国を建国、国連脱退(マスコミの影響で国民は強く支持) ➡ 決められないトップが招いたノモンハン(対ソ連・北進の陸軍)その結果により決まった南進が本格化(対ソ連より資源を求めたのが海軍で陸軍は補佐、結果、両軍が責任の押し付け合い) ➡ 無茶な三国同盟が世界大戦のきっかけに ➡ 南進の反動がABCD包囲網+ハルノート ➡ 禁じ手のマレー半島と真珠湾攻撃 ➡ 開戦半年以降は連続して負け続けるが、一撃講和を唱えるばかり ➡ 誰も責任を取りたくないため負けを認ず数々の停戦和平提案を黙殺 ➡ その結果、無差別大空襲、沖縄戦と多くの民間人の命が犠牲に ➡ ついに2回目の原爆投下とソ連進軍で無条件降伏へ ➡ 9月2日の降伏文書調印の間にも多くの戦死者が。
【4番目の大変革、戦後の復興】「日本国になって初めての敗戦」「非軍事化」「天皇の人間宣言(国家神道の解体)」「民主化」「日本国憲法」「朝鮮戦争」「日米安保」「国際社会への復帰」 ➡ 軍事力を米に任せ驚異的な経済発展、いきなりGNP世界2位へ ➡ 三枚舌の影響でオイルショック、ここで日本の成長が終わる ➡ 一時的なバブルが原因で世界競争力ランキング1989年に世界第1位 ➡ 同じく三枚舌が遠因にある湾岸戦争時「小切手外交」と揶揄され、翌年PKO協力法成立、日本の外交姿勢がこの時から激変➡ 2012年頃からマスコミは政府に迎合 ➡ 諸外国への支援金が増えるも全て国会審議が不要の特別会計から ➡ 国連認定の貧困国の一部に(まだ初期の段階だがモンゴル、南米他と同じレベル) ➡ 実は成長鈍化はオイルショック以降も続いており、且つ少子高齢化、2022年には一気に世界競争力ランキングが34位に急落 ➡ 先進国で日本だけが給与上がらず ➡ さらに諸外国への支援は増え続け(今も米国と財務省の思惑通り)国内は増税 ➡ 税収を増やし企業献金を増やす目的、マスコミは電波停止発言以降、一切報道せず ➡ 様々な影響で物価急上昇・度重なる増税 ➡ GDPはドイツに抜かれ4位、いずれインドにも抜かれ5位へ ➡とにかく国民が政治に興味を持って投票率を上げないと日本の未来は厳しいかと。 【現在】
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欧州人の特徴と個性
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欧州人に対して一部、失礼なことも書いていますが、これは「価値ある個性」です。また、正しい情報がありましたら是非ご教示ください。
尚、この項では「欧州人」について記載していますが、この後に「日本人」についても触れています。
その日本人(モンゴロイド)は「人類の成長形」という研究があるようです。その背景として世界でもっとも知的な国々ランキング※は、1位「台湾」、2位「日本」、3位「ハンガリー(マジャル人で旧モンゴロイド)」、4位「韓国」、5位「イラン」、6位「香港(国?)」、、、となっています。
※Worldwide IQ Testを運営するWiqtcom Inc.による(2022年5月16日)
個人的には「人類(骨)→人種(血)→民族(文化)」という構図と勝手に思っていますが、今回は欧州の人種について、僕なりに調べたこと、思ったことを書いてゆきます。お読みいただけましたら本当に嬉しいです。
■まずゲルマン人から↓


■ゲルマン人(コーカソイド)
●色白・金髪・青い目(アフリカに比較して欧州は紫外線量が少なくビタミンD合成のためには肌が薄い色の方が有利、髪と目はそれと連動?、7000年程前からの変化でそれ以前は褐色の肌、濃い色の目・髪だったらしいが、いろいろな混合があった様子)。
●長頭(狩猟時の反撃を避けるため顔の幅を狭く、その分おでこと後頭部は出て、脳の容積は他人類とほぼ同じ)。
●目が大きい(薄暗い時間帯に狩りを行う習性のため+視野を広く)。
●彫がとても深い(日差しをよけるため、日差しの強い地域の人種が北上したためその名残り)。眉と目が近いためメガネをかけても眉がメガネから上に出ないのもこのため。
●鼻が高い(体内に空気が入る距離を長くし乾燥から守る、これは乾燥した中東人も)。
●口元が凹んでいる(堅いものを引きちぎらず、切って食べる文化になって久しいため遺伝に組み入れられ凹んだ、と口腔外科の先生が。歯や歯茎は割と簡単に変形し易いとも)。
●アゴが前に出ている(理由わからず乞うご教示)。
●背が高い(男性の平均183cm、サピエンスの一種であるクロマニョン人の影響で寒い地域の恒温動物は体が大きいというベルクマンの法則)。
●筋肉質(同じくクロマニョン人の影響)。逆にモンゴロイドはアレンの法則(体や突出部の手足も小さく可愛らしくなった。これは欧州で誉め言葉としてよく聞きます)。
●体毛が濃く毛根は楕円形(乾燥から体を守るため、毛根が楕円形だと癖毛になりさらに効果大)。、、、等々。
一般的に言われている「白人」とは屈強なゲルマン人が大元だと思っています。また、皮膚が白い(黒くない)ニグロイド以外の人種はネアンデルタール人の遺伝で、我々モンゴロイドの肌が黒くないのもその影響らしいです。
●現代人としては、飲食時は空気を一緒に飲み込まない(以下にその背景を記載)、皿や器を持ち上げて食べない(立食時は別)、外見を具体的に褒めない(褒めるなら内面)、目を見て話す、自己主張が強い、マメにあいづちをうたない、意味なく謝罪しない、結論から話す、間違いを上手く指摘する、人種が一緒でも言語が違う、等、、欧州共通の文化を踏襲。
●つまり食べる時に口の音を立てない。この理由を彼らに聞いたところ「空気を肺以外に入れるのは体に悪いから。そして空気を飲み込んでしまうとゲップやオナラの原因になるから」と言ってました。
●さて、ゲルマン人は、クロマニョン人の影響を一番受けている人種(ハプログループI)で、大食漢お酒に強く肉などの油の多い食物を消化する胃腸の持ち主、ベースは狩猟民族系。元々、ドイツ、デンマーク、北欧の一部などの寒い森に棲んでいた人種のため寒さに相当強いのは確か。今でも冬にコートの下はTシャツ1枚だったりします。また、新奇探索性(Novelty Seeking)つまり新しいものに興味をいだく遺伝子が強く、ドーパミンの量が関係しているようです。
●ドイツをジャーマンというのはゲルマンが語源。ゲルマンとはラテン人が付けたらしくグルゲルと訳の分からない言葉を話す人という蔑称らしいのです。
「ゲルマン」の語源として、ケルト語 gairm (叫び)に由来するという説があり「騒々しい民」という蔑称。または「貪欲な民」を意味する Geramanniz (cf. OHG ger "greedy" + MAN) になったとする説もあるようです。大雑把な性格は今にも受け継がれているような気がしています。
●ドイツをジャーマンというのはゲルマンが語源。ゲルマンとはラテン人が付けたらしくグルゲルと訳の分からない言葉を話す人という蔑称らしいのです。
「ゲルマン」の語源として、ケルト語 gairm (叫び)に由来するという説があり「騒々しい民」という蔑称。または「貪欲な民」を意味する Geramanniz (cf. OHG ger "greedy" + MAN) になったとする説もあるようです。大雑把な性格は今にも受け継がれているような気がしています。
●フン族の移動が要因となったゲルマン人の大移動でイギリスやラテン地方、他の西欧州各地にもちらばり西ローマ帝国滅亡要因の1つにも、他にもキリスト教の国教化と急激な普及も1つの要因としてはあったでしょう。
彼らは当時、文化的・知的とされていたラテン語を話せませんでしたが、持ち前の体力を活かし西欧州内に広がっていったようで、一時期はローマ人の傭兵になっていた時代もあったようです。とはいっても、後の欧州の元を作ったカール大帝(ピピンの子)もゲルマン人でした。
●上記、宗教に関連して、本来、聖書(十戒も)では偶像崇拝禁止。でも宗教画、彫刻が増えた理由があるようです。それは、西側に増えて来たゲルマン人にも宣教したかった訳ですが、彼らはラテン語が分からないし聖書も読めない。そのため、絵や彫刻で理解し易くせざる得なかったようです。
ご存じのように、上記が原因で東側のビザンツ帝国は「聖像禁止令(726)」まで出しローマ教会と揉めに揉め、結果的にローマ教会がビザンツ帝国の庇護から離れ、カトリック(とにかく広めたい。後にプロテスタントがここから派生)とギリシャ正教会(とにかく聖書の教えが重要。後に聖像はイコンとして平面像だけが復活)に分裂して行った訳です。ゲルマン系国家にはプロテスタントが多いようです。
■■現在のイギリス人に対する超個人的な印象を(産業革命と広大な植民地で全世界に良悪の影響を与えた国)
他人と同じことをするのを嫌い「流行っている・売れている」という判断基準を嫌がる(この点は少しフランスと違う?でもよく分からないです)。「個性的」が判断基準で小学生程度でも個性的だから価値があると判断する子が多い。同じく小学生程度でも政治の話をし且つ内容が論理的で驚くことがある。TOK=セオリー・オブ・ナレッジという(学問の哲学のような)授業が大分前から。またディベートを最重要視するのはお国柄でしょう。僕も以前、英国の10歳程度の子から「日本の憲法九条の存在意義」について質問されて驚いた経験が。
算数は、答えから式を作る問題に重きを置いている。例:通常のイメージだと「25+25=〇」(イギリスでもこのパターンはあります)。しかし、「50にする計算式を複数考えろ」という問題がメインで、どんどん複雑になってゆく。式を解くのではなく、式を作る学習。
■■あと変わったところでは、プレゼントする場合ほとんど自分で包み直している(そもそもデパートのラッピングは有料だしあまり使わない)。ワイングラスのステムを持たずボウルを持つ人が多い(国賓を迎える時の女王もボウルを持っている。でもワイナリーなどは背景が特殊なので違うのかも)、ロングパスタはスプーンを使わない(このワインやパスタはフランスや他の欧州でも同じで、日本のマナーとは違うみたい)。プロポーズの時に男性は片膝をつく(たぶんほとんど)。子供の時からレディーファースト。年齢や結婚の有無について聞かない。自分の血液型を知らない。食事中に鼻をすするのは非常に失礼、食事中のおならより失礼(その場で鼻をかむのはOK)。レストランで一人で食事する人は皆無じゃないけど稀有。お葬式の時の香典のような文化はなく、変わりにチャリティーに寄付するなど。もちろんチャリティーは非常に普及している。旅行でお土産の習慣がない。配偶者や子供を人前で褒める。最近スリッパに履き替える家が少しだけど増えて来た感じ。まだ少し残っている階級による発音の違い(これはイギリスらしい)等、、。また、英語と米語の違いは非常に多い。
■日本と共通した部分は「島国」。文化では「礼儀作法(P's and Q's)」がある点でしょうか。特にイギリス南部では他の欧州とは違い日本に少し近い「すみません」的な言葉を使う人や直接的言葉を避けて遠回しな言い方をする人が結構います。あと、お茶や庭文化にも少し近いものを感じています。北部ではだいぶ違うようで、あのサッカーのフーリガンも北部出身者がほとんどのようです。
一般的に言われるイギリスとは、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの連合王国(UK)で、中世のマグナ・カルタをきっかけに出来た立憲君主制国家※です。宗教も少し変わっていて、王(ヘンリ8世)が離婚したい理由で独自のイングランド国教会を作ってしまいます。
※マグナ・カルタ(大憲章)は1215年に「国王であっても法の下にある」という原則を初めて明文化しました。この「法の支配(Rule of Law)」の理念は、王権の制限や立憲主義、議会制の出発点となり、イギリスの法体系や社会の根幹に深く根付いています。
■イギリスが大きく変わったのはマグナ・カルタの存在かもしれません。
当時イギリスには際立った産業はなく裕福な国ではなかったわけです。
しかし、度重なる戦争で軍事費は必要でした。そこで王の上の存在(王も守らなければならない憲章)としてマグナ・カルタという憲章を作りました。
これによりそれまでの「税金」として国民から徴収していたお金以外に、国民から借金しようという考えが生まれました。例えば国債とか紙幣です。これらの保証(これらはただの紙ではなく、ちゃんと「金」に変換しますから安心して使って)の背景がマグナ・カルタです。これはその後、世界にも広まります。
その後に起こった産業革命で作って売る国に変貌しイギリスは世界トップの大国に躍り出るわけです。
産業革命でそれまでの帝国のやり方(領土を広げて税金を取る)から、安い材料を仕入れ自国で加工し、他国に高く売るという帝国の形が出来上がります。
しかし、18世紀の後半には、国債の返還で財政が苦しくなったため、北アメリカの13の植民地に課税するようになった。これがきっかけでアメリカの独立戦争が起こり、フランスがアメリカに加勢して、ついにアメリカは独立。
その影響でフランスはフランス革命に至ることになります。
■ついでにフランス革命を少しだけ(詳しくは本文を)
上記でアメリカの独立を知ったフランス。しかしその戦争でフランスの経済がひっ迫。当時のフランスは平民だけに課税していたが、貴族にも課税すべきと市民が立ち上がった。これがフランス革命。
革命後、ナポレオンが突然現れ、欧州を征服、国民の人気は大変なものに。いろいろな逆戻り(王政)も経験しながらもフランスは国民国家になって行きました。国民国家になったということは戦争に国民が参加するという意味もある。
■戻って17世紀前半、上記の国教会の革命が起き弾圧を受けた清教徒(ピューリタン)102人がアメリカに移住し、その時に作ったメイフラワー誓約が後のアメリカの根幹を作ります。
その後アメリカは世界の大国だったイギリスを脇においやり、王や独裁者のいない?自由の国、国民主権?として世界の超大国になり今に至っています。
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■次にラテン人↓


■ラテン人(コーカソイド)
色白ではなく中には少し濃い色も、黒や茶髪、茶目(青や黒も)、長頭で目が大きく彫が深い、鼻が高い、あごが前に出ている、口は凹んでいる、背丈(男性の平均は176cm)や筋肉および体毛は普通、、等。ベースは農耕民族系。
色白ではなく中には少し濃い色も、黒や茶髪、茶目(青や黒も)、長頭で目が大きく彫が深い、鼻が高い、あごが前に出ている、口は凹んでいる、背丈(男性の平均は176cm)や筋肉および体毛は普通、、等。ベースは農耕民族系。
●飲食時は空気を一緒に飲み込まない、皿や器を持ち上げて食べない(立食時は別)、外見を具体的に褒めない(褒めるなら内面)、目を見て話す、自己主張強い、マメにあいづちをうたない、結論から話す、間違いを指摘する、意味なく謝罪しない、人種が一緒でも言語が違う、等、、欧州共通の文化を踏襲。ラテン系国家にはカトリックが多いようです。
●ローマ帝国の頃のラテン人の容姿は、今よりももっと中東系が強かったようですが、前述の大移動でゲルマン系が入り混じったのかと考えています。
彼らは、イタリア以外にも、スペイン、ポルトガル、フランスにも。また少し離れてルーマニア(ローマの土地という意味)もラテン系。南米にラテン系が多いのは、ラテン人が南米を侵略したことがそもそもの原因で、その後の移住も。
●ラテン語はローマ帝国以前の古代ローマからの公用語。その背景からか文化的、知的と言われていたようです。ちなみにラテンの語源はイタリア中部の「ラティウム」から。そしてルネサンスもイタリアから。
●ローマ帝国の頃のラテン人の容姿は、今よりももっと中東系が強かったようですが、前述の大移動でゲルマン系が入り混じったのかと考えています。
彼らは、イタリア以外にも、スペイン、ポルトガル、フランスにも。また少し離れてルーマニア(ローマの土地という意味)もラテン系。南米にラテン系が多いのは、ラテン人が南米を侵略したことがそもそもの原因で、その後の移住も。
●ラテン語はローマ帝国以前の古代ローマからの公用語。その背景からか文化的、知的と言われていたようです。ちなみにラテンの語源はイタリア中部の「ラティウム」から。そしてルネサンスもイタリアから。
ラテン文字は、ざっくりいうとローマ字(ラテン・アルファベット)のことで大航海時代を境に世界中に広まります。
言語は「イタリック語族系」でその系統はイタリア語とフランス語等、現在もラテン語を使っているのはバチカン市国だけ。「ヘレニック語派」はギリシャ語のようです。
●暖かい地域だからなのか性格は「きわめて明るく、きわめて情熱的で、きわめて激しい」というイメージを持っています。僕の経験ですが、以前イタリアの外店で、お釣りを間違えたと苦情を言った男性客に対して、お金を投げつけた女性店員を見たことがあります。男性はお金を拾っていました。これは特殊な例なのかもしれませんが、それに近いような経験は何度かしました。●フランスは元々ガリアですが、カエサルのガリア戦記の通りローマ帝国領となりラテン人が多くなったようです。ゲルマン人の大移動で一時は超えたライン川とドナウ川ですが、結局はその2つの川の影響でゲルマンとラテンが北東・南西に分かれたことは事実のようです。
●情熱的な部分。ルネサンスは、教会の権威で抑圧された人間の愛を復興させ、愛欲も隠さず古代ギリシア・ローマへの回帰をめざす精神によりイタリアで生まれています。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、この三大巨匠もイタリア人です。
●情熱的な部分。ルネサンスは、教会の権威で抑圧された人間の愛を復興させ、愛欲も隠さず古代ギリシア・ローマへの回帰をめざす精神によりイタリアで生まれています。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、この三大巨匠もイタリア人です。
パリは芸術の都といわれていますが、その要因はルーヴル美術館が出来たための影響かもしれません。しかし、ルーヴルにある作品は、あのナポレオンがイタリアから戦利品として持ち帰ってきたものも多くあります。その後、返還されたものもたくさんありますが。
ナポレオン関連ではないですが、ルーヴル美術館にとって最初のメイン絵画になった「モナ・リザ」、また「聖アンナと聖母子」「洗礼者聖ヨハネ」もダ・ヴィンチですし、他の有名絵画も。「奴隷」の2体もミケランジェロ、ラファエロの作品も「美しき女庭師」や他にも結構あります。またルーヴルの三大名作と言われる「モナ・リザ」以外の「ミロのヴィーナス」も「サモトラケのニケ」も古代ギリシャ、地中海付近から生まれたものです。
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■そしてスラヴ人↓
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■そしてスラヴ人↓


色白、金髪(茶・黒も)、青い目(茶・黒も)、長頭と中頭の間位で彫は少し深い、鼻は少し高い、あごは少し前に出ている、口は少し凹んでいる、背丈は割と高く、筋肉、体毛は普通、等。カルパチア山脈北方で農耕生活を行っていたとされます。遺伝子的にはコーカソイドのY染色体ハプログループ以外にも北アジアのハプログループNも見られるようです。
●モンゴロイドがわずかに入っているせいか、口は少し小さいような、大きく口を開けて笑う人もゲルマン人よりは少ないような気がしています。
飲食時は空気を一緒に飲み込まない、皿や器を持ち上げて食べない(立食時は別)、外見を褒めない(褒めるなら内面)、目を見て話す、マメにあいづちをうたない、意味なく謝罪しない、人種が一緒でも言語が違う、等、、欧州共通の文化を踏襲。東方正教会が多いようですが、西スラブはカトリック、南スラブにはイスラムも混じっているようです。
●言語は、バルト・スラヴ語派系で、話される地域は、東ヨーロッパ、バルカン半島、バルト海東岸等。
●ロシア、ウクライナ、ベラルーシ(東スラヴ人)、東欧(西スラヴ人)、バルカン半島(南スラヴ人)などに住み、欧州では一番多い人種です。まれに蒙古斑のある赤ちゃんが生まれるのは、たぶんフン族、モンゴル族の侵入によりモンゴロイドとゲルマン人と入り混じった影響かと。
「スラヴ」という言葉はロシア語で「弱い」という意味がることから、差別的な言葉「奴隷」の語源という研究もあるようですが、確証はないようです。
●西欧人と東洋人のハーフ(ダブル・ミックス)を色白・青目にしたような容姿をしている人も多いです。割と無口で大人しく、会話などでも西側とは違い大げさな表現を使わないイメージがあります。尚、鬱病が多いという研究もあるようです。
●東欧のハンガリーに関しては遊牧民のマジャル人が多く、この国が間にあるためラヴ人が西と南に分割されています。またバルカン半島にかつてあったユーゴスラビアは南のスラヴという意味から出来た国名らしいです。いきなり飛んでアメリカのイリノイ州にもスラヴ人が多いようです。
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■最後にサミー人↓


色白、金or茶髪、青い目(茶・黒も)、中頭で彫は浅い(奥二重も)、鼻は低い、あごは少しだけ前に出ている、口は凹んでいるが少し出ている人も、背丈は少し高い、筋肉、体毛は少ない、、等。
飲食時は空気を一緒に飲み込まない、皿や器を持ち上げて食べない(立食時は別)、目を見て話す、マメにあいづちをうたない、意味なく謝罪しない、人種が一緒でも言語が違う、等、、欧州共通の文化を踏襲。アミニズムが多いようです。
●スラヴ人以上にモンゴロイドの系統が強い人種(たぶんフン族・モンゴルの影響かも)で、時々蒙古斑のある赤ちゃんが生まれるようです。遺伝子的には、やはりハプログループNが強く見られるようで、結果としては北方系少数民族に分類されています。ノルウェー、スウェーデン北部、フィンランド北部、ロシア北西部に。今でもトナカイを追う遊牧生活をしている人たちもいます。
●僕の想像ですが、フン族に追われたゲルマン人が西に逃げたため、フン族は空いたスカンジナビア半島全域に住み始めゲルマンとの混合も進んだのかと。しかし、その後、純コーカソイドが力を持ち始めた為サミー人達はノルウェー海、バレンツ海側に上り(ラップランドに)残ったのではないか?と考えています。もしくは、イヌイットからの影響も大きかったのではとも考え始めています。もちろんこれは完全な想像なので、もっと学術的な背景があると思います。
●おとなしく無口、真面目な性質で「鬱病遺伝子」「強迫性障害」の研究の対象になっているほどです。モンゴロイド並みに学業が得意であっても、コーカソイドからは差別を受けています。(この件はサミー人系の監督が作った「サミーの血」という映画で知りました。出演もほぼサミー人。サミー人独特のヨイクという無伴奏の唄も非常に魅力的です)
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◆今回入れなかった欧州の人種(民族?)
■「ケルト人」は欧州に幅広く住んでいましたが、現在ではほぼ同化されイギリスの北部に少し残っているかもしれない程度とのこと。赤毛が多かった程度しかわからず、人種的に詳しいことは研究されていないのかもしれません。ちなみにモンゴメリの「赤毛のアン」の舞台はカナダのプリンス・エドワード島ですが、アンはスコットランドから移住したケルト人の子孫だと言われています。
■「ヴァイキング(ノルマン人)」は、角(つの)付兜のイメージが強い北方ゲルマン人とも言われおり、一部では英国王室の先祖ともいわれています。しかし、442人のゲノムの塩基配列を解読した最近の研究では、人種的な特定が難しかったらしいのです。
■「アーリア人」はヒトラーで有名になりましたが、人種名ではなく、インド・ヨーロッパ語族を指した非常に幅広い民族名。ちなみに「高貴な人」という意味らしいです。ナチスが強烈に差別したユダヤ人(アシュケナージ系つまり白人系のユダヤ人で全体の80%を占める)も実はアーリア人。
■「マジャル人(ハンガリー人)」コーカソイド化した元モンゴロイドと言われていますが、非常に多様な人種および民族の混血らしく特定が難しいようです。
■「ロマ人(ジプシー、ボヘミアン、ジタンとも)」は、タロット占いで有名なインド北部に祖を持ちながらも後から入ってきたコーカソイドに虐げられ欧州各地に流れて来た国を持たない流浪の民です。彼らが奏でる音符のない独特の音楽や民族舞踊には深い哀愁があり欧州の音楽に非常に多くの影響を与え、ファド、フラメンコ、スウィングもロマが元という研究者もいます。しかし、一部で彼らの祖はドラヴィダ人ではとも言われていますが人種的にはよくわからないことが多いため、ケルト人、ノルマン人、アーリア人、マジャル人、同様ここには入れませんでした。
尚、■ユダヤ人もすでに人種ではなく民族ですので含めていません。ご存じの通り、とても酷い迫害の歴史があります。中東の各種問題も2000年以上も前からの歴史が背景に。さらにドレフュス事件と第一次世界大戦の三枚舌外交により、取り返しのつかない民族衝突を余儀なくされ今に至っています。
詳しくは◆リンク→「ユダヤ人とは」と「100年の悲劇を作った三枚舌外交」をご覧ください。
●欧州それぞれの言語については、ご存じのように欧州言語のベースが「インド・ヨーロッパ言語」からの派生。なぜここにインドが付くかというと、「母」をインドのサンスクリット語では「Matar」、ギリシャ語でも「Matar」、英語では「Mother」と似ていて、共通の文法も多いという研究からのようです。この言語の大元はやはりコーカサス地方の近くで、正確には東ヨーロッパ狩猟採集民とコーカサス狩猟採集民の混合らしいのです。ゲルマン語派、ケルト語派、イタリック語派、バルト・スラブ語派、ヘレニック語派などがメインで、ここから枝分かれして現在数多く存在しているヨーロッパ各国の言語になりました。さらに南東に下りた民族が、イラン狩猟採集民、ヒンディー語群、トラヴィダ語族になりつながったわけです。上記でも記載しましたがアーリア人のアーリアとは古代イラン語、古代インド語の両方での「アーリア=高貴な人」という意味らしいのです。そして一番古いインド・ヨーロッパ言語として分類されているのが「ヒッタイト語」。インド・ヨーロッパ言語系列の言語は世界人口の46%(32億人)が第一言語にしています。
■コーカソイドの人種的な特徴で分からないことがあります。どなたか教えてください。
一番わからないのが、アフリカから北上して、中東でいきなり人種の顔が大きく変わっている点です。つまりニグロイドとコーカソイドはだいぶ顔が違いますよね。例えば同じコーカソイドの中でも中東人から欧州人への変化は理解できます。上記の通り気候の変化により変わっていった点とクロマニョン人の影響を受けていたのかと。
●そこで思うのが、コーカサス地方(コーカソイドの語源)で新しい人種が生まれたのではないか?と個人的には考えています(地域的にノアの方舟ではないですが、もちろんアフリカ単一起源説はそのままに)。そこには[旧人]ネアンデルタール人の影響もあったのかと。確かに「ニグロイド以外の人種」にはネアンデルタール人の遺伝がわずかに残っていることは分かっています。色の白い人種はその影響らしく、もちろん日本人にもその遺伝が残っているようです。
でも、この影響であれだけ顔が変わる(ニグロイドからコーカソイドへの変化)のでしょうか。今のところ具体的な根拠が分かりません。どなたかご教示いただけないでしょうか。
●あるいは、アフリカから一気に欧州へ移動したグループが気候的な影響で容姿がアフリカンとは大きく変わり、その後、再度、ラテン経由で中東に戻ったのではないないか?その後、東に移動したグループが気候的な影響でモンゴロイドに変っていったのではないか?とも考えています。
●最近の研究ではニグロイドにもネアンデルタール人由来のDNAが0.5%ほど混じっている人種がいることが分かったようです。その理由はアフリカから北上した後に再度南下した人類がいた為とのことでした。(コーカソイドには1.7%、モンゴロイドには1.8%)
また、オーストラロイドにはデニソワ人の遺伝も強く(4%)、モンゴロイドにも少し(0.3%)、コーカソイドには0%ともいわれています。
また、何故それぞれそのような容姿(一部文化)になったかについて僕が調べた範囲では、本文の ■リンク→「人類の顔・体の特徴(閲覧注意)」で少し記載しました。
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■「微笑み」についてどうしても分からないことがあります。こちらについても是非。
我々、日本人は、外で他人と目が合うと目をそらすと思います。知らない人と目が合って微笑むと気持ち悪るがられますよね。なので僕も今はしません。
●しかし、欧州人(含:米国および英連邦各国)は、外で見ず知らずの他人と目があうと、ほぼ(必ず)微笑みを見せます。彼らは意味もなく笑顔を見せる人種(民族含め)ではないのに、何故このような対応になるのだろうか? 知りたいのは、何故この違いが生まれたかです。さらに、日本に長く住んでいる欧米人は、日本人と目が合っても微笑まなくなってしまうことも事実のようです。理由を聞いてみると「気持ち悪がられるのが嫌で恥ずかしいから止めた」と聞きました。
●僕が少しだけ感じているのは、彼らは日本人とは違い大昔から完全支配されることを繰り返しています。上記の「欧州の戦争(紛争)一覧」はそれを顕著に表した例かと。そのため「自分は敵ではない」ということを証明するためのコミュニケーションの手段として、自然に出てきた文化なのかも、とうっすらとは考えてはいますが、、。確証が持てません。
●この疑問(他人に微笑む)について記載した本や資料が今だに見つからない状態です。これは真剣に探しています、どなたかご教示いただけないでしょうか。なぜ、この違いが生まれたのか気になって仕方ないですし、コミュニケーションにとってはとても大きな違いかと。
●ちなみに、日本人と欧米人ではオキシトシン(幸せホルモン)の量がだいぶ違う、という自治医科大学 尾仲達史教授の本は読んでみたのですが、オキシトシンには極端な両面があるので、その点もまだしっくりとはしていません。
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Copyright chitonitose
●世界を変えた大発明はどこから?と調べてみると「農耕」「文字」「貨幣」「車輪」「鋳鉄」「中央集権」はメソポタミアで。「方位磁石」「火薬」「製紙」「印刷」は中国でそれぞれ生まれ、その後、欧州に渡り広まっています。尚、欧州では、だいぶ後になり「火薬を使った武器」「蒸気機関」「内燃機関」「電気」が生まれています。
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欧州に国や争いが多い理由(年代順)
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◆気候や地形の特徴(キリスト教の国教化+効率の悪い小麦と狭い土地が争奪戦に)
●ローマ帝国の終盤キリスト教が国教化される頃、ゲルマン人の大移動で欧州は大混乱、分裂した西ローマ帝国は滅亡します。その後、教会は豊かに、庶民は清貧と博愛で貧しくなってゆきます。
さらに、当時の欧州は、その気候から植物の育成には適さず生産効率が悪く加工(粉にする等)しないと食べられない「小麦」がメインでした。そのまま食べられる米は欧州が乾燥地帯だったため育成しなかったようです。その上、小麦の収穫率は撒いた種に対して約4倍程度、片や米は20倍程度。さらに小麦は手間のかかる穀物(小麦の奴隷とはここから出た言葉)。つまり生産性も収穫率も悪く、手間がかかり、且つ狭い土地で生産するため、必然的に土地の争奪戦が各地で起こるという構図かと。
●さらに、地形的にも多くの山脈、川、海峡などがあり、他の民族と人種的に近くてもその統合が進まず、それぞれが別の言語、文化を持つことに。(欧州の農業生産が増え出すのは11世紀以降だが13世紀後半には大飢饉が)
地理的にも近い地域はいざこざも起こりやすい、歴史的に見ても問題がややこしくなるのは隣国同士。
とにかく欧州の戦争は他地域と比較するとあまりにも多いのです。◆リンク→「欧州の戦争一覧」

●気候が安定してくると、それぞれの領主の支配により独自の法が制定されて、隣国との違いが顕著になってゆきます。15世紀ころには小さな国も含めると約1000の国々が乱立していました。それが後に淘汰され国家になって行ったのではないかと考えています。
●欧州に国が多い理由はその辺りにあり、取った取られたの憎しみや際限のない「欲」がうごめきます。一度戦争が始まってしまうと民族は確実に「洗脳」され終戦が遠のいてしまうことは歴史が証明しています。
つまり、隣同士の「近い人種で違う民族」が多いため揉め事も多い、これが欧州に争いが多い理由の一つでもあるのかと考えています。

●この頃に、その後の世界を大きく変えてしまう「火薬を使った銃の原型(ハンド・キヤノン)」が欧州で開発されます。これが発展し広く使われようになった最初の史実が「巨大大砲」。この大砲で西ローマ帝国崩壊のあとも長く残っていた「東ローマ帝国」が滅亡しました。これをきっかけに後の「ニトロ化」、ノーベルの「爆弾」、「ピクリン酸」、「TNT」と発展してゆきます。
ちなみに火薬材料の中でも硝石は必須で貴重、日本の戦国時代も、この硝石の争奪戦があったようです。
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◆歴史的な背景(欧州は本当に貧しかった)

このため、遠い昔アレクサンドロス大王、ローマ帝国で世界を席巻した欧州は他の地域に比べ発展が大きく遅れてしまいます。ついには「ユーラシア大陸の後進地区」とまで呼ばれるまで落ち込みます。(ユーラシアとはヨーロッパとアジア「Europe+Asia」を混合した造語です)
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■十字軍の影響(裕福で知的なビザンツ・イスラムを知ってしまう)
当時、国教化した西側のキリスト教教会には課税がなく、逆に人民から税金を取り物販(ワイン・チーズ他)まで行っていたため大変潤っていました。それを見て自分達も聖職者になって教会をやりたいという人々が増えてきますが、その人事権は教皇が持っていました。そこで「聖職叙任権」が生まれますが、皇帝には与えませんでした。
●それに反抗した皇帝が「ハインリッヒ四世」、彼に対した教皇が「グレゴリウス7世」で、皇帝を破門してしまいます。すると皇帝は教皇に雪の中謝罪に行きますが中々会ってもらえず、結局、裸足で雪の中3日間待ち続け、何とか破門を解いてもらいます。これが「カノッサの屈辱」です。
それほど教皇の力は強かったわけです。ちなみに現在の欧州でも謝罪の時に「カノッサに行く」というくらいの慣用句にもなっているほどです。
これはそれまでのキリスト教の歴史(弾圧→公認→国教化)を考えると雲泥の差です。
●その後、同神異教(自作)である一神三教の聖地イスラエルをイスラム教のセルジューク朝が制圧するという事件が起きます。早速、取られたビザンツ帝国がローマ教皇に助けを求めます。教皇はカノッサの屈辱をちらつかせどんどん兵を集めることに。そこで出来た「エルサレム奪還軍」が「十字軍」です。十字軍は荘園の跡を継げない次男・三男が多かったようです。第一回はなんとか奪還しますが、直ぐに奪い返されてしまいます。

結果、教皇に変わり各国の王侯貴族が結束し、国家の結束が強くなってゆきます。これがキリスト教が広まる前に戻そうとする後のルネサンス(古代復興)にもつながってゆきます。ジャンヌ・ダルクの名が残った英仏の百年戦争もこのころで、封建領主は没落し王権が強化されます。
●しかし、十字軍も悪いことばかりではなく、ビザンツを真似、欧州各地に道路が整備され、商業も盛んになり貨幣も本格的に流通し出します。今の欧州の都市の原型はこの後に出来上がります。また、言語が「表音文字」ということもあり文字数が少なく活版印刷に適しており聖書をきっかけに彼らの文化文明が広がったのも理由の一つでしょう。逆にこの活版印刷がマスメディアの始まりになり、情報操作や戦争をあおってしまった経緯も否めないようです。
欧州が大きく変わる
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◆大航海時代で別大陸を我が物に(人類史上最大の悪行とも)
イベリア半島は北アフリカのウマイヤ朝により征服されてたった7年でイスラム教一色の国になりました。キリスト教は、北に逃げてわずかに残った小国「アストゥリアス王国」だけ。しかし、アストゥリアス王国は少しずつ南へ領土を取り戻し始めます。これが、イベリア半島のイスラム帝国からの奪回(再征服)を目的に始まった700年に及ぶ「レコンキスタ(国土回復運動)」のことです。(7年で征服されたものを700年かけて取り返すことになります)
●その間、数多くの国が出来では消えますが、ポルトガルだけが今も残っています。このレコンキスタにより、土地はどんどん広げられることをキリスト教国(スペイン)は知るわけです。また、北東側で広がってきたプロテスタントに危機感を覚え、では海外に広めようとしたこともあるようです。そんな時、当時の宝、香辛料の道でオスマン帝国により高い関税をかけられてしまいます。それならやはり西へと、つまり海を越えて香辛料が豊かなインドを目指そうと、まずはポルトガル(ガマ)の東回りから。それに影響されて次はスペイン(イタリア人-コロンブス)の西回りが。(スペインはインドへは行けませんでしたが)


また、欧州人は家畜から数々の感染症を受けた為、その抗体が出来ていました。それが意図せず家畜が少なかった原住民にとっては生物兵器のようにもなった事実もありました。さらに欧州は横長ユーラシア大陸の西端にあり、近い気候の他国から多くの文明が流入し発展しやすかったことも特徴で、縦長(文明が伝播しにくい)の米大陸との差は歴然でした。
●スペイン人にはこんな標語がありました。「アメリカ大陸はキリストの名の元にスペイン王国に与えられた土地であり、アメリカ大陸に住んでいる人たちはスペイン人に従わなければならない」「もしも彼らがこれに反抗しようとするなら、あらゆる手段を使ってでも従わせてよい」と。そして大陸のとんでもない量の資源(金・銀他)をスペインにもたらします。
●その背景として、こんな資料が見つかりました。(ラテンアメリカ史学者、大阪大学名誉教授、染田秀藤氏の「大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む」から)
1511年12月21日、ドミニコ会 A・モンテシーノ神父は、エスパニョーラ島はサント・ドミンゴ教会の説教台から次のように侵略者を糾弾しました。
「さあ、皆さん、答えなさい。あなた方は一体いかなる権利、いかなる正当性をもって、これらの民を、かくもみじめな、かくもおぞましい奴隷の状態で所有しているのかを。さらに、それらの土地であなた方は、前代未聞の殺戮と破壊をおこない、無数の民族を消滅してしまったではないか」
●この北南米侵略を皮切りに、アフリカ大陸、ユーラシア大陸、オセアニア大陸と、、、どんどん侵略を繰り返し豊富な資源や奴隷を欧州は早い者勝ちで独占し、邪魔する先住民を虐殺します。当時それらの大陸では「土地や資源はみんなのもの」という概念が当たり前でしたが、そこに「所有欲」という全く違う考え持った欧州人が殺傷能力の高い武器をもって入って行ったわけです。オセアニアなどでは先住民を害獣のように考えハンティングや他の方法で約90%を虐殺してしまいます。
●そもそも最初の侵略者はポルトガルで後にスペインがメインとなります。しかし、一時期は「太陽の沈まない国」とまで言われ繁栄したスペインも、米大陸から勝手に入ってくる資源に頼りすぎたため国内の産業が生まれずスペインはだんだんと衰退してゆきます。
それを見ていたオランダが参入、次にはイギリスが三角貿易で、フランスをはじめとする他欧州もそれに続き、後発の西欧州組も急激に経済力・軍事力が発展してゆきます。
(ちなみに、あのモンゴル大帝国も支配はしていましたが、抵抗しなかった民族の虐殺を行わず、さらに陸続きだけの緩い支配でした)
●その後、宗教戦争である三十年戦争が、カトリック(神聖ローマ帝国他)とプロテスタント(スウェーデン、デンマーク、フランス他)の間で始まり、結果、カトリック側の神聖ローマ帝国の国力は低下し、逆にプロテスタント側は領土を増やし豊になってゆきますが、後に遺恨を残すことになります。
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◆2つの大革命(フランス革命、産業革命)
しかし豊かになったのは王侯貴族や一部のブルジョアだけで、庶民は高い税金に悩まされていました。

●イギリスでは三角貿易で資力をため込んでいたこともあり「産業革命」(繊維産業、製鉄業、蒸気機関の発明による人や馬の筋肉(エネルギーは食料)を使っていら時代から、動力や交通(エネルギーは燃料)の発展からの都市化)を成功させ農から工へと転換、都市化が進む。
産業革命以降の武器は高性能化し、その後の全世界を大きく変えてゆきます。


ちなみに日本の資本主義はイギリスの100年遅れで始まっています。あわせて英語が世界に広がり始めたのもこの頃です。当時、欧州の植民地(準ずるを含む)にならなかった国は日本他数カ国だけです。
話はそれますが、19世紀のアイルランドのジャガイモ飢饉(ジャガイモの疫病)が要因で大量の人民が米新大陸へ移住したこともありました。このため米国にはアイルランド系の人民が多いようです。
争いは絶えず
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●欧州は世界の中心になってゆきますが、やはり元々別の国が狭い地区にひしめき合い、いがみ合っているのはそのまま、争いが絶えません。例えばスペインは1500年からの300年間の約8割をなんらかの争いに費やしています。イギリスもフランスも約5割以上を、つまり半分以上が争いの中(対外侵略、王位継承問題、農民反乱、他、、)でした。争いのベースは積み重なった憎しみと欲・洗脳なのかもしれません。

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◆ヨーロッパの火薬庫(ヴィルヘルム二世の悪政とバルカン半島民族のいざこざから第一次世界大戦へ)
特にバルカン半島やコーカサス地方は民族の数も多く他の欧州に比較しても多くの問題を抱えていました。例えばパン=ゲルマン主義、パン=スラブ主義、バルカン同盟、従来バルカンを抑えていたオスマントルコと、まさにヨーロッパの火薬庫状態でした。
●その頃ドイツのビスマルクと新しいヴィルヘルム二世が揉めだし、ビスマルクは首になってしまいヴィルヘルム二世の悪政がはびこり出します。またロシアの南下政策はバルカン半島だけでなく中国の遼東半島もありましたが、ロシアが日本に負けた為、バルカン半島1本になったこともあります。イギリスにとって最初の同盟だった日英同盟を皮切りにイギリスは各国と同盟を結んでゆきます。
●そんな時、オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合したことにより、またいろいろな偶然が重なり「サラエボ事件」が起こります。それまでのビスマルクの和平同盟が逆に各国の戦争同盟となってしまったわけです。このサラエボ事件も皇位継承者のフェルディナントの入国が一日遅れていたら、この事件も起こらなかったのではないか、という研究もあるようです。それぐらいいつくもの偶然が重なったようです。
●サラエボ事件をきっかけに、その一ヶ月後ドイツを中心として戦争が始まりますが、この戦争は、誰もが安易に考え一週間程度で終わると思っていました。しかし、その後クリスマス休戦(映画にもなった)も意味をなさず、どんどん参戦国が増え、最後は旅客船攻撃やメキシコへの電報事件もあり米国も参戦、とんでもなく長引くことに。機関銃、戦車、飛行機もこの戦争から始まり、各植民地からも参戦、これが第一次世界大戦。負けたドイツには膨大な賠償金1320億金マルク(日本円で約200兆円)が課せられますが、実際に支払ったのは191臆金マルクともいわれています。
●この安易に始めた戦争がその後の世界を大きく変え、世界は戦争の世紀へ、そして「100年の悲劇」の時代に入ってゆきます。
日本も日英同盟により少し参加しますが、各国から言われているように日本にとっては被害が少なく得るものが大きかった戦争でもありました。特にドイツが実質支配していた青島制圧は大きかったのかもしれません。これは後の日本の米国への宣戦布告(太平洋W)にも関係してきます。
●参戦国は、「協商国」として、イギリス帝国、フランス共和国、ロシア帝国、セルビア王国、モンテネグロ、ベルギー、イタリア王国、ルーマニア王国、ポルトガル、ギリシャ王国、大日本帝国、中華民国、タイ王国、ヒジャーズ王国、アメリカ合衆国。
「同盟国」として、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国。となっています。
●とにかくどんな理由でも一度、戦争をはじめてしまうと、そこには欲、洗脳が憎しみとなって表れ、人々の心に浸透し、それが思想となってしまうこともあるでしょう。そうなると簡単には元には戻れません。
さらに、この戦争が今にも影響を及ぼしている5つの事象を生んでしまいます。

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◆安易に始めた第一次世界大戦により、その後の世界を変えた5大事象
■1,社会(共産)主義、独裁国家の誕生。
この大戦はロシア革命のきっかけを作ります。大戦で困窮した民衆蜂起によってロマノフ朝が倒れ、その隙間にマルクス主義をベースにし「金持ちがいない国を作る」とレーニン現れ(ドイツが仲立ち)社会主義を、革命後に共産党と名乗り、その後ソ連を作ります。レーニンの後継者としてはヒトラーより残虐(ヒトラーは自国の市民は虐殺しなかった)と言われたスターリンが独裁国家を作ってゆきます。それは他国へも影響を与え、今でもロシア・中国・北朝鮮が独裁国家として残っています。社会(共産)主義の本来の姿は、資本主義の矛盾を解消するために出来たもので、元々は独裁ではないようです。
資本主義はイギリスの産業革命で始まったことで、個人が土地などを所有することが出来、マーケットは自由競争になります。欠点としては資本家と労働者の貧富の格差が激しくなることです。そこで、元々、マルクスが提唱する、苦しみ(貧困)から逃れるための宗教(宗教はアヘンとも)に代わる思想として「平等」(土地も物も国が管理し国民に分配)は、科学的社会主義も含めて国民から支持されます。事実、世界恐慌の影響も少なかったわけです。しかし国から守られるために個人の労働意欲が下がります。併せて国の成長率も下がりますが、全て国が決めるため個人の意見は受け入れられません。この点が独裁に近づく原因かもしれません。
ちなみに現在社会主義の国は「中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバ」の5国だけです。
元々の社会主義は「空想的社会主義」で、それを非現実的と批判したマルクスが「科学的社会主義」を唱え、さらにそれとは違う※思想としてレーニンが「共産党(共産主義という名称はマルクスの時からあった)」を作り、革命を起こします。
※僕はこの辺、詳しくないですが、レーニンは「社会主義は国が人を支配しているので平等でなく、共産主義に至るまでの途中段階」だと言っていたようです。そのためソ連のことを「共産主義国」とは言わずに「社会主義国」と呼んでいたようです。
■2,帝国主義から国民国家へ
世界は帝国主義から国民国家へと変わってゆきます。合わせて数多くの新興国民国家も誕生しました。この大戦前の欧州の争いは貴族同士の争いで、この戦争のように国民が直接戦争にかかわることはあまりありませんでした。そのため短期戦がメインでした。また、普通選挙が広まったのもこの戦争が影響し、社会保障制度にも影響してゆきます。
■3,米国が超大国に。
欧州は完全に荒れ果てましたが、米国はこの戦争の戦場にはにならなかったため国土は一切荒らされず、さらに人的被害もロシアの20分の1程度。しかし、欧州への武器他物資の売り込みで儲けに儲けます。それをきっかけに、世界の覇権は欧州から米国に移り一気に超大国へ、同時に世界のバランスも崩れ出します。そして後に米国はその反動の世界恐慌※で世界を狂わせます。しかし、米国はモンロー主義により、その後も戦争はしない方針が決定していました。
※大変儲かった米国は、どんどん商品を作り続けましたが、欧州でも少しずつ復興が始まったり、ソ連が社会主義になり商品を買わなくなったりの理由で、米国は生産過多に陥ってしまいます。さらに米欧ともにお互いの関税を引き上げ、両者の貿易額は各段に低くなってしまいました。それがその後の米国に端を発した世界恐慌に繋がりました。フランスのドレフュス事件もシオニズムや後の三枚舌に影響を与えます。
■4,ドレフュス事件と三枚舌外交による100年の悲劇の上書きは影響大。
この戦争で英国は無責任な三枚舌外交を展開。結果100年の悲劇の上書きとなる戦争、内戦、世界中のテロ(9.11の遠因※にも)を生み出します。そもそもの原因を作った三枚舌の詳細については、■リンク→「100年の悲劇を作った三枚舌外交」をご覧ください。※三枚舌でオスマン帝国の一部をクウェートとして独立させたことが、その後の湾岸戦争のきっかけを作り、ビン・ラディンは、湾岸戦争以降も中東に米軍が駐留しているのを非常に憤慨していたことからの9.11。
そもそも、ユダヤにとっては2000年前に住んでいたという歴史もあるでしょうし、近年ナチの迫害から逃れ約束の地を目ざすこともあってしょう。
片や2000年も住み続けてきたパレスチナ人にとっては、突然「出ていけ」そして「明日から難民」は想像を絶する辛さでもあるでしょう。案の定、翌日から争いが始まってしまいました。
さて、イスラエルという国を作ることになった直接的な要因は、フランスで起きた「ドレフュス事件(反ユダヤ主義による冤罪)」でしょう。これがシオニズムに繋がってゆきます。三枚舌はその後、さらにその後の国連による分割案により、イスラエルが建国されます。もちろんイスラエルと関係の深い米国は即承認。
しかしそれに反発したアラブ諸国が第一次中戦争(イスラエル勝利)。次にイギリス支配のスエズ運河をエジプトが国有化これをきっかけに第二次中東戦争(イスラエル勝利)。次にソ連の詭弁をきっかけにエジプトによるアカパ湾の封鎖に怒ったイスラエルの第三次中東戦争でもイスラエル勝利で領土をさらに広げ、パレスチナをイスラエルの配下へと。するとそれに反発したエジプトはシリアと協力してイスラエルを挟み撃ちにし第四次中東戦争(これが第一次オイルショックで日本の成長がこの時止まる)に、これにはアメリカが仲介しますが、小さいいざこざが続き結局インティファーダ(パレスチナの丸腰の反撃)に。この頃から悲劇のユダヤ人から、やりすぎのイスラエル人のイメージが付いてきます。そしてPLOもこの時から組織されます。その後あのオスロ合意(パレスチナ人の暫定自治)に繋がります。
このオスロ合意で共存の可能性もありましたが、無責任なシャロン氏の行動(ムスリムの聖地、岩のドームに入りエルサレムはイスラエルの物だと発言)で、パレスチナは怒りだし、オスロ合意も有名無実となってしまいます。その後、穏健派ヨルダン川西岸のフェンス(5%が壁でここにバンクシーが反戦絵画を)、強硬派ガザ地区(特にハマス党は攻撃的だがガザ住民には非常に良心的)の700Kmにもおよぶ分離壁が出来てしまいます。その後も幾度となく両者の攻撃が続けられています。
米国も大統領選にはユダヤの資金が必要で今だに頭が上がらない。特にトランプ時代にはイスラエルとアラブ諸国の国交が盛んになり、ハマスは仲間が減ってゆく不安を感じ出してきたかも。さらにバイデンになりあのサウジともイスラエルが国交を結びそうになると、ハマスはついに2023年10月の攻撃に出てしまったのかもしれません。それに対するイスラエルの反撃は度を越して激しくなってしまいました。
これに関してメイさんが言っていた「長年イスラエルにイジメられてきたパレスチナが反撃に出たところ、そこだけが西側から大きく取り上げられ、逆に今まで以上にイスラエルのいじめがひどくなった」こんなイメージでしょうか。いじめの例は正しくないのかもしれませんが。
ややこしいのはクリスチャン・シオニズムの動きも大きくなってきた感もあります。
「イスラエル」、「PLO(含:ファタハ)」(イスラエルから追い出されヨルダンに拠点の反イスラエル、一時はイスラエルと握手で和平路線の穏健派)、「ハマス」(PLOの対応では甘いという貧困層から始った反イスラエルのテロ組織で過激派、イランが援助しているのはイスラエルはイスラムの共通の敵だから)、それぞれが三つ巴(レバノンのヒズボラもハマスに協力している)でいがみ合っている状態です。このところ本来反イスラエルだったアラブ諸国の国々がイスラエルに近づきつつある。これが続くと上記の通りパレスチナの孤立も十分ありえそう。
そしてなんといっても一番大きな問題は、三枚舌が遠因にもなっている9.11以降の米国および関係国における軍事およびセキュリティ産業に関すること。ベースはフリードマン理論。テロから守るためとの理由で民間に実業務を委託(民営化)し、お金を使わない平和産業よりも経済が潤う軍需産業へ。GAFAにも合法的に国民の情報を抵提供し、さらにそれに対して国民が反発しない「仕組み」を作ってしまったっこと。こうなると国民はいつのまにか反戦行動すらできなくなっている可能性が高い訳です。さらに、今後、攻撃を受けるかもしれない他国に対しても復興を含めた数々の契約(爆撃、占領、復興)をさせられるということが、すでに起きています。これが利益率の高いモデル経済として成り立ったってしまっています。これを「新植民地主義」と呼ぶらしいのです。
■5,ヒトラーの台頭と第二次世界大戦。
オーストリア人のヒトラーは、若いときに父を亡くし、美大受験に失敗した頃に母も亡くし意気消沈、数々の背景からオーストリアを憎みだします。オーストリアに愛想をつかしたヒトラーは愛国心のない国への徴兵を逃れるためドイツへ移住。そこではバイエルン軍として第一次大戦に参戦し、地獄の西部戦線に参戦、砲弾や毒ガスを浴びることになります。前線ではユダヤ人の兵士が少なかったにもかかわらず、療養中に街で見たユダヤ人には肉体労働者が少なく事務職員や金貸しそして裕福層の多さに衝撃を受けます。その頃、彼の弁舌に惚れ込んだカール・マイヤーと出会い政治に興味を抱き出し、小さな労働党(後のナチス)を立ち上げ政治活動に専念してゆきます。その後ヒトラーはミュンヘン一揆(ナチス政権の樹立を目ざしたクーデター)で逮捕されますが、ヒトラーの裁判時の弁明(名演説になった)に絆され、さらにバイエルン州に守られ死刑を免れ、禁固5年(実際は翌年仮釈放)で済みます。その間に「我が闘争」を執筆します。
娑婆に戻ったヒトラーは、小ドイツ主義者(オーストリアを除外しドイツ統一をはかる思想)で、大戦で疲弊したドイツ国の問題解決(ヴェルサイユ体制の否定、ユダヤ人の絶滅、共産主義の排除他、、)をかかげて救世主のようなふりをしてドイツ民衆の前に現れます。作戦は上手くゆきナチ党は第一党へと。その後、民衆の心を見事な弁舌でつかみ大人気となり総統に上り詰めます。世界恐慌を逆手に、数々の対策で国を復活させ、さらに人気を博します。恐ろしいことに街では人々の挨拶が「ハイル・ヒトラー」にまでなってゆきました。
最初は日・独と同じく持たざる国・伊のムソリーニの独裁を真似たヒトラーも、どんどん独自色が強くなります。それはソ連の独裁のように国民を苦しめたり粛清・虐殺する方法ではなく、国民の共通の敵(例えばユダヤ)をつくるという独特の方法です。これを「合意独裁(国民も知らず知らずに手助けしてしまう)」といいます。ヒトラーの愛読書の1つは、ギュスターヴ・ル・ボンの「群衆心理」で、有能な一人を騙すより、無能な一万人を騙す方が簡単とも言っています。
そんな時、領土を広げたいヒトラーは各国との約束を無視、自作自演でポーランドに難癖をつけ16箇条の要求し無回答を理由にポーランドに侵攻。ついにあの第二次世界大戦に発展していってしまいます。
その後の三国同盟では「我々(ドイツ)は、3000年間、負けなしの国(日本)と仲間になった」とうそぶき。日本も強気になり真珠湾攻撃を、ドイツも同盟国として米に宣戦布告し世界大戦に発展。
これにより欧州が再び、そして全世界としては初めての大戦でドン底に突き落とされることになります。
また、これらの詳細については、■リンク→「第一次世界大戦の影響」をご覧ください。
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◆生き残れる(と思われる)国々
ちなみに欧州で戦争があっても生き残れる可能性が高いと「思われる」国は「スイス(永世中立だが国民を守る軍備がスゴイ)」「アイルランド(NATO不参加、徹底した独立・中立)」「デンマーク(NATO参加国だが、避難先のグリーンランド[GL]を持つ強さ。ただGLが独立したらGLが安全な国)」「アイスランド(世界平和指数1位、軍隊を持たず、地理的にも有利)」「マルタ(圧倒的な防衛力と要塞)」の六か国とのこと。
それぞれ数年前の木村靖二氏の話ですが、現在はこの状況が変わっているかもしれないと思います。
◆ビートルズの出現
最後に、欧州発で近代から現代における世界中の文化に影響を与えた事象として「ビートルズの出現」があると思っています。世界を大きく変えた東欧革命(ベルリンの壁崩壊他)のあのパワーの裏にもビートルズが。東側の人々は禁止されているビートルズ等の自由な音楽を聴きたいという人達の想いがそれはそれは強くあったようです。何とレントゲンフィルムに彼らの音楽を刻んで「肋骨レコード」として数百万枚が流通したとのこと。そこまでしても彼らの音楽を聴きたいという願いがとんでもないパワーになったことは想像に難くないでしょう。その後、数々の革命のきっかけも作りました。音楽が歴史に与えた影響の大きさをあらためて実感するエピソードでした。
僕はビートルズのいなかった世界を描いた「イエスタデイ」という映画が好きです。海辺のあのシーンはいつまでも心に残っており、どうしても忘れることが出来ません。思い出す度に鳥肌が立ちます。
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━━━━━━━━━━ 平和は最高の宝物 ━━━━━━━━━━━━━
■平和は最高の宝物 〜彼は何のために生きたかったのか〜■
でも、踏ん張らないと簡単に流されて消えてしまう宝物。
戦争は始めるのは簡単ですが、終わらせるのには大変なエネルギーが必要です。
SNS等で自分の考えに近い心地よいものばかりに集中していると、いつのまにか100対0の恐怖の視点※になる懸念もあります。たぶん意見の違う人を憎んでしまう感情が生まれるのだと思います。戦争のきっかけもこれ(感情のアンコントロール)が無関係ではなく、そして戦争が終わらない理由は、際限のない欲※でしょう。
※恐怖の視点=アイデンティティではなく、あくまでも視点です。
※際限のない欲=やはり際限のない欲や感情のアンコントロールが戦争を終わらせないのだと思います。
※イス・ハマが終わらないのは、ネタ首相の保身とガザ沖の天然ガスの争奪戦だともいわれています。
※ロシ・ウクが終わらないのは世界の武器産業に起因しています。日本も無関係ではなくなりました。
※日本も強力な攻撃能力を持つ地対空および対艦ミサイル、潜水艦、海上での戦闘を行うための艦艇、 戦車、装甲車、各種火器など、陸上戦で使用される装備品を製造しています。この武器はアメリカ経由で日本製武器として他国へも輸出できます。というかするでしょう。
また、イギリスやイタリアと共同で次世代戦闘機の製造・輸出を目指しています。
(この一部は国会審議もなく、議事録も非公開で決まってしまいました。その時のマスコミは、この重要な事象には一切触れず、漫才師M氏の話題で持ちきりでした)
理想論かもしれませんが、マスコミは公平で、全世界はもちろん、大好きな日本も平和であってほしいです。
日本は欧米の核担当者から「フロントステイト(核、最前線の国)」と呼ばれています。
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◆これを書いた背景(出来ればお読みください)
しばらく前、僕が、この平和や戦争に関する投稿をFBにした時の事です。あるFBFの方から「戦争などに関する投稿は、今の平和な世の中では楽しくもなく白けてしまうだけ」という旨のメッセージをいただきました。
そこで僕は「ご迷惑をおかけしてしまい大変失礼しました。恐縮ながら、ご覧いただかないようにしていただけたら、、、」とお伝えしたのですが、何の返信もなくなってしまいました。
しかし、僕は彼が嫌いではなかったので、これが最後の連絡とも考え僕の一方的な想い(以下に書いたような内容)を伝えました。
すると彼は広い心で読んでいただき、今はとても仲良くやり取りしています。
逆にそう言う経緯があっただけに、言いにくいこともお互い言えるようになり、ここに書くことも了承いただきました。
彼が言うには、平和、特に戦争・政治などの話を避けたい日本人は非常に多いとのことでした。ある意味、これは日本人の素晴らしい点でもあると僕は考えていますが。
さて、僕はだいたい月に4回ほどFBに自己満足の画をアップし、FBFの方々からの良い・悪いなどの有難い反応に大きな感謝と心からの喜びを感じています。こんなことが出来るのも、まさに平和があってのこと、本当に大切にしたいです。
◆彼は何のために生きかったのか、
僕が以前、読んだ「無言館(戦没画学生たちの青春)」という窪島誠一郎氏の本に「小生は生きて帰らなければなりません。絵を描くために」という走り書きの一言が紹介されていました。そのメモを書いた青年は結局、生きて帰ることはありませんでした。
この「絵を描くために」という一言は、「美味しいものを食べるために」や「映画を観るために」「お友達に会うために」、、、など数々の平和の事象に言い換えられると思います。
僕は制作している時、ただただ無心ですが、アップする時に何故か必ず頭を過るのものがあります。それは、80年ほど前にお国のためにと若い命を捧げた方々の本心です。「〇〇〇〇万歳」などと心から思ったはずがありません。ひょっとしたら画を作りたくて仕方なかった方もおられたかもしれません。それを思うと胸が痛いです。
アップする時のそんな想いに耐えられず、この【平和は最高の宝物】を記載しました。
具体的には、日本(正確には日本の軍部など、、)が二度と過ちを犯して欲しくない事と、昨今の世界情勢です。やはり今、嫌でもそれを強く意識せざる得ない状態にあると思っています。
以前、欧州の友人から「日本は大丈夫なのか?複数の核保有独裁国家や、中には狂った核保有独裁国家がすぐ近くにあって、そしてシーレーンは? そして米国にとっては一番都合の良い同盟国のままで、、、」と心配されてしまいました。そう簡単に攻めてくるとは思えませんが、歴史を見てみると、ちょっとした齟齬で争いが起こり、被害者が出てしまうと憎しみが憎しみを生み結果、大戦争に発展しています。
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◆僕の背景
僕はグローバリズム派でも反グローバリズム派でもなく、もちろん左派でも右派でもありません。さらに思想も信じている宗教もありません。少しでも「事実派」に近づきたいと思っています。
また「〇派」と「人間性」は全く別だとも思っています。意見が全く違う人達は世の中にたくさんいますが、意見が違っても理解しようと接すると魅力的な個性や味が見えて来て、人間的に惹かれる人がたくさんいます。
僕の子供時代は、実際に戦争を経験した父親(特攻で出撃まえに終戦)や隣に住んでいた叔父(父の兄で南方戦線からギリギリで生還)などの影響を受けました。彼らの話を毎日のように聞いて育った僕は、長く「日本の戦争には必然性があった、南方解放の聖戦でもあった」と心から信じて生きて来ました。
しかし、イギリスに住むようになり、国際標準ではその考えがひょっとしたら違うのかも?と思うようになりました。
一番の衝撃は、イギリスの歴史の先生から「日本が満州事変(含:日中戦争)を起こさなければ、第二次世界大戦はなかったかも」と言われたことです。当時の僕は、敵国だったイギリスから見た当然の視点だろう、、、と侮っていました。
日本に戻ってもそのことが気になっていましたが、目の前の仕事に翻弄されているうちに忘れてしまいました。
その後、突然イギリスで観たドキュメンタリーが頭をよぎりました。それは「イギリスは日本に助けられた」というちょっと皮肉めいた内容が含まれた番組でした。つまり日本とドイツが同盟を結んだために、真珠湾攻撃の後、即ドイツはアメリカに宣戦布告(今はヒトラー最大の失敗と言われています)をした。そのためヒトラーはイギリスへの上陸をあきらめざる得なかった、という内容です。
当時は家族たちと数々のドキュメンタリーの1つとして視ていましたが、そのドキュメンタリーを思い出したことで日本が起こした戦争の影響について気になり始めました。
それをきっかけに、いろいろな本を読み出しました。すると上記の見解が正しいのかも、と思うようになってゆくのを強く感じるようになってゆきました。特に近代史の場合、一次資料(事実を経験した人ではないと分からない資料)の影響は大きいです。
そこで、著者や先生方のゼミに通ったり、それぞれ対局の内容の本をあえて読むようにしました。
不勉強だった僕には大きな衝撃もありましたが、逆に日本人としてのプライドは何としても維持したいと強く思いながらも、それらを吸収たいと考えるようになっていました。
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◆ここでお願いです(出来ればお読みください)
以下の【日本が世界に与えた影響】の内容が間違っていて新事実や別の視点をご存じの方がおられましたら、是非ご教示いただけませんでしょうか。出来ましたらそのエビデンス(本やドキュメンタリー名、他等、、、)も教えていただけると有難いです。
また、こんな平和・戦争に関する投稿はやめて欲しいとお感じの方も、是非、お知らせください。
今回の内容は、以下リンクの僕が読んだ本や視たドキュメンタリーなどから得た情報に自分の意見は出来るだけ入れず、淡々とまとめたつもりです。
【参考資料および引用元】 ブラウザの「戻る」でこちらにお戻りください。
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この内容は、日本軍+αが世界に大きな影響を与えてしまった「日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争」及びそれに関する事象をメインに記載しています。穏やかだった日本人から想像できない狂ったほどの15年間の歴史(満州事変以降)になります。
今回まとめて思ったことは、民間人の被害が増え続けても、責任の押し付け合いを続け降伏決断を後回しにした軍部やTOPの責任は非常に大きく、それが原爆被害にもつながった事。
そして、そのような背景があったとしても、米国が悪魔の原爆を日本に落とそうと決めたのは何故なのか?人として知りたいとも思いました。
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◆日本が世界に与えた影響は、ここから
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◆そもそもは明治維新◆(1868年 – 1889年)
急激な西欧化の影響です。日本は植民地化されたくない+西欧に遅れたくないため、体制を一新する必要があったのでしょう。
やはりきっかけは、ペリーの来航でしょう。 1853年(嘉永6年)、アメリカのペリー提督が黒船率いて浦賀に来航し、開国を迫りました。幕府は苦境しますが、開国せざるを得ない状況に追い込まれていきました。
開国後は、日米和親条約(1854年)を皮切りに、イギリス、ロシア、フランスなどとの間でも不平等条約が結ばされ、日本は各国との開国を余儀なくされます。
そのため、国内の混乱、経済の混乱、思想の変容、そして幕府の権威の低下、つまり開国を迫られたことや、不平等条約を結ばれたことで、幕府の権威は大きく失墜しました。
しかし、武士から天皇の国に戻ることになり、鎖国で近代化が遅れていた日本は、明治維新で急速に欧州を真似ようとしました。
薩長中心の岩倉使節団は、結果的にドイツ(プロイセン)の影響を受けます。プロイセンは日本と同じ君主国家のため、日本も天皇主権の中央集権の国民国家として再出発することになります。
特に大きかったのがビスマルクの影響。彼の「和平よりも軍事力」という言葉を信じ日本は「富国強兵」の道を進んでゆき、白人至上の「帝国主義」が正しいという概念を持つに至りました。
また、それらの情報は、その後、生まれた新聞により国民に知らされることになります。
※天皇中心の主権国家=日本は源平時代に武家政権に移りだし、大政奉還まで約700年間、武家の時代が続きました。その間、天皇はお飾りだけの時代もありました。しかし、「大日本史」の出現をベースに「尊王」が生まれ、討幕派の間でバイブルになっていた「新論」などの影響から「尊王攘夷」の考えが生まれたとも言われています。
※中央集権国家や近代化、経済発展、国民意識の統一の課題として「地方活性化の遅れ」「官僚主義の弊害」「国民の自由や多様性の制御」などがあげられます。
西南戦争の経験でさらに中央集権化が加速した可能性もあります。軍隊の近代化もこのころから急速に進みました。
※鎖国=といっても当時から世界の情勢を相当、確認していたことが資料から分かります。
※薩長が攘夷から開国へと=天皇の許可を得なかった日米修好通商条約の締結や、安政の大獄などがあり、それらは水戸藩の思想をきっかけとして尊王攘夷運動に発展してゆきました。
その中心が水戸から薩長に移った頃、攘夷派は欧米列強と戦争を起こしました。長州藩による下関戦争や4国艦隊下関砲撃事件および薩摩藩による薩英戦争です。しかし、逆に外国勢の圧倒的な力を知ることにより攘夷は不可能と考え、結果として「尊王攘夷」は「尊王開国」に代わってゆきました。
※薩長中心=この藩閥政治が後の日本の方向性に影響を与え、特に山縣閥の軍部への影響は陸軍創設や軍国主義の象徴として大きかったとも言われています。
※薩長中心になった(薩長が手を結んだ)要因は、徳川慶喜にありそうです。慶喜が後に(切腹してまでもと)勅許を得たことで、彼が新時代の中心になる可能性があった。
慶喜が中心になってしまうと、それに反対する人は少ないだろう、、、、となると薩長はまた外様的な位置に戻ってしまう。
それを嫌った薩摩(すでに中央に入りこんでいた)や長州が手を結び大政奉還や王政復古(朝廷には政治は出来ないので薩長が中心に)へと進んだ可能性が高そうです。
※ビスマルクの件=具体的には「欧州列強の外交の本質は軍事力を背景としたもので、国家どうしの友好や外交儀礼などは表面上に過ぎない」という教え、これを岩倉使節団は信じ、彼らが帰国後すぐに「富国強兵」のスローガンが国中に広がります。
※明治憲法には封建的な部分もありました。例えば
天皇の地位: 天皇の権限が非常に大きかったこと
国民の権利: 国民の権利が制限されていたこと
社会階層: 旧藩閥勢力の影響力が大きかったこと
政治参加: 国民の政治参加が制限されていたこと
※新聞=後のマスコミ。この頃、日本初の日刊新聞が出来、その後の日清、日露、満州、日中、太平洋戦争(ここからはラジオが)では権力者にとっては必須のツールとなります。鵜呑みにせざるえない国民に大きな影響を与え、それは現在も形を変えて続いています。よく言われるバンドワゴン効果の最たるものかと思います。
現在のマスコミには「当時の失敗を活かして欲しい」と思ってしまいます。
最近、公開された「アナウンサーたちの戦争」という映画でラジオ局の責任者が「我々は夢の機械を、悪魔の拡声器にしてしまった」というセリフが特に印象的でした。
日中戦争のころには「同盟通信社」が作られ、情報のすべてを一括し情報統制する状態になっていました。ここの広告専任会社が電通でした。
※自由民権運動=明治7年位から始まり、その後の日本の姿に大きな影響を与えました。
自由民権運動の目的は、「国会開設」「憲法制定」「言論・集会の自由」などでした。その成果として、国会が開設や、憲法が制定されるなどの目的達成も出来ました。
しかし、政府の弾圧や、運動内部の対立などにより、自由民権運動は次第に衰退してゆくことになります。
キーワードとしては、「板垣退助」「後藤象二郎」「愛国社(現在の愛国関連とは違います)」「加波山事件」などがあげられます。
明治維新の結果
貧富の格差拡大、社会不安の増大、伝統文化の衰退、環境問題、
殖民地支配、政治の閉塞性など、、失敗と思われるものも多くありました。
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◆日清戦争(1894年7月25日 – 1895年4月17日)〜日本の軍国化の始まり〜
早速、起こしたのが「日清戦争」(朝鮮半島の権益を巡って+琉球の朝貢からの沖縄県化も主な原因ですが、宣戦布告は日本)です。
この戦争で日本は大儲けをしてしまい戦争は儲かるという考えが日本国民にも浸透してしまいます。また、「統帥権の独立」が日本軍国化のきっかけにもなったとも言われていますが、近年は見解が割れているようです。
ちなみに日清戦争は、産業革命以降の軍備を整え日本国軍が国外へ出兵した最初の国家間戦争です。
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◆日露戦争◆(1904年2月8日 – 1905年9月5日) 〜これが満州事変の遠因になり、世界大戦へ日本が与えた影響〜
その後の「日露戦争」(不凍港を作りたいロシア南下による朝鮮半島の権益を巡って、日本が奇襲攻撃)。
この日露戦争は、後に「第0次世界大戦」といわれるようになり、世界史の大きな転換点になります。つまり世界初の大戦です。ロシア・ドイツ・フランス 対 日本・イギリス・アメリカの世界戦。
この戦いで世界は日本が大国ロシアに勝つはずがないと思っていました。しかし日本がロシアに勝った(辛勝ですが)ため、イギリスは負けたロシアに近づき、それまでの関係が大きく崩れてしまいます。
そこで出来上がったのが三国協商(ロシア・イギリス・フランス)と三国同盟1(ドイツ・オーストリア/ハンガリー・イタリアは後に協商へ)です。
日本は南満州鉄道株式会社を設立し、満州における経済的な権益を拡大しました。
この戦争で日本が満州の権益をロシアから時限で得たことが、その後の満州事変の遠因になり、日本や世界を変えることになります。
※三国同盟1にしたのは、後の日独伊三国同盟2(三国防共協定の後)と分けるためです。
※それまでは「ドイツ・ロシア・フランス」と「イギリス・日本・アメリカ」の関係。
※韓国併合もこの戦争の影響です。
※日露では日清とは違い利益どころか国家予算の5年分を消費してしまい増税他で国民が暴動を起こすほど。
※満州の権益は、当初、期限付きでしたが日本はその期限を延期したかった。
※日露戦争では「国内の予算をどうするか」「満州の期限を延期したい(これが後に大問題に)」という「2つの問題」をはらんでいました。
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◆第一次世界大戦◆(1914年7月28日 – 1918年11月11日) 〜100年の悲劇の始まり〜
日本がロシアに勝ったことで各国の関係変化は大きく、平行してオスマン帝国の弱体化に伴い、協商のロシアと同盟のオーストリアの間でのオスマンやバルカン半島の覇権争いが起こります。ついにサラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発してしまいます。
この戦争は安易に始めてしまったと言われており、約1週間程度で終わると考えていた関係者が多かったようですが、結局は4年以上続いてしまいました。
つまり、第一次世界大戦は、日露戦争による国際関係の力学が変わった事が要因で起こったとも言えますし、そう断言している学者も多いようです。
協商国=イギリス、フランス、セルビア、ロシア帝国(後にイタリア、ギリシャ、ポルトガル、ルーマニア、アメリカ、日本が加盟) 対 連合国=ドイツ、オーストリア/ハンガリー(後にオスマントルコとブルガリアが加盟)とが戦いました。
日本は日英同盟の関係で協商国側に付き、アメリカも協商国側。ロシアはロシア革命で離脱します。
第一次世界大戦で、ベルサイユ体制が敷かれ、民族自決(民族が自分達の国を作り自分達で決めてゆく)のもとに帝国主義が崩れ欧州で国民国家が生まれてゆきます。
しかし、これはあくまでも欧州だけの事で、アジア・アフリカ他に彼らが元々、持っていた植民地はそのままにしてよいと都合の良い体制を作りました。これを「委任統治」と言います。
こうして世界の注目が欧州に注がれるようになると、日本は欧州から地理的に離れていることを活かし、日露で得た時限だった満洲を実際に欲しくなってしまいます。
また、日露で使い果たした国内予算も欧州に武器を売ることで利益を上げ(結果、日本は好景気)、日露時の2つの問題(予算と満洲)を解決しようと躍起になります。結果大きな利益が出て当時のお金で11億円の債務国だった日本が27億円の債権国に変ります。
教科書に出ていたお札を燃やして灯りを取る絵(船成金)もこの頃、大衆が自由を求めた大正デモクラシーもこの頃です。その後、対華21ケ条要求(満蒙における日本の権益の要求他)の多くを中国に認めさせることになります。
そして、爵位をもたない原敬による日本最初の政党内閣が始まります。これでやっと悪しき藩閥政治の影響が少なくなってゆきますが、官僚主義、政治と経済の癒着、地域格差などは現在にも残っています。
しかし、しばらくして戦後恐慌(欧州が復活して日本のものが売れなくなる)に陥ります。日本初の選挙もこの後に。
ちなみに、ドイツが東アジアや太平洋の地域を占領して勢力を拡大した一部はドイツが日本に負けた結果、日本が得ることになり、現在も日本の領土です。そのことで日本は(第一次大戦で)被害もなく得る物だけを得たと各国から言われています。
結局、第一次世界大戦では協商国側(連合国)がドイツ等の同盟国側を破ります。
その後、国際連盟(英・仏・伊・日が常任理事国)が出来ますが、米・独・ソも加盟せず、他にも強制力が弱くあまり機能しませんでした。またワシントン体制も出来ますが、日本の満州事変をきっかけに当該体制は崩壊してゆきます。詳しくは下記にて。
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◆三枚舌外交◆(第一次世界大戦中) 〜第一次世界大戦と同じく100年の悲劇のはじまり〜
第一次世界大戦に直接関係のある英国の「三枚舌外交※」が後の世界を大きく狂わせ、今の不穏な世界情勢(中東、米国、宗教、テロ、、)にも大変な影響を及ぼしています。
その後、この第一次世界大戦と三枚舌外交は「世界100年の悲劇」のきっかけになったと言われています。
※
「フサイン=マクマホン協定(中東アラブの独立・公開協定)」
「サイクス・ピコ協定(英仏露による中東分割・秘密協定)」
「バルフォア宣言(パレスチナにユダヤ民族住居地建設・公開協定)」
の3つですが、それぞれの文章をよく調べてみるとそれほど矛盾はないとも言われてます。とはいっても、それぞれの思惑が重なり結局は不信感が高まったことは事実のようです。
三枚舌は9.11にも、イスラエル対ハマスの遠因にも。
三枚舌で結果的にオスマン帝国の一部をクウェートとして独立させたことが、その後の湾岸戦争のきっかけを作りました。
ビン・ラディンは、湾岸戦争以降も中東に米軍が駐留しているのを非常に憤慨していたことから9.11が発生。米のイスラムに対する憎しみの連鎖が始まってしまいます。
シオニズムに関連した、現在のイスラエル対ハマスも三枚舌に起因していますが、他にもこの憎しみの連鎖はあまりにも多くの問題を引き起こしながら今に至っています。
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◆日本が「不戦条約」を破ったことが、第二次世界大戦に◆
そんな時代遅れの帝国主義を真似ようとしたのが(欧米以外では唯一の先進国の)日本でした。
というのも、1928年に制定された、史上初の「不戦条約※」は、最初、日本を含む15ヶ国、その後63国に広がります。この条約により「世界史上これほど平和になった時代はない」と言われるようになりました。
※不戦条約=問題解決に戦争という手段をとらない、戦争は違法という史上初の条約(ケロッグ・ブリアン条約)です。戦争の放棄、日本の第九条にも影響を与えているという研究もあるようですが、付帯条項として自衛の場合は除くことになっています。
※NHKの「3か月でマスターする世界史」の中の「第11回 近代化する日本と世界大戦」の中でも、慶応大学の細谷雄一教授が、「日本が起こした満州事変(次項)により国際秩序の平和基盤を根底から壊してしまった」しかし「そのことを日本の教育では扱っていない」と熱く語っていました。
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◆満州事変◆(1931年9月18日) 〜第二次世界大戦のきっかけにも〜
しかし、その数年後、日本は不戦条約を破り「満州事変※」を起こしてしまいます。日本はこの中国侵略を自衛としましたが、何の自衛かについてはあいまいになっているようです。
国内ではマスコミが柳条湖事件は中国の仕業と大々的に報じ、国民もその偽情報に踊らされることになります。
※日露戦争で日本が満州の権益をロシアから時限で得たことが、満州事変の遠因になっているようです。
※満洲事変=当時、資源が豊富と考えた満州を狙い、関東軍※独自による満洲への軍事行動、満鉄爆破を中国の仕業にした柳条湖事件で中国東北部を占領。
※満州事変の「事変」=当時の日本政府は、不戦条約が前提の世界だったため、国際社会からの非難を恐れ「侵略」や「戦争」にせず「事変」という名称をあえて用いたようです。
※関東軍については最後の方に一夕会と共に少し記載しました。
※表向きは日本ではない独立国(満州族最後の皇帝、溥儀を利用し)とした。と言っても憲法も住民票もない謎の国、そのため税金は取れず、アヘンなどの密売で利益を得ていたようです。
満州国建国に反対した犬養毅は五・一五で暗殺され、それまでの政党内閣は終了してしまいます。
これでやっと作られた世界初の平和の秩序が大きく壊れてゆきます。
つまり、満州事変(含:日中戦争)が国際的に重要と言われているのは、日本が中国を侵略したからだけではなく、国際平和の基盤を根底から壊してしまった世界史の転換点という背景からです。この重大なことを(前項の通り)日本の教育ではあまり教えていないようです。
中国はすぐに国際連盟に提訴しますが、列強は世界恐慌の影響が強く軍隊は出しませんでした。(国連のリットン調査団は送った)ある意味、日本の侵略を放置したとも言えるでしょう。
しかし、結果的に満州国は国際連盟に認められず、日本は国際連盟を脱退し日本は孤立してゆきます。その行動を日本のマスコミは「世界に物申した希代の英雄」と松岡洋右を祭り上げました。
美濃部氏の「天皇機関説(天皇は神ではなく機関)」も否定され天皇が「神格化」されてゆきます。
この頃は、「皇道派」(政治腐敗を排除し国家改造をねらった天皇中心主義、過激であり財閥や官僚からは危険視された)と「統制派」(軍の統制をメインに軍事政権樹立を画策、最初は穏健だったが二・二六をきっかけに日本の軍部を掌握)の両派の対立が顕著になります。
また、統制派の永田鉄山が暗殺されたことが、その後の陸軍の方向性を狂わせていったという研究もされているようです。
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◆二・二六事件◆(1936年2月26日 – 1936年2月29日) 〜日本の軍事独裁のきっかけ〜
(1900年以降、最初で最後の戒厳令+日本の本格的な軍国主義化)
その後、世界恐慌のあおりに怒りを覚えた皇道派青年将校らが、1500名の農村出身の兵隊を使い起こしたクーデター「二・二六事件」。
彼らの目的は「統制派を追放し皇道派よりの内閣に」でした。しかし、皇道派の彼らの想像に反し天皇は怒り、結局、緊急事態条項の戒厳令(立法、司法、行政を軍の支配下に)が敷かれ勅令により帰順し反乱は鎮圧されることになります。青年将校(最終的に)十七名は、非公開で弁護人なしの軍法会議で処刑されます。
この大日本帝国における最初で最後のクーデターがきっかけで皇道派の力は弱まり統制派(東条など)主流になり軍事独裁の国家になってゆきます。
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◆日中戦争◆(1937年7月7日 – 1945年9月2日) 〜満州事変と同じく第二次世界大戦へ大きな影響〜
軍中心になった国家は、意外に少ない満洲の資源を知り、さらに満州南の華北地区へ拡大しようと盧溝橋事件※を起こし泥沼の日中戦争に突入します。最初、即降参するだろうと思っていた争いも泥沼にはまってゆきます。
具体的には、華北地域の北京、天津。華中地域の上海、南京、武漢。華南地域の広州、香港。特に南京事件については、日本国内政府と大本営や上海派遣軍とが、もめながらも起こしてしまったとの考察があるようです。
その後も、どんどん中国内部に入り込んでゆきますが、中国は首都を奥地の重慶に移動しており、一向に終わる気配はない状態が延々と続き、日本は引くに引けない状態になっていました。重慶に対する無差別爆撃も行いますが、地理的な条件などもあり完全攻略はしませんでした。
このころ「東亜新秩序」という概念を作ることになります。
その目的は、アジアの解放という大義名分。日本の東アジアにける指導的地位の向上。共産主義勢力をアジアから排除。経済ブロックの形成として日本を中心とした経済圏を形成するなど。
前後して、日本国内では国家総動員法も決定(議会も名ばかりの状態で)され、国民への国債の発行も行います。さらに物資総動員計画により国内の軍需産業の財閥だけは非常に潤うことになります。大型戦艦やゼロ戦もこのころ作られました。しかし、労働力が軍需産業ばかりに集められたため、ほかの中小企業は倒産が相次ぎました。
※盧溝橋事件の発端は、日本(支那駐屯軍)の演習部隊なのか、中国軍(宛平県城に常駐)のなのか、どちらが先に発砲したかで今だにはっきりした事実がわかっていないようです。
日本軍の報告のあいまいさ(日本軍の一人が殺された)やミス(その後、殺されてないことが分かった)もありました。また、北のソ連を見据えていた石原莞爾と、中国本土を増援して打とうとした武藤章との意見の違いもあったようです。その後、停戦協議もありましたが蒋介石の強引さもあり日本もさらに引くに引けなくなってゆきます。結局、近衛文麿も決断したのでしょう。
※この時、中国国内は「中国国民党(蒋介石)」と「中国共産党(毛沢東)」が戦っていましてたが、日本に対抗するため一時的に手を組みました。しかし、戦後、また争いが始まり、それが今の中台問題につながっています。
満州事変・日中戦争の暗部として、リーベンクイズ、731部隊、三光作戦※、弐キ参スケなどについては、あえて記載していません。
※殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす(殺光、焼光、搶光)
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◆ついに「第二次世界大戦」へ◆(1939年9月1日 – 1945年9月2日) 〜人類史上最も規模が大きく、破壊的な戦争〜
日本の満州事変により、不戦条約があっても軍事力を使って侵攻してもよい、という概念が世界に生まれてしまいます。
それを早速、真似たのがベルサイユ条約で困っていたドイツのヒトラーでした。ヒトラーは早速オーストリアを併合、ポーランドに侵攻したことで、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告。第二次世界大戦(当初はドイツ対欧州)が始まってしまいます。
日本は日中戦争の最中でしたが、フランス・アメリカが支援する中国の抵抗に遭い、ドイツと同盟を結びます。日本が日独伊三国同盟を結ぶことで、これらの戦争はさらに大きく発展※します。
この時ヒトラーは「我々は数千年間、戦争で負けたことのない国と同盟を結んだ」と日本を持ち上げていたことが、三国同盟を裏で進めたドイツ全権の大島浩の日記から分かります。
しかし、同盟の1年前のノモンハン事件(モンゴルを推してるソ連 対 満洲の関東軍)で日本は初の敗北を喫しています。がそれを日本は箝口令を敷き封印します。その敗北が日本の未来を大きく変えます。この争いの後、日本は北進をあきらめ南進に切り換えたからです。
ノモンハン事件後に設立された「秋丸機関」は、米の総合的な力を日本の20倍以上と会議で伝えましたが、出席者は居眠りしていた人も多かったとの事です。その後も話は進まず時間ばかりが経過してゆきます。
1年後、エネルギー確保で(東南アジアに)南進した日本に対しアメリカを中心に行ったABCD包囲網(対日包囲網)に日本は苦しみアメリカを逆恨みします。ハル・ノート(日本が行ってきたことのほとんどを否定)もあり、結局、日本は真珠湾への奇襲攻撃(マレー半島への攻撃も同時に)を行い、太平洋戦争が始まります。
なお、大東亜共栄圏は世界を征服しそうな勢いのドイツから東南アジアを守るためとの研究もあるようです。
※当初は「ドイツ対欧州」と「日本対中国」の別の戦争だったものが、日独伊三国同盟や、日米戦により世界大戦になります。
真珠湾攻撃の数日後、ヒトラーは日本との同盟の手前アメリカに宣戦布告※しますが、それがヒトラーの最大の失敗と言われています。理由は、このためドイツはイギリスに上陸できなかった(イギリスでは定説)+アメリカの参戦+アメリカのソ連への大援助などがドイツの大打撃だったから。もちろんソ連における氷点下行軍がドイツに厳しかったことは事実です。
※ドイツのアメリカへの宣戦布告を聞いた英チャーチルは「これで我々は勝った」と言ったらしいです。
第二次世界大戦は、連合国(イギリス・フランス・ソ連・アメリカ他) 対 枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)の戦いです。最初は枢軸国が優勢でしたが、アメリカの参戦(ノルマンディ等)により、連合国が優勢になり、枢軸国は劣勢になってゆきます。太平洋戦争もミッドウェイを分岐点に戦局が逆転します。
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◆無条件降伏(イタリア:1943年9月8日、ドイツ:対フランス1945年5月7日 対ソ連5月9日、日本:1945年8月14日)
まずイタリアはノルマンディの前に降伏(国の被害を抑えたい新政権により)します。
ドイツは、アメリカの参戦やソ連の反撃でヒトラーが自殺、負けと認め降伏します。
日本も相当ひどい状態でした。しかしそれでも日本は降伏しようとしません。
暗号を解読されたミッドウェイ以降、制海権、制空権を失い、数々の作戦で負け続け、それでも降伏しない日本は狂っているとアメリカから言われます。この時点で勇気をもって降伏していれば、民間人の被害者も原爆もはなかったでしょう。
その後も、人類の歴史に類を見ない特攻を行い、皆殺しのルメイによる東京大空襲を含めた各地での無差別空襲、県民の4人に1人が殺された最大の地上戦沖縄、、、被害者はどんどん増え続けるばかり。それでも上層部は責任の押し付け合いを続け降伏の決断をしません。さらにポツダム宣言も黙殺してしまいます。
しかし、原爆※が広島に落とされ、ソ連の侵攻があり、さらに長崎への原爆投下でやっとポツダム宣言を受諾を決定しました。あの長かった世界大戦は日本の敗戦で終わりを迎えたわけです。
※日本が最後の最後まで降伏しなかったことへの責任は間違いなく大きいでしょう。しかし、アメリカが日本に原爆を落とすと決定した真意を人として知りたいです。
日本は弥生時代に侵略(ジャレド・ダイヤモンド説)されて以降、初めて戦争に負けた※ことになりますが、この自信が日本の終戦を遅くしたという研究もあるようです。
※実際にはノモンハンで日本は負けています。(しかし被害者はソ連の方が多かったという研究もあるようです)
満州事変(含:日中戦争)が、国際平和の基盤を根底から壊した世界史の転換点だったことは間違いないでしょう。
最後になりますが、大戦終盤、日本は世界50か国もの多くの国から宣戦布告されてしまった最悪の状態でした。
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■この項目の情報ソースは、慶応大教授 細谷 雄一 「戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで」―からと【参考資料および引用元】からです。ブラウザのバックでお戻りください。
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■追記分■
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◆原爆の違反や禁止について
日本では1963年に国際法違反になっています。
1977年のジュネーブ諸条約追加議定書でも無差別攻撃、民間人保護、環境保護の観点から禁止していますが、アメリカ・イスラエルは批准していません。
2017年の核兵器禁止条約でも、核保有国(みなしも含む)の「アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮」などは批准していません。さらに、核の傘の下にある国「日本、韓国、ドイツ、オーストラリア」も批准していません。
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◆「陸軍」という映画を観ました。(友人の紹介で)
この映画は、幕末の騎兵隊から、明治維新、日清、日露、太平洋戦争への出兵までを描いています。
冒頭に「大日本史」が出て来て、重要なシーンの前には必ずそれが出てきました。明治維新の「尊王」に大日本史が影響していると言われることがありますが、その点を深く考えてしまいました。そして「尊王攘夷」に影響を与えたのは「新論」の存在でしょう。
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◆近衛=日中戦争を起こし軍に物を言えず敵も味方もいなかった近衛(あくまでも第3次時代の近衛)の悲観論
対
◆東条=有能者を避け自分に都合の良い内閣を作り日米戦を始めた東条の楽観論
とのせめぎあいでもあったような。
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◆開戦前の「日米諒解案」「甲案」「乙案」の存在
・日米諒解案
特徴=包括的で抽象的、両国の協力による新秩序構築
目的=日米間の対立解消、平和的な共存
・甲案
特徴=日本側の立場を優先、強硬な要求
目的=中国における日本の地位確立、アメリカの干渉排除
・乙案
特徴=アメリカとの関係改善を優先、譲歩的な内容
目的=戦争回避、アメリカとの関係修復
日本は当初の「甲案」がアメリカに拒否されたため、「乙案」を提示しましたが、日本が国際的な約束を破った「満州事変」の件もあり、日本は信用されておらず、結局「乙案」も受け入れれず、開戦に至りました。
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◆ソ連の主張で出来た拒否権。
サンフランシスコ会議(1945)で議論された国連憲章に「拒否権」が加わりました。
連盟が数々の軍事行動を制止できなかった反省から、軍事力を用いた制裁規定が出来ました。
その制裁規定の中に、当時のソ連の主張で軍事制裁の責任を負う5大国(米・英・仏・ロ・中)が「拒否権」を持つことになります。その存在が、現在、戦争を終わらせられない「拒否権」として逆に「平和の破壊」を招いてもいます。
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◆敗戦、終戦、戦勝などの国による違いと国歌
1945年
5月8日 ドイツが降伏文書に署名した日
8月15日 日本の敗戦の日
韓国が日本から独立した日
イギリスの対日戦勝記念日
9月2日 日本が降伏文書に署名した日(終戦)
9月3日 中国の対日戦勝記念日※
ロシア 軍国主義日本に対する勝利と第2次世界大戦終結の日 (プーチンが2023年に変更しました)
※中国の現在の国歌は日中戦争時に日本を倒すために作られた義勇軍行進曲。
他にも主要国の国歌は戦争・革命・宗教を扱ったものが多くあります。
※米国国歌=戦争時に戦場に輝く星条旗(星条旗よ永遠なれ)
※フランス国歌=フランス革命時の自由と平等を。歌詞の中には「敵の喉をかき切って殺せ」とある。(ラ・マルセイーズ)
※イギリスの国歌=神よ王(or女王)を守り給え(ゴッド・セイブ・ザ・キングorクイーン)
など。
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◆もし三布告が実施されていたら
三布告とは、1945年9月2日にGHQから(日本政府を飛び越し)出された「日本國民二吿グ」で始まるGHQが日本国民に直接布告する予定の文書で(10万枚)を用意していました。
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おおまかな内容は、以下の3つ。
・「立法・行政・司法の三権は、マッカーサーの権力の管理下に置き、日本国の公用語を英語とする」
・「GHQの命に反した者は軍事裁判にかけられ、死刑またはその他の罪に処せられる」
・「日本円を廃し、B円と呼ばれる軍票を日本国の法定通貨とする」
という日本を直接統治する内容です。
しかし、GHQが実際に日本を見た時のイメージ(狂った15年間の想像とは全く違う本来の従順な日本人を見た驚き+知識レベルの高さ+他国にはない天皇崇拝さの異常なほどの背景=天皇は日本をまとめるのに利用できる)である程度心は決まったいたところに、日本の状況を強く説明した日本側からの強い撤回要求もあり、ギリギリで白紙撤回されました。
●とはいっても沖縄他は直接統治となってしまい、戦後も苦しみ、今に繋がっています。
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◆日米地位協定は、終戦の15年後にできた、在日米軍の日本における地域や地位について定めた条約です。しかし、締結されて以来、現在まで一度も改定されていません。 そのこともあり、数々の事件・事故・騒音問題・環境問題が発生しています。
また、それに関連した日米地位協定の25条が「日米合同委員会」、これは日本の官僚と在日米軍のトップが月2回行い、すでに1650回程度になっているとのことです。この内容の多くが非公式にもかかわらず、日本政府に大きな圧力がかかっているという学者もいます。本当のところはどうなのでしょう。日本のどこにでも米軍基地を置ける事や日本の憲法よりも上の存在と断言している政治家もいます。
あとは「国家安全保障会議(NSC)」は「日本の安全保障政策を決定する機関」ですが、 ・透明性の欠如 ・官僚主導の弊害 ・情報共有の不足 ・迅速な意思決定の難しさ ・国民への説明責任などの問題を解決してゆく必要がありそうです。
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◆世界史に影響を与えた「関東軍」と「一夕会」について。
関東軍は、もともとは日露でロシアから譲渡された中国の関東州にある鉄道を守るための軍です。
関東とは、日露戦争後ポーツマス条約で中国から租借していた遼東半島の一部を日本では関東州と呼んでいたため。そこに関東都督府を作り関東庁と関東軍を置いていました。
また、柳条湖事件の前には、張作霖爆殺事件があり、それに対する日本の対応が甘く軍法会議※にかけなかっため、関東軍をのさばらしてしまったという反省は最近よく聞かれるようになりました。
※天皇と時の総理、田中儀一との間で河本大作をめぐったやりとりのまずさがきっかけで、その後、関東軍がのさばってしまったとも言われています。
関東軍と関係の深い「一夕会(いっせきかい)」という双葉会と木曜会から出来たグループがあります。
一夕会は、1920年代後半に結成された陸軍内の秘密結社。永田鉄山、東条英機など、後の陸軍の中枢を担う人物たちが中心となり、満州事変や日中戦争を積極的に推進するなど、日本の対外政策に大きな影響を与えています。
彼らは「長州閥の打破」「軍による新政府」「国家総動員体制」「必要な工業力の資源は満洲近隣から」というシナリオを作っていました。一夕会はのちの「統制派」になって開戦へと向かってゆきます。
背景として、長州閥の流れをくむ宇垣閥(陸軍で政党寄り)と薩摩閥との関係もあった九州閥(海軍で軍寄り)の勢力争いでもありました。
一夕会は九州閥ですが、九州閥の荒木貞夫を陸軍大臣(陸軍大臣は本来なら長州閥)にすることに成功し、一夕会の力が強くなってゆきます。その後、政党寄り(長州閥)は弱くなり軍寄り(九州閥)に変ってゆき両軍とも一夕会の支配下になってゆきます。
※宇垣閥とは長州閥の人材がいなくなってしまったため、長州閥に可愛がられていた岡山出身の宇垣一成が引き継いだもの。最初、九州閥よりも力を持っていた。
※九州閥とは同じく薩摩閥の人材がいなくなってしまったため、佐賀出身の真崎甚三郎などが引き継いだもの。
満洲事変のきっかけになった柳条湖事件の自作自演も一夕会からの指示によるものらしく、その後の日本や世界の歴史に大きな影響を与えることになりました。
◆最後に
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戦争の原因は「感情のコントロールと際限のない欲」です。
僕が思う戦争の原因は、資源や領土の争奪、思想や宗教の対立、民族主義やナショナリズムによる差別、個人の野心や権力維持、コミュニケーションの不足、見えないものへの恐怖、、などがあると思っています。すべて「コントロールできない感情と際限のない欲※」に起因しているのかと。
※イス・ハマが終わらない理由はネタニヤフの保身とガザ沖の天然ガスの争奪とも言われています。
※ロシ・ウクが終わらない理由は武器産業です。もちろん最初に書いたとおり日本も無関係ではありません。
つまりどちらも「戦争は儲かるから終わらない」という以前書いた内容に一致します。
しかし、その感情や欲に負けて戦争を安易に始めてしまうと、相手への憎しみが増し続け、終わらせるためには相当な知恵とエネルギーが必要と歴史が教えています。
世界が第一次世界大戦で苦しみぬいた結果、作られた「不戦条約」、事実「世界史上これほど平和になった時代はない」という史上初の文化を作り上げた世界。
そんなとき、不戦条約を破り、こっそり戦争を始めてしまった日本。この戦争は過去最大の世界大戦にまで発展し全世界を変えてしまいました。絵を描くために生きたかった彼。彼と同じ運命をたどった人たちは5,000万人を超えています。
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◆そして日本!!
(元々、住んでいた縄文人が数万年+北東アジアからの弥生人が2千3百年程度+東アジアからの古墳人が千八百年弱程度=この三重構造が今の日本人。特に古墳人が6割程度を占めているらしい)
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(元々、住んでいた縄文人が数万年+北東アジアからの弥生人が2千3百年程度+東アジアからの古墳人が千八百年弱程度=この三重構造が今の日本人。特に古墳人が6割程度を占めているらしい)
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■ここから先は日本を年代順に追ってゆきます。上記に関する部分も多少重複しています。日本の四大変革についてもまとめています。
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●旧石器時代は、日本各地に大型動物もいて数万年以上※と相当長く続きました。※一説では島根県の砂原遺跡で約12万年前の前期旧石器の遺物も見つかり議論になっています。
その後、気候の変化と共に大型動物は減り、小型動物・魚の狩漁猟・採集がメインの縄文時代(土器もこの頃から)に入ってゆきます。当時は農耕がなく土地を所有せず、貧富の差や格差がなく、「見えない人」を信じる宗教もなく、結果、人殺しが非常に少ない平穏な時代。それがさらに1万年以上続いたようで、その間は塀も柵もない生活です。これは全世界を見ても唯一とのことです。他のホモ属を絶滅に追いやったサピエンスとしては非常に珍しい※とのことでした。
●※食物は残さず皆で分ける、獲物の存続を考慮し大人の雄をメインに狩りをする、人ではなく万物に神が宿る、男尊女卑がない、他。縄文後期には少しだけ稲作が入ったようですが、農耕とは程遠かったようです。縄文土器のあの独特の形状は他国にはみられず、実用的ではない数々の飾りに文化の深さを感じます。
そして日本が磨製石器を作り出すのは欧州の15,000年も前、そして世界最初の土器を作り出したのも日本とのことです。(ジャレド・ダイヤモンド著「銃・病原菌・鉄」から)しかし、その後もいろいろな説が出てきているようです。
●日本の宗教観はアミニズム、八百万の神、先祖崇拝も含め先進国の中では特異な存在、一神教の不寛容さや宣教もなく非常に寛容な宗教観を持っています。戻って縄文人は自然の恵みの存在に感謝および継続に祈りを捧げていたのに対して、弥生人以降は、収穫(生産)量に願い祈りをささげ、それが今に続いているのかもしれません。
●また、秀吉のバテレン追放令と家康の禁教令が日本には一神教が広がらなかった一つの要因という研究もあるようです。別視点では、キリスト教布教者が日本の先祖崇拝を理解できなかった点※も広がらなかった大きな理由という点もあるらしいのです。※他にも日本人独特の考えを理解できなかった背景もあるようですが、日本人の通訳がキリスト教をよく理解できていなかった可能性もあるようです。他にもいろいろな要因で日本での布教がそれほど広がらなかった世界的にも珍しい例なのかもしれません。
●日本語も非常に特異な言語らしく「孤立した言語」と呼ばれています。他国の言語の場合、近隣の国々では多くの類似性がみられるらしいのですが、日本の近くの国々との類似性も認められないとのことでした。
もちろん漢字などの文字は中国から朝鮮半島経由で入っていますが、日本人はその漢字に元々日本にあった日本語の読みを無理やり充てたようです。例えば「いぬ」という動物を表す日本語の音声「inu」は元々日本にあったようですが、当時日本には文字はなかったわけです。そこで中国から漢字が入った時に同じ動物を指す「犬(Quǎn=チュエンと聞こえます)」という文字を「いぬ」と読むようにした(訓読み)とのことでした。音読みでは「Quǎn=チュエン」を「ケン」と読んだのでしょう。
●また、音も特殊でこれも世界的に稀らしいのです。まず音節(シラブル=音の最小単位で日本語は1文字が1音)の違い。例えば「マクドナルド」は日本語だと「6音」ですが、英語だと「3音」で地域によっては「2音」に聞こえる人もいます。あとは逆に母音の数、日本語は「あいうえお」の5個。米語は13個(英語はもっと多い)それに追加して半母音(Rの発音等)も、他の言語(中国語等)はさらに多いです。そのため日本語には少ない音で表現するので結果、同音異義語が多いのかもしれません。最後はリズムの違い。これは裏拍が関係してるかもしれないです。日本の音楽には元々裏拍がない等。とにかく全世界を見渡してもとても稀です。聞いた話ではハワイ語に関しては音節的に少し似ているようです。
●日本語や各国語を勉強したことがある欧州人(特に西欧側)に聞くと、総じて日本語は間違いなく世界一番難しいと、そして中には日本人は天才だと言う人もいます。その種類たるや「漢字、ひらがな、カタカナ、音読み、訓読み、時々ローマ字、特に助詞(てにをは)や曖昧な表現(空気を読め、とりあえず、一応、それなりに、いずれ、他にも大多数あり)さらに、同じ音で別の意味がたくさん、同じ字で別の読み方がたくさん(「生」はすべて入れると150の読み方がある)、それぞれの表現に尊敬語、謙譲語がある。そして言霊」。「その上、日本人は本心を言わない、作り笑顔をする、感情を出さない、集団で行動する、みんなと同じを基準にする、、」他にも日本独特のコミュニケーションの方法が数々ある。特に主語がなくても話が通じてしまうのは驚きだと。
なので話しながら相手の心を読まなくてはならない等、、、。「やはり天才」だと。
●しかし彼らも日本に長く接して日本語がよくわかってくると、それらは相手を傷つけたくないという思いから生まれた、日本独自の多層に渡った文化ということが理解できてくるようです。つまり日本人は常に脳を徹底的に使ってコミュニケーションをしている。だからの頭脳明晰な人が多いのではないか、と聞いたことがあります。
あとよく彼らが言う日本人の特徴としては「日本人は心配性の人がとても多い」ということです。時間が経てば何とかなるのに、その間の時間がもったいないと。これは本当によく聞きます。例えばオリンピックなどでも日本人は練習をしないと心配でとにかく練習をする、その結果、どうみても体力的に勝っている人種の人たちに勝つことが出来る。時間に正確なのも、失敗を嫌うのもそこから。でもこれが日本を長続きさせている要因なのかもと個人的には思っています。
●それに関連しているのかもしれないですが、現在、世界で一番長く続いている国は日本で2680年程度。2番目はデンマークで1000年程度。三番目がイギリスで950年程度。(ギネスではそのようになっています)
(短かった国はソ連69年、チベット38年、南ベトナム31年、ローデシア14年、ユーゴスラビア11年、アラブ連合3年、アイレク3日)
ちなみに日本のゴミ焼却率は世界一(断トツで)で約80%に近いですが、先進国でもオーストラリアは数%です。逆にリサイクル(コンポスト含め)率はドイツがダントツで65%、日本は非常に低く18%程度で先進国では最低です。
●日本独特の「文化」や「らしさ」の始まりは何なんでしょうか。
僕が最近よく考えるのは、日本は島国+山が多い。つまり地形的に山向こうは未知の国、なので「村八分」が一番怖いことだったのではないか?そして村の一大行事は「神(村)祭り」。後に入ってきて「特定の人を信じる」仏教にはこのような「祭り」はありません。
村祭りで村八分にされないような「無難な生き方」「同調圧力に委ねる」が最高の選択肢に、そんな背景で今の日本人の根幹が出来上がってきたような気がしてなりません。これは生産的でないと否定される方もおられるでしょうが、文化的人間の自然の姿のような気がしてます。
そしてその無難な生き方が「会話の時も含め人の目を見なくなり、無駄な争いのきっかけを作らない」現在の文化になったのでは?と。(もちろん今は大きく違いそのような日本人は少ないのかもしれません)僕は昔の日本人のように人の目を見て話すのが苦手です。
これは争いを嫌った縄文時代の名残では?とも少しだけ思っています。
しかし、明治維新以降、突然の欧州の影響から急激なスピードでその日本人が変わり出します。(あの戦国時代も争っていた武士はほんの一握りで、ほとんどが無難な生き方をしてたようです)
●以前、日本にも住んでいて日本文化にとても詳しいウリケ・シェーデ氏によると、日本の特徴は「いつも礼儀正しく(電話で話中も頭を下げる)」「常に適切(置かれた環境に合わせる)」「他人に迷惑をかけない(親の格言に多い)」ことだそうです。
彼女は「日本人は遠慮がベース。エレベータピッチ(乗っている僅かな時間で自分をアピール)などは考えられず、これではビジネスイノベーションは起こりにくい」と。しかし、これさえ守っていれば日本のビジネス革命は素晴らしいはず、逆にこれが日本の(他国にない)強さだとも断言しています。
上記とは少し視点を変えて貨幣の話ですが、遅れた日本でも約1300年前にお金が出来ています。その後、管理通貨制度※が本格的になってまだ50年程度、これも戦争が原因。
※制度自体は1942年ですが、1971年、ニクソンは金とドルの兌換停止を宣言し大きく変わります。理由は戦争です。
戦争になると莫大な「戦費」が必要になり、貨幣を発行する必要が出てきます。しかし、金は勝手に増えないわけです、そこでこの制度なら金の量に関係なく貨幣を刷れる。しかし、通貨が安易に増発されると、お金の価値が下がりインフレーションの原因になりやすいので非常に怖い面もある。
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◆日本の四大変革期について。(倭国・日本を含め現在までに4つの大変革があったと考えています)
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◆最初の大変革「倭人の遺伝子が突然変わる」(ユーラシア大陸の影響)
先住(D系遺伝子)縄文系(数万年程度)→
+
←北アジアの(O系遺伝子)渡来系や東アジアの古墳人など(2千年程度)
●数万年続いたといわれる旧石器・縄文時代(非常に古いD系遺伝子で欧州に近い黒海から東南アジアにかけての人種らしい)の終焉が今から2300年程度前。理由は、大陸から高度な文明・文化・農耕・武器を持った人々O系遺伝子を持った方々が移り住み急に倭国は変わっていったからです。

これが「弥生時代」に繋がり倭国(日本)最初の大改革で倭人の遺伝子が変わります。
その「武器」の影響なのか、この時代以降、先住の縄文人が激減しているとも言われています。ジャレド・ダイヤモンド氏によると日本は大陸から武器を持ってやってきた人種に侵略されたとの研究結果を残しているようですが、この背景がよく理解できないでいます。さらに当時、縄文人は人を殺すための武器は持っていなかった※ということは史実から証明されているようです。もし、これがJ・D氏の通り「侵略」だとすれば、日本にとって最初で最後の侵略被害でしょうし、もちろん両者の混血があったことは間違いないでしょう。
そのため、現代日本人は、縄文人系が1.5割、弥生人系が2割、古墳人系が6割強の比率で今に繋がっているようです。
※縄文時代以前の遺骨に武器による殺傷痕は見つかっていませんが、弥生時代以降の遺骨からは数多く見つかっているようです。
※弥生人や特に古墳人が武器を持って入ってきた可能性は高いと思っています。
※縄文人のDNAは、日本(東京の場合)10%、沖縄が30%、アイヌには70%も残っているようです。
●ちなみに、いろいろな説があるため侵略されたかどうかは分からないですが、弥生系や古墳系の人たちが権力を握り、縄文系を北・南に追いやった(残った)という説もあります。また、渡来系(古墳人を含む)トップの人達が朝廷(天皇※)系になったとも。結局、縄文系は蝦夷(東北・北海道)、隼人(薩摩)、琉球に少し残った。また、当時、稲作に適した地域に渡来系が住み着いたという説もあるようです。
※弥生時代の中期「欠史八代」と言われるように実在の天皇は存在していなかったようです。それぞれの天皇の寿命が100歳超えなどあり得ないでしょう。
●また、お遊び的な情報の「縄文人の特徴」として、以下のように言われています。
1.唇を動かさず両目ともウインクができる人
2.くせ毛っぽい人
3.耳垢が湿っている人
4.両目とも二重まぶたの人
5.血液型がO型の人(弥生はA型)
お遊びのため確証は全くありません。
●先にも書きましたが「農耕」は禁断の革命かもしれないと思うことがあります。例えば遠くメソポタミアで始まった「農耕」が定住、疫病、格差、独占、権力者、貨幣、国境、侵略、戦争を生んだことは確かのようです。片や、農耕が人口増、長期計画、全生産革命、各種学問、人類の急激な発展に寄与したことは事実なわけです。しかし、その背景は複雑で二言論で語れるほど単純ではないでしょう。
ちなみに最新の研究↓
■リンク→「縄文人と渡来人の混血史から日本列島人の地域的多様性の起源を探る」
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◆二番目の変革「倭国から日本へ」(中国の影響)文字、仏教、天皇中心、律令性、倭国から日本へ変わった時代。この時期まで日本には文字がありませんでしたので、これ以前のことが正確には分かっていません。
●本当にそれまで文字がなかったかどうかについてはいろいろな説があるようですが、以前からあった歴史書を蘇我蝦夷が全て燃やしてしまったという説まであります。卑弥呼も邪馬台国ですら古事記にも日本書紀にも出てこず、中国の文献「魏志倭人伝」には出ているとのことで、そこからの引用です。(古事記は稗田阿礼などの口伝で神話から始まります)当然、朝鮮経由の影響は大きかったでしょう。
●また、その魏志倭人伝(3世紀、邪馬台国の時代で日本には馬や鉄器がなかった)から宋書倭国伝(5世紀、大和朝廷の時代で既に馬や鉄器が現れている)の間がすっぽり日本史から抜けています。つまり4世紀の歴史がどこにも残っていません。理由として考えられるのは、その当時の古墳の調査を宮内庁が許可していないこともあるようですが、最近よく言われているのは、この間に多くの渡来人が朝鮮半島(特に百済、伽耶)から難民として移ってきたのではないか、ということ。人種的にも朝鮮半島からの人々がこの時期、非常に増えています。と共に日本の文化・文明が大きく広がって行ったことは事実でしょう。
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●ちなみに西暦267年から412年の間は日本の歴史の空白になっています。その解明のためには、古墳の調査が不可欠のはずですが、調査しない理由何なのでしょうか。このときから日本が大きく変わっていることを考えると、いろいろと勘ぐってしまいます。
その後、奈良、平安、最初の武家政権鎌倉、室町、戦国、戦争のない江戸が過ぎてゆきますが、この間は現在への決定的な影響の少なさを鑑みると大変革には入らないのかと思っています。
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◆三番目の変革「明治維新」(欧州の影響)。
この時代が日本の「文明」「文化」を大きく変えたことは事実でしょう。まずは「学制」「徴兵令」「地租改正」、また「士農工商」から「四民平等」へ。そして一番の影響は、欧州に倣った「日本の近代化」と「富国強兵」「統帥権の独立(軍が戦争出来る権利)」かと考えています。
明治4年の岩倉使節団(150人)がビスマルクから受けた影響は大きかったと思います。
最初はフランス式を予定していましたが、プロイセン式に改めた理由は、ビスマルクの剛腕と実績だったのかと。
(ビスマルクは、一君主国のプロイセンを統一帝国にのし上げた)
ビスマルクは彼らに「欧州列強の外交の本質は軍事力を背景としたもので、国家どうしの友好や外交儀礼などは表面上に過ぎない」と説いたことは事実らしい。
つまりビスマルクから「軍国主義化がなによりも大切」と教わった結果、日本は「富国強兵」になっていったと思っています。
事実、日本の「富国強兵」は、欧州からもどってすぐの6年に始まっています。
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◆四番目の変革「日本になって最初の敗戦・太平洋戦後の復興」(米国の影響)。
これは言うまでもないでしょう。
●日本になって初めて敗れる。「非軍事化」「天皇の人間宣言(国家神道の解体)」「民主化」「財閥解体」「農地改革」「日本国憲法※」「議員内閣制」「朝鮮戦争」「日米安保」「国際社会への復帰」「軍事は米に任せ急成長」「高度成長」「GDP(当時はGNP)世界二位」「高度成長の終焉」「バブル崩壊」「少子高齢化」などですが、他にも多くの変革・事象がありました。
※九条の「戦争の放棄条項」は時の総理「幣原喜重郎」の意見が大きく影響していると僕はゼミで教わりました。
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●これらが日本の(今に繋がる)四大変革期だと思っています。こう見ると弥生時代の前の石器・縄文時代がいかに長かったかがわかります。
●ただ、今でも日本人のベースには仏教以前の「多神教」が八百万の神として根付いているように思えます。(多神教は一神教と違い直接争いや戦争に繋がらないことが証明されているようです。多すぎてどれを敵にしていいのか分からないのかもしれないですが、事実として多神教同士の戦争はないようです)
しかし、日本もある時期「一神教」的になった時代があったように感じています。それが天皇を「現人神」として戦った十五年戦争の時代。
●そこで、現在の日本に目を向けると、不幸なことに日本の米軍基地の重要性がますます高くなっています。例えば横須賀は大型空母の修理も出来るため修理のために米国に戻らなくてもよい。沖縄はそれ以外にも大陸間弾道ミサイルの射程距離が朝・中・露以外のユーラシア各国に届くなど重要基地になってしまっています。そんな背景で集団的自衛権以降、米国の配下感はさらに強くなっているわけです。
そして日本国内は二大政党ではないため、情報は自在に操作可能、免許制があるためマスコミ特にTVは政府に迎合し、さらに日本から新しいものが生まれていない(AI含め)不安を強く感じています。
世界競争力ランキングで見ると、1989年に世界第1位だった日本が2022年には一気に34位に急落しており、諸外国からの投資割合もOECD加盟国では落ちに落ちて最下位。日本の人材への投資はアメリカの20分の1。さらに日本人勤労者の小遣いの平均額は30年前が47,000円、今(2022年)は39,000円と物価を考えると極端に減っています。さらに国連認定の貧困国の一部(まだ初期の段階だがモンゴルや南米他と同じレベル)に。しかし、これは逆に可能性があるということ、安い日本だからこそ持っているポテンシャルは大きいと思いたいです。
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◆日本が世界に影響を与えた事象
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明治維新の後、資源のない日本は、欧州を真似て大陸進出をしてしまいます。朝鮮半島をめぐっての争い日清戦争、日露戦争(第ゼロ次世界大戦とも)を起こし、ビスマルク※に感化された「富国強兵」「統帥権独立」の影響もありどんどん好戦的ともとれるような行動になっていったようです。司馬遼太郎は「この国のかたち」で「別国」(この時期の日本は別の国になってしまったという意味合いらしい)ことを書いています。※「鉄(軍隊)と血(兵隊)のビスマルク」と呼ばれてます。
●昭和に入ると、関東軍の政府を無視した独自路線が目立ちだし、日本の南進をきっかけに欧米各国からはさらに疎まれます。ついにABCD包囲網、ハルノートで窮鼠猫を噛む状態の日本は、マレー作戦(対英国)・真珠湾攻撃(対米国)を起こしてしまいます。
●これにはモンロー主義で静観していた米国も怒りをあらわにしついに参戦、太平洋戦争が勃発してしまいます。
真珠湾攻撃には、ヒトラーが絶賛しており、独も米に宣戦布告をしてしまいます。これがヒトラーの最大のミス、敗戦の原因だったという研究が一般的になっています。理由としては、このためにドイツは英国上陸をあきらめ、当時、独の一番の敵であったソ連への米からの大援助のきっかけにもなったからです。
にもかかわらず日本だけは負けが分かっていても最後の最後まで降参せず、米国からは「日本はスーパー・クレイジー」とまで言われて、、、
この辺の詳細については、
■リンク→「米国を参戦させてしまった日本」をご覧ください。
■リンク→「日本の反省、秘密裏に行われた反省会、統帥権マチガイ」をご覧ください。
■■■■■メニューへ■■■■■
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■「岩倉使節団」の選択、「統帥権の独立」が日本と世界を変えたのか?■
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1,はじめに
2,岩倉使節団の派遣から敗戦までの74年間に起こった事象(世界と日本)
3,岩倉使節団の概要と、メインで選ばなかった国の理由と選んだものとは?
4,岩倉使節団は、なぜプロイセン方式を採用したのか?
5,その功罪は?
6,伊藤博文の大日本帝国憲法発布を目的とした再渡欧とは?
7,世界を変えた「統帥権独立の影響」とは?
◆こちらは是非、お読みください。
8,個人的なこと
(参考文献)
■近代史の小メニューへ■
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◆1,はじめに
幕末や明治維新を描いた小説、ドラマ、映画は数多く制作され、今も変わらず大人気です。たぶん、史実と虚像が混在しているヒーローの存在もその理由の一つかもしれません。
もちろん、開国、尊王攘夷、桜田門外の変、薩長同盟、大政奉還、王政復古、戊辰戦争など、その後の日本を大きく変えた出来事が続いたことも影響しているのでしょう。
一方、明治維新以降にも、日本を変えた、さらに世界に大きな影響を与えた事象が数多く起こっています。岩倉使節団の派遣、プロイセン式軍制や制度の採用、大日本帝国憲法の制定、統帥権の独立、日露戦争、張作霖爆殺事件、満州事変、、などです。
これらの時代には、特定の個人がドラマ化された小説や突出したヒーロー像が前面に出ることは少なかったようです。しかし、日本の行方を大きく変えた74年間(岩倉使節団から敗戦まで※)だったと考えています。とりわけ統帥権の独立は、日本よび世界にも重大な影響を与えた出来事だと思っています。今回、それらに注目し調べてみることにしました。
※個人的にこだわっている74年周期。
大政奉還から真珠湾攻撃までが74年。
真珠湾攻撃から平和安全法制成立※までが74年。
そこに今回の74年を個人的に追加してみました。
※平和安全法制成立時の僕は、何でも反対の野党が「戦争法成立反対」と有名人や若者を担ぎ上げ騒いでいる、と心の中で冷めて考えていました。しかし、74年周期を意識してから、この成立により今後、何か大きなことが起きてしまうのではないかと強烈な不安が心の中に見え隠れするようになりました。
◆以下の本文中で【箇条書き】になっている部分(年表等)は、僕の意見が書かれてないところです。
■近代史の小メニューへ■
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2,◆岩倉使節団の派遣から敗戦までの74年間に起こった事象(世界と日本)
まずは、「岩倉使節団の派遣」から「敗戦」までの74年間に起こった事象をジャンル分けし羅列してみました。特に後の日本や世界に影響が大きかったと思われる事象には◆印を付けててみました。箇条書きにしています。
最初の世界についてだけは、他で詳細を触れていないので、こちらで少しだけ詳しく記載してみました。
【世 界】
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◆ドイツ帝国成立とビスマルク体制 1871年
ヨーロッパの勢力バランスを大きく変化させ、日本にも影響。
◆帝国主義の拡大 19世紀末〜20世紀初頭
世界規模の対立を生み、第一次世界大戦の遠因に。
◆アメリカの台頭 19世紀末〜20世紀初頭
世界経済・政治の中心が欧州からアメリカへ移行し始める。
◆ロシアの社会矛盾 19世紀末〜1905年革命など
ロシア革命の伏線となり、世界史の大きな転換点となる。
◆二大軍事同盟の成立 〜1907年
欧州が、ドイツ中心の「三国同盟」と、英・仏・露の「三国協商」という敵対する二大軍事ブロックに分断された。
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◆第一次世界大戦 1914年7月28日〜1918年11月11日
第一次世界大戦とは、「列強の対立(三国協商vs三国同盟)と帝国主義・植民地争い」
概要
バルカン半島での緊張が背景となり、1914年のサラエボ事件をきっかけに勃発した。連合国(英・仏・露・米・日など)と同盟国(独・墺・オスマン帝国など)が戦い、塹壕戦や新兵器による総力戦となった。日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦し、ドイツ領の青島や南洋諸島を占領した。
日本・世界への影響
第一次世界大戦前のヨーロッパでは、各国が自国の安全保障のために軍備を拡大し、同盟関係を強化した。
しかし、これが他国には「攻撃の準備」と受け取られ、相互に軍拡競争が激化。結果的に、誰も戦争を本気で望んでいなかったにもかかわらず、大規模な戦争に発展した。これを一般的には「安全保障のジレンマ」と呼んでる。
また、この戦争は安易に始めてしまったと言われており、約1週間程度で終わると考えていた関係者が多かったが、結局は4年以上続いた。第一次世界大戦は、日露戦争による国際関係の力学が変わった事が要因で起こったとも言え、そう断言している学者も多い。
戦後はヴェルサイユ条約による国際秩序の変化、国際連盟の発足、ロシア革命やドイツ革命などの社会変動、経済混乱による戦後不況、オスマン帝国崩壊や三枚舌外交による中東問題の複雑化の原因を作り、日本は国際的地位が向上した。
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◆ベルサイユ体制の成立 1919年
ベルサイユ体制とは、「第一次世界大戦後、パリ講和会議とベルサイユ条約を中心に成立した、戦勝国主導による新しい国際秩序」
概要
第一次世界大戦の講和条約(ヴェルサイユ条約)により、ドイツや敗戦国に厳しい制裁と領土縮小、賠償金が課せられ、国際連盟が発足。
日本は山東半島の権益を巡り中国と対立し、赤道以北の旧ドイツ領太平洋諸島を委任統治領として獲得。
日本・世界への影響
ドイツなど敗戦国の不満が蓄積し、ナチス台頭の土壌に。
国際連盟による新秩序が模索されるも、列強の利害対立や制裁の厳しさが新たな対立の火種となった。
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◆ワシントン体制の成立 1921-22年
ワシントン体制とは、「1921〜22年のワシントン会議で成立した、アメリカ主導による東アジア・太平洋地域の国際秩序体制」
概要
第一次世界大戦中、日本は中国や太平洋地域で勢力を拡大し、戦後の混乱に乗じて旧ドイツの権益を獲得していた。これに対し、アメリカやイギリスは日本の膨張を警戒し、東アジア・太平洋地域での勢力バランスを現状維持し、軍拡競争を抑制するための枠組みが必要と考えた。
そこで、アメリカ主導のワシントン会議により、海軍軍縮や太平洋・中国問題を協議。アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五大海軍国それぞれの戦艦・航空母艦など主力艦の保有量(基準排水量)を制限した国際的な取り決め。
具体的には、アメリカとイギリスが「5」、日本が「3」、フランスとイタリアが「1.67」の割合で主力艦を保有できるという内容。
この比率は、特にアメリカ・イギリス・日本の三国間の海軍力競争を抑制することが主眼だったが、日本だけではなく、列強全体のバランスを取るためのもの。
日英同盟廃棄、四カ国条約・九カ国条約で中国の門戸開放・機会均等が国際的に承認され、日本は山東省の権益を返還。
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◆世界恐慌 1929年
世界恐慌とは、「1929年にアメリカの株価大暴落をきっかけに、世界中に広がった史上最大規模の経済危機」国際貿易が激減し、各国で失業・倒産が急増。
日本・世界への影響
日本は生糸輸出の激減で深刻な不況に。財閥が力を強め、満州進出(「満州は日本の生命線」)の動きが加速した要因。世界的には保護主義・経済ブロック化が進む。第二次世界大戦の遠因にも。
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◆ブロック経済の進展 1930年代
ブロック経済とは、「自国と植民地・関係国だけで閉鎖的な経済圏を作り、他国を排除する経済体制」
概要
世界恐慌を受け、イギリス・フランスなどが植民地・勢力圏で経済ブロックを形成し、貿易・資源を囲い込む政策を強化。
イギリスやフランス、アメリカなどの「持てる国」(広大な植民地や資源・経済圏を持つ国)に対し、十分な植民地や資源を持たない日本・ドイツ・イタリアなどはブロック経済から締め出された「持たざる国」と呼ばれる。
日本は台湾や朝鮮、満州などの植民地を持っていたが、イギリスやフランスに比べると規模が小さく、経済的に「持たざる国」と分類された。
世界恐慌後のブロック経済体制の中で、「持たざる国」は経済的孤立を強め、これが対外進出や枢軸国形成の要因となった。
日本・世界への影響
日本は資源確保のため対外進出を強化し、中国・東南アジアへの拡張政策を推進。
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◆第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線) 1939年
第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)とは「ドイツによるポーランド侵攻から始まり、電撃戦で西欧を制圧したが、連合国の反撃でドイツが降伏するまでの大規模な戦争」
概要(流れ)
1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、イギリスとフランスが宣戦布告して戦争開始。
ドイツは「電撃戦」でポーランド、デンマーク、ノルウェー、フランスなど西欧諸国の多くを短期間で制圧。
1941年6月、ドイツはソ連にも侵攻(独ソ戦)。スターリングラードの戦いなどで戦局が転換し、ソ連・連合国が反撃を開始。
1944年6月、連合国軍がノルマンディー上陸を成功させ、西からドイツ本土へ進撃。
ノルマンディー作戦(流れ)
連合軍はドイツ軍を混乱させるため、上陸地点や時期を隠す大規模な欺瞞作戦(ボディガード作戦)を展開。
上陸前に制空権確保や鉄道・通信網の空爆、補給路の遮断など徹底した事前攻撃を実施。
夜明け前、空挺部隊が敵背後に降下し、橋や道路を確保。
連合軍(アメリカ、イギリス、カナダなど)がノルマンディー海岸の5つのビーチ(ユタ、オマハ、ゴールド、ジュノー、ソード)に上陸。
上陸当日中に各ビーチで橋頭堡(上陸拠点)を確保。
その後、100万人以上の連合軍兵士が続々と上陸し、内陸部へ進撃。
ノルマンディーからパリへ進撃し、ついにパリが解放。西ヨーロッパ解放の決定的な足掛かりとなった。
この作戦は「オーヴァーロード作戦」とも呼ばれ、ヨーロッパ戦線の戦局を大きく転換させた歴史的な大規模上陸作戦。
その後、1945年5月、ソ連軍がベルリンを制圧する直前にヒトラーが自殺、ドイツが無条件降伏してヨーロッパ戦線は終結。
日本・世界への影響
日本は三国同盟などを通じて枢軸国側として関与し、太平洋戦争へと発展。世界では約5,500万人が死亡し、ヨーロッパは荒廃。
戦後、国際連合が創設され、冷戦・ヨーロッパ統合(EUなど)・戦争犯罪裁判など現代国際秩序の基礎が築かれた。
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【日 本】
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【政治・制度・社会】
1871-73年 ◆岩倉使節団派遣(使節団員は、帰国後、政府や各分野の指導者として近代国家建設を主導。アジアで初めて欧米列強と対等な近代国家を作り出した)
1871年 廃藩置県(中央集権体制へ)
1882年-83年 ◆伊藤博文の再渡欧(法案起草のための調査として再渡欧。この調査を基に、大日本帝国憲法の起草作業が本格化し、近代的な法治国家体制の整備が進んだ)
1889年 ◆大日本帝国憲法発布(近代的な法治国家であることを内外に示し、不平等条約改正に大きく寄与。しかし天皇主権や人権の制限、統帥権の独立など、後の軍部台頭や政治的問題の温床にもなった)
1890年 帝国議会開設(議会政治の開始)
1900年 治安警察法公布(労働運動の規制強化)
1911年 関税自主権の完全回復(不平等条約改正の総仕上げとして、国際的な対等関係確立)
1925年 普通選挙法成立(男子普通選挙実現)
1932年 五・一五事件(政党内閣の終焉、軍部台頭)
1936年 二・二六事件(陸軍青年将校によるクーデター未遂、軍部の影響力増大)
1940年 大政翼賛会発足(戦時体制の強化)
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【経済・産業】
1872年 新橋〜横浜間に鉄道開通(近代交通の象徴)
1882年 日本銀行設立(近代金融制度の確立)
1901年 八幡製鉄所操業開始(重工業化の推進)
1930年代 昭和恐慌(経済危機と社会不安)
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【社会・文化・教育】
1872年 学制発布(近代教育制度の導入)
1923年 関東大震災(首都圏壊滅的被害、復興事業)
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【軍事・外交・戦争】
1873年 徴兵令発布(近代的な国民国家・軍隊の成立に不可欠な出来事、「富国強兵」の要)
1877年 西南戦争(旧士族の反乱終結は、中央集権体制の確立へと、正式にはこれで維新が終わる)
1878年 ◆統帥権の独立(陸軍省が1878年12月、参謀本部を独立させ実質的な統帥権の独立が開始。その後、1889年に大日本帝国憲法で明文化される。結果的にこの制度が後の日本・世界を大きく変えることになる)
【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1894-95年 ◆日清戦争(朝鮮・台湾への影響力拡大)
1904-05年 ◆日露戦争(満州・朝鮮半島での権益拡大、第0次世界大戦とも言われ世界初の大戦になった。この日露戦争で国際関係の力学が変わった事が後の第一次世界大戦を起こす要因にも)
1910年 ◆韓国併合(帝国主義的な対外膨張の本格化、満州・中国大陸進出へのきっかけ)
1914-18年 第一次世界大戦参戦(被害なく勝利したことで国際社会から揶揄、しかし国際的地位向上)
1928年 ◆張作霖爆殺事件(関東軍による現地軍閥指導者暗殺、統帥権独立の悪用、この事件から関東軍の愚行が横行)
【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1931年 ◆満州事変(中国東北部への侵略開始、日本が不戦条約を破ったことがヒトラーに影響、他数々の事象を含めても、最近は第二次世界大戦は満州事変からはじまったという研究が主流になってきている)
【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1933年 ◆国際連盟脱退(国際的孤立化、対外強硬路線の加速、その後ドイツ、イタリアも同じく脱退し日独伊三国同盟のきっかけに)【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1937年 ◆日中戦争(中国と全面戦争、対米英関係の悪化と太平洋戦争への道)
【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1940-41年 ABCD包囲網
アメリカ(A)、イギリス(B)、中国(C)、オランダ(D)が日本への経済制裁・石油禁輸を実施。
日本は資源確保のため南方進出を決断。対米開戦への圧力が高まる。
1941年 ハル・ノート
アメリカ国務長官ハルが日本に対し中国・仏印からの全面撤兵などを要求。日本政府はこれを「最後通牒」と受け止める。
外交交渉決裂、対米開戦(真珠湾攻撃)・太平洋戦争勃発へ直結。
1941年 ◆第二次世界大戦(太平洋戦争開戦)(欧州だけだった戦争が、日本の参戦で世界大戦に急拡大、戦後の国際秩序の大転換)
【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1945年 ◆沖縄戦(国内最大、且つ日本本土で唯一、住民を巻き込んだ激しい地上戦の地上戦を経験。軍部独走と文民統制の欠如がもたらした典型例)
【詳しくは後半の◆統帥権の独立が全世界に与えた影響について◆で触れます】
1945年 ◆広島・長崎への原爆投下、ポツダム宣言受諾(世界初、現時点で世界最後の原爆投下、敗戦を決断)
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今回は、その中から、特に日本や世界に大きな影響を与えたと思われる3事象(岩倉使節団、大日本帝国憲法、統帥権の独立※)に焦点を当ててまとめてみました。
※統帥権の独立が肝になりますので、是非お読みいただけたら嬉しいです。
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3,◆岩倉使節団の概要と、彼らがプロイセン以外をメインで選ばなかった理由と選んだものは?
岩倉使節団は明治4年(1871年)11月12日に横浜を出発し、明治6年(1873年)9月13日に横浜に帰着しました。
周った国々と順番はアメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、プロイセン(ドイツ)、ロシア、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア、スイスの12ヶ国です。
目的は、
・不平等条約改正につなげること
・欧米諸国の元首に外交上の礼を尽くすこと
・欧米諸国の先進的な制度や文化・技術を調査・研究し、明治政府の近代化に役立てること
しかし、12ヶ国も周ったなかで、滞在期間がとても短かったプロイセン(ビスマルク)の影響が大きかったようです。特に軍事力の増強や統帥権の独立で、その後の日本の在り方を大きく変え、世界への影響もはかり知れませんでした。
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◆まず最初に、岩倉使節団がプロイセンを選択する前に「プロイセン以外の国を選ばなかった理由」と「選ばなかった国から参考にしたもの」について記載します。選ばなかった(選択が少なかった)理由も大切だと思いましたので、今回、最初に調べてみました。訪問順に記載しています。尚、フランス式軍制(後にプロイセン式に変更)やイギリスの議会制度などは積極的に採用しました。
(研究者、敬称略)
◆アメリカ 滞在期間:明治5年1月〜明治5年8月頃 (1872年1月〜1872年8月頃)
アメリカに到着した際、非常に大切なものとして「天皇の委任状(全権委任状の国書)」がなく、条約改正交渉を正式に始めることができない事態となりました。そのため、急遽、大久保利通と伊藤博文が一時帰国し、再度合流する必要が生じてしまいました。さらに、この国書は最初から用意すらしておらず急ごしらえ、この辺をみても、如何に外国とのやり取りに慣れていなかったがわかります。その影響もあり当初の条約改正交渉が難航し、最も長く滞在しました。
そんなことがありましたが、結果的にアメリカは広大な国土・自由主義・新興国家・共和制で、日本とは国情が大きく異なり、模倣は難しいと判断したためメインでは選択しませんでした。
しかし、教育制度(学制)、郵便制度、女性教育、農業技術は一部導入しました。(研究者 有本建男・市川慎一・芳賀徹・久米邦武、他)
◆イギリス 滞在期間:明治5年8月〜明治5年12月頃 (1872年8月〜1872年12月頃)
産業・制度は先進的だが、産業革命後の余波で貧困、階級社会、公害など負の側面も多く手本にはできないと判断したためメインでは選択しませんでした。
しかし、議会制度・海軍・鉄道・通信・金融・経済・工場運営や地方自治の仕組みは一部導入しました。(研究者 有本建男・倉沢剛・芳賀徹・久米邦武、他)
◆フランス 滞在期間:明治5年12月〜明治6年2月頃 (1872年12月〜1873年2月頃)
普仏戦争直後で国力が低下し、政治的に不安定で、国家モデルとしては重視しなかったためメインでは選択しませんでした。
しかし、陸軍の編成・訓練・軍事教育制度(フランス式軍制)、法律・民法・警察制度は一部導入しましたが、軍制は後にプロイセン式に変更。(研究者 西川長夫・市川慎一・芳賀徹・久米邦武、他)
◆ベルギー 滞在時期:明治6年2月頃 (1873年2月頃)
近代化が遅れており、日本の近代化モデルとしては優先度が低かったためメインでは選択しませんでした。
しかし、銀行制度や証券取引、工業技術は一部導入しました。(研究者 泉三郎・芳賀徹・久米邦武、他)
◆オランダ 滞在期間:明治6年2月〜3月頃 (1873年2月〜3月頃)
鎖国時代から交易関係はあったものの、近代化が遅れており、日本の近代国家モ、デルとしては適さなかったためメインでは選択しませんでした。蘭方医で日本では有名だった医学も、よく調べてみるとドイツからの影響だったことが分かりました。
しかし、土木技術・衛生制度、法学(特に民法)は一部導入しました。(研究者 宮永孝・芳賀徹・久米邦武、他)
◆ドイツ(プロイセン) 滞在時期:明治6年3月頃 (1873年3月頃)
プロイセン方式を積極的に選択。
詳細は本題に記載いたしますが、滞在期間がとても短い(3週間弱)にも関わらず、その後の日本を変えたことや世界への影響に、とても興味を持ちました。
◆ロシア 滞在時期:明治6年3月頃 (1873年3月頃)
当時のロシアは専制的な帝政国家であり、近代化や立憲制度のモデルとして日本が求める方向性と異なっていたためメインでは選択しませんでした。
しかし、鉄道・鉱山技術などの産業技術は一部導入しました。(研究者 坂内知子・芳賀徹・久米邦武、他)
◆デンマーク 滞在時期:明治6年4月頃 (1873年4月頃)
近代化が遅れており国力や影響力が限定的だったためメインでは選択しませんでした。
しかし、農業・酪農技術、教育制度の一部を導入しました。(研究者 泉三郎・芳賀徹・久米邦武、他 およびデンマーク日本大使館)
◆スウェーデン 滞在時期:明治6年4月頃 (1873年4月頃)
同じく、近代化が遅れており国力や影響力が限定的だったためメインでは選択しませんでした。
しかし、鉱工業技術、福祉制度の一部を導入しました。(研究者 泉三郎・芳賀徹・久米邦武、他)
◆イタリア 滞在期間:明治6年5月〜6月頃 (1873年5月〜6月頃)
統一から間もなく国としての体制や制度がまだ安定していなかったためメインでは選択しませんでした。
しかし、美術・音楽・建築など文化分野の一部は導入しました。(研究者 加藤磨珠枝・芳賀徹・久米邦武、他)
◆オーストリア 滞在時期:明治6年6月頃 (1873年6月頃)(ウィーン万国博覧会を視察)
多民族国家であり社会構造や政治体制が複雑で、日本のような単一民族国家が中央集権的な近代国家を目指す上で直接的なモデルとしにくかったためメインでは選択しませんでした。
しかし、医学・病院制度、音楽教育の一部は導入、伊藤博文の再渡欧時には憲法制定でオーストリアの教授から影響を受けることになります。(研究者 芳賀徹・久米邦武・アジア歴史資料センター、他)
◆スイス 滞在期間:明治6年6月〜7月頃 (1873年6月〜7月頃)
日本とは大きく違う永世中立国、独自の連邦制や直接民主制を持ち、精密工業や観光など独特の産業構造を持っていたためメインでは選択しませんでした。
しかし、銀行制度、教育制度、郵便制度の一部は導入しました。(研究者 千野境子・芳賀徹・久米邦武、他)
帰りは、フランスのマルセイユから船路でエジプト(スエズ運河経由)、アジアの港(アデン、セイロン、シンガポール、サイゴン、香港、上海など)を経由して横浜に帰着しました。首脳陣や随行員、留学生を含めて総勢100名以上の大使節団でした。
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4.◆岩倉使節団は何故プロイセンを選んだのか?
岩倉使節団のドイツ(プロイセン)滞在は、19日間(明治6年/1873年3月9日ベルリン到着、3月28日ベルリン出発)と、他国に比べて非常に短期間でした。しかし、その後の日本の近代化、憲法制定や国家体制の構築、特に軍制の近代化に極めて大きな影響を与えた背景には、いくつかの重要な理由があることがわかりました。
◆日本の現状との親和性:
使節団は、アメリカの自由で民主的な制度にも感銘を受けましたが、当時の日本の社会状況や政治体制(天皇を中心とした中央集権国家を目指していた)にそのまま導入するには、急進的すぎると考えました。
一方、ドイツ(プロイセン)の立憲君主制や、強力な官僚制度、国家が産業育成を主導するモデルは、天皇制を維持しながら近代国家を建設しようとしていた日本の指導者層にとって、より受け入れやすく、応用可能だと判断された側面があります。(正式採用は伊藤の再渡欧後)
◆ドイツ(プロイセン)の成功体験の魅力:
使節団が訪問した当時のプロイセンは、普仏戦争(1870-1871)に勝利し、プロイセン主導でドイツ帝国を統一した直後でした。
後発の小国ながら急速に国力を高め、強大な軍事力と工業力を持つ統一国家を形成した成功モデルは、欧米列強に追いつくことを至上命題としていた日本にとって、非常に魅力的で現実的な目標に見えました。
他の欧米諸国(特に英米仏)の自由主義・民主主義的な発展とは異なり、強力な君主(皇帝)と官僚機構、軍隊が主導する形で近代化と国家統一を達成した点が、日本の指導者層にとって参考にしやすいと感じられました。
◆ビスマルクとの会見とその影響:
使節団の中心人物である大久保利通や伊藤博文らは、ドイツ帝国宰相オットー・フォン・ビスマルクと会見しました。ビスマルクは、理想論よりも国益を優先する現実主義(Realpolitik)に基づき、鉄(軍備)と血(戦争)によってドイツ統一を成し遂げた経験を語りました。
ビスマルクは、日本が不平等条約改正を急ぐよりも、まずは国内の整備(とにかく軍事増強、産業、法制)を進めて国力を充実させることが先決である、と説いたとされます。この現実的かつ国家主導的なアプローチは、特に大久保利通、伊藤博文らに強い感銘を与え、帰国後の政策(内治優先、殖産興業)に大きな影響を与えました。
◆伊藤博文の再渡欧:(別項で詳細について触れました)
岩倉使節団の経験を踏まえ、後に初代内閣総理大臣となる伊藤博文は、大日本帝国憲法制定の調査のため、1882年(明治15年)に再度ヨーロッパへ渡り、特にドイツ(ベルリン大学)とオーストリア(ウィーン大学)でグナイストやシュタインといった法学者から集中的に学びました。
この時の経験が、プロイセン憲法をモデルとした日本の憲法草案作成に決定的な影響を与えました。使節団での訪問時の感銘が、後の深い研究へと繋がったと言えます。
(ここまでは、下記に記載したの参考文献から要約したものです)
◆大久保が残した言葉
「文明の利器に接し、我が国の遅れを痛感した」
引用元:米欧回覧実記
「日本の遅れ」に絶望し、「今の日本のままでは独立を保てない」と痛感した
引用元:米欧回覧実記
「欧州諸国の文書を見て、日本はまず内政を強化し、富国強兵を進めたい。条約改正はそれからのことである。」
この言葉は、節団の経験を活かして大久保が日本の近代化の優先順位を明確に示しました。ビスマルクの影響を受け、征韓論を退け、内政重視の路線を進めた背景に繋がります。
引用元:佐々木克『大久保利通:明治維新と志の政治家』
ビスマルクは、日本のキリスト教禁止政策についてのやとりで、「宗教の自由を認めることが近代国家の条件である」と言ったとされています。これも大久保に影響を与えました。
引用元:田中彰『明治維新と西洋文明 岩倉使節団は何を見たか』
◆伊藤の言葉
最初のアメリカで
「日本の国の旗の赤い円は、古く閉ざされた帝国の象徴ではなく、進歩し続ける太陽の象徴として、世界の啓蒙された今の中で前進し進歩するものとなる。」引用元:「日の丸演説」
プロイセンで「ビスマルクの言葉は我々国家の骨組みを教えた。日本の憲法は、欧州の模倣に非ず、国民の精神に根ざすものでもない。」
引用元:伊藤博文『外遊日記』(1873年3月、プロイセン滞在中の記録)
「我々は文明の末席に列せんと欲す」と述べ、「日本も欧米列強に伍して近代国家となるべきだ」と強い決意を表明しました。
引用元:米欧回覧実記
■以下に別の視点(一部重複)でプロイセン主導のドイツ帝国を選択した理由をより具体的体的に記載します。
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◆国情の類似性:
当時の日本は、天皇を中心とする中央集権国家を目指していましたが、国内には旧幕府勢力や地方の藩閥勢力など、統一を阻む要因が多く存在していました。
プロイセンも、ドイツ連邦という多数の邦国が集まった国家でありながら、ビスマルクの指導のもとで強力な中央集権体制を確立し、軍事力を背景に周辺国を統合していったという歴史的背景がありました。
日本の指導者たちは、プロイセンの国家形成の過程に、自国の課題を解決するためのヒントを見出したと考えられます。(研究者名:田中彰 他)
◆強力な軍事力:
プロイセンは、鉄血宰相ビスマルクの下、強力な軍事力を保持し、普墺戦争や普仏戦争で勝利を収め、その国威を高めていました。
日本にとって、プロイセンの効率的な軍事組織と徴兵制度は非常に魅力的に映りました。陸軍の近代化において、プロイセン軍制が深く参考にしたことはよく知られています。日本陸軍の近代化は、当初フランス式軍制を導入していましたが、やがてプロイセン(ドイツ)式への移行が本格化しました。(研究者名:大山梓 他)
◆官僚制度の効率性:
プロイセンの官僚制度は、規律正しく効率的であると評価されていました。中央集権体制を確立し、近代国家を運営していく上で、有能な官僚機構の整備は不可欠であり、プロイセンの制度はそのモデルとなり得ました。(研究者名:坂野潤治 他)
◆ビスマルクの現実主義的な政治手腕:
ビスマルクは、理想論ではなく現実的な国益に基づいて政策を推進する「現実政治(Realpolitik)」を掲げ、ドイツの統一を成し遂げました。
日本の指導者たちは、ビスマルクの強力なリーダーシップと、目的達成のためには手段を選ばない政治手腕に強い印象を受け、参考にしようとしたと考えられます。(研究者名:伊藤之雄 他)
◆憲法制定への影響:
プロイセン憲法は、君主の権限が強く、議会の権限が弱いという特徴を持っていました。明治政府は、立憲君主制を採用するにあたり、天皇の権威を高く維持しつつ緩やかな議会政治を導入するという点で、プロイセン憲法が参考になったと言われています。(研究者名:木村草太 他)
◆大久保、伊藤がビスマルクから受けた影響の具体例:
大久保利通はビスマルクを「大先生」と呼び、ドイツの統一と発展を日本近代化の参考にすべきと考えました。その後、ビスマルクの国家主導の統治に感激し、後に内務省を設置し、中央集権化を推進します。(研究者名:飯田洋介 他)
伊藤博文は、ビスマルクの葉巻を真似するなどの逸話も伝わっており、個人的に強い憧れもあったようです。その後、再渡欧し、プロイセン憲法案を参考に、新憲法案を起草しました。(研究者名:飯田洋介 他)
◆ビスマルクが彼らにかけた言葉:
「諸君らは世界各国が礼儀を持って付き合っているのを見ただろうが、それは表面上のことで、現実は弱肉強食である。プロイセンは昔小国だったので、そのときの屈辱は今も忘れ難い」と。
また、「大国は自分に利益がある場合は国際法に従うが、ひとたび不利とみればたちまち軍事力にものを言わせてくる」とも述べており、国際法や条約に頼るだけでは独立を守れない現実を強調しました。
このビスマルクの発言は、条約改正交渉で苦戦していた日本の指導層に強い衝撃を与え、「まずは国力と軍事力を高めることが独立維持の鍵である」との認識を深めさせました。(研究者名:飯田洋介 他)
◆ビスマルクの演説:
使節団副使の大久保利通や伊藤博文らは、ビスマルクの「弱肉強食※」演説(1873年3月15日)に強い衝撃を受けました。
これは当時の日本が直面していた不平等条約改正交渉の現実(欧米諸国が日本の法制度を理由に改正を拒否)に直結する指摘でした。(研究者名:飯田洋介 他)
※ビスマルクの「弱肉強食」演説の内容とその影響
↓
ビスマルクは晩餐会で日本のリーダーたちに対し、欧米諸国とは異なる率直なスピーチを行いました。その要旨は以下の通りです。
・国際社会の本質は「弱肉強食的」
ビスマルクは「世界の各国は礼儀を持って付き合っているように見えるが、それは表面上のことであり、実際には強い国が弱い国を凌駕し、大小の国が互いに侮り合うのが現実である」と述べました。
・万国公法(国際法)の限界
万国公法(国際法)は、全ての国の権利を保障する建前だが、実際には大国が自国に有利なときだけ守り、不利となれば武力に訴えると指摘しました。
・小国の生き残り戦略
「小国が自主権を守るには、まず軍事力と経済力を高め、力を持たなければならない。国際法に則った国体を整備するよりも、富国強兵に努めて独立を全うすることが大事である」と強調したとされています。
・ビスマルク自身の経験
ビスマルクは「私の幼少期、プロイセンは貧弱な小国だった。その屈辱は忘れられない。だからこそ、数十年にわたり軍事と経済の実力を培い、ようやく強国と肩を並べることができた」と述べました。
・日本への影響
大きな衝撃と政策転換
使節団は当初、国際法(万国公法)を遵守することが日本の独立と繁栄の道だと信じていましたが、ビスマルクの現実的な忠告に大きなショックを受けました。
・富国強兵政策の再明確化
ビスマルクの助言を受けて、大久保利通や伊藤博文ら明治の指導者たちは、「富国強兵」政策をさらに明確に推進するように確信します。軍事力と経済力の増強こそが独立維持の鍵であるという認識が強まりました。
・ドイツ(プロイセン)式制度の導入
ビスマルクの「鉄血政策」に倣い、日本は陸軍をドイツ式に改編し、憲法もプロイセン憲法(ドイツ憲法からも一部)を範とするなど、制度面でもドイツ流を積極的に採用しました。
・外交姿勢の変化
国際社会の現実を直視し、単なる法や理想だけでなく、実力(軍事・経済力)を背景にした現実的外交が必要だという意識が日本の指導層に根付きました。
注目すべきは、ビスマルクが日本に対して、当時の列強であったイギリスとフランスを含む欧州の国々を特に警戒するように警告したことです。
・特徴は?
「助言は?」→「影響は?」
↓↓↓
・軍事力の重視
「国家安全保障と政治目標達成のために最も重要」→「国家開発の中心的な柱、急速な軍事近代化に舵を」
・産業化の役割
「軍事力と国家力を支えるために暗黙的に必要」→「強力な軍事力のための経済力を構築へ」
・実用主義(現実政治)
「理想主義的な考慮よりも国家の利益と権力を優先」→「近代化と国際関係への実用的なアプローチへ」
・列強への不信
「イギリスやフランスのような確立された強国には特に警戒すべき」→「西洋列強と対等な地位を達成し、過去の依存を避けるように」
・歴史からの学習
「”賢者は歴史から学ぶ”とし、成功したモデルを採用することを提唱」→「ドイツのモデルを含む、西洋のシステムを研究し採用する方向に」
(研究者名 泉 三郎、馬場正裕、飯田洋介、久米邦武、田中彰、瀧井一博、アジア歴史資料センター)
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5,◆その功罪
プロイセンを模範とした日本の近代化には、功罪両面が存在したと考えました。
◆「功」の側面(肯定的な影響・成果)◆
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◆迅速な近代化と「富国強兵」の実現:
強力な中央集権体制と官僚主導によるトップダウンの政策実行は、短期間での産業育成(殖産興業)、インフラ整備(鉄道、通信網など)、近代的な軍隊の創設を可能にしました。これにより、欧米列強に対抗しうる国力を急速に高めることができました。
◆国家統一と国内安定の達成:
天皇を頂点とする中央集権的な国家体制は、廃藩置県後の国内の混乱を収拾し、国家としてのまとまりを早期に確立する上で効果的でした。比較的安定した政治基盤の上で近代化を進めることができました。(功だけではない)
◆不平等条約改正と国際的地位の向上:
「富国強兵」の結果、特に日清・日露戦争での勝利などを経て、日本は欧米列強に国力を認めさせ、幕末以来の課題であった不平等条約の改正(領事裁判権の撤廃、関税自主権の回復)を達成することができました。これにより、名実ともに独立国としての地位を確立し、国際社会での発言力を高めました。(功だけではない)
◆効率的な行政機構の構築:
ドイツをモデルとした官僚制度は、統一的な法制度の整備や全国的な行政サービスの展開に貢献し、近代国家としての体裁を整える上で重要な役割を果たしました。
◆「罪」の側面(否定的な影響・問題点)◆
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◆軍国(独裁)主義への道:
「富国強兵」のスローガンの下、特に強兵(軍事力の強化)が最優先課題の一つとされました。
また、憲法上、軍隊の統帥権が政府から独立して天皇に直属する大権とされた【統帥権の独立(後に詳しく)】が、軍部の政治的影響力を増大させる要因となりました。これが後に、政府や議会のコントロールが効かないまま軍部が暴走し、関東軍(元は満鉄の守備隊的な仕事で、一夕会の影響が大)による侵略戦争へと突き進む大きな原因となりました。
◆議会制民主主義の未発達と権威主義:
プロイセン憲法の影響を強く受けた大日本帝国憲法は、天皇に強大な権限(統治権の掌握)を認め、議会(帝国議会)の権限は相対的に弱いものでした。国民の権利よりも国家の権力が優先され、民主主義的な制度や文化の成熟が阻害。結果として、政府や軍部の意向が強く反映される権威主義的な体制が定着しました。
◆官僚主義の弊害:
効率的にみえた官僚制度も、次第に権威化・硬直化し、国民の声よりも組織の論理が優先される、いわゆる「官僚主義」の弊害も生み出しました。また、昭和期にはいると省庁間の対立(セクショナリズムや縦割り)なども問題となりました。
◆国民の権利や自由の制限:
国家の統一や安定、国力増強が優先される中で、個人の自由や権利はしばしば制限されました。治安維持法などに見られるように、政府の方針に異を唱える思想や運動は厳しく弾圧されました。
(ここまでは最後に記載した参考文献をまとめたものです)
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◆ココからは重複しますが、より具体的に記載します◆
◆功績◆
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・中央集権体制の確立:
プロイセンの制度を参考にすることで、明治政府は迅速かつ強力な中央集権体制を確立し、国内の統一を推し進めることができました。これにより、近代国家としての基礎が築かれました。(研究者名:稲川照芳 他)