【固い約束と心の声】


↑最終仕上げに少しだけAIを使いましたが、絵自体は僕の手描きですので
落款をしました↑

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基本的に西・東どちらかを褒めたり貶したりはせず、公開資料ベースで書いたつもりです。
というのも、両方に言い分があるからです。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、歴史を「通史」として俯瞰して見ていると、その考え方が争いを少しでも減らすことができる方法では?と思うようになってきたからです。

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【1】はじめに
■是非お読みください
・個人的な事や、この物語について
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固い約束――8日でなぜ世界史が変わったのか?
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【2】では、世界中が平和を謳歌し、それを語った8日後に何があったのでしょうか
■是非お読みください。
この物語のキーワードの項目です。

・ある約束をめぐり世界史が変わってしまった
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【3】約束と自由、冷戦――ポーランドからベルリンの壁崩壊までの全体像

・たとえ国が地図から消されても、自由への願いまでは消せない。そしていつの日か、世界が一つになる日が来ることを
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世界はなぜ二つに裂けたのか――約束と裏切り、顔をなくしたポーランド
【ミュンヘン会議からソ連崩壊への50年】
↓
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【4】1938〜1939年|英国の約束から第二次世界大戦へ

・守ると約束したが、守ることができなかった。そして再び世界は
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【5】1940〜1945年|共通の敵を倒した先に

・敵を倒せば、自由が戻ると信じていた。だが、やっと解放されても、また別の大国によって……。いったい、何のために戦ったのだ!
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【6】1946〜1949年|「鉄のカーテン」から冷戦の形成

・敵を倒せば平和が戻るはずだった。だが、今度は赤い影が……。 解放されたはずの国々は再び支配下に置かれ、やがて世界は二つに分かれていく

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【7】1950〜1960年代|世界を覆う東西対立

・世界は二つに分かれ、戦火は広がり、核の恐怖が人類を覆う。それでも人々は平和への約束を結ぼうとしていた
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【8】1970〜1980年代前半|ワレサの登場

・かつて世界大戦の引き金となった国が自由を求めて立ち上がった。歴史は再び、一つの国から動き始めようとしていた
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【9】1985〜1991年|壁の向こうから、自由が動き始める

・ひとりの指導者が変革へと動き出した。そして、世界を二つに分けていた壁が崩れた! 人々は自由を求めて壁を越え、歴史を動かし始めた。
この現実を誰が想像できただろうか
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【10】ソ連・ロシアからの視点

・相手にも言い分がある。恐れがある。譲れないものがある
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【11】最後に
■是非、お読みください。
今が見えてきます。

約束は破られ、不信は新たな対立を生み、戦火は世界各地へと広がってゆきました。その犠牲となるのは、いつも名もなき人々です。
人類は、「約束」から何を学んだのでしょうか。自作ですが「心の声」がその裏付けになっているような気がします。


1991年から2026年までにあった事象と約束
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・1991〜1995年|ユーゴスラビア解体とボスニア紛争
・1994年|ルワンダ・ジェノサイド
・1994年12月|ブダペスト覚書
・1999年〜|NATOの東方拡大
・2000年〜|プーチンの登場とロシアの勢力圏構想
・2001年9月11日|米国同時多発テロ――「一国への攻撃は、同盟全体への攻撃」
・2003年|イラク戦争
・2008年|ジョージア(グルジア)紛争
・2011年〜|アラブの春(シリア内戦と大国の代理戦争)
・2014年|ロシアによるクリミア併合
・2020年|ナゴルノ・カラバフ紛争(アゼルバイジャンとアルメニア)
・2022年2月|ロシアによるウクライナへの全面侵攻
・2023年〜|スーダン国軍と准軍事組織(RSF)の衝突
・2023年10月〜|イスラエル・ガザの戦争
・2026年|米・以によるイランをめぐる軍事衝突
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【12】戦争紛争の増減を表すグラフ(引用)
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■追加→個人的に思う日本の戦争における失敗について(あくまでも失敗と思われる事象だけです)
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◆参考にした資料
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【1】固い約束――世界中が平和を謳歌した8日後に何があった?
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【1"】はじめに

●僕は下手ではありますが、自分の想いを絵で表現することが好きです。そして、歴史を振り返ることも好きです。
つまり排出(絵)と現実(歴史)。
そうなった原点は「無言館」で出会った、ある若者の言葉でした。

「小生は生きて帰らなければなりません。絵を描くために」

出征を前にしたその若者は、絵筆を握りしめ、「あと十分、いやあと五分でいい、この絵を描かせてくれ」「帰ったら必ずこの続きを描くから」という思いを残しました。
しかし彼が再び筆を執ることはありませんでした。無言館に遺された未完のキャンバスがそれを物語っています。

その若者にとっては「絵」でしたが、人それぞれに、夢中になったもの、生きて帰って思いを遂げたいものがあったはずです。そこには深い愛も、この絵のような切ない恋もあったことでしょう。

なぜ、こんな時代があったのだろうか。なぜ、一人の若者が自分の夢や未来を断ち切られなければならなかったのだろうか。
そう考えると、戦争を引き起こした歴史や、その時代を動かした指導者たちの責任そして約束を調べずにはいられなくなりました。

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◆この物語について

●この物語は、「約束」と「心の声」を軸に、できる限り史実に忠実にまとめた創作です。そのため、お気づきの点や異なる見解などがありましたら、ご教示いただければ幸いです。
あえて文面に書いていませんが、当時、多くの日本人たちも報道に影響され戦争に否定的ではなかったことは事実でした。もし僕も当時、生きていたらそのようにしてしまったかもしれません。自信がありません。

●「約束」「心の声」をテーマにしたのは、ある国と世界との約束が、その後の世界史を大きく動かしていったからです。
また、その時の指導者・国民には口にはだせない「心の声」があったと思ったからです。声は想像で書きました。
世界がある条約を結んでから3年。世界史上これほど平和だった時代はないと語られた、そのわずか8日後、世界史を大きく変える事件が起こりました。
歴史において交わされた約束が世界を動かし、そこには心の声があったと思います。

●なぜ「物語」としたのか。それは、今回が史実に基づいた創作ベースだったのと、歴史が過去の人々だけのものではなく、今を生きる私たちにもつながる物語だからです。そして、その流れを個々の出来事だけでなく、通史として俯瞰して見たかったからです。
そこに史実ばかりではなく「権力者の心の声」も想像で入れてみました。

●文章の作り方は、まずテーマを決めて図書館やGooglebooksで検索して裏取りをします。その後、自分で文章をつくります。
これで完成なのですが、念のためAIに文章や確認してもらいます。表現のミスや、誤字脱字、文法チェック、当用漢字にない文字なども修正してくれるので便利に使っています。最後に自分で何度も確認してアップします。

●概要は「1931年〜2026年の米・以によるイランへの攻撃まで」に起こった主な歴史的事象と、冷戦をメインに国家の命運を左右し、時代を動かしてきた数々の「約束の物語」を「心の声」でたどったつもりです。

●東西どちらかに偏ってしまうと、自分だけの狭い視点になってしまう恐れがあります。そのため、解釈が分かれる問題については、異なる視点も取り上げました。

●最後の項目に記載した「2023年のイスラエル・ガザ戦争」も100年以上前の約束に起因していました。

●一番最後にグラフも引用していますのでご覧いただけましたら幸いです。今の世界が分かりやすいと思います。

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●第一次世界大戦は、後世に「失われた世代」と呼ばれる人々を生み、ヨーロッパをはじめ世界各地に深い傷跡を残しました。
人類は、この甚大な被害を経験し、考えます。
「平和のために、戦争は必要なのか? いや、そんなはずはない。戦争を国家政策の手段にしてはいけないはずだ」と。
そこに、重要な「約束」が生まれます。そこには「心の声」もあったはずです。
しかし、やがて人類は悲劇から学び戦争を防ぐために築いた国際秩序を、自ら揺るがしていくことになります。

●満州事変からはじまり、ドイツの台頭、大戦、冷戦、ベルリンの壁崩壊。そして現在も続く紛争激増の時代。
これらは、それぞれ別々の出来事のように見えます。しかし、歴史をたどると、国際秩序を揺るがす一つひとつの約束、判断、行動が、次の時代の選択に影響を及ぼしていく姿が見えてきます。

絵を描くために生きて帰りたいと願った若者。
その思いを出発点に、史実をたどりながら、国家間の「約束」が「心の声」が歴史をどう動かし、今を生きる我々に何を問いかけているのか。そんな通史の物語を綴ってみました。

次の【2】「それを語った8日後に何があったのか」も是非ご覧ください。
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【2】では、世界中が平和を謳歌し、それを語った8日後に何があったのでしょうか

-----------約束-----------
ドイツの勢力拡大(ヒトラー前)、バルカン半島の民族対立、列強の軍備拡張と対立が欧州の緊張が高まり起こった第一次世界大戦。(きっかけはサラエボでの暗殺)
1928年8月、その惨禍を繰り返さないため、世界は「不戦条約」という国家間の固い約束を結びました。
戦争を国家の政策の手段としないというもので、もちろん、日本も、ドイツも、その約束に加わりました。

その3年後の1931年9月10日。
国際連盟運動の中心人物、英国のロバート・セシルは語りました。
「世界史上、これほどまでに平和だった時代はない」※
つまり世界は、ようやく戦争のない時代に近づいたわけです。
※細谷雄一・慶應義塾大学教授、NHK Eテレ『3か月でマスターする世界史』にて解説。

-----------約束は守られたのか?-----------
ところが、そのわずか8日後の9月18日、日本の関東軍が満州で軍事行動を開始します。満州事変です。
世界平和が謳歌されそれが語られた直後でしたが、世界が交わした約束は、現実の前に揺らぎ始めました。
それに対して列強は軍隊を送るなどの措置は取りませんでした。理由は各国とも世界恐慌の対応に追われていたためですが、このことは後に大変大きな影響を及ぼします。

-----------何故、戦争を事変と呼んだ?-----------
日本側が「戦争」という言葉を避け「事変」と呼び続けた背景には、不戦条約違反という国際的批判をかわそうとする意図があったと考えられます。それに関して注目すべき史料が図書館にありました。

今回、国会図書館で調べた公開資料(『日本外交文書 満洲事変 第1巻第1冊』)には、1931年9月21日の閣議決定として、次の文言が記録されていました。
「九月十八日夜支那兵ノ満鉄爆破ニ因リ生起シタル今回ノ事件ハ之ヲ事変ト看做ス」
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「9月18日夜、中国兵による満州鉄道の爆破によって発生した今回の事件を、『事変』とみなす。」と言うような内容になっていました。中国兵による満州鉄道の爆破によって、も含め驚きます。

また、同じく国会図書館で、東京大学の太田聡一郎氏による論文「戦争違法化の時代における『警察』概念の複層性―二〇世紀日本の軍事と法―」では、日本が満州事変において、不戦条約の規制をかいくぐるため「事変」とした背景の説明が論じられているのを検索で見つけました。
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さて、1928年、日本は「戦争を国家の政策の手段としない」ことを世界と約束しました。しかし、満州事変を起こした日本は、その約束を破ったと認めようとはしませんでした。「戦争」ではなく「事変」。「侵略」ではなく「自衛」。言葉を変えることで、世界との約束をなかったことにしたかったのかもしれません。

列強は、満州事変に対して軍隊を派遣し、軍事力で阻止することはありませんでした。
翌1932年、国際連盟はリットン調査団を派遣し、その報告書は、日本軍の行動を正当な自衛とは認めませんでした。
ところが、国際社会が日本の軍事行動を実力で阻止することが出来なかった事実は世界に伝播します。

それは、「不戦条約を破っても、世界は黙認した」という認識を世界に広げ、ヒトラーの判断にも影響を与えた可能性があると指摘されています。(細谷雄一・慶應義塾大学教授)

その後、ドイツはポーランドに侵攻します。
満州事変で露呈した国際秩序の弱さは、ドイツの行動にも影を落としていたのかもしれません。
それに対し英国は、ポーランドの独立を守るという約束を背景に、ドイツに宣戦布告。ついに第二次世界大戦が勃発します。

「戦争を国家の政策の手段としない――世界が交わした約束」は、守られない約束となり、世界は再び大戦の時代へと向かって行きました。

-----------心の声-----------
●1928年|不戦条約――戦争をしないという約束
●心の声=
〇世界の人々:「あれほど悲惨な戦争を経験したのだ。もう二度と、戦争をしてはならない。」
〇各国の指導者:「これで、戦争のない平和な世界に近づけるはずだ。」

●1931年9月|満州事変――約束が揺らぎ始める
●心の声=
〇日本の軍部:「満州の権益を守らなければならない。これは自衛のための行動なのだ」
〇日本政府:「不戦条約では戦争(warと記載して)を禁止している」なら、「これは『戦争』ではなく『事変』にしよう」
〇世界の人々:「戦争をしないと約束したはずなのに、なぜ軍事行動が起きているのだ?」

(3) 1939年9月|ドイツのポーランド侵攻――約束が試される
●心の声=
〇ドイツ・ヒトラー:「日本が約束を破ってもお咎めがなしか、ほほぉ。
俺も勝負に出よう、気も熟したしポーランドに侵攻だ。英国とフランスは、どこまで本気で立ち向かってくるのか……。」
〇ポーランド:「英国よ、私たちの独立を守るという約束を、どうか守ってくれ。」
〇英国・チェンバレン首相:「ドイツがポーランドから撤退しない以上、もはや引き下がれない。ポーランドとの約束を行動に移すときだ。」
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●リーダーの判断について。
ご存じのように、僕は歴史の専門家ではありません。また、これらの事象はあくまでも僕なりに見つけ出した資料を元にわかる範囲で物語風に振り返っているだけのことです。
ただ、これを書きながら思ったのは、現在も多くの問題が増幅し続けている恐怖を感じた事でした。権力を持つものが一度、極端に振れてしまうと、その後、振り切った場所でしか判断が出来なくなってしまうことの恐怖です。

●例えば、道に迷ったあるグループのリーダーが「こっちで合っているぞ」と叫びみんなを引き連れて歩き始めます。
しばらく歩いたころ、ある部下が「この道、間違ってないですか?」と恐る恐る小声で言いました。
リーダーは道の先をじっと見つめ直したところ……急に不安になり、不安はどんどんと強くなってゆく。
が、いまさら……。
早く認めて引き返せば傷は浅いのに、進めば進むほど、ナイフは深く刺さってゆきます。
部下たちは、だんだんリーダーの顔色や言動がおかしくなって来たのを感じた、が口には出せず、ただ下を向いて付いてゆくだけ。
もしもこれが「国」だったら。

「ミスは気づいた時が一番小さい」そして「ミスを認める勇気がリーダーを育てる」

今回は、絵を描きながら「約束」と「心の声」を視点に歴史をたどってみました。特に残されている史実だけではなく、リーダーの心の声を想像で作成しはじめたら、自分がその場にいるような錯覚にもなってきて、少しゾッとしました。
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●次は、冷戦―ポーランドからベルリンの壁崩壊までの「全体像」ですが、お時間がなければ、メニューの【11】を是非ご覧ください。今が見えてくると思います。
(可能でしたら各項目の赤文字の「●心の声=」だけでも読んでいただけましたら幸いです)
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【3】約束と自由、冷戦――ポーランドからベルリンの壁崩壊までの【全体像】
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◆この項は、あくまでも「全体像」ですが、この流れは「冷戦を俯瞰」する場合、分かり易いかと思いましたので、各時代の「事象・約束・心の声」に移る前にココに記載しました。
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◆冷戦前史――地図から消えた国、ポーランド
18世紀末、ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアの三大国によって3度にわたり分割され、1795年、ついに国家としての独立を失いました。
その後、ナポレオンの登場によって、ポーランド人は独立回復への希望を抱きます。1807年にはワルシャワ公国が成立しましたが、ナポレオンの敗北により、その希望も再び打ち砕かれることになります。
国が再び独立を回復したのは、第一次世界大戦が終結した1918年のことでした。
しかし、そのわずか21年後の1939年、ポーランドはナチス・ドイツとソ連の侵攻を受け、再び独立を失い、東西から分割・占領されることになります。
一度は地図から消え、長い年月を経て取り戻した独立。その独立を守ると約束していたのが英国でした。

◆冷戦への道
1939年、英国はポーランドの独立を守ると約束しました。
そのためドイツがポーランドに侵攻すると、英国はその約束に基づき、ドイツに宣戦布告します。が、ポーランドの独立を守ることはできませんでした。

第二次世界大戦の終結にあたり、米英ソは東欧の人々が自由選挙によって自らの政府を選べる未来を約束しました。しかし、戦争が終わっても、自由は訪れませんでした。
東欧諸国は次々とソ連の支配下に置かれ、約束された未来は、現実から遠ざかっていきます。
共に戦ったはずの国々の間に生まれた約束と現実の食い違い。それは、やがて同盟国同士の信頼を崩してゆきます。
戦争を終わらせた同盟は、平和をめぐる約束によって、やがて対立へと向かっていったのです。

◆しかし、自由を求めたポーランド――「ワレサ・連帯」の挑戦
そして約半世紀後、ポーランドが再び歴史を動かします。
1980年、自由を求める労働者たちによってワレサを中心に「連帯」が結成されました。
その運動は、1989年の歴史的選挙と非共産党系政権の成立へとつながり、東欧の共産主義体制が崩れていく大きな転機となります。

1939年、ポーランドの独立を守ると約束しながら、それを実現できなかった英国。それから約半世紀、ポーランドの人々は自らの手で自由を求めて立ち上がり、英国はそれを強く支持しました。そして米国、ローマ教皇、西ドイツ、フランスなど、多くの国や人々もその闘いを支えました。
冷戦の終わりに道を切り開いたのは、ポーランドの人々による飽くなき自由への闘いと、それを支えた国々の存在だったのです。

◆ベルリンの壁崩壊――世界は1つになろうとした
ポーランドでの変化は、東欧全体へと波及していきます。
1989年11月9日、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊します。
東ドイツの人々が自由を求めて声を上げ、国境検問所に押し寄せるなか、ついにあの壁が人々を阻む力を失ったのです。
ソ連もすでに戦車を送ろうとはしませんでした。
ポーランドの「連帯」が示した民衆の力、そしてソ連が東欧への武力介入を控えたこと。こうした変化が重なり、東欧の共産主義体制は次々と崩れていきます。
人々が壁を越え壁を打ち砕いた夜。人々の目は輝き、世界は1つになろうとしていました。

●冷戦を見つめた人類、心の声=
国を奪われ、自由を奪われ、それでも希望を捨てなかった彼ら。
約束された自由が裏切られ、共に戦った国々が対立し、世界が二つに分かれていく時代を生きた彼ら。
それでも彼らは、自由を求めて立ち上がり、ついに壁を越えた。
歴史を動かしたのは、決して自由を諦めなかった彼らでした。

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●次からは、世界はなぜ二つに裂けたのか――約束と裏切り、ミュンヘン会議からソ連崩壊への50年として、各年代の約束をたどってゆきます。
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◆世界はなぜ二つに裂けたのか――約束と裏切り、ミュンヘン会議からソ連崩壊への50年、顔をなくしたポーランド
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●このブロックは開戦・冷戦・ソ連崩壊まで53年間の各事象および約束です。
●その間にソ連・ロシアの視点を挟みます。
●最後のブロックで冷戦後の紛争〜現在(2026年)までの各事象および約束を見て、現状を表したグラフを表示して終わります。

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【4】1938〜1939年|英国の約束から第二次世界大戦へ
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●1938年9月|ミュンヘン会議――平和への約束
英国のチェンバレン首相らは、戦争を回避するため、ヒトラーによるチェコスロバキアのズデーテン地方併合を容認しました。ヒトラーは合意を受け入れ、チェンバレンは平和を守ることができたと信じました。
しかし、その期待は裏切られます。翌1939年3月、ヒトラーはチェコスロバキアの残りの地域を占領しました。
●約束=平和を守るための約束は、侵略を止める保証にはなりませんでした。しかも、その約束(合意)は、守られるべきチェコスロバキア自身の意思を十分に反映しないまま結ばれたものでした。

●心の声=
〇英国・チェンバレン首相:「ヒトラーよ、我々はチェコスロバキアのズデーテン地方をドイツに譲ることを認める。だから、もう領土を求めず、戦争を起こさないでくれ。これで平和が守れるはずだ。」
〇ドイツ・ヒトラー:「英国もフランスも、戦争を避けるためなら、チェコスロバキアの領土を私に譲るのか。では、ズデーテン地方をいただこう。さて、次は。へへへ」
〇チェコスロバキア:「英国よ、フランスよ、私たちの領土をヒトラーに譲ると決めるのに、なぜ当事国の私たちの声を聞いてくれなかったのか。」

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●1939年3月|ドイツ、チェコスロバキアを解体
ところがヒトラーはミュンヘン協定の約束を事実上踏みにじり、チェコスロバキアの残部を支配下に置きました。もはや、ドイツの領土拡張は民族自決だけでは説明できない段階に入っていました。
●約束=ドイツがミュンヘン協定の約束を事実上踏みにじりました。

●心の声=
〇ドイツ・ヒトラー:「悪いね。ズデーテン地方だけで終わるつもりはないんだよ。さあ、チェコスロバキア自体を支配下に置こう。英国もフランスも、今度も黙って見ててね。」
〇チェコスロバキア:「ズデーテン地方を譲れば、平和が守られるはずだった。なのに、今度は国そのものを奪われるのか。」
〇英国・チェンバレン首相:「ズデーテン地方を譲れば、戦争は避けられると信じていた。だが、ヒトラーは約束を守らなかった。いったい、今後どうすれば戦争を止められるのか。」

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●1939年3月31日|英国、ポーランドの独立を保障
英国は、ポーランドの独立が脅かされた場合には支援すると約束(条約は8月25日)しました。欧州の勢力均衡を守るという戦略的判断と、ポーランドの独立を守るという約束が、ここで結びつきました。
英国の宣戦が第二次世界大戦のはじまりに。
●約束=英国は宣戦によって約束を守ろうとしましたが、戦後、ポーランドがソ連の勢力圏に入り、独立回復という約束は果たせませんでした。

●心の声=
〇英国・チェンバレン首相:「ヒトラーよ、もうこれ以上、領土を奪うことは許さない。ポーランドの独立が脅かされれば、我々は支援する。今度こそ、侵略を食い止めなければ。」
〇ポーランド:「英国が私たちの独立を守ると約束してくれた。これでドイツも簡単には手を出せないはずだ。どうか、この約束が戦争を防いでくれますように。」
〇ドイツ・ヒトラー:「英国がポーランドを守るだとぉ? 英国は本当に戦争をする覚悟があるのかよ。」
〇英国・チェンバレン首相(1939年9月3日):「ドイツはポーランドに侵攻した。最後通告にも応じない。もはや、約束を果たすために、宣戦布告するしかない。」

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●1939年8月23日|独ソ不可侵条約
世界を驚かせたのは、敵対していたナチス・ドイツとソ連が不可侵条約を結んだことでした。秘密議定書では東欧の勢力圏を分割する方針が定められ、ポーランドも両国による分割の対象となりました。
●約束=ドイツとソ連は、ポーランドなど第三国の主権を無視する密約を結びました。しかし、1941年6月、ドイツはソ連への侵攻を開始し、ソ連との不可侵の約束を破りました。

●心の声=
〇ドイツ・ヒトラー:「スターリンよ、今は互いに攻めないことにしようぜ。まずはポーランドだ。英国もフランスも、ソ連さえ動かなければ、私を止めるのは難しいだろう。」
〇ソ連・スターリン:「ヒトラーよ、今は手を組もうな。ポーランドを分け合い、東ヨーロッパでの勢力を広げるのだ。これで、ドイツとの戦争はしばらく避けられるはずだ。」
〇ポーランド:「ドイツとソ連が、私たちの知らないところで国を分け合う相談をしていたのか。独立した国である私たちの運命を、なぜ勝手に決めるのだ。」
〇ソ連・スターリン(1941年6月):「何だと! ドイツが攻めてきただと? 不可侵条約は何だったんだ!」

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●1939年9月1日|ドイツ、ポーランド侵攻
ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まりました。
●約束=ドイツがポーランドを侵攻し、英国による「ポーランドの独立を守る」という約束が初めて現実の試練にさらされました。

●心の声=
〇ドイツ・ヒトラー:「さあ、ポーランドに攻め込もう。英国は独立を守ると約束したが、本当に戦争までして立ち向かってはこないだろう。」
〇ポーランド:「ドイツが攻めてきた! 英国よ、私たちの独立を守ると約束してくれたはずだ。どうか、その約束を果たしてくれ!」
〇英国・チェンバレン首相:「ついにドイツがポーランドへ侵攻したか。最後通告に応じなければ、我々は宣戦布告しなければならない。戦争を避けたかったが、今度はあの約束から逃げるわけにはいかない、ポーランドよ待っていてくれ。」

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●1939年9月3日|英国・フランス、ドイツに宣戦布告
ドイツが撤退要求に応じなかったため、英国とフランスは宣戦布告しました。英国は、ポーランドの独立を守るという約束を背景に、ドイツとの戦争に踏み切ったのです。
●約束=約束を守る行動は取ったのですが、約束の目的を達成することができなかったのです。

●心の声=
〇英国・チェンバレン首相:「ヒトラーは撤退要求に応じなかったか。ポーランドの独立を守ると約束した以上、もう後戻りはできない。英国はドイツに宣戦布告する!」
〇フランス政府:「英国に遅れたがともに、ドイツに宣戦布告する。これ以上の侵略を許すわけにはいかない。」
〇ポーランド:「英国が、フランスが、ドイツに宣戦布告してくれた。これで私たちは守られるのだろうか……。どうか、間に合ってほしい。」
〇ドイツ・ヒトラー:「英国とフランスが宣戦布告したと……。かまわん。まずはポーランドだ。ヨーロッパを我が手に収め、その先にある世界へも、我が帝国の力を広げてゆくのだ!」

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●1939年9月17日|ソ連、ポーランド東部へ侵攻
ドイツ軍に続き、ソ連軍もポーランドへ侵攻しました。ポーランドは東西から挟み撃ちにされ、領土を分割・占領されました。英国が守ろうとした国は、ドイツだけでなくソ連によっても侵略されたのです。
●約束=ソ連がポーランド東部へ侵攻し、ドイツとともにポーランドを分割・占領しました。英国が「あなたの独立を守る」と約束した国は、東西から挟み撃ちにされ、その約束は現実の力の前で試されることになりました。

●心の声=
〇ソ連・スターリン:「ドイツ軍がポーランド西部へ進んだ。さあ、こちらも東から進もう。ドイツとの密約どおり、ポーランドを分け合うのだ。」
〇ポーランド:「ドイツだけでなく、ソ連まで攻めてきたとは! 東にも西にも敵がいる。英国よ、独立を守るという約束は、いったいどうなるんだ。」
〇英国・チェンバレン首相:「ドイツに宣戦布告したが、今度はソ連までポーランドに侵攻したのか。私たちはポーランドの独立を守ると約束した。だが、いったいどうすれば、この国を救えるのか、そして狂ったあいつをどうしたら止められるのか。」
〇ドイツ・ヒトラー:「スターリンも約束どおり動いたか。これでポーランドを東西から挟み込める。ひとまず、この国を分け合うことにしよう。だが、ヨーロッパを我が支配下に置き、我が帝国に逆らう者のいない世界を築くのだ。驚くな、始まるのはこれからだ!」

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【5】1940〜1945年|共通の敵を倒した先に
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●1940年5〜6月|フランス陥落
ドイツ軍が西欧を席巻し、フランスは敗北しました。英国は欧州大陸で孤立に近い状況となり、チャーチル首相の下で徹底抗戦を続けます。
●約束=ポーランドの独立を守ると約束した英国は、孤立の中でもその約束を手放さず、徹底抗戦を選びました。

●心の声=
〇ドイツ・ヒトラー
「ポーランドを倒し、今度はフランスも屈服させた。欧州大陸の大半は我が手に落ちた。残る英国も、いずれ我が力の前に屈するだろう!」
〇フランス
「ドイツ軍の進撃を止められず、ついに我が国まで敗北した。英国よ、今や大陸で共に戦う国を失ったお前は、それでも戦い続けるというのか!」
〇英国・チャーチル首相
「フランスが倒れた。欧州大陸で共に戦う主要な同盟国を失った。だが、我々は屈しない。ポーランドの独立を守ると約束した。そして、我々自身の自由も守らなければならない。たとえ英国だけになろうとも、戦い続けるのだ!」
〇ポーランド
「我が国はドイツとソ連に分割され、また自由を奪われた。それでも英国は戦い続けている。あの約束は、まだ生きているのだろうか。いつの日か、再び自由を取り戻せるのだろうか!」

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●1940年7〜10月|バトル・オブ・ブリテン
ドイツ空軍が英国本土を攻撃しましたが、英国空軍はこれを阻止しました。英国は屈服を免れ、戦争を継続する足場を守りました。
●約束=英国が屈していれば、ポーランドの独立を守るという約束は意味を失っていました。英国は屈せず、その約束を生かし続けました。

●心の声=
〇英国・チャーチル首相
「フランスは倒れた。今度は我々が狙われている。だが、ここで屈するわけにはいかない。ポーランドの独立を守るという約束を、果たせぬまま終わらせるわけにはいかないのだ。たとえ我々だけになろうとも、戦い続ける!」
〇ドイツ・ヒトラー
「なぜ英国は屈しないのだ! 空から叩き潰せば、戦意を失うはずだった。だが、英国は立ち続けている。」
〇ポーランドの人々
「英国はまだ戦っている。私たちの国を救うことはできなかったが、まだ戦っている。なら我々の自由を取り戻す希望まで消えたわけではない、と考えてよいのか!」

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●1940年9月27日|日独伊三国同盟――欧州と東洋の戦争が結びつく
ヨーロッパではドイツが各国を次々と制圧し、東アジアでは日本が中国との戦争を続けていました。そんな中、日本・ドイツ・イタリアは三国同盟を結びました。
三国は、それぞれヨーロッパと「大東亜」に新たな秩序を築くと掲げ、互いの立場を認め合いました。さらに、当時まだ欧州戦争にも日中戦争にも参戦していなかった国から攻撃された場合、政治・経済・軍事のあらゆる手段で助け合うと約束しました。その最大の狙いは、米国を牽制することにありました。
ヒトラーは日本の軍事力と歴史を高く評価し、同盟に大きな期待を寄せていたとされます。「二千年にわたって負けたことのない国と同盟を結んだ」という言葉も伝えられています。ただし、この発言は確かな出典を確認できないため、本人の確実な発言としては断定できません。
しかし、三国同盟は米国との対立を深め、翌1941年12月、日本の対米英開戦とドイツ・イタリアの対米宣戦によって、欧州とアジアの戦争は世界規模の大戦争として決定的に結びついていきました。
●約束=三国は互いの勢力圏を認め合い、外部から攻撃された際には助け合うと約束しました。米国を牽制し、自国の安全と新秩序を守ろうとしたこの約束は、結果として三つの国を同じ世界大戦の陣営へと結びつけ、戦争をさらに広げる一因となりました。

●心の声=
〇アドルフ・ヒトラー(ドイツ総統)
「英国はまだ屈しない。米国が参戦すれば、我々の前に立ちはだかる敵はさらに強大になる……。だが、日本が我々と手を結べば、米国は二つの海で戦う危険を冒すことになる! 日本には長い歴史があり、強大な軍事力がある。私は、この同盟に大きな期待をかけている! 今こそ三国が力を合わせ、世界の秩序を我々の手で変えるのだ!」
〇松岡洋右(日本外相)
「ドイツはヨーロッパを席巻し、イタリアもその力を結集している。今こそ日本も、この二国と手を結ぶ時だ! 三国が結束すれば、米国も容易には手を出せまい。日本の安全を守り、東亜の新秩序を築くのだ! だが……この約束は、本当に米国を遠ざけるのか。それとも、米国との戦争を避けられないものにしてしまうのか……!」
〇フランクリン・ルーズベルト(米大統領)
「ドイツ、イタリア、そして日本……。三つの国が、ついに手を結んだか! 日本は、これで米国が簡単には介入できなくなると考えているのだろう。だが、米国はこの動きを見過ごすわけにはいかない! この同盟が世界の平和を守るためではなく、武力による勢力拡大を支えるものになるならば、世界はさらに危険な方向へ進むことになる……!」

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●1941年6月|独ソ戦開始
ドイツがソ連に侵攻しました。英国とソ連は、昨日まで互いに警戒していた相手と、共通の敵ヒトラーを倒すために手を組みました。
●約束=ドイツがソ連への侵攻により、不可侵の約束を一方的に破りました。

●心の声=
〇ドイツ・ヒトラー
「ソ連との不可侵の約束など、もはや必要ない。今こそ東へ進み、ソ連を打ち破るのだ。ヨーロッパ全土を我が支配下に置くために!」
〇ソ連・スターリン
「まさか、本当に攻めてくるとは……。ドイツとの約束を信じていたわけではない。だが、これほど大規模な侵攻が始まるとは! 今は祖国を守るため、あらゆる力を結集しなければならない!」
〇英国・チャーチル首相
「ソ連は昨日まで警戒していた相手、でも今は違う。ヒトラーを倒すために、手を組む。英国はソ連を支援し、共に戦う。ナチス・ドイツを打ち破るために!」
〇ポーランドの人々
「今度はドイツとソ連が戦うのか……。私たちの国を分割した二つの大国が、敵と味方に分かれる。だが、彼らが戦った先に、私たちの自由は戻ってくるのだろうか!」

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●1941年12月|日本の真珠湾攻撃、米国参戦
日本の真珠湾攻撃を機に米国が参戦、英国・米国・ソ連を中心とする連合国の戦力が拡大しました。ナチス・ドイツを打倒するため、異なる政治体制の国々が協力することになったのです。
●約束=日本の真珠湾攻撃を機に米国が参戦し、米英ソはナチス・ドイツを倒すための協力を約束しました。戦争中、その約束は概ね守られましたが、戦後、東欧をめぐる対立の中で、協力の約束は次第に色あせていきました。

●心の声=
〇米国・ルーズベルト大統領
「やはり日本が我々を攻撃したか。もはや、この戦争から目を背けることはできない。英国とソ連、そして他の連合国と力を合わせ、枢軸国を打ち破るのだ。自由な世界を守るために!しかし、我々を相手に本当に勝てると思っているのか?」
〇英国・チャーチル首相
「ついに米国も参戦した! これで対独戦だけでなく、日本との戦いでも力を合わせられる。英国は、もはや一国で戦う必要はない。米国と共に枢軸国を打ち破り、この戦争を終わらせるのだ!」
〇ソ連・スターリン
「ドイツは我が国に侵攻し、今度は米国も参戦したか。米国とは政治体制も国益も違う。だが、今は互いの違いを脇に置き、ヒトラーを倒すために協力するしかないだろう!」
〇ポーランドの人々
「かつて私たちを救えなかった国々が、今度は力を合わせて戦っている。ドイツを倒せば、私たちにも自由が戻るのだろうか。どうか今度こそ、約束された未来が訪れてほしい!」

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●1943年4月|カティンの森事件が国際問題化
1940年、ソ連の秘密警察NKVDは、ポーランド人将校らを大量に殺害しました。この事実は、1943年4月にドイツによって公表され、国際問題となりました。ポーランド亡命政府が国際赤十字に調査を求めると、ソ連は同月25日、亡命政府との外交関係を断絶しました。
この事件は、戦後のポーランドの帰属と政治体制をめぐる連合国間の不信を、いっそう深めることになりました。ちなみに、ソ連が責任を公式に認めたのは1990年(ゴルバチョフ政権)でした。
●約束=ソ連には、占領下のポーランド人の命を守る約束、真実を語る責任がありました。しかし、カティンの森事件ではその約束が根本から破られました。ソ連は殺害の事実を隠し、責任を否認し続けました。

●心の声=
〇ソ連・スターリン
「ポーランドの将校たちを殺害した事実を、我々が認めるわけにはいかない。真実が明らかになれば、国際的な立場が危うくなる。戦争を勝ち抜き、ポーランドへの影響力を確保するためにも、我々の責任を認めるわけにはいかないのだ!」
〇ポーランドの人々
「祖国を取り戻すため、連合国を信じてきた。だが、その一員であるソ連が、私たちの同胞を殺し、真実まで隠していた。いったい、誰が私たちの自由を守ってくれるのだ!」

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●1944年8月|ワルシャワ蜂起
ポーランド国内軍がドイツ占領軍に対して蜂起しました。しかし、ソ連軍はヴィスワ川の対岸で進撃を止め、蜂起は約2か月後に鎮圧されました。ワルシャワは壊滅的な被害を受け、ポーランド人が自らの手で独立を取り戻そうとした試みは悲劇に終わりました。ソ連の対応をめぐっては、今も議論が続いています。
●約束=ソ連には、ポーランドの解放と独立回復を支援するという約束がありました。しかし解放の約束が守られることはありませんでした。

●心の声=
〇ポーランドの人々
「祖国を取り戻すため、私たちは自ら立ち上がった。ドイツ軍を追い出し、自由を勝ち取るために!
なのに、ソ連軍は目の前まで来ていながら、なぜ助けてくれないのだ。私たちが命を懸けて戦った先に、自由は本当にあるのだろうか!」
〇ソ連・スターリン
「ポーランド国内軍は、我々ソ連の支配を望んでいない。彼らがドイツ軍を追い出し、ワルシャワを自ら解放すれば、戦後のポーランドを我々の思いどおりにできなくなる。ならば、彼らが弱体化するのを待てばよい。今、彼らを助ける必要はない!」

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●1945年2月|ヤルタ会談
ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、スターリンが戦後秩序を協議しました。ポーランドについては自由選挙などが約束されましたが、現地にはソ連軍が進駐しており、ソ連の影響力を覆すことは困難でした。
●約束=ソ連が約束を実質的に破りました。米英も東欧への即時介入を避け、約束を十分に強制できませんでした。

●心の声=
〇
ソ連・スターリン「ポーランドで自由選挙を行うと約束しよう。だが、現地には我々の軍隊を置いた。戦後のポーランドを、我々の安全保障と利益にかなう国にする。それが何より重要なのだ!」
〇英国・チャーチル首相
「ポーランドの独立を守るために、我々はドイツと戦った。だが、今やポーランドにはソ連軍がいる。約束を守らせたい。しかし、ソ連との対立を深め、再び戦争を招くわけにはいかない!」
〇ポーランドの人々
「今度こそ、自由な祖国が戻ってくるのだろうか?自由選挙を約束してくれた。だが、祖国にはソ連軍がいる。約束を信じてよいのか。それとも、また私たちは大国の都合に翻弄されるのか!」

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●1944〜1945年|ソ連軍の東欧進駐と、戦後も続く支配
ソ連軍はナチス・ドイツを打倒する過程で東欧各地に進駐しました。しかし、戦争が終わっても撤退せず、ポーランドをはじめとする東欧諸国への影響力を維持し、やがて親ソ連政権の樹立を進めていきました。
ナチス・ドイツからの解放は、必ずしも自由の回復を意味しませんでした。東欧諸国は、今度はソ連の支配と圧力の下に置かれてゆきました。
●約束=ソ連が「解放」を名目にしながら、東欧の自主性を制約し、ヤルタの約束を形骸化させました。

●心の声=
〇
ソ連・スターリン
「ナチス・ドイツを打ち倒し、東欧を解放したのは我々だ。ならば、この地域が再びソ連を脅かす場所になってはならない。東欧に我々と敵対する政権を許すわけにはいかない。安全保障のためにも、我々の影響下に置くのだ!」
〇東欧の人々
「ナチスの支配が終わり、ようやく自由を取り戻せると思った。
だが、今度はソ連が私たちの国の行く末を決めようとしている。支配者が変わっただけで、私たちは解放されていない」

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●1945年3月〜6月|沖縄戦――戦場となった島、犠牲になった住民
太平洋戦争末期、米軍は沖縄に上陸し、日本軍との激しい地上戦が始まりました。日本軍は本土決戦に備える時間を稼ぐため、沖縄で持久戦を展開。住民も戦闘に巻き込まれ、多くの命が失われました。住民の中には日本軍に動員された人々や、軍の命令・戦況の悪化によって追い詰められた人々もいました。
沖縄戦では、住民を含む多数の人々が犠牲となり、島の暮らしと文化にも甚大な被害が及びました。戦争を決めた指導者たちから遠く離れた場所で、普通の人々がその代償を背負ったのです。
●約束=国は国民の生命と暮らしを守るべき存在であるはずでした。しかし、沖縄では住民が戦闘に巻き込まれ、軍事作戦の中で命を落としました。国を守るための戦争が、守られるべき国民に何をもたらしたのか。沖縄戦は、その重い問いを残しました。

●心の声=
〇
米軍の指揮官「沖縄を確保すれば、日本本土への作戦を進める重要な拠点となる。激しい抵抗が予想されるが、この島を攻略しなければならない」
〇沖縄の住民
「ここは、私たちが暮らしてきた島だ! 畑があり、家族がいて、毎日の暮らしがあった。それなのに、なぜ戦場にならなければならないのだ!
砲弾が降り注ぎ、家も畑も失われていく。逃げる場所さえない。戦争を始めたのは、私たちではない。それなのに、なぜ私たちが、こんな目に遭わなければならないのだ!
どうか、もう終わってくれ! ただ家族と生きていたい。それだけなのに!」
〇日本軍の兵士
「ここで敵を食い止めなければ、本土が戦場になる。そう命じられ、我々は戦い続けている。だが、目の前には、逃げ場を失った住民たちがいる。
国を守るための戦いのはずだった。なのに、守るべき人々が、戦場で命を落としていく。いったい、国は沖縄の住民をな何だと思っているのだ!」

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●その後の沖縄|日本復帰、そして残り続ける基地負担
戦後、沖縄は米国の施政権下に置かれました。1972年、日本に復帰しましたが、米軍基地は残り、日米安全保障体制と日米地位協定のもとで、沖縄は大きな基地負担を担い続けています。
●約束=日本への復帰は実現しました。しかし、沖縄の人々が望んだ平和な暮らしと、基地負担の軽減がすべて実現したわけではありませんでした。

●心の声=
〇米国政府
「沖縄を日本に返還する。しかし、東アジアの安全保障に必要な基地機能は維持したい。それが、我々の考える返還だ」
〇日本政府
「沖縄の日本復帰を実現する。だが、日米の安全保障体制も維持しなければならない。この二つを、どう両立させるのか。本来は答えはひとつのはず」
〇沖縄の住民
「日本に戻れば、これで平和な暮らしができると思っていた。それなのに、基地は残ったままだ。私たちの願った復帰とは、いったい何だったのか。我々はこのままでよいのか?
さらに、現在も沖縄に、以前、米国が設置した”核兵器”が残っていることを、米国は否定していない」

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●1945年5月|ドイツ降伏
欧州で第二次世界大戦が終結しました。英国はドイツとの戦争に勝利しましたが、ポーランドは自由な民主国家としての独立を取り戻せませんでした。ナチスの支配が終わった先に、別の大国による支配が待っていたのです。
●約束=軍事的な共同戦の約束は果たされました。しかしポーランドの自由な独立回復という政治的約束は果たされませんでした。

●心の声=
〇
英国・チャーチル首相
「ドイツは降伏した。我々は戦い抜き、ナチスを打ち破った。だが、ポーランドの独立を守るという約束は果たせなかった。戦争には勝った。それでも、我々が守ろうとしたものを、本当に守れなかった」
〇ポーランドの人々
「ついにナチス・ドイツが敗れた。これで、ようやく自由が戻ってくるはずだった。だが、祖国にはソ連が残り、私たちは自由な国を取り戻せなかった。戦争は終わった。それなのに、私たちの自由は、まだ戻ってこない!果たしていつ?」

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●1945年7〜8月|ポツダム会談
ドイツの戦後処理をめぐり、連合国は協議を続けました。しかし、東欧の政治体制やソ連の影響力をめぐる不信は深まり、戦時中の協力関係は崩れ始めていました。
●約束=米英ソはドイツの戦後処理について共通の原則を合意しましたが、その解釈と運用をめぐって対立が深まり、約束は東西分断の中で次第に変質していきました。

●心の声=
〇米国・トルーマン大統領
「ナチス・ドイツは倒れた。だが、東欧ではソ連の影響力が強まっている。戦後の平和を築くには、合意した原則を守らなければならない。ソ連が約束を守らないまま、東欧を支配していくことを、いつまでも許すわけにはいかない!」
〇ソ連・スターリン
「米国は、戦争が終われば我々の影響力を抑え込もうとする。だが、ソ連は甚大な犠牲を払ってドイツを打ち破ったのだ。二度と西側から侵攻されないためにも、東欧に友好的な政権を置く必要がある。ここで譲るわけにはいかない!」
〇英国・アトリー首相
「ナチス・ドイツとの戦争は終わった。だが、今度は戦後の世界をめぐって、米国とソ連の溝が深まっている。このままでは、共に勝ち取った平和が、新たな対立に変わってしまう!」

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●1945年8月|米国、日本に原爆投下
米国は広島、長崎に原子爆弾を投下しました。人類史上初めて、戦争で核兵器が使用され、世界はその圧倒的な破壊力を目の当たりにしました。第二次世界大戦の終結が近づく一方、核兵器は戦後の国際秩序を左右する新たな力となっていきます。
●約束=平和な世界を築くという約束の一方で、人類は文明そのものを破壊し得る核兵器を手にしました。戦争を終わらせる約束の先に、核の時代が始まったのです。

●心の声=
〇米国・トルーマン大統領
「みてろ、戦争を終わらせてやる。日本本土への侵攻が始まれば、さらに多くの命が失われる。日本に降伏を決断させるため、我々は新たな兵器を使う。日本が狂っていない限り、これで戦争を終わらせられる!」
〇米国・オッペンハイマー
「我々は、ついに原子の力を解き放った。科学の力で、これほどの破壊を生み出してしまったのだ。私は、この兵器を作ることに関わった。だが、これが人類に何をもたらすのか……。私たちは、いったい何を作り出してしまったのだ!」「今、われは死となれり、世界の破壊者となれり」
〇日本・指導部
「まさか、米国がここまでの兵器を使うとは……! 一つの都市を丸ごと破壊するなど、米国よあまりにもむごいではないか。
だが、いま日本としては国体護持を認めさせなければ、降伏はできない。ここで負けを認めて、誰が責任を取るのだ。いったい、どうすればいいのだ!」
〇人類の心の声
「長い戦争が、ようやく終わろうとしている。人類は平和を取り戻せるのだろうか……。だが、私たちは今、ひとつの都市を一瞬で破壊し、数えきれない命を奪う力を手にしてしまった。
戦争を終わらせた先に、今度は人類が人類を滅ぼしかねない時代が待っている。私たちは、この力を何のために使うのだろうか?
しかし、人類は持ってしまったのだ!」

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●1945年11月〜1946年10月|ニュルンベルク裁判――敗戦国の指導者を法廷へ
第二次世界大戦で敗れたドイツ。連合国は、ナチス政権の指導者たちを裁くため、ドイツのニュルンベルクで国際軍事裁判を開きました。侵略戦争の計画・遂行、戦争犯罪、人道に対する罪などが問われ、1946年10月、主要な被告たちに判決が下されました。
それまで国家の命令や戦争の遂行を担ってきた指導者であっても、国際法の下で個人として責任を問われる。この裁判は、戦争犯罪を裁く国際刑事法の発展に大きな足跡を残しました。
●約束=戦勝国は、ナチス政権の指導者たちの責任を法廷で問うという約束を実行に移しました。「国家の命令に従った」という理由だけでは免責されない。戦争を始め、非人道的な犯罪を行った者にも、法による責任追及が及ぶという原則を世界に示したのです。

●心の声=
〇ロバート・ジャクソン(米国首席検察官)
「この裁判は、勝者が敗者に復讐するためのものではない! 戦争を計画し、侵略を進め、数え切れない人々を犠牲にした者たちに、法廷で責任を問うのだ! 国家の命令だったから許される? 上官の命令だったから罪はない? そんな理屈を認めれば、次の戦争でも同じことが繰り返される! 今日、私たちが問うているのは、敗れたドイツだけの問題ではない。人類は、戦争犯罪を本当に裁くことができるのか。その答えを、ここで世界に示すのだ!」
〇ヘルマン・ゲーリング(ナチス政権の元最高幹部)
「勝者が敗者を裁く……。結局、歴史を決めるのは勝った者たちなのか! 我々は国家のために戦ったのだと主張してきた。だが、目の前には、我々の命令と行動を示す証拠が並んでいる……。私は、ドイツを導いた側の人間だった。だが、国家のためだと言えば、何をしても許されるのか……。この法廷は、我々の敗北だけでなく、我々が何をしたのかまで、歴史に刻もうとしている!」


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【6】1946〜1949年|「鉄のカーテン」から冷戦の形成
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●1946年3月|チャーチルの「鉄のカーテン」演説
チャーチルは、欧州の東西を隔てる「鉄のカーテン」が下ろされたと警告しました。ソ連の東欧支配に対する危機感を、世界に向けて明確に示した演説でした。かつての同盟国同士の対立が、もはや一時的な不和ではないことが見え始めました。
●約束=チャーチルは、東欧におけるソ連の支配がヤルタの約束を形骸化させていると警告しました。

●心の声=
〇英国・チャーチル
「ナチス・ドイツを倒すため、我々はソ連と手を組んだ。だが、戦争が終わった今、東欧の人々は自由を取り戻せていない。ヤルタで交わされた約束は、いったい何だったのか……。このままでは、ヨーロッパは再び二つに引き裂かれてしまう!」
〇米国・トルーマン大統領
「チャーチルの警告は、決して軽視できない。ソ連との協力は、ナチス・ドイツを倒すために必要だった。だが、戦後の平和を築くには、東欧の人々の自由も守られなければならない。このまま対立が深まれば、世界は新たな分断へ向かってしまう!」
〇ソ連・スターリン
「チャーチルは、我々を脅威として世界に訴えようとしている。だが、ソ連はドイツとの戦争で甚大な犠牲を払ったのだ。二度と西側から侵攻されないためにも、東欧に友好的な国々を置く必要がある。我々の安全保障を、誰にも脅かさせはしない!」
〇ポーランド国民
「ナチス・ドイツが敗れれば、祖国に自由が戻ると信じていた。だが、今度はソ連の支配の下に置かれている。チャーチルは、私たちの苦しみを世界に伝えてくれた。では、誰が本当に私たちの自由を取り戻してくれるのだ!」

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●1946年5月〜1948年11月|東京裁判――満州事変から問われた日本の戦争責任
第二次世界大戦に敗れた日本。連合国は、極東国際軍事裁判(東京裁判)を開き、日本の指導者たちの戦争責任を問いました。
検察側は、1931年の満州事変を重要な出発点の一つとして、日本が満州、中国、さらに東南アジアへと軍事行動を拡大していった経緯を追及しました。日本の戦争は、太平洋戦争が始まった1941年に突然始まったのではない。満州事変以来の長い経過の中で、その責任を問うという構図でした。
一方、日本の政治体制には、内閣が担う国務と、軍の作戦を担う統帥が制度上分かれているという問題がありました。軍が政治の統制を受けにくい仕組みの中で、軍事行動を誰が止め、誰が最終的な責任を負うのか。この問題も、戦争指導のあり方を考えるうえで重要でした。
1948年11月、東京裁判は判決を言い渡し、東條英機ら7人に死刑判決を下しました。しかし、裁判が明らかにした戦争責任と、裁判で十分に問われなかった責任をめぐる議論は、戦後も続いていきます。
●約束=日本は、国際社会の中で条約や国際秩序を尊重する立場にありながら、満州事変以降、武力によって既存の秩序を揺るがしていきました。東京裁判では、その歩みと指導者たちの責任が問われました。国家の命令や制度を理由に、戦争の責任から逃れられるのか。戦後世界は、その問いを法廷に突きつけたのです。

●心の声=
〇ジョセフ・キーナン(米国首席検察官)
「この戦争は、1941年に突然始まったのではない! 我々は、1931年の満州事変にまでさかのぼり、日本がどのように武力を用い、戦争を拡大していったのかを明らかにする!
満州で始まった軍事行動、中国で拡大した戦争、そして太平洋へと広がった戦火……。それぞれを切り離して考えることはできない! 国を動かす立場にあった者たちは、自らの決断が何をもたらしたのか、法廷で答えなければならない!
国家のためだったと言えば、すべてが許されるのか? 軍の命令だったと言えば、誰も責任を負わなくてよいのか? 違う! この裁判で問われるのは、敗戦国の運命だけではない。これからの世界で、侵略戦争を再び許さないために、指導者の責任をどこまで問えるのかという問題なのだ!」
〇東條英機(元内閣総理大臣)
「満州事変から、すべてを私一人の責任として語ることができるのか……。当時、私は関東軍に身を置いていた。その後、日本の政治と軍事の中枢に進み、ついには首相として戦争を指導する立場に立った。
だが、日本では、国務と統帥が分かれていた。政府が国の方針を決めようとしても、軍の作戦を統制する仕組みには大きな壁があった。私は、その制度の中で判断し、戦争を進めてきたのだ……。
しかし、私は首相だった。戦争を指導する責任ある立場にいたことは否定できない。制度に問題があったと言えば、私の責任は消えるのか? 満州事変から続いた軍事行動を、誰も止められなかった。その果てに、日本は敗れ、多くの命が失われた。
国を動かす仕組みに問題があったとしても、その中で決断を下した私自身の責任から、逃れることはできないのか!」

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●1947年3月|トルーマン・ドクトリン
米国のトルーマン大統領は、共産主義の拡大に対抗する国々を支援する方針を表明しました。ソ連の影響力を封じ込める政策が明確になり、米ソ対立は新たな段階に入ります。
●約束=米国が西側陣営の国々への支援約束を履行し、冷戦構造を強化しました。

●心の声=
〇
米国・トルーマン大統領
「自由を守ろうとする国々が、武力や圧力によって支配されるのを、我々は黙って見過ごすわけにはいかない。ギリシャやトルコをはじめ、共産主義の拡大に脅かされる国々を支援する。自由な世界を守るため、米国は行動するのだ!」
〇ソ連・スターリン
「米国は、自由を守ると言いながら、世界各地に自らの影響力を広げようとしている。ソ連の安全保障を脅かす動きを、我々は受け入れるわけにはいかない。西側が陣営を固めるなら、こちらも対抗しなければならない!」
〇東欧の人々
「ナチス・ドイツの支配が終わっても、私たちの自由は戻ってこなかった。今、米国は自由を守ると宣言した。だが、その約束は、ソ連の支配下に置かれた私たちにも届くのだろうか!」

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●1947年6月|マーシャル・プラン発表
米国が欧州復興のための大規模な経済援助を提案しました。しかし、ソ連は自国と東欧諸国の参加を拒み、欧州の経済的な分断も進んでいきました。
●約束=米国は援助の約束を履行しました。ソ連は参加を拒み、欧州の経済的分断が進みました。

●心の声=
〇米国・トルーマン大統領
「戦争で荒廃した欧州を、このまま放置するわけにはいかない。経済を立て直し、人々の暮らしを取り戻すことが、平和を守ることにつながる。欧州の国々よ、共に復興しよう。米国は、そのための支援を惜しまない!」
〇ソ連・スターリン
「米国の援助を受ければ、欧州諸国は経済的にも政治的にも米国に依存することになる。ソ連と東欧が西側の影響下に置かれるわけにはいかない。なんとしてもこの援助に参加することはできない!」
〇東欧の人々
「戦争で失ったものを取り戻し、もう一度、平和な暮らしを築きたい。米国の援助があれば、その希望もかなうかもしれない。だが、私たちの国はソ連の意向に逆らえない。復興への道までも、東西に分かれてしまうのか!」

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●1948年2月|チェコスロバキア共産党クーデター
チェコスロバキアで共産党が権力を掌握しました。東欧でソ連の影響力が拡大していることに、西側諸国は強い危機感を抱きました。
●約束=民主的な政治過程、自由選挙の原則の約束が破られました。

●心の声=
〇チェコスロバキア国民
「私たちは、自由な選挙によって自分たちの国の未来を決めるはずだった。なのに、なぜ共産党が力で政治を支配していくのだ。ナチスの支配から解放されたこの国で、また自由が失われてしまうのか!」
〇米国・トルーマン大統領
「東欧で、自由な政治が次々と失われていく。チェコスロバキアでも、民主主義が脅かされた。ソ連の影響力は、これ以上広がるのだろうか……。自由を守るという我々の約束が、いよいよ試されている!」
〇ソ連・スターリン
「東欧が再び西側の影響下に置かれれば、ソ連の安全は脅かされる。我々に友好的な政権を築くことは、国を守るために必要なのだ。西側の批判に屈するわけにはいかない!」

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●1948年6月〜1949年5月|ベルリン封鎖
ソ連が西ベルリンへの陸路を封鎖し、ベルリンは冷戦を象徴する最前線となりました。米英は空輸によって西ベルリンを守り、封鎖解除へつなげました。
●約束=ソ連がアクセス保障の約束を破りました。

●心の声=
〇ソ連・スターリン
「西側は、ベルリンを拠点に我々の勢力圏へ食い込もうとしている。このまま西側の影響力を許すわけにはいかない。陸路を封鎖すれば、米英もいずれ西ベルリンを手放すだろう!」
〇米国・トルーマン大統領
「西ベルリンの人々を、ソ連の圧力に屈して見捨てるわけにはいかない。武力衝突を避けながら、彼らの暮らしを守る方法はあるはずだ。

〇西ベルリン市民
「街への道が閉ざされ、食料も燃料も届かなくなるかもしれない。私たちは、このまま孤立してしまうのか。

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●1948〜1949年|包囲された都市を、空から救う
ソ連が西ベルリンへの陸上交通路を封鎖したため、米英は軍事衝突ではなく、大規模な空輸によって食料や石炭を運び続けました。最盛期には約45秒に1機が着陸したとされます。
●約束=米国は西ベルリンを放棄せず、物資を供給し続ける約束を1年間、実行し続けました。(正確には約11ヶ月間、事後処理を含めると約15ヶ月間)

●心の声=
〇米国・トルーマン大統領
「西ベルリンを見捨てるわけにはいかないが、武力で封鎖を突破すれば、戦争になりかねない。
そうだ、空から届けよう。食料も石炭も、必要な物資を運び続けるのだ。西ベルリンを守るという我々の決意を、行動で示そう!」
〇英国・アトリー首相
「陸路が閉ざされても、空路は残されている。米国と力を合わせ、物資を運び続けよう。厳しい任務だが、ここで西ベルリンの人々を見捨てるわけにはいかない!」
〇西ベルリン市民
「陸路を断たれ、私たちは孤立してしまった。もうだめか。
いや、あれはなんだ。飛行機が物資を運んできてくれるのかも。私たちを見捨てない人々がいたのか!
今日も飛行機がやって来る。食料が届き、石炭が届く。明日も明後日も」
〇ソ連・スターリン
「封鎖すれば、西側は西ベルリンから手を引くと思った。だが、彼らは空輸を続けている。このままでは、圧力をかけても西側を退かせられない!」

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●1949年4月|NATO発足
米国、英国、カナダなどが北大西洋条約機構(NATO)を設立しました。
●約束=加盟国は「一国への攻撃は全加盟国への攻撃」とみなす集団防衛の約束を交わし、冷戦期を通じてこの同盟を維持しました。

●心の声=
〇米国・トルーマン大統領
「ベルリン封鎖で、我々は思い知った。欧州の平和と自由は、願うだけでは守れない。一国が攻撃されたとき、加盟国が力を合わせて守る。その約束を、今ここに結ぶのだ。二度と、侵略によって国々が孤立することを許してはならない!」
〇英国・アトリー首相
「二度の世界大戦を経験した欧州に、再び戦火を広げてはならない。米国、カナダ、そして欧州の国々が結束し、互いを守る仕組みを築こう。誰か一国を攻撃すれば、同盟全体が立ち上がる。その決意を示すのだ!」
〇ソ連・スターリン
「西側諸国が軍事同盟を結び、結束を強めている。これはソ連への圧力を強める動きだ。こんなことをするから争いはなくならないのだ。
我々も自国の安全を守り、対抗する力を固めなければならない!」

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●1949年8月|ソ連、初の原爆実験
米国の核独占が終わり、核兵器をめぐる競争が本格化しました。米ソ両国は核軍拡競争へと進んでいきました。
●約束=米ソ間には、核兵器の開発競争を制限する約束がなく、ソ連は独自に原爆開発を進めました。

●心の声=
〇ソ連・スターリン
「米国だけが核兵器を持つ世界を、いつまでも許すわけにはいかない。米国が原爆を手にした以上、我々も持たなければならない。ソ連の安全を守り、米国に対抗するためにも、どんな手を使ってでも核兵器の開発を急ぐのだ!」
〇米国・トルーマン大統領
「ソ連までもが原爆を手にしたのか。どこから情報を。
これで米国だけが核兵器を持つ時代は終わった。核兵器が相手を抑え込む力になる一方、使われれば人類に計り知れない被害をもたらす。いったい、世界はどこへ向かうのだ!」

〇人類の心の声=
「広島、長崎で、人類は核兵器の恐ろしさを知ったはずだった。だが今、米国に続いてソ連も、その力を手にした。互いに相手を恐れ、互いに核兵器を増やしていく。その先に、本当の平和はあるのだろうか!」

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●1949年10月|中華人民共和国成立
中国大陸で共産党政権が成立しました。冷戦は欧州だけの問題ではなくなり、アジアを含む世界規模の対立へと広がっていきました。
中国は建国後、ソ連との協力関係を深め、1950年には中ソ友好同盟相互援助条約を締結しました。
●約束=中ソ両国は相互援助と主権尊重を約束し、社会主義陣営の結束を強めました。

●心の声=
〇中国・毛沢東
「長い内戦を経て、ついに中国大陸に新しい国家を築いた。だが、国を再建し、外国からの圧力に対抗するには、強力な支えが必要だ。ソ連と手を結び、社会主義国家としての道を切り開いていくのだ!」
〇ソ連・スターリン
「中国に共産党政権が誕生した。これは我々、社会主義陣営にとって大きな力となる。米国を中心とする西側に対抗するためにも、中国との協力関係を強め、アジアでも我々の立場を固めなければならない!」
〇米国・トルーマン大統領
「中国大陸に共産党政権が誕生してしまった。欧州だけでなく、アジアでも勢力図が大きく変わろうとしている。ソ連と中国が結びつけば、冷戦はさらに広がることになる。我々米国は、この変化にどう対応すべきなのか!
今後、世界が大きく変わってしまう予感がしている」
〇中国国民の心の声
「長い戦争と内乱が終わり、ようやく国が新しく生まれ変わろうとしている。これから暮らしはよくなるのだろうか。平和な生活を取り戻せるのだろうか!しかし、」
「長い戦争と内乱が、ようやく終わるのだろうか。新しい国が生まれ、暮らしがよくなることを願いたい。
だが、これから何が始まるのか、私たちにはわからない。新しい政府は、本当に私たちを幸せにしてくれるのだろうか。それとも、また別の苦難が待っているのだろうか!」

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【7】1950〜1960年代|世界を覆う東西対立
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●1950〜1953年|朝鮮戦争
北朝鮮が韓国に侵攻し、米国を中心とする国連軍と中国人民志願軍などが戦いました。冷戦は、核戦争の危険をはらむ実際の大規模戦争となりました。
朝鮮戦争が勃発すると、米軍は日本の企業に大量の物資やサービスを発注しました。車両、衣料、食料、鉄鋼、輸送、修理などの需要が急増し、日本経済は大きな恩恵を受けました。
戦後の深刻な不況から抜け出しつつあった日本にとって、これは経済復興を加速させる転機となりましたが、皮肉にも隣国で起きた戦争が、日本の戦後復興を力強く後押ししたのです。
●約束=米国は韓国への防衛支援の約束を履行しました。ただし朝鮮半島は分断されたままとなりました。

●心の声=
〇金日成(北朝鮮最高指導者)
「今こそ武力で朝鮮半島を統一する時だ! 米国が本格的に介入する前に、勝負を決めてやる!」
〇ハリー・トルーマン(米国大統領)
「北朝鮮の侵攻を許せば、共産主義の勢力拡大を止められなくなる! 韓国を守り、これ以上の拡大を食い止めなければ!」
〇毛沢東(中国共産党主席)
「米軍が鴨緑江まで迫ってくるのを、黙って見ていられるか! 中国の安全を守るためにも、ここで食い止めなければ!」

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●1951年8月15日|対日講和条約の最終案公表
第二次世界大戦後の日本の独立に向け、対日講和条約の最終案が公表されました。
第一次世界大戦後、ドイツに課された厳しい条件がナチス台頭の原因になった反省もあり、日本へは懲罰ではなく国際社会への復帰と経済復興を重視する講和が目指されました。冷戦が深まる中、米国は日本を西側陣営の重要な一員として再建する方針を進めていたのです。

対日講和条約の内容は
・日本の主権回復と占領終了への道筋を定める
・朝鮮、台湾、千島列島※、南樺太などに対する権利・権原を放棄する
・沖縄、小笠原などについて、米国の施政下に置くことを認める
・日本の自衛権を認める
・日本の賠償義務を認めつつ、経済的な支払能力を考慮し、巨額の一括賠償は課さないが、個別の協定などに基づく賠償が行われた。

※日本政府は、放棄対象とされた「千島列島」に北方四島は含まれないとの立場をとる。しかし、条約本文では千島列島の範囲が明確に定義されず、領土問題は未解決のまま現在にも残された。

講和会議でソ連は、米軍の日本駐留や沖縄・小笠原の扱い、中国の代表権などをめぐって条約の修正を求めました。
背景には、日本が米国を中心とする西側陣営に組み込まれることを阻止し、日本の軍事的な中立化を図りたいという思惑がありました。しかし、ソ連の修正案は採用されず、ソ連は条約に調印しませんでした。
1956年の「日ソ共同宣言」により戦争状態は終了し国交も回復しましたが、領土問題などをめぐる対立が解消されず、平和条約は現在も締結されていません。

●約束=日本は国際社会への復帰を果たす代わりに、旧領土の放棄や米軍の駐留容認など、サンフランシスコ平和条約に基づく新たな国際秩序に従う約束を交わしました。この点が現在も大きな問題になっています。

●心の声=
〇ジョン・フォスター・ダレス(米国講和交渉担当者)
「日本をいつまでも占領下に置くわけにはいかない。独立を回復させ、経済を再建し、西側陣営を支える国として立ち上がらせるのだ!」
〇吉田茂(日本国首相)
「ようやく独立を取り戻す道が見えてきた……。だが、そのためには領土の放棄も、米軍の駐留も受け入れなければならない。これが、日本の再出発なのだ!仕方がない」
〇アンドレイ・グロムイコ(ソ連代表)
「この条約で日本を米国の軍事体制に組み込ませるわけにはいかない! 米軍の駐留を認め、日本を西側陣営に固定するような講和など、受け入れられるものか!」

それぞれの立場
〇米国――日本の独立と復興を進めながら、西側陣営の一員として再建させよう。
〇日本――独立を取り戻すため、領土の放棄や米軍駐留を受け入れるしかない。
〇ソ連――米国主導の日本再建と軍事的な西側への組み込みには断固反対する。

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●1952年4月|サンフランシスコ平和条約発効、日本の独立
日本は連合国による占領を終え、主権を回復し、外交権も復活しました。冷戦が深まる中で、日本は米国との安全保障体制を選択し、西側陣営の一員として戦後の歩みを進めていくことになります。
●約束=日本は主権を回復する一方で、米軍の国内駐留を認めるなどの約束(日米安全保障条約)を交わし、西側陣営として自国の安全を確保する道を選びました。

●心の声=
〇吉田茂(日本国首相)
「ついに、占領が終わる! 日本は再び独立国として歩み出せるのだ。だが、国を守る力はまだ十分ではない……。今は米国との同盟を頼りに、まず国を立て直すしかないのだ!そうまずは立て直しだ!」
〇ハリー・トルーマン(米国大統領)
「日本の独立を認めよう。ただし、極東の安全保障を考えれば、日本に米軍を駐留させる必要がある。日本の再建と、アジアにおける共産主義の拡大を抑えること。その両方を実現するのだ!」

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●1954年7月|ジュネーブ協定、ベトナムの南北分断
フランスはインドシナ戦争で敗北し、ジュネーブ協定によってベトナムは北緯17度線付近を境に南北に暫定分割されました。全国選挙による統一が構想されましたが、実現には至りませんでした。北にはホー・チ・ミン率いる共産主義政権、南には米国が支援する反共政権が形成されます。
米国は共産主義の拡大を封じ込めるため南ベトナムへの支援を強め、一方、ソ連と中国は北ベトナムを支援しました。こうしてベトナムは、国内の統一をめぐる問題であると同時に、米ソ・中国が関与する冷戦の重要な舞台となっていきました。
●約束=評価:統一選挙の約束は履行されませんでした。南北双方、および大国の介入が分断の固定化を招きました。

●心の声=
〇ホー・チ・ミン(北ベトナム指導者)
「フランスを追い出した! 次は選挙で国を統一する番だ! ベトナムの未来を、外国に決めさせてたまるものか!」
〇ゴ・ディン・ジエム(南ベトナム首相)
「北の共産主義政権に、南の未来まで決めさせるわけにはいかない! 選挙をすれば、自由な選択が本当に保証されるのか? 南ベトナムは、自らの体制を守り抜く!」
〇ドワイト・D・アイゼンハワー(米国大統領)
「ここでベトナム全体が共産主義の支配下に入れば、東南アジアへの影響は計り知れない! 南ベトナムを支え、共産主義の拡大を食い止めなければ!」

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●1955年頃|ベトナム戦争の始まり
南北の対立は武力紛争へと発展し、ベトナム統一をめぐる戦争が本格化していきました。
●約束=1954年のジュネーヴ協定では南北統一のための全国選挙を行う約束が交わされましたが、冷戦の激化によりその約束は実現せず、武力衝突へと至りました。

●心の声=
〇ホー・チ・ミン(北ベトナム指導者)
「全国選挙による統一は、いつまで待てば実現するのだ! 話し合いで統一できないのなら、南の同胞を解放し、国を一つにするしかない!」
〇ゴ・ディン・ジエム(南ベトナム大統領)
「北の共産主義勢力に、南を支配させるわけにはいかない! この政権を守り抜かなければ、南ベトナムの未来まで奪われてしまう!」
〇ドワイト・D・アイゼンハワー(米国大統領)
「ベトナム全土が共産主義の支配下に入るのを防がなければ! 南ベトナムを支援し、これ以上の拡大を食い止めるのだ!」

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●1955年|ワルシャワ条約機構発足
西ドイツのNATO加盟に対抗し、ソ連と東欧諸国が軍事同盟を結成しました。欧州は西側と東側の軍事ブロックに分かれ、その分断は制度として固定化されていきました。
●約束=形式的には相互援助の約束でしたが、実際にはソ連による東欧支配の装置となりました。

●心の声=
〇
ニキータ・フルシチョフ(ソ連共産党第一書記)
「西ドイツがNATOに加盟した以上、こちらも対抗しなければならない! 東欧諸国と軍事同盟を結び、西側に対抗する力を固めるのだ!」
〇ドワイト・D・アイゼンハワー(米国大統領)
「西ドイツを西側の防衛体制に組み込む。ソ連が軍事力で圧力をかけてくるなら、NATOの結束を強めて対抗するしかない!」

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●1956年|ハンガリー動乱
ハンガリーでソ連の支配に反発する民衆蜂起が起きました。しかし、ソ連軍が武力介入し、運動は鎮圧されました。東欧諸国が自らの進路を自由に決めることの難しさが、改めて示されたのです。
しかし、自由を求める民衆の意志と、それを武力で押さえ込む超大国の力。この構図は、ポーランドの歴史とも響き合います。
●約束=東欧諸国はワルシャワ条約機構という軍事同盟の約束(集団防衛)で縛られており、ハンガリーがそこからの脱退を試みた結果、ソ連の武力介入を招くことになりました。

●心の声=
〇ナジ・イムレ(ハンガリー首相)
「もう、ソ連の言いなりにはならない! ハンガリーの未来は、ハンガリー国民が決めるのだ! ワルシャワ条約機構からも脱退し、中立国として自由に歩む!」
〇ニキータ・フルシチョフ(ソ連共産党第一書記)
「ハンガリーの離脱を許せば、東欧全体でソ連の支配が揺らぎかねない! ここで譲るわけにはいかない。社会主義陣営の結束を守るのだ!」

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●1961年|ベルリンの壁建設
東ドイツが東西ベルリンの境界を封鎖し、壁を築きました。東側から西側へ逃れようとする人々を阻む壁は、欧州の分断そのものを目に見える形にしたのでした。
●約束=第二次世界大戦後の国際的な約束(四カ国管理)によりベルリンの往来は自由のはずでしたが、東側はその約束を事実上破り、人口流出を防ぐために壁を築きました。

●心の声=
〇ヴァルター・ウルブリヒト(東ドイツ国家評議会議長)
「西へ逃げる人々を、これ以上放ってはおけない! 若者も、技術者も、次々と国を去っていく。このままでは東ドイツが立ち行かなくなる! 境界を封鎖し、流出を食い止めるのだ!」
〇ジョン・F・ケネディ(米国大統領)
「人々が自由に行き来できるはずのベルリンに、壁を築くというのか! 東側は、自国民が西へ逃れることさえ恐れているのか!」

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●1962年10月|キューバ危機、世界が核戦争の瀬戸際に立った13日間
キューバにソ連の核ミサイルが配備されていることが判明。ケネディ米大統領とフルシチョフ・ソ連首相の対立は、米ソの直接的な軍事衝突、そして核戦争に発展しかねない危機となりました。最終的には各種交渉によりソ連がミサイルを撤去することで収束しました。
冷戦が単なる政治的対立ではなく、人類の存亡に関わる危機だったことがうかがえます。
●約束=米国がキューバへ侵攻しないことなどを約束する代わりに、ソ連がミサイルを撤去することを約束し、両首脳の妥協によって核戦争の危機は回避されました。

●心の声=
〇ジョン・F・ケネディ(米国大統領)
「米国のすぐそばに、ソ連の核ミサイルだと! こんなものを放置するわけにはいかない! だが、攻撃すればソ連との全面戦争、そして核戦争に発展しかねない……。どこで相手に譲歩させるか、慎重に慎重にそれは慎重に見極めなければ!」
〇ニキータ・フルシチョフ(ソ連首相)
「米国はトルコに核ミサイルを配備しているではないか! これではソ連だけが譲歩するわけにはいかない。だが、ここで核戦争になれば、米国もソ連も破滅しかねない。世界までもが……。何としても、戦争を避けながら決着をつけなければ!」

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●1964年8月|ベトナム戦争への米国の軍事介入拡大
米国は、トンキン湾で米艦艇が北ベトナム軍から攻撃を受けたと発表し、議会から軍事行動を拡大する権限を得ました。ただし、8月4日に報告された2度目の攻撃は、実際には起きていなかったと考えられています。この事件を機に、米国はベトナムへの軍事介入を本格的に拡大していきました。
●約束=米国は南ベトナムを共産主義の脅威から守るという防衛の約束(同盟関係)を果たす大義名分のもと、この事件を機に泥沼の戦争へ深く突き進んでいきました。

●心の声=
〇リンドン・B・ジョンソン(米国大統領)
「米艦艇が攻撃された以上、黙って引き下がるわけにはいかない! 南ベトナムを見捨てれば、米国の約束も威信も失われる。議会の権限を得て、北ベトナムに断固たる姿勢を示すのだ!」
〇ホー・チ・ミン(北ベトナム指導者)
「米国は、また軍事介入を拡大するつもりか! ベトナムの未来を決めるのは米国ではない。どれほど強大な軍事力を送り込もうとも、統一を求める意志を押さえ込むことはできない!」

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●1968年1月|ベトナム戦争、米国の戦争戦略が揺らぐ
北ベトナム軍と南ベトナム解放民族戦線が、南ベトナム各地で一斉攻撃を行いました。
米軍・南ベトナム軍は多くの地域を奪還しましたが、攻撃の規模は米国民に戦争の長期化と勝利の難しさを印象づけ、米国内の反戦世論を強める一因となりました。
●約束=米国政府が「勝利は目の前」と国民に示していた約束は一斉攻撃によって崩れ去り、米国内ではこれ以上の介入を拒む反戦世論が急速に高まりました。

●心の声=
〇リンドン・B・ジョンソン(米国大統領)
「なぜ、これほどの一斉攻撃ができるのだ! 戦況は優勢で、勝利に近づいていると国民に説明してきたのに……。この戦争は、いつ終わるのだ? 米国民が、もうこれ以上の犠牲を許さなくなるかもしれない!」
〇ホー・チ・ミン(北ベトナム指導者)
「米国に、戦争は勝てるという幻想を打ち砕いてやる! たとえ敵が多くの地域を奪い返そうとも、戦いを続ける意志があることを世界に示すのだ!」

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●1968年1月〜8月|プラハの春
チェコスロバキアで自由化・改革の動きが広がりました。しかし、ソ連軍などが軍事介入し、改革は押しつぶされました。東欧の自由を求める動きは、またもソ連の力によって封じられていたのです。
●約束=ソ連は「社会主義陣営の利益を全員で守る」という制限主権(ブレジネフ・ドクトリン)の約束を盾に、ワルシャワ条約機構軍を動かして他国の主権を実力で奪いました。

●心の声=
〇アレクサンデル・ドプチェク(チェコスロバキア共産党第一書記)
「社会主義を捨てるのではない! 自由な発言も、報道の自由も認め、人々が希望を持てる国に変えたいのだ! なぜ、自分たちの国の改革を、自分たちで決められない!」
〇レオニード・ブレジネフ(ソ連共産党書記長)
「チェコスロバキアだけの問題ではない! ここで改革を許せば、東欧全体に広がり、社会主義陣営の結束が崩れてしまう! 陣営を守るためなら、軍を動かすこともためらわない!」

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●1968年7月|核兵器不拡散条約(NPT)に調印
米国・英国・ソ連をはじめとする国々が、核兵器の拡散を防ぐための核兵器不拡散条約(NPT)に署名しました。条約は1970年3月に発効しました。核戦争の危険を抱えながら、国際社会は核兵器がさらに広がることを防ごうとしたのです。
●約束=核保有国はこれ以上核を増やさない、非保有国は核を持たないという約束を交わし、同時に保有国が「将来的に核軍縮を行う」という約束をすることで成立した世界的な枠組みです。

●心の声=
〇リンドン・B・ジョンソン(米国大統領)
「核兵器を持つ国がこれ以上増えれば、世界はますます危険になる! 各国に核の拡散を防ぐ約束を求めなければならない。同時に、核軍縮へ向かう責任も果たしていくのだ!」
〇レオニード・ブレジネフ(ソ連共産党書記長)
「米国だけが核の優位を握る世界にはさせない! 核兵器の拡散は防ぐ。しかし、核を持たない国々に核放棄を求める以上、核保有国も軍縮に取り組む責任を負う。それが、この条約を成立させる条件なのだ!」

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【8】1970〜1980年代前半|ワレサの登場
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●1970年代|デタント(緊張緩和)
米ソは核軍備管理などで交渉を進め、対話によって緊張を和らげようとしました。しかし、東西の根本的な対立が解消されたわけではありませんでした。
●約束=米ソ両国は、核兵器の制限や軍事情報の共有といった具体的な約束(軍備管理協定など)を重ねることで、対立を続けながらも破滅的な核戦争を防ぐルールを築きました。

●心の声=
〇リチャード・ニクソン(米国大統領)
「ソ連を信用したわけではない。だが、核兵器を際限なく増やし続ければ、米国も破滅しかねない。競争は続ける。それでも、互いに越えてはならない一線を決める必要がある!」
〇レオニード・ブレジネフ(ソ連共産党書記長)
「米国に譲歩するつもりはない! だが、核戦争になれば、社会主義も資本主義も関係なく、双方が甚大な被害を受ける。対立は続けるとしても、軍備を制限するルールは必要だ!」

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●1973年1月〜1975年4月|20年に及んだベトナム戦争が終結
1973年、パリ和平協定が調印され、米軍はベトナムから撤退しました。しかし、南北の戦闘は終わらず、1975年4月30日、北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴンを制圧。米国が支援してきた南ベトナム政権は崩壊し、翌年にはベトナムの南北統一が正式に実現しました。
約20年に及んだベトナム戦争は、米国が巨額の戦費と多くの犠牲を払いながらも、共産主義の拡大を食い止めるという当初の目的を果たせないまま、終結しました。
軍事的な勝利が、必ずしも政治的な勝利を意味するわけではないという事実を図らずも米国は世界に示すことになりました。
●約束=1973年の和平協定で「南北間の停戦」の約束が交わされたものの、米軍が撤退するとその約束は破られ、結果として武力による共産主義統一という結末を迎えました。
ベトナム戦争はここに終結しますが、冷戦は終わりませんでした。むしろ、この戦争は、冷戦が米ソの直接対決にとどまらず、各地の紛争を通じて世界を巻き込んでいく構造を象徴する出来事となりました。

●心の声=
〇リチャード・ニクソン(米国大統領)
「ようやく和平にこぎ着けた……。これで米軍を撤退させられる。米国の威信を保ちながら、この戦争から抜け出すのだ! だが、南ベトナムがこの先も持ちこたえられるのか。」
〇グエン・バン・チュー(南ベトナム大統領)
「米国は、南ベトナムを見捨てないはずだった! 停戦を約束したのではないのか! 米軍が去り、北の軍が攻めてくる。いったい、誰が私たちを守ってくれるのだ!」
〇レ・ズアン(北ベトナムの最高指導者)
「米軍は去った。今こそ、南北統一を実現する時だ! 和平協定で戦争が終わったわけではない。武力をもってしても、ベトナムを一つにするのだ!」

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●1979年|ソ連のアフガニスタン侵攻
ソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、米ソ関係は再び悪化しました。冷戦の緊張が高まり、軍事・政治両面での対立が再燃しました。
このアフガニスタン侵攻で、1980年のモスクワオリンピックに日本も含め西側で不参加国が続出しました。
●約束=ソ連は親ソ政権を支える「友好協力条約」の約束を大義名分として侵攻しましたが、これがデタントの約束(緊張緩和への努力)を裏切るものとして国際的な大反発を浴びました。

●心の声=
〇レオニード・ブレジネフ(ソ連共産党書記長)
「アフガニスタンの親ソ政権を、このまま崩壊させるわけにはいかない! ここで手を引けば、南の国境地帯にまで西側の影響力が及びかねない。友好協力条約もある。ソ連の利益を守るため、軍を動かすのだ!」
〇ジミー・カーター(米国大統領)
「ソ連は、緊張緩和を進めてきたはずではないか! それなのに、軍事力で他国の政権を支え、国の行方を左右しようとするのか! この侵攻を黙認すれば、国際秩序も米国の信頼も揺らいでしまう。断固として抗議しなければ!」

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●1980年|ポーランドで生まれたワレサを中心とした「連帯」
グダニスク造船所のストライキを背景に、独立自主管理労組「連帯」がワレサ議長を中心に誕生。共産党体制下で、労働者を中心とする大規模な社会運動が広がりました。かつて独立を守る約束の対象となったポーランドが、今度は市民が自らの社会の中から自由を求める運動の中心となったのです。
●約束=ストライキの末、政府は労働者の権利や自由な組合結成を認める「グダニスク合意」の約束を一時的に交わさざるを得なくなり、東欧体制に大きな亀裂が入りました。

●心の声=
〇レフ・ワレサ(「連帯」議長)
「もう、黙って従うだけの労働者ではない! 私たちにも権利がある。自由に組合をつくり、自分たちの声を上げる権利が! 政府が約束した以上、今度こそ守ってもらうぞ!」
〇レオニード・ブレジネフ(ソ連共産党書記長)
「ポーランドで、いったい何が起きているのだ! なにワレサ?とんでもない奴が出てきやがった。労働者たちが共産党の支配に異を唱え、独立した組織をつくるだと? これを許せば、東欧のほかの国々にも自由を求める動きが広がりかねない……。社会主義陣営の結束が揺らいでしまう!」

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●1981年|ポーランドに戒厳令
共産党政権は「連帯」の活動を抑え込むため戒厳令を敷きました。それでも自由を求める人々の願いは消えず、地下活動や市民の抵抗が続きました。
●約束=ソ連の軍事介入を恐れた政権は、前年に交わしたばかりの国民との約束を事実上白紙に戻して弾圧へ踏み切りましたが、自由を求める市民の意志までは縛れませんでした。

●心の声=
〇ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ(ポーランド首相)
「このまま『連帯』の勢いが広がれば、共産党政権そのものが崩壊しかねない! ソ連が軍事介入すれば、国はさらに悲惨な事態に陥る……。国を守るためだ。戒厳令を敷き、今は力で抑え込むしかない!」
〇レフ・ワレサ(「連帯」議長)
「ふざけるな! 政府は、私たちの権利を認めると約束したはずだ! その約束を踏みにじり、軍や警察で国民を押さえ込むというのか! 私たちの声は封じられても、自由を求める心まで奪うことはできない!」

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【9】1985〜1991年|壁の向こうから、自由が動き始める
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●1985年|ゴルバチョフの登場
ゴルバチョフはソ連共産党書記長に就任し、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を推進しました。ソ連は従来の体制を維持するための改革を始めましたが、彼の存在が結果として東欧の共産党政権を揺さぶることになります。
●約束=ゴルバチョフは東欧の同盟国に対し「内政には不介入」という新たな約束を示したため、各国の市民はソ連軍に怯えることなく変革へ動くことが可能になりました。

●心の声=
〇ミハイル・ゴルバチョフ(ソ連共産党書記長)
「このままでは、ソ連そのものが立ち行かなくなる! 改革だ。情報を公開し、社会を変えなければならない! 私は社会主義を捨てるつもりなどない。社会主義を立て直すのだ!
だが……東欧の国々まで、いつまでもモスクワの命令に従わせなければならないのか? 軍隊で押さえつけて守る体制など、本当に未来があるのか! 私は、その答えを、これから行動で示していく。国民よ、どうか私を信じてくれ!」
〇レフ・ワレサ(「連帯」議長)
「ゴルバチョフが、ソ連を変えようとしている……。だが、私たちが求めているのは、モスクワの新しい指導者の許可ではない。自分たちの国を、自分たちの手に取り戻すことだ!
だが、ゴルバチョフよ、あなたが真のリーダーなら、私たちの自由を認めてみせてくれ! そして、今度こそソ連軍がやって来ないのなら……ポーランドの自由は、夢ではなくなるかもしれない!」

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●1980年代|再燃する軍拡競争、そして軍縮への転換
1980年代初頭、レーガン米大統領の下で米国は軍備増強を進め、戦略防衛構想(SDI)を打ち出しました。ソ連との対立は再び激化し、欧州への中距離核ミサイル配備などをめぐって緊張が高まりました。
しかし、1985年にゴルバチョフがソ連の指導者になると、米ソ間の対話が進み始めます。両国は特定の種類の核ミサイルを全廃する歴史的な合意に達しました。軍拡競争の激化から軍縮への転換。この変化は、冷戦終結に向かう重要な流れの一つでした。
●約束=過酷な軍拡の末、米ソ首脳は「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」という歴史的な共通の約束(合意)を交わし、対決から軍縮へと世界の舵を大きく切りました。

●心の声=
〇ロナルド・レーガン(米国大統領)
「ソ連の脅威に、いつまでも怯えているわけにはいかない! 圧倒的な力を持ち、こちらから攻撃される心配のない国をつくるのだ! SDI構想も、そのための切り札だ!
だが……核兵器をどれほど増やしても、本当に米国を安全にできるのか? 核戦争になれば、勝者などいない。ゴルバチョフよ、君もそう考えているのなら、今こそ対立を終わらせるために動こうではないか!」
〇ミハイル・ゴルバチョフ(ソ連共産党書記長)
「米国との軍拡競争を、このまま続けるわけにはいかない! ソ連の経済にも、国民の暮らしにも、その負担は重すぎる。
レーガンよ、核兵器を増やし続ける競争に、未来はない! 核戦争に勝者はいないのだ。互いに疑い、脅し合う時代を終わらせるために、今こそ本物の軍縮に踏み出そうではないか!」

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●1987年|米ソ、中距離核戦力(INF)全廃条約に調印
米ソは、射程500〜5,500kmの地上発射型弾道ミサイル・巡航ミサイルを全廃する条約に調印しました。核弾頭搭載型だけでなく、通常弾頭搭載型も対象となりました。長年の軍拡競争の中で、対立を管理し、緊張を緩和する動きが具体化しました。
●約束=両国は特定の核ミサイルを「削減」ではなく「地球上から全廃する」という前例のない強い約束を交わし、相互の厳しい現地査察を受け入れることで信頼を形にしました。

●心の声=
〇ロナルド・レーガン(米国大統領)
「ソ連を信用したわけではない! だが、核ミサイルを増やし続けるだけでは、世界を破滅の瀬戸際に追い込むだけだ。削減ではない、全廃だ! しかも、相手の国に入り、約束が守られているかを確かめる。これは、口先だけの和平ではない。核の脅威を本当に減らすための、大きな一歩なのだ!」
〇ミハイル・ゴルバチョフ(ソ連共産党書記長)
「米国と、ここまで踏み込んだ合意に達する日が来るとは……!我ながら感慨深い。 互いに疑い、脅し合うだけの時代を変えなければならない。ソ連も、ミサイルを手放す決断をする。査察も受け入れよう! 軍事力を誇示することだけが、国を守る道ではない。今度こそ、言葉だけではない平和への道を切り開くのだ!」

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●1989年6月|ポーランドで部分自由選挙
「連帯」が選挙で圧倒的な支持を得て、ポーランドの共産党支配は大きく揺らぎました。東欧の変化は、もはや抑え込むことのできない潮流となっていました。
●約束=政府と「連帯」による円卓会議の末に交わされた「自由選挙を実施する」という約束が、結果として共産党の一党独裁を平和裏に終わらせる引き金となりました。

●心の声=
〇
レフ・ワレサ(「連帯」議長)
「ついに、この日が来た! 政府は、私たちとの交渉に応じ、選挙を認めた。長い弾圧にも、投獄にも、屈しなかった労働者たちの声が、今、国民の声となる!
さあ、国民よ、投票で答えを示してくれ! 私たちが求めてきた自由は、本当にこの国の未来となるのか!」
〇ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ(ポーランド共産党政権の指導者)
「まさか、ここまで国民の支持を失っていたとは……! 選挙を認め、事態を収拾できると考えていた。だが、結果はあまりにも厳しい。もう、力だけでこの国を支配し続けることはできない時代なのか!」

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●1989年|東欧革命
ハンガリーで国境の開放が進み、東ドイツでは大規模な市民デモが広がりました。チェコスロバキアなどでも共産党体制への抗議が高まり、東欧各国で政治体制の変革が進み始めました。
●約束=ソ連が軍事介入(ブレジネフ・ドクトリン)を行わないという約束(不介入の姿勢)が守られたことで、東欧の民衆は自らの意志で新しい国づくりへ突き進みました。

●心の声=
〇ミハイル・ゴルバチョフ(ソ連共産党書記長)
「東欧の国々で、次々と人々が立ち上がっている……。これまでなら、軍を送り込み、体制を守ることもできた。だが、それを繰り返して何になる? 他国の国民を力で従わせても、真の安定など生まれない!
東欧の未来は、東欧の人々が決めるべきだ。たとえ、それが私の望む結果と違ったとしても、それがなんだ」
〇東ドイツの市民
「もう、黙って生きるのは嫌だ! 国を出ようとすれば、国境に阻まれる。声を上げれば、弾圧される。だが、今、ハンガリーが国境を開き、東ドイツの街にも人々の声があふれている!
ソ連軍は、本当にやって来ないのか……? ならば、今こそ立ち上がろう! 私たちの国の未来を、私たち自身の手で決めるんだ!」

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●1989年11月9日|ベルリンの壁崩壊
東ドイツ政府が新たな旅行規制の緩和措置を発表すると、記者会見で担当者が実施時期を「即時」と誤って説明したこともあり、市民が国境検問所に殺到しました。発表が即時に適用されると受け止められる中、検問所が開かれ、人々は東西ベルリンの境界を自由に行き来し始めました。
人々は壁の上に立ち、ハンマーで壁を砕き、互いに抱き合いました。長年、家族や友人を隔て、自由を求める人々の逃亡を阻んできた壁が、ついに崩れ始めたのです。
1939年、英国がポーランドの独立を守ると約束した時から50年。欧州を分断してきた「鉄のカーテン」を象徴する壁が、民衆の力によってついに開かれた夜でした。
●約束=東西分断の象徴だった壁は、東ドイツ政府が国民に「旅行を自由化する」という約束を急遽発表したことから始まり、市民の熱気がその約束を「壁の崩壊」へと押し広げました。

●心の声=
〇ミハイル・ゴルバチョフ(ソ連共産党書記長)
「ついに、ここまで来たか……。東欧の国々が変わり、東ドイツでも人々が自由を求めて立ち上がっている。かつてなら、軍を送り込み、力で押さえつけていたかもしれない。だが、もうそんなことをするつもりもない。
国民の意志を軍事力で踏みにじる時代は終わらせなければならない。たとえ、この変化が私の想像を超えるものになろうとも!」
〇東ドイツの市民
「開いた……! 本当に、国境が開いたんだ! 昨日まで、越えようとしても許されなかった壁だ。家族を引き裂き、自由を奪ってきた壁だ!
もう、向こう側へ行くことを恐れなくていい。もう、自由を求めたからといって、命を危険にさらさなくてもいいんだ! 見てくれ、この壁を! 私たちを閉じ込めてきたあの壁が、今、私たちの目の前で崩れていく!」

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●1989年12月|ルーマニア革命とチャウシェスク政権の崩壊
1989年、東欧各国で共産党体制が相次いで崩壊する中、ルーマニアではチャウシェスクが独裁政権を続け、それに対する民衆の反乱が起こりました。
チャウシェスクは首都ブカレストからヘリコプターで逃亡しましたが、身柄を拘束され、同年12月25日、妻エレナとともに裁判の後に処刑されました。東欧の体制転換の多くが比較的平和的に進んだのに対し、ルーマニアでは流血を伴う革命となりました。
●約束=大統領は力による支配(恐怖政治)で国民を縛り続けましたが、市民との約束(対話や改革)を拒絶し続けたツケが、東欧で唯一の流血の政権崩壊を招く結果となりました。

●心の声=
〇ニコラエ・チャウシェスク(ルーマニア大統領)
「なぜだ! なぜ、私に逆らう! 私はこの国を支配してきたチャウシェスク
だぞ。反抗する者を許せば、政権は崩壊する。軍も治安機関も、私に従うはずだ!
……だが、なぜ群衆が増え続ける? なぜ、私の命令に従わない者が現れる? まさか……この私が、国民に見捨てられたというのか! 
逃げろ! ここにいれば、私は終わりだ!」
〇ルーマニア市民
「もう、恐怖に震えながら生きるのは終わりだ! 言いたいことも言えず、逆らえば秘密警察に怯える日々……。あの男は、私たちの声を聞こうともしなかった!
見ろ! あの独裁者が逃げ出したぞ! 何十年も私たちを支配してきた男が、今、国民を捨てて逃げていく!
だが、逃げ切れると思うな! もう、私たちは黙って従う国民ではない! 独裁者よ、お前がどこへ逃げようとも、私たちの自由への願いまでは消せないのだ!」

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●1991年12月 そしてついにあの連邦が解体
ベルリンの壁が崩壊してから約2年。1991年12月、ついにソ連そのものが解体されました。
第二次世界大戦後、世界を二つに分断し、核戦争の恐怖とともに40年以上にわたって続いた冷戦。その一方の超大国が、戦争によって打ち倒されたのではなく、内部から崩れ去ったのです。例えば炭鉱労働者の大規模ストライキや共産党政権への労働者の公然たる反発も大きな要因でした。
こうして、世界を東西に分断してきた冷戦は、ここに終焉を迎えました。
●約束=ロシア、ウクライナ、ベラルーシの首脳がソ連を終わらせる約束(ベロヴェーシ合意)を交わし、40年以上続いた冷戦は一つの超大国の消滅とともに幕を閉じました。

●ソ連・東欧国民の心の声=
〇ロシアの市民
「ソ連が……消えるのか? あれほど巨大で、世界を二分してきた超大国が、戦争に敗れたわけでもなく、崩れ去ろうとしている……。
私たちは、これから何者になるのだ? ソ連の国民ではなく、ロシアという新しい国の国民になるのか?
自由が手に入るのかもしれない。だが、暮らしはどうなる? 明日はどうなる?
世界を動かしてきた超大国が、今日、歴史の中へ消えていく。
だが、私たちの新しい時代が、本当に希望に満ちたものになるのか……まだ、誰にもわからない!」
〇東欧の市民
「ついに……ついに、ここまで来たのだ!
ソ連軍が介入する恐怖に怯え、自由を求める声を押し殺してきた日々。ポーランドでも、ハンガリーでも、東ドイツでも、人々は立ち上がり、壁を越え、独裁に立ち向かった。
そして今、私たちを長年押さえつけてきたソ連そのものが、消えようとしている!
もう、モスクワの命令に従わなくてもいい。自分たちの国の未来を、自分たちで決めていいのだ!
あの巨大な帝国でさえ、永遠ではなかった。自由を求めた私たちの心からの願いは、世界を変える力になったのだ!」

◆不戦条約を破ることで始まったこの物語は、半世紀余りを経て、東西を隔てた壁の崩壊と、ソ連の解体によって幕を閉じたのです。

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【10】ソ連・ロシアからの視点

●今回の冷戦通史を理解するためには、西側諸国の視点だけでなく、ソ連、そして現在のロシアが何を考えてきたのかにも目を向ける必要があると考えています。

●たとえば、プーチン氏は「西側諸国はNATOを東方へ1インチも拡大しないと約束したにもかかわらず、その約束を破った」と主張しています。これは各種紛争のきっかけにもなっています。
実はその件に関して今回、勉強したことで分かったことがあります。それに関しては「最後に」の中の「●2000年〜|プーチンの登場とロシアの勢力圏構想」で触れました。

●さて、ロシアには、ナポレオンの侵攻や第二次世界大戦での甚大な被害など、歴史を通じて外部からの侵攻に脅かされてきたという意識があります。
冷戦終結後のNATOの東方拡大や、国際社会における影響力の低下を、ロシアの指導者たちは自国の安全保障と国際的地位を脅かすものと捉えてきました。

●こうしたロシア側の不安や不信感を理解することは、冷戦後の対立を考えるうえで重要です。西側諸国にも、対立を防ぎ、安定した国際秩序を築くために何ができたのか、検証すべき点はあるでしょう。
しかし、安全保障上の懸念があるからといって、他国の主権や領土を侵害することが正当化されるわけではありません。これは大変重要です。

●また、日本とロシア・ソ連には、政治的な対立を超えた長い文化的なつながりもありました。
明治時代には、トルストイやドストエフスキー、チェーホフらのロシア文学が日本に紹介され、日本の近代文学にも大きな影響を与えました。
戦後も、チャイコフスキーの『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』に代表されるバレエや、ラフマニノフの音楽が日本の人々を魅了しました。1957年にはボリショイ・バレエ団が初来日し、日本の観客に大きな感動を与えました。
さらに、かつて日本の歌声喫茶では、多くの若者たちが「カチューシャ」や「トロイカ」などのロシア民謡を歌い、仲間と声を合わせました。そこには、政治的な立場を超えて、遠い国の歌に心を寄せた人々の姿がありました。
国家と国家は対立しても、人と人、そして文化と文化は、国境を越えて結びつくことがあるのだと思います。

●今回の冷戦史に照らして言えば、ソ連の行動を擁護するつもりはありません。しかし、ソ連を一方的な悪役にしてしまうと、なぜソ連がそのような政策を選んだのか、そのとき米英は何を考えていたのか、東欧の国々は何を恐れていたのか、という重要な問いが見えにくくなってしまいます。
国際関係における敵と味方は、決して永遠に固定されたものではないと考えています。
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【11】最後に
「冷戦後の世界…紛争の急増と、拡大する国際対立」

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◆冷戦の終結、しかし世界に平和が訪れたわけではありませんでした。
冷戦という巨大な対立構造が消えた後、逆に世界は新たな紛争の連鎖に直面しています。それらを「心の声」をふくめ記載してみました。

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●1991〜1995年|ユーゴスラビア解体とボスニア紛争
冷戦期に米ソどちらにも属さず独自の共産主義体制を維持していたユーゴスラビア連邦が、冷戦終結とともに民族・宗教対立により解体。ボスニア・ヘルツェゴビナなどで壮絶な民族浄化と内戦が発生しました。
●約束=冷戦下の「民族共生と連邦の一体性を守る」という各構成国の約束(誓い)が冷戦終結とともに崩壊。その後、国連が指定した「安全地帯(安全を守る約束)」も機能せず、スレブレニツァなどで大規模な虐殺を防げないという不条理を生みました。

●心の声=
〇ボスニアの人々
「昨日まで隣人だったじゃないか。なぜ、民族が違うだけで、殺し合わなければならないんだ!」
〇スロボダン・ミロシェヴィッチ(セルビア大統領)
「ユーゴスラビアが崩壊すれば、セルビア人は各地に取り残される! 彼らを守るためにも、セルビアの力を手放すわけにはいかない!」
〇アリヤ・イゼトベゴヴィッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ大統領)
「ここは私たちの国だ! 民族や宗教を理由に、国を分割されてたまるものか!」
〇スレブレニツァの住民
「国連が安全を守ると約束したはずだ! なぜ誰も助けに来ないんだ!」

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●1994年|ルワンダ・ジェノサイド
アフリカのルワンダで、フツ派政権によるツチ派市民らに対する大規模な計画的虐殺(ジェノサイド)が発生し、わずか約100日間で80万人以上が犠牲となりました。
●約束=第二次世界大戦後に国際社会が誓った「二度とジェノサイドを繰り返さない、許さない」という国際条約(ジェノサイド条約)の約束。しかし、冷戦直後で干渉を恐れた米欧や国連は撤退を選び、目の前の命を守る約束を果たせませんでした。

●心の声=
〇フツ派政権の代表者
「この国の権力を手放すわけにはいかない。たとえ、何を犠牲にしても!」
〇ツチ派市民の代表者
「私たちのどこが悪いの?同じ仲間だったじゃないか。ただ生きたいだけなのに」

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●1994年12月|ブダペスト覚書
ウクライナは核兵器を放棄し、核不拡散条約(NPT)に非核兵器国として加盟しました。その際、米国・英国・ロシアは、ウクライナの独立・主権・既存の国境を尊重し、武力による威嚇や行使を控えることなどを確認しました。
●約束=核兵器を放棄したウクライナは、安全保障上の約束を得ました。しかし、その約束はロシアの侵攻を防げませんでした。核を手放すことが侵攻を招いたのか――その問いは、核不拡散と国際的な約束の信頼性に、今も重い課題を突きつけています。

●心の声=
〇レオニード・クチマ(ウクライナ大統領)
「核兵器を手放すのだ。その代わり、米国も英国もロシアも、私たちの独立と国境を尊重すると約束した。これでウクライナは、安全に独立国家として歩んでいけるはずだ!」
〇ボリス・エリツィン(ロシア大統領)
「ウクライナの核兵器をなくし、核の拡散を防ぐ。それはロシアにとっても重要なことだ。ウクライナの主権と国境を尊重する約束を、今ここで交わそう」

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●1999年〜|NATOの東方拡大
冷戦終結後、ポーランド、チェコ、ハンガリーなど、かつて東側陣営に属していた国々が次々とNATOに加盟しました。2004年にはバルト三国を含む7か国が加盟。その後も拡大は続き、2024年にはスウェーデンが加盟して、NATOは32か国となりました。
これらの国々は、ソ連による支配や歴史的な対立の経験から、独立と安全を確保するために西側との結びつきを強めようとしていました。
一方、ロシアはNATOの東方拡大を自国の安全保障に対する脅威と捉え、西側との対立を深めていきました。
●約束=東欧諸国は「一国への攻撃は全加盟国への攻撃」とするNATOの強固な集団防衛の約束(第5条)を求め、ロシアの口頭での反発を押し切って次々と加盟を果たしました。

●心の声=
〇ポーランドなど東欧諸国
「もう二度と、ロシアに支配されたくない! 今度こそ、強い仲間と一緒に自分たちの国を守るんだ!」
〇ウラジーミル・プーチン(ロシア大統領)
「お前ら、東へ1インチも拡大しない約束だったよな! なのに、何故NATOはロシアのすぐそばまで迫ってくるのか!私は、それが怖いんだよ」

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●2000年〜|プーチンの登場とロシアの勢力圏構想
「やはり、あの一言の影響が、その後の世界に大きな影響を」

【要点】
●
約束の問題:1990年当時の西側の発言は、どこまで約束として受け止められるものだったのか。
●主権の問題:中東欧諸国や旧ソ連諸国には、自らの安全保障のためにNATO加盟を選ぶ権利があるのではないか。
●安全保障の問題:ある国の安全を高める行動が、隣国には脅威と受け止められ、対立を深めることがある。
●信頼の問題:法的な約束が成立していたかどうかとは別に、外交上の発言が相手国の期待や信頼に影響を与えることがある。

1990年2月9日、米国のジェームズ・ベーカー国務長官は、ソ連のゴルバチョフ書記長との会談で、統一ドイツがNATOに属する場合について、NATOの管轄権が東へ「1インチも」拡大しないという趣旨の発言をしました。当時の西ドイツのゲンシャー外相らも、ソ連側の安全保障上の懸念を和らげる趣旨の発言をしていました。こうしたやり取りは、機密解除された外交文書に記録されています。

しかし、これらの発言が、東欧諸国の将来のNATO加盟まで禁じる約束だったのかについては、解釈が分かれています。西側は、東欧諸国の加盟を一律に禁止する法的な約束は成立しておらず、当時の交渉はドイツ統一をめぐるものだったと説明しています。一方、ロシア側は、NATOの東方拡大は当時の約束に反すると主張してきました。
正式な条約に盛り込まれなかった発言は、約束ではなかったのか?法的な拘束力と、外交上の信頼は、必ずしも同じではありません。

その後、2000年、ウラジーミル・プーチンがロシア大統領に就任しました。プーチン政権は、ロシアの国際的な地位と影響力の回復を重視し、旧ソ連諸国が西側へ接近する動きに強く反発するようになります。その背景には、旧ソ連圏を自国の安全保障と深く結びついた地域とみなし、周辺諸国への影響力を維持しようとする姿勢がありました。

一方、中東欧諸国や旧ソ連諸国には、かつてのように大国の勢力圏に組み込まれることを避け、自らの進路と安全保障を選ぼうとする思いがありました。
NATOの東方拡大をめぐる約束の解釈の違い、ロシアの安全保障上の懸念、周辺諸国の主権をめぐる対立。こうした問題がロシアと西側の相互不信を深め、後の紛争の火種の一つとなっていきます。

しかし、ひとつ確かなことがあります。
国家間の不信は、一度生まれると、何十年もの時を経て、やがて新たな対立や紛争の火種となることがあるということです。

●心の声=
〇ウラジーミル・プーチン(ロシア大統領)
「ソ連崩壊で失った大国ロシアの力を取り戻す! かつてのように、周辺諸国に大きな影響力を持つ国にするのだ!」「何といっても約束は守れよ」
〇ポーランドなど中東欧諸国
「私たちは、もう大国の言いなりにはならない! どの国と手を結ぶかは、私たち自身が決める!これは当たり前のことじゃないのか?」

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●2001年9月11日|米国同時多発テロ――「一国への攻撃は、同盟全体への攻撃」
2001年9月11日、国際テロ組織アルカイダがハイジャックした旅客機を使い、米国で同時多発テロを実行しました。ニューヨークの世界貿易センターやワシントン近郊の国防総省などが攻撃され、約3,000人が犠牲となりました。米国は、国内の安全保障だけでなく、国際秩序そのものが脅かされたと受け止めました。
翌9月12日、NATOは北大西洋条約第5条に基づく集団防衛の原則を初めて適用する方針を決定。10月2日には、攻撃が国外から行われたことを確認し、第5条の対象と認定しました。これは、冷戦期にソ連の脅威に備えて築かれた同盟が、国家ではないテロ組織による攻撃にも対応した歴史的な転換点でした。
米国は10月7日、アルカイダと、それを保護していたタリバン政権を標的にアフガニスタンで軍事作戦を開始しました。こうして始まった戦争は、タリバン政権の崩壊後も続き、最終的に米軍の撤退とタリバンの復権に至るまで約20年を要しました。
しかし、20年後の2021年、米軍は撤退を余儀なくされ、再びタリバンが復権するという不条理な結末を迎えています。

●約束=「一国への攻撃は、同盟全体への攻撃である」。NATOが冷戦期から掲げてきた集団防衛の約束は、9.11によって初めて実行に移されました。一方、テロを根絶し、安定した国家を再建するという目標は、圧倒的な軍事力をもってしても実現できませんでした。
攻撃を受けた国を守るという約束は、同盟の結束を示しました。しかし、戦争を始める決断と、戦争を終わらせ、平和を築くことは別の問題でした。9.11は、約束を実行することの意味だけでなく、その約束がどこまでの責任を伴うのかを、世界に問いかけた出来事でもありました。

●心の声=
〇ウサーマ・ビン・ラーディン(アルカイダ指導者)
「聖地サウジアラビアに米軍が駐留し、米国は中東への介入を続けている! その米国に、決して忘れられない打撃を与えてやる!」
〇ジョージ・W・ブッシュ(米国大統領)
「アメリカへの宣戦布告だ! この攻撃を仕掛けた者たちを、地の果てまでも追い詰めて、必ず裁きを受けさせる!」
〇NATO加盟国
「一国が攻撃されたのなら、私たち全員への攻撃だ! 同盟の約束を、今こそ実行する!」

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●2003年|イラク戦争
米国と英国などは「イラクが大量破壊兵器を保有している」と主張し、国連安全保障理事会の明確な承認(決議)を得られないままイラクへ侵攻、フセイン政権を倒しました。しかし、大量破壊兵器は見つかりませんでした。
●約束=国連憲章が定める「国際社会の承認(安保理決議)なしに武力行使を行わない」という基本的な国際ルール(約束)を、大国自らが無視して強行された戦争であり、中東全体の壊滅的な混乱(IS台頭など)を招く原因となりました。

●心の声=
〇ジョージ・W・ブッシュ(米国大統領)
「大量破壊兵器の脅威を、これ以上放置するわけにはいかない! イラクのフセイン政権を倒し、世界の安全を守るのだ!」
〇フランスなど開戦に反対した国々
「国連の承認もないまま、戦争を始めるというのか! 国際社会のルールは、いったい何のためにあるのだ!」
〇イラク国民
「独裁者が倒れれば、自由が訪れると思ったのに……。なぜ私たちの国は、こんな混乱に陥ってしまったのだ!」

●核兵器が見つからなかった時の心の声=
〇ジョージ・W・ブッシュ(米国大統領)
「くそ〜っ、大量破壊兵器は見つからなかった……。だが、フセインの独裁政権は倒した。イラクに新しい国家を築くことこそ、これからの使命だ!」
〇フランスなど開戦に反対した国々
「だから言ったではないか! 確かな証拠も、明確な国連の承認もないまま戦争を始めれば、こうなるのだ!」
〇イラク国民
「大量破壊兵器は、どこにもなかった……。それなのに、国は破壊され、家族を失い、私たちの暮らしは奪われた。いったい、誰がこの責任を取るのだ!」
〇世界の人々
「世界を守るための戦争だったはずだ。だが、脅威とされた兵器は見つからなかった。大国の言葉を、いったい何を信じればいいのだ!」

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●2008年|ジョージア(グルジア)紛争
旧ソ連構成国であるジョージアの親西側政権が自国内の親露派地域(南オセチア)へ軍事介入したことを受け、ロシア軍が電撃的に介入・侵攻。ジョージア軍を圧倒し、同地域の独立を一方的に承認しました。
●約束=旧ソ連諸国の主権尊重や停戦合意の約束を無視したロシアの直接介入。のちの2014年クリミア併合や2022年ウクライナ侵攻へとつながる「旧ソ連域内での力による勢力圏維持」の前哨戦(パターン)となりました。

●心の声=
〇ミヘイル・サアカシュヴィリ(ジョージア大統領)
「ここは私たちの国だぞ! ロシアにジョージアの主権を踏みにじられてたまるか!」
〇ドミトリー・メドベージェフ(ロシア大統領)
「南オセチアの人々を守るのだ! ロシアの影響力を脅かす動きも、これ以上許すわけにはいかない!」

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●2011年〜|アラブの春(シリア内戦と大国の代理戦争)
「アラブの春」の民主化運動から発展したシリア反体制派とアサド政権の衝突に、ロシア、米国、イラン、トルコなどの外部勢力が介入。内戦は激化・長期化し、大規模な難民危機を生みました。
●約束=国際社会による「化学兵器使用の禁止」や「民間人保護」という人道的な約束やラインが幾度となく破られ、巨大な対立構造が消えた後も「他国の内戦へ介入する大国の思惑」によって悲劇が拡大する構造を示しました。

●心の声=
〇バッシャール・アル=アサド(シリア大統領)
「何としても、この政権を守り抜く、何としてもだ! 反政府勢力に国を奪われてたまるものか!」
〇ウラジーミル・プーチン(ロシア大統領)
「ここで我々はアサド政権を失うわけにはいかないんだよ! ロシアの影響力を守るためにも、軍事介入しかないんだ!」
〇シリアの市民
「もう、いい加減にしてくれ! 誰が勝つかなんて、どうでもいい。私たちは、ただ安心して暮らしたいだけなんだよ!」

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●2014年|ロシアによるクリミア併合
ウクライナで親ロシア政権が崩壊すると、ロシアはクリミア半島を軍事的に掌握し、併合しました。さらに、ウクライナ東部の紛争にも介入し、ロシアとウクライナの対立は深刻化しました。
ロシアはNATOの拡大やウクライナの西側接近を安全保障上の問題として主張しましたが、クリミア併合はウクライナの主権と領土の一体性を侵害する行為でした。
●約束=ウクライナが核兵器を手放す代わりにその主権と領土を尊重するとした1994年の国際約束(ブダペスト覚書)をロシアが一方的に破り、力による現状変更へと踏み切りました。

●心の声=
〇ウラジーミル・プーチン(ロシア大統領)
「ウクライナが西側に近づいていくのを、黙って見ていられるか! クリミアは、ロシアにとって手放せない戦略的要衝なのだ! エカチェリーナ2世の時代から、ロシアが黒海への進出をかけて手に入れた土地だ。黒海艦隊の拠点セヴァストポリまで失うわけにはいかない!」
〇ペトロ・ポロシェンコ(ウクライナ大統領)
「ふざけるな! 核兵器を手放せば領土を尊重すると約束したはずだ! その約束を破って、今度はクリミアまで奪うというのか!」

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●2020年|ナゴルノ・カラバフ紛争(アゼルバイジャンとアルメニア)
旧ソ連構成国同士であるアゼルバイジャンとアルメニアが、領土(ナゴルノ・カラバフ地域)をめぐって大規模な軍事衝突を起こしました。トルコはアゼルバイジャンを支援し、同国はトルコ製ドローンなどを大量に投入して戦況を有利に進めました。約6週間の戦闘の末、ロシアの仲介で停戦が成立しています。
●約束=ロシアを中心とする集団安全保障条約(CSTO)による「アルメニアへの防衛約束」が存在したものの、ロシアは本格介入を回避。大国の防衛約束(傘)が時代の変化によって機能しなくなる現実を浮き彫りにしました。

●心の声=
〇ニコル・パシニャン(アルメニア首相)
「ロシアは同盟国のはずだよな! 私たちが追い詰められているのに、なぜ助けてくれない!」
〇イルハム・アリエフ(アゼルバイジャン大統領)
「今こそ、失った領土を取り戻す時だ! トルコの支援もある。今度こそ、勝利をつかむのだ!」
〇ウラジーミル・プーチン(ロシア大統領)
「ナゴルノ・カラバフは、アルメニアの領土ではない。だからこそ、直接参戦せずとも、停戦を仲介する道がある!」

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●2022年2月|ロシアによるウクライナへの全面侵攻
ロシアはウクライナへの大規模な軍事侵攻を開始しました。ウクライナの主権と領土をめぐる対立は、欧州全体の安全保障を揺るがす戦争へと発展しました。
NATOの東方拡大、ロシアの安全保障上の懸念、プーチン政権の勢力圏構想などは、この対立を理解するうえで重要な要素です。しかし、戦争をNATOの拡大だけで説明することはできません。ウクライナを自国の影響下にとどめようとするロシアの政策や、ウクライナ自身が進路を選択する権利をめぐる問題も重要です。
●約束=ウクライナは核兵器を放棄する一方、米国・英国・ロシアから主権と既存の国境を尊重するなどの安全保障上の約束を得ました。しかし、それはNATOの集団防衛のような軍事的保証ではなく、ロシアの侵攻を防ぐことはできませんでした。
核を手放すことが侵攻を招いたのか?
その問いは、核不拡散と国際的な安全保障の約束の信頼性に、今も重い課題を突きつけています。

●心の声=
〇ウラジーミル・プーチン(ロシア大統領)
「西側にすり寄る、あのコメディアンに何ができる! ウクライナがロシアにとって何を意味するのか、思い知らせてやる! ここで引けば、ロシアの影響力も、私自身の権威も揺らぐことになってしまうではないか!」
〇ウォロディミル・ゼレンスキー(ウクライナ大統領)
「隣国を力でねじ伏せようとする独裁者め! 西側に近づくかどうかは、ロシアではなく、私たちが決めることだ! 西側が武器や資金を支援してくれるなら、私たちは戦える! ここで屈服すれば、ウクライナの主権も、国民が選ぶ未来も失われてしまう!」

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●2023年〜|スーダン国軍と准軍事組織(RSF)の衝突
冷戦後もアフリカ各地で続く権力闘争・内戦の一つ。民主化(民政移管)に向けた協議の最中、国軍と准軍事組織(RSF)の主導権争いから武力衝突へ発展し、甚大な人道危機となっています。
●約束=「軍部から民間政権へ移行する」という国際社会を交えた民主化の約束が踏みにじられ、国や市民の安全よりも武力による自勢力の権力維持が優先された悲劇と言えます。

●心の声=
〇アブデル・ファッターハ・アル=ブルハン(国軍トップ)
「国を守るのは国軍だ! この国の主導権を、簡単に手放してたまるものか!」
〇モハメド・ハムダン・ダガロ(RSFトップ)
「ふざけるな! お前たち国軍だけに、権力を握らせてなるものか!」

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●2023年10月〜|イスラエル・ガザの戦争
2023年10月、ハマスによるイスラエルへの攻撃をきっかけに、イスラエルとガザの戦争が激化しました。多数の民間人が犠牲となり、深刻な人道危機が生じました。
この紛争は冷戦の直接的な延長ではありませんが、領土、国家の安全、民族自決、長年の対立が複雑に絡み合う問題が、冷戦後も解決されていないことを示しています。
しかし、その歴史的背景をさかのぼると、第一次世界大戦中の英国による、いわゆる「三枚舌外交」に行き着きます。アラブ側への独立の約束、フランスとの秘密協定、そしてユダヤ人の民族的郷土の建設を支持したバルフォア宣言。相互に矛盾をはらむ列強の外交が、パレスチナの将来に深い影響を及ぼし、その後の対立の歴史につながっていきました。
●約束=第一次世界大戦中に英国がアラブ人とユダヤ人の双方にそれぞれ独立や郷土建設を認めた矛盾する「約束(三枚舌外交)」が、100年を経た今もパレスチナの地に深い傷跡と対立を残しています。
今回の物語の始まりが英国のポーランドを守るという約束を考えると、大変皮肉な100年後の事実とも言えます。

●心の声=
〇ベンヤミン・ネタニヤフ(イスラエル首相)
「ハマスが先に攻撃し、国民を殺し、人質まで連れ去った! 国民を守り、二度とこんな攻撃を許すわけにはいかない! ハマスを壊滅させるまで、攻撃をやめるわけにはいかない!」
〇イスマーイール・ハニーヤ(ハマス政治部門トップ)
「イスラエルへの攻撃で、もう後戻りはできない! だが、パレスチナ人が土地と権利を奪われてきた屈辱の歴史を、なかったことには絶対させない! イスラエルに屈し、すべてを諦めてたまるものか!」

●現在の心の声=
〇ベンヤミン・ネタニヤフ
  「ここで戦争を終わらせれば、今度は私自身が責任を問われる可能性もある! 汚職裁判も、2023年10月の攻撃を防げなかった責任も、逃れられなくなるかもしれない。私は今、退くわけにはいかない!」
〇ハリル・アル=ハイヤ(ハマス最高指導者)
「英国はかつて、アラブ人とユダヤ人に相反する約束をした! その後、イスラエルが建国され、パレスチナ人は土地を失い心から苦しんできたんだ。イスラエルに屈服し、パレスチナの権利を諦めろというのか! そんなこと何があっても受け入れるわけにはいかないだろう!」

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●2026年|トランプ・ネタニヤフ両政権によるイラン攻撃――破られた対話と「約束」の罠
2026年2月28日、中東の空は一瞬にして炎に包まれました。米国とイスラエルによるイランへの電撃的な大規模空爆――それは最高指導者アリー・ハメネイ師の命を奪い、世界に戦慄を走らせました。

しかし、この悲劇が何より人々に衝撃を与えたのは、「その直前まで、和平の道が模索されていた」という事実です。わずか二日前、仲介国オマーンは核協議の進展を誇らしく語っていました。外交の糸がつながっていたまさにその土壇場で、なぜ攻撃の音がすべてをかき消したのでしょうか。

トランプ政権を動かしたのは、長年燻り続けたイランの核・ミサイルへの強い脅威論と、同盟国イスラエルからの執拗な要請でした。そして何より、同年1月にベネズエラでマドゥロ大統領を拘束した電撃作戦の記憶が、「力づくで相手をひざまずかせられる」という過信を生んだのかもしれません。
そんな時、ネタニヤフがトランプにハメネイ師らが同じ場所に集まるという情報を伝え、それが攻撃の時期を決める重要な転機になった模様です。

ところが、イランはベネズエラではありませんでした。イランを支えるシーア派イスラム教の精神風土には、歴史的受難に端を発する「殉教」の教義と、「圧倒的な強者・不義に対して倒れるまで抵抗することこそが勝利である」という独特の倫理観が深く根を張っています。合理的な損得勘定を超えたこの精神的背景は、指導者を失った程度で国家や軍組織が屈服しない強靭さを生み出しました。イランが即座に放った報復の火の粉は湾岸諸国のインフラを焼き、世界の生命線であるホルムズ海峡の物流を停止させました。原油の高騰、海上輸送の麻痺――遠く離れた日本人の生活に至るまで、戦争の暗雲は瞬く間に世界を覆いました。指導者を奪うことと、戦争を終わらせ平和を築くことは、まったく別の難題だったのです。今後、フーシ派がバベルマンデブを封鎖すると言い出すとさらに厳しい状態になってしまうでしょう。

●約束=2015年に結ばれた「イラン核合意(JCPOA)」は、核開発の制限と制裁解除を引き換えにする平和の約束でした。しかし2018年に米国がそれを突如脱退したことで、築き上げた信頼は砂の城のように崩れ去りました。同盟を守るという「約束」、敵を牽制する「約束」、そして攻撃されたら倍にして返すという報復の「約束」。互いに自国の安全のために掲げたはずの「約束」が、不信の闇の中でかみ合い、皮肉にも世界を悲劇的な戦争へと引きずり込んでしまったのです。

●心の声=
〇ドナルド・トランプ(米国大統領)
「核の脅威を取り除き、相手に譲歩させる。それが狙いだった。短期間で決着がつくはずだった……。なぜ、思いどおりに進まない? ネタニヤフとの協力は、私にとっても政治的な力になる。彼との関係を成果として示してきた以上、ここで失敗するわけにはいかない! 11月の中間選挙までに成果を示さなければ、共和党まで議席を失いかねない。交渉を続けていれば、違う結果になったのだろうか……いや、今さら後戻りはできない!」

〇モジタバ・ハメネイ(イラン最高指導者・創作)
「父を殺し、対話を裏切った米国が、今度は我々に屈服を迫るのか! カルバラーで殉教したイマーム・フサインの精神を忘れたのか! 不義に屈して生き延びることが勝利なのではない。たとえ圧倒的な敵を前にしても、信念を捨てずに抵抗することこそ、我々の誇りなのだ!」
「正直言うと、革命防衛隊を抑えられないこともあって実は困ってるって一面もあるんだよ。」



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【12】戦争紛争の増減を表すグラフ(引用)

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●冷戦は終わりました。しかし、人類が争いを続ける理由まで消えたわけではありません。
以下のグラフが示す通り紛争は年々増加の一途をたどっています。
尚、このグラフにはジェノサイドが含まれておりません。



画像のグラフは、ウプサラ紛争データプログラム(UCDP)のデータに基づき、1946年から2025年までに世界で発生した「国家が関与する武力紛争(State-based conflicts)」の数の推移と、その不一致・争点(Incompatibility)の内訳を示した積み上げエリアグラフです。

1. グラフの構成(凡例と軸)タイトル: State-based conflicts by incompatibility (1946-2025)
(争点別にみた国家主体紛争の推移:1946年〜2025年1月まで)  
●縦軸: Number of state-based conflicts(国家主体紛争の件数)   
●横軸: 1946年から2025年1月までの年代(2026年はさらに増加しています)
●色分け(争点の内訳):
 赤(Territory / 領土): 領土や自治権、独立、国境などを巡る紛争。   
 紺(Government / 政権): 政権の奪取や統治体制(政府そのもの)を巡る紛争。   
 黄(Territory and Government / 領土および政権): 領土と政権の両方が争点となっている複雑な紛争。  


 2. グラフから読み取れる主なトレンド
(1) 全体傾向:冷戦期から現代にかけての「急増」
冷戦期(1940〜1980年代): 紛争数はゆるやかに増加し、1990年前後(冷戦終結期)に一度目のピーク(約50件台)を迎えます。   
2010年代以降の急増: 2010年代半ばから急激に増加しています。 
(2) 争点(不一致)の割合の変化「政権(紺)」と「領土(赤)」が常に2大要素: 歴史を通じて、国家や反乱勢力が争う主な原因は「政権の奪取・統治体制」か「領土・自治権」のいずれか(または双方)であることがわかります。  
 近年の「領土・政権双方(黄)」の増加: 2020年代にかけて黄色のエリアが目立つようになっており、単一の争点だけでなく、領土問題と政権争いが複合化した複雑な紛争が増えていることが読み取れます。   

3. このグラフが意味すること
このグラフは、「冷戦が終わって世界が平和に向かうと思われた期待とは裏腹に、2010年代以降、世界の武力紛争は過去最多レベルに増加・泥沼化している」という現実を視覚的に裏付けています。 
グラフには表れていませんが2026年はさらに増えています。  

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■追加として、個人的に思う日本の戦争における「失敗」について時間軸で振り返ってみました。あくまでも失敗だけの抽出です。
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●そもそも「黒船来航」に対する日本の考え方が、「追いつかなければ植民地にされるという強迫観念」として国家方針に向かってしまったこと。

●「ビスマルクの影響(岩倉使節団)」で、富国強兵の強兵を優先してしまったこと。

●「自国(主権線)を守るため」には、その外側の隣国(朝鮮半島や満州=利益線)を支配しなければ安全にならない」と言う考えが正当化されてしまったこと。

●「統帥権の独立」によって軍事を政治から切り離す方向へ進んだこと。(統帥権の独立は、明治憲法第11条を憲法上の根拠とし、1907年の軍令第1号によって法制上の裏付けが明確になった)

●「日清戦争」の勝利により台湾を獲得したり、清から巨額の賠償金を得たため軍事力によって領土・権益を拡大できるという間違った成功体験を知ってしまったこと。

●「陸軍と海軍」両軍がお互い一切相いれない特殊な縦割り組織を作ってしまったこと。ある意味、2つの国家が存在していたかのような。

●「張作霖爆殺事件」の後処理のミス(関東軍を罰せず)で、関東軍のその後の暴走を許してしまったこと。
ミスとは、陸軍や政権内部による激しい「身内の隠蔽・抵抗」と「国家のメンツ(国益)」への配慮など。

●その関東軍が「満州事変」を起こしてしまったこと。
満州事変で日本が不戦条約を破りドイツに影響を与え、それは世界大戦のきっかけにも。その後、泥沼の日中戦争に向かい、日中戦争が南進のきっかけになり、米国他を本気で怒らせABCD包囲網へと。

●「空気と世論・メディアの暴走」を許してしまったこと。
軍部だけでなく、新聞などのメディアが軍部の暴走を過剰に煽り、国民もそれを熱狂的に支持し「弱腰外交」を叩く世論が形成されてしまったこと。

●「サンクコスト効果」(すでに多くの人や投資をしてしまったので止めるに止められない)と「責任の押し付け合い」の堂々巡りを、原爆投下やソ連参戦まで続けてしまったこと。

●戦争目的と終戦条件を明確に設定しなかったこと。
何のために戦うのか?どこまで達成したら勝ちなのか?どの条件なら妥協して終わるのか?を決めずに戦争をはじめ、だらだらと続けてしまったこと。

●上記の中でも、「統帥権の独立」の影響が特に大きかったと考えています。軍事を政治の統制から切り離すこの制度が、その後の軍部の政治的自立、関東軍の独断、さらには陸海軍の縦割り構造を生み出す土壌になったと思うからです。
軍部の「指揮・命令」を、政府・議会によって直接統制できないことが憲法で規定されていたことは、世界の立憲国家でもまれな制度でした。
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以上ですが、皆さんはどうお考えですか?



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●今回、参考にした資料

 『日本外交文書 満洲事変 第1巻第1冊』 外務省編

 『戦争違法化の時代における「警察」概念の複層性―二〇世紀日本の軍事と法―』太田聡一郎

 『冷戦史(上・下)』   著者: 青野 利彦   出版社: 中公新書

 『入門講義 戦後国際政治史』   著者: 宮岡 勲 編 / 慶應義塾大学出版会   出版社: 慶應義塾大学出版会

 『現代国際関係史』   著者: 小川 有美・板橋 拓己 編   出版社: 東京大学出版会   

 『冷戦 ワールド・ヒストリー(上・下)』   著者: オド・アルネ・ヴェスタッド(訳:小川浩之 ほか)出版社: 岩波書店

 『グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀』   著者: 古矢 旬   出版社: 岩波新書(シリーズ アメリカ合衆国史)

 『ヨーロッパ冷戦史』   著者: 山本 健   出版社: ちくま新書 
  

 『日本冷戦史 1945-1956』   著者: 増田 弘出版社: 講談社学術文庫   

 『入門講義 戦後日本外交史』   著者: 添谷 芳秀   出版社: 慶應義塾大学出版会

 『冷戦後の地政学――アメリカの戦略とユーラシアの未来』著者: ズビグニュー・ブレジンスキー(訳:山岡洋一)   出版社: 日本経済新聞出版

 『十三日間の危機――キューバ・ミサイル危機』著者: ロバート・ケネディ(訳:中野雄)   出版社: 中公文庫

 『セカンドハンドの時代』 著者:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 出版社:岩波書店

 『新戦争論―グローバル化時代の内戦とテロ』 著者:メアリー・カルドー 出版社:岩波書店

 『文明の衝突』 著者:サミュエル・ハンティントン 出版社:集英社

 『危機の三十年―冷戦後秩序はなぜ崩壊したか』 著者:細谷雄一 出版社:新潮社
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